そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第62日  川崎市・自宅へ

2016年03月06日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月11日(土) 晴 (自宅~JR川崎駅~JR辻堂駅~川崎市・自宅)



5時45分、自宅を出る。

昨日と同じくJR川崎駅から東海道本線に乗り、今日は辻堂駅まで。

7時、JR辻堂駅を出発。

7時20分、昨日の到達点である県道30号線(湘南新道)との交点の高砂歩道橋へ。以後は、昨日と同様に、箱根駅伝の復路コースを辿る。

8時10分、藤沢駅北口。


8時25分、復路8区の難所、遊行寺の坂の上り。






8時40分、「旧東海道松並木跡」。


8時50分、横浜市戸塚区に入る。


「鉄砲宿」表示。


8時55分、藤沢バイパス出口で国道1号線と合流。


振り返り。


国道1号線は自動車夥し。


9時25分、浅間神社入口。


9時30分、原宿一里塚跡。




10時20分、橘の芳香、5月である。


11時、8区に入り、JR戸塚駅を過ぎて、不動坂。




モチノキ。




12時、標高差50mの長い権太坂の上り。


12時5分、権太坂上に。


12時30分、保土谷宿松並木と一里塚。




こんなマンホールの蓋もあり。


13時50分、横浜駅を過ぎ、青木通交差点。ここから国道15号線(第一京浜国道)に入る。




15時40分、鶴見中継所を過ぎ復路10区に入ると、いよいよ川崎市。


16時10分、稲毛神社の石碑。

芭蕉
「秋十とせ却つて 江戸をさす古郷」。


子規
「六郷の 橋まで来たり 春の風」。


佐藤惣之助
「祭りの日は佳き哉
つねに恋しき幼き人の  
あえかに粧ひて
茜する都の方より
来る時なり‥‥」。


16時20分、六郷の渡し。




六郷橋。


残念だが、今回の旅はここで打ち切り。多摩川水青し。


16時40分、自宅へ。

歩数  61912歩    (累計  3262399歩)
距離  35.5㎞     (累計  2113㎞)
費用  1680円     (累計  336844円)



 本州の通過ルート






2014年の旅のまとめ



※表の費用合計には大泊までの交通費13210円が追加になります。

                                   






2014年 徒歩の旅 第61日  藤沢市・JR 辻堂駅へ

2016年03月05日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月10日(土) 晴 (自宅~JR川崎駅~JR小田原駅
                  ~藤沢市・JR辻堂駅~JR川崎駅~自宅)




5時55分、空身で家を出る。2カ月ぶりの自宅で、ぐっすり眠った。

JR川崎駅から、東海道本線で、JR小田原駅へ。

7時50分、小田原駅を出発。


まず、小田原城を眺めてから、昨日の続き、箱根駅伝の復路7区の国道1号線を辿ることにする。

小田原城址公園に入ると、小田原城の御用米曲輪の発掘調査中。




7時30分、戦国大名小田原北条氏の居城、小田原城。ここは地元なので何度も来たことがある。








お城の隣は、報徳二宮神社。


二宮金次郎像。




二宮尊徳像。


大鳥居。


その横には、明治の第19代横綱常陸山谷右衛門が献納した「奉献 横綱常陸山」と記された石柱。


お城の南側を通り、


足柄街道の国道1号線を行くと、

7時55分、旧網問屋を再整備した「なりわい交流館」。


その先に「北村透谷生誕地」の碑。


週末のせいか、自転車で国道1号線を走る人が何人もいる。東海道ウォーキングらしき人もちらほら。

8時15分、「江戸口見付並一里塚址」碑。


久野川の山王橋より海側を望む。


8時35分、酒匂川の酒匂橋から。西湘バイパスの先の海は相模湾。


振り返ると、箱根連山から頭を出した白妙の富士。


8時55分、残された東海道松並木の横を過ぎる。


9時15分、国府津インターの親木橋交差点の歩道橋から。


9時30分、西湘バイパスの横を通る。


9時45分、上り坂になり、「史跡車坂」。案内板に和歌が添えられている。


太田道灌
「鳴神の 声もしきりに 車坂
          とどろかしふる ゆふ立の空 」 

 源 実朝
 「浜辺なる 前川瀬を 逝く水の
          早くも今日の 暮れにけるかも」

  北林禅尼(阿仏尼)
  「浦路行く こころぼそさを 浪間より
          出でて知らする 有明の月」
           

9時55分、二宮町に入る。




10時45分、大磯町に入る。


東海道松並木の説明。


11時50分、東海道53次の8番音の宿場だった大磯宿の上方見附跡。


11時55分、「新嶋襄先生終焉之地」碑。




12時40分、平塚市に入る。


その後は復路8区の国道134号線を辿る。

旧吉田邸で薔薇の花を見ながら小休止のあと、大磯駅前を通過して、海岸沿いを行く。

13時、虹ケ浜の松林。


左右にずっと続く松林を見ながら歩く。足裏ズキズキとしはじめるが、だましだまし。

13時40分、相模川にかかるトラスコ湘南大橋を渡り、






13時45分、茅ケ崎市に入る。


茅ヶ崎駅入口を過ぎ、

浜須賀にて、藤沢方面へ、県道30号線に移る。

15時15分、藤沢市に入る。


辻堂駅入口にて行動を打ち切り、左折してJR辻堂駅に向い、

15時45分、駅に着く。



東海道本線に乗りJR川崎駅へ、そして、

17時05分、自宅に着く。

歩数  55131歩    (累計  3200487歩)
距離  34.5㎞     (累計  2077.5㎞)
費用  2903円     (累計  335164円)


2014年 徒歩の旅 第60日  小田原市・JR 小田原駅へ

2016年03月04日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月9日(金) 曇のち晴 (三島市・三島グリーンホテル
              ~小田原市・JR小田原駅~JR川崎駅~自宅)




この間、連日長距離を歩き、足にガタが来ているため、作戦を変更することにした。右足のマメが化膿したところは依然として肉が盛り上がってこず、かさぶたにもならず、カットバンとテーピングで抑え込み歩行中の痛みはなんとか我慢しているが、1日の行動が終わると相変わらず血がにじみだしている。また、そのため歩き方が不自然になったと思われ、調子のよいときは問題なく歩けるが、何かの具合で両足ともに足底全体がズキンズキンと痛み出すようになってきた。宿の風呂で入念にマッサージするもなかなか効果がでない。‥‥というわけで、今日、箱根を越えたら、小田原で泊まらずに自宅へ戻り、明日と明後日は、自宅から空身のピストンでルートを埋めることにした。

