渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

アオハルの日々

2023年10月19日 | open











「高校時代は何してたの?」と
訊かれる。
「ララバイの研二君やってた~」
と言うと通じなかった(笑
バイク乗りじゃないからだろう
な。

1980年代のある日。
東名高速のSAで高速道路料金
の訴訟原告団組織化で二輪乗り
を片っ端から一本釣りオルグ
をしていた。訴訟原告団事務局
全員で。おいら編集局長。
その時、カワサキに乗ってSA
に入って来た人がいた。
訊くとララバイ作者本人だった。
なんでもその日納車でバイクを
取りに行った帰りだという。
その時の納車の話は後にララバイ
にも掲載されていた。

オルグった。
すると、「社会的な事には興味
ない」との事で、高速道路料金
訴訟へは不参加を意思表示した。
まあ、それはそれでもいいさ。
某バイク雑誌出版編集部含めて
バリ伝組は合流してくれてたし。
ただ、ちょっとがっかりはした。
バリ伝も好きだが、ララバイは
研二君の在り方が私の高校時代
そのもののようだったからだ。
作品も大ファンだった。
ちょ!とは思ったが、まあ人は
それぞれ。無理強いはしない。
手弁当で毎週広報活動をSAで
続けて、雑誌やマスコミにも
大々的に取り上げられ続けた
おかげ
で、原告団は16000名
を超えた。

そして、ライダーたちが自分
たちの力で社会を変えた。
これは歴史の中ででかい。

でかい事をやった。歴史を
変えたのだから。主体の側
が自分らの力で。
現在の二輪枠の高速道路料金
が出来たのは、われら二輪乗り
が自分たちで1980年代に行動
を起こした
からだ。
多くの芸能人たちも賛同して
合流してくれたのも嬉しかっ
た。
私はもう研二君ではなく、社会
とのつながりの中で自分を見つ
める一人の社会人だった。
あの社会運動が無ければ、私は
自分の事だけが大切な研二君
のままだっただろう。
オートバイに関しては。




 


認識

2023年10月19日 | open

原付一種の呼び方が「一般原付」に変わったと思いきや? 一般・特定小型・特例特定小型……3つに分かれた原付を解説

原付一種の呼び方が「一般原付」に変わったと思いきや? 一般・特定小型・特例特定小型……3つに分かれた原付を解説

16歳以上なら免許無しで乗れる「特定小型原付」の誕生によって原付新時代が到来 2023年の大ニュースとして、運転免許不要で運転できる原動機付自転車が新設されたことが挙げ...

モーサイ

 
一般人向けに解説してくれて
いるのはありがたいのだが、
ここでも以下と未満を概念上
混同して記載している。
これは二つの法及び内閣府令
並びに国土交通省令に齟齬が
ある為だ。
重量に関しては厳密に道交法
では以上と未満を区別して記
載しているが、排気量につい
ては「以下」と「こえる」で
記述してある。
だが、「普通自動二輪車は総
気量50ccをこえ、400cc以
の二輪の自動車」と法では
記載されているが、400ccジャ
ストが認可された試しは無い。
満を実質的には運用している。
重量規定では厳密に未満を法
では明記してあるが、排気量
は以下としているのである。
では50ccの原付はあるのか。
無い。すべて50cc未満だ。
このあたりの運用形態は極め
てグレーのままだ。
ボアアップによる改造で398
cc二輪を400ccにしたら、普
通自動二輪車で再登録できる
のか、という問題もある。
認可には道交法とは別な道路
車両運送法と自動車登録規則
が運用される。
道路車両運送法と道交法では
車両規定がまるで異なるとい
う日本の法律の未完成さが存
在している。
困ったものだ。
モーターリゼーションにおい
て法的整合性を欠くシステム。
日本はやはり、交通社会後進
国である事を法的にも痛感す
る。

