2015年4月16日(木) 晴 (仙台市・千登勢屋ユースホステル
~東松島市・JR陸前小野駅~仙台市・千登勢屋ユースホステル)
今日も千登勢屋ユースホステルを根拠地にして、空身のピストン。仙石線の状況を見つつ、行けるところまで。
5時15分、宿を出る。清々しい陽気。
5時30分、仙台市立東六番丁小学校の校庭の桜が満開。
左折して国道45号線(仙塩街道)を東進する。
途中で見かけた「みちのくプロレス」のポスター。
6時10分、陸上自衛隊仙台駐屯地。門の中、桜が満開。
6時30分、仙台バイパスの苦竹インターチェンジの歩道橋より。東に向かって歩いているので太陽眩しい。
7時5分、七北田川にかかる福田大橋より上流側。
橋梁補修工事中。
7時30分、宮城野区中野歩道橋にて「過去の津波浸水区間」の表示。
防災マップ。
7時40分、多賀城市に入る。
頭上にも境界表示ありて、
仙台市を抜ける。
多賀城高校生がつくった、3.11津波の到達表示や、
「波来の地」碑。
8時15分、多賀城市伝上山の歩道橋の「過去の津波浸水区間の表示」。
8時30分、塩釜市に入る。
8時35分、塩釜市錦町の歩道橋の「過去の津波浸水区間」の表示。
9時、「芭蕉船出の地」の碑。元禄2年5月、この辺りより松島に向けて船出した、と。(当時はここが海岸線)
途中の店で、鹽竈神社について尋ねたところ、桜が満開だからぜひ行って見てきたらよい、と強く勧められ、寄り道することにした。
9時5分、鹽竈神社東参道入口。
9時10分、「東日本大震災による津波 この地点まで到達する」の標柱。
その先に、陸奥国一之宮「東北鎮護鹽竈神社」の表参道。
202段の急坂。標高差約50mを上る。
上りきると随身門。
境内は桜が満開。寄り道は大正解。「桃源郷」ならぬ「桜源郷」の気分。
別宮拝殿に参拝し、
左右の宮拝殿に参拝。
境内案内図。
鹽竈神社は志波彦神社と同じ境内に同居。
社殿の東にある境内社の志波彦神社手水舎の見事な枝垂桜。
甑炉型鋳銭釜
塩釜湾を望む。
東参道の明神鳥居。
有名な鹽竈桜はまだ咲いていなかったが、ソメイヨシノや枝垂桜の他にも八重桜の「白妙」あり。
他にも花の案内があった。
「ミヤマシオガマ」や「ヨツバシオガマ」は、山で見たことあり。
名物お菓子「志ほか満(しおがま)」の店。
10時、国道45号線に戻り、仙石線の下から塩釜湾。先ほど上から見たときはわからなかったが、近くによると復旧工事中。
工事完了時のイラストがあるが、あとどれほどかかるのだろうか?
10時35分、利府町に入ると、
松島湾。
10時40分、須賀第一トンネル。
トンネルの海側に、歩行者自転車専用トンネルあり。
利府町案内図。
11時、浜田トンネル。
11時15分、松島町へ。
歩道がなく、ヒヤヒヤしながら歩いていたが、途中から立派な遊歩道になった。
松島と象潟は夫婦町で、象潟の娘タニと松島の若者小太郎の悲恋物語が両町を結びつけた、のだそうだ。芭蕉とは関係ないようだが、「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の句など思い浮かべつつ。
11時45分、松島トンネルを抜けると、
観光地松島。
瑞巌寺には芭蕉碑と
いくつかの句碑など。
紅蓮尼の歌もあり、
「植え置きし花の主ははかなきに
軒端の梅は咲かずともあれ」
「咲けかしな今は主とながむべし
軒端の梅のあらんかぎりは」。
11時55分、瑞巌寺本殿参拝は修理中のため割愛。
12時、遊覧船渡船場。
五大堂。
松島湾。
13時25分、東松島市に入る。
その後、大失敗。海沿いを行くべきであったが、国道45号線に引きずられてそのまま進み、高城川を遡行して内陸部で一山上って下りた。コンビニもなく自販機もない暑いバイパス道路をひたすら歩く羽目になってしまった。一つだけよかったのは、カエルの声が聞けたこと。あちこちで高らかに鳴いていた。
14時40分、ともかく鳴瀬大橋に出て、
15時5分、陸前小野駅に着く。
売店の女性に、代行バスの乗り方を教えてもらい、駅前から松島海岸駅へ、その後は仙石線で仙台駅へ。
17時5分、宿に戻る。
宿の女将さんの話では、野蒜にあったパイラ松島・奥松島ユースホステルは、3.11の津波でそっくり壊滅してしまい、オーナーの奥さんも亡くなられたとのこと。現在、再開のめどはたっていない、若い真面目なご夫婦だったのに残念なことだった、と。
2015年 第16日(佐多岬より78日)
歩数 64661歩 (佐多岬より累計 4081151歩)
距離 42.5km (佐多岬より累計 2649km)
