外は時々吹雪いているが、すぐに融けて積もりそうもない。日曜日の午後は、「きらクラ」と決まっていたが、3月で終わるとのこと。「きまクラ」、「おしゃクラ」の時代からだと、もう何年になるかしらん。とにかく、今のふかわ・遠藤コンビの「きらクラ」だと日曜の午後にやるようになって、いつも散歩でイヤホンしながら聞いていたので、とくに沖縄時代、八重山時代のあたたかな風と光の風景が思い出される。もう8年になるのだという。この8年の散歩道を振り返って、さびしいというより、何かを失うようで、かなしい。今日は特番(4月からの後継番組と発表された「×クラ」)のため、お休み。あと5回なのだというどこで何をしながら聴いているのか。
新型コロナウィルス(COVID-19)の「蔓延」について、今の報道ぶりは、ヒステリックで、新聞は1面、TVはトップで延々と、危機的な伝え方だ。水際作戦に失敗し、市中感染が常態となってきたので、そろそろ「〇〇県で、新たに〇〇人」のニュースは、陳腐化して、あきられるのだろう。
朝の8チャンネルで、橋下徹さんが、“ もう、あわててもしょうがない、撲滅はあきらめて、新型インフルエンザと同等にとらえて、学校を一斉休校するなど蔓延抑制の施策を行い、パニクラナイことが肝要である ”的な主張をしていたが、インフルといえば、アメリカですでに1万4000人が死亡している新型インフルエンザのほうがすごいことになっているので、あらゆるウィルスの防御と免疫力アップの一般的生活習慣を励行していきながら、ジタバタしないほうが、いいのかもしれない。アメリカと違って健康保険があるので、罹ったら治療に行けばいいことなのだが、全国的パニックで医療崩壊し、治療を受けたくても受けれない状況だけが心配だ。
そのようにアキラメル派に与したいのだが、すこし成り行きを見守りたいので、四国の旅は無期限延期とする。世の中が、かくも騒然としていると気が気ではない。ただし、来週はみゆきさんのラストコンサートなので飛行機に乗って会場まで行かなければならない。これだけは、(場合によっては、あと数週間以内にコンサートも中止になるかもしれないので)行ってこなくてはならない。どこにもマスクは売っていないが、家のものから3枚だけ融通をうけたので、1日1枚着用で出かけよう。
昨年春の北帰行も、北陸の深田久弥さんのところまできた。あと、2,3日で旅も終わりに近づくが、コロナの騒ぎが治まるまで、「そうだ、山を歩こう、山ならばマスクも必要ないし、思いっきりくしゃみをしても、一人歩きなら、どつかれることもない」。とりあえず、人ごみは避けて山を歩き、家にこもって深田さんも読んでいこう。幸い、家の書棚に昭和47年ごろ刊行されていた「山の文学全集」が12巻中、9巻残っている。
① ヒトが込まない、古き良き日本の山
② ヒマラヤ
③ シルクロード
深田さんの愛した山世界を、地図を広げながら読み進めよう。

北帰行 2019 4.10 石川県大聖寺 深田久弥墓参
あたたかな雨がそぼ降る1日、深田久弥の生誕地で菩提寺でもある加賀市大聖寺を訪れ、お墓参りをし、深田久弥山の文学館で2時間ばかりを過ごした。花が舞う閑静な大聖寺藩十五万石の城下町であった。生まれた町に眠ることができて、深田さんも賢治さんもほっとしているのだろうか。菩提寺の本光寺というお寺が、賢治さんと同系列の法華宗だということも、オイラにとっては、何かの因縁か。
深田さんの菩提寺 本光寺前にて
深田さんの墓碑銘
「 彗岳院釋普宏 (戒名)
1903年3月12日大聖寺に生れ、1971年3月21日茅ヶ岳に逝く
読み 歩き 書いた
妻 志げ子 」
と刻まれているようだ。(合掌)
68歳か、オイラも、もうすぐだ。爪の垢でも、「読み 歩き 書いて」いこう。
〇 銀輪に 濡れた花びら のせながら 深田久弥の 街を押しゆく
〇 大聖寺 駅で調べた菩提寺の 坂のぼりゆく 花も持たずに