かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

強い北風へのお昼寝対策

2022-12-26 19:12:21 | 日記

足指負傷と悪天続きという不都合な事情により、なかなか新しい仲間のP950くんの試し撮りが叶わなかったが、きょうは日差しがもどり始めたので、広瀬河原に散歩に出てみた。

オオハクチョウが10羽ほど、オナガガモ、コガモ、マガモ、キンクロハジロがいつも通り遠い北国からやってきてくれていた。ほんの少数派だが、赤いオメメのホシハジロも数羽混じっていた。これから彼らは数を増してくるのだろう。オオハクチョウは前季30羽ほどの集団を形成していたが、今季はどうだろうか。定期的に観察を続けなければならない。

日差しはあるが、まだ北風は強く、歩く向きに寄っては、帽子を飛ばされないように頭を押さえながら歩く。

河畔の木陰で、いつもどおりブレークタイムの鳥たちがいる、風が来る方向に体を向けるが、首は反対に帰して羽に顔を半分埋めて、まるで楕円形と化している。この形が風の抵抗を受けず、体温の低下をふせいでいるのだろうか。休んでいてもオメメを虚ろに開いているのは、天敵からの防御態勢か。

P950くん、前任のp900よりファインダーがとても見やすくなり、双眼鏡いらずかもしれないし、解像力も数段レベルが上がって、G3Ⅹくんよりも望遠効果が大きいので、これからよき「観察の友」となりそうだ。

冬鳥たちの観察、さあ、はじめよう。

 

 

   

          コガモ♂君 お腹の羽ぎわ、緑とピンクが美しいね

 

   

             ホシハジロ♂くん

 

 


日本百名山 MY SONG  43 浅間山(あさまやま・2568米)

【深田久弥・日本百名山から】

「東京へ遊学以来、休暇毎に私は何十回この山の裾を通ったことだろう。それはいつも膨大な容積(マス)で、独占的な形で、曝け出しの肌で、そして頂にはいつも薄い煙を吐いていた。汽車の窓からこんなに眼近く、高く、大きく、秘密なげに仰がれる山は、他に例がない。」

「日本中部の山に登る人は、それがどこの山であろうと、そこから浅間山を見逃すことはないだろう。」

「逆にこれほど四方の山を眺める高展望台はないだろう。日本アルプス、秩父、上信越、日光、ほとんどの山を指顧することができる。」

「私が初めて浅間に登ったのは、高等学校一年生の夏であった。・・・・・・・絶頂の火口壁で噴煙に襲われて逃げまどったことを今でもおぼえている。」

 

      絶頂の煙に追われ逃げまどふ青年久弥に浅間は笑ふ

 

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲

2007年6月末から7月初めにかけて、オイラはレンタカーで草津白根山、四阿山、霧ヶ峰車山登山のためレンタカーにテントを積んで駆けずり回っていたことが「小石の記録」から分かり始めたが、小石はないが、おそらく同じエリアで未登頂だった浅間山にもこのタイミングで登ったと思われる。

あの連合赤軍事件を思い出させる浅間山荘(事件の山荘とは無関係)まえに車を駐車させ、当時も登頂が許されていた前掛山(2524m)までを日帰り往復している。湯の平というところまでは気持ちの良い森林を歩き、そこから全く表情を変えた火山岩と砂礫の中をひたすら上り詰めて、山頂噴火口からの吹きあがる噴煙をながめて早々に往路を下った。

このレンタカーで百名山を登ったほかの山が無いか地図を眺めたが、この四座だけみたい。おそらく、上田駅か茅野駅でレンタカーを借りた可能性が高いが、四阿山に向かう途中、湯ノ丸峠に車を止めて満開のレンゲツツジ花咲く高原を歩いたこと、標高1600mの霧ヶ峰にキャンプして、近くのクロスカントリーコース(フカフカのウッドチップが敷き詰められた周回ランニングコース)で高地トレーニングと洒落たことを思い出した。当時はまだ、7月末に開催される富士登山競争にエントリーしていた時期であり、毎日登山をした上に、ランニングも怠らなかった。元気だったな。

