そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第17日 黒潮町・鹿島休憩所へ

2012年06月24日 | 2011年四国の旅-1
10月29日(土) 晴 (大坂休憩所~黒潮町・鹿島休憩所)

○本日の参拝
第37番札所 藤井山五智院 岩本寺 (御本尊:不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩)




夜はさほど寒く感じなかったが、草の上に張ったためか、テントはこの旅で一番の結露。

5時、今日の行程は長丁場なので、真っ暗な中を出発。七子峠までは、大坂谷川に沿ったへんろ道があるが、不確定要素が多く、暗い中での時間のロスは消耗なので、中村街道の国道56号線を行くことにする。頭上に星をいただきながら、ヘッドランプと反射腕輪を着用し、時折横を通過するトラックを気にしつつ歩く。

6時、東方の山際が赤くなってきて、


これから通る鉄橋も闇の中から浮かび上がってくる。


6時10分、100mの久礼坂大橋へ。


朝焼け雲。


6時30分、山の端より太陽があがる。


6時40分、七子峠(標高292m)。


6時45分、四万十町へ。


静かな田園地帯を歩いていると、突然、ウェルナーの「野ばら」の曲がで流れ、午前7時を知る。


冬桜や、


ムラサキシキブを見つつ歩く。


こんな案内板もある。6kmは車なら10分足らずだが、歩きでは1時間半。「ほっとひといき」するのもなかなか容易ではない。


さらに田園地帯を行き、


7時30分、「お雪椿休憩所」で小休止。


で、案内板を見てガクゼン! なんとあと38.6km。これでは休みなしで歩いても約10時間! ゆっくりしている場合ではない、早々に出発。

(注。この距離は国道経由のもので、へんろ道はショートカットがあり大幅に短縮されることに後で気付く。)

こんな案内板も。


7時50分、土讃線。


8時15分、「スリーエフ」コンビニにて食料などを買う。レジで従業員の男性がペットボトルを差し出し、「お四国まわりの方にはお接待です。」と。「南無大師遍照金剛」といただく。


ふたたび土讃線と並行して歩き、


9時、道の駅「あぐり窪川」。しかし休んではいられない。


9時15分、もう足摺岬まで100kmを切っている。


9時20分、呼坂トンネル。


9時35分、第37番岩本寺へ。


山門と、


本堂、


大師堂。


歓喜天堂と、


大師像と鐘楼。


10時50分、ふたたび標高290mまで上って峰ノ上。


11時5分、林の中のへんろ道へ。


秋の日を浴びた野菊。


11時45分、国道を行く。


12時、休憩所。ここで案内板の距離との差が分かり一安心。


三重県から来たという老夫婦のお遍路さんに追いつき、少し話しながらご一緒する。これまでに3回歩いて回っており、今回は区切り打ちで39番の延光寺まで、とのこと。心なしか奥さんの方が元気。

12時20分、「ヘンロ小屋・佐賀 第13号」へ。小休止ののち老夫婦と別れまた一人で歩く。


14時、へんろ道に入り熊井トンネルを抜ける。




秋の日ざしは心地よい。


14時20分、コンビニにて食料調達。1221円。レシートに、年賀状印刷の広告がついていた。そんな時期になっているんだとしばし感慨深し。家を出てからそろそろ20日になろうとしている。

14時40分、土佐くろしお鉄道土佐佐賀駅近くの「かつお幟」。


14時50分、佐賀休憩所にて小休止。


案内板で足摺岬方面を確認。


すぐに横浜トンネル、624m。


15時、トンネルを抜けると一気に開けて鹿島ヶ浦の海。


中央の小島が鹿島。


傍らに、「これを絵に、うつしてみたし、かすむ島 
      佐賀山や 都めかして 八重ざくら 
       安政五年三月十一日 
       防意軒半開の句」
とある。誰にとっても感動的な景観だ。まして江戸時代なら。


15時10分、今日の泊り場の土佐西南大規模公園佐賀地区鹿島休憩所へ。奥の東屋にて。水、トイレあり。


休憩所には先客が1人おり、ナンプレをやっていた。挨拶代わりにおにぎりを1個進呈し、話しながら食事。彼は51歳の鹿児島県人。リーマンショックのときに会社を辞め、以来自転車で日本一周をしているとのこと。足摺岬方面から来たと言うので、この先の状況など教えてもらった。足摺岬ではイノシシが出るから野宿は注意した方がいい、等々と。
彼のラジオで天気予報を聞くと、明日の降水確率は、0~6時が50%、6~12時が80%で雷も、と言っていた。