4時30分、暗い中、ヘッドランプで宿を出発。昨晩、雨が降った気配あり。

三島大社に行く前に、白滝公園から大社西側の桜川に沿って並んでいる、「水辺の文学碑」を見ていく。


大岡信。


宗祇
「すむ水の 清きをうつす 我が心」


正岡子規
「三島の町に入れば 小川に菜を洗ふ女のさまも やや なまめきて見ゆ

面白や どの橋からも 秋の不二 」。


桜川。左側に碑列。


十返舎一九。


右側に碑列。


松尾 芭蕉
「関こゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。

霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」


若山牧水。


司馬遼太郎。


窪田空穂
「水底にしづく園葉の青き藻を 差し射る光のさやかに照らす」


太宰治




小出正吾


穂積 忠
「み町なみに富士の地下水 湧きわきて
冬あたたかに こもる水靄」


井上靖


「水辺の文学碑」


4時50分、三島大社へ(西側の鳥居)。


総門、


神池。


神門、


舞殿


本殿。足の痛みが軽減するようお願い。


大鳥居。


その後、県道22号線を行き、箱根峠を目指す。




5時15分、JR東海道本線を越えた先に箱根旧街道入口。




足のことを考えれば、国道1号線の舗装道を行きたかったが、せめて雰囲気だけでもと、とりあえず並行する旧街道の方を行くことにする。

5時20分、愛宕坂。凸凹して歩きにくい。




大根の碑、
「箱根八里の馬子吹消へて 今は大根を造る歌  源水」。


松並木。


5時35分、錦田一里塚。




5時50分、白い花を眺めつつ上っていく。




6時、臼ころげ坂の六地蔵。


法善寺。




6時15分、雲の切れ間から富士山。


6時30分、松雲寺。




見上げる藤の花。


6時45分、こわめし坂を上りきった地点。


6時50分、笹原一里塚。


かなり上がってきた。


きれいな石畳の上り坂。




7時10分、長上坂は石畳工事中につき、国道1号線へ迂回。




急に霧がおりてくる。空気が一気に冷えて寒くなるが、ザックを背負った上りなので汗は止まらない。


7時20分、通行止めの終点だが、このまま国道1号線を上る。




7時30分、山中城跡にて小休止。




そばに「雲助徳利の墓」。


三島市が、彼について記しているところによれば、この雲助さんは、松谷久四郎という一説にさる西国大名の剣道指南役。大酒のみで事件を起こし、箱根で雲助に。とはいえ、元は侍なので、雲助仲間の面倒を見たりしたので、彼らから親分以上に慕われた‥‥とか。死後、供養のために仲間が盃と徳利を刻んだ墓を作った、のだそうだ。


さらに霧の杉並木を行き、


7時50分、三島市から、


凾南町に。


枯木坂を少し上るも、足裏が痛く、結局は霧の国道へ。




8時40分、箱根峠に着き、神奈川県に入る。


8時50分、「道の駅 箱根峠」から芦ノ湖を望む。こちら側は晴れて暖かい。小休止。




だらだらと下っていき、






「東京箱根間往復大学駅伝競走」の往路ゴール地点を過ぎ、

9時25分、箱根関所。




大休止とし、関所と箱根関所史料館などを見ていく。400円。










10時、箱根八里の碑を見て、


下り始める。

旧東海道杉並木の中を通り、




10時50分、御状岩。源頼朝がこの岩の上で書状をしたためた‥‥と。


11時、「国道1号最高地点 874m」


あとは小田原まで一気の下り。箱根駅伝の復路6区のコースである。新緑の中、急なジグザグを車を避けつつどんどん下る。

12時30分、箱根駅伝第35回記念碑 。駅伝の練習中に交通事故で亡くなった専修大学の小山国夫選手のお母さんの「鎮魂の句」が刻まれている、とあり。
「若ざくら箱根の山に 植えられて 恵みのつぼみ ひらくうれしさ」。




急な下りに夥しい車の量にヒヤヒヤしつつ歩く。実際、この駅伝の往路5区の上りは言うまでもないが、復路6区で急坂を駆け下るのも並大抵のことではないだろう。谷底に落ち込んでいくような感じである。選手たちの訓練のたまもの、との感強し。

13時55分、函嶺洞門。


バイパス工事が2014年2月に完成したため、封鎖されていた。2015年から駅伝のコースは変更になる。


小田急線の箱根湯本駅から先はもう観光客やハイカーで人の波であった。

14時35分、小田原市に入る。


15時15分、星槎城山トンネルを抜けて、


15時30分、JR小田原駅へ。


東海道本線に乗りJR川崎駅へ、そして、
17時、自宅に着く。


歩数  68200歩    (累計  3145356歩)
距離  38㎞       (累計  2043㎞)
費用  2090円     (累計  332261円)


2014年 徒歩の旅 第59日  三島市・三島グリーンホテルへ

2016年03月03日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月8日(木) 晴のち曇 (焼津市・ウィークリー翔 焼津~JR蒲原駅
                    ~三島市・三島グリーンホテル)




5時45分、宿を出発。JR焼津駅へ。

熱海行きのJR東海道本線にて、JR蒲原駅へ。

6時55分、国道1号線は自動車専用なので、県道396号線(旧東海道)を歩きはじめる。







7時25分、蒲原宿西木戸へ。


蒲原は、東海道53次の内の15番目の宿場。


旧東海道の宿場が保存されているので眺めながら行く。

蔀戸のある家、国登録文化財「志田家住宅主屋」。




大正時代の洋館、国登録文化財「旧五十嵐歯科医院」。




本陣跡。




なまこ壁と「塗り家造り」の家。




「義経硯水」の古跡。イボがとれると言われた湧き水だったが、今は涸れてしまっている。




再び396号線に出て、ゆるく坂を上りきったところで、突然、巨大な真っ白い富士山が目に飛び込んできた。富士を右手に見ながら歩く。

7時55分、富士市に入る。


8時5分、東海道新幹線と富士山。


新幹線の下をくぐったところ。




途中に案内板あり。


8時30分、富士川橋と白妙の富士山。


8時40分、富士川橋を渡る。






橋を渡ったところに、水神の森と富士川渡船場跡。






その後は、396号線を辿って富士、吉原の市街を抜け、県道380号線へ。

11時、やや雲が出てきた。


11時20分、昭和放水路と、


推進者の増田平四郎の像。




11時40分、沼津市に入る。


あとはずっと、旧東海道の県道380号線を、右手に松原を見つつ歩く。


千本街道。


12時10分、時々、海岸沿いの太平洋自転車道路を歩いたりしつつ、




正面は伊豆半島。


再び松林。


14時、西間門の交差点で海沿いから離れ内陸方面へ。


15時、清水町に入る。


JR三島駅への表示があったので、それに従って三島駅方面へ。実際はもう少し先に三島市に入ることを示す表示板があったと思うが、手前から左折してしまったので、いつの間にか三島市に入っていた。

