そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第84日 増毛町  大別苅防災ステーションへ

2009年06月30日 | 2008年日本海側の旅
7月3日(木) 晴のち曇 (「浜益海浜公園」~増毛町・「大別苅防災ステーション」)



今日は日程のはざ間で、雄冬までの19キロ行程の予定。ゆっくり起きて支度する。
7時05分、浜益海浜公園キャンプ場を出発。


国道231号線の反対側のセイコーマートで、昨日のごみ出しと買い物。牛乳、スナック菓子、バターピーナッツ、枝豆。
7時15分、歩き始めるとすぐに浜益覆道。


7時25分、浜益漁港方面へおだやかな海に沿って進む。


7時45分、振り返り見る浜益漁港。遠くに愛冠(あいかっぷ)岬も望める。


海から離れ、内陸側へ緑に囲まれた長い坂を上っていくと、土を満載したダンプカーが、クラクションを鳴らし、手を振っていく。昨日の新赤岩トンネル工事現場にいた運転手のようだ。こちらも手を振る。しかし、それは彼一人だけではなく、しばらく行くとまた同じようにクラクションを鳴らし手を振るダンプ。さらにその後も何台か同じようなダンプカーがあるので、工事現場でこちらのことが話題になったのかもしれない。
7時55分、「動物注意」の道路標識あり。


8時05分、群別(くんべつ)川にかかる群別橋をわたり、そのまま坂を下る。


8時45分、生い茂る草の向こうに幌(ぽろ)灯台を見て、幌の集落に入る。


8時55分~9時40分、時間のゆとりがあり、バス停にて大休止。食事をし、明後日の小平(おびら)の民宿を予約する。
9時45分、緑が美しい床丹川を渡る。


9時55分、幌漁港を振り返る。


10時、再び海沿いの単調な道、


波消しブロックにとまっているイソヒヨドリ。


いよいよ海岸線に沿って、断崖にくり抜かれたトンネルが連続する区間に入る。
10時20分、木丹覆道。


10時50分、二ツ岩トンネル(1796メートル)を25分かけて抜ける。右は廃止になり閉鎖された初代二ツ岩トンネル。


10時55分、千代志別トンネル(364メートル)に入る。


千代志別トンネルがそのまま覆道となり、次のガマタトンネル(2060メートル)に接続する。


11時30分、長いガマタトンネルを30分かかって抜ける。


11時35分、タンパケトンネル(340メートル)。


11時45分~55分、タンパケ橋にて休憩。
ホンダのカブで北海道を回ってきた千葉の男性と話。彼は、北海道に来る途中で岩手宮城地震に遭遇。走行中に、大きな岩が目の前を走っていた乗用車の横っ腹にぶつかった、ドライバーに怪我は無かったようだが、あと何秒かの差でバイクが直撃されていたら、と思うとぞっとした等の生々しい話を聞く。
12時20分、雄冬岬トンネル(878メートル)に入る。雄冬岬の周辺は、暑寒別岳から派生してきた陸地が巨大な岩塊となって海に押し寄せ、海は陸地を押し返そうとするがごとき、実に陸と海の戦いの舞台といった趣きである。


トンネルを抜けた所には、「白銀の滝」が流れ落ちている。


雄冬岬の「国道開通」の碑。ここが突破できなかったがゆえに、雄冬は長い間「陸の孤島」を強いられてきたとのこと。


12時45分、増毛町に入る。ここで陸と海との戦いは一旦小休止といった感じ。


12時50分、雄冬キャンプ場に到着。


時間が早すぎるが、そしてキャンプ場の地面の整地がはなはだよろしくないが、さらに天気は下り坂で今夜あたり雨の予報であるが……。しかし留萌まで行くのはとても無理だし、途中の増毛にはキャンプ場がない。
当初計画どおりここにてテント泊にするしかないと決めて、少し周囲を探索。


「雄冬冷清水」。喉が渇いているが飲用にはできない。
かつて北方探検家の近藤重蔵がこの地を訪れた際、この清水の存在を「西蝦夷地日誌」に記録している。


しばらくすると、ボート遊びを終えて帰る途中だという2人組の男性が、ドライブ休憩に来る。旅の話の後、今の時刻でここでのテント泊はもったいないと言って、今夜の宿泊場所を一緒に考えてくれる。そして、留萌までは無理だが、途中半分くらいの距離のところに大別苅(おおべつかり)防災ステーションという駐車場があり、飲料水、トイレも確保できるし、雨もしのげるだろうと言う。2人に感謝しつつ、
13時10分、大別苅に向けて出発。
海沿いを赤岩岬を目指して行く。
13時45分、雄冬トンネル(134メートル)から陸と海との戦いが再開する。


赤岩岬覆道、武好(ぶよし)トンネル(108メートル)を通過し、
岩尾トンネル(90メートル)、


汐岬(しおのみさき)トンネル(64メートル)、


日和トンネル(140メートル)、湯泊(220メートル)と、海沿いの短いトンネルをいくつも抜けていく。もちろんトンネルの長短は工事の難易とは関係なく、どのトンネルも過去の難工事を思わせる。
右は緑の木々が茂るところもあるが、左はほとんど切り立った断崖絶壁をトンネルが貫いている。途中、
14時25分~30分、汐岬トンネル手前の岩尾港バス停にて小休止。
14時50分、「銀鱗の滝」が、黒岩トンネル(770メートル)の手前に流れ落ちている。


黒岩トンネルを10分余りで抜けると、


15時10分、工事中の本日最長の日方泊(ひかたどまり)トンネル(2900メートル)。


日方泊トンネルの約3キロを、トンネル内の一方通行などに緊張し、「高名の木登り」を唱えつつ35分かけて抜ける。
その後も、
マッカ岬トンネル(683メートル)、


ペリカトンネル(394メートル)と通過して、


16時50分、国道231号線最後の大物である大別苅トンネル(1992メートル)を25分かけて抜け、やっと人心地がつく。




やがて道は下り坂になり、
17時05分、大別苅防災ステーション駐車場に到着。
雨対策として、四阿の下にテントを設営させてもらう。
こちらの旅姿のせいもあろうが、今日も北海道の人の親切を実感する。雄冬の2人組の男性の他にも、バイクや自動車から何度も手を振ったり挨拶されたりして激励された。
当初の半日休養の予定と異なり、だいぶ歩くことになったが、ともあれこれで「オロロンライン」南部のトンネル地帯は突破したことになり、ゴールが一気に近づいたような感じだ。

経費  492円        累計  308,027円
歩数  52,739歩     累計  4,216,716歩
距離  36km        累計  2,788km

(本日の到達地点――増毛町)



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徒歩の旅 第83日 石狩市  浜益海浜公園へ

2009年06月28日 | 2008年日本海側の旅
7月2日(水) 晴のち曇 (「佐藤民宿」~石狩市・「浜益海浜公園」)



4時30分、出発。
民宿オーナーのおじいさんに夕べ教えてもらった、海沿いの近道を行き、ゆるい坂を上っていると、ミカンのごとき朝日が昇ってくる。弱い風があり、二基の風車は一基だけが回っている。


4時40分、テーブル状の海辺の丘に、玩具のような集落がある。景色が雄大なだけにいっそう小さく見える。


4時50分、海を見下ろす緑の谷間。爽やかなり。


5時、迂回してきた国道231号線に合流。
歩いている横に出勤途中らしき乗用車が止まり、「乗せて行こうか」と声をかけられる。歩き旅をしていることを説明し、お礼を言ってお断りする。
5時30分、古潭(こたん)漁港を見下ろしながら行くと、また車から声が。ドライバーの親切に心をなごませつつ。


今日の行程の約40キロは、石狩国道の「日本海オロロンライン」南部で、断崖絶壁とトンネルの連続と覚悟。
5時55分、海辺の廃屋。ここにも風雪に耐えて生きた人たちの歴史があったのだろう。『方丈記』の冒頭を思い出す。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。……世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

 
6時20分、厚田漁港が大きく見えてくるが、まったく歩行者には会わず。朝の国道のアップダウンの繰り返しを進む。


6時35分、厚田に入る。


6時50分、厚田橋をわたり、セイコーマートで買い物。牛乳、食パン、コッペパン、菓子パン、薄焼きせんべい、イチゴジャム、レモン飴。
7時、交番前の「広域地理案内図」。痛みがはげしいのも冬の厳しさを物語るようだ。


7時05分、こちらは厚田総合センター前の「厚田道しるべ」の案内板。消えそうになっている絵と、後ろの真新しい建物との落差がおかしい。


よく見ると「第43代横綱吉葉山」の絵もあり、ラジオの相撲中継がたのしみだった子供の頃(50年前)の「四横綱時代」を懐かしく思い出す。千代の山、鏡里、吉葉山、そして栃錦だった。


7時40分、安瀬(やそすけ)に入り、厚田漁港方面を振り返る。今日も、空青く海また青し。


白い波、行く手遠くの断崖などを眺めながら、海沿いの道を行くが、相変わらす歩いている人は他に誰もいない。
8時05分、濃昼(ごきびる)山道入口の標識がある。この登山道はヒグマの心配はないのだろうか。勿論、山道ではなく国道を行く。


8時15分、いよいよトンネル地帯に突入。まず滝の沢トンネル(1242メートル)である。覆道からそのままトンネルに繋がっており、20分ほどで抜ける。


8時35分、次いで、太島内(ふとしまない)トンネル(2455メートル)。2キロ半はさすがに長く、抜けるのに35分。


9時20分に抜けた赤岩トンネル(450メートル)は、長さはさほどでもないが歩道が無く、狭くて歩きにくい。隣に新赤岩トンネルが建設中。(その後2008年11月に新赤岩トンネルが開通。赤岩トンネルは閉鎖。)


9時25分~55分、濃昼のバス停で休憩し食事。
歩き出すとすぐ、新赤岩トンネルの反対側入口の工事現場があり、ダンプカーの運転手から「どこから来たんだい」「頑張れ」と激励の声。
いったん海から離れ、濃昼川を遡行すべく高台に上って行き、迂回。
10時20分、濃昼トンネル(275メートル)へ。