歩数 58,595歩 (累計 642,215歩)
距離 39.5km  (累計 446km)
費用 1,647円 (累計 72,926円)







四国の旅 第16日 中土佐町・大坂休憩所へ

2012年06月22日 | 2011年四国の旅-1
10月28日(金) 晴 (「国民宿舎土佐」~中土佐町・大坂休憩所)

○本日の参拝
ありません

地図1


5時15分、「国民宿舎土佐」を出発。真っ暗の中を、ヘッドランプの明かりを頼りに坂を下っていく。

5時50分、海岸線に出る。


6時10分、日の出前の宇佐湾。


6時20分、宇佐大橋を渡る。




橋上より、これから行く「横浪三里」の浦ノ内湾。


6時30分、宿の支配人に教えられたとおりに行き、「埋立市営巡航船のりば」へ。


出航は7時5分、運賃は横浪まで620円。


待合室はカギがかかっていたので、岸壁で周囲の景色を見たり、行動食を食べて時間待ち。




7時、巡航船が来る。


「海上の遍路道」へ。乗船者は小生一人。船内の様子と、


窓越しの浦ノ内湾。


しばらくすると小学生14人が乗り込んできてにわかに船内はにぎやかになる。本を読んだり、ふざけあったり。年かさの女の子に、「台風の時などはどうするの?」と尋ねたら、「そういう時は『ジュンコウ』は出ないから、家族に車で送ってもらう」との答え。


小学生が下船すると、今度は中学生が18人乗り込んでくる。彼らは、本を読んだり、英語の書き取りをしたり、中にはゲームのごときものをしている子もいる。

水上にいくつもあるのは釣り用の筏。




太陽が眩しい。


8時、横浪着。船は鳴無へ。


小さなスーパーで食料を購入。おにぎりを食べて小休止。

8時30分、湾に沿ってしばらく行ったのち、浦ノ内湾に別れを告げ、ふたたび「陸の遍路道」へ。


8時50分、次の札所である第37番岩本寺への道を示す標識だが、札所間の距離は約60キロで参拝は明日になる。


9時、鳥坂トンネル。


9時30分、「ヘンロ小屋・須崎 第17号」小休止。


水、トイレは隣家で借りられる。


県道23号線の田園地帯を行くと、


10時、突如、あたりの景観と不釣り合いな住友大阪セメントの工場。


10時20分、桜川にかかる大峰橋を渡り、国道56号線を須崎市街地へ。




地図2


11時、「かわうそトンネル」を抜けると、


すぐに「道の駅 かわうその里 すさき」。20分間休憩して、缶コーヒーでクールダウン。


11時40分、新荘川大橋を渡る。川面にカヌーの列。


角谷トンネル、


久保宇津トンネルと越えていくと、


12時10分、眼下はるかに須崎湾が見える。


箱庭のような景色の中を海辺に向けて下っていき、




安和トンネルを抜けて、


12時30分、JR土讃線の安和駅へ。




明日の天気予報は雨、足の具合も昨日の休足日でずいぶんと回復し楽になっているので、もっと先まで行きたいところだが、泊場の都合で時間が余ってしまい、これ幸いと大休止40分。

ここもまた、空青く、海また青きところ。




海を眺めたり、友人にケータイでメールをしたりして過ごす。




海に面した無人駅といえば、前回の旅で通った、五能線の「驫木駅」もそうだったが、雰囲気が全く違うのはやはり南北の差だろう。こちらはあくまでも明るい。

13時10分、歩き始めてすぐに、焼坂峠越えのへんろ道が一部通行不能の看板がある。仕方なく、国道56号線を焼坂トンネル方面へ。


13時35分、焼坂トンネル。


トンネル内は、歩道も整備されておらず、安全通行のため反射タスキを着用。重宝する。


13時50分、中土佐町へ。


緑色に塗られたお遍路さん用の(?)スペース。


14時10分、焼坂休憩所で小休止。


その後、久礼のスーパーで、パンや惣菜やお菓子、トマトなどの当面の食料とテーピング、蚊取り線香などを買う。

15時40分、久礼大坂休憩所着。今夜はここで泊まらせてもらうことにする。水、トイレあり。


テーブルで食事をしようとしたが、蚊が多くて閉口。さればと蚊取り線香をつけようとしたが、肝心のライターを買い忘れてしまったことに気付く。仕方がないので、あたりをウロウロしたり、翌日の偵察をしたりしつつも、結局、暗くなるのを待たずにテントを張ってもぐりこんでしまった。

歩数 4,1061歩 (累 計 684,016歩)
距離 28km    (累計 406.5km)
費用 3,309円 (累計 71,279円)









