1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「マリアビートル」(伊坂幸太郎)

2011-02-26 19:14:42 | 
アルコール依存症の元殺し屋「木村」。人の心の弱みに付け込み、他者を支配することに喜びを見いだす中学生「王子」。ドストエフスキーが大好きな「蜜柑」と機関車トーマスのが大好きな「檸檬」。悪運につきまたわれた「七尾」。毒針で一瞬にして他者を殺害してしまう「スズメバチ」などなど。東京から盛岡に向かう新幹線に乗り合わせた殺し屋たちが、持てる力を尽くして、密室の中で殺しあうというお話です。

ルワンダでの大量虐殺、戦争、国家による殺人である死刑。伊坂幸太郎は、悪の化身である中学生の言葉を通して、「どうして人を殺してはいけないのですか」という問いを私たちに投げかけます・・・これが、この本の隠れた主題なのだと思う。

そして、最後に、この小説に登場するただ一人の普通の人である塾教師の言葉を通して、次のように答えます。

「殺人を許したら、国家が困るんだよ。たとえば、自分は明日、誰かに殺されるかもしれない、となったら、人間は経済活動に従事できない。そもそも、所有権を保護しなくては経済は成り立たないんだ。そして、『命』は自分の所有しているもっとも重要なものだ。そう考えれば、まずは、命を保護しなくては、少なくとも命を保護するふりをしなくては、経済活動が止まってしまうんだ。だからね、国家が禁止事項を作ったんだよ。殺人禁止のルールは、その一つだ。重要なものの一つ。そう考えれば、戦争と死刑が許される理由も簡単だ。それは国家の都合で、行われるものだからだよ。国家が、問題なし、と認めたものだけが許される。そこに倫理は関係ない。」

「国家が困る」・・・この言葉を読んだとき、独裁政権打倒のためにデモで立ち上がった市民たちを、傭兵を使って殺戮しているリビアの姿が頭に浮かびました。そして、フィクションの世界から、現実の世界へと急降下していくような気持ちになりました。

伊坂幸太郎は、この本の題名「マリア・ビートル」について、次のように書いています。

「レディ・ビートル、てんとう虫は英語でそうよばれている。その、レディとは、マリア様のことだ、と聞いたことがあった。マリア様の七つの悲しみを背負って飛んでいく。だから、てんとう虫は、レディ・ビートルと呼ばれる。」

国家の暴力によって、無慈悲の撃ち殺されていく一人ひとりの市民の存在が、とても悲しいと思った一冊。伊坂幸太郎を読んだ後にいつも感じる爽快感は、さすがに今回は伝わってこなかった。