そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第41日 敦賀市  野坂いこいの森キャンプ場へ

2009年03月31日 | 2008年日本海側の旅
5月21日(水) 晴 (「国民宿舎小浜ロッジ」~敦賀市 「野坂いこいの森キャンプ場」)



7時50分、出発。晴れて、無風、快適なり。


予定では田烏を経て三方五湖方面にいくことにしていたのだが、宿と歩行距離などを考え、JR小浜線に沿って行くことに変更する。
「小浜ロッジ」から国道27号線に向かって歩いていると、なんと先の方にBさんがいる。聞くところでは、昨晩は小浜の民宿に泊まったとのこと。お互いすぐそばで泊まっていたわけだ。まだ少し足が痛そうである。5月4日以来の再会をよろこび、ケータイのデジカメでお互いの写真を撮りあい、住所を交換しあう。その後は、Bさんはゆっくりだが連日歩く計画、こちらは少し速いが時々連泊したりするという具合に、それぞれのペースが違うので、またどこかでお会いしましょうと挨拶し、とりあえず僕が先行する。
8時45分、前方から傘をザックにさしたいかにも歩き旅らしき男性が来る。挨拶を交わし、少し話す。彼は29歳で、東京から歩いて来て、屋久島に向かっているとのこと。小さなザックなので泊まりはどうしているのかと聞くと、主にバス停で寝ている、富山で無人駅で寝ていたら通報されてパトカーに乗せられてしまった、などの説明。大まかな県地図しか持っていないので、それでは不便だろうと、途中の道の駅や旅館で手に入れた小浜と舞鶴の観光パンフレット付き地図をあげる。大変に喜んで、お互い目的達成まで頑張ろうと握手をして別れる。
気温19℃の表示があるが、それ以上に暑く感じる。
9時、遠敷川を渡る。左手。


右手、上流側。


9時30分、新平野駅を通過。
9時35分、相変わらず歩道がすっきりしないか、もしくは全くない道路を、トラックがすれ違っていくなか、若狭町に入る。


10時20分、上中のスーパーで買い物。牛乳、トマト、バナナ、メンチカツ、あじフライ、サラダ、バターピーナツ、飴。牛乳はその場で飲む。
10時40分、線路の向こう側には、麦畑と緑の稲。麦は黄金色に熟れ、まさに季語の「麦秋」なり。


その後は、小浜線から離れ、整備されて広い歩道もあるバイパス風の坂を上っていく。
11時50分、倉見峠に着く。
暑いので自動販売機を探し食事休憩。メンチカツ、サラダ、トマト、バナナを食べる。
12時50分、道路は続くよ どこまでも。


麦と稲。コントラストが面白い。


13時05分、依然として暑くてたまらず、バス停にて小休止。
13時50分、三方駅前を通過。
14時40分、美浜町に入る。


15時20分、美浜駅で休憩。手持ちのツーリング用地図では、今日の宿泊予定地である「野坂いこいの森キャンプ場」の位置などが詳しくは分からず。わかりやすい地図が欲しいと思ったが、残念ながら駅のパンフレット類の中にはない。
15時50分、駅の先のコンビニで買い物。飲むヨーグルト、バターロール。
16時05分、美浜東バイパスは入口が工事中で通れず。
16時25分、山上交差点を右折し、途中からバイパスに入る。車の量が一気に減って、気持ちがよい。


16時50分、道路の脇で草刈をしていた男性から、どこまで行くのかと尋ねられる。北海道までと答えると、感激して「素晴らしい」「素晴らしい」を連発し、握手を求められる。彼の話では、キャンプ場は間近なこと、また道も標識も明瞭であるから迷うことはないだろうということ。まずは一安心。
17時15分、佐田トンネル(460メートル)を抜け、その先を右折して、関峠に向かって坂を上っていく。
17時30分、関峠にて敦賀市に入る。


17時45分、キャンプ場の表示のある分岐に、あと2kmとある。
18時15分、粟野駅を左に見送り、坂道を随分上った先に快適そうなキャンプ場がある。宿泊者は他に誰もおらず、管理事務所が閉まっていたので無断だが、今夜はここに泊まらせてもらう。幕営0円。

経費  8,768円     累計  155,614円
歩数  63,238歩    累計  1,923,415歩
距離   45km      累計  1,249km

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徒歩の旅 第40日 小浜市  小浜ロッジへ

2009年03月29日 | 2008年日本海側の旅
5月20日(火) 雨のち晴 (松尾寺駅~小浜市 「国民宿舎小浜ロッジ」)



