週末は旧友が東京から二輪
で遊びに来る。
途中まで迎えに行く予定。
瀬戸内海の島までとか(笑
ちょいとロックな革パン
履いていくかな。ストレー
トのやつ。
パンツはブーツの外で。
1977年10月9-10日。高2秋。
1泊で同級生と東京から日光
中善寺湖まで走った。計5台。
(日付は記録ではなく記憶)
ことしの10/10よりもこの時
はかなり寒かった。
ことしの10/10は広島県では
外気温22℃を超えていた。
この高2の時の日光行きレポ
ートを出せと早大ブント出
の担任に言われたので出し
た日誌の記述はこうだった。
「揺曳たる木漏れ日の中を
疾駆していると、季節の移
りをいやがおうにも感じる。
それでも前を見ると、北風
が容赦なく私の頬を殴った」
(記録ではなく記憶。記憶
というのは存外正確に刻ま
れて抽斗に収まる)
「死魚の腐肉を食らう僕らは」
で始まる詩を書いたのはこの
担任だった。早稲田文学の人。
そこに私が蒼ざめた馬を加筆
して自分の詩に採り入れた。
高校当時所属していた文学
同人誌には未投稿の編。
この写真を撮影した奴は、
その後国際A級となり、マン
島を走った。
事ね。
アジアを発展させるために
進出したのだ」などという
世迷言を言う人間には心が無
い。
り積極的に用いて来た。
抵抗するアラブの人たちの
ように。
フラリと行った出雲の海と空
は荘厳だった。
ツーリングではない。
知らない道を行くちょい乗り
だ。
瀬戸内海にある広島県三原市
から県道25号線を北上。
三原境を超えてからはワイン
ディングを快速で堪能した。
ヒンズースクワット運動(笑
そして、三原北部の世羅高原
を抜けて尾道から出雲に続く
国道184号線に合流、北上。
広島県北の三次(みよし)市
街地で給油。さらに北を目指
す。
備後国三次は古代製鉄地区だ。
真鉄(まがね)吹く吉備とは
備中備後の事。備前は殆ど鉄
が産出しなかった。備前で栄
えたのは原材料の二次加工だ
っただろう。
また、三次は全国有数の大古
墳群があり、しかも大和より
古い。古代産鉄が王権と結び
つく現象が如実に見られる。
それをヤマトは欲しくて仕方
なかった。それゆえ各地を
傀儡化したり武力で「東征」
して行った。
三次北部に「三原」という地が
ある。
もしかすると刀剣界、冶金界で
出所未だ以て不明の「三原鉄」
はここの産まれかもしれない。
鉄は現存しているのに産地が
特定されていないという不思議
な鉄。
三次から国道54号線に入る。
歴史街道54との事だ。
この歴史とは実は鉄の歴史で
もある。
国道54号線広島県の北端の
道の駅「ゆめランド布野」と
いうところで軽く腹ごなしを
する。午前中の遅い時間。
ここまでは瀬戸内海側の家
から下道で90分ほどだ。
オートバイ、私以外ゼロ(笑)。
ゼロ。
日本そばを食べる事にする。
ブランチですね。
ここのそばがかなり美味い。
ツユが美味しいのす。
店内はなぜかアメリカン。
本日の装備は北欧軍用ブーツ。
旧ドイツ軍戦闘ブーツと同じ
作りですが、英米の軍靴と比
べると簡易で雑な作りです。
だって、ただの革のナガグツ
だもの。
上は米軍フライトジャケット。
その下に防寒着で自作迷彩
スモックを着こんでます。
一息ついたので、走り出します。
この時点では、備後ロードを走
ろうかどうしようか決めてない。
でも、ふらりと北へ向かった。
あまちゃんの歌が頭の中で響い
たので(笑
千円返して、てのが謎の歌。
国道54号を北上して、中国山脈
越えをする事にしました。
途中道の駅があった。掛合(かけ
や)の里というらしい。
すでに歴史街道から出雲神話
街道と名称が変わるエリアに
入ってます。島根県。
道の駅発祥の場所とのことですが、
この施設、ベンチが一つもない。
お店の前に1個ずつあるだけです。
これでは寛げない。まあ、二輪
乗りは歩道地べたに座るけど、
ご婦人たちは寛げないのではな
かろうか。
この道の駅には横に廃村のよう
なさびれた公園がありました。
サバゲフィールドに持って
来いのようなパーク。
公園内に説明板がいくつもあり
ますが、すべて説明書きは撤去
されていた。
モニュメントがある。なにか集会
用の広場のような場所。
右に見えるトイレは水道供給が
カットされていました。廃村
ならぬ廃公園。どうしたのだろ
う。整備してキャンプ場とかに
したらよさげな場所なのに。
さて、ズンドコと北を目指し
ます。
この時点で「日本海が見たい」
とふと浮かびました。
中国山脈でも、島根との県境
から島根県に入ってからはか
なり山深い。
ロードはず~っと下りです。
何十キロも。信号も速度表示
標識も無し。ということは
法定速度指定道路か。
延々と下ります。
何十分か下って、ミラーを見
ると、後ろに山が壁のよう。
あんな高い所から下りて来た
のか~と。
景色景観はつまらないロード
です。ただ延々と左右に屹立
する山と山。高原地帯ではな
く、そこが峠であった事が
分かるようなロード。
峠とは本当は山を越える頂点
の事をいうそうです。
走り人たちはそこまでの登り
降りのルートを峠と呼んでま
すが、本当の意味は道の頂上
の事をいうのだそうです。
平地に出てから、このまま54号
だと松江宍道湖に出てしまうの
で、左折して出雲大社方面を
目指しました。
出雲の市街地大渋滞。
湘南すり抜けボーイズのように
走った(合法)。
これは出雲市役所。立派ですね~。
走ってる車は出雲ナンバー
なのですが、これが何故か
とてもカッチョよく思える
ナンバーだった。
出雲大社。信号待ちの時に
すばやくポッケからスマホを
出してパチリ。
出雲大社の脇を真っすぐ進むと
なだらかな坂になります。
そして、ドンツキが日本海。
パッと景色が広がるのでかなり
感動。
堤防のはるか向こうに見えて
いるのは水平線。これを見た
かった。狭い湖のような瀬戸
内海では存在しないから。
うお!日の光が!
