そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第34日  函館市・ライダーハウス ライムライトへ

2016年04月30日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月4日(月) 霧のち晴のち雨 (外ヶ浜町・龍飛崎シーサイドパーク
~JR三厩駅~蟹田駅~函館駅~函館市・ライダーハウス ライムライト)




連休中なので、ライダーたちが10人以上一緒にテントを張ったが、予想したほど騒々しくもなく、ゆっくり休めた。ただし、風は強かった。

天気予報では15時から雨ということなので、

4時55分、強風と霧の中を出発。




いったん駐車場まで坂を上り、それから階段国道の国道339号線を下って、龍飛漁港側へ。海岸沿いをJR 三厩駅に向かう。

5時30分、霧の海の岩の上に黒い塊。時々動くので岩に非ず。オットセイのようだ。


漁村の集落や洞門を抜けていく。


5時45分、8号洞門。


左手は霧の海、


右手は、ネットやコンクリートで補強された急峻な崖。


6時15分、鐇泊(まさかりどまり)トンネル。左手は古い洞門など。




7時45分、「みちのく松陰道入口」。昨日の竜泊ライン側の反対側。


7時55分、義経海浜公園の八重桜。


相変わらず霧の中。


「義経渡道之地」碑。後方は厩石。


松前街道終点之碑。


厩石。




8時15分、道路左側の高台に「龍馬山義経寺」。門の手前に地蔵堂。


門のところにザックを置いて急峻な階段を上る。


仁王門。






観音堂。


源氏の笹りんどうの紋所。


弁天堂。


鐘楼。


三厩漁港を見下ろす。


周辺案内図。


漁港に停泊するイカ釣り船。


9時、JR 三厩駅。






次の列車は12時46分、とのこと。一気に脱力。ちなみに前の列車は7時53分。3時間46分、待つしかない。駅員に尋ねたところ、12時46分の列車でも、函館には15時前に到着、とのこと。まぁ、いたしかたなかろう。雨になっていなければよいが。


駅前広場の案内板。






手持無沙汰。霧が晴れ、日が差してきたのでテントを干したり、
文庫のシャクルトンを読んだり、記録を書いたり‥‥。


12時46分、三厩駅発。蟹田駅まで津軽線で戻り、海峡線と江差線で7年前の旅との接点である函館駅へ。










15時30分、JR 函館駅から徒歩でライダーハウスへ。宿泊、素泊まり 1500円。


宿のオーナーは7年前のことは覚えていなかった。さほど宿泊客が多いとは見えない鯵ヶ沢の駅前旅館と違い、大勢の若者が次々と宿泊していくライダーハウスでは無理のようだった。

まだ少し時間があるので函館散策。
前回はロープウェイで函館山に登り、その後石川啄木の墓所に行ったが、今回は教会や旧函館区公会堂などの建造物を見に行った。

カトリック元町教会、






ハリストス正教会。












旧函館区公会堂




函館の街並み。




散策から戻ったら雨。同宿の若者および準若者と4人で近所の風呂に行き、帰りにカレーを食べ、かくして北海道の第一日目は終わった。久しぶりの夜更かしで21時就寝。

旅の日程も順調に来ており、明日は休養日にして、お土産の発送や、五稜郭などへ行く予定。


2015年 第34日(佐多岬より96日)

歩数  33283歩    (佐多岬より累計  4900630歩)
距離  14㎞       (佐多岬より累計  3231㎞)
費用  6526円     (佐多岬より累計  472764円)



2015年 徒歩の旅 第33日  外ヶ浜町・龍飛崎シーサイドパークへ

2016年04月29日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月3日(日) 晴 (中泊町・今泉七平展望台
                ~外ヶ浜町・龍飛崎シーサイドパーク)




静かな夜で、快適に眠った。

3時30分、目覚めると丸い大きな月が、十三湖を照らしていた。


4時30分、出発。国道339号線(小泊道)を行く。


まだ暗いが、早朝の気持ち良い空気の中。




4時50、道の駅近し。この辺りを今でも「安藤氏の里」と呼ぶのか。安藤氏はかつての津軽、十三地方の支配者。


4時51分、日の出。


旧市浦村の名残の案内図。市浦村は五所川原市に合併。


5時、「道の駅 十三湖高原」へ。




「義経北方伝説」
「一一八九年(文治五年)岩手県衣川の高館に藤原氏に匿われていた義経を、源頼朝の強力な圧力に耐えかねて藤原泰衡が攻撃したとき、一家の杉目太郎行信が義経の身代わりとなり戦死した。
 義経は津軽に亡命し、十三湊秀栄の隠居所壇林寺に一時身を隠し、その後算用師峠を越えて三厩へ出たと伝えられている。」


展望台から十三湖。




端午の節句近し。




5時35分、十三氏の居城だった福島城外堀跡。


道筋には桜。




5時50分、福島城跡。


6時、相内川にかかる於瀬洞橋の「安藤舟イラスト」。


山王坊日吉神社入口の「安藤文化顕彰シンボル塔」。




安藤史跡案内図。


右手、大沼あたりの風車群。


7時、いくつかアップダウンを越えて日本海。




風雪の厳しさを語る廃屋。


7時30分、国道から離れ脇元の漁村。












海辺にいたお婆さんと立ち話。海ではワカメやアワビなどが採れるがあまり収入にはならない。自分たちで食べるだけ。半農の人も少しはいるが、以前は出稼ぎが多かった。今では老人ばかりだから‥‥。風がもの凄い。秋から春先まで冬中吹く。私は慣れちゃったから、と。――厳しい生活だ。





8時、五所川原市を後に再び中泊町へ入り海岸沿いを行く。








大きな坂を上り下りして小泊へ。

9時、小説「津軽」の像記念館へ。






開館直後で、一人だけ。






ここは、斜陽館と異なり、太宰と越野タケさんとの結びつきに関する展示。シアターで生前のタケさんのインタビューのビデオなどを見た。

太宰像、


幼い太宰像、


若いタケさん像。


10時、竜泊ラインへ。龍飛まで23㎞、約6時間かな。


途中、「道の駅 こどまり」で小休止し、当地名産のイカ焼きを食べる。

小泊の街は、南からも北からも大きな坂を越えねばならず、むしろ海上からの方が場合によっては容易だったのかもしれない、と思われた。

海を見つつ、北上。海は青く、波は静か。風に吹かれて歩く。




中泊観光案内図。








11時30分、青岩。






12時、七つ滝を過ぎ、


12時15分、先方にこれから行く上り坂が見える。


12時20分、みちのく松陰道入口。見たところかなり険しそうな谷筋だったが、北方の国防という松陰の使命感にとっては何ということもなかったのだろう。(道は津軽半島北部を横断して三厩湾に抜けている。)




