そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅―2 第32日 佐喜浜町・入木バス停へ

2017年08月20日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2月17日(金) 晴ときどき曇り 道の駅キラメッセ~入木バス停



5時30分、出発。夜間、雨が降ったようで周囲は若干濡れていた。明けの明星が雲間より見え隠れする。

暗い中を、エレキを頼りに、難儀をしながら山道を上る。

6時50分、26番金剛頂寺参拝。
石段の上、


仁王門。


本堂と、


大師堂。


続いて、

8時30分、25番津照寺参拝。
山門、


大師堂、


石段の途中に鐘楼門。


更に石段を上ると本堂。




9時45分、室戸岬へ。寒風強いが晴れ。これで、御前崎を除いて、今まで回った岬をことごとく晴れて通過したことになる。




前回は、最御崎寺経由で、室戸の先端をショートカットしてしまったので、今回は先端周りのルートをとる。

中岡慎太郎像。

後方のスカイラインに室戸岬燈台。


岬の先端を逍遥。






展望台に上ってみると岬の地形がよく分かる。しかし風がゴーゴーと音を立てて吹きつける。




その後、山道の参拝道を上って、

10時50分、24番最御崎寺参拝。
仁王門、






境内へ。


本堂と、


大師堂。


虚空蔵菩薩像と多宝塔。


上ってきたところを下り、海岸線に沿って行って、御厨人窟。


前回は中に入れたのだが、風化による落石のため立入禁止。


11時35分、室戸青年大師のところで、


室戸岬ゾーンをあとにする。


以後は時おり海を眺めながらひたすら北上。


14時50分、夫婦岩通過。


漁業以外の唯一の産業のような、海洋深層水の施設がちらほらあるのをながめたりした。

16時30分、佛海庵へ。萩森リストでは宿泊可能となっていたが、「禁止」の張り紙。管理者と言われる近くの老夫婦に頼みに行ったが、けんもほろろ。過去に何か余程のことでもあったのか?

17時、仕方なく、入木バス停内にテントを張らせて貰うことにした。水なし、トイレは30分ほど先にあるようだ。

歩数  60250歩  (累計  1576987歩)
距離  34km    (距離累計 967.5km)
経費  949円    (経費累計 92029円)


四国の旅―2 第10日 64番前神寺前休憩所へ

2017年08月09日 | 2015年太平洋側の旅-後半
1月26日(木) 晴 三島公園~前神寺前休憩所



7時、出発。寒さをのぞけば、風もなく快適。大王製紙の工場の煙突から、煙がまっすぐに上がっている。


7時30分、遍路道を通り、


通学の生徒を見送って、


7時50分、国道11号へ。


歩道橋上から、瀬戸内海を望む。


遍路道に入り、水仙。


木瓜。


13時30分、お遍路ハウス横屋の休憩所にて小休止。


15時、新居浜市から西条市へ。

17時10分、前神寺前休憩所に到着。広々とした四阿。久しぶりに40km歩いたので、参拝は明朝にして、今夜はここでゆっくり。

歩数  62059歩  (累計  429603歩)
距離  40km    (距離累計 249.5km)
経費  1028円   (経費累計 32535円)

2014~15年 太平洋・瀬戸内海・オホーツク海側 徒歩の旅  まとめ

2016年07月04日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2014~15年 太平洋・瀬戸内海・オホーツク海側 徒歩の旅 のまとめ

最後に、今回の旅のまとめを少し記しておきます。
2014年の旅が不本意な形で終わり、足掛け2年ということになりましたが、何はともあれ、2014年3月11日に佐多岬から始まった太平洋・瀬戸内海・オホーツク海側を歩く旅は、2015年6月13日に無事宗谷岬に到達し、2008年4月からの日本外縁の旅は円環を閉じることになりました。この間の旅を通して、自分自身にとって、多少は見聞を広めることが出来たと思いますし、何より多くの方々の親切と触れ合うことが出来たことは貴重な財産となりました。深く感謝します。それと、物好きな趣味に協力してくれたカミさんにもちょっと。

以下に、記録を載せておきます。

2014年の旅






2015年の旅








※ 2014年の旅の終わりの表(2014年5月11日)では、自宅から佐多岬までの交通費が抜けていましたので、今回、計算しなおしました。


 宿泊施設の内訳

  ユースホステル (26)
  ホテル・ビジネスホテル (19)
  旅館 (15)
  民宿・ペンション (15)
  キャンプ場 (13)
  公園その他で野宿 (12)
  ライダーハウス (10)
  道の駅 (6)
  自宅(ピストン含む) (6) 
  駅 (4)
  ゲストハウス (4)
  国民宿舎 (3)
  バス停 (3)
  温泉 (2)
  知人宅 (1)
  スポーツ宿泊施設・平成の森 (1)
  船員会館 (1)
  夜行フェリー (1)




   2008年の旅( 94日)     3030㎞          457万8338歩
   2011年の旅( 46日)     1213㎞          177万7904歩
   今回の旅   (142日)     4654.5㎞        708万8986歩

   旅の合計282日   歩行距離 8897.5㎞     歩数 1344万5228歩

  ※ 旅の日数には、宗谷岬到達後の礼文島や利尻島の観光や、高野山への結願お礼参りの日数も含んでいます。


さて、小生も古希が近づき、ザックを背負っての野宿を交えた長旅はなかなか困難になってきました。今後は、これまでの旅の途中で通過してしまった、長崎半島、能登半島、伊豆半島、房総半島などを、そして出来れば沖縄を、年金の中から路銀をためて、宿泊まりを中心に歩いて行けたらと考えております。
拙いブログをお読みいただきありがとうございました。

2015年 徒歩の旅 終章  礼文島へ、そして自宅へ

2016年07月03日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月14日(日)~19日(金) 
(稚内市・「モシリパ」~礼文島・「桃岩荘」~川崎自宅)








宗谷岬に到達し、一応の目的を遂げた後、礼文島(6月15・16日)および札幌の知人宅(6月17日)に立ち寄り、苫小牧から夜行のフェリーを利用して、6月19日、川崎の自宅に帰った。その間のことを少し。

2008年の旅でも、最後に利尻・礼文島へ寄ったのだが、天候が今一つだった。今回も予報では曇だったが、相手は自然なので、ひょっとして‥‥、と考え、帰りの車中・船中で、礼文島の好天の報を聞くことになどなったら悔しいので、「だめもと」で行ってみた。結果は、前回のような雨天ではないものの、残念ながら今回もまた青空はお預け、となってしまったが。

6月14日(日) 曇 礼文島へ。



朝2番の船便で礼文島へ渡るべく、稚内港のフェリー乗り場へ。
途中、北防波堤ドームを。


振り返れば、開基百年記念塔。


JR稚内駅と「日本最北端の線路」のモニュメント。






7時15分発の、鴛泊経由、香深港行きのフェリーに乗る。






利尻島鴛泊港。




10時5分、香深港到着。桃岩荘ユースホステルのヘルパーたちと合流し、桃岩荘へ。




まだシーズン初めなので、泊り客は少なかったが、ヘルパーたちは元気に働いていた。


猫岩も変わらず。


午後は、付近を散策。前回にウニ丼を食べた佐藤商店は、今はなくなってしまったとのこと。
花と漁村の風景、地蔵岩などを見て回った。

オダマキ。


センダイハギ。


ノビネチドリ。


ノビネチドリの白花。


マルバトウキ。


レブンキンバイ


ハマエンドウ。


レブンシオガマ。


漁村風景。








地蔵岩。


夜は、恒例のミーティングで、歌って踊って笑って楽しく過ごした。代替わりはしても、桃岩荘の伝統は受け継がれていた。


6月15日(月) 曇 「愛とロマンの8時間コース」。



昨晩、「愛とロマンの8時間コース」を歩く人を募ったのだが、参加希望者は小生のみ。そこで、はじめは取りやめの方向だったが、ヘルパー1人(マーリー君という気さくな若者)が同行してくれることになり、急遽実現。

