そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第46日 自宅へ  および「まとめ」

2013年01月29日 | 2011年四国の旅-1
11月27日(日) 晴 (「中川旅館」~自宅)




今回の四国の旅の予定をすべて終え帰宅の日。

7時45分の九度山駅を発って南海高野線にて橋本経由で新今宮へ。

JRで大阪乗り換え新大阪へ。

新大阪から東海道新幹線で新横浜へ。

さらにJRで東神奈川で乗り換えて川崎へ。

13時前に無事帰宅。


歩数 0歩         (累計 1,777,904歩)
距離 0km        (累計 1,213km)
費用 13,690円     (累計 209,501円)



まとめ

旅のデータ
(2011年10月12日~11月27日)


歩行ルートおよび主な寺院の参拝月日



上記のごとく、
総歩数        177万7千904歩、
歩行総距離       1千213km、
費用総額      20万9千501円、でした。        

四国は、真っ青な海や清流などの自然や寺院をはじめとして美しい風景が数多く、また、遍路姿の人に対しては誰も皆親切でした。「お接待」はもとより、道を尋ねれば誰もが丁寧に教えてくれ、途中で出会った人たちや宿の人たちもみな気持ちよく接してくれました。信仰心とは無縁な小生ゆえ「遍路の三信条」はさておき、「十善戒」だけでもと心がけ、いくらかは心が清浄になったような気がします。「お四国」の遍路文化が想像以上に素晴らしいものだということも、ささやかながら体験を通して実感できたし、何度も巡拝する人がいるのもうなづける気がしました。
しかし他方で、世の中には、四国遍路をしなければならない人、四国遍路をせずにはいられない人がいるのも確かなことでした。歩き遍路のバイブルといわれる『四国遍路ひとり歩き同行二人』を書いた「へんろみち保存協力会」の故宮崎健樹さんのことばに次のようなものがありました。「古い、非能率、不愉快、不安、欠乏、危険。時代の価値観と相反するものが四国遍路にはある。不平、不満を言い、楽なことを考えていたら遍路じゃない。苦しみ、道に迷っても、一つ一つに意味がある」、「歩いたら癒せるというのは、趣味やないですか。そんなん四国に来んでもええ。なぜ四国かを考えていない」、と。本来、そのような求道的な旅の姿こそが、お遍路の在り方なのだろうと思います。
それを考えれば、自分の旅などは所詮遊山の域をこえるものではないし、しかもそれとても、ほんの一瞬、うわべだけを眺めて通り過ぎたにすぎません。でもやはり、いつかまた「お四国」を訪れてみたいとの思いを深くしました。その日のためにすり減った金剛杖は大事にとってあります。

さて、人生は旅。これからも旅は続きますが、しばらくは心の中の旅を、それからまた見知らぬ土地の歩き旅を、と考えています。その際には、またブログに記録を残しておきたいと思います。

拙いブログを訪れてくださった皆さんに感謝します。有難うございました。


四国の旅 第45日 九度山町・「中川旅館」に連泊

2013年01月28日 | 2011年四国の旅-1
11月26日(土) 晴 (九度山町・「中川旅館」に連泊)



(上の地図は、宿で貰ったパンフレットより作成しました。以下の地図等も同様です。)


地図1


6時20分、九度山の宿を出発。快晴無風、されど寒し。ダウンジャケットの上に白衣、手袋に金剛杖という格好。
今日は、町石道を通って、高野山へ。旅もいよいよ大詰めである。まずは「女人高野」慈尊院へ向かう。