15時40分、JR三島駅。


駅にて、観光案内所の女性職員に宿の位置を聞き、明日のために三島大社の案内図を撮っておく。


16時、宿に着く。宿泊、素泊まり 3500円。

歩数  54733歩    (累計  3077156歩)
距離  37.5㎞     (累計  2005㎞)
費用  6124円     (累計  330171円)


2014年 徒歩の旅 第58日  静岡市・JR蒲原駅へ

2016年03月02日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月7日(水) 晴 (焼津市・ウィークリー翔 焼津~静岡市・JR蒲原駅
                     ~JR焼津駅~ウィークリー翔 焼津)




5時45分、空身にて宿を出発。晴れて空気は清々しい。
静岡方面へどのようにしていくかと考え、まず東名高速の日本坂トンネルは当然ダメだとしても、国道150号線の新日本坂トンネルの方はひょっとして通行可能か、それならば大幅に距離を短縮できると思い、とりあえずえず行ってみることにした。

東海道本線を越えて、県道213号線を行き、

6時5分、瀬戸川を渡る。


6時25分、右折し、国道150号線を行く。

6時45分、いい調子で歩いてきたが、残念ながら、というか案の定というか、新日本坂トンネルも自動車専用で、歩行者・自転車は通行禁止。トンネルのそばで出会った男性に聞いてみたところ、①大崩海岸を行くか、②岡部宿の方から旧東海道を行くか、③さもなければ登山道を通ってトンネルの向こうに出るか、それしか方法はない、との返事。しかたなく、お礼を言って引き返す。②も③も高低差がありそうなので、海側の大崩海岸方面へ行くことにする。

しばらく行って、出会った女性に大崩海岸方面への道を尋ねたところ、現在大崩海岸は通行禁止、とのこと。もう②しかないや。

県道213号線まで戻って、西進、岡部宿を目指す。

7時45分、県道213号線。


案内図。


7時50分、藤枝市に入る。


8時、岡部へ。


8時10分、県道81号線(旧東海道)の内谷インターチェンジ北。松並木に出会い右折北上。


8時40分、岡部宿公園にて小休止。作戦を練る。明日、明後日の行程を考えると、何としても今日は蒲原まで行っておきたい。思わぬ迂回を強いられたが、かくなる上は、このまま国道1号線を行き、何時になるかわからないが暗くなっても蒲原まで行こう、と覚悟を決める。


隣の岡部宿大旅籠柏屋歴史資料館は定休日。


少し行った先に岡部宿案内板あり。岡部は東海道21番宿場。


8時45分、道の駅宇津ノ谷峠。


ここも歩行者道路が分かりにくく、道の駅売店の女店員に聞いてなんとか了解。


9時20分、宇津ノ谷トンネルを抜け、


静岡市に入る。


あとは道なりにどんどん下っていく。

9時50分、丸子の「名残の松」。


丸子宿案内板。丸子は東海道20番宿場




散歩をしていた高齢男性と一緒に歩きながら、この先の道について聞く。お礼を言って別れた後、彼が再び追ってきて、先ほど間違えて教えたかもしれないから、安倍川の橋がわかるところまで行ってくれるという。恐縮だが心強い。というのも、国道1号線の駿河大橋は自動車専用で、歩行者は手前から左に入り、安倍川橋を渡らねばならない、ということ。


10時55分、安倍川橋を渡る。


安倍川もまた大河である。


橋を渡った先の左に、「安倍川の義夫の碑」。元文三年(1738年)にあったという正直な川越人夫の顕彰碑。


名物「あべ川餅」。でも立ち寄ってはいられない。


11時5分、「由比小雪公之墓址」碑。由井正雪は江戸時代初期、浪人の救済を掲げた慶安の変の首謀者。


その後国道1号線に復帰し、暑い中をがむしゃらに、静岡、草薙と市街地を歩く。

14時、清水駅に続く地点。


14時20分、袖師交差点。興津宿へ向かう。


14時55分、明治の美文家の「高山樗牛假寓之處」。


15時、東海道17番宿場、興津宿。






案内板。




15時25分、海沿いを行く。


遠州灘波静か。


15時50分、なんともすさまじい所を通る。




東海道本線と東名高速と国道1号線バイパスとが束になっている。地震、津波など考えたらゾッとする。




16時10分、まあ、何というか、歩ける道がある限りは歩くしかない。


由比駅近く。


16時30分、JR由比駅前。「由比桜えび通り」。


案内図。




17時、桜えびかき揚げ丼を食べる。この旅で初めてのグルメ外食、1320円なり。いやあ美味かった。


あとはそのまま何とかJR蒲原駅まで歩き、

18時10分、宿へ戻る。連泊、2900円。


歩数  75287歩    (累計  3022423歩)
距離  53㎞       (累計  1967.5㎞)
費用  5925円     (累計  324047円)


2014年 徒歩の旅 第57日  焼津市・ウィークリー翔 焼津へ

2016年02月29日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月6日(火) 小雨のち晴 (御前崎市・御前崎ユースホステル~焼津市・ウィークリー翔 焼津)



4時45分、宿を出発。小雨のため傘だけで行く。

5時、御前崎灯台。




「見尾火燈明堂」という江戸時代の灯台。


山口誓子句碑。
「碧の濃き灘 通り来し土用波」


「遷れい塚」という、明治期に御前崎灯台の建設に功のあった人をまつったもの、とか。


遊歩道の途中から、明け方の太平洋、遠州灘。


灯台の下は、県道357号線。


5時、静岡県最南端の岬標柱。


海はやや荒れている。


5時15分、堤防の上を歩く。東方の彼方、雲の切れ間に朝焼けが見える。


堤防の上や下を歩きながら、岬を回っていく。

6時5分、牧之原市に入る。御前崎から続く「ヤシの木通り」。


6時40分、国道150号線に入り、沖の方を見ると海面上を太陽が照らしている。風はそよ風。


海岸線を堤防に沿って行く。焼津まで30㎞の標識あり。




7時20分、急速に雲が切れ始める。


カヌーの人たち。


7時30分、堤防は防風林に代わっている。


9時5分、国道150号線と海との間に歩きやすい道路があり、ところどころ国道150号線に出たりしつつ、これを辿る。空は青空に。


砂地の畑や、イチゴのビニールハウスなどが並び、防風・防砂林がずっと続く。

国道150号線に戻り、

10時30分、吉田町に入る。


大井川に向かい歩いている途中で、左遠方はるか彼方に、真っ白な山々が見えた。同定はできないが、方向からして南アルプスの南部の3000m峰だろう。荒川三山か、赤石、聖かな。