10時40分、海面からだいぶ高度がある尻苗(しりなえ)トンネル(207メートル)。


トンネル入口の左は絶壁。足元低く青い海。


10時50分、短い木巻トンネル(84メートル)を通過し、


11時05分、送毛(おくりげ)地区に入る。


道路にヘビが寝ていたり、シカが突然飛び出して来たりと、


自然の濃い中を行く。


12時20分、送毛トンネル(1901メートル)を25分かけて抜ける。


12時50分、再び海から離れ、毘砂別(びしゃべつ)川を回りこんでいく。
望海橋の上から見下ろす田園地帯。


13時10分、ピンクの睡蓮が咲く池を通過する。ピンクの睡蓮がいくつも咲いているのを見たのは、たしか秋田の久保田城址のお堀だったっけ、あれから20日も歩いているのか、などと思い出しながら歩く。


池の畔には白樺が並び、絵画から抜け出たような静かな午後のひと時。


13時40分、毘砂別で道は再び海沿いを行くようになる。


今日は穏やかな午後の海。


13時45分、浜益観光協会の案内図。ここもまた枠は新しいが、絵も支柱も風雪に耐えていることをうかがわせる。


13時55分~14時25分、まだ早いので、バス停にて時間調整を兼ねて休憩、食事、および翌日以降の計画の検討。
浜益(はまます)橋をわたり、
14時40分、浜益海浜公園のキャンプ場に着く。


キャンプ場にあった案内図。あれっ、よく見ると左右が逆だ。こんな案内図がそのまま設置されているところが可笑しいが、信じたらエライことになる。


午後の強い日差しを避けて、炊事場のわきの日陰にテント設営。体を拭き、汗に濡れた衣類の洗濯。この公園にもピンクや白のハマナスが咲いている。カラスも多い。
15時20分、道路の反対側のセイコーマートで買い物。発泡酒、豚カルビ弁当、あんドーナツ、バナナ、バターピーナッツ。
明日の行程予定は、雄冬キャンプ場までの20キロ足らずで半日休養のつもり。ゆっくり出発すればよい。明後日は雨の予報だが、どうせトンネルの通過だから雨でもよかろう。「おつかれさん」と一人で乾杯。テント代無料。
 
経費  2,158円      累計  307,535円
歩数  59,201歩     累計  4,163,977歩
距離  38km        累計  2,788km

(本日の到達地点――石狩市浜益)



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徒歩の旅 第82日 石狩市  佐藤民宿へ

2009年06月25日 | 2008年日本海側の旅
7月1日(火) 快晴 (民宿「まつよ」~石狩市 望来・「佐藤民宿」)



今日から7月。歩き旅もいよいよあとわずか、交通事故に遭わないように、捻挫などしないように、気を引き締めていこう。
7時05分、出発。
昨日下った坂道を再び上りかえすのを避けて、国道5号線ではなく、JR函館本線の銭函駅前を回っていくことにする。
踏み切りをわたって駅へ。銭函駅前では生徒の団体が集合している。修学旅行に行くような雰囲気だがどうかな。
7時25分、セイコーマートで買い物。ドーナツ、揚げせんべい、ピーナツ、乾電池。
7時40分、道央新道の国道337号線に合流、しばらくは東進する。


空晴れて気分よし。工業団地のようなところを進み、
7時55分、札幌市に入る。


札幌稲西高校や札幌稲北高校の生徒たちの通学時間と重なり、通学自転車多し。
8時50分~9時、新川河川敷の新川緑地にて小休止。ピンクのみならず白いハマナスなども咲いている。
9時05分、第一新川橋をわたると再び小樽市。銭函4丁目の住居表示。


9時30分、石狩市に入る。


このあたり周囲はまったく畑の中で、そこにポツンポツンと会社がある。まだ最近開発されたばかりといったところ。
9時35分、遠くの山が霞み、近くには牧草ロールがいくつも置かれている。


車道はさすがにトラックが多いものの、歩道の方はほんの時折自転車に乗った人に会うのみの、単調な広い歩道を汗をかきつつ歩く。
11時05分~20分、花畔(ばんなぐろ)インター・チェンジ手前で休憩、食事。
ここで左折、札幌市中心部から来た石狩街道の国道231号線に合流する。
11時50分~12時30分、「川の博物館」を見学。石狩川の水害と治水の歴史などを、資料や映像で見る。もったいないことに、見学者は自分一人だけ。
石狩川放水路(手前)と茨戸川、


および石狩川放水路下流方面の写真を撮る。


12時50分、石狩海水浴場方面に行く道道225号線を分ける。
13時10分、石狩川にかかる石狩河口橋をわたり始める。右手上流側と、


左手下流側。


橋の上から河口方面。


石狩川は、川自体の幅もさることながら、河川敷がとてつもなく広く、幅も1キロ近くある。


したがって、わたり終わるまで20分弱ほどかかる。もちろん三橋美智也の「石狩川エレジー」を唄いながら歩く。


13時50分、河川敷を過ぎ、遠くに転がる牧草ロール。


14時15分~30分、八幡町交差点近くのバス停で食事。
その後は、智津狩橋をわたり、霊園がある長い坂道を上っていく。
上りきると、今度は長い平らな道が続く。道路が周囲よりもだいぶ高くなっている。
15時50分、遠くに二基の風車が見えると、そこが今日の泊まり場である望来(もうらい)海水浴場である。


雄大な景色の中の長い坂を海に向かって下っていくと、


望来の集落が近づいてくる。




16時05分、望来地区に入る。あれっ「もらい」なのかな?


16時15分、「佐藤民宿」に到着。素泊まりゆえ隣のセイコーマートで食料購入。牛乳、幕の内弁当、キャベツ。
宿は海水浴の季節がまだ到来しないためか、宿泊者は自分一人だけ。オーナーのおじいさんとひとしきり四方山話。
この地域は豪雪地帯で、昭和40年ごろ(今から40数年前)まではバス便もなく、石狩との冬の交通はもっぱら馬橇だったこと、ここへ来る途中の道路が2メートルほど高くなっているのは、盛り土をしないと冬季に吹雪が吹き溜まりになって通行できなくなってしまうため等々。
その後、今日は日に照らされて大分汗をかいたので、浜辺の海水浴客用の温水シャワーを開けてもらい体を洗う。宿泊代、素泊まり2000円。温水シャワー、300円。
さて明日以降は、北海道の西側海岸線に沿った「日本海オロロンライン」(石狩市―天塩町間の国道231号と232号)を本格的に北上していくことになる。

経費  3,737円      累計  305,377円
歩数  50,609歩     累計  4,104,776歩
距離  34km        累計  2,714km

(本日の到達地点――石狩市 望来)



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徒歩の旅 第81日 小樽市  民宿まつよへ

2009年06月23日 | 2008年日本海側の旅
6月30日(月) 曇のち晴 (「スペースアップルよいち」~小樽市銭函・民宿「まつよ」)



目を覚まして見ると、公園内には他にもいくつかチャリダーたちのテントがある。
4時45分、早朝の「スペース童夢」の写真を撮り、出発。


昨日の道を少し戻り、羊蹄国道の国道5号線を東進する。余市湾に沿って、JR函館本線と並進する。
5時50分、畚部(ふごっぺ)橋をわたる。手前の岩の塊が畚部半島、その向こう遠くは忍路(おしょろ)半島。空は曇っており、海はまだ灰色である。


後方はシリバ岬方面。


5時55分、小樽市に入る。
啄木が
「かなしきは小樽の町よ
 歌ふことなき人人の
 声の荒さよ」と歌った小樽である。


忍路トンネル(505メートル)、桃内トンネル(370メートル)と過ぎ、
6時50分、桃内海岸。桃岩が特徴的だ。


7時、笠岩トンネル(370メートル)、
7時15分、塩谷トンネル(541メートル)と抜けていくと塩谷浜である。塩谷漁港の向こうは立岩方面。


7時35分~50分、海を一望するゴロタの丘の上に伊藤整の文学碑があり立ち
寄っていく。


文学碑には「海の捨児」の詩が刻まれている。
「私は浪の音を守唄にして眠る
 騒がしく絶間なく
 繰り返して語る灰色の年老いた浪
 私は涙も涸れた凄愴なその物語りを
 つぎつぎに聞かされてゐて眠ってしまふ
 
 私は白く崩れる浪の穂を越えて
 漂ってゐる捨児だ
 私の眺める空には
 赤い夕映雲が流れてゆき
 そのあとへ星くづが一面に撒きちらされる
 あゝこの美しい空の下で
 海は私を揺り上げ 揺り下げて
 休むときもない」

傍のベンチで小休止。よい香りを放ってウツギの花が満開である。


その後は40分ほどの長い上り坂を行く。
8時30分、オタモイを通過。北原ミレイの「石狩挽歌」の舞台はこの辺の浜かな。


木材を満載した大型トラックが走り抜ける。


9時05分、長橋トンネル(1000メートル)を抜ける。
9時25分、砂留トンネル(460メートル)を抜け、小樽港に向かって坂を下り始める(歩道橋の上から進行方向)。


9時30分、稲穂の交差点で国道5号線と分かれ、小樽運河方面へ行く。
9時40分、運河の傍の倉庫。


9時45分、小樽運河。




小樽運河は、1923年に完成した水路で、一時埋め立ての方針が出されたが、保存運動の力により今では特別景観形成地区に指定されている。
はじめは人通りもまばらだったが、徐々に観光客が増えてくる。




遊歩道の横の壁にはニシン漁のレリーフなども。


運河プラザをのぞいたり、人力車の写真を撮ったりしてしばし過ごす。


10時20分~40分、ミニマップに載っていた運河の畔の小樽運河食堂「大地」で、バターコーン入り味噌ラーメンを食べる。920円。麺はもちろん、ひき肉のたっぷり入ったスープの味もよく、奮発した甲斐があり大満足。
10時45分、晴れて暑くなってくる中を、日本銀行旧小樽支店や、


