そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第34日  (休養日) 大阪市内見学

2016年01月31日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月13日(日) 曇 (高石市・大阪国際ユースホステルに連泊)



8時、空身にて宿を出発。昨日スタッフにもらった地図を持って、まずは大阪城へ向かう。


8時15分、羽衣駅より。


9時10分、JR大阪環状線の森ノ宮駅で下車し、大阪城公園へ。






植木市をやっていた。


天守へ上ろう。


大阪城天守閣・大阪歴史博物館の共通券、900円。




天守閣パンフレット










見上げる。


号砲。


天守より。


あべのハルカス方面。昨日行ってきたという中年夫妻が、中央の青っぽい建物がそうだと教えてくれた。


城内の展示。テーマ展では、「乱世からの手紙―大阪城天守閣収蔵古文書選」をやっていた。戦国武将たちの自筆書状で面白そうだが、展示では文字が見づらいので、旅から戻ったらゆっくり読むべく、帰りに冊子を買った。1000円。




他に、有名な「大坂夏の陣図屏風」についての映像と説明が興味深かった(こちらは右隻)。






とりわけ左隻には、大坂城落城後の敗残兵、避難民、それに襲いかかる野党、などの阿鼻叫喚の地獄絵図が描かれていたが、夢中になって眺めたため写真を撮り忘れてしまった。

記念スタンプ。


大坂城を出て、大阪歴史博物館に向かう。行楽シーズンなので、すぐに混みだしたが、中国人や白人もかなりやって来ていた。




11時、大阪歴史博物館。










こちらも極めて内容の濃い展示がいくつもあった。
エントランスホールでは、難波宮跡の遺構をガラス越しに眺められるようになっていた。






考古学に関する知識が全くなく、飛鳥・奈良時代にこの地に宮殿があったことを初めて知った。

10階に上がると、難波宮時代の大極殿の様子が実物大で展示されている。本当に、まるで古代にタイムスリップしたかのようだった。

窓から見下ろした難波宮跡。今は更地だが、建物の建設も計画されている、とのこと。


ついでに大坂城も。


さらに下の各階には、大阪の歴史が、現代にいたるまで様々な展示物によって示されていた。
中に、大阪大空襲の記録もあった。


とにかくボリュームのある博物館で、2時間があっという間に過ぎたが、短時間ではとても見きれない。それでも、大阪という都市について、にわか勉強ではあるが概略知ることができてとても有意義であり満足した。

13時10分、今度は、適塾跡の緒方洪庵旧宅に行ってみたが、建物の耐震工事作業が遅れているとの理由で、5月まで休館とのこと。またまた残念。




たまたま同じく適塾跡を見に来た男性と一緒に悔しがった。
隣の小公園にある緒方洪庵、


司馬遼太郎の小説『花神』で、村田蔵六(後の大村益次郎)が好物の豆腐を食べたと出ていた物干し場などを写した。


その後、
14時、通天閣に行ってみたが、






展望台に上るには35分待ちだと言われ、諦めて、真下にある店でタコ焼きを買って食べた。

あとは、あべのハルカスを眺めただけで、


15時30分、宿に戻った。宿泊、素泊まり 2900円、3連泊。

今日も一番風呂に入り、ともあれ大阪まで来たのだからと、旅の中間点である川崎まではと我慢していた禁酒の誓いを破って約1カ月ぶりにビールを飲み、この先の宿泊の計画をねり、何軒かの宿には予約の電話をした。

歩数  19844歩  (累計  1836770歩)
距離  記録外     (累計  1179km)
費用  6421円   (累計  176236円)


2014年 徒歩の旅 第33日  高石市・大阪国際ユースホステルへ

2016年01月30日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月12日(土) 晴 (西宮市・JR西宮駅~高石市・大阪国際ユースホステル)




朝5時に空身で宿を出発。羽衣―新今宮―大阪と電車に乗り、昨日の到達点であるJR西宮駅へ。

6時55分、西宮駅を出て今日も国道2号線を東進する。

7時35分、武庫川大橋。


欄干の照明灯がモダンで美しい。


下流方面を望む。


橋を渡って尼崎市。


8時55分、左門殿川にかかる左門橋を渡ると大阪府。


9時30分、淀川大橋、長さ724m。




橋上から上流方面。


下流方面。さすが淀川、大河の風格がある。


9時45分、野田の交叉点で国道2号線と別れる。


2号線はこの少し先の梅田新道交差点が始点。とはいえ、山口県からずっと辿ってきたことを思うと感慨深い。大型輸送トラックに苦しめられたことも懐かしい。不思議なものだ。

