渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

成形

2023年01月07日 | open



撞き締めの途中でタップが膨ら
んで来るので、何度かサイドを
カットする。

北九の友人が来たので相撞き。
あとで二人で飲みに行く。
軽くサクッと。




高校生

2023年01月07日 | open

(堀越学園)

男女二組の高校生が学校帰りだ
ろうか、ダーツをやりに来てい
る。堀越の制服に似ている。

躾なのかなぁ。
とても感じが良い。
ザ・青春!みたいに四人とも爽
やかだ。

気づく事がある。
多分地元の子たちだろうが、言葉
がちゃんぽんだ。
標準語ぽい備後弁。
標準語の末尾に「〜とる」や「〜
せん」をつける。「じゃけぇ」も
「じゃろ?」「〜るん?」「なん
なんこれ」も使うが、末尾に「や
ん」も言う。「そやな」も。
そして、「じゃん」もやたらと
使う。「〜さ」も。
基本は標準語をベースに、広島、
大阪、横浜、東京の言葉がちゃん
ぽんになっているのだ。
ゴリゴリの広島弁や備後弁では
ない。
そもそも広島は「やん」は使わ
ない。

若者言葉は、薄い方言があるに
はあるが、方言が方言としてで
はなく、標準語がベースでそこ
に残存する(たぶん親たちからの
伝授としての)言葉が加味されて
いるのが判る。

雰囲気の良い穏やかな高校生た
ちで、とても感じが良い。
年末に来ていた集団のオラゴルァ
の高校生グループとはかなり別。
とてもよい空気だ。健全で、爽
やかなティーン。バカ騒ぎも一切
しない。
ナイススコアが出た時には、感嘆
の声を出すが、慎み深い。
進学校なのかな?
ここらの学校の制服はよく知ら
ない。

東京もちゃんぽん言葉になって
いるのだろうか。
この現象は不思議で、テレビに
よる影響とかではない。
なぜならば、私の時代でもテレビ
は全国普及していた。
だが、大阪弁を話し言葉で使う
東京人はいないし、「さぁ」を
使う大阪人は皆無だった。
北九州では大学一年の夏に帰省
した奴が高校時代の仲間と会っ
た時「だからさぁ」と言ったら、
「なんかきさん?!東京もんか、
くらす(殴る)ぞコラァ!」と言
われた。(実話)
私が小学生の時の1970年代初期
には、横浜から埼玉県の大宮に
転校した時には私の言葉を「そう
ジャン、やるジャン。ジャンジャ
ンジャン」といじられた。現さい
たま市の小学生はジャンは全員
初耳だったのだ。
広島では、男は全員ワシであるし、
男女とも地言葉オンリーだった。
テレビは充分にあった。
だが、言葉は首都圏でさえ交叉
していなかったのである。
ハマ言葉は埼玉では通じなかった。
今から半世紀前の時代には。
逆に、ハマで「そうなん?」とか
言う奴は一人もいなかった。
これは今でもいないだろうが。

今の言葉のちゃんぽんはネット
の影響?
これはよく分からないが、何か
が確実に影響しているのだろう。
それはどうやら、ここ10年程で、
何か社会的に変わったと思える。
何かある。

また、同じ学校の友人たちだろ
うか。5人組の男子が来た。
みんな勉強できそうな感じ。
真面目くんで、立ち居振る舞い
も粗雑粗暴粗野ではない。
「うるせえよ」と友人に言って
る。方言ならば「やかましい」
だ。確実に言葉が変化している。
素行も普段見る地元のティーン
とはかなり異なる。
土曜の早い午後。
客層が夜とはまるで異なる事を
発見。

騒がしくなって来たが、粗暴な
喧騒ではなく、心地よい。
まるで、高校の教室の休み時間
のような雰囲気だからだ。
不快ではない高校生たちの朗ら
かな盛り上がり。
良い若者たちを見た。
態度も身だしなみも清潔感があ
る。

ビリヤードやってみたいなぁと
女子高生が男の子と呟いていた。
申し入れがあれば、引き上げて
テーブルを渡すつもりだ。
時々「いつまでやるんすか?」
とふんぞり返って言って来るのが
いるが、その手には「それはこち
らが決める事。おたくには関係
ない」と答えている。
私の連れなどは非礼であるとし
ブチ切れ毎度だが、まぁまぁ
なだめる。
物は言い方次第だろう。
言葉の向こうには「気」が見える。
それ、かなり大切。


撞き味

2023年01月07日 | open


何だろうなぁ。
撞き味がとても良い。
そんでもって、ありとあらゆる
いろんな事が実現できる。
あちらを立てればこちらが立た
ず的な傾向に流れがちなのが
キューの特性だが、この個体は
全球種において十二分な撞球能
力を示す。
こういうキューが作れるといい
よなぁ。
「これ、もしかして掘り出し物
では?」
と思って入手したが、まさに掘
り出し物そのものだった。