おもむろに上りが始まる。


ずんずん上る。


とにかく上る。




緑濃き津軽の森を眺めつつ、


あっ、あーんな高い所に建物が‥‥。


それでも上る。


14時10分、標高475mの眺瞰台(さっきの建物)に着く。2時間で500m近く上ったのか、ふぅ。

展望台より。








龍飛崎と、その先に津軽海峡をはさんで北海道も見える。


後はもう、龍飛目指して緑の中をじゃんじゃん下る。








15時25分、外ヶ浜町に入る。


16時、竜飛崎到着。


売店で焼き団子を食べていたら、「十三の砂山ナーヤーエ 米ならよかろナー 西の弁財衆にゃエー ただ積ましょ ただ積ましょ‥‥」と、浅利みきさんの青森民謡「十三の砂山」が流れてきた。今回の旅の本州最北端である。しみじみとずいぶん遠くまで歩いてきたなぁ、と思った。

龍飛シーサイドパークのテント場に設営。風もの凄し。宿泊、500円。




設営後、周辺散策。

国道339号線の階段国道を下り、










太宰の「津軽」の碑。








太宰が泊まった旧奥谷旅館。現在は龍飛館という観光案内所。残念ながら時間がなくて入れなかった。






途中で出会った小学生たち。危ないから下りな、と言ったが、平気な顔。どこから来たのかと言うので、「東京だよ」といったら、口々に「東京」「東京」と、彼らにとって東京ってどういう所なんだろう。


竜飛漁港。




竜飛崎灯台。






丘の上の展望台から、




西海岸。




佐藤佐太郎歌碑。
「陸はつる海の光に草山は
  黄菅の花の輝くあはれ 」


川柳作家 川上三太郎碑   
「龍飛岬立てば風浪四季を咬む」


大町桂月碑。
「東西の波たゝかひて霰かな」と、 
「陸奥の海岸線」より「龍飛岬」。




砲台と


吉田松陰の漢詩碑
「去年の今日
巴城を発す
楊柳風暖かに
馬蹄軽し
今年北地
更に雪を踏む
寒沢卅里
路行き難し
行き盡す
山河万の夷険
滄溟に臨んで 
長鯨を叱せんと欲す
時平かにして 
男子空しく忼慨す 
誰か追う
飛将青史の名」
 


2015年 第33日(佐多岬より95日)

歩数  71011歩    (佐多岬より累計  4867347歩)
距離  40㎞       (佐多岬より累計  3231㎞)
費用  2311円     (佐多岬より累計  466238円)

明日はいよいよ海峡を越えて北海道だ。



2015年 徒歩の旅 第32日  中泊町・今泉七平展望台へ

2016年04月28日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月2日(土) 晴 (鯵ヶ沢町・尾野旅館~鯵ヶ沢駅
               ~五所川原駅~中泊町・今泉七平展望台)




7時15分、同じ年の女将さんと、お互いに元気で頑張りましょうと握手をして、出発。今回も、途中で食べるようにと、おにぎりをいただいた。


7時28分、鯵ヶ沢駅発の五能線で、五所川原駅へ。




7年前に徒歩でたどった道を、五能線にゆられながら車窓から眺めるのも興あるもの、若かった(今よりも多少)ということ、か。

8時、五所川原駅。前回はここから浪岡・下北半島方面に向かったが、今回は津軽半島を北上する。


市街地を抜け田園地帯へ。平坦な国道339号線(小泊道)を北上。

すぐに暑くなる。はじめのうちは後方に岩木山を背負って歩いていたが、気づくといつの間にか消えていた。
途中、右手上方に溜池などがあり。
日焼けしたチャリダーの青年が挨拶を送ってきた。流行りのヘルメット姿のサイクリストではなく、タオルの鉢巻きに、荷台いっぱいの荷物を見るのは、この旅で初めて。挨拶を送り返した。


9時40分、長富文化の松。




9時50分、金木町へ。








10時30分、斜陽館に立ち寄るべく寄り道。


10時40分、斜陽館へ。500円。










40分ほど、説明を聞いたり、資料を見て回ったりした。連休のせいか、それとも根強い太宰ファンか、館内は予想以上に混んでいた。若い人のみならず中高年も多い。太宰人気衰えず、か。










長兄以外は入れない、一段高い部屋の存在など、兄弟間にも厳然とした差別があったことを知った(太宰は三男)。格式とか何とか説明されたが、時代もあるのだろうが‥‥。

「斜陽の間」。東久世通禧作と推測される漢詩の末尾に「斜陽」の文字。




11時40分、芦野公園。桜の名所だが、こちらもソメイヨシノは散って、八重桜と、




枝垂桜。


園内を通る津軽鉄道の線路。


公園の隣の藤枝溜池。


遠方にオレンジ色の津軽鉄道。


12時30分、中泊町へ。


12時40分、田園地帯を走る津軽鉄道。


その後は、水田が広がる中、津軽の風物を眺めつつ、ひたすら歩く。






暑い暑い。時折、地吹雪除けの鉄の衝立が日陰を作ってくれるのが有難い。車も少ないし、もっぱら左側通行。




15時5分、今泉川に架かる橋の上から十三湖を望む。


15時15分、「国道339号線今泉ゆとりの駐車場」






「吉田松陰遊賞之碑」。


碑の台座の後側に、太宰の長兄、津島文治氏の名前があった(右から6人目)。


草地と展望はテント泊適地なのだが、いかんせん夥しい数の小さな虫の襲来で諦める。




15時50分、中泊町と再び出てきた五所川原市の境の先に、




「今泉七平展望台」発見。


階段の上が居心地よさそうなので、今日はここに泊まらせてもらう。宿泊、無料。


十三湖の展望は、樹木が繁っていて今一つ、かな。



2015年 第32日(佐多岬より94日)

歩数  45010歩    (佐多岬より累計  4796346歩)
距離  31㎞       (佐多岬より累計  3191㎞)
費用  1280円     (佐多岬より累計  463927円)



2015年 徒歩の旅 第31日  (休養日)弘前見物

2016年04月27日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月1日(金) 晴 (青森市・ホテル ニュームラコシ~青森駅
       ~弘前駅~弘前城~弘前駅~鯵ヶ沢駅~鯵ヶ沢町・尾野旅館)




5時45分、宿を出発。


青森駅へ。


運悪く列車が出発してしまった直後。まぁ、今日はのんびりだ。

6時52分、青森駅から奥羽本線で弘前駅へ。

8時、ザック、傘など一式を駅ロッカーに入れて、弘前駅から弘前城方面に向かう。


途中で、カトリック弘前教会。




日本基キリスト教団弘前教会の方は改修中。


陸奥国弘前藩初代藩主の津軽為信像。


8時30分、弘前城へ。


案内図あり。




入場料310円。








東内門。




下乗橋と弘前城天守。


本丸へ。思ったより小ぶりかな。




天守より、岩木山を望む。




本丸御殿模型。


ソメイヨシノはすでに散ってしまっており葉桜、名残の紅枝垂れと、




盛りの八重桜。


東錦、


関山、


鬱金


御衣黄。


本丸石垣修理中。2014年~16年(平成26年~28年)にかけて行っている。




ということで、期間限定でお濠の中から本丸を眺めることができる。


南内門より退出し、


弘前市立博物館へ。観覧料、280円。




弘前の歴史や風土について、また伝統工芸の「こぎん刺し」や「こけし」なども興味深く見た。

その他にも、弘前出身の日本画家、工藤甲人の絵が展示されており、初めて拝見。絵の中のどこかに昆虫などが隠されているように添えられている、夢のような不思議な世界の絵だった。


