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初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

続 吹き替え

2009年05月11日 18時02分41秒 | Weblog
写真説明:見事なバラに手前からレフ板で補助光を足しました。銀塩ネガカラーで2Lプリントをスキャンしました。
 大阪府河内長野市郊外の大阪府立「花の文化園」(入場料500円)内のバラ園で撮りました。


 昭和30年代の京都市右京区の太泰の映画界の話…。

時代劇のロケーションは、京都には社寺仏閣がたくさんありますから、よく出かけます…。

 海や大きな川の場面は、滋賀県琵琶湖の近江舞子に出かけました…。

 俳優さんたちを乗せたロケバスと、照明用のレフ板などを積んだトラックと、撮影用のカメラは振動に弱いからとハイヤーで現場まで運びました。

 京都市内は、舗装道路で良いのですが、京都市を出るとアスファルトの舗装道路はなくなりました。

 滋賀県浜大津から近江舞子までの途中の雄琴(おごと)温泉付近で舗装道路になりますが、雄琴を過ぎるとまた、地道になって、砂埃をあげて走ります。

 大阪府枚方付近の国道1号線も地道でした。

 映画のロケ隊は西部劇の馬の走りのように砂埃を巻きあげて走りました。沿線の住宅の人は,いつも水まきをしています。

 現場の近江舞子は別称、雄松崎(おまつざき、近江舞子の浜)、で波打ち際を馬で走ったり、松並木は東海道になぞらえて行列が通ったりします。

 波打ち際を馬が疾走する場面は、乗馬の得意な俳優さんが吹き替えで走ります。そして馬が止まると、主演の俳優さんに入れ替わって大写しのカットにつながります。、

 橋の上の立ち回りで、悪役の俳優さんが、橋の上から水面に落ちるところで、水に達者な俳優さんが吹き替えで、橋の上からドブンと水に落ちます。冬の橋の上から落ちるときは、橋のたもとで風呂を沸かして待っています。水に落ちるカットがOKになると、その俳優さんにすぐに風呂に入ってもらいます。

 映画は映像だけでなく、音声も必要です。あらかた映画も撮り終わると、足りない音が出てきます。例えば、立ち回りで切られ役の俳優さんが階段を落ちてくるドタドタ音、さっきの橋の上からドブンと水に落ちる音などが必要になります。

 毎回、録音部の△△さんが、冬の水音や階段から落ちるドタドタ音を身をもって担当しました。手当も出るのでしょうが、風呂の準備がしてあっても、仕事とはいえよくやっていました。

 この音作りも吹き替えといわれていました。最近は、スタントマンとかスタントといわれて別会社組織になりました。


吹き替え

2009年05月10日 18時52分42秒 | Weblog

写真説明:大阪府河内長野市の寺ケ池公園と近くの小学校のグランドで、市民祭りが行われました。今年は、晴天に恵まれて気温がぐんぐん上がりました。四季の広場の特設ステージでは日ごろダンス教室での舞踏の成果が披露されました。

 テレビの民間放送が始まって、アメリカからどっとテレビ映画が輸入されました。

 日本は生テレビドラマが各局で作られましたが、アメリカは広く時差の関係で、テレビ映画を時間差で放送していたのでしょう。テレビの台頭で暇になったハリウッドがテレビ映画を作りだしました。放送時間は30分~60分物、劇場映画並みの35ミリ撮影で、機材はハリウッドですから本格的です。35ミリで製作されたものを16ミリに縮小プリントして日本に輸入されました…。
  
日本で外国映画の映画館での上映は翻訳した字幕をスーパーインポーズでした。

諸外国では、全部、その国の言語で吹き替えて上映しているそうです。

テレビでは当時14インチのテレビ受像機が標準でしたから、たとえ字幕を出しても見えにくかったのと、台本を翻訳してスーパーインポーズする時間がなかったのでしょうか。

輸入されたテレビ映画の音声は、俳優さんのセリフ、効果音、オーケストラの伴奏まで一本のテープに入っていましたから、音声は全部作り直しました。

 パックの音楽は、ハモンド・オルガンで即興で演奏を入れ、車のドアが閉まる音は冷蔵庫の扉を開け閉めの音、風の音、波の音など全部、放送効果団が作り出しましたし、ラジオの放送劇団の声優さんで、行いました。

「潜水王・マイクネルソン」という潜水服の海洋活劇では、スタジオに大きな水槽を持ち込んで、効果団員が、ゴム長靴のついた長い胸まであるズボンを履いて、水槽の中で色んな音を作り出していました。