 

     浅間根の外輪山に旧街道落葉松の秋老いて歩かむ

 

 

      

           NHKBSP「グレートトラバース3」から

コメント

美しき銀河団はエリダヌスどこに

2022-12-23 15:32:51 | 日記

MACS J0416 と名付けられた二つの銀河団がいままさに衝突しかかっているのだという。その銀河団はエリダヌス座の方角にあって、その距離は、430万年光年、その質量はなんとわが天の川銀河の420倍もあるとのことだが、科学者はまだ衝突には至ってないということを証明している。

といわれても、いったい何が起きているのか想像がつかないけれども、ハップル望遠鏡でとらえられたその映像は、ただただ美しく、それらが、八重山で撮影した長大なエリダヌスのどこいらへんにか漂っているかと思うとそれだけでいい。ワレワレハ、始めと終わりの間を漂っているにすぎない。

 

     

           2019年に石垣島で撮影したエリダネス座とα星のアケルナル

           といっても線を引かないと分からないのがエリダネスの長大な河  

     

 

     

 

GIZMODOから

 

      

 

 

 

 

 


 日本百名山 MY SONG 42 四阿山(あずまやさん・2354米)

【深田久弥・日本百名山から】

「菅平へスキーに行った人は、正面にそびえた二つの山を覚えているだろう。四阿山と根子岳。あれがなかぅたら菅平の値打ちはなくなる。」

「上信越国境では、浅間を除けば、最高の山である。」

「近頃は四阿山など誰もあまり見向きしなくなったようだが、私たちのような山のオールド・ボーイズにとっては、草鞋や脚絆で山登りをした者にとっては、必ず上るべき山であった。」

「この古くから名高い山を私は久しく登り残していたが、ようやく三月中旬スキーでその頂上に立つことが出来た。」

「風がつめたく、頂上にゆっくりしておられなかった。しかしスキーのシールを剥ぐ間も、私の眼は周囲の大観から離れれなかった。」

 

    四阿の三月の風荒ぶるもオールドボーイズ立ち去りがたし

 

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

日本百名山を集中的に登っていた2007年、小石の記録から7月1日に登っている。この山の登山口への道は暗くなっていたので車を走らせていたオイラは迷った。平ヶ岳登山の記録で誤解していたが、沖縄から帰った2006年以降は、オイラはマイカーを持ち合わせていなかったので、レンタカーを利用していた。

何とか辿り着いた菅平の登山口でテントを張り、翌朝まだ暗いうちに根子岳(2207m)経由で頂上をめざし、中四阿、小四阿を周回している。多分、午前中には戻っているのだろう。小石の記録では、その日のうちに霧ヶ峰の車山に登頂しているので、急いでいたのだろう。

レンゲツツジの点在する菅平から根子岳の登りでは、薄明から日の出まで、ひっきりなしにカッコウの鳴き声を聞いていたし、ときおり姿も見つけて、カッコウとの登山を楽しんだ。15年たっても、いまだその時の光景と初夏の高原を気持ちよく登っていたことをよく覚えているのは、カッコウさんのせいだろう。

ただ、山頂でもよく晴れていたと記憶しているが、その日の山岳展望がどうだったのか、まったくと言って頭に残っていないのは残念。それほど、忙しく百名山ハントをしていたのだろう。その余裕のなさには、重ねて残念。

   四阿の山路に陽光さしつつもカッコウカッコウまだ霧のなか

 

      

               根子岳から四阿山スケッチ (2020ヤマケイ新年号写真を編集)

コメント

2023もう一つの計画 岩手山に銀河鉄道を描くこと

2022-12-22 18:19:57 | 日記

北に山を置いて、北極星を中心にした日周運動を撮影することに課題を置いた。

だが、岩手山を西に見る撮影スポットの焼け走り一体、オイラはここから月のない晴天の夜に、岩手山にかかる天の川銀河と白鳥座のデネブこと座のベガ、わし座のアルタイルらを結ぶ「夏の大三角」を写したいとかねてより願っていた。

