渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

美人

2021年12月29日 | open


1968年夏。
いとこたち3人で小学生だけで東京
から関西に旅をした。新大阪までは
新幹線を使った。グリーン車を利用
したがガラガラで、乗客はわれわれ
ともう一人、女性だけだった。
私たちは宝塚に行くのが目的だった
が、宝塚絡みの偶然か、その車内の
女性は八千草薫さんだった。
そらあーたもう、超絶お綺麗でした。


八千草さんは京都で降りた。
撮影だったのかも。当時37才。
昔の37才はおばちゃんだが、八千草
さんは娘さんのように若く美人だっ
た。
その美人さというのはただの美人で
はない。透き通るような感じ。
ただ、車内の冷房が強すぎるから
なんとかならないかと車掌さんを
呼んでいた。女優さんぽかった。
京都で降りた時、ホームに出てから
八千草さんはサングラスをかけた。
真っ白の上下、下はややミニ。
私たちのほうを見てニコリと笑って
バイバイと八千草さんのほうから
手を振ってくれた。
映画のワンシーンみたいだった。


あれはもう谷口監督の奥様になって
10年も過ぎていた時の事だ。
谷口監督は黒澤明監督とも親友で、
戦前に早稲田大学時代に東野英治郎
たちと演劇で左翼的表現をして特高
から弾圧されて大学を中退した。
黒澤明もプロレタリア映画表現者だ
った。私の高校の先輩だ。

とにかく、茜さんのお弁当。
めちゃくちゃ綺麗だった。
その新幹線で八千草薫さんの美貌に
打たれた68年の9年後の1977年春先、
ヤマハはのちのスクーターブームを
作る革命的な原付バイクを発売した。
それまで、50ccのスクーターは
存在しなかった。
これは45年後の今に続くスクーター
ブームの先駆けだった。
宣伝のメーカーイメージキャラクタ
は八千草薫さんだった。


主婦層をターゲットにした画期的で
衝撃的なCMだった。
「やさしいから乗れます」という
「優しさ」という文言を使ったの
もヤマハのこれが史上初だった。
簡単という意味と人に優しいと
いう意味で、これも今の「地球に
優しい」という妙な造語の魁だ。
ヤマハの先駆性がよくわかる。

ただ・・・。
テレビで毎日流れるCMを見ていて
正直思った。
こんな綺麗な主婦なんているかーい!
と。世間一般のそこらの主婦はきっち
りとおばはん一直線だど、と(笑
東京は大阪ほどではないけれど。


私がレーシングチームからチーム
オフィスへの通いの足として借り
ていたのはこの色だった。無償で
これ使えと出たばかりの新車を
貸与してくれた。

このパッソルを見た時、たまたま
東京に来ていた母が「これいいじゃ
ない。ちょうだい」とか言ってた。
チームからの借り物だからダメだと
言たら、「ふーん、そう」とか
言っていたが、母は転住したばかり
広島に戻ったらヤマハを買って
いた(笑
それまでは母はスズキの原付に乗って
いた。
歳は八千草さんのほんの少し下だが、
今も母はヤマハのスクーターに乗
っている。
太極拳もこなすしインプレッサも
転がすし、今でも時事問題を私と
議論する。全くボケてない。
ありゃ100才コースだな。

八千草さんが亡くなった時、母と
テレビ番組を見ていたら、若い時
の八千草薫さんの写真が多く紹介
されていた。
綺麗だったねえという話になった
が、「あら、あたしと変わらない
じゃない」とか言う。
それね、ヨーロッパと広っぱ程
違いますから。

この記事についてブログを書く
« 不良少年 | トップ | 美人の法則 »