費用 5932円 (佐多岬より累計 390463円)
~東松島市・JR陸前小野駅~仙台市・千登勢屋ユースホステル)
今日も千登勢屋ユースホステルを根拠地にして、空身のピストン。仙石線の状況を見つつ、行けるところまで。
5時15分、宿を出る。清々しい陽気。
5時30分、仙台市立東六番丁小学校の校庭の桜が満開。
左折して国道45号線(仙塩街道)を東進する。
途中で見かけた「みちのくプロレス」のポスター。
6時10分、陸上自衛隊仙台駐屯地。門の中、桜が満開。
6時30分、仙台バイパスの苦竹インターチェンジの歩道橋より。東に向かって歩いているので太陽眩しい。
7時5分、七北田川にかかる福田大橋より上流側。
橋梁補修工事中。
7時30分、宮城野区中野歩道橋にて「過去の津波浸水区間」の表示。
防災マップ。
7時40分、多賀城市に入る。
頭上にも境界表示ありて、
仙台市を抜ける。
多賀城高校生がつくった、3.11津波の到達表示や、
「波来の地」碑。
8時15分、多賀城市伝上山の歩道橋の「過去の津波浸水区間の表示」。
8時30分、塩釜市に入る。
8時35分、塩釜市錦町の歩道橋の「過去の津波浸水区間」の表示。
9時、「芭蕉船出の地」の碑。元禄2年5月、この辺りより松島に向けて船出した、と。(当時はここが海岸線)
途中の店で、鹽竈神社について尋ねたところ、桜が満開だからぜひ行って見てきたらよい、と強く勧められ、寄り道することにした。
9時5分、鹽竈神社東参道入口。
9時10分、「東日本大震災による津波 この地点まで到達する」の標柱。
その先に、陸奥国一之宮「東北鎮護鹽竈神社」の表参道。
202段の急坂。標高差約50mを上る。
上りきると随身門。
境内は桜が満開。寄り道は大正解。「桃源郷」ならぬ「桜源郷」の気分。
別宮拝殿に参拝し、
左右の宮拝殿に参拝。
境内案内図。
鹽竈神社は志波彦神社と同じ境内に同居。
社殿の東にある境内社の志波彦神社手水舎の見事な枝垂桜。
甑炉型鋳銭釜
塩釜湾を望む。
東参道の明神鳥居。
有名な鹽竈桜はまだ咲いていなかったが、ソメイヨシノや枝垂桜の他にも八重桜の「白妙」あり。
他にも花の案内があった。
「ミヤマシオガマ」や「ヨツバシオガマ」は、山で見たことあり。
名物お菓子「志ほか満(しおがま)」の店。
10時、国道45号線に戻り、仙石線の下から塩釜湾。先ほど上から見たときはわからなかったが、近くによると復旧工事中。
工事完了時のイラストがあるが、あとどれほどかかるのだろうか?
10時35分、利府町に入ると、
松島湾。
10時40分、須賀第一トンネル。
トンネルの海側に、歩行者自転車専用トンネルあり。
利府町案内図。
11時、浜田トンネル。
11時15分、松島町へ。
歩道がなく、ヒヤヒヤしながら歩いていたが、途中から立派な遊歩道になった。
松島と象潟は夫婦町で、象潟の娘タニと松島の若者小太郎の悲恋物語が両町を結びつけた、のだそうだ。芭蕉とは関係ないようだが、「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の句など思い浮かべつつ。
11時45分、松島トンネルを抜けると、
観光地松島。
瑞巌寺には芭蕉碑と
いくつかの句碑など。
紅蓮尼の歌もあり、
「植え置きし花の主ははかなきに
軒端の梅は咲かずともあれ」
「咲けかしな今は主とながむべし
軒端の梅のあらんかぎりは」。
11時55分、瑞巌寺本殿参拝は修理中のため割愛。
12時、遊覧船渡船場。
五大堂。
松島湾。
13時25分、東松島市に入る。
その後、大失敗。海沿いを行くべきであったが、国道45号線に引きずられてそのまま進み、高城川を遡行して内陸部で一山上って下りた。コンビニもなく自販機もない暑いバイパス道路をひたすら歩く羽目になってしまった。一つだけよかったのは、カエルの声が聞けたこと。あちこちで高らかに鳴いていた。
14時40分、ともかく鳴瀬大橋に出て、
15時5分、陸前小野駅に着く。
売店の女性に、代行バスの乗り方を教えてもらい、駅前から松島海岸駅へ、その後は仙石線で仙台駅へ。
17時5分、宿に戻る。
宿の女将さんの話では、野蒜にあったパイラ松島・奥松島ユースホステルは、3.11の津波でそっくり壊滅してしまい、オーナーの奥さんも亡くなられたとのこと。現在、再開のめどはたっていない、若い真面目なご夫婦だったのに残念なことだった、と。
2015年 第16日(佐多岬より78日)
歩数 64661歩 (佐多岬より累計 4081151歩)
距離 42.5km (佐多岬より累計 2649km)
費用 5932円 (佐多岬より累計 390463円)