11時20分、大井川の富士見橋をわたる。遠方には懐かしい富士山の姿が見える。残念ながらややガスっていて、白妙の‥‥とはいかなかったが、やはり富士を見ると感慨が沸く。鹿児島から50数日、やっとここ迄来たか、と。


水量はさほどではないものの、やはり大河である。「越すに越されぬ‥‥」の時代など想いつつ。




11時30分、焼津市に入る。




12時40分、ここからも富士や、


チラッと白き山々。


あとはお決まりの市街地近郊歩きから、市の中心部へ。


14時5分、焼津駅へ。


時間が早かったので、宿の位置だけ確認して、再び駅前の広場でぼんやりと人々を見ながら過ごす。

16時5分、宿に着く。宿泊、素泊まり 2900円。

宿は、前に広島の三原で同宿した若者に聞いていた「ウィークリー翔」という、オートロック付きのマンションをホテルのようにしたもの。部屋は、ワンルーム・マンションのようになっており、ベッドの他に、バス、トイレ、簡単な調理場などがついていて、2900円と格安。もっと安いプランもあるとのことだが、そこは先客あり、だった。ここも2泊の予定なので、夕方、近くのスーパーに買い出し。


歩数  58557歩    (累計  2947136歩)
距離  38.5㎞     (累計  1914.5㎞)
費用  6339円     (累計  318122円)


2014年 徒歩の旅 第56日  御前崎市・御前崎ユースホステルへ

2016年02月28日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月5日(月) 曇のち雨 (湖西市・ビジネスホテル まさご
                ~JR新所原駅~JR磐田駅~御前崎市・御前崎ユースホステル)






宿から新所原駅へ、そしてJR東海道本線で新所原駅から磐田駅へ行き、そこから昨日の続きを歩く。

5時45分、宿を出発。上空は曇。風に乗って霧雨が飛んでくる。

7時、磐田駅を出発。こちらはまだ雨は降っておらず。県道43号線に出て、南下。


駅前に「郵便の父」前島密の像。彼は、明治初期、中泉奉行として磐田で行政をおこなった、とのこと。


こちらはまだ雨は降っておらず。県道43号線に出て、南下。

8時5分、福田西にて左折し、国道150号線へ。御前崎まで32㎞の表示あり。

少し先で太平洋岸自転車道に入り、彷僧川に沿って行く。川にはたくさんの鯉のぼり。






8時40分、「史跡 川岸みなと跡」。福田湊はかつての海運の中心地。その繁栄は、「嫁に行くなら福田の 川岸 へ、お江戸帰りの船が着く」とうたわれた、と。


いったん国道150号線に戻って、

8時50分、太田川橋を渡る。橋上より、太田川河口部を望む。右は彷僧川と、左は太田川の合流点。奥は彷僧川の水門。


橋の先で再び太平洋岸自転車道(県道376号線。浜松御前崎自転車道路)へ。




右手が遠州灘、左手が防風防砂林の海岸沿いを行く。この辺りは袋井市なんだな。連休のためか、何人かが親子で砂浜で遊んだり、堰堤の先で釣りをしたりしている。


ずっと先に、風車やその先の岬がかすんで見え、今日はあそこまでか、など考えつつ歩く。天気予報は雨、どの時点で雨につかまるか、と。


10時、海岸線の松林の中の道が蛇行し消耗なのと、雨の場合を考えて、国道150号線へ復帰する。




10時45分、掛川市に入る。直後に雨が降り出す。


国道150号線は歩道がないので、すぐ脇を自動車が通る。


12時15分、風車近づく。


13時、菊川を渡る。雨足強し。車の跳ね上げる水しぶきをもろに浴びつつ行く。


13時25分、御前崎市に入る。雨強し。


ビニールハウスは、メロンか、イチゴか。


14時15分、「道の駅 風のマルシェ御前崎」。ゴアの雨具も浸みてきて寒いので、休まず歩き続ける。御前崎市に入ったらなんか立派な歩道がやけに目立つようになってきたぞ。


14時50分、浜岡原子力館。やっぱりね。




原子力館には大勢の人が来ていた。PR作戦成功中。


14時55分、浜岡原発の表示。


15時15分、御前崎灯台方面へ。


16時15分、もうすぐ宿です。‥‥と思いきや。


16時45分、宿に着く。最後の6㎞がやけに長く感じた。宿泊は例のクーポン券で500円引き、素泊まり 2850円。


歩数  55208歩    (累計  2888579歩)
距離  40㎞       (累計  1876㎞)
費用  4382円     (累計  311783円)


2014年 徒歩の旅 第55日  磐田市・JR 磐田駅へ

2016年02月27日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月4日(日) 晴 (湖西市・ビジネスホテル まさご~磐田市・JR磐田駅
               ~JR新所原駅~湖西市・ビジネスホテル まさご)




磐田周辺で宿が取れなかったので、今回も鉄道利用。行けるところまで歩いて、JR東海道本線で新所原駅まで戻り、「まさご」に連泊の予定。まあ、東海道本線は、紀勢本線に比べて圧倒的に本数が多いから、その分気が楽な感じ。

5時45分、宿を出発。昨夜だいぶ風が吹き荒れたが、今朝は微風。空気はやや肌寒いが、それでも短パンに長袖カッターシャツ。やはり5月だ。

まずJR新所原駅に出て、その後は県道3号線を東進する。小さなアップダウンをいくつも越えて、鷲津へ。

7時、鷲津で右折、国道301号線を南下して旧東海道新居宿方面へ。

7時45分、新居宿へ。飯田武兵衛本陣跡。


7時50分、新居関所跡。












復元された高札や制札が掲げられている(二川宿にあったものと同じ内容の「正徳元年五月」の定書)。「毒薬」「親子兄弟夫婦」「駄賃并人足荷物の次第」「火を付る者」「新居より之駄賃并舟賃」「きりしたん」など。