新なにわ筋と呼ばれる、高速道路の下の道を行くと、街路樹の銀杏が芽吹きで、小さい三角形の葉をつけていた。もうそういう季節になっていたのだなぁ。


10時15分、堂島川と土佐堀川の交わる地点、湊川橋を渡ったところで、「小説『泥の河』舞台の地」の碑を見つけた。




『泥の河』は、だいぶ以前に小栗康平監督の映画を見たことがあったっけ。
そのまま南下する。

10時40分、道頓堀川。


さて、新なにわ筋の府道29号線を辿っていたはずが、途中でどう混乱したか、気がつくと、

11時20分、花園北の歩道橋。正面には「あべのハルカス」。


軌道修正して、国道26号線を南下する。

12時20分、住吉公園入口にある大きな常夜灯。




公園内で小休止。


12時55分、大和川下流側。


上流側。鉄橋を行くのは南海本線。


13時、阪堺大橋を渡り、堺市に入る。


13時25分、国道26号線と別れ、府道34号線に入る。そして、府道34号線は、重複区間を経て、府道204号線になる模様。

14時25分、浜寺公園の松林。宿近し。


14時35分、高石市に入る。


15時、ユース到着。宿泊、素泊まり 2900円で連泊。

さて、明日は休養日で大阪見学。「大阪行った。大阪城見た。たこ焼き食べた。」ではあまりに情けないので、ユースの女性スタッフに相談。いろいろと調べてもらった結果、大阪城のほかに、大阪歴史博物館にも行くことにする。

風呂は今日も一番風呂。足のメンテをする。右足第一指と第二指の付け根の部分の傷口がいまだにふさがらず、耐えられないほどではないものの、一日の行程が終わると靴下に血がにじむ、という状態は相変わらず。マメの処置の杜撰さを後悔中。

歩数  52781歩  (累計  1816926歩)
距離  34.5km  (累計  1179km)
費用  5493円   (累計  169815円)



2014年 徒歩の旅 第32日  西宮市・JR西宮駅へ

2016年01月29日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月11日(金) 晴 (神戸市・神戸たるみユースホステル
          ~西宮市・JR西宮駅~高石市・大阪国際ユースホステル)




5時10分、出発。まだ薄暗く、東天に明けの明星がポツンと光っている。今日も国道2号線を東進。

5時25分、海(わたつみ)神社。




山陽本線と並行して歩く。


大阪湾。明石海峡を境に、西は播磨灘、東は大阪湾。


6時20分、須磨区に入る。


海側は、架線に邪魔されてすっきりとは見えない。




6時30分、西国街道の道標。


須磨浦公園。


敦盛塚。鵯越で有名な源平「一ノ谷の戦い」で、源氏の武将・熊谷次郎直実に討たれた笛の名手の若武者・平敦盛の供養塔であると言われている。(『平家物語』巻第九「敦盛最期」)






そばに草野藤次という人(小生寡聞にして存じ上げず)の歌碑。
「須磨のうら 波の音 あはれ吹きたへし 青葉の笛の 昔おもへば   藤次 」


唱歌「青葉の笛」など歌いながら、公園内の松林の中の道を漫歩。




桜も終わり近し。


朝日の向こうに光る海。


須磨浦公園の東端にある「みどりの塔」。


1995年1月17日未明の阪神・淡路大震災で、塔を囲んでいた一対の石の地球儀の、左の地球儀が地震の揺れで塀の外側に落ち、震災モニュメントとして残されている。




「この直径1.2メートル、重さ2・4トンの地球儀を落下させた兵庫県南部地震は、正に『地球』すなわち『わたしたちの世界』を根底から揺り動かした、言語を絶する出来事だったことはまちがいありません。いま、わたしたちはあの忌まわしい震災の日々の記憶を失ってしまわないためにも、この落下した地球儀をしっかり見つめ直す必要があるのではないでしょうか」、と記されている。
 
7時20分、須磨海浜公園。


須磨の浦。


在原行平歌碑。


「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ
 立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今 帰り来む」



須磨は、平家物語、古今集、そして源氏物語等々、古典の舞台なり。
                           
7時35分、阪神高速の下を行く。


7時55分、新長田一番街。


8時50分、鎮守稲荷神社(平経俊塚)。




高田屋嘉兵衛献上灯篭。7年前の前回の旅では、函館にあった高田屋嘉兵衛の像を見ていたっけ。


9時30分、神戸ポートタワー。


神戸ガイドマップ。


メリケンパーク入口にある「神戸税関萬國波止場」の銘板、


メリケン波止場表示。


ところで美空ひばりの「君はマドロス海つばめ」という曲の舞台は、はたして神戸だったのかな。てっきり横浜だと思い込んでいたが‥‥。それとも、具体的な場所というのは決まっていないのかな。

