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かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

仙台国際ハーフマラソンの思い出

2019-05-13 09:25:28 | 日記
 昨日は、晴天、気温17℃程度と市民マラソンとしては絶好のコンディションのもとで仙台国際ハーフマラソンが開催され、トップランナーを見ようと少し応援に行ってきた。

川内優輝さんや旭化成の村山謙太さん、日清食品の佐藤悠基、村澤明伸さんなど日本長距離界のそうそうたる選手が数多く参加しており、この大会の格付けを改めて見直したが、いっしょに走った一万人の市民ランナーは、エリートランナーと同じ道を走れて、さぞかし楽しかったことだろう。










今の大会は、制限時間2:45ぐらいだから誰でも参加可能となったが、オイラが、初参加した2001年は、制限時間が、たしか、1:40くらいで、陸連公認大会で1:35以下の記録がないと参加資格を与えられなかった。

2000年に気仙沼市に生活していたオイラは、何とかこの大会に出ようと、マイカーを走らせて、岩手の前沢、焼石、宮古の公認大会、福島の相馬、そして地元の登米町の公認大会と10月から12月までほぼ毎週、ハーフマラソンにエントリーしていた。それだけエリート大会に出たいという「我慾」に囚われた「餓鬼」だったのだろう。

そこには、何を学びたいかという理念もなく、ただ一流といわれる大学を受験した昔の行動と相通じるものがあったが、何はともあれ「努力」が実って2001年3月の第2日曜日に開催された大会に参加を許され、たしか1:29ぐらいで仙台市役所前にゴールした。

その時点では、沖縄の宮古島転勤が決まっていたので、制限時間内完走は、歓びひとしお、有終の美と胸に言い聞かせて家路についたが、性懲りもなく、自動的に翌年の出場権を得たものだから、その後2年間は、遠い宮古島からノコノコやってきて走った。

その後、いったんは仙台にもどったが、参加意欲、能力はもはやなく興味も薄れていたのだが、また沖縄住まいとなった2013年、今の市民大会になったことを契機に潮風ランナーズの仲間と走ってみたが、あの頃のような感動は味わえなかったので、その後はエントリーしていない。

どうだろう、初参加から18年もたった令和元年、仙台にもどって、さわやかなケヤキ並木を走るランナーの姿を見て、来年はぜひぜひと思うのが素直な心なのだろうが、気づいてみれば、もはや朝のジョギングも行わない高齢者の仲間入りでごわす。正直、玉手箱を開けてしまった浦島太郎の心地なのだ。

もう一踏ん張りして、年代別エリートの道を選択する道も残されて入るが、おなじ餓鬼道を歩みたくないのも事実。

修験の山を歩きながら、神仏様にお尋ねしてこようぜ!



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