その後、旧弘前市立図書館(入館無料)や、












弘前市立郷土文学館(観覧料100円)。太宰治の他、石坂洋二郎、佐藤紅緑、葛西善蔵らの本や原稿をみた。とても内容豊かで、100円は格安。










弘前の歴史的建造物のミニチュアが広場に展示されていた。


山車展示館を見たり、






















観光館前の広場で、イカメンチと味噌にぎりを食べ、


観光館中のねぷたを見たりした。






鯵ヶ沢方面の五能線普通列車が、13時6分発の次はだいぶ遅くなってしまうので、慌ただしく駅へ。

車内では、りんご畑の向こうに残雪の岩木山を眺めつつ、五所川原を経て、鯵ヶ沢駅へ。


14時40分、鯵ヶ沢駅前の尾野旅館に着く。

女将さんは、はじめ思い出せなかったようだが、7年前にきて泊まった(2008年6月17日)のだからと、宿泊代7000円を6500円にまけてくれ、広い部屋を用意してくれた。宿泊、2食付き 6500円。

部屋からは、駅の向こうに岩木山がよく見えた。


やがて、突如思い出したようで、「あの―、宗谷岬の写真のはがきを送ってくれた、ですよね‥‥」、と。夕食は、今回も、ソイ(メバル)やイカの刺身、カレイのから揚げなど、海の幸を賞味した。


2015年 第31日(佐多岬より93日)

歩数  15954歩    (佐多岬より累計  4751336歩)
距離  記録外       (佐多岬より累計  3160㎞)
費用  11420円    (佐多岬より累計  462647円)

2015年 徒歩の旅 第30日  野辺地町・野辺地駅へ

2016年04月25日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月30日(木) 霧のち晴 (東北町・砂土路橋
   ~野辺地町・野辺地駅~青森駅~青森市・ホテル ニュームラコシ)




4時45分、砂土路橋を出発。県道8号線(八戸野辺地線)を北上する。
霧深し。ゴア雨具上下を着用。寒いので手袋もする。さらに、霧の中から自動車が不意に現れるので、こちらもエレキを点灯して歩く。




5時15分、「道の駅 おがわら湖」に着く。




用足し、食事の後、湖まで行って見ることにする。500mくらいか。


しかし霧で視界不良。広そうな感じの湖上に見えるのは近くの水鳥と岸辺の芝生のみ。


道の駅で出会った2人組の男性の話では、これはヤマセで、例年より来るのがだいぶ早い、とのこと。
4月29日から5月5日が「さくら祭」という立て看板があったが、桜はもう散っている。そういえば、昨日通った、八戸の下田公園でも「さくら祭」だったが、桜はもう散ってしまっていた。

7時ちょうど、七戸町に入る。洒落みたいだ。小川原湖のそばだから平坦な道が続くのかと思いきや、アップダウンが多い。


7時5分、七戸川支流の赤川に架かる赤川橋。


7時30分、ふたたび東北町に入る。時々、耳をつんざく自衛隊機の轟音が襲う。


乙供を過ぎると、交通量は激減。単調な田園地帯を行く。


9時30分、青の森鉄道と並行する。


9時45分、「日本中央の碑」発見地。何にもないちょっとした広場に、ただゴミを捨てると罰則があるという警告があるだけ。いったいこれはどういうことでしょう? 何かの石碑が発見されたのか、不思議。旅から帰ったら調べよう。


霧は晴れて暑い。千曳でペットボトル買う。


10時50分、国道4号線(奥州街道)に合流。


11時15分、野辺地町に入る。


11時20分、国道4号線から国道279号線へ。


11時40分、野辺地歴史民俗資料館を見学。入館料210円。














12時45分、常夜燈公園へ。








むつ湾青し。


13時、公園から戻り、前回の旅で通過した(2008年6月20日)交差点へ。




あの時は、「道の駅 浅虫温泉」から「道の駅 よこはま」まで14時間、84902歩、56㎞ 歩いた記憶すべき日だった。この交差点で、常夜燈を見に行こうかどうしようかと一瞬迷ったものの、行程の長さを考えて取りやめにして素通りしてしまったのだった。交差点の表示を見て、そのことを思い出した。

13時20分、野辺地駅へ。


野辺地駅の鉄道防雪林。


青い森鉄道で、青森駅へ。




14時45分、青森駅のそばにある宿へ。宿泊、素泊まり 3600円。

荷物を置いて、ねぶたミュージアム「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を見学。600円。










































































見学の際、「ワ・ラッセ」が年間200万円ほどの収入で維持されていることを聞いた。青森ねぶたの保存伝承や、観光の拠点と言うなら、若い女性のねぶた師も出てきているということもあるし、観光業者も、ねぶた祭りに便乗して金儲けすることを考えるだけではなく、もっと補助をするべきだし、行政も応援すべきだ。

その後、本州の歩き旅の円環が閉じたことを祝して、大奮発して「ほたてサーモンいくら丼」を食べた。1600円也。


青森湾を見て、宿へ戻る。


前方には、青函連絡船メモリアルシップ 「八甲田丸」


徒歩の旅も、前回の旅と合わせて、本州の円環が閉じることになった。残すは北海道のみ。ということで、明日は弘前見物。その後、今回は津軽半島を北上する予定。


2015年 第30日(佐多岬より92日)

歩数  48669歩    (佐多岬より累計  4735382歩)
距離  30.5km     (佐多岬より累計  3160㎞)
費用  7518円     (佐多岬より累計  451227円)

2015年 徒歩の旅 第29日  東北町・砂土路橋へ

2016年04月24日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月29日(水) 霧のち晴 (八戸市・ホテル セレクトイン 本八戸駅前
                               ~東北町・砂土路橋)




5時30分、出発。霧深し。昨日よりだいぶ気温が低く、その分、歩きやすい。

5時50分、国道45号線を辿り、馬淵大橋を渡る。


橋上より下流方面。八戸北バイパスが、歩行者通行可能かどうか懸念しつつ行く。


6時15分、バイパスは通行可能の模様。さらに深い霧の中を行く。


6時30分、青い森鉄道のガードをくぐる。


7時20分、昨日までとはうって変わって、平らな道がどこまでも続く。26㎞先に寺山修二記念館の表示があるが、記念館は小川原湖の東岸なので、残念ながら今回は立ち寄れず。


7時50分、平な道かと思ったら、大坂のひと上り下り。国道45号線と別れ、県道8号線を八戸道と並行して歩く。

8時、奥入瀬川を渡り、


8時5分、おいらせ町に入る。


相変わらず霧が深く、寒くなってきたので、手袋着用。襟を閉めて、歩く。小さなアップダウンが出てくる。しばらく高速道路と並行して行く。

45号線に出て、青い森鉄道の下田跨線橋で、再び県道8号線に入るとその後は歩道なし。

9時40分、広々とした田園地帯を行く。






10時10分、「JA十和田おいらせおはよう広場」にて30分休憩。イチゴやお赤飯を買い、休憩所で食べる。女性職員の話では、このあたりでは、畑で作っているのは山芋やネギなど、とのこと。三沢基地が近いせいか、ときどき大きな飛行音が轟く。