途中にあった案内図。


6時50分、慈尊院へ。


本堂と、


大師堂。


慈尊院から119段の階段を上ると、


丹生官省符神社。「高野町石道登山口」。




はじめは舗装路の上り。


懐かしい「へんろシール」。


なだらかに上っていき、


7時15分、展望台へ。小休止、宿に頼んで買った柿の葉寿司の朝食。


足下には蛇行する紀ノ川。


色づいた柿の落葉を踏みつつさらに上る。






7時40分、舗装路が終わり、石ころと土の道になる。傾斜はゆるくなり、荷もなく、人けもない、歩くのが楽しい快適な道。


地図2


杉並木を行く。






8時25分、六本杉峠。


8時45分、古峠。


8時50分、展望所。


大坂から来たという青年に会い、一緒に眺めた天野の里の景色が、穏やかで長閑で優しい。


9時、二つ鳥居。




9時10分、白蛇の石と鳥居。




9時15分、神田地蔵堂。


地図3


町石を追いつつ歩く。




矢立を過ぎると深山の趣。


10時30分、押上岩。




途中から、逆打ちの要領で、53町は53番円明寺、52町は52番太山寺、51町は51番石手寺…などと唱えたりしながら行く。

徐々に頭上が明るくなり、


尾根筋が近づく。


地図4


11時10分、いったん大きく展望が開け、




遠くに紅葉も見られる。


11時55分、ジグザグの急坂を上りきると国道へ。


眼の前に巨大な大門がそびえ立つ。




仁王像、阿形。


吽形。


大門をくぐって高野山の街中へ。この辺りはまだ閑散としていた。


紅葉鮮やか。


壇上伽藍へ。金堂。


根本大塔。




僧侶たちの列。


西行桜。


東塔。


地図5


紅葉の参道を、金剛峰寺方面へ。






時折、すり減った金剛杖に白衣のお遍路さんに出会うと、どちらからともなく「結願おめでとうございます。」の挨拶。小生同様、四国四十八か所の参拝を終えて、高野山にお礼参りに来た人たちだ。

12時20分、金剛峰寺入口。


山門。




高野山真言宗総本山金剛峯寺。




大玄関。


12時40分、奥の院へ。一の橋。


年を経た杉の巨木の中に、墓所や石碑がある。


気の向くままに写真を撮りながら、約2㎞先の弘法大師御廟へ向かう。

司馬遼太郎の文学碑。


武田信玄勝頼墓所。


石田三成墓所。


明智光秀墓所。


芭蕉句碑。
「父母のしきりに恋し雉子の声」


豊臣家墓所。




織田信長墓所。


浅野内匠頭墓所。


13時10分、御廟橋。


(これより奥は、「写真撮影禁止」のため、上記のパンフレットから御廟の写真をお借りしました。)


弘法大師御廟とその裏にある大師堂でお礼参りの般若心経を唱え、すべての計画を無事終了。
寒さで体が冷え切ってしまったので、御供所でいただいた熱いお茶がことさらに美味しかった。

その後、バスとケーブルカーと電車を乗り継いで九度山駅へ。食料を購入し、16時に宿へ戻る。

歩数 41,313歩 (累計 1,777,904歩)
距離 25km    (累計 1213km)
費用 2,020円  (累計 195,811円)















































































四国の旅 第44日 九度山町・「中川旅館」へ

2013年01月23日 | 2011年四国の旅-1
11月25日(金) 晴 (「すだち館」~九度山町・「中川旅館」)



今日は、四国から和歌山への移動日。

7時30分、宿出発。徳島中央市場へ買い物に行く宿のご夫婦と一緒に車で徳島へ.


フェリーの出航は11時なので、一緒に行って中央市場を見学。




フェリーターミナルで「お接待」に昼食の弁当をいただき(南無大師遍照金剛)、彼らとお別れして、乗船手続き。「こうや好きっぷ2000」という割引き乗船券で、フェリー代2000円で、高野線の各駅まで行くことができる。


和歌山は初めてだと言うと、窓口の係員が丁寧に教えてくれた。


その後は、売店でお土産を買ったりして時間調整。

出航15分前、乗船開始。


船内より。


デッキにはソーラーパネル。


11時、出航。さらば「お四国」。


船上より、四国へ来るときに利用したオーシャン東九フェリー。


紀伊水道。




13時15分、和歌山港へ。




その後、例の係員の指示通りに乗車し、高野山線の九度山駅近くの「中川旅館」に到着。
明日に備える。

歩数 4,599歩  (累計 1,736,591歩)
距離 0km     (累計 1188km)
費用 22,750円(3日分の宿代+交通費・お土産など)(累計 193,791円)







