日中の外気温は32度を示しているが、窓を開けて、旋回する扇風機の「弱」の風を受けていれば、汗ばむこともなく本を開けられている。
二日前の未明にカナカナを聴き、昨日はジリジリ(アブラ)も聴いたが、まだうるさいほど音を立ててくれない。北国に生まれた彼らには、音を出す適温というものがあって、熱帯夜や猛暑日などの異常な高温は受け入れられず、そのため元気がないのかもしれない。
さいわい、市の図書館には、ますむらひろしさんの蔵書が何冊もあって、賢治さん没後50年となる1983年に世に出した「銀河鉄道の夜」(第四次稿をもとにしたもの)と、その2年後に出版した「銀河鉄道の夜-初期形-ブルカニロ博士篇」を借りてきて、文庫のテキスト、初期形(第一次稿・二次稿・三次稿)と第四次稿を読みくらべしながら眼を通している。
テキストの初期形には終わりの方にブルカニロ博士なる学者が現れて、ひとりぼっちとなったジョバンニにさまざまな啓示めいた言葉を発するのだが、現在私たちが「銀河鉄道の夜」として読んでいる第四次稿に博士は登場していない。ここが、初期形と四次稿と決定的に異なるところだ。
また「銀河鉄道の夜」にはどの稿にも天の川のプリオシン海岸に「ボス」というウシの仲間を発掘する地質学者が登場するが、ブルカニロ博士も海岸の地質学者も大学士たる「宮沢賢治」そのもののようだ。なお、プリオシンとは地質年代で新生代>第三紀>新第三紀>鮮新世を言うのであって200万年前から530万年前の年代をいうのだという。農学校の賢治さんや生徒たちが北上川のイギリス海岸で古代ゾウの足跡を見つけて狂喜したその化石類もプリオシン時代のもので、作品のくだりはイギリス海岸から発想されたものだと言っていいのだろう。
恥ずかしながら、オイラはますむらさんの作画と絵に添えられたテキストによって、今回初めてブルカニロ博士の言葉をちゃんと読み、それを確認するように文庫のテキストも読んだ。また改めてプリオシン海岸の地質学者の発する言葉もなぞってみて、これら二人の学者の言葉に疑問を感じ、さらに想像力をかきたてられた。
気になった台詞と疑問点を以下にメモしておこう。
【プリオシン海岸の地質学者】
ジョバンニ(発掘中の化石に)「標本にするんですか」
学者「いや証明にするんだ」「ぼくらからみるとここは厚い立派な地層で」「百二十万年前にできたという証拠もいろいろあがるけれども」「ぼくらとちがったやつからみても」「やっぱりこんな地層に見えるかどうか」「あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ」
⇒ 地層は、地球時間で堆積しているが、地球時間と異なる時間を生きている異星人がいるとすれば、地層の重なりはまるで水や空気や宇宙を構成する元素のようにしか見えてくれないのだろうか。地球の生滅も一瞬の出来事としかとらえられないのだろうか。あの時代にこんな発想力があった賢治さんには驚きである。
【ブルカニロ博士】
① ジョバンニ「ぼくはカムパネラといっしょにまっすぐに行こうと思ったんです」
博士「みんながそう考える」「けれどもいっしょに行けない」「そしてみんながカムパネラだ」(中略)「あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし」「みんなと一しょに早くそこに行くがいい」「そこでばかりおまえはほんとうに」「カムパネラといっしょにいけるのだ」(中略)「おまえはおまえの切符をしっかりっもっておいで」
⇒ 列車に乗っていると、乗客が同じ時間を生きていると感じることがある。しかし時間の経過とともに降りる人、乗る人がいるので、じつは私以外のすべての人はすべて別人であり、気づいたら見知ったヒトが誰もいないという人生に似ているなと思う時がある。だが、「死んだらみんな神の王国や浄土に行けるから苦悩の人生を捨てよ」という教えはじつは正しい切符ではない。「おまえの切符」とは何か。(法華経が切符と安易に考えてよいかはまだわかっていない)
