そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014~15年 太平洋・瀬戸内海・オホーツク海側 徒歩の旅  まとめ

2016年07月04日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2014~15年 太平洋・瀬戸内海・オホーツク海側 徒歩の旅 のまとめ

最後に、今回の旅のまとめを少し記しておきます。
2014年の旅が不本意な形で終わり、足掛け2年ということになりましたが、何はともあれ、2014年3月11日に佐多岬から始まった太平洋・瀬戸内海・オホーツク海側を歩く旅は、2015年6月13日に無事宗谷岬に到達し、2008年4月からの日本外縁の旅は円環を閉じることになりました。この間の旅を通して、自分自身にとって、多少は見聞を広めることが出来たと思いますし、何より多くの方々の親切と触れ合うことが出来たことは貴重な財産となりました。深く感謝します。それと、物好きな趣味に協力してくれたカミさんにもちょっと。

以下に、記録を載せておきます。

2014年の旅






2015年の旅








※ 2014年の旅の終わりの表(2014年5月11日)では、自宅から佐多岬までの交通費が抜けていましたので、今回、計算しなおしました。


 宿泊施設の内訳

  ユースホステル (26)
  ホテル・ビジネスホテル (19)
  旅館 (15)
  民宿・ペンション (15)
  キャンプ場 (13)
  公園その他で野宿 (12)
  ライダーハウス (10)
  道の駅 (6)
  自宅(ピストン含む) (6) 
  駅 (4)
  ゲストハウス (4)
  国民宿舎 (3)
  バス停 (3)
  温泉 (2)
  知人宅 (1)
  スポーツ宿泊施設・平成の森 (1)
  船員会館 (1)
  夜行フェリー (1)




   2008年の旅( 94日)     3030㎞          457万8338歩
   2011年の旅( 46日)     1213㎞          177万7904歩
   今回の旅   (142日)     4654.5㎞        708万8986歩

   旅の合計282日   歩行距離 8897.5㎞     歩数 1344万5228歩

  ※ 旅の日数には、宗谷岬到達後の礼文島や利尻島の観光や、高野山への結願お礼参りの日数も含んでいます。


さて、小生も古希が近づき、ザックを背負っての野宿を交えた長旅はなかなか困難になってきました。今後は、これまでの旅の途中で通過してしまった、長崎半島、能登半島、伊豆半島、房総半島などを、そして出来れば沖縄を、年金の中から路銀をためて、宿泊まりを中心に歩いて行けたらと考えております。
拙いブログをお読みいただきありがとうございました。

2015年 徒歩の旅 終章  礼文島へ、そして自宅へ

2016年07月03日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月14日(日)~19日(金) 
(稚内市・「モシリパ」~礼文島・「桃岩荘」~川崎自宅)








宗谷岬に到達し、一応の目的を遂げた後、礼文島(6月15・16日)および札幌の知人宅(6月17日)に立ち寄り、苫小牧から夜行のフェリーを利用して、6月19日、川崎の自宅に帰った。その間のことを少し。

2008年の旅でも、最後に利尻・礼文島へ寄ったのだが、天候が今一つだった。今回も予報では曇だったが、相手は自然なので、ひょっとして‥‥、と考え、帰りの車中・船中で、礼文島の好天の報を聞くことになどなったら悔しいので、「だめもと」で行ってみた。結果は、前回のような雨天ではないものの、残念ながら今回もまた青空はお預け、となってしまったが。

6月14日(日) 曇 礼文島へ。



朝2番の船便で礼文島へ渡るべく、稚内港のフェリー乗り場へ。
途中、北防波堤ドームを。


振り返れば、開基百年記念塔。


JR稚内駅と「日本最北端の線路」のモニュメント。






7時15分発の、鴛泊経由、香深港行きのフェリーに乗る。






利尻島鴛泊港。




10時5分、香深港到着。桃岩荘ユースホステルのヘルパーたちと合流し、桃岩荘へ。




まだシーズン初めなので、泊り客は少なかったが、ヘルパーたちは元気に働いていた。


猫岩も変わらず。


午後は、付近を散策。前回にウニ丼を食べた佐藤商店は、今はなくなってしまったとのこと。
花と漁村の風景、地蔵岩などを見て回った。

オダマキ。


センダイハギ。


ノビネチドリ。


ノビネチドリの白花。


マルバトウキ。


レブンキンバイ


ハマエンドウ。


レブンシオガマ。


漁村風景。








地蔵岩。


夜は、恒例のミーティングで、歌って踊って笑って楽しく過ごした。代替わりはしても、桃岩荘の伝統は受け継がれていた。


6月15日(月) 曇 「愛とロマンの8時間コース」。



昨晩、「愛とロマンの8時間コース」を歩く人を募ったのだが、参加希望者は小生のみ。そこで、はじめは取りやめの方向だったが、ヘルパー1人(マーリー君という気さくな若者)が同行してくれることになり、急遽実現。

