渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

箱根芦ノ湖山中湖

2023年05月22日 | open
 


学生の頃に一番走ったのは
箱根だった。
毎週通っていた。夜明け前に
家を出て。
2台でいつも走っていた。
革ツナギの上にトレーナーを
着て。

芦ノ湖まで降りて一旦空に
なったタンクを満タンにして
また走る。


標高1000m超えのワインディ
ング。速度が出過ぎるので、
抑え目に走る。飛んだら、
急車が来るまで4時間位かかる
ので、まず死ぬ。


行きは西湘バイパスを使い、
小田原から登る。
帰路は御殿場に降りて東名で
帰還していた。
行きも帰りも弾丸。
走り終えるのは午前10時頃だ。

他に近所では泊まりがけで
よく
山中湖に行った。
日帰りでも何度も。


湖北にある学生寮で集会や
会議
や合宿をやった。
 

湖畔は混んでいるので注意
するが、前がクリアならば
パァ〜ンと行く。


帰路は道志道を通って帰る。


空いていたらパァ〜ンと行く。



 
道志道は最近「道志みち」と
記載されるのを多く見る。
道が二連なので読み分けがやや
こしいからかもしれない。
道志から見る富士山は絶景だ。
山中湖を夕方出ると見られる。
帰路の峠は日が暮れるため、
一般的にはその時間帯に峠を
通るのを避けるライダーも多
が、学生仲間の時間帯は夕
暮れの富士山を横に見ながら
の帰還
だった。


絵にも描けない美しさが右下に
広がる。


晩飯はR413沿いのマックが
定番だった。橋本とかその
手前とか。
スマホもメールも携帯もナビ
もインカムも無かったが、
峠の自由走行区間でバラバラ
になっても、全員が合流で
ていた。今思うと不思議
だが、そんなもんだった。
マニュアルは無い。各自の
判断で動くが終結はできた。


そしてR16→R246に合流して
から都内を目指すルートが下道
ルートの定番だった。
もう、それこそしょっちゅう
行ってた。
社会人になってからも後輩たち
や訴訟原告団のバイク仲間たち
と。
 
箱根芦ノ湖山中湖。
これはもう馴染み深いのを超え
た程に馴染み深かった。
箱根なんて、毎週だから。
約1年間。雪の時以外。実質
数ヶ月開くが。
それでも、雪解けから降雪時
まで毎週だ。
そりゃ、誰でもお馴染みになる
よ(笑
椿ラインより格段によかったの
は、芦ノ湖箱根スカイライン
路面が格段に良かった事
だ。
それと高地のワインディングな
ので高低差があまり無い。
天空のスカイロードを行く感じ。
あれが最高だった。
後年の映画『キリン』でも撮影
された峠のシーンは箱根スカイ
ラインだった。
80年代には多くの四輪車や二輪
の雑誌で試走や撮影にも使われ
ていた。

 

この記事についてブログを書く
« 決闘距離 | トップ | 風景 »