四国の旅 第15日 宇佐町・「国民宿舎土佐」に連泊

2012年06月22日 | 2011年四国の旅-1
10月27日(木) 晴  (宇佐町・「国民宿舎土佐」に連泊)

○本日の参拝
ありません


天気は晴。もったいなかったが、ここまで順調に来たこともあり、休足日として沈殿。

露天風呂に3回入って足の筋肉をほぐし、また、爪が剥がれかけている右足小指や化膿しかけているマメの手当等をする。

その他に、これまでの記録のまとめ、今後のルートの検討、衣類の洗濯。

宿の支配人と話。
1.途中の道の駅に「ご自由にお持ち帰りください」と置いてあった『土佐十六ヵ寺参り』(お接待0円)のパンフレットについて。


彼もその企画に参加したとのこと。遍路地図については、すでに、へんろみち保存協力会編『四国遍路ひとり歩き同行二人』(地図編)という歩き遍路のバイブル的存在があるが、


ちょっと使いづらい点もあり、そこを補えればということだった。具体的には、
(1) 北が常に上にあるようなもの、
(2) もう少し広い地域が見渡せるようなもの、
という点を満たすこと。
それが、このパンフレットの取り柄だ、と。

2.明日の行程について、浦ノ内湾の北回りルートと南回りルートのほかに、巡航船で海上を行くルートがあること。そしてそれが「本当の遍路道」なのだという。それなら、足の痛みもカバーできるし、船に乗るもの面白そうだ。海上のへんろ道を行くことにしよう、と決定。こういうのを「渡りに船」というのかな。


(以下、高知新聞の記事より)
――青龍寺の田中義了住職(65)によると、空海は寺を守るため、紀州から連れてきた大工ら「八人衆」をこの地に残した。当時は寺へ向かう橋や道がほとんど整備されておらず、参拝者らのため渡し船を出すように命じたという。これが巡航船や、かつてあった「竜の渡し」の起源とされる。
空海も次の地(四万十町)へ向かう際、湾を船で移動。八十八カ所の中で、船で海を渡ることが許された唯一の場所ともいわれる。
ただ、遍路は「歩く」イメージが強いためか、巡航船を利用するお遍路さんはわずかに月数人。「本当の遍路道は海の上なんですけどねえ」と田中住職。巡航船は「遍路の足」から「地域の足」へ役割を移した。
――。

そして、支配人に乗船場である「埋立」への生き方を教えてもらう。「お遍路さんはめったに乗ってこないが、代わりに途中で小学生が大勢乗り込んできてにぎやかですよ。」


その他、歩き遍路のために格安の部屋を用意したこと、遍路用の靴の説明、足摺岬へのルートの概要、等々いろいろと説明してもらう。

夕食は、宿のレストランでかつお丼(1000円)を食べる。

歩数 0歩      (累計 542,559歩)
距離 0km     (累計 338.5km)
費用 3,950円(宿代2500、食事、洗濯等1450)(累計 67,970円)






四国の旅 第14日 宇佐町・「国民宿舎土佐」へ

2012年06月15日 | 2011年四国の旅-1
10月26日(水) 晴 (種崎千松公園~宇佐町「国民宿舎土佐」)

○本日の参拝
第33番札所 高福山      雪蹊寺 (御本尊:薬師如来)
第34番札所 本尾山朱雀院  種間寺 (御本尊:薬師如来)
第35番札所 醫王山鏡池院  清瀧寺 (御本尊:厄除薬師如来)
第36番札所 独鈷山伊舎那院 青龍寺 (御本尊:波切不動明王) 




4時50分、出発。
夜間はかなり冷え込んだ。今日も長丁場ゆえ暗い中を反射腕輪を金剛杖に巻いて浦戸大橋を行くと、橋の途中で後方に自動車が止まり、「ご苦労さん。これお接待です。」の声。見ると若い男性ドライバーが、500円硬貨を差し出している。現金の「お接待」は初めてなのでちょっと驚くが、「南無大師遍照金剛」と有難くいただく。

5時5分、浦戸大橋を渡り終える。


計画では、「月の名所」の桂浜へ行き竜馬像を見る予定だったが、あいにくの新月であたりは真っ暗。しかも今日は青龍寺まで行かねばならないということで断念。雪蹊寺へ行こうとしたのだがへんろ道が不明瞭。へんろマークも見当たらず、仕方なく橋の上から確認した西空の明けの明星を頼りに歩き出す。しかし、なるべく方角がずれないように行こうとしたにもかかわらずすぐに頓挫、立ち往生。途方に暮れていると、早朝の犬の散歩に出ようとする人の家があり、道を乞うと、男性が一緒に雪蹊寺まで行ってくれるとのこと。有難い大助かり。男性は元船員で、この春定年退職した、とのこと。船の話を聞きつつ、近道を行く男性の後をついていき、