10時50分、気比神社。


由来では、牛馬の安全祈願の社、と。




こちらが正面。




昼過ぎに、これまでの霧から曇の空が急に青空になり暑くなる。

12時50分、「慶応開田の碑」というのがあった。この辺では気象条件も厳しかっただろうし、さぞ大変な苦労をして開田していったのだろう。




12時55分、道の傍らの納屋の陰にキジがいた。


13時30分、東北町に入る。


後方は三沢市。だが、いつ三沢市に入ったのか気がつかなかったが‥‥。


朝の内は平坦な道かと思ったが、さにあらず。三沢駅のあたりも含め、小さなアップダウンが多い。また、連休に入ったせいでか、交通量もそこそこ多くなり、ほとんどの部分は歩道のない県道8号線は歩くのにけっこう気を遣う。

14時20分、小川原湖周辺の案内図あり。


14時45分、砂土路川の橋の手前に適地を発見。風が強くなり、2㎞ほど先に道の駅があるが、まだ時間が早すぎる。また状態も不明なので、今夜はここに泊まらせてもらうことにした。石碑には、「耕而不倦(タガヤシテウマズ)」とあり。宿泊、無料。



2015年 第29日(佐多岬より91日)

歩数  51944歩    (佐多岬より累計  4686713歩)
距離  34.5km     (佐多岬より累計  3129.5㎞)
費用  846円      (佐多岬より累計  443709円)




2015年 徒歩の旅 第28日  八戸市・ホテル セレクトイン 本八戸駅前へ

2016年04月23日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月28日(火) 晴 (洋野町・JR有家駅
                    ~八戸市・ホテル セレクトイン 本八戸駅前)




4時35分、起床。やや寒かったが、ゆっくり眠れた。


4時40分、日の出の写真を撮ろうとしたが、水平線に薄雲が出ていて上手くいかず。


5時10分、出発の支度をしつつ待っていたらやっと太陽が。


5時15分、出発。昨夜の逆ルートで上り返し、国道45号線へ。

6時45分、6日前の最悪の石塚トンネル以来続いていた喉のガラガラが、気がついたら消えていた。復興ダンプもさほど多くはない。

線路が海岸線に沿って迂回していくのを見ると、ずいぶんと遠くへ来たなぁ、と実感。


反対側に岡谷稲荷神社の鳥居があるが、お社は右手ずっと。


7時30分、気温20℃の表示あり。日中は30℃になる予想。途中で、地下水からくみ上げているという冷たい水を貰った。

8時、耕作地の向こうは海。


8時5分、保食(とようけ)神社。


8時30分、ようやくコンビニがあり、トイレを借りた後、おにぎりと野菜ジュースで朝食。

9時45分、青森県階上町に入る。21都府県目。


9時55分、汗をしたたらせつつ歩いていると、乗用車が泊まり、若い男性が、「どちらから歩いているのですか?」、と。東京からと答えると、「今日は暑いから大変ですね。これ飲んで」と、ジュースの差し入れ。感謝していただく。


10時30分、青森は漁業とともに林業の県でもある。


10時55分、青森県案内図。地図を見ながら小休止。


11時30分、「道の駅 はしかみ」。


12時30分頃、路肩に自動車が停まっており、近づくと先ほどジュースをくれた青年だった。「今日の仕事が早く片付いてしまったので、車で少し案内させてもらいたいがどうか」、と。ただ単調な国道45号線を歩いているのではなく、海岸沿いの景色の良い所を紹介したい、旅の人に少しでも青森の魅力を知ってもらいたい、とのこと。何たる幸運。

12時45分、車に乗せてもらい、県道1号線に出て北上。種差天然芝生地へ。






芝の上のウミネコ。


ウミネコ飛翔水飲み場。


ウミネコのからくり。


13時、大須賀海岸。






13時10分、レンガ造りの葦毛崎展望台。江戸時代には外国船の監視、太平洋戦争中は海軍の防空電波探知機が設けられていた、とのこと。
















13時25分、ウミネコの繁殖地、蕪島神社。


「八戸小唄
唄に夜明けた かもめの港
船は出てゆく 南へ北へ
鮫の岬は 潮けむり」。


参道の階段や境内では、ウミネコの糞に要注意。ウンが付いても、まぁそれはそれ。




社殿。(2015年11月5日の火災で、社殿は全焼しました。)


ウミネコの生態。






境内に柳原白蓮の歌碑、
「大神の み使いか これ うみねこの 姿のあまり うつくしければ」。


14時、予想外の精神的な大収穫だったこと、景色の美しさ、ウミネコの様子など堪能したことを述べ、お礼を言って別れた。別れ際にガソリン代として渡そうとしたが受け取ってもらず、まだ長い旅になるのだから他で役立ててくれ、と言われた。

その後は、JR八戸線とつかず離れずしながら、県道1号線を辿り、

海産物加工工場を見たり、


市制施行時合併町村役場跡地説明板を読んだりし、


新井田川に架かる新湊橋を渡る。


橋上から、八戸小唄にうたわれた湊橋。


さらに、市立小中野小学校の八重桜を見たりして、


16時50分、宿に着く。宿泊、素泊まり 4530円。



2015年 第28日(佐多岬より90日)

歩数  52587歩    (佐多岬より累計  4634769歩)
距離  53km       (佐多岬より累計  3095㎞)
※ 今日も、途中、一部自動車に乗せてもらった。
費用  6516円     (佐多岬より累計  442863円)




2015年 徒歩の旅 第27日  洋野町・JR有家駅へ

2016年04月22日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月27日(月) 晴 (野田村・国民宿舎 えぼし荘
                   ~洋野町・JR有家駅)




早起きの癖がついてしまい、4時に目覚めたので、露天風呂に日の出を見に行った。海上は雲が多く、少し待って赤い日の出を見た。

ゆっくり朝食をとり、

7時45分、出発。今日も国道45号線を北上する。


眼下に野田の海岸線を見る。


近くにある西行屋敷跡に立ち寄るべく、出会った婦人に尋ねると、69歳の自称ガイドという面白い人で、おしゃべりしながら一緒にそばまで連れて行ってくれた。

8時40分、鳥居をくぐり、


その先の丘の上が屋敷跡。 野鳥の鳴き声しきりなり。


「西行屋敷」の石碑は20mの津波のため横転していた。


傍らの石碑の


左側の歌碑には、
「夕されば 汐風こして陸奥の 野田の玉川 ちどりなくなり 能因法師 」
「みちのくの 野田の玉川見渡せば しほ風こして 氷る月影 順徳院  」

また、右の句碑には、「天明八年八月」として、
「玉川や 汐も眞水も 秋の声   重厚 」
「玉川の 玉まさるかと 秋の雨  夜来 」。

歌の作者たちは知っていたが、句の作者は寡聞にして知らず。

さて、自称ガイドさんの言では、「左に左に行き、立派な道路に出たら45号。あまり立派じゃないと思ったらさらに左に左に行くと45号に出る」と言った通りに歩き、国道45号線に戻る。

