サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

区会議員斉藤りえさんは 音声認識システムで議員活動が出来るのか?(UDトークについて追記あり)

2015年05月30日 | 手話・聴覚障害

 聴覚障害者の斉藤りえさんが議員活動をスタートさせたということで、東京都北区議会に導入された音声認識システムのことがTV新聞などで報道されました。
 そこで、何故、パソコン通訳・パソコン要約筆記ではなく音声認識システムなの?という疑問が湧きました。
 少なくとも自分が知っている知識の範囲内では、議員活動のためにはパソコン通訳・パソコン要約筆記の方が良いかと思われたからです。それとも知らないうちに最近の音声認識システムはそんなに精度があがったのか?とも思ったのですが、そうでもないようで…。そのことに関して少々書き込みます。もちろん私が理解している範囲となります。私の誤解などがあればご指摘ください。
 参考までに、斎藤さんは手話は出来ませんから情報保障として手話通訳という選択肢はありません。

  音声認識システムとパソコン通訳・パソコン要約筆記を簡単に説明し比較していきます。
 まず音声から文字への変換。つまり斎藤さん以外の議員などの発言をどう文字化するかという点です。
 音声認識システムからみていきます。議会運営に則して言えば、他の議員などの発言が斎藤さんのパソコンに文字で表示されるシステムということになります。但し誤変換も多く、喋り手が複数の場合は誤変換も増します。一人に限定し、しかも発音明瞭であれば誤変換は軽減されますが、なくなるわけではありません。
 次にパソコン通訳・パソコン要約筆記。他の議員などの発言をパソコン通訳者・パソコン要約筆記者がキーボード入力していきます。その結果が斎藤さんのパソコンの表示されます。例えば2人が分担して入力すればほぼ100%の発言を文字化することができます。機械と違う点は間違っても訂正が出来る点です。入力者の2人だけでずっと入力し続けるのは困難ですので、交代要員としてさらに2人。計4名が理想ということになるかと思います。求められる内容、入力時間、予算に応じて人数を減らすということも考えられます。場合によっては計2名、あるいは3名ということもあるかと思います。
 2つを比較するともう圧倒的にパソコン通訳・パソコン要約筆記の方が情報が正確に伝わるということになります。また人間がやる作業ですので、相談して日々斎藤さんが読みやすい知恵と工夫を盛り込んでいくこともできると思います。

 次に文字から文字への変換。あるいは文字から音声への変換。つまり斎藤さんが入力したデータを他の議員などにどう理解してもらうかという点です。斎藤さんの入力速度の問題はとりあえずおいておきます。
 音声認識システムの場合は、斎藤さんが入力したデータを機械が読み上げるということになります。こちら側は誤変換はあまりないと思います。機械的な口調は致し方ないでしょう。漢字の読み方などに問題があるのかもしれませんがそのあたりはよくわかりません。元々はローマ字かかなで入力するわけですから、それをもとにしているのなら漢字の問題はあまりないのかもしれません。
 次にパソコン通訳・パソコン要約筆記を導入した場合。斉藤さんの入力したデータを何らかの形で他の議員に文字情報として読んでもらう。あるいは誰かがその文字情報読み上げるということになります。
 どちらかが圧倒的に良いということではないかと思います。

 つまり情報を正確に伝えるということで考えると、どう考えてもパソコン通訳・パソコン要約筆記の方が優れているとしか思えません。では何故音声認識システムが導入されたのでしょうか?お金の問題でしょうか。それとも人員が確保できないのでしょうか?報道によると音声認識システムの導入は(スポーツ報知によれば)400万円だったようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150525-00000291-sph-soci

 記事によると、手話通訳は年間約700万円かかるということのようです。しかし斉藤さんには手話通訳は無効なはず、何故比較として手話通訳に言及されているのかはよくわかりません。パソコン通訳・パソコン要約筆記の予算に言及した記事は、探した限りは見つかりませんでした。記者会見で誰かが質問すれば答えがあったかもしれませんが、誰も理解しておらず質問もなかったということでしょうか?

NHKニュースwebによると「北区議会はおととしから障害者に対応した議会運営の方法を検討していて」ということのようです。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150525/k10010091271000.html
導入するなら、パソコン通訳・パソコン要約筆記ではなく音声認識システムという判断が既になされていたのでしょうか?

 実際議会で使用した後、NHKニュースwebで斉藤さんは以下のような感想を語っています。
 「不安はありましたが、無事に初めての議会を終えることができました。音声を文字に変換するシステムは当初より間違いが多いように思いましたが、隣の席の議員に間違いを教えてもらうなどして、大きな意味はつかむことができました」http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150526/k10010092441000.html
 大きな意味を掴むだけで議員活動って出来るものなのでしょうか?

