渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

今夜も西部劇 映画『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(2003)

2022年06月24日 | open







この映画、何度も観た。
色が凄く綺麗だ。
主人公コスナーのピースメー
カーから10数発連続して弾が
出るシーン
以外は概ね銃撃
シーンはリアルだし、かなり
の佳作といえる。

舞台は1882年の西部で、レート
を現代換算すると1ドル8,000円
程が相場ではなかろうか。


本作は現実世界でよく起きた
牛を負う流れ者の漂泊のカウ
ボーイと
定住牧場主との争い
を描いた西部劇で、野に生き
た男と「町の人たち」
との確執
や軋轢を描いている。

これは現実のアメリカ合衆国
の歴史であり、多くの西部劇
で描かれた。

日本の場合、こうした時代の
移り変わりの中での人々の苦
渋が描かれた
作品は極めて少
なく、辛うじて『北の零年』
が時代に翻弄される
人々の姿
を描いている。

この『ワイルド・レンジ 最後
の銃撃』は原題が「オープン
レンジ」
なのだが、この原題に
こそこの映画の核心があるのに、
くだらない陳腐な邦題に
して
しまい、作品の表現性を台無し
にしてしまっている。

まるで『子連れ狼』を「Shogun
Assassin」とした海外映画の
ようにてんで分かってない。

それは、『マイダーリンクレ
メンタイン』という英語原題
を「荒野の決闘」
だなどと残念
なお題にしてよしとする日本
映画界の安直さがある。

小説ならは、さしずめ何でも
かんでも「〜殺人事件」とす
れば売れ線
に乗せられるだろ
うというチープな商業主義が
ある。


本作のこの画像のやり取りは、
私はとても好きだ。

キャンプ地から町に買い物に
出て暴行を受けた仲間を救う
為に町に
乗り込む前に、コス
ナーは銃を点検する。

コスナーの銃は7.5インチの
1873年砲兵モデルの銃身を6
インチ程
にカットしたモデル
だ。当然、フロントサイトは
無い。それは抜き撃ち
にも適
している。ソードオフカスタム。

こういう仕様は西部劇によく
出て来る。要は「人殺しの銃」
なのだ。

『シェーン』においては、シェ
ーン(アラン・ラッド)が、
悪役の用心棒
ジャック・パラ
ンスを指して「銃を二丁持つ
のは人殺しだ」と言う。

だが、自分自身が過去に影を
持つことを、語らないまでも
シェーンの
フロントサイトが
無い銃によって表していた。
シェーンは自虐的に「自分も

同類なのだ」と無言のうちに
語っていたのだ。それがあの
映画のテーマ。

本作『ワイル・ドレンジ』では、
この町に乗り込む前のシーンで、
銃を媒介
にして、老カウボーイ
が時代の移り変わりの象徴と
してコスナーに語る
のである。
重い銃は古い銃の象徴であり、
軽い銃は新しい時代の象徴

なのだ。
古い時代にいろいろ心に傷を
負った主人公コスナーが新し
い時代には
馴染めないまま心
に影を落としている。

しかし、ある医師の兄妹に出
会って、主人公コスナーの頑な
な自己否定
の心はゆっくりと
溶けて行くのだった。新しい
時代にはきっと希望が待って

いる筈だ、と。
この映画は導入部分がかなり
長い作品だが、シリアスで、
とても良作と
私には思える。

軽い銃が好きかって?
そうだ。俺もそうさ。ただし、
俺は新しい時代には馴染めない(笑
馴染むつもりもない。




フロントサイトなんて要らない。
なぜなら、誰も狙わないから。

なんてな。




この『ワイルドレンジ』の中で
無性に感じ入ったシーンがある。

銃撃戦の前に二人が交わす会話だ。
「この際だから本名を互いに言お
うではないか」というシーンだ。

戦闘が始まって死ねばもう会う
ことも話すこともできないからだ。

これはですね・・・ちと感じ入り
ました(苦笑

大いにあるよね、これは、と。
あるある、それ、と。







でもって、互いに生き残ったら
バツの悪いこと、悪いこと(笑)。


あと、映画的に最高だったシーン
がある。

敵側には殺し屋が雇われている。
それが絵に描いたようないけす
かない野郎なのだ。(名演。特
に日本語吹き替え版では日本の
声優さんの名演で、とんでもない
カス野郎ぶりが表現されていた)
双方が接近
して対峙した時に
コスナーが訊く。コスナーた
ちが運んでいる牛を
盗もうと
して町の牧場主が殺し屋を雇い、
牧童と愛犬が射殺され、
16歳の
少年が撃たれて瀕死の重体だ
ったからだ。

「やったのはお前か?」と。
すると殺し屋ガンマンは答える。
「ああ、やったのは俺だ。
楽しかったぜい」と。

その直後、コスナーは表情一つ
変えない無言の抜き撃ちで至近
距離
からその殺し屋の額のど真
ん中に一発.45口径をくらわして
瞬殺で即死
させるのだ。
これは今までの西部劇に全く
無かったガンファイト(ファ
イトしていない。
一方的に先
に撃って瞬殺している。これ
は銃撃ではなく射殺だ)描写で、

痛快の最絶頂だ。
他にも、女性を盾に銃を向ける
敵側にコスナーはスーッと近づ
き、
女性の首を抱えて「下が
れ」と言う敵に躊躇なく2メー
トル程の距離
から発砲している。
このあたりの「人殺し」ぶりが
くっそリアルであり、この映画
のテーマ
もよく表現している。
主人公コスナーは、軍隊での
殺戮によってPTSD
に悩まされ
る日々を送っているのだが、
そのあたりも、西部劇ながら

現代劇としての社会問題性と
しても描かれているのがこの
『ワイルド・
レンジ』の見所
でもある。


銃撃戦のさなかにボスである
老カウボーイはコスナーに言
う。「殺人者
にはなるな」と。
ここらあたりは日本人には解か
りづらいが、アメリカの正義は
アメリカの
文化の中での正義
なのだと痛感する。

だが、もう撃ち負けて無抵抗
になって怯える敵に銃を突き
つけた時に
コスナーはボスか
らそれを言われたので、踏み
とどまった。

これもとても実感として感じ
入った。

彼は「殺人者」にはならなか
ったのだ。(実際には何人も
撃ち殺しているが)

こうした彼の思いとどまりの
心の在りかは、躊躇や逡巡で
はない。

ただ、今の現代社会では、
どんな理由であれ、人を殺し
てはいけない。

人を殺して勲章を貰うという
ことも現代においては世界中
であるが、日本
の場合はそれ
をよしとはしない世界になった。

今の日本はダメダメなところが
多いのは確かだが、なんだかん
だで、良い国だと私は思う。

『ワイルド・レンジ』、おすすめ。







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