ユースから香深フェリーターミナルまで歩いて、そこからスコトン岬までバス。

7時25分、トド島。


「最北限の地スコトン岬」。




ここから、花を見ながら、二人で礼文島西海岸を南下した。はじめのうちは激しい風でやや難儀したが、すぐに慣れた。




トド島展望台。


「銭屋五兵衛貿易之地」の碑。




上村占魚の句碑。
「飢ゑし啼く 海猫に日増しの北風嵐」。


チシマフウロ。


レブンシオガマ。




霧の中を行く。




キジムシロ。


8時40分、霧のゴロタ岬。


ネムロシオガマ。


波白し。




エゾカンゾウ。




ゴロタ浜。




穴あき貝を拾ったりしつつ行く。

タカネナデシコ。


ハマエンドウの群落。


オダマキ。


北側の海岸線を振り返る。


10時35分、澄海岬。










レブンコザクラ。


チシマゲンゲ。


ゴゼンタチバナ。


レブンウスユキソウ。


サクラソウモドキ。


ツマトリソウ。


ふたたび海岸線。




砂浜や岩の上を歩く。










宇遠内で小休止。

その後は、ユースのヘルパーが刈払いをした樹林帯を抜け、香深井バス停を経由して、舗装道路を香深フェリーターミナルまで歩き、近道をしてユースへもどった。
前回通った礼文林道は荒れていて通行不可。残念ながら青空は見られなかった。




夜は、またミーティングでくつろぐ。


6月16日(火) 曇 稚内「モシリパ」ユースホステルへ。



桃岩荘を辞し、フェリーターミナルへ。

ターミナルで見かけたレブンキンバイと、


レブンウスユキソウ。


8時45分、桃岩荘のヘルパーと同宿者に見送られて、稚内行きのフェリーへ。「また来いよ~」の声が風の中に消えていった。






ふたたびモシリパ ユースホステルへ。

その後は、お土産を買ったり、市役所へ最北端到着証明書を申請にいったり、


ユースのそばの「ボリューム亭」というレストランで、店名通りのボリュームのあるカツ定食(900円)を食べたり、
記念に書店で2冊ほど北海道に関する本を購入したりと、のんびりと過ごした。

渡辺一史著『北の無人駅から』(北海道新聞社)


工藤裕之著『追憶の鉄路』(北海道新聞社)



6月17日(水) 曇のち晴 札幌へ。

朝一番の特急「スーパー宗谷2号」で、稚内から札幌の知人のところへ。


札幌駅で落ちあい、短時間ながら駅周辺を案内してもらった。


大通公園。


時計台。












彼とは、前年の旅の途中、神戸たるみユースホステルで同宿だった。宗谷岬に着いたら、帰途に寄ってくれとの言葉に甘えて、1泊させてもらった。夜は、ビールを飲みながら、旅の話や本の話など時間を忘れた。


6月18日(木)~19日(金) 曇のち雨 川崎の自宅へ。

朝食をご馳走になって、ゆっくり知人宅を辞し、
日中は、札幌駅付近の書店で、松浦武四郎に関する本などをながめたりして時間調整。1冊購入。

小松哲郎著『ゆたかなる大地―松浦武四郎が歩く―』(北海道出版企画センター)


15時、帰宅の途につく。「札幌発のバスで苫小牧へ、苫小牧からフェリーで茨城県大洗港へ、そしてさらにバスで東京駅へ」というパックがあり、それを利用した。










そして、6月19日20時、80日ぶりに川崎の自宅へ戻り、旅が終わった。

最後に、礼文島の思い出に、
ゴロタ浜で拾った穴あき貝と、


桃岩荘で購入した2015年限定ポスターを。








2015年 徒歩の旅 第74日  宗谷岬へ(稚内市・ユースホステル「モシリパ」へ)

2016年06月12日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月13日(土) 晴 (猿払村・ライダーハウス「やませ」
              ~宗谷岬~稚内市・ユースホステル「モシリパ」)




ついにこの日が来た、宗谷岬への最終日。「高名の木登り」。気を引き締めて、交通事故などに気をつけていこう。

3時、起床。

3時5分、すでに東天が明るみはじめている。オホーツク海上には二十七夜月。


3時40分、出発。ケータイの天気予報では、雨で雷も、とあったが、予想外の晴天。無風だが、やや肌寒く、ダウンを着用。

3時41分、オホーツク海の日の出。旅の神様は、試練のあと、最後にご褒美を用意していてくれたようだ。感謝、感謝。


3時47分、太陽が海上を照らす。


3時55分、右側から朝日を浴びつつ歩く。土曜日でもあり、まだ車はほとんどなし。


牧草の上に影が映っている。自分のまわりに虹が見えブロッケンのような現象。すぐに体が温まり、ダウン脱ぐ。


4時15分、「道の駅 さるふつ公園」。


海側にいろいろなモニュメントがあり、いくつかを写した。道の駅の建物は道路の反対側。

「松浦武四郎宿営の地」。


「北海道人・松浦武四郎」碑文。




「いさりの碑」。つまり「漁の碑」。「人間は神々と力を競うべきでない 人間は自然の摂理に従うべきだ」、と。




「ほたて化石群」。


インデギルカ号遭難者慰霊碑。700人以上が遭難した旧ソ連船座礁の慰霊碑。


観光案内板あり。


右手はずっとオホーツク海。潮鳴りを聞きながら歩く。浜鬼志別漁港を出ていく漁船。


4時45分、浜鬼志別川。河口方面。


川の名の由来――オ・ニ・ウシ・ペッ「О-ni-ush-pet 川尻に・木が・群生する・川」  オ・ヌ・ウシ・ペッ「О-ni-ush-pet 川尻・(魚が)豊富・である・川」、と。


5時15分、貝殻の山の上のカモメ。


エゾカンゾウが咲いていた。


5時30分、太陽がもうあんなに高くなり、


遠くの岬は知来別。


6時40分、知来別橋。


7時30分、徐々に左手が丘陵になって、猿払村と別れ、


第2苗太路(なえふとろ)橋。


猿払村から、


下苗太路川。上流方面。


稚内市へ。宗谷岬まで19㎞の表示。


下流方面。




河口にはたくさんの海鳥。


7時35分、第1苗太路橋。


上苗太路川。上流方面。


下流方面。


8時、チエトマナイ駅逓所跡。


8時15分、東浦漁港を眼下に見つつ、長い坂を上っていき、丘陵部に入る。


坂の途中より振り返れば、猿払は彼方。みんな見納めである。


両側が樹林の中を通り、




9時25分、一の沢川にかかる関泊橋。


一の沢川、上流方面。


下流方面。


エゾフウロ。


9時30分、時前川にかかる峰岡橋。


時前川上流方面。


下流方面。


その後、両側は開け、


9時45分、目梨泊に向けて、一気に坂を下っていく。


9時55分、目梨川にかかる目梨泊橋。


目梨川上流方面。


下流方面。






10時、防風柵の並ぶ大きな坂。これで3つ目。あと9㎞の表示。


宗谷岬の東側は、西側と違って、丘陵地帯がいくつかあり、人家もほとんどまったくない。西側は湾になっているが、東側は崖のようなところが多く、その分、自然の宝庫でもある。


反対側は、たくさんの風車が回っている。




宗谷海峡の彼方に、サハリンも見える。




10時35分、ふたたび坂を下り、やっと平坦地を歩くようになる。


10時40分、泊内川にかかる泊内橋。下流方面。




上流方面。


10時55分、海沿いを行く。左手は急な斜面が続く。海沿いの道路に出た後は、平らながらカーブを繰り返し、


11時5分、豊岩遺跡群。縄文文化やオホーツク文化などの遺跡がある。




その先の海上に、竜神島。


海岸に沿って、




11時15分、知志矢橋。


河口に海鳥。


来し方の丘陵を振り返る。


11時40分、「日本最北端の学校」稚内市立大岬小学校。


大型トラックが、クラクションを2回鳴らして、エールを送ってくれた。

11時50分、「日本最北端の郵便局」宗谷岬郵便局。


12時、宗谷港。




12時15分、宗谷岬に着く。




7年ぶりである。カミさんに電話をして到着の報告をした。

土曜日なので、そこそこの人出があり、中国人も目立つ。

チリの国旗を持って記念撮影をしているグループもあった。「最北端到着バンザーイ」などと言っていたので、外国人が徒歩で宗谷岬に到達したようだ。途中で出会ったこともないので、もしかしたら日本海側を縦断してきたのかもしれない。何かテレビカメラマンのような人もいて、モニュメントのところからいっこうに動こうとしないので、


「宗谷岬」の歌の碑の方へ行き、でもボタンは押さない。


また目を凝らせばサハリンが見えたので、しばらく眺めたりした。




戻ってもまだ占拠していたので、どいてもらって、写真に撮った。他の人たちも待っていたようで、次々と写していた。歩き旅の同好の士ではあるが、無神経なので相手にしなかった。


稚内へのバスが、12時40分にあり、その後は15時なので、ゆっくり感慨に浸る間もなく、やってきたバスでユースホステルに向かった。バス待合所の、熊出没情報。


14時、途中でセイコマに寄って買い物をして、ユースホステル「モシリパ」に着く。宿泊、素泊まり 3400円。

夜、風呂のあと、一人でビールで乾杯。課題はやり遂げた。日本海側、四国一周、太平洋側と歩き、何はともあれ今日、日本外縁の歩き旅は終わり、ここに円環は閉じることとなった。