なんせ、世界から批判を浴び
ても、法さえも無視する二輪
3ない運動(最高裁判決で違憲
と認定、廃止)で教育機関や警
察までもが国民の二輪乗車運
行権利を侵害していたのが日
本だったのだから。
法律で免許取得が認められて
いるのにそれをさせないとい
うハラスメントが全国でまか
り通っていた。
民主主義国としてとんでもな
い事だ。
しかし、それが当たり前のよ
うな顔で「社会常識化」して
いたのだ。
それは1970年代中期頃から
つい最近まで。
3無い運動は地方から開始され
て都内にも数年後にやって来た。
私が東京都文京区の私立高校
に通っていた時には免許取得
も乗車も禁止されてなかった。
ただ、二輪車での通学のみが
禁止されていた。
だが、その後、地方の流行を
導入して二輪免許取得と乗車
が全面禁止となった。
クソである。違憲行為を教師
学校当局が生徒に強制するか
らだ。
法を犯しておきながら少年た
ちに何を指導するつもりなの
か。
それは教育の放棄だ。
わが母校もくそばかな学校に
なったもんだ。
さらに、かつては歌舞伎俳優
や芸能関係者も多く在籍して
いた。刀剣研磨の本阿弥家の
子弟たちも殆ど我が校の出身
だった。本田宗一郎の片腕の
ホンダの創業者も我が校出身
だ。世界のクロサワまでも。
しかし、今はただの進学予備校
になってしまった。
芸能活動の禁止、二輪の全面
禁止。
ホンダを創った人の母校であ
るのに、馬鹿か、と。モーター
リゼーションの本邦での発達
への貢献を何と考えとるのか、
お前ら学校当局は、と。
これでは、創造的な人材を育
成する総合教育などできる筈
もない。
偏差値64-69程度で大した事も
ないのに進学校ぶりたがる。
かつて開成を抜いた帝大進学率
だった頃の再現を夢見て。
100年前には麻布、開成、うち
として都内私学御三家と呼ばれ
ていた。
だが、ありとあらゆる情操教育
を放棄た。
駄目すね、うちの母校はもう。
かつては梁山泊のような人材が
集まったが、今のうちの母校な
どは行く意味無し。
別の高校を目指したほうがよい。
といっても、俺らの時代から
第一志望のやつなんていなくて、
ほぼ全員が滑り止めでしかたな
く入学したんだけどさ(笑
ただ、教師陣は最高だった。
私の時代までは。
俺なんて合格した水泳授業で
赤褌の紺色蛇腹制服の高校を
蹴って入学して正解だったよ。
最高の教師陣だったから。
自由と尊厳について徹底的に
実践して生徒に大切な事を教
え伝える教師ばかりだった。
生涯の恩師が幾人もいた。
3年の時の担任は、海で溺れる
小学生を助けて自分は死んじ
まった。早稲田卒の壮士だっ
た。そんな教師が沢山いた。
予定調和を嫌う漢揃い。
剣道部の顧問からしてそう。
何度もしつこく私は剣道部に
誘われた。その教師が「あい
つを必ず剣道部に引き抜け」
と通達されてると剣道部の
親しい友人が俺のバイクの
ケツで明かした。
一般授業では柔剣道必須だ
ったが、私はそこで道場育ち
を見せてしまったからだった。
剣道部の奴らとは打ち解けた
親友だった。
一人、とんでもなく強いのが
いた。私も敵わない。
奴は関東大会上位だった。
実は奴も道場育ちである事は
知っていた。
部活と道場育ちでは剣筋がま
るで異なる。
プロとアマみたいなもん。
高校時代は、教師たちだけで
なく、同学年や先輩後輩たち
も良い連中ばかりだった。
クロベエという芸能人の先輩
とはよく昼休みに体育館で
バスケをした。学食でカレー
おごって貰ったことがある。
俺が3ポイントを決めたら。
漢揃いだったね。
せこい今のネラーみたいなの
は仮にいたとしても全く相手
にされず、表に出ては来れな
かった。
あと、うちの高校の特徴とし
ては、高校だが現役本職新左
翼の奴がウヨウヨいた。
それと三島由紀夫を先生と崇め
る知的右派集団たちも。
高2でカミュやサルトルを原文
で読み耽ってる奴もいた。
おまいは何者?みたいなのが
ごちゃまんといた高校だった。
面白くない訳がない。

まあ、何でも時が過ぎれば風
する、てやつね。
今の日本国の衰退への一直線
のように。

神奈川県警の広報

2023年10月19日 | open



目立つ運転をしろ、という
事ですよね。
わかります。




神奈川県警白バイ隊の特徴

2023年10月19日 | open
 


神奈川県警の白バイ隊の特徴。
それはブーツが乗馬将校ブーツ
のように長い事だ。


これは他の都道府県白バイに
はあまり見られない。大抵は
80年代レーシングブーツの長
さのブーツが多いからだ。
旧ドイツ軍戦闘ブーツの長さ。
将校乗馬ブーツはもう少し長
い。