 しばらくして、SOF(ソフ=Sound of Film日本製業界英語)といって、パックのオーケストラも、効果音も入っているのですが俳優さんのセリフだけ抜いてあるテープになりまして、声優さんの声を入れれば日本語のテレビ映画ができるということになりました。

吹き替える声優さんの顔ぶれが決まってきました。

 若山弦蔵は、007のショーン・コネリー、「鬼警部アイアンサイド」「弁護士ペリー・メイスン」のレイモンド・バー。森山周一郎は、「刑事コジャック」のテリー・サバラス、リノ・ヴァンチェラ、ジャン・ギャバン。野沢那智は、アラン・ドロン。城達也はFMの「ジェット・ストリーム」で有名でしたが、グレゴリー・ペック、ロバート・ワグナー。小池朝雄は「刑事コロンボ」のピーター・フォーク、など。

 たまに、洋画劇場などで、吹き替えなしの字幕スーパーの映画を見ると、出演している俳優さんの声がこんな声だったのかと、違和感を感じることがありました…。

 テレビ映画を見ていたお婆さんが、

「この外国の俳優さんは日本語が上手だね…」

 という冗談がはやりました。

オンリー

2009年05月09日 17時40分00秒 | Weblog
写真説明:大阪市鶴見区にある「花博記念公園鶴見緑地」のランドマークでもある風車。銀塩カラーネガの2Lプリントをスキャンしました。元のプリントで風車の下の赤い花がつぶれていました。
交通手段は、初のリニア・モーター・ミニ地下鉄の大阪市営鶴見緑地線で大阪市内から行けます。
 
京都は社寺仏閣が多いところです。時代劇映画にとって欠くことのできない場所です。

嵐山の天竜寺、大覚寺と大沢池、御室の仁和寺、祇園の建仁寺、下鴨神社の摂社、糺の森(ただすのもり)の河合神社、京都市内の二条城、その他、まだまだロケーション場所はあります。

ロケーションで困るのは見物人の話声、近くを通るバス、トラック、自動車のエンジン音、警笛、これは別に時代劇に限らず、現代劇でもこの雑音はいりません。

ロケーションの、セリフのある場面では、スクリプターは、正確にセリフのタイミング(セリフの言い始めから言い終わりまでの時間)を記録します。

 ロケが終わって皆が帰社するとまず、ほとぼりが覚めないうちに、サウンドステージで、セリフのあった場面の俳優さんのセリフだけを、スクリプターの時間指示通りに録音します。

 セリフをスクリプターの指示だけで採りますから、サウンド・オンリー略してオンリー(業界用語)と言いました。

 あとで現像されて出来上がった映像と録音したオンリーのセリフを編集で合わせます。

 モジュレーション(業界用語)といって雑音の中のセリフを一応録音します。それをサウンドステージで聴いて、オンリーを録音するときの参考にすることがあります。

 複雑にセリフの絡んだロケーション主体の場合は、アフレコ(After Recording=和製業界用語)で処理します。

 音楽映画などで、歌や演奏を先に録音して、セットに録音した音声を流してそれに合わせて演技するのをプレスコ(Prescoring)と言います。


ジャズ あれこれ 4

2009年05月08日 18時00分43秒 | Weblog
写真説明:この二・三日、雨の降る日が続きました。雨が上がった今朝、散歩の途中で、水滴をたっぷり含んだ花を見つけました。

 雑誌で、流行歌手の新曲、吹き込み風景の写真を見ると、歌手一人で、風防をつけたマイクの前で歌っています。オーケストラは「マルチ・トラック・レコーディング」で先に録音されているのでしょう。

まるでカラオケスタイルです…。

 オーケストラで、編曲の変更、演奏上のNGのとり直しは済ませてあります。歌手でNGが出れば、とり直しは短時間です。

 昔のように、オーケストラの前で歌手が唄う一発どりでしたら、時間がずいぶんかかったのでしょう。結局、オーケストラと歌手は一度も顔を会わすことなくアルバムが出来上がります…。

 もはや一発どりは、楽団の歌手が歌ってそれを聞いている観客の拍手込みで録音するライブアルバムしかありません…。

 録音スタジオ制作に比べて雑音の多いところで音が悪いのにかかわらず、人気があるのは、この一発どりに人間味があるからでしょう…

 私の愛聴しているアルバムに「ファースト・タイム(1961年)」があります。デューク・エリントン楽団とカウント・ベイシー楽団がステレオで左右に別れてスタープレーヤーがバトルを繰り広げます。この2大楽団をよく一つのスタジオに集めたなと思って聞いていますが…、