そのうちの一つ、「きりしたん」を見てみると、
「  定
 きリ志たん宗門ハ累年御
禁制たり 自然不審成者有
之ハ申出へし 御ほうびと
して
 ばてれんの訴人    銀五百枚
  いるまんの訴人    銀三百枚
  立かへり者の訴人   同 断
  同宿并宗門の訴人   銀百枚
右之通下さるへし たとい同
宿宗門之内たりという共申
出る品により銀五百枚下さ
るへし かくし置他所よりあ
らはるゝにおゐてハ 其所之
名主并五人組迄 一類共に罪
科におこなはるへき者也
正徳元年五月 日    
           奉 行」

新居関所史料館は9時にならないと開かないので、先を急ぐ。

周辺案内図。




栄町にて国道1号線に入る。

8時15分、JR新居町駅。駅前広場の「遠州新居手筒花火」像。


8時35分、浜名湖にかかる西浜名橋の人道橋を行く。左側は、新幹線と東海道本線。


隣の鉄橋を行く新幹線をパチリ。


反対側の遠州灘側の遠方には、浜名バイパス。


今度は下り新幹線。


9時、浜松市へ入る。


弁天島は、連休のため物凄い人出。渡船の待ち列がずっと続いていた。


9時10分、弁天島沖の鳥居。




9時35分、国道1号線から県道49号線へ。旧東海道松並木。340本の松が、約700mにわたり続く。










9時55分、再び国道1号線に戻り、

10時25分、国道1号線から国道257号線で浜松市街方面へ。国道1号線は車ばかりで、人の通りはほとんどなし。それに対して、257号線は、旧東海道なので、あちらこちらに目を止めさせるものがあった。

11時45分、浜松駅手前から生き残っている松並木。




初夏の花クレマチスが咲いていた。


12時40分、市民祭りでにぎわう駅前通りを過ぎて、今日のお目当てである浜松楽器博物館。400円。








イベントスケジュールのパンフレット。








実に充実した博物館で、全世界の様々な地方の楽器が集められていて圧倒される。とても短時間では見きれないのが残念だ。
その一部。

ジャワのガムラン、






バリのガムラン。


バリ島のジュゴッグという竹製の琴とその装飾。










和楽器。


オセアニアの楽器。






モンゴルの馬頭琴、


ハーモニカ。


もちろん、民族楽器だけではなく、ピアノ、ヴァイオリン、ホルン等々西洋音楽の楽器類も大量に展示されていた。

13時40分、こころを残しつつも先を急がねばならず退出。またの機会に。


近くの広場では、浜松市消防音楽隊が演奏していた。




街の通りには、町会ごとの大きな山車がいくつもあった。




さて、急ごうと思った矢先、道を間違えて国道152号線の秋葉街道を辿ってしまい、途中で教えられて戻るなどロス。

16時、さらに、天竜川橋では、人道橋が見つからず、ここでもまた5人ほどに聞きながらなんとか通過。これまでもそうだったが、自動車専用道路と歩行者自転車道路があるところは、歩行者はやたらと遠回りをさせられるので、どう繋がっているのか先々の歩道の発見が難しい。


水の青さが美しい。


16時10分、磐田市に入る。あとはただひたすら駅急ぐ。


17時5分、JR磐田駅。今日はここまで。


折悪しく17時2分の電車が出てしまったところで、次の30分の電車まで待つ。でも紀勢本線よりはいいや(負け惜しみ)。

下りの東海道本線で新所原駅へ、そして、

18時30分、宿に戻った。連泊、素泊まり 4500円。


歩数  67319歩    (累計  28333712歩)
距離  42㎞       (累計  1836㎞)
費用  7822円     (累計  307401円)


2014年 徒歩の旅 第54日  湖西市・ビジネスホテル まさごへ

2016年02月25日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月3日(土) 晴 (伊良湖町・オーガニック宿まるえい
                      ~湖西市・ビジネスホテル まさご)






今日は「ふんばりどころ」の50㎞超の歩きである。

4時、宿を出る。あたりは暗く、たくさんの星が輝いている。明けの明星の金星がひときわ大きい。ヘッドランプを着用し国道259号線(田原街道)を行く。

4時25分、伊良湖風力発電所。東天が明るみを帯びてくる。


4時55分、一本道が続く。


空は徐々に明るさを増し、




5時10分、山の端より朝日が登る。


6時20分、道の両側は、ビニールハウスやキャベツ畑だ。遠くに渥美火力発電所と風力発電所が見える。






7時15分、宇津江で、自転車の中年男性に道を尋ね、そのあとしばらく一緒に歩く。毎日の自転車の走行距離が日本一周のどのくらいの距離に相当するかを示すパソコンのソフトがあるそうで、バーチャルで日本を一周した、と言っていた。だいたい8千数百㎞だそうだ。

道は半島の北側の海岸線を通る。この辺りは三河湾の中でも渥美湾と呼ばれている。海は澄んでいて、海底が見える。漁師の船も浮かんでいる。




国道259号線の一段下の海岸線の通りなので、ちょうど日陰になり、涼しい。




馬草口から、再び内陸部に入っていき、単調な道を行く。

非常に暑くなり、傘を日傘にしてさして歩く。

道路は急激に車で混雑し始める。連休後半のためだろう。

9時25分、早朝4時からの行動と暑さのため、草臥れて眠くなり、「50㎞超」にもかかわらず、とうとう汐川橋横の小公園のベンチですやすや‥‥昼寝20分間。

9時55分、「道の駅 田原めっくんはうす」。「めっくん」は「芽っ君」で野菜の芽を意味する、とか。人はたくさんいたが、自分にとってはとりたててめぼしいものもないようなので、トイレおよび飲料水の補給で通過。

10時20分、田植えの真最中。


11時、豊橋市へ。


とにかく、「50㎞超」が頭にあるゆえに、単調な道を歩く、歩く。

途中、国道259号線がバイパスになり、道を失って、3人に尋ねながら、


14時、梅田川を渡り、県道31号線へ。

さらに田園地帯を歩き、

14時20分、国道1号線に出る。これでようやく渥美半島を歩き終わったことになる。

14時35分、JRの新幹線と東海道本線のガードをくぐると、旧東海道。


石柱の道標あり。一面に「伊良胡阿志両神社道」、もう一面に「右 東海道 豊橋一里半」、裏面に「たかし 老津 田はら 野田 ふく江 いらこ道他」と刻まれている。




14時40分、JR二川駅。
駅前のロータリーに道標。「當國三十三所 二番」、「まわり道 通貫十六丁」、「是 岩屋 八丁」などと刻まれている。


二川宿案内板。




14時50分、豊橋市二川宿本陣資料館。まあ、今日の行動の目鼻はついただろう。30分ほどだが見学して行く。400円。


















お定め書きの類。






明後日は端午の節句。






16時10分、静岡県、湖西市に入る。13府県目。


JR新所原駅前を左折し、

16時40分、宿に着く。宿泊、素泊まり 4500円。

12時間以上の行動か、よく歩いたわい。今日はともかく暑かったので、途中でペットボトル、アイスクリーム、白玉あんみつ、とりわけ牛乳などを、自販機やコンビニでちょこちょこと買って飲食した。