天体観測手帳と国立天文台「今日のほしぞら」で調べてみると、例えば2023年9月15日前後が絶好の機会である。いわば、賢治さんが描いた銀河鉄道のルートと岩手山が重なる絵をとらえることが出来よう。

もちろん、寒さの和らいだ5月から10月ころまでは、月一間隔で撮影チャンスが訪れようが、9月は時刻が20:00頃なので、「最適」だろう。

後はお天気次第であるから、5月からの適期を手帳に書き留めておいてチャンスを待とう。

「日周運動」と「天の川銀河」、山にはよく似合う。

 

 

     SkyView

       国立天文台「今日のほしぞら」 盛岡 2023.9.15 20:00

 

     

              2020.9.5未明 岩手山にかかる月と火星

 

     

         2020.8.18日光湯元 南西方向に天の川 左下方に木星と土星が並ぶ

 

              


 日本百名山 MY SONG     41 草津白根山(くさつしらねさん・2171米)

【深田久弥・日本百名山から】

「草津白根は絶頂を極めて快哉を叫ぶといった山ではない。顕著な頂上らしいものもない。火口をめぐり一高一低の稜線が連なっていて、その最高点が頂上とは言うものの、この山の特色は頂上よりむしろ、断崖をなした火口壁や火口湖にある。」

「近年軽井沢から万座にバスが通じ、草津からも大きな道路が伸びている。スキーが盛んになって、弓池付近までケーブルがついた。そのうち草津白根一帯は、花やかな、しかし俗っぽい観光地の賑わいを呈することは必定である。」

    森としていただきの道閉ざされし草津白根に休暇のごとく

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

草津白根山を代表する観光スポット「湯釜」には、昭和53年(1978年)ころ最初の職場の慰安旅行で行っているので、長いこと草津白根山は登頂済みと考えていたが、最高峰本白根山(2174m)の探勝歩道の最高点?が山頂ということを知って、残り百名山を集中的に登っていた2007年6月30日(山頂付近の小石から判明)にその歩道を通って三角点まで行ってきている。

山容があいまいでダラダラした歩道を歩いており、いわゆる達成感というものはなかったが、火山性の砂礫地に美しいコマクサのピンクが点在していて心が慰められた思い出がある。

今日まで知らなかったが、深田さんの文章にもある通り、ふもとの万座温泉は年間営業で一番高いところ(1746m)にある温泉街ということだ。いまさらながら地図を見るとこの山域に芳ヶ平という広大な湿原地帯がある。草津から登って芳ヶ平に立ち寄り、湯釜方面まで歩き万座温泉へ下る名湯をはさんだ静かな旅もまたいいのだろう。高層湿原と世に聞こえた名湯には、山歩きを交えて立ち寄ってみたいし、味気なく登ってきた草津白根の価値をあらためて見出したい。

なお、現在この前の噴火により本白根山探勝歩道は立ち入り禁止となっている。2007年に歩けて良かったとつくづく思う。

 

     雪こんこ草津白根の砂礫地のこまくさ眠れ砂の深くに

 

 

     

           NHKBSP 「グレートトラバース3」より

 

       

 

コメント

2023年・北の星を狙え!

2022-12-21 18:05:37 | 日記

2022年末、図書館で偶然出会った山岳星夜写真家の菊池哲男さんと藤田弘基さんの写真集に刺激を受けて、もう一度山と星をテーマにした写真に挑もうと思っている。2023年のテーマは、「北の星を狙え!」である。