海岸線を快適に行き、

9時10分、野田湾は、きれい。のどか。




と思ったら、

9時20分、工事中。前後3.4㎞にわたる津波の浸水の表示あり。


9時30分、ミニトラックの男性に声をかけられ、久慈まで行くから乗っていきな、と言われた。‥‥で、今回も乗せてもらった。
車内での男性からの話。東日本大震災の津波で、1300万円の船を流されてしまった。4年たって、ようやく牡蠣の養殖が軌道に乗り始めたところだが、漁船は借金で買っているのでこれからも大変だ、と。

9時50分、長内トンネルの先で下ろしてもらった。途中で久慈市に入った。

今夜は駅寝の予定なので、スーパーで食料を買い、

10時5分、久慈大橋を渡る。


橋上より久慈川下流方面。


久慈川を渡って、右折、旧45号線の国道395号線を辿る。朝、宿のテレビの予報通り、一気に暑くなってきた。

10時40分、暑いので、陸中夏井駅で15分間休憩。

11時30分、若い男女の教員に引率された小学生15、6人の集団に出会う。東京から北海道まで歩くと言ったら、一緒に写真を撮らせてくれと言われた。本当は神奈川だが、東京の方が子供には分かりやすいだろうと思って言ったのだが、案の定、「東京」「東京」‥‥と賑やかだった。かれらにとって、「東京」ってどのようなイメージなのかなぁ。

ふたたび国道45号線に戻り、

13時40分、久慈市ももうすぐおわり。


高家川に架かる桑畑橋(145m)を渡り、


13時50分、洋野町に入る。


ダイバー姿の「ダイちゃん」という洋野町のマスコットが出迎え。


14時40分、有家大橋を渡る。


橋上から下をのぞく。


15時30分、国道45号線から大きく下って、JR八戸線の有家駅へ。岩手県最後の夜は、ここの待合室で泊まらせてもらうことにする。宿泊、無料。




有家駅は無人駅で、目の前は広いきれいな砂浜で、その先は太平洋。




時間がたっぷりあるので、周囲を散策したり、JR八戸線の写真を撮ったりする。






待合室にいたら、中年の男性がやってきた。「みちのく潮風トレイル」を、種差海岸から久慈市の小袖海岸まで、海岸線に沿って歩いているのだと言う。この先、有家川は海岸沿いに橋がないので、JRの鉄橋を渡るのだと言っていた。いろいろな歩き方があるものだ。

さて、明日は青森県。2008年の旅の新潟県も、通過に7日余りかかったが、今回の岩手県はそれ以上、9日になる。だが、長かった三陸海岸の旅も明日まで。一人、潮騒を聞きながら静かな夜を過ごす。


2015年 第27日(佐多岬より89日)

歩数  43062歩    (佐多岬より累計  4582182歩)
距離  40km       (佐多岬より累計  3042㎞)
※  途中、一部自動車に乗せてもらった。
費用  1478円     (佐多岬より累計  436347円)




2015年 徒歩の旅 第26日  野田村・国民宿舎 えぼし荘へ

2016年04月21日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月26日(日) 晴 (田野畑村・「道の駅 たのはた」
                  ~野田村・国民宿舎 えぼし荘)




5時45分、出発。快適な歩き日和。

国道45号線を行くと、すぐに思惟橋(思惟大橋ではなく)。


橋の上より松前沢上流側。


橋を渡り、上り坂。

6時50分、三陸北道路との分岐点。歩行者・自転車通行不可のため左へさらに上る一般道へ。


長い坂を上っていく。九十九折れのようなジグザグではないが、カーブを曲がるとまた長い上り坂、の繰り返し。

7時10分、小休止中に、前方100mほどのところを2頭の熊が横断していった。少し様子を見てから、通過時に見たら、左手の窪地に黒い塊がうずくまっていた。

7時20分、閉伊坂峠。国道45号線の最高地点で、標高380m。


少し先で、峠畑作業をしていたおばさんに、この辺りは熊が出ますかと尋ねたら、よく出るとのこと。まだ先は安心できないからよく注意していくように、と。拾った棒切れで、標識の支柱やガードレールなどを叩きながら歩く。

峠の反対側はしばらくはダラダラした下り。


その後は急坂、急カーブ。一気に下る。

途中で、ランニング中の男性に出会った。道の駅まで走ってくるというので、熊の情報を伝えた。

8時20分、尾肝要にあった三陸総合案内図と田野畑村の案内図。




9時15分、田野畑トンネル。


トンネルの先は普代川の上流。


道路のゴミを拾っている夫妻に出会った。年に2回、春と秋に地域一斉にやるそうで、やるようになってから随分ときれいになったと言っていた。その後、何人かゴミの袋を持っている人に出会った。

9時30分、田野畑村も終わり、


せせらぎを眺めつつ、普代川に沿って下っていく。


10時、「北緯40度東端の村」普代村に入る。




11時、普代の街では、消防の催しがあったらしく、大勢の人が集まっていた。消防車や救急車のパレードもあった。


11時30分、普代トンネル。


12時20分、三陸北道路と合流後、長い上り坂のあと、峠にて小休止。

12時35分、遠方に久しぶりの青い海。十沢漁港。


12時40分、堀内大橋。


大橋より。下の鉄橋は三陸鉄道北リアス線。


12時50分、堀内駅と堀内漁港を眺望。


13時、堀内駅にて小休止。ここはNHKの朝ドラ『あまちゃん』に「袖が浜駅」として登場。






普代村は東北楽天イーグルズの銀次選手の出身地。


三陸鉄道通る。


堀内漁港を見下ろす。


13時15分、野田村に入る。


パーキングより、北部と、


南部。


安家川河口。


北リアス線の鉄橋の下は工事中。


13時25分、安家大橋から野田海岸。




13時35分、「国民宿舎えぼし荘」入口へ。


予定よりだいぶ早く着いてしまったので、ゆっくり坂を上り、ロビーで時間待ちの後、

14時、チェックイン。宿泊、2食付き 7200円。


2015年 第26日(佐多岬より88日)

歩数  44483歩    (佐多岬より累計  4539120歩)
距離  30.5km     (佐多岬より累計  3002㎞)
費用  7350円     (佐多岬より累計  434869円)


2015年 徒歩の旅 第25日  田野畑村・「道の駅 たのはた」へ

2016年04月20日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月25日(土) 晴 (宮古市・道の駅たろう
                       ~田野畑村・「道の駅 たのはた」)




