デビューしたての頃の矢沢
永吉さん。
1970年代、永ちゃんとキャ
ロルが日本のヘアスタイル
シーンに一石を投じたのは
確かだろう。
ただ、それ以前からリーゼン
トは日本でも流行していた。
というかリーゼントとは日本
での言い回し。英語では別名
だ。
日本でもアメリカの50年代の
ように、不良の間でだけでは
なく大人でも頭がポマードギ
トギトのオールバックやリー
ゼントは普通にあった。
しかし、それらリーゼントを
若者ファッションとして高め
たのはアメリカの50’sカルチ
ャーの若者たちだった。
そのアメリカのスタイルは英
国ロンドンで大流行した。
そして、彼らのそのスタイル
は音楽とバイクが結びついて
「ロッカーズ」という一つの
若者による体制への抵抗文化
を形成していった。
矢沢永吉さんは、デビュー前、
元々はリーゼントスタイルで
はなかった。
ロンドンブーツにマッシュル
ームカット。
完全にモッズ系のいでたちだ。
「リーゼント?ダサいよ」と
言う矢沢に「これしかねえよ」
と強く言ったのはバンドメン
バー募集の張り紙広告を見て
やって来たジョニー大倉だった。
キャロルのスタイルはジョニ
ー大倉さんが決定的に方向づ
けた。
元々ビートルズのコピーバン
ドだったが、ビートルズとて
最初は革ジャンにリーゼント
のロックンロールスタイルだ
った。
しかし、マネージャーの戦略
で甘いお坊ちゃまモッズ系に
スタイルを変更させられた。
キャロルはそれの逆を狙った。
それは当たった。
やがて、日本でも若者抵抗文
化としてのリーゼントスタイ
ルが定着していった。
キャロルは1972年に結成され
て75年に解散するまで、日本
国内でキャロル旋風を巻き起
こした。
当時の不良少年も中1あたり
からリーゼントにするのが流
行した。
私が通った中学は長髪OKだ
ったが、まだ世間では戦前風
味をかませている時代錯誤の
公立中学も多く、周りの中坊
は丸坊主の男子ばかりだった
りした。私たちはリーゼント
にしていたが、他校の女子中
学生などと出会ったりして話
をすると「高校生かと思った」
とよく言われた。
ただ、日本のリーゼントは米
国本式のダックテール系と
「どツッパリ」系の二系統に
70年代中期以降は分化して行
く。同じリーゼントでもセット
の仕方が両者は異なる。
ただ、キャロルのヤザワが
元々はこっち系ではなかった
という事は意外と知られてい
ないようだ。
どちらかといえば、デビュー
前の永ちゃんは、つまり、
こちら系。
さりとて、ビートルズもマネ
ージャーの強い方向性選定の
指示がなければ、どうなって
いたか分からない。
元々ビートルズはR'nR系だっ
たから。
いつのまにかビートルズは
ラブ&ピースになっちまった。
まあ、ロックンロールも愛を
歌う音楽なんだけどさ。
ただ、人類愛ではなく、生き
方への愛なんてのもロックン
ロールは歌い上げていた。
体制派のロックなんてのはあ
り得なかった。
愛と平和の音楽団となった
ビートルズがサブカル抵抗
文化の継承者としての片鱗
を見せたのは、女王陛下か
ら授与された勲章を「今度
は私たちが貴方に差し上げ
ましょう」と返却したこと
だった。
そこにはベトナム反戦を願う
ハートがあった。
基本的にロックンローラーは
ノンポリが異様に多いが、本
来のロックは抵抗者としての
魂無くしては成立しない。
それは、米国の黒人音楽との
結合によってR&Bが成立して
来た歴史とは切り離せないか
らだ。
黒人問題に無関心な日本人
のロッカーたちは、差別や
反戦や反体制的な生き方に
ついては存外無関心だ。
日本のローラーたちは、形
ばかりを追い求めるパター
ンが多い。
「資本主義に毒されすぎな
のではないかな」と言うク
リームソーダの山崎眞行社
長(故人)が言ったような
ビシッとした視点で世の中
を斬ることは日本のロックン
ローラーはあまりしない。
ノンポリだらけだ。
これは国なりなのか、いかん
ともしがたいが、日本の抵抗
文化の未成熟として忸怩たる
ものを感じざるを得ない。
そこでも、アメリカ合衆国や
英国ロンドンの若者たちを超
えられないのか、と。