 まさか「マルチ・トラック・レコーディング」ではないでしょう。私は一発どりと信じて聴いております。

              … … …

 「マルチ・トラック・レコーディング」でも一発どりでも、音声エンジニアの最終の問題はプレーヤーからどの距離に、マイクをセッティングするのか、マイクアレンジにつきると思っています。

              … … …


 写真、映画の場合は、照明だと思っています。最終的にはライティングの適、不適できまります。

ジャズ あれこれ 3

2009年05月07日 17時24分33秒 | Weblog
 録音技術と編曲によって、ヒット作が作られます。

古くは、キャピトル・レコードで録音技術で山びこの様に聞こえるマーガレット・ホワイティングの「ミスター・エコー」…。

ギター奏者、レス・ポールの「マルチ・トラック・レコーディング」で再生テープ・スピードを変えた演奏と嫁さんのメリー・フォードの多重録音のコーラスで「ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォア・ザ・サンライズ(世界は日の出を待っている)」などがありました…。

 これは、レス・ポールがオーディオ録音に興味と趣味があったのでしょう。

 ナット・キング・コールの娘、ナタリー・コールが亡き父の「アンフォーゲタブル(Unforgettable)」で、亡き父と歌っているカバー作品には驚きました…。

 ナット・キング・コールが録音したときのテープはマルチ・トラック・レコーディングだったのでしょうか?。それに、娘のナタリーがオーバーダビングしたのです。これは米国のポップチャート5週連続1位でした。

 テレビ映画「ローハイド」、マカロニウェスタンの「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」「ダーティ・ハリー」に出演した、クリント・イーストウッドは映画「バード」を制作します。

 彼は熱心なジャズファンで、日本ではマイナーな配給でしたから、梅田の小さな劇場で見ました。この作品は中途半端なものではなく、“バード”の綽名のアルトサックス奏者、チャーリー・パーカーを真面目に取り上げた伝記映画でした。あらためてクリント・イーストウッドを見直しました。

 この作品も音声にひと工夫ありました。チャーリー・パーカーの残されたレコードから、チャーリー・パーカーの音だけを拾い出して、新しいサイドメンでの音を入れ直す凝りようでした…。

 続く…


ジャズ あれこれ 2

2009年05月06日 18時20分18秒 | Weblog
  プロデューサー、クリード・テーラーがドン・セベスキーの編曲指揮で作った「カリフォルニア・ドリーミング」は、オーケストラの間を縫うようにして、ウェス・モンゴメリーのギターが流れます。このアルバムで疑問に思ったのは、ギターのウェスが楽譜が読めないということです。

 この舞台裏は、まもなく判明しました。ウェスのギターに、ピアノのハービー・ハンコック、ベースのロン・カーター、ドラムスのグラディ・テートの4人のコンボで、録音します。それをドン・セベスキーが聞いて、音の隙間にオーケストラを入れます。器用な演奏家です。

 いずれにしてもダビングして作品にするのですから、音声エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーも大変でしたでしょう。
 ルディ・ヴァン・ゲルダーのパースペクティブの付いた、「カリフォルニア・ドリーミング」の録音は、すんなりと通しで録音したように聞こえました。

 楽譜が苦手なプレーヤーは、ハモンド・オルガンのジミー・スミス。名曲「ミスティ」の作曲者ピアニストのエロール・ガーナー(ビハインドビートの独特のスタイルでも有名です)がいます。しかし、この3人は抜群の記憶力の持ち主だそうです。

 アメリカで大ヒットを飛ばした、マリアッチ(アメリアッチ)のトランペッター、ハープ・アルバートが立ちあげたA&Mレコードにクリード・テーラーはウェス・モンゴメリーとともに移ります。

 ここで、クリード・テーラーは、CTIレーベルを作って、「ア・ディ・イン・ライフ」を同じメンバーで作ります。これで、イージー・リスニング・ジャズが定着します。次に「ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド」を作ります。

 次にドン・セベスキーが一段と凝った編曲で「ロード・ソング」を作ります。

 ここで、ウェス・モンゴメリーの急逝です。

 ブロデューサー、クリード・テーラーは、ウェス・モンゴメリーの再来とのふれこみで、ジョージ・ベンソンを連れて来て、1枚アルバムを作りました…。

 ジョージ・ベンソンのギターは達者ですが、歌手として売り出して別の方向に行きました…。


ジャズ あれこれ 1

2009年05月05日 15時49分21秒 | Weblog

  ルディ・ヴァン・ゲルダーは録音エンジニアです。独学で自宅でミキシングを楽しんでいました。アルフレッド・ライオンと写真家のフランク・ウルフがジャズに憧れてアメリカにやってきます。アルフレッド・ライオンがこのルディ・ヴァン・ゲルダー、ジャケット写真のフランク・ウルフの三人の出会いはブルーノートレコードにとって幸運でした。