歩いてみて、知多半島と渥美半島の産業の違いを感じた。知多半島は、かなり南の方まで工場が見られ、その先は漁港だったが、渥美半島は、伊良湖が観光産業と言える程度で、あとは野菜や果物など圧倒的に農業だ。中京地域への農産物の供給地、というところか。

歩数  73448歩    (累計  2766052歩)
距離  51㎞       (累計  1794㎞)
費用  7130円     (累計  299579円)

2014年 徒歩の旅 第53日  伊良湖町・オーガニック宿 まるえいへ

2016年02月24日 | 2014年太平洋側の旅-前半

5月2日(金) 晴 (半田市・ビジネスホテル アーク半田
                       ~伊良湖町・オーガニック宿まるえい)






6時、出発。

半袖で歩きはじめる。今日も暑くなりそうだ。国道247号線を南下する。

半田の市街地を通り、

6時25分、武豊町に入る。


JR武豊線を越えたヒジリ田には、ところどころに古い家並みが残っていた。


6時50分、国道247号線から離れて、堀川沿いを行き、


しばらく衣ケ浦湾に続く海沿いを行ってみる。




対岸の碧南市の工場群遠望。


7時55分、美浜町に入る。


美浜町は全国で3か所あり、先日通った和歌山県の美浜町、日本海側縦断で通った原発のある福井県の美浜町、そしてこの愛知県知多半島にある美浜町である。白砂青松の地域の誇りなのか、懐旧なのか、願望なのか?

その後、名古屋市内に向かう車のラッシュ時間帯で道路は混雑。

8時15分、三河湾。




8時25分、河和口駅そばの、かっぱの「花ちゃん」像。


しばらく、堤防の脇を、海を見つつ行く。




日差しは眩しく、海は凪いで、暑し。


9時45分、南知多町に入る。


南知多町に入ると右側はもっぱら田園地帯。左側はもちろん知多湾だが。

途中、何軒かさびれた感じの潮干狩り場などがあり、

10時5分、海側に水田もあったりして、


師崎漁港を回り込んでいって、

11時15分、師崎港フェリー乗り場に着く。14時50分の便でもよかったのだが、12時5分の便に間に合いそうだったので、途中少し急いだら、だいぶ早く着いてしまった。


乗り場には、自動車だけでなく、チャリダーの自転車も数台とまっていた。

フェリー代1200円。このフェリーは、知多半島の先端の師崎と渥美半島の先端の伊良湖を結ぶ便利なものだが、その運航は、2014年9月いっぱいで廃止が決まっている。

出港まで時間があり、そばの売店で「おおあさり焼き」(550円)など食べながら待つ。

フェリー接近。






12時5分、フェリー出港。


三河湾を横切っていき、






渥美半島の風力発電も見える。


12時45分、伊良湖岬に到着。






当然、チェックインには早すぎるので、

道の駅クリスタルポルトになっている、港のターミナル内にある「やしの実博物館」を見たり、




浜辺で島崎藤村の「椰子の実」の歌を口ずさんだり、




港のそばのあずまやで食事をしたり、昼寝をしたり、などして過ごす。

風が強くなったので、

14時40分、休憩を打ち切って国道259号線を宿に向かう。


「柳田国男逗留の地」碑。


歌曲「椰子の実」誕生の物語


芭蕉の句碑。
「鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎」


などを見ながら歩き、

3時15分、宿に着く。宿泊、素泊まり 4800円。

宿の後ろは、宮山原生林という典型的な暖地性常緑樹林の斜面で、静かな時を過ごした。

歩数  41793歩    (累計  2692604歩)
距離  26㎞       (累計  1743㎞)
費用  7500円     (累計  292449円)


2014年 徒歩の旅 第52日  半田市・ビジネスホテル アーク半田へ

2016年02月23日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月1日(木) 晴 (名古屋市・HOSTEL ANN 安
                    ~半田市・ビジネスホテル アーク半田)




今日から5月である。

6時、宿を出て、名古屋城の写真を撮りに行った。
昨日、宿のスタッフに教えられて通り、東別院駅から地下鉄で名城公園駅まで行き、公園内を通って、名古屋城へ。




城の風格は流石だが、この時期は樹林の葉が繁茂している。


天守は9時にならないと入れないので、眺めて写真を撮っただけで帰る。

帰途、藤棚が豪華できれいだった。


地下鉄で宿に戻り、朝食および準備。

8時、宿を出発。

国道19号線の伏見通りを行くべきところを、間違って大津通りを行ってしまい、

8時40分、東側の鳥居から熱田神宮へ。




境内と、


本宮。


熱田神宮は、三種の神器の1つである草薙剣を祀る神社。

前年に「創祀千九百年大祭」が行われたそうだ。


境内には、「神話と歴史でたどる 熱田神宮千九百年の歴史」というパネルの展示があった。(その一部)






境内は、昨日の雨で若葉が一段と鮮やかに緑を深め、清々しい雰囲気だった。

南側の鳥居を出て、今度は伏見通りを南下する。


9時15分、内田橋にて、堀川。


10時30分、国道247号線を辿って南下し、東海市に入る。


さらに名和にて国道42号線から分かれて、県道55号線へ。
郊外風の新興住宅街のようなところを行く。

11時35分、脇ノ田公園にて20分休憩。今朝、宿でニュージーランド人にもらった黒砂糖パンを食べる。天気予報通り、いっとき風に乗って雨粒が飛んでくるが、たいしたことにはならなかった。その後は晴。

