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初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

東洋現像所(イマジカ)

2011年03月11日 22時27分19秒 | Weblog


映画は作れば必ず儲かる時代がありました



京都市太泰(うずまさ)広隆寺裏に

広がっていた東映撮影所は毎週、

新作を封切っていました

東映の映画館では二本立て興業でした

撮影所のスタジオでは

毎日大勢のスタッフが

夜を徹して制作します



しかし、スタジオが足りません

そこで東映は第二東映を作ります

撮影所の面積が2倍になりました



映画を制作するには

35㍉映画用の銀塩フィルムで

撮ります。





そのオリジナルネガフィルムから

デュープを作ります

そのデュープフィルムから劇場用の

ポジフィルムを多数焼きます




映画の銀塩フィルムは撮影用のネガフィルムに

はじまって、

デュープフィルム

サウンドフィルム、

ポジフィルムと色んな種類の銀塩フィルムが

要ります。





その多種類のフィルムを処理するところが現像所です

東映撮影所の裏をJR山陰線が走っています

山陰線の花園駅近くに「東洋現像所」(イマジカ)がありました





東洋現像所にはラッシュプリントを

試写できる映写室もありました







関西で制作される映画フィルムの

理はすべて東洋現像所で

引き受けていました。




日本のハリウッド

2011年03月10日 21時03分01秒 | Weblog


民間テレビが始まる少し前までの

映画界はは全盛でした。




映画撮影所は東京、大船のほかに

都に時代劇を制作する撮影所がありました





京都市右京区の太秦(うずまさ)に

東映、松竹、大映の三つの撮影所がありました





繁華街の四条大宮(京都市)に

福電鉄の始発駅があります

京福電鉄を利用する勤め人は嵐山の方から

四条大宮へ出てきます

そして四条大宮から阪急京都線で大阪へ出勤します



撮影所へ向かうスタッフや俳優さんは京福電鉄を利用して

四条大宮から嵐山方面に向かっての出勤です

一般の勤め人と逆方向になります



電車は準主役クラスの俳優さんやスタッフで満員です

各撮影所の大部屋の女優さん(ワンサとも云われます)