 ジャズ喫茶に行くと、いまかかっているレコードはと、ミュージシャンが使う譜面立てに、スポットライトに照らされたジャケットが飾られていました。その中でブルーノート、レコードのジャケットは引き立っていました。

 このブルーノートレコードを集めたいというのが私の夢でした…。

 ルディ・ヴァン・ゲルダーの録音ではオーケストラでもコンボでもピアノの扱いが他のミキサーより大事に扱っているのが好きでした。

 ノーマン・グランツのバーブレコードに敏腕のプロデューサーのクリード・テイラーがいました。

 ウディ・ハーマン楽団の「フォア・ブラザース」でのテナー奏者、スタン・ゲッツの音色が、スモーキートーンといわれていました。当時すこし人気の下がり気味でした。

 ここで、クリード・テーラーは新しい音楽の「ボサノバ」に注目しました。スタン・ゲッツ、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、いえの台所で歌っていたジョアンの嫁さんアストラッド・ジルベルトを「GETZ/GILBERTO」で起用します。

そしてアストラッドを「ザ・ガール・フロム・イパネマ」で歌手に起用します。

このアルバムが大反響でベストセラーになりました。ここからアストラッドはジョアンと別れて、台所から世界に出発します。スタン・ゲッツはボサノバのテナー奏者として一躍脚光を浴びて、豪華な邸宅を建てました…。

 敏腕プロデューサー、クリード・テーラーは次に、独創的で人気上昇中のギターリスト、ウェス・モンゴメリー。ウェスの演奏スタイルは、ピックを使わないで、親指でオクターブ奏法です。その後のギターリストに大きな影響を与えました。
オーケストラに彼のギターを乗せてイージー・リスニング・ジャズを企画します。アルバム・タイトルは「カリフォルニア・ドリーミング」です。オーケストラはドン・セベスキー編曲指揮で、音声エンジニアは、ルディ・ヴァン・ゲルダーでした…。

  続く…

続・甲子園球場

2009年05月04日 16時50分46秒 | Weblog
  20数年前、吉田義男監督のときの阪神、甲子園のナイター中継のときの話です…。

 兵庫県・西宮署から明日の甲子園の中継車は早く出してくれと連絡がありました。

 朝からファンが大勢押し掛けるので、甲子園は午前中に開場すると言っているというのです…。

 取りあえず、中継車、機材車とスタッフのバスで甲子園に出かけます。
なるほど、甲子園の陸橋の下にはファンが押し掛けています。

 中継車を所定の場所に置いて、柵をつくってガードマンに警備を頼んでスタッフは現場解散…。

 野球中継のナイターで、午前中から機材を搬入したのは初めてです。

 球場前の大勢のナイター観客は間もなく球場に入りました。

 夕方の試合開始まで、ファンはどうするのでしょうか…。

 野球中継に限らず長時間の生中継で一番心配なのはトイレです。
ラジオ、テレビの実況中継のアナウンサーは、朝から水気をなるべくとらないと言います。我々、スタッフも同じです。

 ラジオで、どうしても切羽つまって、机の下の瓶で用を足したアナウンサーがいました。

 あわて者のアナウンサーが試合のイニングのカウントを間違えて、
 「ゲームセット!」
と叫んで、スタッフを総立ちにさせたアナウンサーもいました。

夏の甲子園の高校野球中継では、第一試合と、第三試合、第二試合と第四試合とスタッフがアナウンサーも含めて交替します。中継センターのお嬢さんが、各スタッフ、アナウンサー用に、冷たいおしぼりと、氷の入った麦茶のポットを現場に配りに来ます。それを簡単に飲んでしまうと、あとが心配ですから、その試合が終わるまで我慢します。

ゲームが九回に入ってもう大丈夫と思って飲んだことがありました。
ゲームの方はタイムリーヒットで、同点になって、延長戦に持ち込まれたことがありました。

意地の悪いことです…。

野球中継では、放送局を跨って、リレーナイターというのがあります。

まもなく、リレーに入るというときに、外野フライを新庄剛選手が受けました。三塁ランナーはタッチアップ。強肩、新庄のホームへの返球がどうなるか…で、長いコマーシャルと、番組の枠づけ(タイトル)が付いてしまいました…。