2015年 第74日(佐多岬より136日)

歩数  55481歩    (佐多岬より累計  6992840歩)
距離  31.5㎞     (佐多岬より累計  4654.5㎞)
費用  7634円     (佐多岬より累計  613676円)


2015年 徒歩の旅 第73日  猿払村・ライダーハウス「やませ」へ

2016年06月11日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月12日(金) 晴のち曇 (浜頓別町・民宿「トシカの宿
                」~猿払村・ライダーハウス「やませ」)




熟睡。ゆっくり起きて、朝食。同宿のライダー2人と雑談などしてのんびりし、みんなで宿のブログの記念写真をして、

8時、出発。朝食の食べきれなかったパンその他を、女性オーナーが途中で食べるようにと包んでくれる。


曇で涼しいが、テレビの予報は晴。「日照りの朝ぐもり」か? 市街地を抜けて国道238号線まで戻り、北上。


8時35分、クッチャロ川。上流側。青空見え始める。


下流側。




川の名の由来――頓別川の支流で、アイヌ語の沼(湖)に入る入口をクッチャロ(ノド口)、あるいはトー・クッチャロ(湖の・ノド口)の意味に由来する。クッチャロ湖を源とする河川である。クッチャロ湖は、恵まれた自然環境のため、1989年にラムサール条約登録湿地の認定を受けており晩秋から早春にかけて焼く1万数千羽のコハクチョウが飛来し、“北帰行”の途中に翼を休める姿は訪れる観光客の目を楽しませてくれます、と。


8時45分、宗谷岬まで60㎞。


8時55分、蛇行するクッチャロ川とともに。




9時20分、宿の女性オーナーの書いてくれた地図を頼りに、「よつば牛乳」の先、築紫橋の手前で、右に国道238号線からエサヌカ線に入る。エサヌカ線は、「西のサロベツ、東のエサヌカ」といわれ、地平線にまで続く原野の中の長い直線道路が有名。さてどうか。


入ってしばらくの間、右に牧場、


左に樹林が続き、






牧場には遠くに牛が草を食む様子も。




1回目のクランク状ところを抜けると、


一気に目の前に左右ともに大きく開けた原野が出現する。表示はないが、ここから猿払村に入る。エサヌカ線は「猿払村林道」だから、厳密にいえばここから先がエサヌカ線ということになるのだろう。


はじめは右遠方に人家も見られるが、やがてそれも消える。

10時10分、2回目のクランク状の角を右折したら、途端に右側にすさまじい臭いの大量の堆肥の海。しかもそれが陽を浴びて湯気が出ている。まさに「やけくそ」なり。


左折してその後は地平線まで続く長い一直線。「西のサロベツ、東のエサヌカ」、とか。


空と道路が接するあたりは逃げ水が反射していた。


10時30分、右下の溝地に、エゾシカの死がい。カラスのエサだったのだろう、無残なり。


緑色の中に、タンポポの綿毛が白い。ときどき青空がみえたり。


12時、チャリダーの青年に出あう。愛知の若者で、四国、沖縄と経て、日本海側を宗谷まで北上し、その後オホーツク海に沿って行動、とのこと。この先の状況を教えてもらい、お互い頑張ろうで握手。

地平線の彼方から、自動車が。エサヌカ線全体でも数台の自動車に出会っただけだった。


12時50分、3回目はクランク状というより、90度とカーブ。


その後は、原野の中に、灌木や笹が混じるようになり、ところどころに緩いカーブが組み込まれてくる。




エゾイソツツジ、


シコタンハコベ、


ハマナス。


そして、
13時25分、右手に浜猿払港が見えて、


13時30分、エサヌカ線終結点。約4時間でエサヌカ線を抜けて、左折して国道238号線に戻る。


13時50分、浜猿払のバス待合所で15分間食事休憩。


エサヌカ線では自動車同士のすれ違いや、方向転回のために、路上にいくつかスペースがあったのだが、結局ザックを下ろして休むことはなく歩きぬいてしまった。「やけくそ」のトラウマか?

待合所に「吹流しの角度と風速のめやす」がはってあった。襟裳岬では吹流しは90°だったから、秒速10m以上ということになるようだ。とても風速10mどころではなかった、まさに台風並みであったが。


14時10分、猿払川にかかる富士見橋。何の富士がみえるのかな。


猿払川は河口付近で複雑な形になっている。


魚を釣っているが、何を釣っているかは不明。


二岐に別れた猿払川河口部の、


もう一つの橋、新富士見橋。


猿払川の名の由来――その海に注ぐ口がSar-Put あるいはSar-Putu 「Sar(葦原川)・の口」で、沙流川の川口が佐瑠太(サルプト。今の富川)と呼ばれていたのと同じことである(putuは、「そのput」の意)、と。


14時20分、霧の中に風車。エサヌカ線の後半以来、ときどき霧があたりを包むようになった。


14時30分、両サイドに防風柵。


14時45分、猿払パーキングシェルター。






15時、猿骨川。上流方面。


下流方面。


川の名の由来――シャレウコッはSar-e-u-kot「芦原(川)が・そこで・互に・くっついている」と読まれる。元来は、この二つのSar「芦原(川)」の合流点の称であったろう、と。


15時10分、左に猿払沼を見つつ、




15時15分、ライダーハウス「やませ」に着く。宿泊、素泊まり 1000円。



2015年 第73日(佐多岬より135日)

歩数  44310歩    (佐多岬より累計  6937359歩)
距離  29㎞       (佐多岬より累計  4623㎞)
費用  1000円     (佐多岬より累計  606042円)


2015年 徒歩の旅 第72日  浜頓別町・民宿 「トシカの宿」へ

2016年06月10日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月11日(木) 曇のち晴 (枝幸町・「道の駅 マリーンアイランド岡島」~浜頓別町・民宿 「トシカの宿」)



4時55分、出発。雨は上がり、曇り空。今日も国道238号線を行く。




5時10分、牧草地にタデ科の野草繁茂。


5時20分、稚内129㎞、枝幸市街8㎞の表示。宗谷岬まで、残り100㎞を切る。


海側の居住地。赤いポストが見え、人が住んでいる様子。冬などさぞや厳しかろう。


5時25分、坂を下って北見幌別川にかかる幌別橋(250m)。


北見幌別川上流。


下流側。4月~8月は、サケ・マスの禁漁期。


川の名の由来――アイヌ語のポロ・ペッ(大きい・川)の意味で道内に同名(幌別川)が各所にあるので北見幌別川という。夏から秋にはサケ・マスが遡上し、冬はチカ釣りのメッカである、と。


小生のこの旅でも、室蘭の先で胆振幌別川 、浦河の日高幌別川 、ウトロの幌別川、と越えてきた。そして、ここに4つ目の北見幌別川を越えたことになる。

6時15分、オホーツク海側に防風林。




6時40分、エサシウエンナイ川。上流方面。


下流方面。


川の名の由来――鱒のよくのぼる川である。上流へ行くと川岸を伝って歩けないところにあるというので、歩くのに悪い川の意。昔は川に狩りに行くときの道であった、と。


そういえば、前の旅の時に、礼文島でもウエンナイという地名を見た記憶がある。

7時5分、枝幸市街をバイパスで迂回してアップダウンを越えていくと、路上にキタキツネがこちらを見ており、写真を撮ったら、藪に逃げていった。


7時40分、「カニの町 ESASI」の看板。


その先、海邊の廃屋。


7時55分、ウスタイベ千畳岩入口。


10分ほど右に入ったところが千畳岩。


休憩し、少し写真を撮る。無料キャンプ場もあるが、条件次第、晴れていればもちろん最高だろう。

広い岩場は岩は波しぶきに洗われ、カモメが飛んでいた。




エゾギクの群落あり。




少しいただけでデジカメが飛沫と霧だらけになってしまった。

樹木の枝ぶりで、ウスタイベ岬の風の強さが分かる。


戻って、ふたたび国道238号線(宗谷国道)を北上。

8時25分「鹿 飛び出し 注意!!」の看板の下に、キタキツネが飛び出してきた。


トラックの中に、ウインカーを出して、大きくふくらんで回避してくれる運転手がいる。その際はこちらも手をあげて挨拶をするようにしているが、中には、運転手も手をあげたり、クラクションを鳴らして応えてくれたりする。