神奈川、非常にカッチョいい。


ロングブーツが標準仕様。
非常に洗練されている。


神奈川県警のレディース(笑
女性白バイ隊員もロング
ブーツだ。


神奈川県警白バイは革も着る。
まるでワイルド7だ。


映画『ワイルド7』の撮影時
には協力もしたりする神奈川
県警白バイ隊。
なかなか粋な事する。
神奈川、よそと一味違う。
後方の赤いシャツの人は
『ワイルド7』原作者の
望月三起也先生。


二輪乗りと体型

2023年10月19日 | open



バイクに乗るのに体型は関係無い。







体型よりも乗り手にはもっと
大切な事がある。
それは運動能力。
ただ、体重があるとパワーウ
エイトレシオの関係から、加
速は体重が軽い人よりは鈍る。


しかし、デーブだろうと「乗れて」
る人はかっこいい。
背格好だけスマートなそこらの
乗れてないヤキトリ姿焼き硬直
腕立て乗りの連中よりも、ずっと
カッコいい。




教員の性犯罪

2023年10月19日 | open


最近、こういう奴時々いるよね。
三原市では教え子たちを犯しま
くってた小学校教員が逮捕され
た事件があった。その数夥しい。
判決は異例の実刑30年。
そこらの殺人よりも量刑が重い。

でも、法規定はないが、この手
は死刑でいいと思うよ。個人的
には。
性別関係なく少年少女を大人が
強制姦淫するような奴は死刑で。
でも、そういう奴が芸能界での
さばってて、周囲もそれに忖度
してるのだから、未成年への
性犯罪は日本人は大好きなの
かも知れない。
でも、そういう奴ら全員死ねば
いいのに、と本気で思う。
子どもたちの未来を奪う事が
どんな事であるのか、連中に
は理解が及ばない。
たとえ、「更生」したとして、
被害者の傷は消えない。
死んでもらうしかないでしょ。
贖罪としては。

感覚

2023年10月19日 | open
 

(豚-上!1981年某高速)

旧友が二輪で東京から西日本
に来るという。四国まで船で。
うちに泊めてくれというので
久しぶりに共に飲むことにし
た。
途中まで迎えに行くから、う
ちに来るまでちょいツーしな
がら共走りしよう、という事
になった。
その時、奴は言った。
「お手やわらかに」と。
おまいは『雨あがる』の三沢
伊兵衛か、と思った。
ペンペンペケペケと乗ってた
頃から俺の手の内は全て知っ
てるくせに。
だが、その感覚が剣士ぽくて
面白かった。剣士ではなく
ドラマーだが。太鼓はかなり
上手い。

「高速道はどれくらいで今
走るの?それに合わせるから」
と俺が言うと「90~100位。
飛ばさない」と言う。
「なら、それで」となった。
100制限の道路で90巡行は
かなりタルいが、共走りの
時は同調が大切だ。合わせ
る。
さすがに170km/h巡行で長
時間は今はきつい。免許も
無くなるしよ~。いくない。
まあ、遵法精神体現で行く
だよな。

下見で走ってみた鷲羽山スカ
イラインの写真を友人に見せ
たら行ってみたいと言うので、
ゆっくりそこを走ってみる事
にしようと思う。
二輪は気分次第なので、ルート
は突然変更になるかも知れない
が。
計画的ロンツーの時には、かな
り綿密な予定を立てる。特に
給油ポイントは事前に入念に
押さえて把握しておく。
ルートは事前に頭に叩き込み、
ナビなど無くとも間違いなく
走れるようにする。
だが、ちょいツーは気分次第だ。
大抵は知らない道をズンドコと
行く。
その走りは全てが新発見なので
とても面白い。

ただ、運転には最大集中するの
で、複数走行であろうとインカ
ムでずっと喋りながらとかは私
は無い。音楽を聴きながらとか
も絶対に無い。四輪と違い、
閉鎖されたヘルメットでは
外部音が音楽などで遮断され
るのは危険
だからだ。
お楽しみ走行のちょいツーで
あろうとも、エンジンに異音
がないか、車体の挙動に異常
は無いか等に常に注意しなが
ら走行している。いつもトラ
クションに注意を払いながら。