近代化産業遺産の商船三井ビルディング、


ビルの間からの六甲山地などを見つつ歩く。


9時45分、大震災メモリアル。


折れた高速道路の橋脚(奥)、曲がりくねった伸縮装置(中央)、破断した支承(手前)。


10時10分、生田川交差点にある「賀川豊彦生誕100年記念」碑。






鈴木重嶺歌碑
「くりかえし見てこそ行かめ山姫の とる手ひまなき滝の白糸」




遠くは六甲山地。


10時40分、2号線と別れて、43号線を行く。

11時35分、歩いているととてもよい香りがしてきたと思ったら、なんと灘の酒蔵である。大手のメーカーの工場などを見ながら歩く。






13時、芦屋市に入る。


13時30分、気がついたら西宮市。


13時50分、西宮神社(えびす宮、えべっさん)。




この調子ならユースのチェックインまでは時間があろそうなので、境内を散策。

ここは、毎年1月10日の「十日えびす大祭」で「開門神事福男選び」が行われるので有名。
赤門から、


参道を経て、




本殿まで、230mを駆け抜ける。


その後は、

14時5分、阪神電車西宮駅を経て、


14時30分、JR西宮駅へ。


JR西宮駅から、大阪、新今宮、乗り継いで羽衣駅で下車。

16時、高石市の浜寺公園にある大阪国際ユースホステルに到着。宿泊、素泊まり 2900円。
本来は1泊3400円だが、『全国安い宿情報』という雑誌のクーポン券を使って1回500円の割引き。券は5枚あるので、ユースを基地にして4泊し、大阪の前後を歩き、また1日は休養日として大阪城などを見学することにした。


スタッフの若者たちから利用についてのいろいろな説明を受けたが、一昨日・昨日とは全く異なり、彼らの丁寧でテキパキした対応に驚く。大きな浴室で汗を流したが、一番乗りだった。湯船で少し泳いだ。

歩数  55456歩  (累計  1764145歩)
距離  32km     (累計  1144.5km)
費用  5507円   (累計  164322円)


2014年 徒歩の旅 第31日  神戸市・神戸たるみユースホステルへ

2016年01月29日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月10日(木) 快晴 (姫路市・JRひめじ別所駅
                     ~神戸市・神戸たるみユースホステル)





今日は空身で、昨日の到達点であるJRひめじ別所駅から神戸たるみユースホステルまで歩き、連泊の予定。

5時40分、同室の男性に見送られ、握手をしてユースを出発。空気はひんやりとしており、ダウンジャケットを着用。JR垂水駅へ向かう。

6時、JR垂水駅。


垂水駅より、JR山陽本線で、姫路方面へ向かう。途中、加古川駅で乗り換え、ひめじ別所駅へ。

7時15分、ひめじ別所駅出発。国道2号線を東進。


7時30分、高砂市に入る。


8時20分、左頭上に加古川バイパスを見送り、さらに2号線を行く。


8時45分、気がつくと加古川市に入っていた。


8時55分、加古川橋。加古川鉄橋を列車が渡る。




9時15分、姫路信用金庫加古川支店。幟には「黒田官兵衛が生涯愛した妻『光』のふるさと 加古川」、と。ここでも大河ドラマあやかり商法、ですかね。


10時30分、マックスバリューにて、早めの昼食。

10時55分、明石市に入る。


11時30分、単調な国道歩きに飽きて、『ツーリングマップル』に出ている「姫路明石自転車道路」に出ようと思い、魚住駅の近くで右折し、海の方へ。しかし、途中であった男性に尋ねたところ、「そんなものは聞いたことがない」との返事。仕方なく、というか、国道250号線を辿り、神戸方面に向かう。

あとはただただ広々とした250号線を行く。交通量はさほどではなく、いくつもの池の横を通ったり、新幹線の下をくぐったりしつつ、

13時35分、西明石駅北側まで行き、再び2号線へ。

15時、神戸市に入る。


明石大橋を見つつ、


15時20分、舞子公園へ。小休止。


明石藩舞子砲台跡を見たり、




明石大橋を見上げたり。


15時50分、ユースホステル到着。宿泊、素泊まり 3000円。

空身なので楽ではあったが、なにかプロ野球の消化試合のようで、あまり充実感のない一日だった。この辺りは、『源氏物語』明石の巻の舞台であり、もう少し寄り道をしてもよかったが、なんとなく空しく歩いてしまった。


歩数  54496歩  (累計  1708689歩)
距離  39.5km   (累計  1112.5km)
費用  5178円   (累計  158815円)


2014年 徒歩の旅 第30日  姫路市・JRひめじ別所駅へ

2016年01月11日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月9日(水) 晴 (赤穂市・西畑旅館~姫路市・JRひめじ別所駅
                      ~神戸市・神戸たるみユースホステル)




姫路で適当な宿が見つからず、神戸たるみユースホステルに連泊することにした。今日のメインは姫路城。その後JR姫路駅から山陽本線で垂水駅、ユースホステルへ、という予定。