手宮線跡地などを見る。


小樽文学館にも行くが、残念ながら閉館日。
11時、国道5号線に戻り銭函(ぜにばこ)方面に向かう。
JR南小樽駅のカーブあたりから人通りも少なくなり、市中心部の喧騒から解放される。小樽市街は、観光客も多いが、高齢者が積極的に外出している姿が印象的。杖をついたり、リュックを背負ったりした高齢者を多数見かける。
11時45分、札幌自動車道の下を通り、
11時50分、小樽築港(おたるちっこう)駅通過し、平磯トンネル(408メートル)を抜ける。12時10分、石狩湾は青く、小樽の街はもう遥か後方である。


12時20分、朝里(あさり)橋をわたり緩く上りきった先で、
13時35分、新張碓(しんはりうす)トンネル(669メートル)を抜ける。
13時45分~14時00分、景勝園バス停で小休止。
14時05分、張碓橋の上から、石狩湾の彼方に明日歩く予定の石狩市方面が白く見える。


道は下り坂に入りどんどん下っていく。
さらに、国道5号線の広い道路を民宿へ曲がる目印を探しつつ進み、道道225号線との交差点を左折。
15時15分、ニセアカシアの花びらが散り敷く坂道を銭函駅方面にだいぶ下ったところで、今日の宿である民宿「まつよ」に到着する。


「銭函」の地名の由来はいろいろあるようだが、むかし鰊の豊漁地で、漁民の家にも銭函があったから和人がつけたというのが通説。縁起がよいというか、アイヌの地名に比べるとちょっと即物的というか……。
民宿は、部屋は清潔、奥さんも親切な感じのよい人。6日分の着替えを洗濯し、ゆっくりと久しぶりの風呂に浸かる。風呂上りの缶ビールを飲みながら、明日の宿の予約。夕食のデザートでは今年初めてスイカを食べる。ベッドで寝るのは大沼のユース以来6日ぶり。宿泊代、一泊二食5560円。


経費  6,785円      累計  301,640円
歩数  59,274歩     累計  4,054,167歩
距離  37km        累計  2,680km

(本日の到達地点――小樽市銭函)



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徒歩の旅 第80日 余市町  スペースアップルよいちへ

2009年06月21日 | 2008年日本海側の旅
6月29日(日) 晴のち曇 (「いわないマリンパーク」~余市町・道の駅「スペースアップルよいち」)



5時20分、マリンパークを出発。右手の建物が木田金次郎美術館。


5時30分、コンビニにて買い物。菓子パン、チョコクロワッサン。
今日は積丹半島の付け根を石狩湾に向かって斜めに突っ切っていく。
まずは尻別国道の国道276号線を東進する。
早朝の市街地にはカラスが多く、子育ての時期だからなのか、電線にとまった2羽のカラスが大声で鳴き、何度も威嚇して追いかけてくる。
一般にこれまで通って来た道南の都市には、やたらとカラスが多かった。九州や山陰ではどちらかというとトンビが多く鳴き声ものどかだったのだが。何らかの対策をとらないと、このままでは少し前の東京のようになってしまうのではと危惧する。大体からして、カラスはたくさんになると鳴き声すらもただただ騒々しいだけで風情に乏しい。あてつけに「夕焼け空がまっ赤っ赤 トンビがくるりと輪を描いた ホーィのホィ……」と唄いながら歩く(まだ朝なのに)。
道は徐々に高度を上げて、内陸部に入っていく。
5時55分、右手になだらかな丘陵やその手前に広がる田園地帯を見つつ行く。一番高い山は岩内岳。




6時、共和町に入る。前方遠くの山々は雲海につつまれている。
6時20分、左右に緑の田畑を見つつ行く。


真ん中遠くに見えるのは、蝦夷富士の後方羊蹄山(しりべしやま)。


水田の周りにポプラの木が生えているのがいかにも北海道である。


6時30分~7時、バス停にて食事をしつつ今後の行程予定を考える。
さらにアップダウンの多い道をどんどん東に向かって行く。
7時55分、「徳川幕府水稲試験地」を通過。現代ではこの辺りも多くの水田が見られるようになっているが、地球温暖化がさらに進めば、やがてブランド米の産地は新潟や秋田ではなく北海道、ということになってしまうかもしれない。


8時45分、国富のバス停で小休止。
8時55分、国富交差点で倶知安方面からきた羊蹄国道の国道5号線と合流。
合流地点では、日曜日のためか、20人ばかりの住民が花壇の手入れをしている。
道は、北に向かって長い坂をシマツケナイ川に沿って上って行くようになる。
10時、途中の駐車場で、銭函(ぜにばこ)の民宿に明日の宿泊予約をする。


10時35分、島付内トンネル(225メートル)を抜ける。
10時50分、稲穂峠の表示あり。


その先の稲穂トンネル(1230メートル)は、古いトンネルで、幅も狭くて歩道もなく、中は照明も暗い。とても歌を唄いながら歩くどころの余裕はなく、終始「高名の木登り、高名の木登り」と唱えつつ、抜けるのに必死。
11時15分、抜けて一安心。振り返って見た稲穂トンネル。


トンネルを抜けたところは仁木町。


左手に広場があり、その奥に松浦武四郎の碑があるので立ち寄っていく。
「岩ほ切 木を伐 草を苅そけて みちたひらけし 山のとかけも」
という歌が刻まれている。


松浦武四郎は江戸時代の探検家。アイヌにも慕われたといわれる。


右手には「まつらの滝」が流れている。


また傍には、札幌の整然とした街造りを計画した島義勇(しまよしたけ)の詩碑もある。


さて、今度はカーブを繰り返しつつ下って行く。
12時45分、余市川をわたる。大江橋に「余市」の由来が書いてある。


13時50分、然別(しかりべつ)駅入り口を通過。
14時30分、JR函館本線を越える仁木跨線橋あたりから、遠く近くサクランボのビニールハウスが見えてくる。


道路のわきにも、たわわに実をつけた大木が次々と出てくる。


そして仁木駅に近づくにつれて、サクランボの直売店が何軒も並ぶ。
折しも今日は仁木町の「さくらんぼフェスティバル」である。


15時、仁木駅入口を通過し、コンビニで買い物。宿泊のための食料確保。食パン、菓子パン、大福、揚げせんべい。
このころから雲が多くなり、やや肌寒くなってくる。
15時15分、余市町に入り市街地を進む。


16時~25分、ミニマップに紹介されていた「海鮮工房」二階のレストランで、イクラ丼を食べる。780円。さすがに新鮮で実に美味い。


余市駅前を左折し、ニッカウヰスキーの工場を過ぎて、


16時40分、道の駅「スペースアップルよいち」に着く。今日は、道の駅隣の公園にテントを張らせてもらうことにする。


まだ時間が早いので、併設されている余市宇宙記念館の「スペース童夢」に入る。余市は宇宙飛行士の毛利衛さんの出身地である。ハッブル望遠鏡の映像上映を見たり、宇宙飛行関連グッズや宇宙食等を眺めたりして過ごす。日曜日のせいか中はとても混雑している。
18時10分、建物裏の草地にテントを設営し、今夜の泊まり場とする。ここもまたやたらとカラスがうるさい。
さて、今日で旅もちょうど80日目。今後は日本海沿いをキャンプ場と宿泊まりで歩くことになるため、道の駅に泊るのもここが最後になるはずだ。長かった歩き旅もだんだんゴールが近づいてくる。

経費  1,635円      累計  294,855円
歩数  60,325歩     累計  3,994,893歩
距離  41km        累計  2,643km

(本日の到達地点――余市町)



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徒歩の旅 第79日 岩内町  いわないマリンパークへ

2009年06月19日 | 2008年日本海側の旅
6月28日(土) 晴 (JR蕨岱駅~岩内町・「いわないマリンパーク」)



5時、蕨岱(わらびたい)駅を出発。


駅のすぐ先で、ニセコ方面に向かう国道5号線と別れて、寿都(すっつ)黒松内(くろまつない)線の道道9号線を上って行く。
5時05分、緑の稜線から朝日が差してくる。今日もよい天気になりそうだ。


5時15分、狩場山駐車場にて小休止。
ここは駅から1キロほどで、水飲み場、トイレあり。蕨岱駅で駅寝する人にとっては好都合。掃除をしていた夫妻に挨拶し、少し旅の話。このあたりがちょうど渡島半島の分水嶺になるようである。
5時20分、黒松内町に入る。町名の由来は、アイヌ語で「和人の女のいる沢」という意味の「クル・マツ・ナイ」。


坂を下っていくと、後ろから先ほどの夫妻が自動車で通りがかり、「随分歩くのが速いなぁ」と言いつつ、飴を両手に一杯くれる。
6時、セイコーマートで買い物。牛乳、ドーナツ、サラダせんべい、バターピーナッツ。
のどが渇き、牛乳では足らずすぐに自販機でペットボトルを買う。
6時35分、JR函館本線を見送って、いよいよ日本海に向かって本格的に坂を下って行く。


6時45分、黒松内川支流の熱郛(ねっぷ)川をわたる。きれいな川である。


7時10分、「制札(せいさつ)壱番の地」という立て札を通過。制札とは道路標識の原型。


江戸時代末に黒松内―ヲタスツ(歌棄)間の山道を開削した、佐藤親子の業績を顕彰している。


空は青く、牛の放牧や


「熊出没注意」の看板があるジャガイモ畑などを見ながら歩く。


途中で、放棄されたり壊れたりした酪農家の残骸をいくつか見かける。どういう事情があったのか? 夢破れて、刀折れ矢尽きたということだろうか?