「道の駅 たろう」は、畳の上にて安眠。ただし、テレビとビデオの音が流れ続け、うるさかったのでティッシュで簡易耳栓を作った。それ以外は快適。


6時30分、出発。国道45号線(浜街道)を北上。やや涼しく、歩きやすい陽気。


鮮やかな木々の芽吹きを見つつ、長い坂を下って行く。早朝のためトラックはまだ通っておらず、ウグイスの鳴き声しきりなり。


6時50分、真崎大橋。




さらに新緑の中を行き、


8時15分、遠方に三陸鉄道。


摂待橋を渡り、


8時25分、摂待駅。




今日の行程は短いので、時刻表で確認し、三鉄の写真を撮るため、30分休止。




9時5分、摂待トンネル。


トンネルを出たところで、長い坂を自転車を押しながら上ってくる青年に会う。ニュージーランドから来たと言い、八戸から仙台に向かうのだという。後ろに積んでいる大きな荷物は何かと聞いたら、ハンモックで、これで眠ると言う。小生のカタコト英語を「グッド・イングリッシュ」と褒めてくれ、八戸からここまで、英語を話せる人に出会わなかった、と言っていた。キャンデーをあげて「グッドラック」で別れたが、後から、ハンモックでどこでどうやって寝てきたのかちょっと気になった。

9時20分、岩泉町に入る。


工事中の小成川に沿って下り、


途中で、畑を耕す古老。


9時45分、小成トンネル。



新しい防潮堤にガードされた小成川河口ぶ。


10時、陸中海岸道路マップ。


茂師海岸の海岸線。




宮沢賢治も予言していた<モシ竜発見>‥‥。


10時10分、小本トンネル。


小本小学校の校庭は工事用具置き場のごとし。


10時30分、小本川河口の工事現場。


12時20分、田野畑村に入る。


12時40分、槇木沢橋。谷底からの高さ105m・長さ240m。


頭上は三陸道の思案坂大橋。高さ120m・長さ285m。


見下ろせば真木沢の深い谷。


三陸道と交差したため、復興ダンプが増えるが、南部ほどではない。ここは内陸部なので、主に津波被害からの復興のダンプにとっては、単に通過のための道路のようだ。といっても、3㎞東は太平洋。

13時30分、松前沢に架かる思惟大橋。高さ120m・長さ315m。


渡りきったところが、「パーク思惟大橋」という広い公園で、その片隅に「道の駅たのはた」あり。今日はここまで。




まだ時間がたっぷりあるので、鴨だしラーメンを食べたり、夕食用に「ひゅうず」というお菓子を買ったり、




石碑を見たりした。

田野畑村の「恩人」、西谷幸子歌碑、
「憂いきことも 束の間忘れすなほなる 心になりて山にものいふ」。




津村節子詩碑、
「緑の中に 光の中に 潮風の中に架けられた 田野畑の橋 豊かな幸と 美しい笑顔とやさしい心に出会える 田野畑の道 田野畑の橋は 未来を開く橋 田野畑の道は 夢に向かって歩く道」。


思惟大橋のビューポイント。




適地を探してうろうろしたが、結局、閉鎖中のレストハウスの軒下にテントを張らせてもらう。


思案坂大橋と槇木沢橋[思案坂]
田野畑に赴任してきた役人や教師たちがあまりの道の険しさに、行くか、戻るか思案したという槇木沢の「思案坂」に2つのかかる橋。‥‥
思惟大橋[辞職坂]
思案坂以上の道の険しさに、職を辞して帰ってしまうという「辞職坂」に架かっています。‥‥
(たのはたむらパンフレットより)



2015年 第25日(佐多岬より87日)

歩数  38997歩    (佐多岬より累計  4494637歩)
距離  26.5km     (佐多岬より累計  2971.5㎞)
費用  1970円     (佐多岬より累計  427519円)


2015年 徒歩の旅 第24日  宮古市・「道の駅 たろう」へ

2016年04月19日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月24日(金) 曇のち晴 (山田町・町民総合運動公園
                         ~宮古市・「道の駅 たろう」)




今日は長丁場が予想され、3時30分に起床するも、足のメンテに手間取り、1時間後には出発できず。
夜はさほど寒くはなかったが、結露がいっぱい。テント、銀マット、ポール、下敷きシート、みんなびっしょり。周囲の草も夜露がおりている。しかし、天気もよさそうなので、途中で30分ほど干せばいいだろう。星がきれいだ。

4時45分、仮設の山田病院を後に出発。国道45号線を北上する。空気はややひんやりで、歩くのには絶好の陽気。


豊間根から津軽石川に沿って下る途中は、あちこちでヤマブキの盛り。


6時35分、宮古市に入る。


7時5分、津軽石川は鮭が遡上する河川のようだ。


7時30分、津軽石川河口。




津軽石からダンプを含め、ラッシュ状態。特に、三陸道から車が流れこむ交差点は、1㎞ほど渋滞になっている。大型車はほとんどが岩手、宮城のナンバープレートだが、中には帯広、函館、札幌、青森、栃木、千葉、姫路、などもある。


宮古湾の最深部から、悲惨な状況を見つつ行く。




8時30分、磯鶏にて、「小本34㎞」と「道の駅」近しの表示。


8時50分、市長からの、開港400年のお祭りの行列に参加するようにとの、呼びかけのアナウンスが流れた。

さらに工事現場を過ぎ、




9時15分、閉伊川に架かる、真新しい宮古大橋を渡ると、




9時20分、市役所に開港400年記念行事の紅白幕あり。(露出を間違えたので白とび写真になってしまった。)


10時15分、「道の駅みやこ」(「シートピアなあど」)へ。この先の情報収集、食事などして、40分間休憩。


宮古湾。




海から離れ、


11時30分、崎鍬ヶ崎にてテント干し休憩。

12時、坂を上って、「崎山貝塚縄文の森公園複合施設建築工事」現場。


12時10分、宮古第一~第四までトンネルを抜ける。小幅ながら歩道があり助かる。


さらにアップダウンあり、暑くて自販機でペットボトル。

坂を上り、標高100m位。


13時20分、やや下るとまた田老トンネルあり。


13時40分、田老川を渡る。


前後2.5㎞にわたって浸水したことが分かる。田老市街地は震災津波で全滅。


三陸鉄道の写真を撮る。


さらに工事現場。








「過去の津波浸水区間」の表示のある地点から、田老の街を眺めると、街全体がすっぽりと入ってしまう。大きさでは陸前高田にかなわないが、壊滅状況は変わりなし。


田老湾を抜け、坂を上っていくと、

15時、「道の駅たろう」。


情報館で震災津波の様子と、この先の道路状況を見て、




売店でおやつを買って、


畳敷きの横臥施設にて。


清掃に来たお姉さんに尋ねたところ、道の駅は国交省ではなくて田老の公社が管理している、とのこと。宿泊は、本当はダメなんだけど、でも泊まっていく人は多いですよ、と言うので、小生も「多い」うちの一人にならせてもらった。宿泊、無料。


2015年 第24日(佐多岬より86日)

歩数  58253歩    (佐多岬より累計  4455640歩)
距離  38.5km     (佐多岬より累計  2945㎞)
費用  2135円     (佐多岬より累計  425549円)


2015年 徒歩の旅 第23日  山田町・町民総合運動公園へ

2016年04月18日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月23日(木) 晴 (釜石市・ホテル マルエ
                    ~山田町・町民総合運動公園)




