自動車事故で片足を切断する大怪我を負った女優叶世久美子と、偶然事故現場に駆けつけ、彼女を救助したプロダクト・デザイナーの相良郁也。30代の男女が主人公の物語です。
事故の後で、相良郁也は、ひょんなことかあ久美子の義足を作る仕事をまかされます。健常者がうらやむような義足を作りたい、そのような思いを共有しながら二人は愛をはぐくんでいきます。
平野啓一郎は、物語の最後で「愛」について次のように書きます。
「彼はこれまで、自分という人間を愛したことがなかった。彼は今、久美といるときの自分が好きだった。」
「なぜ人は、ある人のことは愛し、別のある人のことは愛さないのか? 愛とは、相手の存在が、自らを愛させてくれることではあるまいか? 彼は今、誰よりも久美を愛していた。そして、彼女の笑顔が、自分の傍らにある時こそ、最も快活であって欲しかった。彼女にとっての自分が、そういう存在でありたかった。」
心と体に傷を持つもの同士の「愛」による再生の物語ですが、「決壊」で、一切の救いも希望もない世界を描いてみせた平野だからこそ、この小説を書くことの意味があると思いました。
読み終わって、ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの復活を思い出しました。
事故の後で、相良郁也は、ひょんなことかあ久美子の義足を作る仕事をまかされます。健常者がうらやむような義足を作りたい、そのような思いを共有しながら二人は愛をはぐくんでいきます。
平野啓一郎は、物語の最後で「愛」について次のように書きます。
「彼はこれまで、自分という人間を愛したことがなかった。彼は今、久美といるときの自分が好きだった。」
「なぜ人は、ある人のことは愛し、別のある人のことは愛さないのか? 愛とは、相手の存在が、自らを愛させてくれることではあるまいか? 彼は今、誰よりも久美を愛していた。そして、彼女の笑顔が、自分の傍らにある時こそ、最も快活であって欲しかった。彼女にとっての自分が、そういう存在でありたかった。」
心と体に傷を持つもの同士の「愛」による再生の物語ですが、「決壊」で、一切の救いも希望もない世界を描いてみせた平野だからこそ、この小説を書くことの意味があると思いました。
読み終わって、ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの復活を思い出しました。
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