 
8時~15分、南作開のバス停にて小休止、食事。
8時50分、北作開の追分で、雷電国道の国道229号線に合流、北上する。
国道229号線は、「ソーランライン」とも呼ばれている。
左手に寿都の風力発電所の風車が回っている。


9時10分、寿都(すっつ)町に入り、日本海に出て寿都湾にそって行く。風が非常に強い。


9時30分、明治時代初期の建築だといわれる「鰊御殿」という名の旅館がある。


海側には船着場と神社。


青い海の彼方、寿の都の風車が林立しているのが見渡せる。


9時45分、有形文化財の漁場建築「佐藤家」。佐藤家は江戸時代から「当地方随一の名家」だそうで、家屋の建築は明治時代初期。現在の漁場建築中で匹敵するものがない代表的な遺構とか。






遠く積丹(しゃこたん)半島を眺めつつ、冷たい強風に抗して行く。


ここで、カラスが胡桃を道路に置いて、自動車に轢かせて割ろうとしているところに出くわす。立ち止まって様子を見ていると、道路に胡桃を置いたカラスは電線に止まって車を待っている。話では聞いていたが、本当だった。
11時15分、幌別川にかかる橋をわたる。
11時55分~12時15分、島古丹バス停にて休憩。バス待ちの高齢の男性と話。彼は元漁師だが今は隠居して、今日は岩内までパチンコをしに行くとのこと。
12時40分、野津登トンネル(481メートル)。トンネルを抜けると蘭越(らんこし)町である。


12時50分、尻別川にかかる磯谷橋をわたる。


13時~15分、ようやく道の駅「シェルプラザ・港」に着き、休憩と貝殻細工の見物。
神奈川から来たという自転車の青年と話。同郷で話がはずむ。今朝ほど夫妻にもらった飴を分けてあげる。
今日の行程予定はここまでだったが、あまりにも時間が早すぎるので、思い切って岩内まで足を伸ばすことにする。
13時15分、出発。
午後は断崖絶壁が続く地域を通過、トンネルの連続である。しかし全てのトンネルに歩道がつけられており、ともかく自動車の恐怖からは逃れられる。
13時45分、このあたりから海に沿って断崖をトンネルで通過していくことになる。


14時、磯谷トンネル(640メートル)を抜け、
14時35分、すぐに入った長い刀掛トンネル(2754メートル)を抜ける。


ここを抜けると岩内町である。


14時40分~15時、小休止。振り返ると岬の突端に「弁慶の刀掛岩」がある。


有島武郎の文学碑があり、『生まれ出づる悩み』の一節が刻まれている。
 「 生まれ出づる悩み
  物すざまじい朝焼けだ。
  過って海に落ち込んだ 
  悪魔が、肉付きのいい右の
  肩だけを波の上に現は
  してゐる。その肩のやうな
  雷電岬の絶巓を撫でたり
  敲いたりして叢立ち急ぐ
  嵐雲は、炉に投げ入れられ
  た紫のやうな光に燃えて、
  山懐ろの雪までも透明な
  藤色に染めてしまふ。そ 
  れにしても 明け方のこの
  暖かい光の色に比べて、何ん
  と云う寒い空の風だ。
  長い夜の為めに冷え切った
  地球は 今その一番冷た
  い呼吸を呼吸をしてゐる
  のだ。  」


15時10分、引き続き、カスペトンネル(638メートル)を抜ける。右手上方に「弁慶の薪積岩」が見える。このあたりには「義経伝説」にちなんで命名されたものがいくつもある。衣川で死んだとされる義経が、実は生きており、北上して大陸へ渡る途中でこの地を通ったというわけである。
15時30分、弁慶トンネル(1048メートル)を抜ける。
15時35分~16時20分、雷電トンネル(3570メートル)の通過には45分もかかる。
16時30分、敷島内トンネル(146メートル)抜け、
16時35分、鳴神トンネル(273メートル)抜ける。
これで、やっと今日のトンネル地帯を突破する。これまでもそうだったが、長いトンネルは、入ったときはひんやりして歩いて火照った体には心地よいのだが、徐々に冷えてきて、時には寒いくらいにもなり、集中力・気力・体力が試されることになる。特に照明の具合で薄暗くなっている部分などは、車に注意するとともに足元の水・土砂の堆積・石などにも気をつけねばならず、緊張を強いられるところである。歩き疲れてくると、山の歌や美空ひばりや三橋美智也の歌などを唄ったりして気を紛らせたりすることもある。そして、出口近くではカミさんから言われている「お守りの呪文」を唱える、といった具合。(「お守りの呪文」とは「高名の木登り、高名の木登り」というもので、出典は『徒然草』。)
その後は近づいてくる積丹半島に向かって歩く。


17時10分、夕日が海上に煌く。


徐々に家並みが増え、岩内の町が近づく。
途中で自動車が止まり、「乗っていくかい」と言われるが、歩き旅の旨を説明し、親切心だけいただいて、お礼を言ってお断りする。
17時30分、スーパーにて買い物。トマト、缶詰、タルタルソース、氷砂糖、飴。
18時10分、道の駅「いわない」に到着。道の駅では泊まれないが、向かい側にある「いわないマリンパーク」内の、木田金次郎記念館横の芝生にテントを張って泊まることにする。

経費  1,512円      累計  293,220円
歩数  74,591歩     累計  3,934,568歩
距離  50km        累計  2,602km

(本日の到達地点――いわないマリンパーク)


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徒歩の旅 第78日 長万部町 JR蕨岱駅へ

2009年06月17日 | 2008年日本海側の旅
6月27日(金) 曇のち晴 (JR山崎駅~長万部町・JR蕨岱駅)



夜明け前に噴火湾に見えた光は、海上の漁火かそれとも対岸の室蘭の街の灯りだろうか。
4時55分、出発。JR函館本線と共に国道5号線を北上する。
空気は肌寒く、下半身は半ズボンなるも上半身は長袖のカッターシャツを着用。
5時45分、いかにも北海道らしい景色。前方も、


後方も真っ直ぐな道路がずっと続く中を行く。


時折通るトラックのエンジン音以外は、波音ばかりが耳に心地よい静かな道である。
6時~15分、シラリカ川のバス停にて小休止、食事。
6時20分、海辺に「黒岩奇岩」を見る。アイヌが守り神として礼拝した岩。


6時40分、黒岩駅前の商店にて買い物。おにぎり2個、パインジュース。
6時55分、長万部町に入る。「オシャマンベ」の語源は、アイヌ語で「カレイのいるところ」とも「横になった河口」を意味するとも言われている。


その後も相変わらず続く海岸沿いの単調な直線道路を、


時々通過する函館本線の写真を撮りながら行く。






8時40分、国縫(くんぬい)は、1669年のアイヌによる松前藩の苛斂誅求に対する最大の戦いである「シャクシャインの蜂起」のあったところ。
10時20分、「かにめしバイキング」の幟の立っている長万部物産センターで休憩および食事。


知人へのお土産を発送し、高年の従業員と話。急速に進む地域の高齢化や過疎、中高年の生き甲斐について等々。ここでも昔からの地域共同体が壊れつつあるとのことである。
食事は、食べ放題で980円。とはいうものの、意気込みとは裏腹に、かにめしを小椀で3杯と野菜と果物などをいくつか食べられただけで腹一杯。肉・魚などにはほとんど手が出ずというはなはだ不本意な結果。やはり長旅で体が野菜類を一番に欲していたのだろう。胃袋も縮小してきているのかもしれない。
11時40分、空は晴れ、暑くなってきた中を、うっかり飲んだデザートの梅酒のほろ酔い気分で、再び歩き始める。
11時50分、今後の行程を考え、セイコーマートで泊まりの食料を買う。食パン、菓子パン2個、レトルトカレー。
12時10分、海辺に咲いている鮮やかな紫色の花はハマエンドウ。


12時20分、カモメの群れが砂浜でのどかに休んでいる。これで太平洋側ともお別れ。
今後は渡島半島を横切って、再び日本海に沿って北上するルートである。


12時30分、オバルベツ川にかかる長万部大橋をわたり、さらに旭浜橋をわたると、右に室蘭方面への国道37号線を分ける。
道は北上し、道央自動車道の下をくぐって行くが、炎天下で暑くてたまらずペットボトルを買う。
汗を流しつつ、緑に囲まれた道をひたすら歩く。遠くの写万部山の稜線も青く霞んで、すっかり夏景色といった風情である。
13時30分、長万部川の支流、土津田(とつた)川。
なんか木の葉の陰にコロボックルでも隠れていそうな……。


13時40分、土津田跨線橋を越える。
さらにアップダウンを繰り返しつつ内陸部へと徐々に高度を上げていく。
14時25分、家並みが続き、貨車を改造した二俣駅待合室で小休止。
知来跨線橋をわたり、
15時25分、蕨岱(わらびたい)地区へ入る。単調な道が続き実に長く感じる。


16時05分、無人駅のJR蕨岱駅に到着。水道もトイレもないが、今夜はここに泊まらせてもらうことにする。


駅舎は無く、待合所は車掌車を改造したあっけらかんとしたもの。西日をまともに浴びた車両内は暑くてしかたないが、虫が入るからと開放禁止。


涼しくなるまでホームで通過列車の写真を撮ったりして過ごす。


備え付けの駅ノートで、この駅がJR全駅を「あいうえお順」に並べると最後になるという偉大な駅であることを知る。
そして、順調に行けば、今日がこの縦断の旅で無人駅に泊まる最後の夜ということになるはずである。

経費  1,872円      累計  291,708円
歩数  61,348歩     累計  3,859,977歩
距離  43km        累計  2,552km

(本日の到達地点――JR蕨岱駅)



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徒歩の旅 第77日 八雲町  JR山崎駅へ

2009年06月15日 | 2008年日本海側の旅
6月26日(木) 曇のち晴 (「オニウシ公園」~八雲町・JR山崎駅)



