渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

親父の失敗

2020年10月06日 | open
 
 
母から聞いた話。
まだ私が生まれる前の頃、東京目黒に住
んでいた時の話だから1950年代の事だ。
父はキャンプが好きだった。
ある時、職場の仲間とキャンプに行くから
フライパンを貸してくれと母が買ったばか
りのフライパンを持ってキャンプに行っ
た。
あー、楽しかったよ!と父が帰宅して母
に戻したフライパンは真っ黒焦げで、ハン
ドルの木部も焼け落ちていたのだという。
ガスバーナーなどは無い直火のみの時代、
フィフティーズだ。
勿論、日本の一般家庭にはテレビも
電話も無い。洗濯機さえあれば文化的
水準
の高い時代だった。電気炊飯器、
冷蔵庫、
洗濯機が三種の神器と呼ばれ
ていた時代である。
日本がアメリカに似たアメリカの50年代の
暮らしができるようになったのは、1960
年代の半ば過ぎからだった。
東京の一部や横浜米軍エリアそばでは米国
式生活が知られつつあったが、水洗トイレ
や洋食での食事などは日活映画の中だけの
世界だったのだ。
そのため、庶民は文化住宅と呼ばれた、
キッチンと水洗トイレと自宅浴室とリビン
グがあった公団住宅に憧れ、その抽選応募
者数は爆発的で、まず抽選に当たる確率は
低かった。しかも、年収制限があり、今の
鉄筋公営団地とは異なり、ある程度以上の
収入と正社員としての会社勤めなどの
収入
の裏付けがないと応募できなかった。
そして、東京オリンピックの頃から、
学校
給食でも洋食が一般化して全国的
にパン食
主体となった。
キャンプ道具なども、布類は全て帆布が
使われていた時代だ。火はすべて直火の
薪の焚き木のみ。
 
フライパンを母に返した父は、そんなもん
だ、と言って意に介さぬ様子だったが、
家で使えなくなってどうすんのよとの
問い
詰めに自作木製ハンドルを作って
装着し
て事なきを得たらしい。
母も子ども時分にガールズカウトに入って
いた位なので目くじらは立てなかったが、
実際に取手が焼け落ちてどうするの?と
なったのだそうだ。
野外メシやるんだぜ!とジャンボファイ
アーやらかしたんだろうなあ、親父は。
仲間
たちと、うひゃひゃひゃ!とか
言いながら。
まだ父も20代だったし。

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