8時30分、路傍にハクサンチドリ。


オホーツク海はまだ厚い雲の下。でも、昨日の雨に比べれば天と地の差。時間的にもゆとりがあり、足の具合も、こんな調子でいけばもつだろうという感触。高揚感は昨日の5倍はあるな。


8時40分、遠くに神威岬が小さく見えて、だんだん近づく。




9時15分、問牧漁港通過。


9時40分、北緯45度のモニュメント。緯度は北半球の真ん中。鹿児島の佐多岬で見たのが北緯31度だった。遥々とずいぶん北上してきたものだ。ウグイスの鳴き声しきりなり。




「北緯45度 国際記念広場」という表示があったので、行ってみようと思い、通りかかった地元の女性に広場の場所をきいたところ、「行ったって何にもないよーーっ」という答え。でも何か記念碑のようなものは? と聞いても、「何もないよーーっ」。で、行くのをやめた。
同じ北緯45度でも、サロベツの方が感動的だった。こちらは東側なので人も割と住んでいるから、原野の中のサロベツとはやはり違うのか。


10時5分、海上の雲も、一様ではなくなり、天候の好転のきざしか。




10時10分、問牧と目梨泊の境の「大泊」バス待合所にて20分小休止。昼食。




霧も徐々に上がりつつあり、明るくなって展望がよくなってきた。




10時40分、神威岬さらに近づく。


漁網の繕いをする漁師の男たち。


11時15分、カムイ岬公園パーキングエリアへ。




ここは神威岬の絶好の展望台である。


「神霊の宿る地」。北海道の屋根である日高山脈が、南に太平洋に沈んで行くのが襟裳岬なら、北にオホーツク海へ沈んでいくのがここ神威岬。


11時40分、北オホーツクトンネル(1205m)を抜けるて、


12時、浜頓別町へ。










神威岬の北面。青空のぞく。




しばらく防風柵が続き、


12時35分、その先の海岸側は、浜辺まで植物帯が広がっている。


エゾスカシユリ、


ハマナス、エゾカンゾウ、シシウド、等々。




12時40分、遠ざかる神威岬。


12時45分、稚内まで103㎞、宗谷岬まで72㎞。


12時55分、閉校になった旧斜内小学校。


今は地域の親睦に。


ミミナグサ。


黄色はセンダイハギ。


13時20分、空はますます青く。


エゾカンゾウの群落。


13時55分、ウソタンナイ砂金採掘公園入口。だいぶ奥に入りそうなので寄らずに通過。


反対側、海邊に廃屋。


空いよいよ青し。海は、昨日の雨のために浜に近い所はやや濁っているが、沖の方は深い紺色。






14時、バイクにリヤカーをつけて荷物を満載した青年に出会う。よく笑う愉快な青年で、日本一周を終えて家に帰るところ、と。しばらく情報交換。彼のブログの写真を撮った。

直後に、後ろから今夜泊まる宿の女主人が車で来て停まり、宿泊の確認。「乗っていく?」と聞かれたが、ここは歩かねば‥‥お断りしたら、「やっぱりね」と言って去っていった。

14時30分、左側に浜頓別ウインドファームの5基の風車を見ながら行く。


14時45分、前も、


後ろも、一直線の道路。


15時、頓別川にそそぐ沼のような、川のような‥‥。




国道は左に曲がり、

15時15分、豊寒別川、上流方面。


下流方面。


川の名の由来――アイヌ語のトム・カム・ペッ(土の被さる川)の意味 泥川のため、川底のものが
泥を被り見えなくなる様子をいった。周辺にはベニヤ原生花園があり、色とりどりの花で目を楽しませてくれる、と。


15時25分、頓別川、上流方面。


下流方面。


川の名の由来――アイヌ語のトウンペッ(沼に行く川)で沼はクッチャロ湖を意味する。夏から秋にはサケマスが遡上し。冬になると河口付近ではチカコマイ釣りが盛んに行われている、と。


16時、浜頓別市街地を通り、


16時20分、今日の宿である「民宿 トシカの宿」に到着。宿泊、2食付き 5100円。

5日ぶりにゆっくり湯船に浸った。あと2日。


2015年 第72日(佐多岬より134日)

歩数  65558歩    (佐多岬より累計  6893049歩)
距離  41㎞       (佐多岬より累計  4594㎞)
費用  6748円     (佐多岬より累計  605042円)


2015年 徒歩の旅 第71日  道の駅 マリーンアイランド岡島へ

2016年06月09日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月10日(水) 雨 (雄武町・「開拓入口」バス停
               ~枝幸町・「道の駅 マリーンアイランド岡島」)




昨日は、到着直後に昼寝。15時~17時30分、荷物整理、記録、夕食。その後、今朝の2時15分に起床するまで、国道沿いだったが車の音も感じなくて熟睡した。起床時、降雨。

3時35分、出発。霧雨、無風。あたりはまだ薄暗く、対向車に察知してもらうべく、エレキを点灯して国道238号線(オホーツクライン)行く。


4時、当沸川、上流側。


下流側、オホーツク海波静か。


川の名の由来――アイヌ語でトーウツ(Tō ut 沼脇)。鮭上る川なり、ut は「あばら骨」。地名ではウツ・ナイ(あばら・川)と同じに使う。トー「沼」あばら骨のような形でついていた小川の意か、と。


4時10分、雄武川、上流側。


下流側。


川の名の由来――アイヌ語でオムイ(О-mu-I 川尻・塞がる処)。暴風時川尻塞がる川なり。(註 川尻塞がるもの(川)となる。)、と。


4時40分、セイコマで、野菜ジュース、おにぎり等買い、朝食。

5時15分、「道の駅 おうむ」へ。小休止、用足し、洗面。道の駅は街中であり、裏に草地があるようだがその上にテントは気が進まない。結局、バス待合所泊まりが正解だった、との結論。


6時15分、小雨の中を歩き、廃屋あり。この建物を取り巻いて、かつてどのような生活があったのだろうか。


6時20分、オホーツク海沿いに、牧草地。雨のため動物の影は無し。


6時40分、音稲府川、上流側。


下流側。


音稲府橋。


7時10分、右手は、フキ、イタドリ、笹、オホーツク海。


7時30分、単調な雨の道。時おり通る車は、もろに水飛沫を浴びせかける車と、ふくらんで避けてくれる車。総じて、大型車は避けてくれる比率が大きかった。


7時55分、幌内川にかかる幌内橋。


幌内川上流側。


下流側。


幌内で、向こうから来たチャリダーの青年と話。埼玉から来たといい、昨夜は枝幸の道の駅で泊まった、道の駅は枝幸市街から7~8㎞手前側にある、とのこと。ここまででコンビニはなかったかと聞かれ、「道の駅 おうむ」の近くに2件あることを教えた。こちらからも、この先にコンビニはなかったかと聞いたが、枝幸の市街からこっちはなかった、との答え。おやおや、ツーリングマップルには載っているんだが。手持ちの食料もわずかなので、若干あせるが、まぁ、行ってみるしかない。お互いに頑張ろうと、握手で別れた。

8時5分、右手にバス待合所発見。


「川北」バス待合所といい、背後はオホーツク海というすばらしいロケーション。次回にはぜひ泊まってみたい‥‥が、次回はあるかな。


8時20分、今度は左手に。


「8番」バス待合所。


すぐに、枝枝幸川にかかる北の橋。


上流側。


下流側。


8時40分、左手は防風林。


8時50分、枝幸町に入る。


音標(おとしべ)集落に入る。枝幸市街まであと37㎞だから、道の駅までは、37(-7~8)㎞。宗谷岬まで、158-31=127㎞。


イタドリの向こうはきれいな入り江になっている。




9時、彼方に音標岬とゴメ島(トンナイウシモシリ)。


左に防風保安林、


右は、牧草地の向こうにゴメ島。


ゆるいアップダウンの後、音標の集落を抜けて、

9時45分、音標川にかかる音標橋をわたる。


音標川上流方面。


下流、河口方面にはたくさんの海鳥。




川の名の由来――アイヌ語のオ・テシ・ウシ・ペッあるいは、オ・ト・ウシ・ペッ(川尻に鱒の多い川)あるいは、(川尻に沼多いもの)という意味。夏から秋にかけてはサケ・マスがたくさん遡上する、と。


エゾカンゾウ。


11時、風烈布(ふうれっぷ)ではお祭りだった。子供神輿が、雨のためビニール袋をかぶされて、軽トラに乗せられていた。


青年たちが「わっしょい わっしょい」と囃して、子供たちはそれに呼応していた。


手作りらしき飾りや、


風烈布神社ののぼりが、雨に濡れていた。


11時10分、風烈布川。川の名の由来――アイヌ語のフレ・プ(赤いもの)即ち、赤い川の意味。ただし、実の赤いこけももや苺もフレ・プといった。そこから来たのかも知れない。この上流はやまべ釣りのメッカである、と。