6時45分、宿を出発。

6時50分、千種川に沿って土手の上の道を行くと、山の端から朝日。


河川敷の道を行き、

7時30分、坂詰橋で、途中合流した国道250線に。


橋を渡り、


高取峠を目指す。
上り坂の道は狭く、歩道もなく蛇行し、そこを通勤ラッシュの自動車が埋めていて、緊張の連続。しばらくは写真を撮るゆとりなし。

8時15分、峠を上り詰めて一安心。小休止。壁のコンクリートの表示板が、赤穂義士である。


その先の公園にある像は、江戸における浅野内匠頭による吉良上野介への刃傷事件を知らせる早籠。


600㎞を4日半というと、1日100km以上。う~む。


8時25分、相生市に入り、今度はジグザグの大下り。


9時、下りきると、道の駅あいおい白龍城。






大休止。売店でトマト1袋を買って3個食べ、ビタミンの補給。


相生といえばペーロン。なるほど、「白龍」が「ペーロン」だったのか。




9時20分、再び行動開始。相生湾。


相生大橋を渡り、






県道64号線に入り、単調な歩き。

その後は、JR相生駅東方で、国道2号線に入り、姫路方面に向かう。

11時、揖保川大橋にて、鉄橋を渡る山陽本線。


のどかな揖保川。


国道2号線が、自動車専用道路のバイパスになり、県道725号線(旧国道2号線)を行く。

11時40分、林田川を渡り、太子町に入る。


11時55分、東芝姫路半導体工場。


12時20分、大阪まで100kmの表示。なんか元気出る。


県道179号、国道2号線と歩き、
13時15分、姫路市に入る。


13時40分、川岸に見事な桜並木の続く夢前川を渡る。
下流側、


上流側。


それからは姫路城を見るべく急ぎ、

14時40分~15時20分、姫路城へ。




しかし、遠くから見てもなんだかクレーンが異様な感じだったが、そばまで行ってみると、案の定天守は修理中とのこと。「平成の大修理」だそうで、2015年3月完成予定。残念。門司港駅といい、姫路城といい、どうも今回はお目当てが改修中だ。


しかし、桜が見事で、そして人出も見事だった。


三の丸広場でのお花見。








かくなる上は、予定変更。明日のために出来るだけ前進しておこうと、さらに2号線を東進し、
歩いていると、後ろから自転車の男性が声をかけてきた。彼と話しながら30分ほど一緒に歩く。団塊世代の同輩で、自分も何かしたいがなかなか決断がつかない‥‥と。楽しいこと、やったもん勝ち。

16時20分、御着(ごちゃく)城跡。


16時40分、姫路別所駅。ここで打ち切りとし、JR山陽本線で垂水駅へ向かう。

17時50分、神戸たるみユースホステル着。宿泊、素泊まり 3000円

風呂に入りたかったが、シャワーのみ、とのこと。エアコンのリモコンが見当たらないので尋ねたところ、4月からはエアコンは使用しないのでリモコンは引き上げた、暖かくなるから、との返事。ダウン着用。「エコホステル」(節水、省エネ、リサイクル等に配慮した運営に努力しています)というのは、こういうことなのかなぁ‥‥。

同室になった50代の男性は、札幌の人。時計台の説明のボランティアをしており、高知県安芸市にある野良時計を見に行った帰りだという情熱家。本の収集が趣味だそうで、今日も大阪の古書店で仕入れてきた、と見せてくれた。大いに気が合い、21時半ごろまで語り合った。そして、宗谷岬まで到達したら帰りにぜひ寄ってくれと住所のメモをいただいた。

歩数  61028歩  (累計  1654193歩)
距離  43km    (累計  1073km)
費用  4492円   (累計  153637円)



2014年 徒歩の旅 第29日  赤穂市・西畑旅館へ

2016年01月10日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月8日(火) 晴 (瀬戸内市・花屋旅館~赤穂市・西畑旅館)



5時40分、出発。朝のうちは寒いとの予報で、ダウンジャケット着用。
まずは、黒田官兵衛ゆかりの妙興寺へ。

「黒田官兵衛父祖之墓所」とあった。








さて、吉井川に沿って、県道464号線を行く。

5時50分、日の出前、もうだいぶ明るい。


6時、山の端から朝日が昇ってくる。


6時10分、国道2号線に合流する。


6時25分、長船は名刀と、


備前焼のふるさと。


窯の燃料。


長船は、黒田官兵衛関係だけでなく、竹下夢二の生誕地でもある。関心はあるのだが、今回は素通り。

7時20分、大ケ池の横を通過。ずいぶん大きな池である。山陽新幹線の線路がその上を走る。


伊部駅そばの陶芸美術館。まだ開いておらず、通過。






7時40分、伊部東の交叉点を右折。日生(ひなさ)・赤穂方面へ2号線と別れて、国道250号線を行く。


8時30分、備前市役所前を通過すると、片上湾が見えてくる。




その後はずっと海を眺めながらの漫歩が続く‥‥、と期待したのだったが、残念ながら、海と道路との間に、産業廃棄物の作業所や、炉材工場など諸々が続いていて、広々とした海が見えない。




9時5分、ようやく広い海が見える地点に。




10時5分、日生町に入る。


日生港。




10時25分、小豆島などとの定期船乗り場。


10時30分~11時、昼食のために五味の市に行ったが、火曜日のため定休。






仕方なく、旬鮮食彩館で寿司を買って食べた。

11時10分、JR日生駅。


駅前公園に、与謝野晶子の「妻恋ひの 鹿海こゆる話聞き それかと見れば 沖の鶴島」の歌碑。


11時15分、完成間近の備前日生大橋。鹿久居島との間を結ぶ。






その後、しばらく海沿いを歩いて、道は山間部に入っていき、岡山、兵庫の県境の峠に向かって長い上り坂を行く。

12時10分、東奥池。桜がきれいだった。


緑濃い中をさらに上って行き、

12時20分、福浦峠(標高94m)。兵庫県赤穂市に入る。








さて、赤穂に向かって今度は長い下り坂。

12時50分、山陽本線。


道は蛇行しつつ下って行く。






途中で、徒歩旅の青年に会う。新学期なので東広島から京都の大学に行く、とのこと。スマホで調べて、公園やバス停で野宿をしながら歩いていくのだという。やはりスマホは徒歩旅には強力な助っ人か。握手をし、「頑張ろう」のエール交換。