ノーマルステップでも膝を深く
曲げた爪先乗りなので、血流
促進のために時々直線で脚は
伸ばしたりはするが。
1度の走行目安は今は2時間以
内と決めている。長くとも2時
間走ったら休む。距離は180km
が目安。丁度今の車では給油
目安の距離だし。

下道ちょいツーでは、長走り
せずちょくちょく停車する。
カメラに風景を収め、その景
色を五体で感じるためだ。

そうした道行きも面白い。
ぶっぱしりではなく、街道を
ホゲホゲ行くのも楽しいもん
だ。
だが、注意力散漫にはならない
ように心がけて走行している。
曲がった道が来るとちょっと
だけ、ほんのちょっとだけ車体
を傾ける。「カメっ」とは叫ば
ない。




 

登山と心がけ

2023年10月19日 | open
 








登山にもいろいろある。
一般的登山道とスペシャリスト
しか登れないルートと。
 










この人は穂高全山を征した。


素人には出来ない。
スペシャリストでないと。
それは凄い事なのだ。
誰にでも出来る事ではない。
「大衆化」が何でも良い訳では
ない。
訓練し、努力し、強い魂と確かな
技術を持つ者のみが到達できる
場所がある。
それは輝かしくも澄んだ世界だ。

但し、スポーツは誰でも楽しめ
る。
たとえ世界最高峰だろうと、一
般的な領域であろうと。
一つ決定的な事がある。
それはスポーツはレジャーでは
ない、という事だ。
努力してある程度の技量レベル
が得られないとスポーツがスポ
ーツとして成立しない。
技量のトップは世界トップクラ
スのスポーツ選手たちの領域に
なるが、始めたばかりの初心者
であろうと、努力と練習無くし
てスポーツはそれ自体をやる事
が不能だ。
レジャーは異なる。別物だから
だ。

かつてはモーターサイクルと
いう乗り物に乗るのはスポー
ツと同じ領域を有している事
を多くの人が認識していた。
努力して上手くならないと
二輪自体を自由自在に走行
させられないからだ。
だが、大衆化での普及により、
二輪車に乗る事に対して努力
や研究や上達を目指す人たち
が日本から消滅し始めた。
レジャー感覚でオートバイに
乗っているのだ。
それは、穂高に素人が登ろう
としているのに極めて近い。
オートバイという乗り物は
とても危険だからだ。
二輪配達人やミニバイク買い
物おばちゃんたちは二輪乗り
とはいわない。移動手段で
原動機付二輪を利用している
だけだからだ。
また、観光地で小型二輪を
車から下ろして観光地の移動
の足として利用するのもバイ
ク乗りとはいわない。
レジャーだからだ。

オートバイに乗るという事は
それ自体がスポーツである。
レベルの違いはあれ、乗る人
が上達を目指さないと成立し
ない乗り物だ。
「風になりたい、
などという
感覚でオートバイに乗ると
大抵は土になる」
これは日本選手で初めて世界
チャンピオンになった片山
敬済氏のメカニックをやって
いた柳沢雄造氏が私に言っ
言葉だ。
だが、その認識が「大衆化」
によって希薄になり、それは
危険認知においても度数が
著しく低下して来ている。
転ぶことを当たり前として
自分や他人のその危険な失敗
を容認して「よくある事」と
しようとする甘い認識が今
蔓延している。
よくある事などではない。
交差点で右折待ちの時に右
に立ちごけして、そこに対
車が青信号で通過したら?
それが大型トラックだったら?
死にますよ。
立ちごけなどは「よくある事」
などではない。
公道走行中の転倒もあっては
ならない事だが、立ちごけな
どは絶対にあってはならない。
それは二輪車を自分で支えら
れないという事であり、支え
られない人間=自車を制御で
きない人物が公道という公共
道路を走り回っているという
事だからだ。
あってはならない事なのだ。
駐車場で隣の四輪車にぼこぼこ
ぶつける四輪車の運転者が
「よくある事」と言っている
ようなのが立ちごけなるもの
であり、絶対にあってはなら
ない。