菊池哲男さん「アルプス星夜」のカバー裏の写真「槍ヶ岳と北極星を中心とする星の日周運動」と題された下記の写真の添え書きに、菊池さんはこう述べている。

「涸沢岳から槍ヶ岳を望むとほぼ真北に北極星がある。シャツターを時間を短くして止めてしまうと点でしかないので価値が分からないが、長時間露光により星の光跡を写し込むと、ほとんど動かないっ北極星の凄さが分かる。時間でも季節でもほとんど位置を変えない北極星は、太古の昔から方角を決める際の道しるべとなってきたのだろう。NIKOND700 NIKKOR14-20㎜/F2.8G F3.2 1014秒 ISO200(減感0.3EV) WB.オート」

対照となる山を北に見て、オイラがもっているNIKOND750を、上の撮影設定で撮影すれば、オイラにも下記のような素敵な映像に巡り合えるかもしれない。今のカメラでは、もう少し、感度を上げ、露出時間を短くした写真を何枚も重ね合わせたコンポジット合成で、もっと鮮明で明るい星の日周運動を作り上げることが出来るかもしれないが、菊池さんは銀塩写真家が撮った手法で一発勝負の一枚だけの写真にこだわっているようだ。まず、オイラもそれにならいたい。あのヤエヤマヒメボタルのときにやった下手なコンポジット操作はめんどくさいし不自然なような気もする。

「北の星を狙う」には、山を北にして向き合わなければならない。地図を活用し、撮影ポイントを決めよう。

岩手山ならば小岩井牧場または御神沢登山口から、鳥海山ならば湯ノ台温泉からなどと、その山と北極星が合致する地点を見つけておこう。

 

 

       

    菊池さんのご本を、カメラで撮って編集したので実際の作品とは異なります。勘弁してください。

 

 


  日本百名山 MY SONG          40 赤城山(あかぎさん・1828米)

【深田久弥・日本百名山から】

「赤城は、登山というより逍遥という言葉のあたる、大きなプレイ・グランドであって、その中心は、山上の火口湖の大沼(おの)である。それをめぐって黒桧山(くろびやま)、地蔵岳、鈴ヶ岳の三つが、鼎の形になっている。黒桧山が最高と言っても、湖畔から二時間とかからずその頂上に立つことが出来る。頂は草山で眺望はすばらしい。」

「上野から高崎までの車窓で、一番私たちを楽しませてくれるのは赤城山である。見事なのは、のびのびと裾野へ引いた稜線であって、おそらくこれほど大きな根張りは、他に例が少なかろう。しかも、それが少しのわだかまりも渋滞もなく、ゆったりと優美な線で伸びているさまは、胸がすくようである。」

 

   大沼(おの)小沼(この)の沼をめぐりて

    赤城なる山また山を逍遥(ぶらり)歩まん

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】  

赤城山には申し訳ないと思っている。2004年か5年ころ、ただただ百名山の一座をゲットしようという気持ちだけで、前泊した前橋市内から山上湖の大沼(おの)までバスに乗って、わずか2時間ばかりの歩きで最高峰黒檜山(くろびやま)山頂にいたり、大した感慨もなくそのまま次の皇海山に登るため、わたらせ渓谷鉄道の駅のある方向へいそがしく下っているからだ。赤城山の魅力をほとんど体験しないまま通過している。ただただ山に申し訳ないし、深田さんの言っていた「大きなプレイグランドでの逍遥」を味わっていない。

残った人生、行きたい山や行きたい山域が山のようにあり、オイラが今後赤城山に足を伸ばす機会はほとんどないのだろう。ただただ、申し訳ないと思っている。あとは、北陸新幹線などに乗った機会に高崎あたりから見えてくる「他に例を見ないようなのびのびとすそ野を引いた稜線」を脳裏にしっかりと刻んでいこう。

    指定席 行きも帰りも赤城山のすそ野見ゆ窓 缶麦酒

 

               

                                大沼と黒檜山(ヤマケイ新年号から・編集)