キューはいろいろある。
値段もピンキリだ。
新品で5000円程から1千5百万円
からさらに上まで。
カスタムキューにもいろいろ価格
帯があり、20万円前後から上は
天井知らず。大体100万円台の価
格帯が層としては多い。凡そ給料
の3ヶ月分程か。少し手の込んだ
カスタムキューだと、1本でカワ
サキZ900RS程度の金額。TAD
などは170万円〜が多い。

しかし。
中古ならばこのキューのように
何と1900円で購入した物でも
アタリであると飛び抜けた性能
を持つ物もごくごく稀にある。
私も昨年は入手激安キューのう
ち4本は抜群の性能だった。
あとは並み。凡キューでハズレ。

キューは知れば知る程面白い。
まるで日本刀にそっくりだから
だ。その位相や製作者の魂が。
キューっていいよ。
日本一キューを愛しているのは
ラッキー菱沼さんだろうが。
なんたって自社の社名をキュー
愛してますってのにしちゃう位
でして(笑
ただ、あの人のキュー作りに関
する造詣の深さは国内トップク
ラスだろうと思う。他にもいろ
いろオーソリティーのお歴々は
いらっしゃるが、自ら作る事も
含めると、菱沼さんが頭抜けて
いる。

キューいろいろ。
ビリヤードをやる人は、まず
自分専用のキューをお求めに
なる事をおすすめします。
5000円のキューでも「なんじゃ
こりゃー!」というのあるよ。
不思議なもんで。
今はよく知らないが、2000年前
のアダムのハウスキューライン
どは飛び抜けて良かった。シャ
フトが特に。



挨拶

2023年01月07日 | open


道で公務員の知り合いに会った。
バイクに乗っている。
挨拶をしたら走りながら頭を
げた。運転中だからそんなにき
ちんとお辞儀しなくていいのに(笑
市民の安全を守るプロ職業。
日常的に礼儀正しい。

自習

2023年01月07日 | open



本日は、単独自習稽古である。
私はボールを台上に置く時には
「置く」。静かに。
よく、ボールをラシャに放り投
げ落とす人がいるが、とても無
作法で非礼な事である。
ラシャも石板も傷むからだ。
私はそれは玉撞きを始めた頃に
先輩たちから最初にきつく指導
された。
玉撞きの礼儀作法は特別なもの
ではなく、社会人としての常識
的なものだが、かつて80年代頃
までは厳しく日本人としての礼
は撞球においても先達から仕込
まれた。
今では古流剣術を自称する流派
でも、宗家がガム食いながら道
場で刀振ったりするらしい。
ろくに指導もせず、スマホずっ
と観てたりとか。
また、若い世代ではなく、昭和
世代の70前の歳なのに咥えタバ
コで日本刀で物切り(まるで切り
になってない出鱈目)をしてネット
で配信して調子こいてる老人も
いたりする。
恥ずかしい事この上ない。

ビリヤードは礼儀作法を人一倍
求められるスポーツだ。
スポーツの中ではゴルフがかなり
そうしたフォーマルコードが厳格
で、着るものから室内での脱帽や
上着の着用等、厳格な紳士の礼儀
作法を今でも遵守している。
サンダルに半パンでビリヤード、
みたいな事はゴルフでは絶対に
あり得ない。
尤も、そうした紳士淑女のスポ
ーツであるビリヤードでも、室
内で着帽したまま横文字並べて
指導者面してるのが今はいるら
しく、無様この上ない。
英国帰りならば横文字並べの自
慢解説や「指導」などせずに、
礼儀作法をまず自らが実践すべ
きだ。着帽のまま何か人に物を
言う。上から目線で。タァケな
のだろうか。
被り物を取れ。虜外である。
玉撞きの前に礼儀作法を守る人
の大事あり。
心得違いをしていては、いくら
その種目が上手くとも、それは
凡夫以下なのだ。
わかってない族が最近やたらと
多い。パリピみたいなビリヤー
ダーがとても蔓延っている。
ビリヤードを解ってない。

本日は、タップ交換後の撞き締め
と、それによる変化の再確認の
自己カリキュラム。






おいら

2023年01月07日 | open



東京の1960年代生まれの男は、
実はオイラとは自分を呼ばない。
オレ、ボクである。
それ以前はアチシてな風に下町
おっちゃんたちは言ってた。
ゆっくりとアタシと言う事もあ
る。落語によく出て来るやつだ。
オイラはかなり古い言い回しで、
たけしの少年時代では、裕次郎
が映画で「おいらはドラマー、
やくざなドラマー、おいらが
叩けば荒らしを呼ぶぜ!」と
やってから、リメイクのように
わざと言いで流行ったように思
う。
あと、その映画での「ええぃ、
こんちくしょう」というやつ。
「ちぇっ」というニュアンスで
「ちくしょう」を東京人はよく
口にした。これは悪意ではなく。
「憎い、あんちくしょう」とか
でも。
今でも私も自分が玉を外した時
に「っしょう」とか言うが、自
分では気づかなかったところ、
言葉を調べたらしい外国人から
「出た出た。チクショウが」と
言われたりしてハッとなる。

