1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「光の帝国」(キム・ヨンハ)

2009-03-15 08:05:52 | 
「光の帝国」(キム・ヨンハ)を読みました。作者のキム・ヨンハは「私の頭の中の消しゴム」の脚本家として知られています。ソウルに潜入している北の工作員の物語です。潜入してから20年、小さな映画輸入商を経営しながら、学生時代に知り合った妻と娘とのささやかな生活を送っている主人公のもとに、突然、即時帰還命令が届きます。

なぜにいまごろ即時帰還命令が届くのか?帰国すれば抹殺されてしまうのではないか?自分が工作員であることがみつかったのではないか?ソウルでの生活が人生の半分をこえてしまった主人公の苦悶が始ります。

はたして主人公はピョンヤンに戻るのか?工作員であることを打ち明けられた妻はどうするのか?80年代の韓国と現在の韓国を背景にしながら、物語はスリリングに展開していきます。


「運命の主人公」として自力で築き上げてきたささやかな生活が、より大きな力によって奪われ、歪められていくことに対する憤り。「ピョンヤン生まれの工作員としての自分」と「ソウルで暮らす映画輸入商としての自分」に引き裂かれていくアイデンティティー。安定的なものと信じていた人生が、ある日突然土台から崩れていく不安と恐怖。これらの問題、決して人ごとではないです。

この本を読みながら、吉野弘の「I was born.」という詩を思い出しました。

――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――

受身形でうまれ、大きな関係性の中にとらわれながら、人生の主人公として能動的、主体的に生きていこうとすることの苦闘とかけがえのなさ。

この本の表紙には、夜の空の下に昼の風景を描くマグリットの「光の帝国」が使われています。「受け身形」と「主体性」。「工作員」と「映画輸入商」。「生」と「死」、「男性性」と「女性性」などなど。相反する二つのものを心に統合しながら、生きている私たちの姿を象徴しているように思いました。