オートバイは乗って運転する
事自体がスポーツ性を強く帯
びているという認識が薄れる
と、危険を危険と認知できない
人間大量生産となる。
登山装備でなく雪の富士山に
登って滑落して死ぬのと同じ
だ。
オートバイはレジャー用品で
はなく、スポーツ用品なのだ。
そして、スポーツでは運動事故
で怪我をしないように配慮する
適正適切な身体用法が絶対に
必須事項となる。
今のオートバイに乗ろうとす
る日本人たちは、考えが甘す
ぎる人たちが多すぎやしない
か。
二輪は危険な乗り物なのだ。
自分たちが楽しんでいるのだ
から口出しするな、という類
の乗り物ではない。走る道は
自分一人の独占所有物ではな
いからだ。
単独で走行していても、転倒
事故を起こすと他人の手を煩
わせる。自分一人で世界が回
っているのではないのである。
当然、転倒したら一人自分の
力だけで車体を起こせない人
は二輪などには乗るべきでは
ない。「楽しんでるんだから
他人は口出しするな」ではな
いのだ。それは玄倉川で流さ
れて子どもたちを殺した中州
撤収拒否のレジャーキャンパー
たちの言い方だ。
自分を傷つけ、他人も傷つける
行為はするものではない。

モーターサイクルは、存在その
ものがスポーツなのである。
「乗れる」ようになるのは簡単
ではない。
スポーツなのだから、自分が
自覚して努力しないと技術は
上達しない。
そして、技術の前に最重要な
事がある。
それは「認識」だ。
空戦における戦闘機のキルレシ
オの差はパイロットの意思決定
時間の差による。
これはモーターサイクルの操縦
走行でも全く同じで、認識識別
力の速度の差が身の安全の確保
の差となって現出する。
瞬時に迅速に的確な把握と判断
が働いて、適切な対処行動が即
座にできる事が安全を担保する。
オートバイの運転で一番大切な
事は、適切な識別認識に基づい
た瞬足の正確な判断だ。

 

船旅

2023年10月19日 | open
 


友人は多くのバイクたちと共
昨夜船に乗り込んだよ
うだ。
東京港の乗り場の写真には、
ズラーっとオートバイが並ん
でいた。
全部ビッグバイクだった。
ロンツーの人たちは排気量大
きいのを好むのかな。
 
排気量だけでいったら私が一
番好きなのは250だ。
ただ、今の250は非力すぎて、
昔の125より走らないような
感じなので、今の二輪の250
は私は選ばないが。
 
現代の二輪製造のパターンは
大型車はとことん馬力出して、
中型クラスは逆に非力にして
いるみたいね。
これ、中型から大型に乗り換
える今の人たちにも悪条件に
なってるようにも思える。
昔のような中型で大型ぶっち
ぎりマシンのようなのが無い
ので、非力ラインからいきな
りハイパワーに乗れてしまう。
で、扱いきれずに転倒する。
2ストでの繊細なスロットル
操作も学んだ事無いから、
クイッとアクセル開けたら
ドカンと来るので対応できな
い。
 
また、教習所の大嘘教えを鵜
呑みにしている人間だらけな
ので、後輪ブレーキを踏み込
んでリアが滑って転倒する。
小型や中型で十二分に二輪挙
動のイロハを覚えずに大型に
乗りたがる人たちは、多くが
立ちゴケなる意味不明な事も
頻発させる。
悪循環が悪循環を呼ぶ。
 
友人は免許取ってから無転倒
だ。立ちゴケさえ無い。
これ、80年代から乗ってる人
のごく当たり前の常識。
立ちゴケなどしたらこっぱず
かしくて世間に出て来れなか
った。誰もが「乗れる人」だ
らけの国内シーンだったから。
そしてオートバイ乗りという
のは、ある種のスペシャリスト
のような様相が社会的にあっ
た。
今は違う。
素人さんいらっしゃい、みた
いな状況が現代の二輪シーン
だ。
動画サイト見てりゃわかる。
 
そして、1980年代と大きく
異なるのは、現代は女性で
オートバイをまともに運転で
きる人はほぼ見ない。
元WGPライダーでさえ、乗れ
てないタレントのような素人
女の走行を「フォームがなか
なか良いですね」などと忖度
コメントしてるのだから助か
ない。
下手は下手だし、出来てる人
出来ている。
それを裸の王様素敵!みたいな
事やってる連中が、今の現況を
作っている。
分かってねぇよな。
良いものは良いし、悪いもの
は悪い。
二輪走行で、直線でステップ
に足載せしてるだけでカカト
も車体から離れて、爪先が大
外向いて、腕立て乗りしてる
フォームが「良い」わけない
じゃん。
バカな事言ってるなーと見て
思った。
忖度おべんちゃらコメくそだせ
え、とも。
こうやって、真実を言わない事
で予定調和の安寧を求めようと
するのだなぁ、と。
世界トップを駆け抜けた人で
さえそれだ。
そりゃ、今の二輪乗りや現代
シーンが中身空っぽにな
る筈だよ。
本間利彦さんのように真実を
ズバリと言う人たちが社会か
らオミットされる。
変な世の中になったもんだよ。
 