なんという光景に出会えたか。
光と共に、遠くの海上では
雨雲が幾筋もの柱のような
雨を降らせているのも見えた。
まるで絵のよう。
だが、絵にも描けない美しさ
というものか。
波はとても荒いけど、サーフィン
やっている人たちも何人もいた。
ザ・湘南(違
観光客の特徴。
若い人たち、若いカップルが
とても多かった。
沖のほうも白波立っている。
日の光が照射する。
天への階段のように。
この浜辺で「国譲り」の話し
合いが行なわれたという。
ただ、自国を喜んで献上する
歴史は人類史上存在しないの
で、ヤマトによる強烈な傀儡
作戦が発動されたのだろう。
当然武力恫喝と殺戮を伴う事
をして。
そのため、ヤマトはイズモの
叛乱を恐れ、神々(人間)が
10月には出雲まで出向く事で
懐柔化を図った。
それゆえ出雲のみ10月は神有
月であり、他国は神無月だ。
同じことを日本はずっと後年
の近現代において満州国設立
という方法で再び実行した。
武力による軍事的恫喝により
満州国傀儡国家を建設し、そ
してそこの王は帝国臣民たち
の上に立つ同盟国の王である
とさえした。古代出雲制圧と
同じ手法だった。
この浜は整備工事中らしい。
防砂フェンスは完備していた。
いなさの浜を後にして、さら
に北に向かう。
みさきうみねこ海道という名
のロードだと後で東京の友人
が教えてくれた。
断崖の所にワインディングが
続く。
絶景。
途中素晴らしい景色がいくつ
も見られたのだが、車を停め
られなかったので通過のみ。
眼に焼き付けた。
いずれまたここに来て、撮影
できなかった場所から写真を
撮りたい。
神の声を聴いたような気がした。
それは出雲の神でも大和の神
でもない、宇宙を造った唯一
の一つの神のその声を。
感動冷めやらぬまま、走り出す
ことにする。
目指すは日御碕(ひのみさき)。
日御碕神社が見えた。
「赤い神社」である。
日本にはなぜ赤と白の神社が
あるのか。
それは古代王権の覇権と古代
製鉄と深く関係しているが、
それを民俗学や歴史学(文献
史学)から解明した人はまだ
いない。ヤマトが掌握した砂
鉄製鉄以前にリモナイトから
製鉄をした超古代産鉄が存在
した歴史に光をあてないと、
神社の赤と白の由縁は見えて
来ないだろう。そして、赤は
白に抵抗した勢力の神社でも
ある。のちにそれはあやふや
になって統一統治された。
日御碕に着いた。
この交差点は以前からずっと
心に残っていた。
何かを感じる。ここには何か
ある。
横浜の住宅街のような急な
坂をバイクで登り、カフェ
に行く。
落ち着く良い店。
店内は静かにガーランドの
ピアノが流れていた。
遅い昼食を取った。
その名も「日本海丼」。
以前このカフェは食事処だった
ようで、その頃から人気メニュー
だったらしい。
トンビが観光客が手に持つ
アイスコーンを狙って襲撃し
てくるらしい。
愛媛今治の高速SAと同じだ。
トンビも子育てのために必死
なのだろう。
テラスに出て外を見る。
ひなびた良い感じ。
神奈川県湘南の江の島ほど
観光地然としていない。
よい程あいだ。
昔は軽井沢もこんな感じだ
ったのに、80年代に東京の
街みたいになってしまった。
資本が入るとそうなる。
とても残念だ。
灯台に人が昇っている。
陽がかなり傾いてきた。
そろそろ帰るか。
いや、ソフト食うべ(笑
てことで、日没前に日御碕を
立つ事にする。
帰り途中の夕日がこれまた良
かった。
なんなのだろう、ここは。
更に下った狭い退避帯(四輪
車は停車不能)で福岡ナンバー
の二輪の若者と言葉を交わした。
三脚で写真撮影をしていた。
マシンはカワサキ。オリジナル
ペイント。JPSのような渋い塗
装で仕上げていた。
タイヤは横までズル剥け。走り
屋だ。
イケメンで闊達としたナイス
ガイの若者だった。
私が去る時に「じゃあ」と挨拶
をすると「またいつかどこかで」
と返してきた。この挨拶は二輪
の乗り屋だ。心地よい。
年若いのに昔からのライダー
気質。まだ完全には失われては
いない。
実に良い半日だった。
帰りは出雲から高速を使い、尾
道まで弾丸。
日はとっぷりとくれた。
ただ、帰りは小雨まじりだった
のがあいにくだったが、給油し
て出雲からはノンストップで
走った。
高速を下りて家まで10キロ程
のコンビニでトイレ休憩。
夜19時台には帰還到着した。
本日全行程走行距離362.0km。
日帰りちょい乗りには丁度
よいあたりの距離だ。
まさにサンデーライディング
という感じ。
距離的には山下公園から名古
屋に行く程度。長距離ではな
い。高速ならばゆっくりでも
4時間で辿り着く。
あのカフェに行くためだけに
走るのもいいかも知れない。
今後は走りのメニューに加え
ておこう。
ところで、この軽トラ何だべ?