渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

日本のラーメン

2023年12月17日 | open

初来日で涙!初めて食べる日本の
ラーメンに感動が止まらないお父さん


外国人の人は言う。
日本のラーメンがめちゃくちゃ
おいしい、と。
私は日本人だが、日本のラーメン
は手前味噌抜きにして本当におい
しいと感じる。
私の今住んでいる場所でつきあい
のある外国人たちもラーメンが
大好きだ。
やはりOriのご両親と同じスペイン
語圏の友人。
そして言う。
「俺は世界中を結構回ったが、
ラーメンだけでなく日本は食べ
物がどれも世界トップクラスで
うまい」と。
そんな彼は日本の「雑煮」を食し
た事がなかった。
正月にうちに呼んだ。
うちの雑煮を振舞った。かみさん
が作るやつ。
めちゃくちゃ喜んでいた。
そいつの息子も翌年呼んだ。
日本生まれ育ちだが雑煮は食べた
事が無いというので。
めちゃくちゃ喜んでいた。
息子は5人前食べた(笑

食が人にもたらすもの。
それは笑顔と幸せだ。
だが、世界中の多くの地域で、
戦争や紛争
でその日の食べ物にも
事欠く事が
起きている。
戦争ではなくとも国の貧困によっ
て、子どもたちが食事をまともに
口にできない事もある。
国家元首の一族のみがぶくぶく

太って、国民は土を食って死んで
いる国もある。
地球全体の人間が常にいつも満足
できる食が口にできたら。
お花畑ではなく、私はそれを望ん
でいる。

兵士の条件としては「満腹になる
ために食うのではない。戦闘力を
維持するために食うのだ」という
ものがある。これは全世界。正規
兵で
なく傭兵や義勇兵でさえも。
だが、それは一つの定理ではある
が、実は人間社会の崩壊の象徴で
もあると私は確信している。
かつての日本の連合赤軍(共産同
赤軍派ではないので識別注意)は
「革命の為には空腹に耐えよ」と
言った。
正味のところ、大たわけ
だ。
豊かな未来は彼らの発想からは
作れない。
それに「腹が減ってはイクサが
できない」という日本古来の戦闘
者の格言を知らないのか。
豊富な食糧物資あってこそ大規模
だろうと小規模だろうと本物の
戦闘が可能になる。
そして、食をおろそかにする者は
人をおろそかにする。
ある時、仕事絡みで元共産同赤軍

派だった現法律家(国家資格)と
昼飯に握り寿司を店で食べた。
味のサッパリしたネタから食べる
と握りの妙が味わえるよ、と私が
言ったら「腹に入れば何でも一緒
だ」と反駁するように答えた。
ブント赤軍派の稚拙な未熟性を
如実に感じ取った。
ほんのちょっとした食べ方次第で
食が豊かになる事さえもブルジョ
ア的であるとして拒否したいのだ
ろう。
彼らに未来は作れないと
改めて数
十年ぶりに確信した。
だからお前らはブントの中でさえ

も駄目だったんだよ、と。
多分、革命戦士として必須の健康

管理等も無頓着だったのだろう。
60年安保の大ブント時代の豪胆さ
のみを引き
ずる無様な態様で。
私自身の中には鎌倉幕府成立以前
からの一千年以上の戦争
屋の血が
流れているのでゲバルト
には躊躇
は一切無い。血のたぎりという本
能的側面において。

だが、ゲバだけで人の未来は作れ
ないだろうよ、おい、というのは
若い時からずっと思っている。

連合赤軍兵士たちの末路は、彼ら
の人的未成熟性にこそ起因があっ
た。
人をおろそかにする者に、どうし
て人を悪魔の桎梏から解放させる
化け物としての革命が
できようか。
人殺しをするだけがせいぜい
関の
山だ。事実そうだった。

絶対に殺してはならない仲間、
同志を殺して革命が起きると彼ら
連合赤軍は錯覚した。
日本人的不幸の再演を彼らはやっ
た。
日本の明治以降敗戦までの日本人
の負の歴史から何一つ学んでは
いない。
連合赤軍裁判最高裁の弁護側冒頭
陳述
の清書は私が為した。職務と
して。

なので、裁判に内側から関わり、
とてもよく見える事実がある。
それは、日本人特有の「未熟性」
だ。
そうした質性は思想性をも超える。
それは同時に思想性の未達でもあ
り、致命的な缺欠でさえある。
だが、多くの日本人はその真実
を真っ向から見つめようとはし
ない。

ラーメン食えよ。
ごくフツーに。
平時には。
そこから何かが始まる。





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