3時半頃からたくさんのカラスがやたらと鳴き始め、騒々しくて目が覚めてしまう。
5時、出発。


道の駅の先には野草が咲き乱れている。


大沼国道の国道5号線をしばらく行くと、路傍の桜の枝に花が咲いている。咲き残りか、それにしてももうすぐ7月である。やはり北海道なんだなぁ。


5時50分、JR函館本線の桂川駅の先で湯の崎トンネル(464メートル)を抜けると、右手に内浦湾が広がっている。内浦湾は、別名噴火湾とも言われている。駒ケ岳や有珠山(うすざん)などの多くの火山に囲まれているため、18世紀末の英国海軍探検船「プロヴィデンス号」船長、W.R.ブロートンという中佐が名付けた。うす曇であるが、弱い日差しが海面に反射している。


今日は以後もずっと海に沿って、JR函館本線と着かず離れずに北上する。
6時20分、蛯谷(えびや)漁港を通過。


漁業用具が積まれている。この後も、汐の匂いの強い集落をいくつも過ぎて行くことになる。


6時25分、石谷駅の手前に、茅部鯡供養塔がある。


宝暦7年(1757年)に建立。当時ニシンは大豊漁で浜辺はニシンの山を築いたほど。しかし加工技術が追いつかず、漁師たちが合議の上でニシンを土中に埋めて慰霊供養をしたとのこと。


7時、濁川温泉への分岐通過。
7時15分、頭上をコンテナを連ねたJR貨物の長い列車が通っていく。その姿が壮観なり。


7時20分~35分、本石倉駅の階段に腰掛けて小休止。食パンにトマトや玉ネギをナイフで無造作に切って載せ、マヨネーズをかけただけの食事だが、草枕旅にしあれば、実に美味いんだなぁこれが。
7時45分、石倉跨線橋の上にて。石倉海岸に沿ってやってくる函館本線の普通列車。


7時55分、八雲町に入る。
8時25分、雲も切れ始め、振り返る内浦湾も陽光にきらめいている。


8時50分、落部(おとしべ)のコンビニで買い物。牛乳、豆大福、バターピーナッツ、ピーナッツチョコ、ガム。
さらに、その先の郵便局のATMにて2万円下ろす。
9時25分、単調な道が続いているが、空は晴れ、海青し、気分爽快で歩く。


9時45分、順調に歩を進める。


畑の彼方は海。


10時15分~45分、時間にゆとりがありそうなので、野田生(のだおい)のバス停にて小休止。今後の行動計画を考える。野田生は江戸時代に野田追場所のあったところ。
11時15分、神明大稲荷神社。


幕末の北海道探検家で地理学者の松浦武四郎が、蝦夷奥地に向かう際にいつも立ち寄り安全を祈ったとのことで、彼が1858年に詣でた際に作った歌がある。
「天地の神も知りませ国の為め 千島の奥に思い入る身を」。
松浦武四郎は、「北海道」の名付け親である。


11時25分、ポケットマップで知った、ヤクモ飲料工場の敷地内にある湧水を飲み、ペットボトルに詰める。たっぷりと湧き出ているおいしい水は、自由に飲んでよいそうで、車で大きなタンクに汲みに来ている人もある。
11時40分、境川の「蝦夷地・和人地の境跡」の碑。享和元年(1801年)、江戸幕府が定めた境界の跡。


11時40分、カモメが群れている浜辺の彼方、長万部方面が遠く霞んで見える。


12時、山越内(やまこしない)関所跡。




山越内関所は日本最北端の関所で、蝦夷地への武器の移動取締り、通行人の手形取扱い、関銭の取立て等を行った。

JR山越駅。


東京から自転車で来た「洞爺湖ママチャリサバイバル」の大学生4人のグループと出会う。洞爺湖で環境問題を考える集まりがあるそうで、グループのうちの一人と歩きながら話をする。彼らのブログに載せたいから写真を撮らせてくれないかと言うので承知し、また彼らの寄せ書きに協力する。
12時15分、長万部近づく。


12時55分、八雲駅方面との分岐を通過。
13時15分~25分、コンビニで買い物、菓子パン3個。ダイソーで買い物、バンドエイド、青森でホームレス君にあげてしまったテントシートの補充。
14時10分、ユーラップ川にかかる八雲大橋をわたる。ユーラップ川は内浦湾を囲む函館ー室蘭間では最も大きな川の一つである。
「ユーラップ」の意味は、アイヌ語の温泉が下る川という意味の「ユ・ラプ・ペッ」によるとも、支流がたくさん集まって流れる川という意味の「イウラプペッ」によるとも言われている。
14時45分~15時15分、跨線橋の先に、八雲町ガイドマップのある小公園があり、時間が早いので調整がてら休憩する。


ハマナスが植えてある。ここのハマナスは花びらが八重になっており、このような種類は初めて見る。


15時15分、函館本線の貨物列車の通過。


15時30分~16時40分、前方から徒歩の男性がやって来る。お互い今日の行動予定は大方片付いており、バス停の建物の中のベンチでのんびり話す。彼は35歳で、宗谷から歩いて鹿児島まで行くと言う。日本海沿いを通る予定でこちらがこれまで歩いてきたルートと重なり、また彼が通ってきた道もこちらの今後の予定ルートと一部重なるので、道路状況や宿泊地などお互いに情報交換をする。彼の話では、札幌あたりからこちらは、洞爺湖サミットのための警官による職務質問が頻繁にあり極めてしつこかった、とか。小振りのザックで主に宿泊まりとのことで、こちらのザックを背負ってみて重さに驚いていた。記念に写真を撮らせてほしいと言われ承知する。モデルになるのは本日これで二度目なり。そう言えば、彼と話している最中に、キタキツネが何かを咥えて国道の路肩を歩いて行った。ほぅ、こんな事もあるのか、と驚き感じ入ってしまった。最後まで頑張ろうと誓い合って別れる。
16時45分、JR山崎(やまさき)駅着。今夜はここに泊まらせてもらうことにする。


夜まで間があるので、待合室を掃除したり、駅を通過する列車の写真を撮ったりして時を過ごす。
特急「北斗」。


普通列車。


寝台特急「トワイライトエクスプレス」。


山崎駅は木造の無人駅で、ホームから内浦湾が見えるとても開放的なところである。待合室には誰も来ず、隅にシートを敷いて寝る。


経費  1,161円      累計  289,836円
歩数  57,564歩     累計  3,798,629歩
距離  38km        累計  2,509km

(本日の到達地点――JR山崎駅)


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徒歩の旅 第76日 森町   オニウシ公園へ

2009年06月13日 | 2008年日本海側の旅
6月25日(水) 小雨のち晴 (「大沼公園ユース」~森町・「オニウシ公園」)



8時55分、今日は距離としては半日休養日相当なので、同宿者たちを見送りしてからゆっくり出発。
ユースを出るや否や雨が降ってくるが、すぐに止んでしまう。
9時10分、爽やかな緑の林の中へ大沼の写真を撮りに行く。




空はまだ曇っている。時間がたっぷりあるので、大沼を周遊していくことにし、緑のトンネルを反時計回りに歩く。
9時50分、見え隠れしていた砂原回りのJR函館本線と別れ、東大沼キャンプ場へ。


キャンプ場では、自転車旅の若者がくつろいでいたり、校外活動らしき女子高校生たちがテントを撤収したりしている。
大沼はいかにも北国の湖といった感じで、波が静かで、空気がうまい。


やがて徐々に日差しが強くなってくる。
10時15分、大沼北岸の駒ケ岳神社に立ち寄る。


ここはかつて駒ケ岳登山口であったが、火山活動のためこのルートは現在入山禁止になっている。


11時、分岐にて大沼から離れ、国道5号線方面に向かう。


湖岸道路から離れたとたんに道路の舗装が悪くなり、ザラザラで、浮き上がった小石が、薄くなった靴底に痛い。
時々樹間から見えていた駒ケ岳は、常に右手に見えるようになる。
しかし道路には標識もなく、現在地の確認が覚束ない。
やっと目印の「ちゃぷ林館」という温泉が見つかり一安心。
赤井川にかかる橋をわたり、大沼回りのJR函館本線を跨いで、
12時、保養基地入り口の交差点で、ようやく国道5号線に合流する。
12時05分~20分、バス停にて、食パンにレトルトカレーをはさんだサンドで食事。
広く明瞭な5号線を行く。
12時55分、右手の野菜畑の向こうに駒ケ岳の西面を眺めつつ歩く。


駒ケ岳は見る角度が異なるにしたがって、まったく別の山のように形が変わっていくのが面白い。


13時05分、セイコーマートにて買い物。牛乳、食パン、コッペパン、菓子パン、豆大福、のど飴。
14時05分、梢に白い花をたくさんつけているニセアカシアの高木が幾本も並んでいる道路を下っていく。


よい香りが漂ってくる。


14時50分、国道278号線と交差する。
15時15分、道の駅「YOU・遊・もり」に到着。


道の駅の物産館にて買い物。いかめし、トマト。


物産館のレジの女店員に様子を聞くと、道の駅の建物は夜間閉鎖してしまうが、隣のオニウシ公園ではテントで泊まっている人をよく見かける、とのこと。
今夜はオニウシ公園に泊まらせてもらうことに決定する。
時間があるので、大きな噴水のある公園のベンチで、しばらく今後の行動計画を検討。
この公園は広々として、緑も多くきれいで、それ自体は大変結構なのだが、ともかくやたらとカラスが多い。トイレに行っている間に、ビニール袋に入れておいた食料がカラスに引きずられてしまい、たまたま公園に居合わせた親切な男性が、カラスを追い払って荷物を見張っていてくれた、とのこと。袋は嘴によって破られてしまっていたが、さいわい中身は無事、しかし油断大敵である。
さらに、昨夜ユースで聞いたとおり、洞爺湖サミットの影響だろうか、駐車場をはじめとしてやたらと警官の姿が目に付く。
日が落ちるとカラスもおとなしくなり、公園内の芝生の上にテントを設営して快適に眠る。

経費  1,446円      累計  288,675円
歩数  30,436歩     累計  3,741,065歩
距離  25km       累計  2,471km