甲子園球場

2009年05月03日 18時31分29秒 | Weblog
  改装した新しい甲子園球場はよく見ていないので知りません。

  今までの、甲子園の思い出話です。

 甲子園球場で阪神―××のナイターの場合、昼食後に中継車を球場の外の所定の場所に入れます。ここは二台の中継車が入れられるスペースがあります。各局の中継車用にカメラコネクターを備えた、大きなターミナルボックスが中継車の側にあります。ここへ中継車のカメラコネクターをつなぎ込むと、内野席のカメラ位置まで埋め込みのカメラケーブルとつながります。 球場はけっこう広いです。各カメラの位置は離れています。

カメラ、三脚、レンズを、音声担当は、中継用のポータブルミキサーを始め、接話マイクや、映像モニターなど結構多い荷物を、それぞれ大きな台車に積んで待機します。

 ナイター中継のときは、大体、午後15時に試合を行うのか、中止か球場側が決定します。中継車とスタッフ用のバスの中でわれわれは球場側の発表を待ちます。
 さっきまでの雨が止んでどうかな…というような微妙なときは、なかなか発表しません。

やがて、烏賊を焼く匂いがしてきます。球場に入っている店の仕込みの匂いです。業者が準備を始めているのですから、今夜の試合はあると確信して、セッティングを始めます。

 験を担ぐ(げんをかつぐ)。××放送の△△キャスターが応援に来ると負ける。

○〇放送が中継に来ると負ける。などありました。

いずれも根拠のないものですが、確率からいくとかなりの確かさだそうです…。

負ける確率の高い“負け村さん”というアナウンサーがいました…。

  阪神タイガースの連敗の続く日の次に中継に行くと、

「阪神ファンからお前ら来るな…」

と野次られたものでした…。

 試合が済んでも、『六甲おろし』を三番までファンは歌います。観客が退場して、機材撤収ですから、帰社するのは遅くなります…。


浜村 淳

2009年05月02日 18時25分45秒 | Weblog
浜村純、痩せこけた頬とギョロリと目の光る特異なマスクで活躍した日本屈指のパイブレイヤーで浜村 純という俳優さんがいました…。

 同音異字の一度聞いたら忘れない独特のアクセントとセリフを噛まないでよどみなく喋る。

 浜村 淳。について…。

 昔、日本はウェスタン音楽全盛で、小坂一也とワゴンマスターズ。寺本圭一とスウィンクウェストなどが人気でした。

 神戸・三宮にウェスタンの生バンドを聞かせる「コペン」、「月光」という音楽喫茶が二軒ありました。

そこの「コペン」で浜村淳は学生アルバイトで司会をしていました。

 ウェスタンバンドの構成は、何故かハワイアンで使うスチールギター、エレキギター、サイドギター、ベース、ドラムス、フィドル(ヴァイオリンのことをウェスタンではこう呼ぶ)

米国の歌手ではハンク、ウィリアムス「ユーチーティンハート」「ジャンバラヤ」。ハンク・スノー「ムーヴィンオン」。ハンク・トンプソン(ダブル、スチールギター)。が人気でした。

ウェスタンの大御所、エディ・アーノルド「I Really Don’t Want to Know」、この歌はのちに、なかにし礼、作詞で菅原洋一が「知りたくないの」の邦題でヒットさせました。

 一時のブームが去って、三宮の「コペン」「月光」が閉店しました。

大阪道頓堀に「ナンバ一番」と「銀馬車」の二軒の音楽喫茶がありました。その「ナンバ一番」のステージに浜村淳が現れました。そしてバンドの紹介と曲目の司会をしていました。

まもなく、ビル・ヘイリーの「ロックアラウンド・ザ・クロック」(映画・暴力教室の主題歌)とがプレスリーの「ハートブレークホテル」が現れて、ロカビリー(ロックンロール+ヒルビリー(カントリー音楽)=合成語でロカビリー)の始まりで、業界はややこしくなります…。

一時隆盛を極めた、音楽喫茶も下火になりました。学生アルバイトの浜村淳も姿を消しました、普通の仕事に就いたのかなと思っていました…。

 何年かしてラジオで司会をしている浜村淳を聞きました。大阪毎日放送ラジオで「ありがとう浜村淳です」をやっていました。

 結局、学生アルバイトで身につけた話術から逃れられなかったのでしょう…。

 浜村淳に注文があります。彼の映画批評や解説で、映画の最後までしゃべらないこと。彼の声がテレビやラジオから聞こえてくると、慌ててチャンネルを変えます…。