風烈布川にかかる青柳橋を渡る。


上流側。


下流方面。


11時50分、左手にも牧草地。


右手はオホーツク海。


12時10分、乙忠部(おっちゅうべ)にて、右手にセイコマートあり。牛乳、食パン、マーガリン、ソーセージなどを買い、手前の乙忠部バス待合所にて昼食。30分、休止。どうやらチャリダーの彼は見落としたようだ。

13時15分、雨止まず。ただ歩く。足がこれ以上痛くならないように祈りながら。








左手遠くかすんだ山、樹林、牧草、笹、イタドリもしくはフキ、アップダウンの国道、イタドリ、笹、牧草、笹、浜辺、波、‥‥全体を覆っているのが雨。これの繰り返し、もしくは微々たるバリエーション。

14時5分、海岸防風保安林。


まだ歩く。






14時55分、徳志別川にかかる徳志別橋。


上流側。中景の丘の霧が上がりつつあり。


下流側。


川の名の由来――普通はアイヌ語のトプッヘッ(あめます)を思わせるが、トプッヘッ(大竹多き川)の意味で伝承されており、由来ははっきりしない。上流では1977年におよそ1900万年から600万年前に生息していたというデスモスチルスの化石が発見された、と。


15時10分、山臼へ。枝幸まで13㎞の表示。シカ飛び出し注意。


15時15分、追茶呑辺(おっちゃらべ)川にて岡島の集落に入る。


上流側。


下流側。


15時50分、「道の駅 マリーンアイランド岡島」に着く。

そばに「はまなす交流広場」というキャンプ場があり行ってみたが、芝生が雨を吸ってコンディションはよろしくない。

道の駅の売店でビールとつまみを買い、女性の事務員に尋ねたところ、閉店後に売店の庇の下で寝ている人はけっこういますよ、との答え。16時30分の閉店を待って、さっそく設営。宿泊、無料。


今日の行程は、50㎞弱、といったところか。ともあれ、今夜はこの旅最後のテント泊である。明日は民宿、明後日はライダーハウスを予約した。風呂が、洗濯が待っている。そしてあと100㎞で宗谷岬が‥‥。


2015年 第71日(佐多岬より133日)

歩数  78028歩    (佐多岬より累計  6827491歩)
距離  48.5㎞     (佐多岬より累計  4553㎞)
費用  1946円     (佐多岬より累計  598294円)


2015年 徒歩の旅 第70日  雄武町・「開拓入口」バス待合所へ

2016年06月08日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月9日(火)曇ときどき雨  (紋別市・「ライダー&チャリダー共和国」
                        ~雄武町・「開拓入口」バス待合所)




今日・明日は、最後の踏ん張りどころ。足痛はまだ何とか耐えられる状態である。大げさに言えば、これまでの70日間のすべてを注いで歩きぬく決意。意志あるところに道あり。

3時15分、出発。


予報では午後から雨のため、早出をして雄武道の駅を目指す。夜間に降った雨で路面は濡れているが、いまのところは降雨はなし。郭公その他、野鳥の声を聴きながら、国道238号線(オホーツクライン)を行く。

3時50分、渚滑川、上流方面。


下流方面。彼方はオホーツク海。


4時5分、オムサロ原生花園へ。




咲いているのは、ハマナスが少しとセンダイハギの黄色が少しだけ。


パーキングエリアあり。小休止。


4時15分、オホーツク海沿いを行くようになり、霧雨降り出す。


長い一直線の道を、潮鳴りを聞きながら。たまに大型車が通過していく。


4時30分、紋別市から、


興部町に入る。


4時40分、左手のオムシャリ沼から海へ流れ出す水を跨ぐ湖畔橋。


沼の手前に、旧名寄本線の廃線遺構。






以後は、ところどころに残った廃線跡と並行して行く。


4時45分、稚内まで207㎞、31㎞差し引いて、宗谷岬まであと176㎞。霧雨は止む。曇り空。


国道の左となりが廃線跡。




オムシャリ沼。


5時、沙留方面が見える。


5時15分、オホーツクハマナス街道のビューポイントにて、小休止。




5時30分、沙留漁港を遠望。


5時50分、沙留川、上流方面。


下流方面。


川の名の由来――アイヌ語のシャルヲロ(隰沢があるの意)アイヌ語のサロロ(茅の中の川の意)(隰沢‥‥低くて、しめった土地)、と。


歩きながら、気になって、6時9分のケータイの今日の天気予報と、


向こう1週間。あまり芳しくない。


7時25分、瑠橡(るろち)橋。


瑠橡川。上流方面。


下流方面。


牧草地にタンポポの綿毛。雨が降ったり止んだりし、傘をさしたり閉じたりしながら歩く。


7時45分、藻興部川。


上流側。


下流側には、旧名寄本線の橋梁遺構。


そばまで行ってみたが、立入禁止。


反対側は、草が繁茂しているが鉄路のあった名残。


「サケ・マスが6~11月ごろよく見られます」とあり、川面をのぞいてみたが気配はなかった。


8時、農免道路の看板あり。チャリダーの青年と出会い、「お互い頑張ろう」とあいさつ。


8時25分、旧名寄本線の興部跨線橋。




下を見ると、かつての名残の廃線跡。




8時35分、「道の駅 おこっぺ」にて休憩すべく、信号を左折し、時計屋さんの前で主人と話。かつては6000人もいたが、今では4000人になってしまった。町が寂れていくのを見ながら、年を取っていく。興浜線がつながっていれば、と、一昨日の計呂地交通公園の管理員と同じことを言う。この辺りの高齢者は皆同じような考えを抱いているのだろう。時計修理には自信があるし、インターネットで全国展開するという手もあるといわれたが、もう年だし引退するつもり、と。

6時45分、「道の駅 おこっぺ」へ。




館内の展示を見て、




保存してある客車の宿泊施設(無料)へ。




車内で自動車で北海道をまわっていて、昨夜はここに泊まったという高齢夫婦に、宗谷岬からこっちの道路状況を教えてもらう。途中に、小屋のようになっているバス停はなかったか尋ねたが、思い出せないといい、道の駅となりの喫茶店で聞いてみたらどうかと勧められる。喫茶店へ行き、コーヒーを飲みながら、マスター(や奥さん)に尋ねたが、かんばしい答えは得られず。雄武―枝幸間に、いざという時に逃げ込める適当なバス停はない、と思った方がよいようだ。マスターも同じ団塊世代ということで、コーヒー代をサービスして、頑張れと激励してくれた。

結論として、今日は雄武の道の駅か、その後ろ側の公園でテント泊。たとえ今夜の雨でテントがびしょびしょで、ずっしり来ても、枝幸でびしょびしょのテントを張ることになろうとも、とにかく明日は枝幸まで50㎞を歩き抜くしかなかろう、ということを覚悟。

9時55分、ふたたび国道238号線に戻り、興部川にかかる興部橋。


上流側。




下流側。


10時30分、興部町から雄武町に入る。あと17㎞。


興部を過ぎると、それまでは比較的平坦だった道路が、急に起伏が出てきて、カーブも増えた。木材を積載した大型車も何台か。


11時15分、尾西川。下流、オニシ沼からオホーツク海へ。


振り返り於仁志橋。左手は草原でその先がオニシ沼。


11時20分、右手にオニシ沼を眺めつつ、長い坂を上ってふたたび海岸線へ。




11時50分、右は日の出岬、左は道道883号線で西興部へ。


12時25分、前方海上に雄武漁港。だいぶ足に来るが、雄武まであと2時間くらいか。


13時30分、「開拓入口」というバス待合所にて小休止‥‥のはずが、結局ここで泊まらせてもらうことになってしまった。宿泊、無料。

今朝3時半から歩いているので、途中の「道の駅 おこっぺ」での休止を入れてもだいぶ歩いている。眠いし、足も痛み出してきた。水と食料は少ないながらまだ持っている。トイレは「道の駅 おうむ」まであと1時間半ほどだろうから我慢できる。それに何といっても、今はまだ降っていないが、夜間には降るだろう雨のため濡れて重いテントを、枝幸まで担いで50㎞を歩かずに済む、明日さえしのげば後は宿泊まり‥‥とあらゆる理屈を考えだして、今朝の決意はどこへやら、当初計画の「道の駅 おうむ」までの行程を短縮させてしまった。