5時50分、33番雪蹊寺に着く。
暗くてよくわからない写真。


本堂も、


大師堂も真っ暗。


フラッシュをたけばよかったのだが、日ごろそのような撮り方をしないため思い至らず。さらに、暗い中で般若心経もまとめて1回ですませてしまった。やはり不信心者である。とにかく種間寺方面に向かう。

6時30分、夜が明けるとあたりはコスモスの花の海。


近くの小山に陽が当たるのを見ながら、静かな早朝の道を行く。


なっているのはブンタンかな?


7時15分、34番種間寺へ。


石門柱には「我是名號壱経其耳  衆病悉除身心安楽」。


朝陽を浴びた境内。


本堂と、


大師堂。


その後は、野道に咲くコスモスを見たり、


たわわに実をつけた柿の木を見たりしつつ、


8時15分、涼月橋へ。


明治時代に造られた眼鏡橋。


秋晴れののどかな田園。


仁淀川大橋へ。広い河川敷。


下流方面と、


上流方面。


少し前の雨にもかかわらず、水は青々として、鯉や鮎の魚影が見えた。交通整理係の人によれば、普段はもっとずっときれい、だそうだ。


仁淀川をこえると土佐市。左岸は工事中。


9時30分、35番清瀧寺の登り口。


9時45分、山門。


山門の天井には龍の絵。


さらに石段を上がって、本堂へ。


大師堂。


薬師如来像。


標高は130メートル。境内からの展望。


その後は土佐市街地を抜けていく(デジカメ用のSDカードを買う)。途中で、へんろ道を尋ねられた千葉からの男性と一緒になり、2人連れで話しながら歩く。彼は、脳梗塞と痙攣性心臓弁膜症にかかったが奇跡的に復活し、お礼にお遍路をしているそうだ。今回は青龍寺までの「区切り打ち」というが、菅笠、白装束、白足袋、頭陀袋、と本格的な格好をしていた。

11時50分、波介川を渡り、


12時15分、塚地休憩所にて昼食の大休止。


2人で休んでいると、山梨からの歩き遍路の若者がやってくる。

当初、塚地峠越えのへんろ道を行こうと思っていたが、にわか3人組ができ、一緒にトンネルルートをとることになる。


12時45分、塚地坂トンネル。


トンネルは837.5メートルで、歩道もしっかりしていて歩きやすい。


13時30分、トンネルを抜けた先は土佐湾で、コンビニで食料調達ののち、前方に宇佐大橋を見ながら土佐湾に沿って行く。


空青く、海また青し。


13時40分、宇佐大橋(長さ645メートル)を行く三人組。


橋からの展望、




宇佐漁港。


土佐湾の反対側は、横浪三里の浦ノ内湾。




通ってきた方角を振り返る千葉さん。




14時5分、大橋を渡り、横浪半島へ。


14時20分、青龍寺へ。鐘楼門。


長い石段。


石段の途中に山門。


さらに石段。


本堂と、


右手に不動明王。


大師堂。


三重塔。


ここで千葉さんと別れ、山梨君と二人で奥之院へのへんろ道を上って、

15時15分、今日の宿の「国民宿舎土佐」へ。


山梨君はここの露天風呂で汗を流した後、まだ時間があるのでもう少し先まで歩くという。小生は、どうやら昨夜の距離計算を間違ったようで時間は早いのだが、足が痛いこともありここで泊まることにする。宿代もドミトリーで2500円と格安。
露天風呂に入り、風に吹かれながら土佐湾を眺めつつ、足のメンテナンス。だが、右足小指の爪がはがれかけていたり、マメが化膿したりしていてどうも思わしくない。考えた末、明日は休足日とし、ここで2泊することにする。

露天風呂からは土佐湾が一望できる。



歩数 55,763歩 (累計 542,559歩)
距離 33.5km  (累計 378.5km)
費用 4,971円(宿代2500 食料1275 SDカード1196)
    (累計 64,020円)
























































四国の旅 第13日 高知市・種崎千松公園へ

2012年06月13日 | 2011年四国の旅-1
10月25日(火) 薄曇りときどき晴 (「丸米旅館」~高知市・種崎千松公園)

○本日の参拝
第28番札所 法界山高照院 大日寺   (御本尊:大日如来)
第29番札所 摩仁山宝蔵院 国分寺   (御本尊:千手観世音)
第30番札所 百々山東明院 善楽寺   (御本尊:阿弥陀如来)
第31番札所 五台山金色院 竹林寺   (御本尊:文殊菩薩)
第32番札所 八葉山求聞持院 禅師峰寺 (御本尊:十一面観世音)




