渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

大学

2024年06月24日 | open



高校までは男女共学、男子校、
女子高と三種類の学校がある。
大学においては女子大はある。
だが、男子大学というものは
存在しない。
これは、女子大は女子高等師
範学校(東京女子高等師範学校、
奈良女子高等師範学校、広島女
子高等師範学校)や女学校高等
科の流れにあるという歴史背景
によるものだ。

だが、一般的な帝国大学や私立
大学は、元々女子に門戸を開い
ていない訳ではないが、進学者
は男性と決まっていた世相があ
り、「大学」は日本においては
男子の物だった。
これは「女などは勉強などせん
でよろしい」という社会風潮と
そうした気風を反映させた社会
状況が江戸期から昭和敗戦時ま
での日本社会だったからだ。
だが、女性が男性よりも下に

置かれた社会では、男女平等
の社会的概念も価値観も存在
してはいなかった。日本はそ
れだった。1945年の敗戦までは。
戦中戦前などは、女性は法律的
にも「無能力者」とされ、選挙
権どころか、一切の法律的権利
を認められていなかった。
その時代を懐かしんで現代人が
「美しい日本」などと言うのは、
大きく現代社会的規範性におい
て間違っているし、社会人とし
て大切な何かが決定的
に欠落し
ている。

女性を格下に置く概念は現代の
日本語の言葉にさえ現存してい
る。「男女」という序列がまず
そうであるし、「子女」という
序列がそれだ。
英語の場合は、英語圏も元々は
男性社会であったとはいえ、
Ladies and Gentlemen という
言葉で女性を立てる事をやって
いた。
最近ではその言い回しさえも廃止
し、Everyone というジェンダー
中立的な言語を使用するのが英
語圏では一般常識化している。
こうした事例が生じているのは、
すべての人々の生存権に関わる
「人権」についての日欧の意識
性の程度の違いに拠るものだ。
換言すれば民度の差。人間社会
の社会人として開かれた社会意
識を有しているか否かの差であ
る。

女性の人権が不存在だった1945

年までの日本は、男による男の
為の男の社会だったのだ。
人間の成す社会として不平等
この上ない。
さらに、厳然とした法的に明記
された「階級」が存在し、それ
は江戸期から継続するものだが
明治期に戸籍に記載され、その
様式は1948年(昭和23年)まで継
続した。
生まれながらにして国民は階級
を決められていたのが日本だっ
た。
万民の人権など不在で、不平等
と差別を是とする国、
それがつ
い先の戦争で敗北して国家体制
が戦勝国によって変革されるま
での日本だったのである。
日本は二千年の歴史を持つ不平

等差別国家だった。
戦後80年近く経とうとも、今

でも日本人は差別と不平等と
格差づけが大好きだ。
極めて国民性と国民の精神が後

進国のそれとして存在している。
日本は戦後80年過ぎようとも、

民権の確立した欧米に比すると
圧倒的な未開未発達の地である。
発展途上にさえ到達していない。


日本の教育の歴史においては、
女子教育はかなり立ち遅れて
はいたが、女学校自体は江戸期
に既に存在した。
そして、明治期に、まだ官立
学校が女子教育の立ち遅れを
克服できていない近代日本の
黎明期において、女子教育の
充実に大きな貢献をしたのは
外国人宣教師たちによる私立
のキリスト教学校だった。
キリスト教が日本の女子教育
の発展にもたらした貢献は著
しいものがあった。
残念ながら、日本の仏教界は
そうした女子教育にはノータ
ッチ、学校教育の発展などに
は興味なども示さず、動きも
しなかった。これは事実として。
日本人は教育の歴史において、
キリスト教から受けた恩恵は
多大なるものがある。

明治初期の女子教育:文部科学省

 


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