ともあれ、今夜は早く寝て、明朝4時に出発すれば、今日の遅れは取り戻せるだろう。


2015年 第70日(佐多岬より132日)

歩数  54420歩    (佐多岬より累計  6749463歩)
距離  37.5㎞     (佐多岬より累計  4504.5㎞)
費用  130円      (佐多岬より累計  596348円)


2015年 徒歩の旅 第69日  紋別市・「ライダー&チャリダー共和国」へ

2016年06月07日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月8日(月)  (湧別町・五箇山キャンプ場
                ~紋別市・「ライダー&チャリダー共和国」)




5時30分、出発。直後にパラパラときたので傘をさしたがすぐに止んだ。以後は曇で、やや暖かい。


出発直前に、キャビンの出口で転倒。バランスを崩して段差を踏み外し、しかもそれを修正できずに横転、仰向けにひっくり返ってしまった。こういうのを「もんどりうって」というのだろう。樹間の空が見えた。旅の疲れが出たか、それとも加齢による運動神経の老化か。幸い掌の皮がむけただけでそれ以上の怪我はなく、一安心。宗谷岬が近づいてきた。「高名の木登り」である、気をつけよう。

テントサイト下の広場に、保存されているスノープロウをつけた貨車移動機(橙色)と客車(青色)。旧湧網線が廃線になって30年近くになるが、地元の人の心の中に残り続けているのを感じる。




国道242号線に向い、コンビニで野菜ジュースを飲んで、その後、国道238号線を行く。

途中のタンポポは、すっかり白い綿毛になっている。つい10日ほど前は緑の牧草地に黄色いアクセントを添えていたのだが‥‥。




7時10分、湧別大橋。




橋梁の間から湧別川の上流方面。


下流方面。


7時30分、廃屋。
「人住まぬ 不破の関屋の 板ひさし 荒れにし後は ただ秋の風 」という『新古今和歌集』の藤原良経の和歌を思う。季節は違うが。


ノコギリソウ。


7時50分、綿毛の牧草地。


8時10分、シブノツナイ湖にそそぐ信東川、下流方面。


遠方にシブノツナイ湖。


8時30分、こちらも綿毛の牧草地。


8時35分、左手、叢の奥の小川にかかる旧名寄本線の鉄橋。薄日差す。


8時45分、シブノツナイ川。上流側。大きなフクロウが枝にとまっていたが、デジカメの用意をしているうちに気づかれて逃げられた、残念。


川の名の由来――「湧網線沼の上駅のそばのシブノッナイ湖に入る川」とあるが、名寄本線の誤りか? シュプノツナイ Shupun-ot-nai うぐい魚・多い・川)であった。道南の大沼に注ぐ宿野部川もShupun-ot-pe(もの―川)で、同じ意味である、と。


川を渡り、紋別市に入る。


8時50分、草に埋もれる旧名寄線跡。




道路には鉄路の痕跡。


8時55分、もう少し先にも同じく、




9時、路傍の草むらにエゾカンゾウ。


白樺の林の先に、


9時15分、コムケキャンプ場入口。


「コムケ鳥獣保護区 自然景観保護地区」。野鳥の鳴き声しきりなり。


9時45分、コムケ湖。


11時50分、オホーツク紋別空港。




エゾタンポポと、


ハマナス。




12時20分、オホーツク流氷公園。




12時30分、オホーツクラベンダー畑。


12時40分、藻鼈川。


橋の上から、オホーツク海方面を見ると、「道の駅 オホーツク紋別」の巨大なカニの爪のモニュメント。


こちらは利尻タンポポ。


その後は、国道238号線のバイパスを歩き、アップダウンのあと、新渚滑橋を渡って、大きく回り込み、

途中の道路分離帯のツツジの花。。


15時15分、今日の宿の「紋別ライダー&チャリダー共和国」に着く。宿泊、素泊まり1800円。

宿泊客は小生1人だけ。寒かったので、女将さんがストーブをつけてくれた。彼女と話。名寄線が来なくなって、紋別は取り残されてしまった。それに対して、遠軽は列車が残ったので、今では大きな町になっている。遠軽は「町」、紋別は「市」なのに全然違う。紋別にはやっと総合病院が出来たが、それまでは遠軽までバスで行かなければならなかった。路線が残るか否かは決定的な差を生む、と。


2015年 第69日(佐多岬より131日)

歩数  60984歩    (佐多岬より累計  6695043歩)
距離  37㎞       (佐多岬より累計  4467㎞)
費用  3839円     (佐多岬より累計  596218円)


2015年 徒歩の旅 第68日  湧別町・五箇山キャンプ場へ

2016年06月06日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月7日(日) 晴のち曇 (佐呂間町・「旅人宿さろまにあん」
                       ~湧別町・五箇山キャンプ場)




4時40分、出発。久しぶりの青空。やや寒く、ダウンを着用し、国道238号線(オホーツク国道)を西へ。

4時45分、浜佐呂間バス停横に、佐呂間町観光案内板。


稚内まで282㎞。


4時55分、佐呂間別川。上流方面。


下流方面、奥はサロマ湖。


川の名の由来――アイヌ語のサロマペツ(葭原のある川)が源名、と。


佐呂間大橋の上より、朝日。


坂を上りきると、

5時5分、左手、田園地帯。


5時50分、幌岩神社の反対側に、閉校になった幌岩小・中学校。


「愛郷学友」の碑と、


幌岩開拓の由来。


6時10分、日本最大の汽水湖である佐呂間湖へ。西より徐々に雲が広がる。


ハマエンドウ。


6時15分、駐車スペースに説明板あり。川の名の由来――昔は単にト(沼)と呼ばれていたが、湖の東南から佐呂間別川が入っているので、和人が、その名を取ってサロマ湖と呼んだらしい。佐呂間別川はアイヌ語のサロマペツ(Sar-oma-pet 葭原に・ある・川)が源名、と。「サロマ湖 Lake Saromako」とあるのに「川の名の由来」とあるのが、なんか可笑しい。


このあたり、小さな羽虫が大量発生していてすさまじい。顔にバチバチ当たり、目といわす、鼻といわず、口といわず、まとわりついてまるで人間蚊柱状態。ちょうど、奥只見のメジロアブにまといつかれたような具合。ただ、こちらは刺すわけではないのが救いか。道路の反対側のイタドリのそばでは平気なので、どうやら湖岸の堆積物が発生源のようだ。なんとも、なんともな1㎞ばかりだった。

6時30分、雲広がる。




7時、いったん、湖から離れて、


花の写真を撮りつつ行き、






7時50分、「道の駅 サロマ湖」。建物は開いておらず、ただただ寒いのですぐ出発。


8時5分、ふたたび湖沿い進む。遠くの方は青いんだが‥‥


8時35分、「密漁禁止」看板。サロマ湖で獲れるものは、ホタテ貝、ツブ(貝)、アサリ、エビ、ナマコ、ウニ、などか。


9時5分、床丹川、上流方面。


下流方面。


床丹橋を渡っていくと、




9時20分、湧別町に入る。湖から離れて内陸部に来たら、とたんにアップダウンが多い。






9時40分、計呂地川を渡る。下流側。


計呂地橋。


道道685号線と合流し、


10時10分、計呂地交通公園手前で弁当を買い、交通公園へ。


計呂地交通公園は、旧湧網線の計呂地駅を利用して作られたもので、蒸気機関車 C58と客車などが展示されている(簡易宿泊施設あり)。








鉄道資料展示室は、鍵が掛っていたが、張り紙通りに電話をしたら、管理員がすぐ来て開けてくれた。


管理員さんは元国鉄労働者で、国鉄分割民営化の時のことを話してくれた。当時、北海道の鉄路が標的にされ、羽幌線、名寄線、湧網線などが軒並みつぶされて、真ん中の宗谷線一本になってしまった。残念ながら実現せずに終わってしまったが、興浜線が開通していれば、札幌から留萌、羽幌、稚内、天北線、そして、興浜線でオホーツク海沿岸を網走までつなげれば、一大観光路線として、赤字の解消にもなったのではなかろうか、だがその前に中曽根にやられてしまった、と無念そうに言っていた。

