1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「善き人のためのソナタ」&「君の涙ドナウに流れ」

2009-03-23 20:48:59 | 映画
 この連休で旧社会主義国での民衆への弾圧を描いた二つのDVDを見ました。一つは、ハンガリー民衆の悲劇を描いた「君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956」。1956年、ハンガリー民衆は、ソビエト・ロシアの抑圧に抗して立ち上がります。表現の自由、工場での自主管理と労働組合結成の自由、農地の私有と耕作の自由など、当たり前の要求を掲げた闘いなのですが、ソビエト・ロシアは戦車と圧倒的な軍事力で圧殺してしまいます。映画は、学生運動の活動家の女性とオリンピックを目指す水球選手との出会いと別れ、銃弾によって倒れていく民衆の姿を通して、ハンガリー民衆の悲劇を描いています。


   


 そしてもう一つは、1984年の東ドイツにおいて、民衆への監視と反体制活動家の弾圧を担ってきたシュタージュ(国家保安局)の実態と、自由への民衆の希求をえがいた「善き人のためのソナタ」。シュタージュの職員である主人公は、著名な劇作家と恋人が反体制活動を行っている証拠をつかむために、24時間の盗聴と監視を続けます。監視と盗聴という行為を通して、映画は、表現の自由すらなく、自由と尊厳を求める人びとを自殺へと追い込んでいく東ドイツ社会の実態を明らかにしていきます。
 24時間の盗聴を続ける中で、主人公は、権力を利用して劇作家の恋人の性を凌辱しスパイになることを強要する腐りきった大臣や、官僚組織での出世のためには部下を踏みつけにする上司の姿、そして権力の手先として働き、ストレスを売春婦を抱くことで発散している自分の姿へ疑問を感じはじめます。そして東ドイツの実態を世界に伝えようとする反体制活動家たちの活動に共感を覚えるようになります。
 反体制活動の証拠をつかんが主人公は、はたして、どう行動するのか?権力の手先として生き続けるのか、自由と尊厳を求める人たちとともに生きようとするのか?スリリングな展開で物語は進んでいきます。


   

 二つともとても重たい映画でした。むきだしの暴力によって(ハンガリー)、真綿で首を絞められるような監視と精神への拷問によって(東ドイツ)、自由と尊厳をもとめる多くの命が失われてきたのですね・・・とてもせつなかったし、歴史の重さを感じないではおれません。

 映画の面白さとしては、「善き人のためのソナタに」、一票。

 二つの映画を見ながら、僕は、「悪童日記」を書いたアゴタ・クリストフのことを思い返していました。「ハンガリー動乱」では、数千人が死亡し20万人以上が亡命したといわれています。アゴタ・クリストフも西側に亡命した一人です。彼女は、「悪童日記」のなかで、自分の文体について次のように語っています。

「感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その種の言葉の使用を避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうが良い。」

 あまりの悲しみに直面したとき、こころがこわれてしまわないように、しっかりと生きていくには、感情をひとまずはカッコに入れて、客観的な事実として物象や人間や自分自身をとらえかえす必要があったのかもしれません。それぐらいに、アゴタ・クリストフの悲しみは大きいのだと思いました。