14時、赤穂市街に近づき、




14時45分、大石内蔵助の像が立つ播州赤穂駅へ。


駅の壁面に、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助良雄。



駅の観光案内所で、宿の場所を教えてもらい、




15時45分、西畑旅館に到着。宿泊、2食付き 5500円。

歩数  55529歩  (累計  1593165歩)
距離  35km     (累計  1030km)
費用  7215円   (累計  149145円)

2014年 徒歩の旅 第28日  瀬戸内市・花屋旅館へ

2016年01月09日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月7日(月) 快晴 (倉敷市・倉敷ユースホステル~瀬戸内市・花屋旅館)



6時から7時まで、倉敷美観地区を見学・写真撮影に行く。

桜のトンネルをくぐり、下の通りへ。


昨日も見た満開の桃の花だが、早朝散歩の地元の婦人にきいたところ、この花は出荷するために育てているのだそうだ。考えてみれば(別に考えなくても)、岡山県は桃太郎の土地。


天気はよいが、相変わらず寒い。しかし、途中であった男性によると、午前中は寒いが、午後からは暖かくなる、とのこと。

美観地区の地図




主に倉敷川に沿って、城壁の旧家などが風情を漂わせていた。早朝のため人通りも少なく、短時間だったがゆっくりと眺められた。
















































7時30分、ユース出発。


昨日の逆を通り、まずは国道2号線へ。

8時30分、月曜日なので、通勤ラッシュの車多し。


9時、岡山は、何故かまだ桜がたくさん咲いて残っており、2回目の花見歩行としゃれこむ。


9時15分、気づいたら早島町に入っていた。


9時30分、岡山市に入る。




笹ヶ瀬川を渡ったところで、2号線が岡山バイパスの自動車専用道路になってしまい、自動車道路の下側の道を行く。

11時15分、国道30号線との交差点。


さらに行って、


11時55分、旭川大橋。橋の下で川を見ながら、昼食休憩、中休止。




橋の上から、下流。


上流、はるかに岡山駅方面を望む。


13時5分、百間川橋を渡る。




バイパスの下の道では、2号線が他の道路と交差・分岐する地点などで、歩行者(自転車)は、あちらこちらと振り回されるし、また、防音壁のため、上の自動車道の標識が下からは見えにくく、現地点の確認や、距離計算などで不便であった。

14時50分、それでも運よく、さほどの消耗もなく、何とか竹原の分岐までたどり着き、県道83号線へ。

あたりは急に静かな田園地帯。2号線のバイパス下の道路が、コンクリートに圧迫されつつの、あまりに無機的な道路だったのに比べ、なんとホッとする道であるか。






15時55分、吉井川にかかる邑上橋を渡って、瀬戸内市。県道484号線へ。




宿の詳しい場所がわからず、どうしたものかと思いつつ歩いていると、幸運にも散歩中の老夫妻に詳しく教えてもらうことができた。昨日の青年といい、今日の老夫妻といい、有難いことである。


4時30分、宿に到着。宿泊、素泊まり 3000円。


宿は年期の入った建物で、主人もつっけんどん。風呂も小さくて、「今ちょっと床が壊れているんだ」と言われたが、すぐに沸かしてくれて熱い湯に入ることができた。感謝。

ここ長船町(備前福岡)は、2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の祖父や父などが暮らした黒田家ゆかりの地、だそうである。ドラマにあやかった幟もたてられていた。


歩数  63344歩  (累計  1537636歩)
距離  36km     (累計  995km)
費用  4261円   (累計  141930円)


2014年 徒歩の旅 第27日 倉敷市・倉敷ユースホステル へ

2016年01月08日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月6日(日) 曇のち小雨のち晴 (福山市・つちや旅館
                         ~倉敷市・倉敷ユースホステル)





5時、出発。夜来の雨はあがっていたが、予報では最高気温で11℃。ダウン着用。今日も国道2号線を行く。

出発後、20分くらいであたりが明るくなってくるのは、旅の初めの九州とは大違い。地理的に東方に向けて歩いてきていることと同時に、何より1か月の季節の移ろいを感じる。