でスゴイ美人が乗っています

この美人がどうして売れないのかと不思議な

ほどの娘さんが目立ちます



京福電車はやがて、太泰駅に到着します

ここでカツドウ屋(映画人)は下車します

駅の右側(広隆寺の裏)に東映撮影所があります

駅の左側の太泰小学校への道を歩いていくと

大映撮影所でした




太泰駅の次、帷子ノ辻に松竹太泰撮影所がありました

この駅で松竹の映画人は下車します





太泰駅と次の帷子ノ辻(かたびらのつじ)に

撮影所は集まっていました

日本のハリウッドです。







映画の赤字

2011年03月09日 21時56分34秒 | Weblog


古い話ですが、戦後いちはやく復活した娯楽は

プロ野球観戦と映画だと聞いています




当時の映画はまだ、モノクロ(白黒)映画でした

アメリカから輸入されるハリウッドの映画は

テクニカラー方式の総天然色映画もありました





当時は、動画(動く映像)は映画館で見る

映画しかありませんから

皆は動画に植えていました




映画は作れば必ず儲かりました

映画会社(撮影所)で製作された

映画は街の常設館で上映されます

封切りからしばらくして興行成績が

撮影所も報告されます




撮影所の上層部は興行成績を

受け取ると、所内で発表します

そして赤字だと云います



これには理由があって

映画制作段階で興行成績の

皮算用を会社側はします

その皮算用に対しての収入成績の

差額を赤字だと云っていたようでした



これには理由があって

映画制作段階で興行成績の

皮算用を会社側はします

その皮算用に対しての収入成績の

差額を赤字だと云っていたようでした







テレビの出現で、映画の興行に影がさしてきました

映画の興行成績も皮算用の赤字ではなく

本当の赤字に近付いていきました




電子編集

2011年03月08日 22時00分56秒 | Weblog


VTRテープを編集するのに、安全カミソリで

切断しなくて、電子的に編集できるようになりました












ドラマで、同じ俳優さんが昼の場面と

夜の場面に交互に出演するとか

若いときと現在とが混在するとか



和装と洋装のカットパックの

出演など 生ドラマでは考えられないことが

できるようになりました



映画の撮影のように、売れっ子の俳優さんのシーンだけ

まとめてVTR撮りをします



バラバラの部分撮りでドラマを録画します

そして、テープに印をつけて編集できるようになりました



VTR編集が不可能なときの生ドラマで

番組の前半を事前にVTR撮りをしておいて

番組の後半を生ドラマで構成した

芸術祭参加ドラマがありました



映画は撮影所でワンカットずつ

一つのシーンを撮り終えても

すぐにプレビューは出来ません



テレビのドラマのVTR撮りでは

スタジオで撮り終えて

テープを巻き戻せば、

すぐにプレビューが出来ます



VTR撮りドラマに出演した

映画俳優さんは、

スタジオでいま終わったばかりの

シーンをすくにプレイバックできるのに

驚いて感激していました



           … … …





「切り編」から「電子編集」

2011年03月07日 22時46分17秒 | Weblog


アンペックスVTRで録画したビデオテープを

安全カミソリの刃と定規を使って熟練技術者の

手作業で編集することができるようになりました




この手作業の編集を「切り編」と呼んでいました

その「切り編」を前面に押し出して

芸術祭参加ドラマをつくったことがありました




この「切り編」は担当技術者が緻密な作業と

神経を使う熟練作業でした

テープを再生してみると、「切り編」のところで

モニターの画面が1枚流れるか、画面が一瞬クシャ

となって、うまくつながらないときがありました




これを何とか自動化できないかと智恵を絞ります

技術局に出入りのN電機が自動的にテープをつなぐ

機械を作り上げました



この機械は、編集するテープをその機械に装填しますと

ゴムローラーに挟まれたテープが左右に動きます

テープの切断カ所を見つけると、ローラーの下から

安全カミソリのアームが現れてサーッと

テープを切断します。

事前に切断されているもう一方の

テープとローラーでお互いのテープが付き合わされます

やがてスプライシングテープが現れてテープはつながります




テープの編集が楽になっても「切り編」ですから

テープの編集にブロデューサーの上司の許可かいることには

変わりません



やがて、テープを切断することなく

編集できるようになります

局内では「電子編集」と呼んでいました

これで、編集に上司の許可はいらなくなりました



簡単に言えばAテープに編集するBテープの

映像信号をダビングで

重ねるのです



N電機はせっかく作った切り編自動編集機は

この「電子編集」の出現で、

機械を売り損なってしまいました




ビデオテープの「切り編」

2011年03月06日 23時25分09秒 | Weblog


ラジオが円盤式録音機からテープレコーダーになって

変わったことは、録音済みテープが

簡単に編集できることです





オープンリール式テープレコーダーは

録音テープのサプライリールと

テークアップリールの

間に左から消去ヘッド、録音ヘッド、

再生ヘッドと並んでいます



テープはこのヘッド群を通過する間に

6㍉巾のテープに録音されます



不都合なところ編集するには、

その場所に印をつけて

磁気を帯びていないハサミで切断します

切断されたテープ同士を

スプライシングテープで貼り付けます



アンペックスVTRテープ(映像)も

何とか編集できないかと

VTR室の技術者が努力をしました