 毎日新聞の記事でも大意しかつかめないことが書かれています。
 事務局は「大意はつかめるが、採決など大事な局面では職員がサポートします」と説明した。   http://mainichi.jp/select/news/20150526k0000m040050000c.html

 議会が始まる以前の斎藤りえさんのブログには以下のような言及があります。
 「どのくらい間違がなく、文字に変換されるのか」「どの程度、自然な声なのか」といった精度への不安は残りますが、議会事務局はじめ、他の議員のみなさんも議会活動に支障のない精度だと仰っており、技術の進歩のおかげであることも実感しています。
http://saitorie.com/blog/kusei/335/

 これを読むと議会主導で音声認識ソフトが導入されたということでしょうか?しかも甘い認識で。それとも大意がつかめれば議員活動には問題ないという認識なのでしょうか?
 議員活動のことはよくわからないので、ひょっとしたらそうなのかもしれません。

 しかし斉藤りえさんには、情報保障の権利者の代表者としての側面があります。斉藤さんもブログで述べられているように、聴覚障害者のなかには手話ではなく文字による情報保障を必要とされている方々が多数います。

 聴覚障害者の議員という立場となった以上、『大意』や80%ではなく100%を追及すべきだと思います。
 試験的にでもパソコン通訳・パソコン要約を導入し、比較したらどうでしょうか?そうしたうえで議会とともに併用を考えていってもよいのではないでしょうか?例えば音声認識システムは議会を傍聴したい聴覚障害者にとって、とても便利なアイテムでしょう。導入したものの有効利用を考えつつ100%の情報保障を追及していってほしいと思います。

 繰り返しになりますが、区議とはいえ議員になった以上は、情報保障の権利者の代表者としての立場からは逃れられないと思います。

 大変かもしれませんが頑張ってほしいと思います。

 ちなみに兵庫県明石市市議となった家根谷敦子さんには手話通訳がつき議員活動をされているようです。 

(追記)
その後、斉藤さんは音声認識ソフトの一つであるUDトークを試されたそうです。
UDトークの側からの申し出があったようです。
私自身、UDトークのことは知っていましたが他の音声認識ソフトとの違いなどはあまり把握していませんでした。
いっしょに体験した斉藤さんの先輩議員音喜多俊さんの言葉を借りれば、

「基本的に、音声認識は完璧に行うことは現時点では難しい」という考え方のもと、親機として登録したPCから即座に誤変換を修正することができ、それが各人のスマートフォンやタブレット等の画面に共有されるというスグレモノ。

ということのようです。
私も早速iPhoneにインストールしました。個人的な利用法としては原稿などの下書きに利用できそうだと思いました。但し滑舌よくしゃべらないとへんてこりんな変換になりまが、そのあたりの改善も進んでいるようです。

UDトークのHp    http://udtalk.jp/

斉藤さん、音喜多さんのブログにも体験談が書き込まれています。

斉藤りえさんのオフィシャルブログ http://saitorie.com/blog/etc/375/

おときた駿さんのブログ http://otokitashun.com/blog/daily/7573/


精神障害者のフットサルを初めて見た!

2015年05月30日 | ソーシャルフットボール

 先週、精神障害者のフットサルを初めて見た。
5月21日に開催された『東京都精神障害者フットサル大会2015』。
障がい者サッカー協議会に名を連ねている7団体で唯一全く肉眼で見たことがない競技で、モヤモヤ感がたまっていたのでいい機会だと思い見学させてもらった。

 初めて見たというくらいなので精神障害のフットサルには当然詳しくない。まあ個人的な雑感ということでお読みください。
精神障害全般に関しても詳しくはないのですが「精神科病棟転換型居住系施設に反対する」といった内容のDVDを作る機会があり、少しは勉強しました。興味のある方は是非どうぞ。
http://www.jdnet.gr.jp/guide/Publication/yarebadekirusa.html

 
 大会はエンジョイするなかで勝利を目指すといった感じで、全国大会につながるガチンコの予選は別日にあるとのことだった。
(後日、既に東京都の予選が行われた。今年は第1回の全国大会となるので予選ももちろん初めてである)
見学した大会には17チームが参加。17チームが3つのグループに分けられ最初にグループリーグ、その後上位、中位、下位の3つのトーナメントに別れるという流れで、各チームが満遍なくプレーできるように考えられていた。また東京の場合は事業所を母体としたチームが多いようで、他の地域では病院を主体にしたチームが多いそうだ。