5時50分、東福山駅入口を通過。


7時、岡山県笹岡市に入る。鹿児島から7県目。


路傍に縣界標。


7時10分、用之江。倉敷まで33kmの表示あり。


7時30分、城見トンネル、115m。


7時45分、生江浜(おえはま)。入り江の向こう側に、桜並木が見える。


金浦橋を渡ってしばらく行くと、朝日が背中からあたって、海に自分の影が映っている。


8時、JR笠岡駅通過。この写真は、駅の反対側の笠岡港。


8時10分、城山トンネル(265m)。


8時40分、里庄町に入る。


このあたりは、天然記念物のカブトガニの繁殖地、だそうである。


10時40分、金光町。菜の花の向こうに桜。桜がまだしっかり咲いているのは、山間だからか。




10時50分、金光教本部あたり。




10時55分、短い金光トンネル。


11時5分、浅口市。頭上は晴れて青空。


11時10分、唐船。建設中の高架の道路の下を通って倉敷市に入る。


もう海棠が咲いている。


このあたりバイパスの2号線(自動車専用道路)と旧の2号線(429号線)との合流点で歩道を失い、しばらく不確かなままで歩くが、運よく通行人に聞いて事なきを得る。


途中、にわかに黒雲が迫り、雨が降ってきたので、民家の軒下で雨宿り。短時間で再び頭上は青空に。

11時55分、道口川にかかる幹橋。

玉島市街を抜け、

12時30分、高梁川に出て、河岸を行く。寒風強し。




12時45分、霞橋上流の人道橋を渡って、




さらに土手下の歩行者自転車道を行く。




大西にて2号線と合流。その後は一目散

笹沖の交差点で、倉敷市役所への本通りに左折。

倉敷ユースホステルの詳しい位置がわからず、市役所裏の公園で小休止。隣のベンチで煙草を吸っていた青年に尋ねたところ、こころよく、しかも親切にユースホステルの場所をスマホで調べて、懇切丁寧に教えてくれた。有難い。
この旅でも、ここまで何人の人に助けられたかわからない。特に、宿の場所、バイパスと人道の分岐点等々不明な点が多く、また、自分の持っている地図も、7年前の旅の時に買った『ツーリングマップル』で情報が古く、さらに14万分の一で大まかなため難儀する場面がままある。とりわけ山陽地方は自動車専用道路のバイパスがあって、歩行者が通行できない道路が多く消耗甚だしい。出発前に、スマホを買えば便利だと教えてもらったのだが、旅は少し不自由なくらいが丁度いいと判断し、買わなかった。困った時には人に尋ねることにしているが、ザックを背負った旅人には誰もが親切だ。少しの不自由と引き換えに多くの好意を得ている。

教えられたとおりに進み、桃が満開の坂を上ったところにユースがあった。


15時30分、ユースホステル着。宿泊、素泊まり 3024円。


体が冷えきっていたので早く風呂に入りたかったが、沸かしても冷めちゃうから他の人たちが到着してから沸かすとのことで、結局入れたのは約4時間後の19時20分だった。ユースのオーナーもいろいろである。

ユースの窓から、倉敷市街、駅付近の夜景。


歩数  63965歩  (累計  1474292歩)
距離  43km    (累計  959km)
費用  3849円   (累計  137669円)

2014年 徒歩の旅 第26日  福山市・つちや旅館へ

2016年01月07日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月5日(土) 小雨のち晴 (三原市・山根旅館~福山市・つちや旅館)



7時15分、朝食をとってゆっくり出発。2食付きも大きな浴槽も、下関以来で、ゆったりできた。

小雨。今日の行程は短いので、出発時、空を眺めつつ逡巡するが、傘をさして出る。風は弱いものの、とにかく寒い。

雨は降ったり止んだり。今日は「清明」。唐の詩人杜牧の「清明の時節 雨紛紛 路上の行人 魂を断たんとす‥‥」などを思い浮かべながら歩く。もっとも、ここでは雨は「紛紛」というほどではないし、行人も心楽しく歩いているが。

7時30分、古浜橋を渡る。古浜入川には、下流にも


上流にも停泊するたくさんの漁船。


8時5分、糸崎神社。


見事な桜。


2号線も、土曜日なので交通量は少なめ。


8時10分、瀬戸内海(備後灘)が見渡せる地点に。


遠方にしまなみ海道の新尾道大橋。



山陽本線と並行して、海沿いの道を進み、






9時、尾道市に入る。


9時15分、吉和漁港。


10時、JR尾道駅へ。


上方に「尾道城」。1964年に建てられた可哀想な「お城もどきのニセモノ」。屋根の上の右側しゃちほこも欠落。


尾道案内図。


やはり尾道は坂の街。そして、文学の街。


坂の斜面にいくつものお寺がある。


新尾道大橋に向かって。




10時40分、橋の下を通過。


振り返り、坂の街尾道よ、さらば。


大橋の先には、造船会社や、






電力会社のレトロなレンガ造りの建物などあり。






11時50分、福山市に入る。雨、一時止む。


再び雨。ゴアの雨具の防水機能が劣化していて、雨が染み透って下着まで濡れてしまい、もうやけっぱちで、「アメアメ フレフレ カアサアンガァー 」などと歌いながら歩く(いい年の大人のすることに非ず)。 朝の元気はどこへやら‥‥。

