しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

菩提寺に置いてあったプリント

2013年08月24日 10時28分37秒 | 日記・エッセイ・コラム

生は生としてあり、

死は死としてあるのであって、

生から死へという連続的な変化としてとらえてはならない。

 

生は生であって、さらに生じることはないから「不生」

死は死であって、さらに滅びることはないから「不滅」

たしかに前後はあり、そしてその前後は「際断」している。

 

・・・略・・・

 

生は生として生の中に一切があります。

死は死として死の中に一切があります。

それぞれに絶対的なものだから、

生を生きればよく、

死を死ねばよいのです。

それぞれ絶対的なんだから。

 

ただ事実として生の後に死が続くだけのことです。

「生は生、死は死」これに尽きるのです。

それぞれ完結した存在の仕方をしており、

意味的に「前後際断」しながら続いて存在しているのです。

 

 

ああ、くちこ、またもや無断転記、抜粋。

くちこの理解は浅いと思うし、

この文も抜粋で伝わりにくいかもですが、

くちこの為に此処に残しておきます。

 

最近、結構、へこんでいます。

ある友人の母の言葉。

葬式の時によく「人」を見ておきなさい。

隠された本性が出ているから、と。

今回、その事、骨身に沁みました。

 

知らないうちに人を傷つけていることってある。

不可抗力で人に恨まれることもある。

悪意が無くても人に恨まれるのは、

やはり不徳なのだろうか。

 

人生は、何度でも、

今、この時からでもやり直せる。

自身の心で仕切りなおせる。

そう思いたいなあ。

 

なるべく正直に、

少しは人様の役に立とうとする、

そんなくちことして精進しよっと。

 

こんな時に次の訃報。

明日は伯父の葬儀です。

とても可愛がって貰いました。

娘夫婦や、孫達に囲まれ最後近くまで、

普通に自宅で過ごしていたようです。

九十余歳の大往生。

「伯父ちゃん、大合格!」

「明日、会いに行くね!」

 

昨今の神社仏閣巡り、

初めての精霊流し、

次々の訃報・・・

 

しかも、昨夜、普通の子が出張絡みで帰省。

へこんでいるくちこを支える役に。

 

全ては必然なのかな、とも。Dsc02902


↑夫の所蔵品です。

コメント (52)
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