VTRの映像録画ヘッドは、

2吋巾(5㌢巾)のテープの進行方向と

直角に回転しながら映像を録画します



録画済みのテープに特殊な液を筆で塗ると

2吋巾の磁気を帯びたテープが

その磁気のパターンに沿って

縞模様が浮かび上がります



縞模様のパターンの同期信号の切れ目に定規を当てて

鋭利な安全カミソリでテープを切断します

もう一方のテープは同期信号の始まりで切ってあります

そのテープ同士をスプライシングテープで貼り合わせて

編集ができることになりました




ごの作業のことを「切り編(きりへん)」と呼んでいました

貴重で高価なVTRテープを

切り編をしたテープは再生以外に使えません



録画番組で「切り編」がどうしても必要なときは

番組担当プロデューサーは上司(例、編成局長)に

捺印、申告して許可を得ていました






録画番組始まる

2011年03月05日 20時33分37秒 | Weblog


テレビ番組制作にアンペックスVTRの導入で

スケジュールや局の都合で番組を録画して

そのテープを放送時間に再生することが

出来るようになりました



番組に参加したスタッフ、タレントは初めて

自分の仕事ぶりや演技の善し悪しを

録画テープの再生で

客観的に見ることができるようになりました



最初のころの録画撮りは

一応、番組冒頭のタイトルから番組最後まで

ノンストップで収録していました



まだ、VTRテープの編集が

出来なかったからです





番組収録の最後のところで

NGが出ると、また番組の頭から

撮り直しをしていました



番組収録が進んでいよいよ

最後の方にかかるときには

スタッフ、タレントともに

何ともいえないプレッシャーを

感じていました。






冨士フィルム、VTRテープ製造を

2011年03月04日 23時45分33秒 | Weblog


生テレビ放送の夢が実現しました

テレビカメラの映像が記録できることになりました

それも電気的映像をそのままテープに記録できるのです



音声信号を簡単にテープレコーダーに記録できます

映像信号もVTRのテープに簡単に記録できるのです







映画は撮影機(キャメラ)で銀塩フィルム(35㍉)に

映像を感光させて現像処理をして編集加工して

完成させます

処理に日数を要します




テレビのVTRのテープは音声込みで映像を録画します

しかも、録画の終わったテープを巻き戻して

すぐに再生ができます





これは実にすごいことです

銀塩フィルムに記録するしか動画(映画)は

作れないとされていました

それがテレビでは映像を電気的に変換して

VTRテープに記録できるのです



アンペックスの機器と一緒にスコッチ(3M社)の

テープが入ってきました




映画フィルム(銀塩フィルム)を製造している

富士フイルムがなんと

このアンペックスVTRテープの製造に

参入してきました



フジのテープは、なかなか優秀な製品で

事故もなく主流になっていきます




アンペックスVTR

2011年03月03日 23時29分25秒 | Weblog


写真説明、京都から高野山参詣の道を

高野街道と云います

複数の高野街道が河内長野で合流します

わが家の近くをそのうちのひとつ

西高野街道が通っています




     … … …

生番組、生放送で始まったテレビで始まりました

何とか、生番組を記録できないか研究されていました




映像を電気的に処理するのがテレビです

音声も映像も電気信号に変換されると

周波数帯域は違いますが

同じアナログ信号になります。




音声信号と同じ映像信号を磁気的に記録できないものか

あちこちで考えられていたようです



アメリカでクロスビー方式とか××方式など考えられていました

その中で、アンペックスが抜きんでいたようです




アンペックスのVTRが輸入されます

かなり大きな機器でした

使用するテープは2吋巾(5㌢巾)の大きなものでした

若い技術者が大きくて重たいテープを

「ヨイショッ…」

のかけ声でVTR機械に装填していました



当時の放送機器は、真空管式でした。

このアンペックスVTRも真空管式でした

VTRを安定して録画するために

録画予定時間より30分前に電源を

入れていたようです





しかもVTRを設置している部屋の

空調は、少し寒いくらいの室温に

設定してありました…


テレビカメラマン

2011年03月02日 22時48分00秒 | Weblog



生放送で始まったテレビは

1日の放送時間はすべて生放送でした

いまのテレビのようにVTR番組を流して

局のスタッフがちょっと一服と

いうわけにはいきません

            … … …

他局の生番組をネットで流しているときだけ

スタジオは休みでした





朝は10時がオープニングで15時まで、

午後、テレビ局は休憩に入りました

夕方の17時から夜22時位で放送は終わりました

1日すべてが生放送でしたから、いまのような

全日放送は無理でした。





テレビカメラが捉える映像は記録できませんから

フィルムの入っていないカメラでファインダーを

覗いているだけでした




テレビ視聴者には複数のカメラのファインダー(映像)を

切り替えて見せているのでした



テレビカメラマンは、カメラで被写体を捉えますが

シャッターボタンはありません

シャッターボタンは副調整室内の映像スイッチャーが

握っています。

テレビカメラマンは一体何なのでしょう






音声を集めるのはマイクロフォンで

マイクを操作するのがマイクマンです

被写体を集める(映像化)のはテレビカメラです

映像を操作するのがテレビカメラマンでした