
映画は作れば必ず儲かる時代がありました

京都市太泰(うずまさ)広隆寺裏に
広がっていた東映撮影所は毎週、
新作を封切っていました
東映の映画館では二本立て興業でした
撮影所のスタジオでは
毎日大勢のスタッフが
夜を徹して制作します

しかし、スタジオが足りません
そこで東映は第二東映を作ります
撮影所の面積が2倍になりました

映画を制作するには
35㍉映画用の銀塩フィルムで
撮ります。

そのオリジナルネガフィルムから
デュープを作ります
そのデュープフィルムから劇場用の
ポジフィルムを多数焼きます


映画の銀塩フィルムは撮影用のネガフィルムに
はじまって、
デュープフィルム
サウンドフィルム、
ポジフィルムと色んな種類の銀塩フィルムが
要ります。

その多種類のフィルムを処理するところが現像所です
東映撮影所の裏をJR山陰線が走っています
山陰線の花園駅近くに「東洋現像所」(イマジカ)がありました

東洋現像所にはラッシュプリントを
試写できる映写室もありました


関西で制作される映画フィルムの
理はすべて東洋現像所で
引き受けていました。