12時30分、松永湾にそそぐ運河のようなところにあるラーメン店で昼食。
あまりの寒さと雨のため、手の感覚もなくなりそうになり、気分も萎えてしまったが、熱々の尾道ラーメン大盛りを食べて元気を取り戻す。尾道ラーメンは、細麺のしょう油味で、魚のだしの味がした。

ラーメンで人心地がつき、手の感覚も戻るが、それも一時のこと。タオルを首に巻いて、ゴア雨具の保温力を補ったりしたが、空気が冷えきっており、あまり効果はなし。

12時50分、英文学者で随筆家の福原麟太郎生誕地の碑。


13時30分、こんな表示を見かけた。「身元調査」など今まで意識してこなかったが、本人に関する情報を、本人の知らないところで調査会社に依頼して調べられたら差別の拡大・助長にもつながるだろう。いやなことをするヤツがいるものだ。




14時50分、右手遠方に福山市のビルを眺めつつ、芦田川にかかる神島橋をわたって街中へ。




15時10分、JR福山駅を通過。


寒さと雨のため、寄り道もせず、休憩もほとんどとらず、一気に福山を目指したので、遅い出発にもかかわらず、

15時20分、宿に着いた。久しぶりの4万歩台なり。宿泊、素泊まり 3500円。

今日も広い湯船に手足を伸ばし、冷えきった体を温め、また溜まった衣類の洗濯をした。

その後、宿の女将さんと雑談。予報では、明日もまた寒い模様だと気の毒そうに言う。福山は、駅の向こうにあるお城以外は、これといった見どころのない街だとのこと。しかし、雨と寒さで、福山城を見に行く気力が起きず、今回は見送り。

今日は、寒い、冷たいと、心のゆとりもなく、泣き言の多い一日だった。長い旅ではこういう日もあるものだ。

歩数  49719歩  (累計  1410327歩)
距離  35km    (累計  916km)
費用  5431円   (累計  133820円)

2014年 徒歩の旅 第25日  三原市・山根旅館へ

2016年01月06日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月4日(金) 小雨のち晴 (東広島市・西条駅前ユースホステル
                               ~三原市・山根旅館)





出発準備終了後、4時15分ごろから、同宿の高齢者男性2人と、談話室でコーヒーを飲みながら旅の話などをした。新潟から来た人は、JR全線の旅をしていて、8割がたまわったと言っていた。いろいろな旅の形がある。彼らは、ユースのイベントである「酒蔵まわり」がお目当て、とのこと。

5時 雨滴が飛んでくる程度。昨夜のテレビの予報では「花散らしの雨」と言っていたが、さほどではない。宿の前で、オーナーのブログ用の写真撮影をして出発。その後、オーナーが、暗い中では県道59号線までの道がわかりにくいだろうと、15分ほど近道を教えながら一緒に歩いてくれる。有難い、感謝。広島西条駅前ユースホステルは、湯船がなかったのが唯一物足りなかった点で、そのほかは、設備もオーナーの人柄も満点のおすすめの宿でした。

オーナーにもらった59号線までの地図(実際には、オレンジ線とは異なり、細い路地の近道を導かれて通った)。


というわけで、

5時30分、山陽自動車道の下をくぐりぬけた地点で、無事59号線に合流。空が白みはじめる。コンビニでおにぎりと牛乳の朝食。

59号線は、時々車が通るが、2号線と比べたら雲泥の差。小雨の中、傘をさして歩く。
 
6時30分、雨は降ったり止んだり、傘はさしたり閉じたり。歩きやすい快適な道を山陽本線と並行しながら行く。


部分的には、歩道がなく道幅も狭いところでヒヤヒヤすることもあるが、交通量が少ないのでさほど苦にならず。ゆるやかなアップダウンの道にはツツジが咲いている。


7時25分、白市駅方面との交差点。


冷たい風が吹き始めてくるが、強い北風が追い風となって、むしろ歩きやすい。

7時50分、入野(にゅうの)に入る。


8時30分、急速に天気が回復し、青空、日差し。


周囲は全く田園地帯。


標高が若干高いせいか、冬の気配が残っている。風は冷たく、梅が満開。


8時45分、遠方に巨大な広島空港進入灯の鉄塔。ちょっと前回の旅で見た余部の鉄橋のような雰囲気。そういえば、余部鉄橋は今ではコンクリート橋に架けかえられてしまった。