(6月25日の到達地点―オニウシ公園)



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徒歩の旅 第75日 七飯町  大沼公園ユースへ

2009年06月11日 | 2008年日本海側の旅
6月24日(火) 雨のち晴 (「ライムライト」~七飯町・「大沼公園ユースホステル」)



雨が降っており、様子見がてらにモーニングのトーストとコーヒーをいただきつつ、飼い猫をからかったり雑談したり。
8時40分、やや小降りになったので、出発。
ライダーハウスの管理人夫妻や同宿の若者たちに見送られて出るも、5分もしないうちに再び激しく降り出す。ビルの陰に避難して雨宿り。
管理人夫人から、ケータイに、無理をせずにもう一度戻って休んでいったらどうかとの申し出。ユースの予約もあるので、行動する旨伝える。
驟雨が去り、小降りになる。雨具を着用して歩き出す。
8時55分、JR函館駅前を通過。国道5号線に沿って進む。
途中、函館海岸郵便局にて、昨日買ったお土産を郵送。
9時45分、函館本線の五稜郭駅にて小休止。
9時55分、駅の向かい側に、昨日聞いた「セイコーマート」というローカルコンビニがあり、さっそく買い物とカードつくり。牛乳、食パン、コッペパン、バナナ、レトルトカレー。
10時15分、その先のゲオという本屋にて、これも聞いていた「北海道ポケットマップ」を買う。
10時40分、函館新道方面への分岐を分け、函館本線と並行して市の中心部を行く。
雨は一時止むと思うとすぐに再び降り出すというはっきりしない天気。
国道5号線は、「大沼国道」とも呼ばれている。
11時10分、桔梗駅通過。雨が上がる。
七飯(ななえ)町に入る。
道路の両側に見事な赤松が並んでいる。ここから七飯町峠下までの14キロ余りは「赤松街道」と呼ばれ、高く美しい赤松の並木がずっと続いている。明治時代に植えられたもので、全部で1400本以上あるそうだ。「日本の道100選」にも選ばれている。
11時20分、スーパードラッグでテーピングを買う。
11時40分、大中山駅を通過。気温21.5℃の表示あり、やや暑し。
天気が回復してくるにつれ、右手の樹間には、緑鮮やかななだらかな丘も見える。


こんな表示も。


このあたりが赤松街道の中でも一番美しい区間。


12時30分、大沼まで14kmの表示のある、役場入り口手前にて15分間の小休止。道路わきの土手に腰掛けてコッペパンとバナナの食事。
左手にも緑の原が続く。


13時35分、自動車道の函館新道と合流し、昆布館を過ぎる。
14時、国道96号線と交差、大沼まで8kmの表示。
道路が右にカーブし、長い坂をゆるく上っていく地点でふと振り向くと、函館山が遥か遠くに見える。カーブを曲がってしまった後はもう全く見ることは出来ず、あれが函館の見納めだったわけだ。
14時25分、跨線橋をわたり、さらに坂を上っていくと大沼トンネル(671メートル)である。トンネル内は明るく、歩道も広くゆったりとしており、とても歩きやすい。
14時40分、トンネルを抜けると、俄かに視界が開け、目の前に駒ケ岳が。
岸辺近くに水草が繁茂した小沼を前景に駒ケ岳の写真を撮る。頂上まではっきりと見える。


駒ケ岳は標高1131メートル、蝦夷駒ケ岳とも呼ばれ、尖った頂が美しい火山。大沼・小沼は噴火活動によってできた堰止湖である。
国道5号線と分かれて、橋をわたって、道道338号線を函館本線と並行して歩く。
15時15分、大沼駅を通過し、緑の木々に囲まれた大沼の湖畔を行く。
15時40分、こちらは大沼。


15時50分、大沼の向こうに駒ケ岳。




16時10分、緑に囲まれた静かな「大沼公園ユースホステル」に到着。今日も短い行程である。
夕刻、Bさんに電話をしたところ、彼は津軽半島経由で北海道に入ったため、2日前にこの大沼ユースに泊まり、先行していることが分かる。
夕食後、女性1人を含む同宿者4人の中高年の間で話が弾み、終わったのは20時30分ころになってしまう。車の人、バイクの人、電車の人、歩く人とさまざまなため、話題が尽きず楽しい時間。でも少し難しい話も出て、印象に残ったのは、庶民が戦争に巻き込まれるときの精神状況について、ということなど。高齢の方から、インテリについては多く書かれているが、庶民自身による説得力のある説明が載っているような本はなかなか得られない、という話がされた。深いテーマである。

経費  7,665円      累計  287,229円
歩数  43,733歩     累計  3,710,629歩
距離  31km        累計  2,446km

(本日の到達地点―大沼ユース)


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徒歩の旅 第74日 函館市  ライムライトへ(その2)

2009年06月09日 | 2008年日本海側の旅
6月23日(月) 雨のち晴 (「菅原民宿」~函館市・ライダーハウス「ライムライト」)
その2




(その1より続く)
群青の津軽海峡をフェリーは函館を目指し、


やがて前方左手遠くに見える北海道の山々が徐々に大きくなってくる。




陸地が近づくと、海面の海鳥が一斉に羽ばたき、


いよいよ函館の街並みが指呼の間に。


13時10分、フェリーは、大間―函館間を1時間40分で結び、函館港に着岸。
これまで冗談交じりに「死ぬ迄に一度でいいから北海道というところへ行って見たいものだね」などと言ってきたが、ついに北海道の地に第一歩を記す。とうとうここまで来たかと思うと感無量なり。
フェリーの名の「ばあゆ」は、インドの風の神で、航海の安全をもたらすという。


13時15分、下船し、ターミナル内を見物後、今日の宿であるライダーハウスの「ライムライト」へ向かう。
13時55分~14時10分、今後の食糧確保のため、スーパーで買い物。食パン、菓子パン2個、バナナ、トマト、チキンカツ、コーヒー飴、ジュース。
途中で、郵便配達の3人組に住所を確認して、
15時、ライダーハウス「ライムライト」に到着。ライダーハウスに泊まるのは初めてである。同宿者は7人の若者で、バイク旅のライダーや、自転車旅行の「チャリダー」たち、そしてこちらは歩き旅の「徒歩ダー」である。管理人夫人から宿泊についての説明を受ける。また、若者たちも北海道の情報をいろいろと教えてくれる。
その後、まだ時間もあるので市内見学へ。
まずは、函館山へロープウェイで登る。
16時10分、函館山ロープウェイ山頂駅から、市内眺望。


函館ハリストス正教会周辺。


こちらは函館湾方面。


売店にて、3月まで働いていた職場の同僚と弟一家へお土産を買う。
その後、案内図で確認し、立待岬方面(図の右下)へ向かう。


やはり函館は、石川啄木の町。


市電通りを歩き、




17時10分、市営墓地を通って、大森浜を見晴るかす石川啄木一族の墓へ。




墓石には、「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」の歌が刻まれてある。


碑の裏側は啄木の自筆書より。


「啄木書簡之一節
 これは嘘いつはりもなく正直尓言ふのだ、
 『大丈夫だ、よし~、
 おれは死ぬ時は函館へ行って死ぬ』 
 その時斯う思ったよ、何処で死
 ぬかは元より解った事でないが、僕は矢張死ぬ
 時は函館で死にたいやうに思ふ
 君、僕はどうしても僕の思想が時代より一歩進ん
 でゐるといふ自惚を此頃捨てる事が出来ない
 明治四十三年十二月二十一日
 東京市北郷弓町二の十八
 石川啄木    郁雨兄 」 
17時20分、さらに立待岬にある与謝野鉄幹・晶子の歌碑に行く。


「濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土 寛」
「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと 晶子」とある。
そういえば、彼ら夫妻の歌碑は、旅の2日目に通過した開聞岳近くの迫平自然公園にもあったっけ。行動範囲の広い人である。


17時45分、函館公園へ。ちょうど白孔雀が羽根を広げたところに遭遇。


公園内の啄木歌碑には、
「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」の歌が刻まれている。




帰路、函館青柳町。


道端の花壇の矢車草。


その後、函館発展の基礎を築いた高田屋嘉兵衛銅像や、




作詞家の高橋掬太郎歌碑などを見る。


「酒は涙か 溜息か 心のうさの 捨てどころ」、と。


18時30分、宿に戻る。
夕食後、管理人夫妻と四方山話。とても感じのよい人たちで、当方が初めて北海道に来たというので、北海道の道路や宿やキャンプ場の様子、明日行く大沼方面の案内、さらにはしばらく北海道を歩くのだからセイコーマートというコンビニでポイントカードを作るとよいということ、ツーリング用のポケットマップが一冊あると便利だということ等々、実に細々と親切に教えてくれる。本当に有難い。
20時、就寝体制に入る。宿泊代、素泊まり+モーニング1500円。

経費  7,057円      累計  279,564円
歩数  52,560歩     累計  3,666,896歩
距離  27km        累計  2,415km

(本日の到達地点――北海道へ入る)


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徒歩の旅 第74日 函館市  ライムライトへ(その1) 

2009年06月07日 | 2008年日本海側の旅
6月23日(月) 雨のち晴 (「菅原民宿」~函館市・ライダーハウス「ライムライト」)
その1




4時、起床。窓の外は雨がしとしとと降っている。本州最後の日。片付け、食事、用足し、ザックのパッキング。
5時、出発。函館行きフェリーの出発時刻は11時半だが、大間までの徒歩の所要時間が定かでないので、一応早目に出発することにする。
5時15分、雨の下風呂漁港。