6時45分、出発。宿代6510円の端数にちょっと戸惑うが、6200円+消費税5%が310円で6510円と納得。


6時55分、烏川より東方の空。


7時15分、坂を上って大日寺山門へ。早朝のため静かなり。


石段の上に本堂と、


大師堂。


六角堂と、


鐘楼。


7時50分、田園の中を行き、


物部川にかかる戸板島橋方面へ、


橋上からの物部川。


さらに田園の中を行き、


8時30分、松本大師堂へ。


地元の高齢の男性が大師堂周辺の草を刈っており、話をうかがいつつ小休止。
彼は、いわゆる「職業遍路」の人たちを「乞食遍路」と呼んで嫌っていたが(そしてこれまでも他の人からそのようなニュアンスの発言を聞いてきたが)、その理由はまだあまりよく分からない。野宿でまわっている小生なども「乞食」のごときものか・・・。それと、今日参拝する第31番の竹林寺に「一言地蔵」というお地蔵さんがあって、願い事を1つだけかなえてくれると言われているからお願いするといい、ということなども教えてもらった。

再び田園地帯を横切っていき、


9時10分、町中に入ったところで、「へんろ石まんじゅう」を買う。5個370円なり。




9時25分、国分橋をわたる。


橋には、土佐の国司だった「土佐日記」の著者紀貫之の絵が描かれている。


国分川に沿って少し下って、


9時35分、「四国第廿九番霊場国分寺」の大きな山門へ。


山門は仁王門で、阿形、


吽形。


広々とした境内に、本堂(ここは「金堂」となっていた)。




大師堂。


開山堂と、


鐘楼。


10時、国分寺を後に、3寺目の善楽寺へ向かう。


野中の道を辿る。


10時20分、昨夜同宿だった「ランニングお遍路」さんに追い抜かれる。


10時45分、「ヘンロ小屋(第五号)蒲原」にて小休止。


11時、国道384号、逢坂峠にて、


南国市から高知市へ。


10時30分、善楽寺へ。ここは山門がなく、十一面観世音が参拝者を迎える。


本堂と、


大師堂。


ここで、昨日別れた広島さんとばったり。宿探しは時間切れで、大日寺の通夜堂で泊まらせてもらった、とのこと。
2人で、へんろ石まんじゅうを食べる。


つぶ餡で、大ぶりの温泉饅頭のような感じ。


善楽寺の、道路を挟んだ反対側は「土佐國一ノ宮」である土佐神社。




神光門。


鳥居と拝殿。


久安川に沿って、高知市街方面へ。




広島さんは、高知駅から帰宅するとのことで、本当のお別れ。

12時50分、土佐電鉄後免線の文殊通駅を過ぎる。


13時、絶海池を渡って、




五台山に取りつく。


ここは、牧野植物園の一角。




園内を通過し、




出口(実は入口)で、「遍路です」と言うと、「ご苦労様」との答え。入園料はとられず。

13時30分、竹林寺へ。


山門をくぐり、


境内へ、


本堂は屋根を葺き替え中。


大師堂と、


五重塔。




五智如来と、


松本大師堂で聞いてきた「一言地蔵」。


何をお願いしようか考え、「初恋の人にもう一度会えますように」などの案も考えたが、結局「早く足の痛みが消えますように」という、何とも即物的なお願いをしてしまった。

五台山は木々が美しいところ。


名勝庭園には、新郎新婦の姿もあった。


14時20分、下田川をわたり、


15時、武市半平太の旧宅と墓を見学。




瑞山記念館と、


墓所、


詩碑もある。「花依清香愛 人以仁義栄 幽囚何可恥 只有赤心明 瑞山」の遺詠。


15時15分、石土トンネル。


石土池。




15時35分、禅師峰寺登り口。




15時45分、やや急な登りの先に、禅師峰寺の山門。


本堂と、


大師堂。


境内からの展望。


その後は急に肌寒くなり、夕焼けに急かされるようにして泊り場へ。


途中で2度道を尋ねて、17時30分、すでに暗くなった種崎千松公園へ到着。ここは浦戸大橋の下にあたる。他に野宿者はおらず、草の上にテントを張る。今日は長丁場だったが、明日もまたそうなりそうだ。

歩数 58,244歩  (累計 486,796歩)
距離 35.5km   (累計 345km)
費用 7,018円(宿代6510、食費508) (累計 59,049円)








