四国の旅 第43日 神山町・「すだち館」へ

2013年01月18日 | 2011年四国の旅-1
11月24日(木) 晴 (大月橋休憩所~神山町・「すだち館」)

○本日の参拝
第1番札所 竺和山一乗院 霊山寺



最後の野宿は満天の星だったが、やはり寒かった。
今日の予定は、第1番の霊山寺にお礼参りをし、その後JR徳島駅で「すだち館」の「お父さん」に車で迎えに来てもらい、宿へ行くという手筈である。

6時40分、ダウンジャケットに手袋着用で出発。すぐに橋を渡り、岩野トンネルを抜ける。


空は晴れ、風強し。


時折、体ごと持って行かれそうになるような強風が来るが、追い風でもあり心はゆとり。第1番の霊山寺から順にお遍路で辿ってきたお寺の名前などを思い出して唱えつつゆるく下っていく。へんろ道ではなく、このまま県道2号線を行くことにする。


7時20分、犬墓の大師堂へ。


大師堂と犬墓。


大師と犬の像。


8時、雲が広がってくる。


8時5分、徳島自動車道をくぐり、


8時10分、日開谷川にかかる上喜来橋を渡る。


途中で出会ったお婆さんに挨拶し、尋ねられるままに、昨日で結願しこれから第1番の霊山寺へお礼参りに行くところだと告げると感激され、握手をしてくれと言われる。手を差し出すと握って、さらに手の甲に自分の額を何度もつけて「有難い」と言うので、戸惑いつつちょっと不思議な気持ちになった。

一時小雨がパラパラときたがすぐにやみ、日がさす。

8時40分、第10番切幡寺への分岐通過。第1番霊山寺へ向かう。


9時10分、ストアーサイジョウにて食料等買い物515円。

10時10分、宮川内谷川渡る。


10時25分、第7番十楽寺を遠望しつつ通過。


10時40分、第6番安楽寺へ。




立派な休憩所あり。


お遍路第2日目は、雨の中でわけもわからず夢中で歩いたへんろ道も、今日は青空の下、ゆとりを持って歩ける。


11時40分、板野町へ。


11時50分、第5番地蔵寺にて小休止。昼食。

仁王門。


本堂。


境内の樹齢800年を超えるといわれる大銀杏。


12時40分、岡の宮の大クス通過。




12時45分、JR高徳線。


12時55分、第3番金泉寺へ。

仁王門。


13時20分、鳴門市へ。


13時30分、第2番極楽寺へ。

あの時は未明で暗くてよく分からなかったが、色彩鮮やかな仁王門。


本堂への階段には、お遍路さんの団体。






本堂。


あの時パスしてしまった大師堂に参拝。


お堂の前の抱き地蔵。


阿弥陀像(左)と観音像(右)。


弘法大師お手植えと伝えられる長命杉。樹齢は1200年余り。


遍路道中図。


寒風の中、門前のセルフうどんで、食事(380円)をして温まって、

14時5分、第1番霊山寺へ。


本堂と、




大師堂にお礼参り。


般若心経を唱えて、四国における参拝をすべて終了。

JR板東駅で、「すだち館」に待ち合わせの確認電話。1か月半前の約束通り、無事に八十八か所の参拝を終えたので、徳島駅に迎えに来てもらう。

14時31分、JR高徳線で徳島駅へ。

駅から久しぶりに乗る自動車で「すだち館」へ。一休みして、神山温泉へ。その後、宿で祝杯を挙げ、問われるままに宿の人とお遍路の話が続き、さまざまな出来事を懐かしくふりかえりつつ四国最後の夜は更けた。
明日は高野山へ向かうため、徳島港まで車で送ってもらう予定。

歩数        34,143歩 (累計 1,731,992歩)
距離(霊山寺まで) 33km  (累計 1,188km)
費用       1,155円 (累計 171,041円)
















四国の旅 第42日 阿波市・大月橋休憩所へ

2013年01月09日 | 2011年四国の旅-1
11月23日(水) 晴 (栄荘~阿波市・大月橋休憩所)