漁港の隣の「海峡いさり火公園」には、井上靖の文学碑があり、


「アカエリヒレアシシギ」の文章が刻まれている。

 
 「 アカエリヒレアシシギ

  暫くすると、再び海峡の闇の
  中に、アカエリヒレアシシギ
  の集団は、その啼き声と一緒
  に吸い込まれ始めた。小さい
  生命が四、五十、ひと固まりに
  なって、一定の間隔を置いて、
  次々に、海峡の闇の中に突入
  し、突入している。
  私たちは生涯で、そう度々、
  立ち会おうとは思われぬ、可
  憐な生きものの、凄烈極まり
  ない渡海の式典に列していた。
  風間浦村の荒磯に立ったまま、
  寒さも忘れ、一言も発しない
  で、耳を澄ませていた。ひど
  く高く感じられる天の一角、
  そこだけに幾つかの、小さい
  星が輝いていた。
         井 上 靖  」

井上靖は、ここ下風呂温泉に宿泊して、小説『海峡』を執筆したそうである。『海峡』はアカエリヒレアシシギという渡り鳥に心を奪われた男たちの物語。読んだのは40年以上前の学生の頃だったか。当時は漠然と、下北半島は随分遠いところだがいつの日にか一度訪れてみたいと憧れのように思っていた。今はその地を歩いている。
5時35分、「むつはまなすライン」の国道279号線を行くが、海は相変わらず鉛色の雨雲の下で、波が激しく岸へ打ち寄せている。


5時50分、シシウドと海。ようやく雨が止む。


6時、海岸沿いにピンクや白のハマナスが咲く横を大間を目指して急ぐ。




6時10分、突然、先方の頭上の一角に青空がのぞく。その他の空は依然として厚い雲に覆われているのだが。カモメも空を舞い始める。


6時35分、「桑畑ゆとりの駐車帯」。雨はすっかり上がったが、四阿のベンチは濡れているため、周囲の景色などを確認しただけで休まずに歩き出す。
6時55分、北海道方面上空も雲が切れ、青空が徐々に広がっていくが、その下は雲が垂れ込め依然北海道は見えず。


しかし、行く手の大間方面は徐々にはっきりと見えてくる。


7時25分、青空は急速に広がり、日差しも戻ってくる。真っ青な太平洋は、下関以来じつに1ヶ月半ぶりだ。


7時30分、易国間(いこくま)漁港。


7時45分、易国間の集落を過ぎる。太陽は眩しく海に反射し、


海も空もますます青さを増して来る。


まだ風は強く寒い。岩礁に打ち寄せる波。


遠く大間方面の丘の上に風車が2基、強風にぐんぐん回っているのが見える。
8時05分、布海苔(ふのり)を広げて天日干しをしているのを見る。このあたりは布海苔発祥の地、とか。


8時20分、蛇浦(へびうら)の集落を通過。
8時55分、折戸坂を上ると、右手に大間崎への分岐が現れる。


遠くに大間崎灯台の縞模様。


岬まで4キロとあり、本州最北端なので行ってみたいところだが、大間の郵便局で貯金を下ろさねばならず、時間的に難しいと判断して残念だが見送ることにする。
9時10分、左手遠くに折戸山の2基の風車を見て、


大間町に入る。「なずな」は、数年前に放映されたNHK朝のTV小説のヒロイン名。


10時、途中、尋ねながら行き、大間郵便局にて3万円下ろす。
10時20分、フェリーターミナル到着。フェリーの出航は11時30分なので、乗船券を買い待合所でしばし休憩。お茶のペットボトル、お菓子2袋買い、今後の計画を検討しつつ時を過ごす。


11時、フェリー乗船開始。2等船室にザックを置き、甲板へ。


11時30分、出航。


カモメがフェリーの周囲を舞い、






大間の港が、青森県が、本州が徐々に遠ざかっていく……






(その2へつづく)

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徒歩の旅 第73日 風間浦村 菅原民宿へ

2009年06月05日 | 2008年日本海側の旅
6月22日(日) 雨 (「畑中旅館」~青森県・風間浦村 「菅原民宿」)



7時55分、小雨にて雨具を着用して出発。背後の恐山方面は、今日は濃いガスに煙っている。
8時05分、JR大湊線踏切をわたり、「斗南藩士上陸之地」を見に行く。




1870年(明治3年)6月、戊辰戦争に敗れ廃藩処分となった旧会津藩(斗南藩として再興)の藩士と家族が、新潟から船で下北半島のこの地に上陸した。


当時、この辺りは火山灰土の風雪厳しい不毛の土地、その艱難辛苦如何ばかりか。


読んでみると、記念碑は鶴ヶ城の石垣にも使用されている慶山石で出来ており、正面からは会津若松市を望む方角に設置されている、と。また、記念碑を取り巻いて、むつ市の花である「はまなす」と会津若松市の木である「アカマツ」が植えられているなど、むつ市の心遣いが感じられる。


大湊漁港の空は雲が垂れ込めどんよりとしている。これで陸奥湾も見納めである。


昨日通ったむつ市内を行く。雨の日曜日の朝とあって、人通りもなく静かな街並みである。ここにもツツジが咲いている。


途中で、今夜と明日の宿泊地を公衆電話の電話帳を調べながら予約する。今夜は下風呂の民宿で素泊まり、明日は函館のライダーハウスというところに初めて泊まることになる。
9時、大橋交差点を左折、はまなすラインの方の国道279号線を行き、
9時40分、むつバイパスの国道279号線に合流。
やや小降りとなるものの相変わらず降り続く雨の中を黙々と北上する。恐山はガスに覆われてしまって、もはや全く見えない。
9時40分、緑の景観の中を進み、藤掛レイクサイドヒルキャンプ場入り口通過。
10時、朽ちかけた茅葺き屋根の家がある。


10時30分~45分、樹林の中を進み、関根パーキングで小休止。四阿で雨を眺めながら、昨日買っておいたコッペパンを2個食べる。
11時30分、出戸川にかかる新出戸橋をわたると、下北半島のマサカリ形の天辺部分を歩くことになるのだが、大畑バイパスは海岸沿いでないため津軽海峡は見えない。相変わらず雨にぬれた並木の緑を眺めつつ歩く。
11時45分、今夜の素泊まりに備えて、コンビニで買い物。食パン、ミニかつ重。
一時雨が上がるが、再び霧雨が降り出し、その後も降ったり止んだりする。
12時50分、大畑川にかかる青い朝比奈橋をわたり、
13時、湯坂にて薬研(やげん)温泉への道と交差し、その後はアップダウンの道を行く。
高台から見下ろすと、大畑の空も目の前に広がる津軽海峡も灰色で、波が白く打ち寄せている。


やはり津軽海峡が見えると、本州の歩き旅もあとわずか、第一幕の九州に続く、第二幕もいよいよ最終段階に来つつある感を強くする。


13時30分~40分、バス停にて食事。
その先の緑の木野部峠の駐車場で、15匹ほどのニホンザルの群れに遭遇。テレビなどで見る北限のニホンザルである。とは言え、こちらは一人きりなのでちょっと慌てる。どうしようかとしばらく立ち止まって見ていると、集団で林の中に移動していくので一安心。デジカメで撮っておけばよかったのだが、残念ながら、今日は雨天なので行動中はザックの中。休憩時のみ、ゆとりがあれば出して撮る程度なり。
14時、相変わらずの津軽海峡の景色。


大畑漁港遠望。


14時20分、峠を越え、下りに入ったところで北方の見通しが利く。海岸線が遥か彼方、雨に煙る中に遠く伸びているのが確認できる。あの先が本州最北端の大間崎か。


14時45分、この天気の中、サーフィンをやっている若者たちのグループがある。「元気だねー。」と声を掛けると、「おじさんの方こそ元気だよ。」と返事が帰ってくる。雨にぬれながら15キロのザックを背負って歩いているのだから、やはりこちらも「元気」なのだろう。
15時、風間浦(かざまうら)村に入る。本州最北の村である風間浦村は、1889年に、下風呂(しもふろ)、易国間(いこくま)、蛇浦(へびうら)の各地区の一文字を取って名づけられた、とのこと。


道路わきに函館の病院に関する案内を見かける。ここでは青森市へ行くよりも北海道の方が近いというわけか。たしかに大間まで行けば、そこから函館まではフェリーで1時間40分である。


あとは海沿いをどんどん歩き、
15時50分、下風呂の「菅原民宿」に到着。
素泊まり宿泊費の3000円から300円バックして、坂の上の共同浴場へ、とのこと。共同浴場では、やはり日焼けのあとが異様らしく、70歳の男性から話しかけられる。旅の話をし、また彼の旅の話を聞いた。彼は、今でも魚を売りに本州にも行っているとのこと。北海道のタラバガニ漁についての話など、興味深かった。タラバガニは、今ではもっぱらロシア人によって獲られ日本に持ち込まれているが、彼らは十分に生育しないうちに捕獲してしまうので、昔よりも随分と小ぶりになってしまった、とか。こちらの翌日の行程についても、他の客や番台のおばさんに大間のフェリーの時間を照会してくれるなど、いろいろと親切にしてもらう。

経費  10,617円    累計  272,507円
歩数  46,914歩    累計  3,614,336歩
距離  33km       累計  2,388km

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徒歩の旅 第72日 むつ市  畑中旅館へ

2009年06月03日 | 2008年日本海側の旅
6月21日(土) 晴 (「道の駅 よこはま」~青森県・むつ市「畑中旅館」)



5時40分、出発前に、ウォーキングシューズの状態を見てみる。4月7日に自宅を出たときは新品だったが、さすがに350万歩を越えるとだいぶくたびれてしまっている。底も磨り減って、小石を踏むと足裏が痛いときもある。北海道のどこかで買い換えなければならないかもしれないと思う一方で、愛着もわいてきていて、ここまでよく頑張って来てくれたな、お前たちと一緒に最北端の宗谷岬に立ちたいよな、などと話しかけたい気もしてくる。