四国の旅 第12日 野市町・「丸米旅館」へ

2012年06月07日 | 2011年四国の旅-1
10月24日(日) 晴 (道の駅大山~野市町・「丸米旅館」)

○本日の参拝
ありません

(地図1)


5時40分、「道の駅大山」を出発。広島さんは足のメンテナンスのため遅れていくとのことで先行する。まだ暗い国道55線を、反射腕輪を金剛杖の先に巻きつけて、肩にかついで歩く。

6時30分、明るくなり伊尾木に。


コンビニで、おにぎりと牛乳で朝食。小生にとっては、朝一番の牛乳500ccが一日のエネルギー源になるのを前回の旅で発見した。足は痛いが、調子は上向きだ。
食べているうちに広島さんが追いついてきて、以後は一日中、彼と行動を共にした。


6時55分、伊尾木川を渡り、


7時5分、安芸川にかかる安芸川橋を渡る。


下流方面。


朝の安芸の町並みを眺めつつ行く。
ここにも「水切り瓦」の家がたくさんあり、芸術品のような家もある。2人して写真を撮りながら歩く。






8時、安芸漁港。


穏やかな海を漁船が往来している。広島さんによれば、2隻で組んで網をひいて、ドロメと呼ばれる白魚を獲っているのだそうだ。彼は、昨年の定年まで船に乗って世界をまわっていたので、漁業に関してもとても造詣が深い。


新城の「高知安芸自転車道案内図」。


以後、しばらくは海に沿って歩く。

8時35分、休憩所あり。


歩きやすい道が続き、


9時、途中1か所だけ切れているところがあったが、


再び海沿いの道。

ここでも、2隻の漁船で操業。


空は晴れ、気分爽快、どんどん歩く。






アカテガニを見たりして。


9時30分、芝生の赤野休憩所あり。小休止。


9時40分、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の上を行き、


9時45分、赤野川を渡る。


下流方面。


9時55分、英子さんの「お接待所」。




一休みさせてもらい、コーヒーをいただきつつ、家の中のマネキンや書き物や絵などを見ていたら、英子さんが出てきて柿をむいてくれた。その後、20分ほど彼女の話を聞きつつ休憩。この「お接待所」は15年位前からやっているとのこと。その前は、神峯寺の清掃などをやってきたとかで、ずっとお遍路にかかわって生きてきた、という話などを伺った。

再び自転車道を行く。




途中、廃船を見たり、


線路の下を歩いたりする。


廃船の中で子猫がしきりに鳴いていたが、連れて行くこともできず、みかんをむいてあげて置いてきた。


この車は、広島さんによれば、地引網の動力だそうで、昔は大勢の人が引いていたのだが、今では機械に頼ることになった、とのこと。


10時35分、松並木が現れ、


ハマユウなどを見つつ行くと、


10時45分、琴ヶ浜休憩所。






琴ヶ浜松原。


「お龍君枝姉妹像」。




11時、和食川。


11時10分、線路の下の「REST AREA」。


(地図2)



11時35分、香南市に入る。


トンネルをぬけて、




国道55号線に戻り、道端で干物作り。


12時10分、夜須川にかかる豊栄橋を渡り、


「道の駅やす」へ。30分間昼食休憩。


案内図


12時50分、再びへんろ道へ。


13時25分、香宗川を渡る。


13時35分、「絵金蔵」は休館日、楽しみにしていたのだが残念。


「弁天座」も休館。






置いてあったパンフレットより。






赤岡町の史跡・旧跡案内図。


レトロな店。


13時45分、赤岡大橋を渡る。


その後は、2人して暑い暑いと言いながら国道55号線を歩く。

14時30分、丸米旅館に着く。予定していた絵金蔵の見学が無くなり、時間も余っていることから、ザックを宿に置き、広島さんと一緒に「竜馬歴史館」に行くことにする。


14時40分、「竜馬歴史館」。




何故かここで、レプリカであったが、実物大の絵金の歌舞伎絵をたくさん見ることができたのは思わぬ収穫だった。

見学後、広島さんは明日いったん帰宅せねばならないから今日は28番の大日寺まで行くとのことで、名残を惜しみつつ握手をしてここで別れる。彼もまた岡山さんとは別の領域で博識であり、いろいろと教えてもらうことが多かった。感謝。明日からはまた一人旅である。

宿では、夕食時に神奈川県の相模原から来たという「ランニングお遍路」の男性と一緒になり、同郷の気安さから話が盛り上がった。彼は小さなリュックを持っているだけで、23日間で八十八か所を駆け抜ける予定だと言う。こういうお遍路のまわり方もあるのかとちょっと驚いた。