ユースから香深フェリーターミナルまで歩いて、そこからスコトン岬までバス。

7時25分、トド島。


「最北限の地スコトン岬」。




ここから、花を見ながら、二人で礼文島西海岸を南下した。はじめのうちは激しい風でやや難儀したが、すぐに慣れた。




トド島展望台。


「銭屋五兵衛貿易之地」の碑。




上村占魚の句碑。
「飢ゑし啼く 海猫に日増しの北風嵐」。


チシマフウロ。


レブンシオガマ。




霧の中を行く。




キジムシロ。


8時40分、霧のゴロタ岬。


ネムロシオガマ。


波白し。




エゾカンゾウ。




ゴロタ浜。




穴あき貝を拾ったりしつつ行く。

タカネナデシコ。


ハマエンドウの群落。


オダマキ。


北側の海岸線を振り返る。


10時35分、澄海岬。










レブンコザクラ。


チシマゲンゲ。


ゴゼンタチバナ。


レブンウスユキソウ。


サクラソウモドキ。


ツマトリソウ。


ふたたび海岸線。




砂浜や岩の上を歩く。










宇遠内で小休止。

その後は、ユースのヘルパーが刈払いをした樹林帯を抜け、香深井バス停を経由して、舗装道路を香深フェリーターミナルまで歩き、近道をしてユースへもどった。
前回通った礼文林道は荒れていて通行不可。残念ながら青空は見られなかった。




夜は、またミーティングでくつろぐ。


6月16日(火) 曇 稚内「モシリパ」ユースホステルへ。



桃岩荘を辞し、フェリーターミナルへ。

ターミナルで見かけたレブンキンバイと、


レブンウスユキソウ。


8時45分、桃岩荘のヘルパーと同宿者に見送られて、稚内行きのフェリーへ。「また来いよ~」の声が風の中に消えていった。






ふたたびモシリパ ユースホステルへ。

その後は、お土産を買ったり、市役所へ最北端到着証明書を申請にいったり、


ユースのそばの「ボリューム亭」というレストランで、店名通りのボリュームのあるカツ定食(900円)を食べたり、
記念に書店で2冊ほど北海道に関する本を購入したりと、のんびりと過ごした。

渡辺一史著『北の無人駅から』(北海道新聞社)


工藤裕之著『追憶の鉄路』(北海道新聞社)



6月17日(水) 曇のち晴 札幌へ。

朝一番の特急「スーパー宗谷2号」で、稚内から札幌の知人のところへ。


札幌駅で落ちあい、短時間ながら駅周辺を案内してもらった。


大通公園。


時計台。












彼とは、前年の旅の途中、神戸たるみユースホステルで同宿だった。宗谷岬に着いたら、帰途に寄ってくれとの言葉に甘えて、1泊させてもらった。夜は、ビールを飲みながら、旅の話や本の話など時間を忘れた。


6月18日(木)~19日(金) 曇のち雨 川崎の自宅へ。

朝食をご馳走になって、ゆっくり知人宅を辞し、
日中は、札幌駅付近の書店で、松浦武四郎に関する本などをながめたりして時間調整。1冊購入。

小松哲郎著『ゆたかなる大地―松浦武四郎が歩く―』(北海道出版企画センター)


15時、帰宅の途につく。「札幌発のバスで苫小牧へ、苫小牧からフェリーで茨城県大洗港へ、そしてさらにバスで東京駅へ」というパックがあり、それを利用した。










そして、6月19日20時、80日ぶりに川崎の自宅へ戻り、旅が終わった。

最後に、礼文島の思い出に、
ゴロタ浜で拾った穴あき貝と、


桃岩荘で購入した2015年限定ポスターを。