彼の話を聞いたり、当時使用された様々な展示物を眺めたりしていたら、あっという間に30分以上たってしまった。




















SL3重連。


計呂地駅の沿革。


展示室のそばに、「計呂地 開拓百年記念碑」があった。


11時、歩きはじめたら、若いチャリダーと出会い、「ご苦労さん」「頑張って」とエール交換。

11時15分、ふたたびサロマ湖岸を歩く。相変わらず遠くの方は青いのだが。


11時20分、今度は外人2人組の自転車乗り。「コンニチワー」なんて言われた。

11時30分、「愛ランド湧別 道の駅」。スピーカーからの大音量に即刻退散。


12時30分、馬路川、上流方面。


下流方面。


馬路橋。


その後、左右が緑の中を歩くのはいいのだが、上を見るといやな色の雲がますます広がり始める。

こりゃ、昨日の二の舞か、と思ったが、しばらくしてようやく薄日が差してきた。

田園地帯を歩いて、

14時50分、五箇山キャンプ場へ。

最近、子供園地でクマが出たとのことで、テント用のフリーサイトは危ないからと、フリーサイト料金で3000円のログキャビンに泊まれることになった。宿泊、500円。野鳥の声しきりなり。






ケータイの天気予報では、向こう1週間は、明日の夜だけ一時晴マークで、あとは雲と傘のマークばかり。宗谷岬までこんな天気の中を行くことになるのかなぁ。でも、前回もサロベツ原野からずっと雨と曇だったが、宗谷岬では晴れたので、ひょっとして今回も‥‥。


2015年 第68日(佐多岬より130日)

歩数  57506歩    (佐多岬より累計  6634059歩)
距離  36.5㎞     (佐多岬より累計  4430㎞)
費用  1370円     (佐多岬より累計  592379円)


2015年 徒歩の旅 第67日  佐呂間町・「旅人宿 さろまにあん」へ

2016年06月05日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月6日(土) 曇(網走市・卯原内交通公園
                      ~佐呂間町・「旅人宿 さろまにあん」)




3時55分、起床。曇で寒い。おかげで、テントは結露無し。


4時、北方の能取湖方面に雲の切れ目があるが上空はどんより。


昨日、頑張ったので、今日の宿のチェックイン時間を考えて、出発は6時ごろとし、ダウンジャケット、ネックウォーマー、フリース手袋という格好で周囲を散策。

卯原内交通公園は、元湧網線の卯原内駅の敷地を利用したもの。


SLの49643が展示されてあり。


網走交通記念館の中に、その説明パネルがあった。




5時30分、やはり寒いので、予定を早めて出発。昨日に続き、能取湖沿いの「オホーツク自転車道」の緑の中を行く。




5時50分、自転車道前方に、2羽の丹頂鶴を認め、立ち止まってしばらく観察。


こちらに気づき、逃げられてしまったが、湿原に舞い降りて、エサを漁っている模様。


(拡大)。


風景や花の写真などを撮りながら、自転車道を行く


カラマツソウ


クサノオウ、


エゾフウロ。


たくさんの水鳥が乱舞しているが、何の鳥かは不明。


能取湖の採捕「注意」看板を見ると、ここで獲れる魚介類がわかる。ホタテ、ウニ、ホッキなどの他に、カレイやニシン等々。




能取湖にそそぐキナチャウシュナイ川。


8時15分、能取パーキングにて休憩。


風が強く余りに寒いので、風を避けて、障碍者用のトイレ入り口の閉鎖スペースのベンチに腰を下ろしたら、いつの間にかうつらうつら‥‥。


9時、行動再開。

9時40分、能取湖を後に、


10時10分、オホーツク海。この間に、網走市から北見市へ。




菜の花と、


エゾカンゾウ。


10時40分、常呂で自転車道と別れ、


国道238号線へ。


10時50分、「交通安全 常呂町」とあり。現在、常呂町は、北見市に編入されている。


少し先の道路表示板に、とうとう出てきた「稚内296㎞」の文字。


日本海側の旅の時(2008年7月4日)に、留萌で出てきた「稚内182㎞」の文字を見たときのことを思い出す。ちょっとした感動なり

稚内―宗谷岬間が31㎞だから、宗谷岬まではあと265㎞、残り1週間である。

11時、眼下に常呂の町並み。


11時、15分、オホーツク海側で最大の河川、常呂川上流方面、


ハマナスあり。


下流方面。ちょっと濁っている。


川の名の由来――アイヌ語の「ト・コロ・ペッ」(沼・を持つ・川)と解されるが、常呂川がライトコロと呼ぶ支流が本流でサロマ湖とつながっていたことに由来すると言われる、と。


11時30分、コンビニにて食料調達。

14時10分、雨が強くなり、バス停の小屋に逃げ込み少し雨宿り。どうもすっきりとした青空が続かない。

15時20分、雨ふり止まず。稚内まで284㎞。


サロマ湖近し。常呂町には、北見市との合併後も一定の自治が認められているようだ。


15時25分、北見市から、


佐呂間町に入る。


15時40分、宿に着く。

チェックインは16時からだが、宿のオーナーが開けてくれた。

宿のテレビの予報では、紋別から雄武、枝幸へと長距離を歩く9日、10日の天気も芳しからず、と。せっかくだから、真っ青なオホーツク海を見ながら歩きたいところだが、こればかりは「インシャラー」である。

オーナー夫人が、長旅のビタミン不足を心配してサプリをくれた。


2015年 第67日(佐多岬より129日)

歩数  46205歩    (佐多岬より累計  6576553歩)
距離  30㎞       (佐多岬より累計  4393.5㎞)
費用  5694円     (佐多岬より累計  591009円)



2015年 徒歩の旅 第66日  網走市・卯原内交通公園へ

2016年06月04日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月5日(金) 雨一時晴 (小清水町・「はなことりの宿ユースホステル」~網走市・卯原内交通公園)



5時20分、ユースの窓から見た濤沸湖。


オーナーが飼っている羊たち。雨が小降りになり、外に出て草を食む。


7時40分、出がけに急に雨が強くなり、出発に手間取った。


国道244号線まで戻り、湖に沿って西へ。




8時15分、湖畔の放牧地。


8時20分、駐車場の奥に展望牧舎への通路があるので行ってみるが、




まだシーズン前らしく、誰もおらず。花の写真だけ撮ってきた。

シモツケソウ、


ハマナス、


8時35分、前方から、カートをひいて歩いてくる男性がおり、情報交換のため立ち話。70歳の東京の人で、4月1日に千歳から歩きはじめ、札幌、旭川と北上して宗谷岬にいたり、以後はオホーツク海に沿って南下してきた、とのこと。宿には泊まらずすべて野宿、という元気な人だった。初めて歩き旅の人に出会ったと喜んでいた。握手で別れたが、無視する人もいれば、感激する人もいる、いろいろである。そういえば、昨日ユースで、例の旅人の話をしたところ、オーナー夫人も見かけたようで、浜小清水駅にロープを張って洗濯物を干していた、とか。オーナーの見立ては‥‥「世捨て人」。

その後も、強風の中を歩く。




9時ごろより、雨がひときわ強くなり、ゴア雨具は浸透してくるし、かつ向い風の強風のため、歩行は難儀をした。

JR原生花園駅にて、雨宿り休憩。雨のためか館内に観光客多し。

雨の見通しが立たず、ふたたび歩き出し、

10時10分、濤沸橋をわたり、網走市に入る。


10時25分、JR北浜駅手前、「夢海道オホーツク」。セイコマでおにぎりを食べ、


JR北浜駅。このころから、右手遠方に雲の切れ目が現れ、一気に青空が広がった。






線路わきにエゾカンゾウ。



10時55分、左に藻琴湖。


オホーツク海岸を行くJR釧網本線。




ハマエンドウ。


11時、藻琴橋を渡る。




11時10分、JR藻琴駅。




11時40分、JR鱒浦駅。1月に改築されたばかりの新駅舎。


止別駅より、北浜駅、藻琴駅、と風雪に耐えてきた木造駅舎の風格が印象的だった。鱒浦駅がいつの日にかそうなるだろうか。

11時55分、パーキングの展望所より。




12時5分、雲は去り、空青し、海青し、波白し、風強し。前方に網走市街。市役所まで4㎞。




12時35分、網走港。


「屯田兵上陸の地」碑あり。


明治30年(1897年)、兵員597名とその家族が、この地より上陸。


北方の防備と拓地殖産の使命を帯びて、と。


13時、網走市役所前を通過。


13時5分、「凝洋風建築の流れを受け継ぐ貴重な遺構」永専寺の山門。




13時20分、JR網走駅前を通過。左はモヨロ人(オホーツク人)漁師の像。


一番はじめの計画では、「博物館 網走監獄」なども見学するつもりであったが、足の状態を考慮し、宗谷岬到達を最優先課題としたため、残念ながら見学は割愛。そのまま西へ向かう。

14時、大曲駐輪場にある「湧網線跡」の碑。湧網線は、網走と中湧別を結び、「道内随一の車窓の景観美」と言われたが、昭和62(1987)年、赤字線整理のため廃止された。