途中で、紫蘭の花が咲いていた。


14時20分、ただただ黙々と歩いていたので、いつの間にか阿久比町に。




14時35分、阿久比町役場前交差点の不思議な銅像。太鼓に乗って獅子舞の獅子をかぶった二人の子供。


15時10分、半田市に入る。


15時20分、半田は「ごんぎつね」で有名な童話作家の新見南吉の故郷。






生家の前に「文化五年正月吉日当村中」と刻まれた常夜灯あり。


15時35分、宿に着く。宿泊、素泊まり 3100円。

歩数  55360歩    (累計  2650811歩)
距離  32.5㎞     (累計  1717㎞)
費用  4486円     (累計  284949円)


2014年 徒歩の旅 第51日  名古屋市・HOSTEL ANN 安へ

2016年02月21日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月30日(水) 雨のち曇 (四日市市・四日市港船員会館
                        ~名古屋市・HOSTEL ANN 安)




7時20分、出発。直前に急に雨が強くなり、傘だけでなく急きょゴアの雨具も着用。

すぐに国道23号線に合流し、今日はそのまま辿る。国道23号線は「名四国道」と呼ばれ、毎年11月に行われる全日本大学駅伝対校選手権大会のコースの一部。

7時40分、大正橋から工場群。




雨は8時前にいったん上がり、西空が明るみ始めた。

8時、今日は、昨日にもまして夥しい自動車の流れと一緒に歩く。


8時15分、霞大橋から。






8時30分、右手、造船所あり。


雨は止んだとはいえ、大型車が水たまりを通過する際の水しぶきと旋風を浴びながらの行動なり。

8時40分、水色の橋は富洲原橋 。


橋上より。


8時55分、川越町に入る。


9時30分、伊勢湾岸道と、ナガシマスパーランドのジェットコースターや観覧車を遠望。


四日市の工場群を抜け、員弁川を渡ると、


9時40分、桑名市。


10時、突然、何だこれ?


10時5分、揖斐長良大橋(1039.9m)。ともに大河である揖斐川と長良川の合流点のやや下流にあり、上流には長良川河口堰がある。




橋上から下流方面。






名四道路碑。


10時35分、木曽川大橋(858.5m)。こちらも大河。




橋を通過するのにちょうど10分かかった。戦国時代は渡河もさぞ困難だったろう。




10時45分、橋を越えると、木曽南町。


11時5分、愛知県弥冨市に入る。弥冨市は、金魚で有名な町だとか。


大河ではなく、鍋田川の小さな流れが県境。




滑走路のような長~い一本道を防風壁と自動車の波に挟まれた、アスファルト道路の砕かれた細石が散らかった歩道をえんえんと行く。名古屋市街地をバイパスした産業用の大型車をはじめすごい量の車である。ガードレールがあるのが心強い。もしもに無かったら‥‥。






11時55分、飛鳥村。


日光川の排水場。灰色ばかりの中で、しばらくぶりの緑色。




12時45分、名古屋市に入ると、とたんに歩道も(車道も)キレイになった。砕石もなく歩きやすい。


13時10分、新川と庄内川を庄内新川橋で渡る。




さらに国道23号線を辿り、途中、公園にて小休止。高速道路の下などを通って、金山駅方面へ。

4時20分、宿に着く。宿泊、素泊まり 4000円。

宿は、「名古屋バックパッカーズ ゲストハウス」ということで、若者や外国人も何人かいた。スタッフは親切だった。ドミトリーもあったが、ちょっと奮発してシングルのプライベートルームにした。宿にはパソコンがあり(無料)、明早朝の名古屋城見学と今後の行程など少し調べた。

歩数  38840歩    (累計  2595451歩)
距離  37.5㎞     (累計  1684.5㎞)
費用  6213円     (累計  280463円)
歩行距離の割に歩数が少ないが、そのまま記録する。出発時に雨だったので、ケータイをザックに入れたままだったからかとも思うが、過去に雨で同様にした他の日には不都合はなかった。原因不明。



2014年 徒歩の旅 第50日  四日市市・四日市港船員会館へ

2016年02月20日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月29日(火) 雨 (津市・みかさ旅館~四日市市・四日市港船員会館)



ゆっくり朝食をとり、朝ドラを見て、

8時20分、出発。雨である。ゴアの雨具を着て、傘をさしていく。

8時40分、津城址へ。




復興された角櫓。


城内は「お城公園」になっている。




津城は、築城の名手藤堂高虎が手がけた城。
馬上高虎像。




「高山公遺訓」。
「可為士者常之覚悟之事  
寝屋を出るより
其日を死番と可得心  
かやうに覚悟極るゆへに
物に動する事なし
是可為本意 」


これは「藤堂高虎公遺訓二百ケ条」と呼ばれるものの第1条に書かれている、とのこと。

その後は、雨の国道23号線をひたすら北上。

10時30分、川芸町。満開のツツジ。


11時20分、鈴鹿市に入る。


肥田町から、景色はこれまでの市街地と郊外から、一気に広々とした田園に。
国道23号線は自動車専用道路になって頭上を走り、歩行者は国道下の道へ。


特に風が強く、傘がたわむ状態の中を行く。写真どころではない。ところどころにある自動車専用道路の下の横断用通路で一息つきつつ歩く。

14時、鈴鹿川を越えて四日市市に入ると、田園風景も終わり市街地に。再び国道の歩道を行く。


鈴鹿川の支流、内部川を渡る。工場の煙が見え、四日市らしい風景か。




その後、国道23号線から県道6号線に入り、
15時30分、宿へ。宿泊、素泊まり 4600円。
チェックインの時間より早かったので、宿は鍵が閉まっていたが、ケータイで連絡したら、すぐに車で来て開けてくれた。風呂は船員用なのでとても広く、雨で凍えた体をゆっくり温めた。

歩数  43725歩    (累計  2556611歩)
距離  28.5㎞     (累計  1647km)
費用  5888円     (累計  274250円)



2014年 徒歩の旅 第49日  津市・みかさ旅館へ

2016年02月19日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月28日(月) 曇のち雨 (伊勢市・風見荘~松阪駅~津市・みかさ旅館)