オイラに関しては、まだインター
ネットも普及してなかった頃、
年若い岡山の玉撞き仲間が何か
発見したように私に言ってた。
「新しい面白い言葉知りました。
自分の事オイラって言うの」と。
はあ?とは思ったが、そういえば
西日本ではオイラは不在だったよ
うだ。
それが気に入ったのか、それから
そいつはずっと自分の事をくだけ
た言い回しの場面ではオイラと呼
んでいた。複数形だとオレらとな
るが、これは私の時代の東京人た
ちは多用していた。巻き舌でオレ
らと言う。それが変化して単数系
のオイラが発生したと言語学では
云うらしいが真相は分からない。
ちなみにオラと言うのは東京では
不在で、東京に出てきた寒い地方
の人たちの言い回しの感があった。
実際に言うのはグズラくらいのも
んだった。


なお、今の40才あたりから上は
中国地方では男はみんなワシで
ある。その人たちが幼稚園児の
時もワシ。
これは1960年代に広島県に行っ
た時に私は衝撃を受けた。
保育園児のおしめから上がった
ばかりのイトコがワシ、ワシ
うのである。時代劇か?と感じ
たが、広島県は男は全員漏れな
くワシ。
おおー!こりゃすげー!と思っ
た。じゃりんこまでもがみんな
戦国武将のような一人称。これは
ファースト・カルチャーショック
だった。
今20才の広島県三原市生まれの
男子によると、「いや、さすがに
自分の時代にはそれはないす」と
の事だった。オレなのだそうだ。
だが、ワシは大阪京都でもかつて
は全員ワシだった。
島田紳助は勿論ワシ呼称で、東京
から転校生が京都に来て、自分の
事をオレと言う人を初めて見て、
「ああ。自分の事オレ言う人、
映画の中だけやなくてほんまに
この世におるんや」と思ったと
テレビで語っていた。

人の感覚は言語で認識が形成され
る。それが人の人たる所以だが。
ただ、育ったエリアの言語は日本
どこでも通じる訳ではないので、
やはり標準語の日本語を共通語と
する教育と日常習慣はとても大切
だ。

東京感覚(というかこれは標準語
感覚)と異なるもので西日本では
誤解を招く事がある。
それは「ちょっと」が単純に微小
の意味でしか西日本では捉えられ
ていないので、シーンにより誤解
が生じるのである。
厳密には「一寸」は「少し」であ
るが、標準語においてさえもそれ
単に数量的な小を表すのではな
い。
「やや」だけでなく「いささか」
の意味もあるので、一寸は「小」
のみを表さない。
「ちょっと走り過ぎたかしら
風が吹いていたわ」(マイピュア
レディ 尾崎亜美)のちょっとは
過ぎたるを意味し、微小の事を
指すのではない。
江戸弁での「ちょいと、おまえ
さん」とおかみさんが言うちょい
とも、小の事ではない。
キムタクの「ちょっ(と)待てよ」
小に待てではない。

だが、西日本では「ちょっと」は
「小」のみとしか捉えられていな
い。標準語の概念からは逸脱して
いる。
それを知らないと軋轢も生まれる。
「ちょっと遅れた」「ちょっと
いいね」などは「ごく僅か」とし
か捉えられないので、「ちょっと
じゃなかろう!沢山じゃろうが!」
とか「ちょっとやなくて全部ええ
やんけ!」となるのが西日本。

また、東京での(これは東京方言)
での「勘弁」や「ごめん」は、
「願い下げ」や「失礼します」の
意味で多用される。
「そいつぁ勘弁してくれろ」と
言ったら「金輪際、そんな事は
願い下げだ、おととい来やがれ、
このすっとこどっこい」という
意味なのだが、西日本ではまるで
土下座ひれ伏しで赦しを懇願する
かのように捉えられている。
なので、「そいつぁ勘弁しても
らおう」と東京人が言ったら、
あいつがそれだけは赦してくれ
と懇願した、とか触れ回る奴ま
西日本では出て来たりする。
まるで逆だ。完全拒否と懇請で
は真逆だ。
これは、互いの通常使用言語が
異なるので、真の意思疎通が成
立していない事による。
やはり、人間のコミュニケーシ
ョンの利器として言葉を使用す
るならば、標準語を共通語として
日本人は使うべきである。
そのために学校教育でも日本語を
母国語として教えているのだから。

