足指負傷と悪天続きという不都合な事情により、なかなか新しい仲間のP950くんの試し撮りが叶わなかったが、きょうは日差しがもどり始めたので、広瀬河原に散歩に出てみた。
オオハクチョウが10羽ほど、オナガガモ、コガモ、マガモ、キンクロハジロがいつも通り遠い北国からやってきてくれていた。ほんの少数派だが、赤いオメメのホシハジロも数羽混じっていた。これから彼らは数を増してくるのだろう。オオハクチョウは前季30羽ほどの集団を形成していたが、今季はどうだろうか。定期的に観察を続けなければならない。
日差しはあるが、まだ北風は強く、歩く向きに寄っては、帽子を飛ばされないように頭を押さえながら歩く。
河畔の木陰で、いつもどおりブレークタイムの鳥たちがいる、風が来る方向に体を向けるが、首は反対に帰して羽に顔を半分埋めて、まるで楕円形と化している。この形が風の抵抗を受けず、体温の低下をふせいでいるのだろうか。休んでいてもオメメを虚ろに開いているのは、天敵からの防御態勢か。
P950くん、前任のp900よりファインダーがとても見やすくなり、双眼鏡いらずかもしれないし、解像力も数段レベルが上がって、G3Ⅹくんよりも望遠効果が大きいので、これからよき「観察の友」となりそうだ。
冬鳥たちの観察、さあ、はじめよう。
コガモ♂君 お腹の羽ぎわ、緑とピンクが美しいね
ホシハジロ♂くん
日本百名山 MY SONG 43 浅間山(あさまやま・2568米)
【深田久弥・日本百名山から】
「東京へ遊学以来、休暇毎に私は何十回この山の裾を通ったことだろう。それはいつも膨大な容積(マス)で、独占的な形で、曝け出しの肌で、そして頂にはいつも薄い煙を吐いていた。汽車の窓からこんなに眼近く、高く、大きく、秘密なげに仰がれる山は、他に例がない。」
「日本中部の山に登る人は、それがどこの山であろうと、そこから浅間山を見逃すことはないだろう。」
「逆にこれほど四方の山を眺める高展望台はないだろう。日本アルプス、秩父、上信越、日光、ほとんどの山を指顧することができる。」
「私が初めて浅間に登ったのは、高等学校一年生の夏であった。・・・・・・・絶頂の火口壁で噴煙に襲われて逃げまどったことを今でもおぼえている。」
絶頂の煙に追われ逃げまどふ青年久弥に浅間は笑ふ
【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】
2007年6月末から7月初めにかけて、オイラはレンタカーで草津白根山、四阿山、霧ヶ峰車山登山のためレンタカーにテントを積んで駆けずり回っていたことが「小石の記録」から分かり始めたが、小石はないが、おそらく同じエリアで未登頂だった浅間山にもこのタイミングで登ったと思われる。
あの連合赤軍事件を思い出させる浅間山荘(事件の山荘とは無関係)まえに車を駐車させ、当時も登頂が許されていた前掛山(2524m)までを日帰り往復している。湯の平というところまでは気持ちの良い森林を歩き、そこから全く表情を変えた火山岩と砂礫の中をひたすら上り詰めて、山頂噴火口からの吹きあがる噴煙をながめて早々に往路を下った。
このレンタカーで百名山を登ったほかの山が無いか地図を眺めたが、この四座だけみたい。おそらく、上田駅か茅野駅でレンタカーを借りた可能性が高いが、四阿山に向かう途中、湯ノ丸峠に車を止めて満開のレンゲツツジ花咲く高原を歩いたこと、標高1600mの霧ヶ峰にキャンプして、近くのクロスカントリーコース(フカフカのウッドチップが敷き詰められた周回ランニングコース)で高地トレーニングと洒落たことを思い出した。当時はまだ、7月末に開催される富士登山競争にエントリーしていた時期であり、毎日登山をした上に、ランニングも怠らなかった。元気だったな。
浅間根の外輪山に旧街道落葉松の秋老いて歩かむ
NHKBSP「グレートトラバース3」から