コメント

消毒用エタノールを燃料にして山に持っていこう

2022-12-20 14:07:36 | 日記

業務スーパーでは「菊川66」や「除菌アルコール78」など、手指やテーブルの消毒用エタノールが売られている。いずれも容量が1000㏄で500円以内で購入できる。

このアルコールが、キャンプで使用するアルコールストーブの燃料としてつかえる。

アルスト用燃料には、普通メタノール純度ほぼ100%(500㏄で500円程度)が市販されていて、それを使うのだが、メタノールは、ヒトを死にも追いやる「毒物」扱いなのでちょっと気が引けるアルコールだ。

その点、お酒の原料となるエタノールは、「消毒」にもなるのだし燃料として使えるのなら、山での手指の消毒や、負傷した時の消毒にもなるので、こちらの方が親近性がある。

ただし、現在純粋エタノールは、バイオで500㏄1000円以上するので、ちょっと燃やすには気が引けていた。それが、ネットで業務スーパーの消毒用アルコールでも、やや火力が落ちて、すこしだけススが出て、使用後に水が少し残るが、十分米の炊飯や湯沸かしに使えるとの情報を聞いたので、これまでオイラも試してきたが差し支えないことが分かった。

30CCさえあれば、一合程度の炊飯や、400CC以上の湯沸かしが支障なくできる。1回あたり15円程度と固形燃料の30円の半分のコストだ。

業務スーパーの「消毒アルコール」たち、これからも山で支えてくれるだろう。(薄めて酒の代わりに代用しようなんて決して思いません。)

 

 

           

 

買ったばかりのエバニューチタンクッカー600にぴったり収まるサイズの日清ラ王を、「消毒エタノール」でたいて、昨夜の夕餉の友とした。山には、袋を外して何個か持っていこう。

 


 

  日本百名山 MY SONG             39 武尊山(ほたかやま・2158米)

 

【深田久弥・日本百名山から】

「私がまず武尊山にはなはだしく惹かれたのは、そんな人間臭い山でなく、素晴らしい立派な自然としてであった。上越国境から、例えば谷川岳の上からでもいい、東の方を臨むと、長大な城壁のような山が見える。それは一つの抜きんでたピラミッドとか特異の独立峰として注目されるのではなく、その大きな壁全体として私たちの眼を驚かすのである。」

 

    六月の武尊のやまの日は永し深田夫妻の声して残照

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】  

2004年ころに赤城山~皇海山~至仏山~武尊山の百名山4座旅行の最後の山。至仏山から奈良俣ダム方向に下りてきて、バスで上ノ原登山口近くまで行って、時間的には登山口の駐車場あたりでテント泊したのだろう。どうも記憶がない。長い山歩きで意識もうろうとしていたのだろうか。

翌朝、最高峰の沖武尊に立って、剣ヶ峰山経由で裏見の滝方面に下り、水上駅から帰っている。ふもとの宝台樹キャンプ場に泊まってから翌朝水上駅に行ったのか、その日のうちに羽田空港近くまでいってビジネスホテル泊まって、翌朝の一便で石垣島にもどったのかこの辺の記憶も乏しい。が、飛行機の旅は、予約が原則なので後者の方だったかもしれない。水上で温泉に入ったという記憶がないので、バタバタと電車に乗ったのかもしれない。

武尊山で記憶にあるのは沖武尊と剣ヶ峰山頂を楽しんだことだけで、その過程の記憶が乏しいのは、やはり疲れていたのかもしれない。

深田さんは、1959年にご夫妻でオイラと同じ上ノ原からのんびり登り、家ノ串、前武尊と縦走し、苦労しながら川場尾根を下って、たぶん現在の武尊旭小屋に泊まって、翌朝川場温泉まで歩いている。この登山の様子は「わが愛する山々」に詳しいが、クサリ場やハシゴの危険個所がたくさん出てきて、志げ子さんの心胆を寒からしめたというくだりがあったので、オイラはそのコースを選択しなかったのだろが、深田さんが奥様を評されているように、オイラも天国の深田さんから「素人登山家」とイジられそうである。

 

    武尊山「沖」と「剣」のみ掠めゆき素人登山家休暇終えたり 

 

                 

                                 NHKBS1「グレートトラバース3」より

 

         

コメント