そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第17日  女川町・ふじ旅館へ

2016年04月12日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月17日(金) 晴 (仙台市・千登勢屋ユースホステル
              ~東松島市・JR陸前小野駅~女川町・ふじ旅館)




今日から再びザックを背負っての旅がはじまる。

5時20分、宿を出て、JR仙台駅から仙石線で松島海岸駅へ、代行バスで陸前小野駅へ向かう。

代行バス区間は、松島の遊覧船乗り場を過ぎるとあたりが一変し、復旧工事中のコンクリートが続く。途中しばらく田園地帯を通ったが、陸前大塚からは工事中。防潮堤が鉄道の線路を防護するようにずっと続いていた。特に野蒜の周辺がひどくやられたようで、駅のあったところは荒廃し、更地のままむき出しで、遠くに高い白色の防潮堤が見えた。

7時30分、昨日の到達点であるJR陸前小野駅に着く。

駅からの様子(仙台方面)、


(石巻方面)


案内図。


7時35分、陸前小野駅を出発、国道45号線を石巻、女川方面に向かう。


8時30分、矢本駅前。


道路は工事関係のダンプカー多し。

9時5分、定川橋を渡る。


定川の堤防工事が大々的に行われていた。


9時40分、石巻市に入る。


歩道橋を渡り、389号線に入って、

10時40分、金華山道の標柱のある交差点を右折して県道240号へ。


途中で道を尋ねつつ、

11時15分、日和山公園(標高54m)へ。






桜が満開で、眺望は抜群だが、手前の斜面の桜とは対照的に、先の方の平地は津波の爪痕が生々しく残っており殺伐としていた。だだっ広くむき出しの荒れた平地をダンプが何台も走り回っている。かつてここに街があったとはとても思えず、約4000人の犠牲者のことを考えると言葉もない。






鹿島御児神社参拝。一日も早い復興を祈念した。




見事な桜の木の下に芭蕉句碑あり。
「雲折々 人を休める 月見かな」




木俣修歌碑、
「大漁の旗あぐる船よりよぶこゑに
こたふるなして海なりの音」。




北上川の改修や石巻河口港の整備を行い、石巻港繁栄の基礎を築いた、川村孫兵衛重吉の像。




冷たい風が吹き始め、寒くなったので下山。

急坂を一気に下り、
今も震災津波の跡が残る街中を通って、












国道389号線に戻り、旧北上川にかかる内海橋を渡って回り込むように進むが、歩道は非常に状態が悪い。道路が骨粗しょう症のような感じ、というか。あちこち工事中。

風強くかつ寒く、吹き飛ばされるように歩く。向かい風ではないのが救い。

13時50分、万石浦も護岸堤防が目立つ。




石巻線に沿って浦をまわる。







途中で降雨あり。

14時10分から20分間、バス停にて雨宿り。
その後は止んで、薄日がさしやや暑し。

14時35分、女川町に入る。







万石浦が終わり、浦宿駅で、やって来た「キハ」の写真を撮り、




15時25分、宿へ。宿泊、2食付き 7020円。

宿には、長期滞在の工事関係者が多かった。宿の人から、予約の際にも工事関係者かと尋ねられたし、ここから先も工事関係者で宿は一杯だろうと言われた。夕食に毛ガニが出た。


2015年 第17日(佐多岬より79日)

歩数  40805歩    (佐多岬より累計  4121956歩)
距離  28km       (佐多岬より累計  2677km)
費用  8310円     (佐多岬より累計  398773円)