方言はあってもいいと思う。
しかし、メディア等の公的場所や
メールや見知らぬ人との会話で、
自分の狭い地方の言葉を頑なに
あえて使うのは、人を馬鹿にした
高慢な態度であると知ろう。
それは地方人でしかなく、全国
的に日本では通じない。
我を押し通すのは傲慢な一人よ
がりであり、他者の事などどうで
もいいと思っている不遜な態度だ。
標準語を共通語として話すべし。
公の場、初対面の人、よく知らぬ
人との言語をフィルターとした
接触においては。
地元の狭い方言は、地元人同士
の場合のみ使うべきである。
全国区の日本人であるならば。
10km四方の極小エリア人でない
ならば。

ただ、地元言葉は大切だ。
しかし、普及は標準語にしてほし
い。
「せやろ?そうなるやん。だから
さぁ」とか最近の大阪漫才師は
言う。
それと、ジャロジャロ、ケェケェ
言ってる連中が「じゃん」や「さ」
を最近使う。
それらは何だか非常に腹立たしい。
あと、東京の連中が最近やたらに
「めっちゃ」を使うのとか。
そんなら「やたらめっちゃ」とで
も言ってろこのスットコドッコイ
が、という感じがとてもするので
ある。

なぜ私が腹立たしく感じるのかは
判っている。
それは、ジャロジャロケェケェ人
や、せやろ?知らんけど人たちは、
話を聴いていると、見当外れで
外れの独善的独断を主張する時の
会話で「さぁ」「じゃん」の東京・
ハマ言葉を動員するのだ。軒並み。
オイラはへり下りの敬語にも繋が
る慎み深さがある。自分を手前と
呼ぶのと同じだ。
だが、使用シーンにおいて、ジャ
ロジャロケェケェ人や知らんけど
大阪民国人たちの東京ハマ言葉出
しには非常に不遜な態度を嗅ぎ取
る。意識の向こうが透けて見える。
だから、腹立たしいのだ。

ハマ乗り

2023年01月07日 | open


ハマ乗りといえば、やっぱこれっ
すね。
ねーよ、そんなもん(笑
でも、コーナー侵入時の直線で
フルブレーキングしながらの抜
重はこんな感じ。

この日、風が強すぎてバイク倒れ
そうな程だった。




どこまでもズンドコ、ベロンチョ

2023年01月07日 | open


不思議なもので、ロングディス
タンスのドカン走りの場合、高
速よりも下道のほうが疲れない。
高速を利用して横浜から広島ま
で弾丸やるのと、下道で原付で
ハマから広島まで走り続けるの
は、下道のほうが疲れない。
これは、風圧や速度の違いから
来るものかも知れない。
ちなみに広島県東部の三原市内
から阿蘇までは、給油とトイレ
休憩だけで一気に走る。
丁度いい塩梅の距離。阿蘇では
ゆったりと温泉にでも浸かって
寝ればよい。
これが、阿蘇で一服してすぐに
帰還となると、結構きついもの
があるだろう。
私は60PS程しかない非力な車
に乗るので、基本的にTON-UP
での長時間クルージングの時は
タンクにベタ伏せ。


とは言っても、福岡県行橋の平尾
台までは日帰りしてみた。
向こうで峠と北九の市内を走って
から飯食って帰還。
全行程は740km程だった。
疲労よりも、何より眠くなるのが
ネック。還暦過ぎがやるもんじゃ
ねえよな。


玉撞き21時間撞き通しも最近やっ
たが、どちらが楽かというと、
玉撞きのほうが楽だね(笑
どっちもピリリと引き締まるので
ライフには欠かせないものだが。
ダラ〜ンでデレ〜ンとしてると
早く死ぬぞ。状況如何では即死ぬ。
警戒と緊張(恐怖による緊張では
なく、注意力最大発揮の引き締ま
った集中力動員の際の緊張)が
ないと、人間案外簡単に死にます。
これは年齢に関係なく。

土曜の朝

2023年01月07日 | open


久しぶりの雨である。

不思議なもので、正月は大抵は
雨は降らない。
大雨の元日、大雪の元旦という
のは、東京や日本海側西日本で
は滅多に無い。
松の内の終わり頃に崩れる事は
たまにある。




2023年01月07日 | open


1個だけ貰った何とか柿。
めちゃくちゃウマかった。



女優

2023年01月07日 | open


ちょっと大人びてるな。

精米

2023年01月07日 | open


都内23区特別区には無いのではな
かろうかという設備。
知らんけど。
あるかも?

玄米10キロを精米します。


しゃくえん!安い。


玄米を注ぐ。



1ぶというのを食べてみたい。


真っ白けに精米。


米袋を縛って持って帰る。

お米は玄米で購入しています。
地元の農家の米。
結構、てか、かなり美味いの。