 
 

原付バイク

2023年10月19日 | open


(画像はイメージです)

車で市内を走っていたら、横の
歩道を何か並走する。
見たら、原付2台が縦列で疾走。
思わず笑った。
今時、80年代の買い物おばちゃん
天下無双のようなのいるんだ〜
と。
信号で止まった時によく見たら
まだ二人とも若い。元気よく
二人でしゃべってる。
二人ともジャージのようなパン
ツ履いていてむっちむち。上も
パンパンに膨らんでダルマさん
みたいなシルエットの若い女の
子だ。
二人が同じようなぽっちゃりで、
同じようなカッコ。
同じ背中ポシェット(これが結構
かわいい)で、素手にサンダル(笑
寒くねーのかよ。
半キャップとジェットのシール
ド無し。
二人の絵柄が漫画みたいな感じ
だった。

珍しいものを見たなぁ、なんて
思ってたら、二人は丁字路で信
号右折してからまた歩道に入っ
て2台でバーッと走ってた。
動きはキビギビしていて運転は
下手ではない。
でもさ、歩道は下りて押さない
とね、とも思わなかった。
あまりにも80s買い物おばちゃ
ん無双感が強すぎて。
駄目よー、というのより笑い
が込み上げた。

1980年代、だれもがバイクに
乗った。
(サンダル履きのキョンキョン)

原宿交差点で、RZで2ケツでゆっ
くりツキを得ながら発進したら、
後ろから赤い原付がピーピー鳴
らして怒鳴って来た。
「トロトロ走ってんじゃねーよ」
と叫びながら更にピーピー鳴らす。
見ると小泉今日子だった(実話)。
顔ちっちゃいの。
シワだらけにして怒ってたが、
お猿さんみたいだった。
タンデムの後ろの後輩も見て、
「あ、小泉だ」と言ってた。
「あいつんち近くらしいから
あとついてこうか?よう、み
たいな感じで」と言ったら後
輩は「いや、友だちじゃねぇ
んだからさ、そらだめよ(笑」
と。
「そりゃそうだね。行くか」
とその場は離れた。

Vシネ女優の滝川真子ちゃんは
蒲田の玩具テッポ屋のむげん
内で見たら、とても可愛かった。
おこりんぼの時の小泉より遥か
に可愛く思えた。
サバゲはレギュレーションも無
い極悪銃全盛期で、「所さんの
で撃たれると痛い」と言ってい
た。
店長は「気をつけてよ。顔だけ
は保護してよ。仕事にさわるか
ら」とカウンターで狙撃銃を組
みながら言ってた。外部パイプ
マガジンのケースレス。ケース
レスがまだメーカーでは存在
せず、ショップチューンの時代
だ。うちらのチームはフィルム
ケースを外付けマガジンとして
DIYケースレス改造していた。
真子ちゃんの答えは「はぁ〜い」
だった。園児のよいこみたい(笑
彼女は所さんに対抗するように
ショップチューンの極悪SS9を
作ってもらってた。
まだガスガンがこの世に登場す
る前。
その次に見た時は彼女は京浜島
を一人フラーっとFZ400で走
ってた。
それは同級生だったマルパーて
奴と一緒に見た。
映像作品で観るより実物のほう
が遥かに可愛い人だった。
そういう女優さんは時々いる。
キョンキョンの愛車は赤いスク
ーターだったそうで、プロモ
映像に残ってる走行シーンは
彼女自身のスクーターだった
は。原宿交差点でプープー
いわせてたやつ。うっせー
つーんだよ。
アイドル花の82年組でもバイ
に乗ってた人は多いのでは。
原チャがメインだろうが。

1980年代、多くの芸能人たち
がバイクに乗った。聖子ちゃん
でさえミニバイクで走るシーン
が撮影に使われたりしていた。
広島の勉強できたけど「不良」
った吉川晃司さんはプライベ
ートではカワサキが好きだった
みたいだ。
これは都内にて。