5時45分、宿を出発。快晴である。東進し、国道45号線(釜石バイパス)へ出て北上する。

小トンネルの後に、

6時10分、長い鳥谷坂トンネル(1350m)。ここも歩道なし。土埃が堆積してかたまり、水たまりもありで、滑りやすくてヒヤヒヤ。


6時45分、トンネルを抜けて、水海川水門のあたりは工事中。




水海トンネルを抜け、


6時50分、両石湾。


両石漁港。




7時25分、鵜住居も大々的に工事中。






7時45分、鵜住居川。前方工事中。


8時、津波記念碑。「昭和八年三月三日」とあり、昭和三陸大津波のときのもの。


後ろを振り向くと、


「歴史は繰り返す」‥‥か。暗澹たる思い。

8時10分、古廟坂トンネル(660m)。


トンネル出口付近で、交通事故があったとのことで、トンネル内は渋滞。歩道のない片側を、ギリギリいっぱいにやってくる対向車に怯えつつ抜ける。立ち止まって避けてばかりいるので、やけに長く感じられた660mだった。

8時25分、大槌町に入る。


大槌バイパスに入り、小槌川。


8時35分、城山トンネル(932m)。真新しいトンネルで立派な歩道あり。


大槌橋より下流方面。


9時、夏本トンネル。手前に「過去の津波浸水区間」の表示。この地点の標高は17m。つまり大槌川両岸が全滅した、ということ。




9時10分、霜が沢トンネル(466m)。


9時25分、吉里吉里トンネル(407m)。


9時40分、吉里吉里1丁目。


前後1.7㎞にわたって津波が浸水した。


ダンプの列。


9時55分、津波でひしゃげてしまった柵。




浪板海岸。引き波のない不思議な海岸、だと言われた。


船越湾を眺めつつ。


10時25分、「津波霊場三陸遍路みち」の幟。歌津で乗せてくれたおばさんが言っていたのはこれのことだな。


四十八坂海岸。


10時45分、大沢第一トンネル。


10時50分、トンネルを抜けて、山田町に入る。


11時10分、四十八坂の展望台。草の上に寝転がって小休止。




12時5分、「道の駅やまだ」。30分、休憩。


山田湾。






13時、織笠大橋。


何か採っているのだが、何かな。海藻かな。


織笠川上流方面。


山田の市街も壊滅状態で、大々的に工事中。








不意に、ダンプから女性の声で「どこから来たのー」、と。見ると髪の長い若い女性のドライバー。「神奈川からー」「どこまで行くのー」「北海道までー」。「頑張ってねー」と手を振って走り去っていった。「ありがとうー」の声は届いたかな?

13時55分、山田の道路開削に生涯をささげた鞭牛和尚ゆかりの石碑。六角塔。




山田湾北部。






14時20分、子供達のアピールあり。


15時10分、山田町立総合運動公園へ。公園は、仮設の岩手県立山田病院が管理しているとのことで、許可を得てグラウンドの隅の草の上にテントを張らせてもらった。宿泊、無料。


地図で見ても、三陸の道路は入り組んでジグザグしているのだが、いざ歩いてみると、水平に蛇行しているばかりではなく、上下に起伏も多いということを、しみじみとかみしめているここ数日である。


2015年 第23日(佐多岬より85日)

歩数  52867歩    (佐多岬より累計  4397387歩)
距離  36km       (佐多岬より累計  2906.5㎞)
費用  1107円     (佐多岬より累計  42341422307円)


2015年 徒歩の旅 第22日  釜石市・ホテル マルエへ

2016年04月17日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月22日(水) 晴 (大船渡市・三陸峠~釜石市・ホテル マルエ)



夜中、寒くて使い捨てカイロを使用。用足しに外へ出たら、北斗七星はじめ無数の星が覆いかぶさってくるように輝き圧巻だった。自動車は三陸道を通ってしまうせいか、道路わきながら静かに休めた。

5時20分、出発。空は晴れて無風。峠の道をずんずん下る。


山桜が咲いている。


鹿が白い尻を見せて逃げていった。カメラは間に合わず。

5時35分、三陸道工事現場を通過。


5時40分、道の駅さんりく。洗面、用足し、食事などで30分間の休憩。




6時30分、さらにどんどん下り、樹間から越喜来湾。


7時25分、羅生トンネル(520m)。


下って行って、吉浜湾。






8時55分、鍬台トンネル(2305m)。ここも歩道なし。


9時25分、トンネルを抜けると釜石市。


10時15分、熊ノ木トンネル(498m)。


10時35分、三陸鉄道、唐丹駅。小休止。




三陸鉄道のポスター。


唐丹湾の南側は工事中。






北側の小白浜漁港には白い防潮堤が見える。


小白浜仮設住宅。


11時5分、小白浜トンネル(324m)。


11時25分、石塚トンネル(1351m)。歩道なし。土を積んだ復興ダンプひっきりなしに往来。歩行者にとっては最悪のトンネルだった。両サイドの白線の通路は埃が大量に固まって堆積。滑って危険。泥水状のところも多し。頭上の換気扇はゴーゴーと唸っているが、車が舞い上げる砂ぼこりで視界も定かならず。砂粒などが目に入りそうで長く目を開けていられない。避難用の距離板にも土がこびりついていて読めず‥‥いやぁ、すごかった。まぁ、これも経験。


11時55分、トンネルを抜けたところの、右手の平田総合公園と野球場は仮設の団地のごとし。はまゆう通り、すずらん通り、つつじ通りなどあり。この時間はひっそりとしており、お爺さんが一人欠伸をしているのが見えた。




12時5分、遠方に釜石の観音様。


三陸博の跡地。


13時5分、釜石湾と釜石大観音。




13時20分、市立鉄の歴史へ。




歴史館を見学。入館料500円。
製鉄の方法や、釜石の製鉄の歴史が分かりやすく説明されていた。






「近代製鉄の父」といわれる大島高任について初めて知った。


洋式高炉の模型や、アンモナイトのレプリカ(三陸博のときのもの)など興味深かった。

15時15分、嬉石トンネル(138m)。白いガード柵の歩道あり。隣は白山小学校。


津波でやられた市街地を甲子川にそって釜石駅方面へ。


15時50分、宿に着く。宿泊、素泊まり5400円は少しぜいたくだが、宿はどこも工事関係者で埋まっていてやっと見つけた。釜石から陸前高田の工事現場まで通っているグループもあるそうだ。


今日もいくつもの工事現場と仮設住宅を見た。アップダウンとトンネルの多い一日だったが、まだまだ先は長い。


2015年 第22日(佐多岬より84日)

歩数  47843歩    (佐多岬より累計  4344520歩)
距離  31.5km     (佐多岬より累計  2870.5㎞)
費用  7080円     (佐多岬より累計  422307円)


2015年 徒歩の旅 第21日  大船渡市・三陸峠へ

2016年04月16日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月21日(火) 曇のち晴 (陸前高田市・マイウスユニウス
                               ~大船渡市・三陸峠)




