深田久弥さんの山岳紀行文集「わが愛する山々」所収の紀行文で、オイラが好きなのは「笊ヶ岳」(ざるがたけ)と「御座山」(おぐらさん・おぐらやま)である。
三百名山未踏峰空想(共有)登山が八ヶ岳周辺に進んできて、まず二百名山の「御座山」に行きあたって、改めてこの深田さんの御座山紀行を読み返してみた。
深田さんら三人の山おやじは、そのころすでに登山は大衆化していて、人気の山の人込みを避ける「避集登山」を実行すべく、人の歩かないような山とルートを選んだ。山旅はユーモアあふれる会話を交わしながらの楽しいもので、天気に恵まれたこともあって思う存分に山岳展望を楽しむ姿は、読者をこのうえない愉快な気持ちにさせてくれる。
「アンリ・ルソーの雲だね」と茂知君が空を見上げながら呟いた。
「税関吏(ドアニエ)の雲か」と不二さんは応じる。
いつの間にか、晴れた空に、ラグビーのボールのような大きな雲がポカリと一つ浮いていた。気象的にあまりいい兆せではない。
若かりし時、オイラはこの作品を読んで、晴れたブドー峠からどっしりした御座山を眺めながら、寝転んでこんな会話を交わすおやじ達の知性にあこがれたものだ。(そんな教養は終生身につかなかった・・・)
お気に入りの「御座山」を読んだからには、長い間この山に登ることは念頭にあったのだがいまだ果たされてはいない。この山の北側に二百名山「荒船山」もあり、この山の紀行文も深田さんで読んでいる。近いうちに計画しようか。新緑か深田さんらが登った紅葉の季節がいいな。
ヤマケイ文庫「わが愛する山」のカバー写真は渡邊怜さんの作品「秋の御座山」
深田さんの作品の中に現れた固有名詞にそって、地図アプリ「ジオグラフィカ」でルートを追ってみた。
65年前の道はすでに廃道となって消えたもの、舗装道路に上書きされたもの、すでにバスが走っていないものなど多々あるようで、何かしら無常感さえ漂ってきた。それにしても、車に乗らないのが普通だったあの時代、おやじ達は長い距離をよくも歩いたな。
今は舗装道路となって面影はないのだろうが、あの八ヶ岳を正面にしたカヤトの原の「ブドー峠」に立ってみたいな。(今の地図ではひらがなで「ぶどう峠」とある)
【深田さん一行の御座山の行程 1959年10月】
(1日目)
西武池袋~西武吾野駅~正丸峠越えバス~秩父駅(秩父鉄道?)~バスで納宮~楢尾沢峠越えで日向大谷(社務所泊)
(登山をした1959年時はまだ西武線は秩父まで伸びておらず、吾野駅からバスで正丸峠を越えて秩父に下ったとのこと)
(2日目)
日向大谷~両神山山頂~八丁峠~尾ノ内(旅館泊)
(3日目)
尾ノ内~志賀坂峠越え~間物(まもの)集落~オバンド峠~明家(みょうけ)集落~ハリマ峠~十国峠街道からバス
~乙父(おっち)集落(旅館泊)
(4日目)
乙父から小型トラック分乗で白井~別のトラック分乗で中ノ沢集落~ブドー峠~下新井(農家に泊)
(5日目)
下新井(農家ににお預け)~御座山山頂ピストン~坂上~バスで小海駅~小諸から夜行で東京へ
(下新井から御座山への登山路は現在廃道となっている)
かぜねこ三百名山未踏峰・空想(共有)登山
御座山(おぐらさん)・2112m・日本二百名山(№155)
八ヶ岳の東方に独立する鋭鋒。山頂が岩稜帯で360度の展望が得られる。今は南面の栗生登山口から登るのが近道のようだ。深田さんたちが歩いた道はもう廃道となっているんだよね。近道でいいから、近いうち登ってみよう。
「安涼奈の登山日記」提供ん
【御座山】期待せずに登ったら大絶景すぎた?!(栗生登山口~山頂ピストン)
素晴らしい展望と素敵な登山道紹介してくれてありがとう。