そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

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  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第8日  いわき市・勿来の関公園の東屋へ

2016年04月03日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月8日(水) 雪のち曇 (日立市・ビジネスホテル朝日屋
                   ~いわき市・勿来の関公園の東屋)




6時50分、宿を出発。ゴアの雨具を着て、傘をさして行く。


はじめ小雨だったが、すぐに雪に変わる。寒い。

まず、国道6号線(陸前浜街道)にでて、日立市方面に向かう。




8時、JR日立駅入口交差点。満開の桜に雪が降りかかる。寒いが、何ともいわれぬ風情に見とれてしまう。


さほどの雪ではないが、屋根に、


歩道に、


芝生に降り積もった。


その後、雪は、霙から雨へと変わった。


11時30分、高萩市に入る。このころには路面の雪も解けて消えてしまったが、相変わらず寒い。時々雨が降る。黙々と歩くしかない。


13時5分、北茨城市に入る。


木陰で小休止して、今日の宿の件で電話をしたが、国民宿舎勿来の関荘は、つい10日ほど前の3月31日で営業をやめたとのこと。もう一つの国民宿舎須賀屋の方も別の経営者になっており、二人以上でないと泊めないと言われてしまった。後者は古いツーリングマップルの落とし穴だったようだ。どうしようかなぁ。でも、おかげで到着時刻に拘束されずに歩けばよくなったのは好都合なり。

北茨城市消防署の向い側にあった馬頭観音など。


JR常磐線を貨物列車が走る。


茨城百景磯原海岸。




14時15分、磯原は作詞家の野口雨情の故郷で、生家と、


記念館がある。


記念館入口のシャボン玉の像と野口雨情の像。


雨情の詞。
「シャボン玉」


「かもめ」
「なつかしい想いをこめて。
この曲は雨情先生の詩に作曲した「かもめ」という私の作品です… 高木東六しるす」


「磯原小唄」
「天妃山からハ東をね 東を見れば
 テモヤレコラサ 見えはしないが 見えたなら
 あれはアメリカ チョイト 合衆国 」
 

海辺の公園に「通りゃんせ」の像。




14時30分、雨やむ。寒い。


16時、平潟トンネルを抜けて、


福島県いわき市に入る。


16時5分、勿来漁港。


16時10分、勿来海水浴場。海岸で適当なところでもあればそこで野宿を、と思ったが、寒風強く、津波の際の避難も難しそうなので断念。


勿来の関入口。


「古關蹟」の碑。


長塚節の歌碑。
「勿來關 ものゝふの過ぎしいそ回のあだなみを
   なこその關とひとはいふなり 節」
 

「汐干潟磯のいくりに釣る人は
  波打ち來れば足揚て避けつゝ  節」(右側の碑。左の碑は読めず。)


16時30分、とにかく一晩過ごせそうな場所はないかと、勿来の関架道橋をくぐって行ってみる。

左手に駐車場を見ながら、緩やかな坂道を上っていき、だいぶ上ったなぁと思ったところに運よく東屋発見。


近くにトイレもあるので、今夜はここで泊まらせてもらうことにした。

テント設営後、もう少し坂を上って、勿来の関公園に行く。

途中に公園の案内図あり。


遊園施設に放射線量測定装置があった。値は0.096マイクロシーベルト。


その先に源義家の「弓掛けの松」あり。




勿来の関の門。「奥州勿來關跡」とあり。


門前の山桜の下に東国源氏の祖、八幡太郎義家像。




勿来関説明。


関東の宮(左)と勿来の関(右)。


奥州の宮。


ここから勿来関の碑が続く。


源義家歌碑、
「吹風遠那古曽能關登思弊登裳美遅毛勢耳散山櫻可難」(吹く風をなこその関とおもへども道もせに散るやま桜かな)。


齋藤茂吉歌碑、
「みちのくの勿来へ入らむ山かひに
  梅干ふゝむあれとあがつま」。


飛鳥井宗勝、
「九面や潮満ちくれば道もなし
   ここを勿来の關といふらん」。 


室桜関の詩碑。


源師賢歌碑、
「東路はなこその關もあるものを
  いかでか春の越えて來つらん」。


和泉式部歌碑、
「名古曾とは誰かは云ひしいわねとも 心にすうる関とこそみれ」。


小野小町歌碑、
「みるめ刈る海女の往来の 湊路に勿来関を わすれえなくに」。


源信明歌碑、
「名古曾世に なこその関は 行かふと 人もとがめず 名のみなりけり」。


芭蕉句碑、
「風流の はしめやおくの 田植うた」。


「田中智学の源義家顕彰碑」


田中智学の名前がこんなところで出てきたので驚いた。田中は、軍国主義時代の天皇翼賛的宗教団体「国柱会」の指導者で、「八紘一宇」を唱えた人物。童話作家の宮沢賢治も田中に傾倒し、「国柱会」会員でもあった。宮沢賢治を自己犠牲の童話作家とだけとらえるのは一面的であることを教えられたのは、吉田司著『宮沢賢治殺人事件』という本だった。

ところどころ山桜が咲いていた。


テントに戻り休む。宿泊、0円。


2015年 第8日(佐多岬より70日)

歩数  63124歩  (佐多岬より累計  3680302歩)
距離  41.5km   (佐多岬より累計  2375.5km)
費用  480円    (佐多岬より累計  357702円)