出発前、30分ほど宿の管理人さん(取締役)の話を聞いた。彼の考えでは、①三陸の今の姿は、日本の地方の未来の姿であり、東日本大震災がそれを増幅させたに過ぎない。②その中でも、陸前高田が最もひどいし、それゆえに未来像をはっきりと示しており、我々が試されている、③小規模でも、構成員が楽しく日々を送れる社会を如何にして作るかが課題である、④震災ボランティアでこちらにきて、ここで自分の将来の道を見つけ、移住して活動している若者も何人かいる、⑤大手の新聞記者やカメラマンがたくさん来たが、彼らのものは他人を感動させようとするプロ意識が働き、地元ではすぐに飽きられる、等々。そして、素人の目で現状をよく見ていってほしい、帰ったらそれを周囲の人に伝えてほしい、と言われた。

8時10分、宿を出発。ひんやりとした弱い風。雲の隙間に青い空が見える。


昨日の道を国道45号線との合流点まで戻る。




昨日は雨のため気が急いていたが、今朝あらためて見ると、実に不思議な光景、異様な姿だ。「愚公山を移す」という言葉があるが、かさ上げによる新しい街づくりまで一体どれほどかかるのか見当もつかない。














9時、3.11以前は「道の駅高田松原」だった「タピック45」という震災遺構を見る。






中はぐしゃぐしゃになっていた。


「追悼施設」で犠牲者の冥福を祈り、


となりにある石川啄木歌碑、
「頬につたふ 
 なみだのごはず
 一握の砂を示しし人を忘れず」
を見てから、




「陸前高田復興街づくり情報館」を見学。被災前の陸前高田市の様子や、被災時、そのごの状況などが展示されていた。






















見学後、歩きはじめたら、後方から「川崎の人ですか?」との声。見ると中年男性がいて、「情報館の訪問者名簿にあったから。自分も神奈川で、横須賀から来た」、と。これまでも2回ほど来たのだが、気になってまた来た、と言っていた。記憶し考え続けることの重要さ。

工事現場の先に、


9時35分、「下宿定住促進住宅」。こちらも震災遺構で、津波が5階建ての4階部分までを突き抜けたことがよくわかる。5階は無傷。完成したばかりで入居者はまだなかった、とのこと。


陸前高田の工事現場に別れを告げ、


坂を上って通岡峠へ向かう。

10時30分、三陸道との交差点にある「箕石」。


10時45分、大船渡市に入る。


峠から少し下ったところの駐車場に通岡展望地あり。小休止。無人で、水あり、トイレあり、東屋あり、展望台あり、と野宿派のオアシスのような‥‥。




残念ながら、海側は前景の樹木が邪魔をしている。


東屋で小休止。国道45号線を走っている2人のドライバーと話。彼らの被災の順位では、高田が一番ひどい、次いで志津川、女川だ、釜石などはまだ部分的だ、と。

峠から下って、大船渡の市方面に向かう。分岐で、県道230号線へ。

11時45分、大船渡湾。




大船渡は湾の入口あたりで、家屋などに大きな被害が出たようで、「かもめの卵」というお菓子で有名なさいとう製菓も移転していた。ただし、大船渡市街は地形が複雑で、何段もアップダウンがあったので、湾の奥から盛川の方は比較的被害が少なかったのかもしれない、と思った。

12時20分、大船渡港。


盛橋を渡り、のんびり静かな坂を上り、


14時30分、五葉神社。


14時45分、大船渡北ICへの道との分岐。


15時40分、坂を上りきった先に三陸トンネル。


15時50分、トンネルを抜けたところに、適地あり。

当初は、道の駅で泊まろうかと思っていたが、道の駅は車がうるさいし、ここから3㎞ほどの距離だから、テント泊の強みを発揮して、今夜はここに決定。



大船渡への道の桜は、昨日の雨と今朝の風で大部分散ってしまった。ケータイの圏外なので家へのメールは明朝にする。


2015年 第21日(佐多岬より83日)

歩数  44833歩    (佐多岬より累計  4296674歩)
距離  31  km     (佐多岬より累計  2839㎞)
費用  310円      (佐多岬より累計  415227円)









2015年 徒歩の旅 第20日  陸前高田市・マイウスユニウスへ

2016年04月15日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月20日(月) 曇のち雨 (気仙沼市・ホテルパールシティ
                    ~陸前高田市・マイウスユニウス)




補陀寺住職が手配しておいてくれた朝食をとり、お礼の電話をして、

7時40分、ホテルを出発。天気予報は、曇のち雨なので、まだ降りだしていないが、はじめからゴアの雨具を着用。


JR気仙沼駅。


駅北側の跨線橋より。JR気仙沼駅方面。


国道45号線へ上がり、

8時、すぐに松川トンネル。歩道あり。


続いて、1646mあまりの安波トンネル。ここも歩道があり、安心して歩けたが、


8時30分、鹿折トンネル。


8時35分、鹿折高架で錆びたまま放置されている鉄路の写真撮る。この区間は高台のため被害はなかったようだが、他が寸断されているため不通。


左前方、海寄りでは工事中。小雨、降ったり止んだり。


9時15分、次の唐桑トンネルは歩道なし。しかも漏れた水たまりが埃をかぶってドロドロになって滑りやすい。後方から来る大型車などに緊張を強いられた。


9時30分、次の三陸道の霧立トンネルは、自動車専用道路になり歩行者通行不可。


回り込んで国道45号線を行く。一気に車が減り、静かな中緑の中をのんびりのんびりと下っていく。空気はひんやりしている。路肩の温度計が10℃をさしていた。

9時50分、只越トンネル。


広田湾に沿ってアップダウンを北上する。




10時40分、束の間の静寂は終わり、再び三陸自動車道(自動車専用の国道45号線)に合流し、

10時40分、「黄金海道」表示あり。


荒谷の入り江。


10時50分、大沢の賀茂神社。




11時5分、陸前高田市に入る。ウグイスの声しきりなり。




本格的に雨降り出す。

陸前高田市街地跡に入っていく。中央、奇跡の一本松。右手、陸前高田ユースホステル跡。左、「夢のかけはし」という、かさ上げ用の土を運ぶベルトコンベア。


気仙中学校跡。


ここへ来る途中で、たき火をしていたお婆さんに挨拶したら、「高田は何もなくなっちまったよ」との答え。なるほど全く何もない。想像以上だ。見渡す限りベタ一面が一大工事現場状態。




気仙大橋を渡り、




国道340号線へ。頭上はるかに巨大なコンベア、まるでジェットコースターのごとし。






雨中、国道380号線を歩き、コミセンというところで尋ね、一山越えて、


13時30分、宿に着く。宿泊、2食付き 6480円。

宿は、自動車学校の合宿所で、空いているときは一般者にも開放しているのだ、と。管理人さんが、「今、ニュージーランド人が歩いて日本縦断した本を読んでいたところ。似たような人が来たよ」と言っていた。ここも、工事関係者がほとんど。



2015年 第20日(佐多岬より82日)

歩数  36377歩    (佐多岬より累計  4251841歩)
距離  25.5km     (佐多岬より累計  2808㎞)
費用  6990円     (佐多岬より累計  414917円)