② 博士「おまえは化学をならったろう」「水は酸素と水素からできているということを知っている」「いまはそれをだれだって疑いやしない」「実験して見るとほんとにそうなんだから」(中略)「実験でちゃんと本当の考えとうその考えとを分けてしまえば」「その方法さえきまれば」「もう信仰も」「化学と同じようになる」
⇒ 実験で真偽を証明された信仰とは何か。化学(科学)的真実の追及の先に幸福や安寧が得られる神の国があるということだろうか。少なくとも現代はそうではない。苦悩しない、老いない、病気にならない、新死なない新薬や技術。将来人類はそのような新薬や技術を手に入れられるのだろうか。(たしかに、賢治の時代結核の薬ストレプトマイシンがあれば、賢治もトシももう少し長く生きていたろう)
科学者への道こそ信仰のありようなのだろうか。よく分からない。
③ 博士(紀元前二千二百年以来の地理と歴史の辞典を示して)「ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって天の川だって汽車だって歴史だって」「ただそうかんじているのなんだから」
⇒ 結局、今の時代に人類が感じている外界は、今の時代の認識にすぎない。二千年後の人類はこの世界や宇宙をどのように認識し、感じているのだろう。
④「さあいいか」「だからお前の実験は」「このきれぎれの考の」「はじめから終りすべてにわたるようでなければいけない」「それがむずかしいことなのだ」「けれどももちろんそのときだけでもいいのだ」
⇒ 地球生成以降の出来事を実証にできれば、この先の人類の生き方が分かるとでもいうことか。賢治さん何を言いたかったの?やはり科学的生き方こそ正しい生き方と言いたかったのかな。
⑤「ああごらん」「あすこにプレシオスが見える」「おまえはあのプレシオスの鎖を」「解かなければならない」
⇒ プレシオスは、賢治さんがおうし座のプレアデス星団(昴・すばる)を言い誤ったとされるが、この聖書ヨブ記の「昴の鎖」とされる。賢治さんがこの鎖を解くということを何を言いたかったか不明である。困難な謎を解くということか。「銀河鉄道の夜」の読後感は、登場人物や街の様子と相まって西欧的=キリスト教的雰囲気が漂うが、法華経者の賢治さんが何故このような舞台を設定したのか、「鎖を断ち切る」ことがキリスト教的世界観からの脱却を暗示したものなのか、もっと深く読み込んで、かつ研究者らの研究成果を伺ってみたい。
結局、第四次稿をもって、賢治さんは「銀河鉄道の夜」からブロカニロ博士を退場させたが、例のとおり第三次稿までの原稿は残したままでこの世を去った。そのため第三次稿以前で賢治さんが何を考えていたか私たちの目の前にわかるようにしてくれていた。
周知のとおり「銀河鉄道の夜」第四次稿をもってこのファンタジーが完結したのではなく、この作品は未完だ。
「永遠の未完成これ完成である」(農民芸術概論綱要)。
さて、ますむらひろしさんの新たな「銀河鉄道の夜・四次稿編」はどんな世界を見せてくれているのだろう。
1983年版「銀河鉄道の夜」114頁
1985年版「銀河鉄道の夜-初期形-ブルカニロ博士篇」198頁
に対して四分冊約600頁にわたる大作だという。たぶん原文テキストに忠実であろうが、作画が大幅に増えていて、私たちが「銀河鉄道の夜」によせるイメージを大幅に広げてくれているのだろう。本年中にぜひおめにかかりたい。まずは、この秋、原画展観覧のため花巻に行こう。
(下記は、オイラが撮ったプリオシン関連とスバルの写真)
300万年前のセコイア類の化石(広瀬川)
500万年前のハマグリの化石 広瀬川支流
プレアデス(昴・すばる)