歩数 47,682歩 (累計 428,552歩)
距離 28.5km  (累計 309.5km)
費用 2,383円(コンビニ503、道の駅820、ペットボトル150、「竜馬歴史館」1050)
    (累計 52,031円)



















































四国の旅 第11日 安芸市・道の駅大山へ

2012年06月04日 | 2011年四国の旅-1
10月23日(土) 晴 (金剛頂寺宿坊~安芸市・「道の駅大山」)

○本日の参拝
第27番札所 竹林山地蔵院 神峯寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)



住職の都合で、朝の勤行はないとのこと。今日は、「真っ縦」といわれる神峯寺を参拝するため、少しでも早く出発したいところだったので(不届きながら)大いに助かる。

6時、部屋の窓から好天の予感。


6時40分、岡山さん、広島さんと3人で宿坊を出発。


田園のへんろ道を海を見たりしながら下っていく。




7時10分、国道55号へ。

7時30分、傍士漁港。


7時40分、東ノ川を渡る。下流側。


上流側。


吉良川には、旧国道にそって古い町並みが保存されており、趣のある家々を写真を撮りながら行く。












「水切り瓦」。雨水から壁を守るためのもの。


「石ぐろ」。河原の石などを積んで台風などから家を守るのだそうだ。


町並み館でいただいたパンフレット。








7時55分、西ノ川の案内板。


しばらく行くと、道端でおばあちゃんが金時芋を干している。広島さんが何をしているのかと聞いてみると、粉にして餅をつくるのだ、と。


9時、羽根川橋を通過。


9時40分、海岸から離れ、中山峠へんろ道へ。


秋の日差しを浴びて、野の道を行く。


10時15分、加領郷漁港。


10時20分、番外霊場「弘法大師御霊跡」。


写真ではわからないが、ときどきボラが飛び跳ねる海辺を行く。


11時40分、奈半利川を渡る。


土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の下に、二十三士墓所。










12時、「道の駅田野駅屋」にて食料を買い、30分間昼食休憩。




13時、安田川大橋を渡ると、


土佐鶴酒造。


13時20分、神峯参道へ。


朝、宿坊で、「ドライブイン27」で荷物を預かってもらって神峯寺へ行ったらよい、と言われていたので、お願いして空身で出発。


小川に沿って行くと、


「よさこい秘話」の案内板。


13時45分、神峯神社鳥居。


14時10分、神峯寺登り口徒歩道。1.3km、「マムシ注意」の立札あり。


14時50分、急な山道を登り切って、標高450メートルの山門へ。


本堂と、


大師堂。


15時40分、神峯寺を後にし、40分の汗まみれの下りののち、16時20分、「ドライブイン27」へ戻り、アイスを食べる(この日、高知市は最高気温27.1度、夏日だった)。

岡山さんは、都合で今日でいったんお遍路を打ち切り、唐浜駅から電車で帰宅するので、ここでお別れ。彼の言葉で印象的だったのは、「へんろみち保存協会」代表で保存に精魂を傾けてこられた宮崎建樹さんが、行方不明ののち2010年12月10日に遺体で発見されたことに話が及んだ時に、「あまりにむごいことだ。お大師様もよそ見をすることがあるのかな。」とボソッと言ったこと。彼はお遍路は10回目で、いろいろと教えてもらうことが多く、よい先達に巡り合うことができ幸運だった。3人で納札を交換し、記念写真を撮ってもらう。


その後は広島さんと2人で国道を歩き、
17時20分、大山岬にて日没。


17時30分、「道の駅大山」に着き、テント泊。テント内で靴下を見ると、右足にだいぶ血が付いていた。道理で神峯寺の下り以降やけに痛かったはずだ。未だ化膿は治りきらず。とはいえ気分的には楽しく歩いている。

歩数 43,245歩 (累計 380,870歩)

距離 35.5k      (累計 281km)

費用 428円    (累計 49,648円)

※ 昨日、今日と、歩数と歩行距離との関係が変な値になっていますが(単純に割り算をすると1歩の歩幅が80cmを越えてしまう)、これはドコモのケータイの「いきいき歩数」というモードによるものです。「いきいき歩数」は「毎分60歩以上歩き、連続3分以上」歩いた場合の歩数で、実際の総歩数よりはかなり少ないのですが、気付いたらそうなってしまっており、調整の仕方も分からなかったのでそのまま記載しています。

















四国の旅 第10日 室戸市・金剛頂寺宿坊へ

2012年06月02日 | 2011年四国の旅-1
10月22日(金) 曇ときどき雨 (「民宿徳増」~室戸市・第26番金剛頂寺宿坊)