廃線跡は、「網走常呂自転車道線」(一般道道1087号線)。国道238号線にそって走っており、静かなので国道をやめてこちらを辿る。ふたたび雨が降り出す。




14時5分、網走川を渡る。
川の名の由来――アイヌ語で「網走」の原語ア・パ・シリ(我らが・見つけた・土地)やアパ・シリ(入り口の地)、チ・パ・シリ(われわれが・発見した・土地)神鳥がチパシリ!チパシリ!と鳴いたという伝説から名づけた等諸説紛々としている、と。






以後、花の写真を撮ったり、樹間の網走湖を見たりして、緑の中を歩く。雨、ときどき降った。




タチツボスミレ。


網走湖。
























16時35分、近くのセイコマで食料を調達し、卯原内交通公園に着き、


網走市鉄道記念館の裏にテントを張る。宿泊、無料。

18時25分、能取湖の彼方、雲が切れてくる。


静かな北方の湖を、一人で眺めていたら、旅も終わりに近づいてきたんだなぁと、ふと思った。



2015年 第66日(佐多岬より128日)

歩数  51475歩    (佐多岬より累計  6530348歩)
距離  36㎞       (佐多岬より累計  4363.5㎞)
費用  1783円     (佐多岬より累計  585315円)



2015年 徒歩の旅 第65日  小清水町・「はなことりの宿ユースホステル」へ

2016年06月03日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月4日(木) 晴のち雨 (斜里町・ビジネスホテル「グリーン温泉」~小清水町・「はなことりの宿ユースホステル」)



6時30分、出発。風弱く晴天。テレビの天気予報は外れ。今日の行程は20㎞程度の半日行動なので、もっとゆっくり行くつもりだったが、あまりに天気が良いので出発することにした。まぁ、いつくずれて来るかわからないし。


6時50分、JR斜里駅を出た釧網本線を見て、


ハマナス咲く道を斜里川方面へ。


6時55分、斜里川にかかる斜里橋を渡る。


斜里岳。


斜里川下流方面。


7時25分、標津で別れた国道244号線(ここでは斜里国道)に合流、西進する。

田園の向こうに、大きな斜里岳。


8時30分、網走方面から一気に黒い雲が押し寄せてきて、様子は一変。気温もぐんぐん下がり、強風が吹きつけてきた。降雨も時間の問題。

TPP反対の意思表示。




9時15分、小清水町に入る。


9時55分、止別の集落へ。


国道から離れ、JR止別駅方面へ。白いライラック。


10時20分、止別駅にて小休止。ラーメン屋さんは準備中。


駅の隣の公園にあった、鈴鹿野風呂の句碑、
「香水にする玫瑰(はまなす)の花ざかり」。


JR釧網本線に沿った、「オホーツク海岸道路」を行く。人気無し。浜小清水駅付近までに自動車3台が通ったのみ。

名前を知らない白い花の低灌木。


左手に広い野菜畑。




ちぢれたハマナスや、


センダイハギ。


10時55分、止別川。


川の名の由来――原名 ヤンペツ。語源はヤ・ワ・アン・ツ(ya-wa-an-pet 内地の方・に・ある・川)で斜里よりも手前にある川なのでそう名づけた、と。


11時15分、1両編成の釧網本線。


11時40分。「道の駅 はなやか小清水」と同居するJR浜小清水駅へ。


そばのスーパーにて、カップ麺、山わさびコロッケなどを食べる。

時間が早いので、テラスの椅子に座っていたら、つい居眠り‥‥。

30分ほど眠って、目覚めたら、本降りになっていた。

12時30分、歩きはじめ、

12時40分、「ここより8㎞ 小清水原生花園」の看板。






国道から左折し、濤沸湖に沿っていき、


13時、ユースホステル着。だいぶ早いがチェックイン。宿泊、2食付き 5360円。


2015年 第65日(佐多岬より127日)

歩数  33967歩    (佐多岬より累計  6478873歩)
距離  20.5㎞     (佐多岬より累計  4327.5㎞)
費用  6551円     (佐多岬より累計  583532円)



2015年 徒歩の旅 第64日  斜里町・ビジネスホテル「グリーン温泉」へ

2016年06月03日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年6月3日(水) 曇 (斜里町・民宿 ボンズホーム
           ~斜里町・ビジネスホテル「グリーン温泉」)




4時30分、宿を出発。霧で肌寒し。国道344号線(知床国道)を西に向かう。


4時35分、知床世界遺産センター。


道の駅 うとろ・シリエトク。


ウトロは、知床が世界遺産になったおかげで、一気に観光地化した感じ。羅臼が入りづらいのに対して、ウトロは網走から観光バスで容易に入ってこられる(札幌―ウトロ間の直行便もあるという)。

4時40分、オホーツク海沿いになって、この旅ではじめてハマナスを見た。




ルピナス。


4時50分、ウトロトンネル(378m)。


5時10分、オホーツク海は霧の中。海岸に沿って行く。寄せる波だけが騒ぐだけ。岸辺にオジロワシが2羽いて、写真を撮ろうとしたら逃げられてしまった。




5時30分、落石防護工事。観光バスが通るようになり、こういう危険な個所はあってはならない、ということ。


5時35分、三段の滝の手前で不思議な旅人に出会った。リヤカーのごとき車にい荷物を積んで逆向きに押していて、こちらが手をあげて「こんにちは」と挨拶をしても、一瞥もくれずにスタスタと言ってしまった。これまで約8000㎞歩いてきたが、歩きの旅人同士で全く無視されたのは初めてだったので、ちょっと驚いた。人間が嫌いなのか? 何のために旅をしているのかな?


5時40分、三段の滝。




川は、オショコマナイ川。アイヌ語で「川尻が岩盤の上にある川」の意、と。




その先に標識。斜里まで33㎞。


6時、弁財湾、霧の中。


すぐに、オシンコシントンネル(445m)。


中は、ガード柵のついた歩道があり安心。


6時10分、トンネルを抜けたところに、オシンコシンの滝。オシンコシンとは、「そこにエゾマツの群生するところ」の意、と。「日本の滝100選」に選定。








6時30分、このあたりも当然、「シカ注意」。


7時20分、「エゾシカ一時飼養施設」。つまり、エゾシカの駆除・有効活用(食用肉、革製品等の生産)事業の施設。




有効活用を待つエゾシカたち。




7時40分、こちらは野を駆け回るエゾシカ(中央の白い点々)。


何が何だかわからない霧の海を見つつ、ほぼ海岸線に沿って歩く。ウトロ側の川は、どれもこれも護岸工事や堰堤工事が施されていて、写真を撮る気が起きない。これまでに宿で出された料理や、外食で食べた料理のことなど考えながら歩く。

11時10分、田園地帯に入る。工事ダンプがかなり頻繁に走り、歩道のない細い道は避けづらい。


11時20分、海別から、ツーリングマップルに載っていた道が見てみたくて、一時、国道334号線から分かれて未舗装の道を辿り、無名展望台へ。展望台より。




展望台横の道路から、斜里まで、さらにその先まで、ずーっと一直線の道路が続く。これぞ北海道。


その一直線(国道344号線)の道を行き、

12時、閉校になった朱円小学校前を通過。115年前、1900年、明治33年、『坂の上の雲』の時代だ。


12時15分、奥蕊別川にかかる朱円橋を渡る。
奥蕊別川の名の由来――オ・クシ・ウン・ぺッ(o-kush-un-pet)それ《川》の・向こう・にある・川。海側から見て、海別川の「向こうにある川」、と。


あちこちからライラックの良い香り。


藤の花。


12時50分、左手に斜里岳。


13時5分、右手後方遠くの方に知床連山が見えるが、どれが羅臼岳なのかはもう確認できず。

JR斜里駅に近くなり、

ハマナス。


黄色いツツジは初めて見た。


駅周辺の市街地に入り、

14時、今日の宿であるグリーン温泉に着く。宿泊、素泊まり 4800円。

予定していた宿がまだ開設されていないことが分かり、観光案内所でもらったパンフレットを見て急きょ決定したのだが、正解だった。24時間入浴可能なので、3回入って、久しぶりに60000歩以上歩いた足を十分にマッサージした。モール泉とかいう薄茶色のお湯で、泥炭層から湧いているのだそうだ。とてもよく温まった。


2015年 第64日(佐多岬より126日)

歩数  60781歩    (佐多岬より累計  6444906歩)
距離  38.5㎞     (佐多岬より累計  4307㎞)
費用  5897円     (佐多岬より累計  576981円)