6時、道の駅を出発。「はまなすライン」の国道279号線を行く。本日も晴天なり。


道の駅の目の前のコンビニにて買い物。牛乳、おにぎり2個。
6時20分、道路わきにウツギの花が咲いており、芳香を漂わせている。


6時30分、JR大湊線の跨線橋をわたる。
6時50分、青森県の県木であるヒバの林がところどころに続くのを見上げつつ行く。


7時05分、ここ下北でも、稲はだいぶ生育している。


7時10分~30分、大豆田(まめだ)パーキングエリア、ゆとりの駐車帯の四阿で食事。


恐山方面の写真を撮る。


恐山は、下北半島の、マサカリ形の刃の部分の真ん中に当たるが、陸奥湾をはさんで、ここからは島のように見える。


このあたりは昔は田名部街道と呼ばれていた。


ハマナスが咲き、


ウツギも満開である。「卯の花の におう垣根に、ほととぎす はやも来鳴きて、忍び音もらす、夏は 来ぬ。」と一人で歌いつつ。


また、丘の上には風力発電の風車が何基も並んでいる。


気温25℃、蒸し暑い中、アップダウンを繰り返しつつ、単調な「むつはまなすライン」を行く。
7時45分~8時10分、有畑小学校の横を通り、JR大湊線の無人駅の有畑駅にて休憩。今日は、一応むつ市内のどこかで泊まる予定なので比較的ゆっくり出来る。
さらに行くと、牧草ロールを見かけるようになる。うーん、やっぱり北国の景色だなぁ。


8時40分、玩具のような、たった1両の大湊線が通過。


8時55分、むつ市に入る。


9時~25分、公衆電話の電話帳で宿泊先を調べ、今日の宿の予約をする。これで一安心。
10時、近川駅手前の交差点を通過。この頃より爽やかな海風がときおり吹いてくるようになる。
11時、金谷沢駅通過。
道路で交通取締りをしていた若い警察官に、「ご苦労さん。頑張って。」などと声を掛けられる。
11時05分、「むつ市立金谷沢小学校」を通過。ここも廃校のようだ。


11時10分、こちらは随分とモダンで豪華な民宿。しかし、宿はもう予約済みだし、だいいち時間が早すぎるわ、などと思いつつ、相変わらず単調な道路をたどる。


11時45分、コンビニにて食事。牛乳、ミニかつ重。
12時05分、Y字の分岐で、国道279号線を右に分けて、県道176号線を大畑・川内方面に向かう。「川内」は「かわうち」、鹿児島では「せんだい」だったなぁ。
12時40分~13時、今日の行程もはかどったし、宿の予約は既にしてあるし、余り早く着いても仕方なかろうと、のんびりと無人駅の赤谷川駅にて休憩。
その後、路傍でツツジの花を見かける。もうすぐ7月になろうとしているが、ここではまだ季節はゆっくり動いているようだ。


13時30分、下北駅を通過。ここはJRの本州最北の駅である。
田名部川にかかる下北橋をわたり、
13時40分、スーパーにて今後の行動食の調達。コッペパン3個、オレンジジュース、サラミ。
そのまま暑い中を大湊駅方面に進み、本州最果ての終着駅である大湊駅へ。
14時20分、駅前の「畑中旅館」に到着。
早速、青森ヒバのさわやかな浴槽で汗を流す。
今日は、昨日に比べればだいぶ楽な行程だったのだが、それでも昨日の後遺症か足が重かった。まあ、四分の一日休養といったところか。
夕食のおかずは、ホタテ焼き、鯛刺身、鮎の塩焼き、天ぷら、モズク、香の物、デザートに枇杷。そしてビール。宿泊代、一泊二食6500円。

経費  1,514円(宿泊代は翌日会計)  累計  261,890円
歩数  43,211歩           累計  3,567,422歩
距離  28km              累計  2,355km

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徒歩の旅 第71日 横浜町  道の駅よこはまへ

2009年06月01日 | 2008年日本海側の旅
6月20日(金) 晴ときどき曇 (「道の駅 浅虫温泉」~青森県・横浜町「道の駅 よこはま」)



4時、出発。昨日は雨のために予定より手前で泊まってしまったので、その分今日は長丁場。
覚悟を決めてまだ薄暗い中、「ゆ~ざ浅虫」を後にする(歩道橋の左下がテント泊の位置)。


青森湾に浮かぶ湯ノ島の左側には有明の月が沈もうとしている。


奥州街道の国道4号線を青森湾に沿って進む。
4時20分~35分、コンビニ内で食事。牛乳、オムライス。大福はウエストポーチに。
4時40分、夏泊(なつどまり)半島や下北半島もうっすらと見える。東の空には雲がかかっているが、西の空は晴れてきている。


4時45分、JR東北本線と並行して歩いていると貨物列車の通過。


5時30分、夏泊崎方面へ向かう県道9号線を左に分け、青森湾と別れて、夏泊半島基部の緑濃い田園地帯の中へと坂を登って行く。
5時55分、東北本線の西平内(にしひらない)駅を左手遠くに見て通過。
田圃の向こうを行く貨物列車が、長くコンテナを連結しているのが樹間に見える。


西平内のバス停の小屋には、「宿泊・休憩厳禁」という張り紙がある。このような張り紙のあるバス停はこの地域だけであったが、過去に何か余程のことでもあったのだろうか? それともこれも洞爺湖サミットの影響だろうか? 
西平内はホタテ養殖の発祥地とか。歩道にホタテの貝殻がいくつも落ちていたり、ホタテの貝殻を混ぜたコンクリートが敷かれたベンチなどがあったりする。
やがて人家が続く中を行き、
6時40分、小湊駅入り口を通過。
7時05分、夜越山(よごしやま)森林公園を過ぎ、跨線橋をわたる。
7時10分、「東京まで715km」の道路標識がある。自宅の川崎まではさらに20kmあるから、ここから735kmか。随分遠い所を歩いているのだと感慨深い。


7時30分~40分、平内パーキングにて小休止。
案内板があり、


さらに、奥州街道を示す石柱と、


「奥州街道の由来」が書かれてあり読んでみると、「この辺りを通った有名人」として、高山彦九郎の他、伊能忠敬、菅江真澄、吉田松陰らの名前があげられている。高山彦九郎は群馬、伊能忠敬は千葉の人だが、菅江真澄は三河だし、吉田松陰は長州である。川崎が遠いどころではなかった。


8時10分、清水川駅を通過。陸奥湾が見え、遠くうっすらと恐山方面も望まれる。


8時35分、東北本線の普通列車が通過。


8時50分、コンビニで買い物。コッペパン2個、ミルク飴。
9時20分、狩場沢駅で10分間休憩。
特急スーパー白鳥号の通過を撮ったあと、


待合室でお婆さんと少し話。ご主人とは7年前に死別、恐山に行ったときにご主人とお母さんを呼んでもらい、話をしたとのこと。一人暮らしなので青森までいろいろな手続きをしに行くのが大変だ、等々。「お気をつけて」と言われガムを貰う。気温21℃。
10時、野辺地(のへじ)町に入る。




津軽領・南部領の藩境塚があり、




ここにも菅江真澄の碑がある。


10時15分、国道4号線と県道243号線との分岐、下北半島へ向かって、県道を行く。


10時40分、戊辰戦争跡地。


1868年9月、弘前藩(討幕側)の津軽軍と、盛岡藩(旧幕府側)の南部軍がこの地で局地戦。


野辺地戦争戦死者墓所に津軽軍戦死者が葬られている。




11時、JR大湊線の踏切をわたり、
11時15分~30分、スーパーにて買い物。海鮮天丼、トマト、マヨネーズ。ベンチでトマトをほお張り、海鮮丼を食べる。
11時40分、陸奥湾に沿って「むつはまなすライン」の国道279号線を行く。案内板には石川啄木の「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かのはまなすよ 今年も咲けるや」の歌が書かれてある。


11時50分、十符ヶ浦(とふがうら)海水浴場。通過してきた夏泊半島方面が望まれる。


12時15分~45分、「れすとらん常夜灯」で、「元祖」ほたて丼を食べる。1000円。ほんの1時間前にスーパーで食事をしたばかりだったが、「元祖」の文字に引かれて立ち寄ってしまう。味は大変結構。
これで大分時間を喰ってしまい、あとはアップダウンを繰り返す道を、延々とただひたすら「道の駅 よこはま」を目指すことになるが、とにかく遠い。
14時30分、六ヶ所村核燃料再処理工場方面に続く県道180号線との交差点。
横浜まで19kmの表示あり。あと4~5時間か、こりゃ日が暮れてしまうかもしれんな。
野辺地ウインドファームの風力発電の風車を見つつ行き、
15時30分、横浜町に入る。


15時50分、海辺の雲雀平に、幸田露伴の『易心後語』から引かれた文学碑がある。
「左に断えず海を眺めつ
 茫々たる原中を
 歩まするに菖蒲 玫瑰
 遠く近くに 咲きにほひ
 さまゞゝの禽の歌ふ
 聲長閑く立てる座れる
 睡れる 當歳 二歳
 三歳以上の馬どもの各が
 じゝ自由に振舞へる
 も我等の眼には
 新しゝ」。
「玫瑰」を「はまなす」と読むことを知る。


傍に大町桂月の「一沼に 馬群れ十里 尾花かな」の文学碑もある。


木材を満載したトラックや、大湊線の写真を撮ったりしつつ、


16時55分、大湊線の吹越(ふっこし)駅を通過。いかにも風の強そうな名前なり。
17時20分、大湊線がたった1両で通過する。


18時~05分、コンビニにて買い物。飲むヨーグルト、またもや大福。
18時40分、ようやくにして道の駅「よこはま」に到着。今夜はここで泊まらせてもらうことにする。
およそ14時間半行動か。我ながら今日はとにかくよく歩いた。靴も随分くたびれてきた。
このまま中1泊で大間まで行くことも可能に思えるが、修行でもトレーニングでもないのに、この調子でわき目もふらず下北半島を駆け抜けたのでは、いったい何のための旅だか分からない。日程も予算も余裕があるので、下北半島でもう2泊することにしよう。

経費  3,190円        累計  260,376円
歩数  84,902歩       累計  3,524,211歩
距離  56km(えっ!)    累計  2,327km

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