○本日の参拝
第24番札所 室戸山明星院 最御崎寺 (御本尊:虚空蔵菩薩)
第25番札所 宝珠山真言院 津照寺  (御本尊:地蔵菩薩) 
第26番札所 竜頭山光明院 金剛頂寺 (御本尊:薬師如来)



7時、「民宿徳増」を出発。宿代は歩き遍路への「お接待」で300円引いて6200円。


今のところは雨はやんでいるが、海は相変わらず波がたっている。




宿の前で、「ロッジ尾崎」に泊まったという広島からの男性、次いで岡山からの男性に会い、はじめのうちはつかず離れずしつつ、結局3人一緒になって宿まで歩くこととなった。

すぐに夫婦岩が見えてくる。




7時20分、夫婦岩。




海岸線にそって歩く。




8時、椎名漁港。




8時15分、砂浜を歩く岡山さん。


波打ち際で砂に文字を書いていたので、後で何をしていたのか聞いたところ、「波灌頂」というもので、故人の名前を波にもって行ってもらうことで供養する行事、とのこと。

8時30分、丸山海岸。室戸岬が近づいてくる。


堤防には、背丈の低いハマアザミが咲いている。


9時40分、杉尾神社。


9時50分、高岡漁港分岐。


10時、乱礁遊歩道入口。左へ入ると「大師行水の池」などがあるようだ。


その先を回り込むと、高さ21メートルの「室戸青年大師像」。




室戸岬案内図。


「名勝反天然記念物 室戸岬 昭和三年十一月建設」の碑。


えっ、「反天然記念物」って?


10時10分、御蔵洞。




「弘法大師修行之処」


中は、水が滴っていた。


渡辺水巴の句碑。「乱礁の 巣に鳥入りて 月の秋」


へんろ道は、岬の突端へは行かず、灯台を経由して第24番最御崎寺へ登っていく。


ほんの束の間、薄日さす。


捻岩。




11時、室戸岬灯台。




11時5分、最御崎寺山門と、


境内。




本堂と、


大師堂。


鐘楼堂。


多宝塔。


岩見重太郎(薄田隼人)の塚(岩見重太郎については、日本縦断の旅において、天橋立で「岩見重太郎仇討の場」の碑を見ている)。


吉井勇の歌碑。「空海を たのみまゐらす こころもて はるばる土佐の 国へ来にけり」


11時25分、参拝を終え、下りにかかる。「室戸スカイライン」から室戸市街が足元に。


空は相変わらず曇っているが、岬を回り込んだ土佐湾に面する側は、とても明るい雰囲気を感じる。「民宿徳増」の奥さんが言っていた「岬の東と西とは別世界」との意味がよくわかる。


ハイビスカス咲く国道55線を西へ。


室戸の漁港を見、


12時、500メートル近い長さの「くろしお橋」を渡る。


雨が降り出し、「道の駅とろむ」にてペットボトルを買い、高速バスの停留所で小休止。

小降りになるのを待って歩き出したと思ったら、急に雨が降り出し、一気に雨脚が強くなって雷も。慌てて近くのガレージへ避難。広島さんや岡山さんもそれぞれ、コンビニや軒下で雨宿りをしたとか。
小雨になったので再び歩き出し、

室津漁港。


13時30分、津照寺の前の薬局でヨーチン(300円)を買い、津照寺に参拝。また雨。

長い石段の途中に鐘楼門。


さらにその上に大師堂。




本堂。


本堂の横で、バス遍路さんたちとしばし雨宿り休息。

15時10分、雨はやみ、金剛頂寺への登りの途中から室戸岬を振り返る。


15時20分、金剛頂寺の長い石段。


山門。


本堂。


本堂の地下で、越智画伯の描いた 仏画を拝見。


大師堂。


雨が上ると、バス遍路さんたちも次々とやってくる。


16時、宿坊にて宿泊の手続き。宿坊に泊まるのは生まれて初めて。宿泊代6000円。
もっと先まで行く予定だった広島さんも結局ここに泊まることにする。牟岐の「あづま」で同宿した愛媛君と再会。
さっそく風呂に入り落ち着く。


部屋の窓から。


夕食は想像以上の食事内容。刺身、エビ、焼き魚、茶わん蒸しその他。ご飯はお赤飯だった。広島さん曰く、「お寺だから野菜ばかり出てくるかと思ったら大違いだった。」
食事中にまた稲妻が光り、雷鳴が轟いた。

歩数 32,214歩 (累計 337,625歩)

距離 26km      (累計 245.5km)

費用 12,650円 (「民宿徳増」6200 金剛頂寺宿坊6000 その他450)
         (累計 49,220円)