8時50分、広島空港と国道2号線を結んでいる県道73号線と交差。


8時55分、三原市へ入る。また上り坂だ。


直下から見た進入灯。高さ70メートル。長さ800メートル。デカい。空港が山中にあるため、このような形態になっている。


滑走路末端が見える。


青空を飛ぶ飛行機(中央やや下)。


さらにアップダウンを越えていく。




9時30分、谷底へ降りて行くような、歩道のないジグザグのものすごい下り坂を、ジャンジャン下っていくと、突然、鮮やかな芝桜の花。


ようやく人家のある本郷町の集落に。


9時50分、さらに下って、山陽自動車道をくぐった先にあった石仏。




10時50分、本郷町北方にて国道2号線に合流。一気に大型トラックの波。


11時15分、体がもっていかれそうになるくらいの強風である。救いは、向かい風ではなく、斜め後方からの風であるという点。


11時25分、本郷大橋東詰交差点。ここまで降りてくると桜も咲いている。


12時30分、沼田川に沿って2号線を行く。


12時50分、分岐を左折、駅方面へ。郊外型量販店などを過ぎて、


14時、JR三原駅へ。


寒いので、途中で休憩もあまりとらずに歩いたため、ずいぶんと早く三原駅に着いてしまった。宿は、16時にチェックインなので、駅で時間調整をしようとしたが、待合室もない。寒い吹きさらしのなかで、それでも椅子に座って休んだが、いやぁ寒い寒い。列車待ちの人に聞いてみたら、今日は特別に寒い、と。
16時、駅のそばにある山根旅館に入る。宿泊、2食付き 5100円。宿は、昔風の駅前旅館といった感じで、大きな浴槽があり、手足を十分に伸ばして温まった。

歩数  58568歩  (累計  1360608歩)
距離  39km    (累計  881km)
費用  5235円   (累計  128389円)









2014年 徒歩の旅 第24日  東広島市・西条駅前ユースホステルへ

2016年01月04日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月3日(木) 晴のち雨 (広島市・ユースホステル レイノイン広島平和公園~
                       東広島市・西条駅前ユースホステル)





5時30分、出発。明けの明星がポツンと東天に光っている。
ゆうべは深夜に外国人の親子連れが泊まりに来て、ちょっとうるさかったが、そのまま眠ってしまった。

宿近くのコンビニにておにぎりと牛乳で腹ごしらえをし、今日は三原までの歩き。足の痛みはだいぶよくなっている感じ。
空気は暖かく、念のために着て出たダウンジャケットはすぐに脱ぐ。

5時55分、国道2号線に合流し、東進する。

6時25分、太陽が昇ってくる。


6時45分、東雲屋内プール横を通過。休館日が、火曜日と年末年始のほかに「8月6日」とあるのが、いかにも広島だと感じた。



7時、猿猴川にかかる黄金橋を渡る。
河口方面には小さな船がたくさん停泊していた。




川の向こうにはマツダ自動車の本社工場。


橋を渡るあたりからものすごい通勤車のラッシュ。天下の国道2号線である。おそらく国道1号線も同様であろう。しかし、太平洋側を行く以上、こういう状況を通り抜けない限りは、東北・北海道の大自然の中を歩くことはできない。




7時40分、海田町に入る。


7時50分、JR山陽本線とJR呉線が交わる海田市駅の先の昭和町公園にて小休止。
満開の桜だが、よく見ると少し散り始めている。




8時30分、山陽新幹線の下を通過。2号線のラッシュはやや緩和されてきたようだ。高速やバイパスや脇道が混んできているのかな。


瀬野川に沿って2号線を行くが、途中で河川敷に遊歩道がつくられているのを見て、そこを歩くことにする。


8時35分、人道橋を渡って対岸へ。


自然の多い気持ちのよい河川敷を歩く。




澄んだ水の中に小魚の影。


春爛漫の風情。




右から順に、山陽本線、瀬野川、国道2号線が並行している。


徐々に山が迫ってきて、里山風の地域に。


9時25分、小さな休憩所。小休止。桜はだいぶ散っている。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の 行方知らぬも、なほあはれに情け深し。」(『徒然草))といった感じか。雨ではないが。


きれいな川のための努力。




9時50分、河川敷が行き止まりになったので、寺橋にて2号線に戻る。




10時20分、貨物列車通過。




10時50分、龍善寺で鯉のぼりを見る。


11時10分、石積みの段畑の向こうを




山陽本線や貨物列車。




だんだんと上流の気配がただよう。




11時40分、緩い蛇行の登りの先で、峠を越えて東広島市に入る。


歩道のない2号線を大型のトラックがしきりに通る。




12時40分、右折する2号線と別れて、486号線を東広島市街方面へ行く。


13時45分、西条は、京都の伏見、神戸の灘と並ぶ有名な酒の街。「酒都西条と。


大型量販店などが並ぶ郊外から市街に入り、

14時55分、JR西条駅へ。


15時、西条駅前ユースホステル到着。チェックインは16時からだが、ご好意で休ませてもらった。

早速シャワーを浴び、その後はくつろいでオーナーとよもやま話など。ユースは、前年の10月にオープンしたばかりだそうで、何もかもが清潔であった。鄙びた宿もいいが、きれいな宿もいいもの。
また、オーナーも感じの良い親切な人だった。国道2号線のあまりの車の多さにうんざりし(山陽工業地帯を貫いている大動脈なのだから、当然のことなのだが)できれば少しでもルートを変更したい旨を言い、多少のアップダウンはあるものの、オーナーの提案を受けて途中までは県道59号線を行ってみようということになった。そして、分かりやすいようにと地図のコピーを作ってもらった。
夕刻、雨が降り出す。宿泊、素泊まり 2900円。

歩数  52741歩  (累計  1302040歩)
距離  34.5km  (累計  842km)
費用  6051円   (累計  122254円)