
敗戦後しばらく暮らしていた
盛京大路房産住宅78號の家は
一棟が二つの住宅に分かれて、
平屋建て、4部屋の賃貸住宅でした。
新京の日本人は個人の住宅が
無かったようでした。
… … …
この敗戦後の賃貸住宅の家賃は
どうなっていたのでしょう…
しばらくして、親父はもう少し
狭いところへ引っ越そうと考えて
私の通っていた春光国民学校(小学校)の
近くの進化街?(しんかがい)へ
変わりました…
間取りは、現在の住宅公団の
2LDKに似ていました。
冬の暖房はペチカ?だったかも
しれません。
… … …
引っ越してきた進化街の家から
煉瓦造りの春光国民学校の校舎が
良く見えました。
… … …
ある日、敗戦によって授業が
行われなくなった、春光国民学校の
校舎から、もくもく黒煙があがって
不審火による火災で焼けてしまいました
… … …
私は小学六年生の夏に授業がなくなって
母校?は焼け落ちて、宙ぶらりんの
少年になってしまいました。
そして、新京の日本人は
日本に何時帰れるのか見通しもなく
皆、宙ぶらりんになってしまいました。

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