 試合を観始めてまず思ったのは、組織化されてているチームとそうでないチームの落差。要するに指導者(少々語弊がある言葉だが)がいるかどうかという違いで、後から聞いた話だと、職員でたまたまサッカー経験者がいるかいないかの差ということのようだった。
 組織化されていないチームのほうはそのへんでよく見かける草フットサル状態、もちろんみんな楽しそうだ。上手い人もなかにはいた。そんな選手のなかにはまわりが思い通りに動いてくれないことにより欲求不満になっている人もいるのかもしれないが、そのあたりのことはよくわからない。
 組織化されているチームは技術的にはあまりうまくなくともオフ・ザ・ボール、ボールのないところでも有機的に動けていて、そちらの方がより高みの楽しさを感じているようにも思えた。指導者である職員も、選手たちの個性をいかすことを心掛けているようではあった。なかには職員に対して少々うざい(愛着を込めて?)と思っている人もいたのかもしれないが。
この大会では職員も1名だけなら出場できたようで、少々異質な人がピッチ上にいるという印象もあった。 精神障害だからこういうプレーになるというようなことはあまり感じられないのだが、(語弊はあるかもしれないが)顔を見るとそうなのかなと思う人はたくさんいた。街中で見かけたら全く気がつかないかもしれないし、私のある種の先入観かもしれない。

 面白かったのは6人目の動き。5人でやるフットサルで6人目って何?って感じだが、女性が入れば6人でプレーすることが認められている。最初に観た試合でも、6人目の女子選手が常に前線で待ち構えていて右サイドからのグラウンダーのアーリークロスをダイレクトで見事にゴールに蹴り込んだ。(電動車椅子サッカー関係者にしかわかりませんが、その瞬間『おー、みどちゃんだ!』と思いました)。その選手にはその後も注目していたのだが、その後はあまりジャストミートしなかった。たまたまだったのかな。
ちなみに女性が入ったら6人までOKという特別ルールは、日本独自のものだそうだ。女子も入りやすいと言えるが、女子だけではチームが組めないとも言えるかもしれない。

 参加していた選手たちは、精神障害といっても様々で、統合失調症、躁や鬱や双極性障害、発達障害、薬物依存等々。一般的には精神障害の範疇に入れて良いか意見の分かれるものもあるようだ。 障害者スポーツにはリハビリ的な側面とガチンコ勝負的な側面がある。 フットサルという流動的なチームスポーツではコミュニケーションをとることなしにプレーすることは出来ないわけで、リハビリに適しているとも言えるのかもしれない。選手によっては、フットサルのレベルなど関係なくピッチに立っていること自体が相当なリハビリとなっている人もいるだろう。もっと言えばフットサル場に来ること自体がリハビリになっている人もいたのかもしれない。また別の選手は勝つための戦術(そんなに大げさなものではなくとも)を理解し、ある意味一つの社会とも言えるピッチ上で自らの役割をこなし一つ一つのプレー選択していくことを通してリハビリにつながることもあるだろう。まあ要するに、ガチンコ勝負だからこそリハビリにつながるということもあるだろうということだ。
  精神障害のリハビリの先にあるものは就労などの社会復帰ということだろう。通院しながらという場合もあるだろうし、場合によっては通院する必要がなくなり手帳を返納する場合も少なからずはあるのだろうか。その場合は精神障害フットサルを『卒業』したということか。将来、精神障害のフットサル日本代表、あるいはサッカー日本代表チームなどか結成された場合、『卒業』した選手たちは代表に選ばれる資格を失うということになるのだろうか。それは嬉しい悲鳴?
 また『卒業』した選手たちがクラブチームなどに残り、ロールモデルとしてともにプレーし続けることの意義も大きいかもしれない。
(クラブチームという形態をとっているチームも数は少ないがあるようだ)

 日本ソーシャルフットボール協会のHPには「サッカーやフットボールを通じて、人とつながり、社会とつながり、世界とつながること」という言葉が書かれている。(ひょっとしたらサッカーやフットサル?まあそれはともかく)
主語は精神障害者だと思うが、『健常者』である私自身もサッカーを通じて、出会うはずのない人と出会い、出会うはずのない社会、そして世界とつながってきた。サッカーがつなげてくれたとも言えるのだが。例えば知的障害者サッカーの選手たちを撮影で訪れた際、どうしたら良いかわからなくなった時はただボールを蹴りあっていた。そこから始まった。
 「障がいのある人もない人も、ともに…」という言葉はとっても苦手なのだが、精神障害者と『健常者』が偏見なくフットサルが出来る状況が形作られれば、素晴らしいとは思う。そしてまた精神障害者のみで構成されるチームの存在意義も大きいと思う。

 なんだかちょっとよくわからなくなってきた。見た以上のことを書き過ぎました。


 7月には全国大会へつながる関東予選があるそうで、今度はガチンコ勝負を観戦したい。
 第1回ソーシャルフットボール全国大会は10月3日(土)~4日(日)、名古屋で開催予定。
 日本ソーシャルフットボール協会HPは http://jsfa-official.jp/index.html