今日は、松阪駅から津までの18㎞。半日行程なので、まず伊勢神宮の内宮に行ってから、近鉄山田線で松阪駅まで行き、歩くことにする。

5時、空身で、念のための傘を持って内宮へ。

伊勢市観光案内図。


5時15分、国史跡 旧豊宮崎文庫。つまり、図書館の跡地。




6時、道路には(かつて消費期限偽装で問題になった)伊勢名物「赤福餅」など看板が電柱に張り巡らされており、それに導かれて、約5㎞で、内宮へ。


大鳥居をくぐり五十鈴川に掛けられた宇治橋を渡ると神域に。正宮までは玉砂利の歩道。




一の鳥居。


神楽殿を経て、








参道。昨日の伊勢市の男性の言った通りで、早朝はやはり清々しい。


正殿。




御稲御倉、


外幣殿、


別宮荒祭宮。




風日祈宮橋




風日祈宮



宇治橋に戻る。


五十鈴川。




内宮も(外宮も)前年の、20年に1度の式年遷宮で、どの社も白木のきれいなものになっていた。数日前に、オバマ米国大統領も来たとのこと。那智大社に比べると洗練されている、という感じ。逆に、それだけ那智の方が原始的で、不思議なパワーを感じさせられた、ということか。

6時50分、おかげ横丁を通り帰途に。






創業宝栄四年 赤福。


五十鈴川郵便局。


7時5分、猿田彦神社。






こちらも平成の大造営中。完成は3年後の予定。




8時、宿に戻り、朝食、歩き支度。

伊勢市駅より、近鉄山田線で松阪駅へ。


9時10分、松阪駅より歩きはじめる。


しばらく、国道42号線の熊野街道と、国道23号線の伊勢街道が重複した後、

10時30分、小津にて国道42号線と別れる。大阪からずっと歩いて来、和歌山ではダンプに悩まされたが、過ぎてしまえばみんな思い出。




その後は、自動車の波を眺めつつ、単調で喧噪な市街地および郊外の国道歩き。

11時20分、尊敬する偉大な先達 松浦武四郎の記念館の表示。ここは是非とも寄っていきたかったところだが、悔しいけれど月曜は休館日。本当に残念。


松阪市内の電柱は、いたる所に赤福の宣伝。これが津市に入ったとたんに、ただの一つもなくなったのには、しばし感慨。


11時30分、岩田川を渡り、


津市に入る。


津新町駅で雨に降られたが、
13時30分、宿に到着。チェックインの時刻にはあまりに早すぎるとは思ったが、気持ちよく迎えてくれた。宿泊、2食付き 4500円。激安!


宿は、「力士料理居酒茶屋 金鍋 」というちゃんこ鍋の店が主で、宿泊はその付録、といった感じ。夕食は、ちゃんこ鍋の他に、刺身、ジャンボ餃子、ナムルその他、すごいボリュームで食べきれなかった。旭天鵬の写真がいくつも飾ってあり、番付表や名前入りの暖簾もあった。女将さんと一緒に写っているのもあり、聞いてみたら旭天鵬は常連で、特に名古屋場所の時などはよく来るのだ、と。従業員の若者たちも、元力士だと言っていた。

歩数  44308歩    (累計  2512886歩)
距離  18㎞       (累計  1618.5km)
費用  6499円     (累計  268362円)



2014年 徒歩の旅 第48日  松阪市・JR 松阪駅へ

2016年02月18日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月27日(日) 晴 (風見荘~JR 三瀬谷駅
                 ~松阪市・JR 松阪駅~伊勢市・風見荘)




今日は、昨日の到達点であるJR三瀬谷駅まで、参宮線と紀勢本線で行き、そこからJR松阪駅まで歩き、再びJR伊勢市の風見荘に戻る、という予定。

5時50分、宿出発。JR伊勢市駅へ。

駅前から外宮参道。


JR参宮線を多気駅での乗り換え、紀勢本線で三瀬谷駅へ。


8時10分、JR三瀬谷駅を出発。そばの「道の駅 奥伊勢おおだい」にて、大内山牛乳を飲んで、今日も国道42号線(熊野街道)を行く。


すぐに、「松阪31㎞」の標識あり。


藤の花が満開。


8時30分、徒歩の中年男性と出会う。埼玉の人。ずっと熊野古道歩きをしており、ほとんど踏破してしまった、伊勢道が最後に残されていて今回歩いている、とのこと。お互いの無事を祈り、エールを交わして握手で別れた。

途中から、国道42号線とはなれ、熊野古道の細道を辿る。

8時55分、道中安全祈願地蔵と、


隣に弁慶岩。


9時10分、お茶の畑が時々現れる。


一時国道42号線に出て、

9時15分、道標地蔵。




伊勢茶の畑あり。




再度、古道を行く。


静かでたいへんよろしい‥‥と思って歩いていたら、突然、大きな熊蜂が現れる。スズメバチと違って襲ってこないのだが、体のまわりで旋回されるとあまりいい気分ではない。以後も、何匹かにつきまとわれた。

路傍にスミレ。


大隅半島の肝属川沿いの自転車道を、みなみらんぼうの「コートにすみれを」を口ずさみながら歩いたのは、もう40日以上も前のことか。あの頃は寒かったが、今はもう半袖で歩いている。

10時30分、「バカ曲り」という妙な名前の標識あり。ここから樹林の中を下っていくらしいが、省略。




栃原で国道42号線に合流、ここは伊勢茶の産地。霧がよく立ちこめるのを利用して、酪農とお茶、ということ。そういえば、もう少しで「夏も近づく八十八夜」だ。


11時5分、多気町に入る。後は松阪まで国道通し。


その先、なんかデッカイ鶏の看板。


12時15分、佐奈駅先、民家の軒下にあった、熊野古道と和歌山別街道との交点を示す道標。


12時50分、人けのない松阪多気バイパスを行く。


13時、松阪市に入る。櫛田川にかかる新両郡橋。


橋の上から櫛田川。


13時30分、左に本居宣長の墓の案内があるが、3.4㎞は、ちと遠し。素通りしてしまう。


14時50分、市街地に入り、駅も近い。和歌山街道の道標。


駅の近くで声をかけてきた中年男性と話しながら、駅へ向かう。伊勢市役所の職員で、伊勢の魅力をたっぷり。明日の朝、伊勢神宮の内宮によってから、津に向かうと説明したら、伊勢神宮は早朝にお参りするのが一番だ、と。何といっても空気が違う、日中のざわついた雰囲気がなくて、空気が張り詰めた感じがお参りにはいいのだ、と。

15時10分、JR松阪駅。今日はここまで。JRよりも近鉄の方が先に来る、と彼に教えられ、近鉄で伊勢市駅に帰る。


16時20分、宿に着く。連泊、素泊まり 2600円。
宿の風見荘は、外人バックパッカー、ライダー、チャリダー、リピーターで、ちょっとした旅人の梁山泊のようなところ。雑然として活気があるのが面白かった。


歩数  48049歩    (累計  2468578歩)
距離  32.5㎞     (累計  1600.5km)
費用  4921円     (累計  261863円)