○本日の参拝
第87番札所 補陀落山観音院 長尾寺 (御本尊:聖観世音菩薩)
第88番札所 医王山遍照光院 大窪寺 (御本尊:薬師如来)



いよいよ結願の日。空には雲一つなし。
7時、宿の女将さんから、前山おへんろ交流センターで「遍路大使任命書」を貰うといいと言われ、「お接待」のおにぎり、みかん、ゆで卵、お茶缶をいただいて、出発。


7時10分、志度寺を左に見て通過。


県道3号線を南下。JR高徳線をわたり、高松自動車道の下をくぐっていく。

7時30分、長行池の横を通過。朝日がさしてくる。


池の向う側を高徳線。


7時50分、県道3号線に沿った旧道のへんろ道を行く。


彼方に高徳線。


田園風景の中を行く。


7時55分、玉泉寺。


県道3号線を跨ぎ、鴨部川に沿って行くと、休憩所あり。小休止。


8時20分、へんろはしを渡る。道標には、「左遍んろ…」「安政四巳年二月」とあり。


8時40分、第87番長尾寺へ。


経幢。




仁王門。


本殿と、


大師堂。


境内に地蔵像があり、


その横に、「静御前剃髪塚」があった。


付近案内図にてルート確認。最後の第88番大窪寺へ向かう。


大窪寺方面に若干薄雲が出てくる。


9時15分、塚原交差点の先で、ふたたび旧道のへんろ道へ。


9時25分、旧へんろ道案内図。


そばに釈迦堂と、


一心庵。


9時45分、前方に前山ダムが見えてくる。


9時50分、ダム横の休憩所。


そばに四国のみち案内板あり。


ダム湖。


10時20分、前山おへんろ交流サロンへ。小休止。






記念に「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」と「結願の寺 四季」というDVDをいただく(無料)。
「任命書」には、「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1,200㎞を完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証すると共に四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命致します」と書かれている。責任重大である。


名簿に署名する際に、日付を書いていて気づき、思わず「あっ、今日は結婚記念日だ」と口走ったため、職員の人たちから二重に祝福される。

この先の地図をいただき、女体山コース(旧へんろ道コースではなく、四国のみちコース)の様子を聞いて出発。


10時30分、女体山コースへ。




10時45分、渓流のそばを通過。


10時55分、徐々に登山道らしき雰囲気のところを上っていく。


11時30分、太郎兵衛館にて多和神社コースと合流。


11時45分、落葉を踏みしめ女体山目指して黙々と上る。道は明瞭。








12時20分、最後に小さな岩場を登り、女体山山頂へ。標高は、773m、774m、776mといろいろである。


山頂直下の展望。




山頂の東屋で小休止。「お接待」の昼食。大窪寺まであと1130m。


野鳥図鑑。


長尾寺からここまで、お遍路姿に会ったのは一人だけ。この辺りからハイカーに会うようになる。

12時30分、いよいよ大詰め。






下り道から顧みすれば女体山。




13時5分、第88番大窪寺へ。


二天門。


紅葉鮮やか。


晴天の休日の為、境内はにぎやか。お遍路姿はほとんどなく、観光客であふれていた。




本堂と、


大師堂。


丁寧に般若心経を唱えて、最後の参拝を終えた。結願。

人の多さ、車の多さで、予定していた祝杯もままならず、下りにかかる。
切幡寺方面に向かう国道377号線は歩行者は一人もなく、時折車に出会うだけで、さっきの喧騒が嘘のようだ。ささやかな達成感にひたりつつのんびりと下る。


14時、地蔵堂にて小休止。


14時35分、讃岐の国から阿波の国へ。




15時40分、県道2号線の岩野トンネルの手前にある大月橋バス停到着。東屋の横の草の上にテントを張る。水・トイレあり。




自宅に結願の電話をし、1ヶ月半前に泊まった「すだち館」に宿泊の予約をした。
ミカンと余り物のお菓子で夕食。

歩数 38,113歩   (累計 1,697,849歩)
距離 29km      (累計 1,155km)
費用 14,200円(宿代6500円×2日分 その他    (累計 169,886円)