今日で徒歩の旅も40日目。
5時25分、夜来の雨が上がったと判断して、出発。
丹後街道の国道27号線を行く。
5時35分~6時05分、急に再び降り出し、バス停にて暫時雨宿り。
6時20分、吉坂峠の青葉トンネル(343メートル)を抜けると、福井県高浜町である。10県目なり。


降ったり止んだりする雨の中で田植えをする人。


水田に映るJR小浜線。


7時05分、青郷駅に着き休憩。ウッドハウスのとても立派な駅舎。


雨が上がり、目の前に青葉山が堂々として見える。
その後、駅の待合室で食事。
7時30分、出発。
このころから徐々に青空が広がってくる。
道路標識に「原電」という文字が出て来、その後も頻出してくる。ここ高浜から、大飯(おおい)、美浜、そして「もんじゅ」と「ふげん」の敦賀と、原子力発電所のある街々を通っていくことになる。
7時50分、日置交差点は、高浜原電方面に行く車でひどく渋滞している。ここは歩道もなく、歩行者は大変危険である。
ダンプカーの多い田園地帯を行き、こちらもまたきれいな三松駅を通過する。
8時30分、若狭湾に面した若宮海水浴場で一旦海岸に出る。


8時50分、若狭高浜駅通過。この付近は高浜町の中心街だろうか、商店が集中している。
9時10分、JR小浜線。


9時15分、水田の中に白鷺が数羽。


9時40分、おとぎの国のような若狭和田駅。ここは大飯原発方面への交差点である。


10時05分~45分、今日の行程は30キロ弱のため、「シーサイド高浜道の駅」の広々とした休憩室で食事と大休止。


道の駅の隣には、「湯っぷる」という温浴施設が併設されている。今日は国民宿舎に泊まりゆっくり風呂につかる予定なので、素通り。
道の駅の後ろ側の青戸入江。


青戸入江の向こうの丘に原発からの鉄塔が並ぶ。


おおい町に入ると、大きくて実にきれいなグランドや体育館がある。高浜町もおおい町も、「立派な」ハコモノ施設をいくつか持っているが、これらは原発誘致の恩恵だろうか。
しかし、道路事情はこれまで歩いて来た中で最悪である。こちらへは補助金は回らないのか、それとも管轄外だから回さないのか。「立派な」ハコモノと貧弱な道路とのなんたる落差。一般に道幅は狭く、歩道がないところも多い。また、あっても右へ左へと切れ切れで脈絡がなく、頻繁に道路を横断しなければならない。そして、ここが福井県の日本海側のメインストリートであり、大型の長距離トラックが大量に通行しているのだ。見かけたものだけでも、近くは京都、滋賀、神戸のナンバー、さらに久留米、北九州、大分、佐賀、福岡などの九州方面のもの、新潟、長岡、栃木、八王子等々、そして青森、八戸、岩手、庄内、福島など東北のものと、さまざまなナンバーをつけたトラックが次々と通って行く。まったく歩きづらいこと甚だしく、非常に緊張した歩行を強いられる。


11時20分、若狭本郷駅の前にある「ほたる」という情報資料館で、伝統工芸品の若狭塗り箸などを見物。
11時45分、青戸大橋を見る。


12時10分、おおい町を抜けて、


小浜市に入る。


13時15分、加斗トンネル(510メートル)を抜ける。
次の勢浜トンネル(516メートル)手前に海岸に沿って「若狭自転車道」がある。トンネル内をトラックにおびえつつ歩くのも気が進まないし、幸い時間的な余裕もあるので、こちらを行くことにする。


新緑の木々の向こうに小浜の街。


途中で猿の親子に出合う。
振り返ると白い波が寄せる海岸線。


14時30分、小浜ロッジに到着。
時間的に早すぎたので、ロビーで休ませてもらう。
「髪ながき 少女とうまれ しろ百合に 額は伏せつつ 君をこそ思へ」という短歌が書かれている、薄幸の歌人山川登美子の記念館のパンフレット等をロビーで見る。


15時少し前に部屋に入れてもらえる。
部屋について調べてみると、靴下に穴。2足目の穴あきで、今回も右足である。歩き方に問題があるのかな。


部屋からは、小浜の街の夜景がきれいだった。


夜、A君からメール。新潟県内通過時に陣中見舞いに行くかもしれない、とのこと。
今日は行動中に何も買わなかったので支出なし。

経費  0円         累計  146,864円
歩数  44,017歩     累計  1,860,177歩
距離  29km       累計  1,204km

(本日の到達地点――福井県に入る)



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徒歩の旅 第39日 舞鶴市  JR松尾寺駅へ

2009年03月27日 | 2008年日本海側の旅
5月19日(月 ) 曇のち雨 (「天橋立ユース」~舞鶴市 JR松尾寺駅)



7時50分、出発。
雨の予報が出ており、朝から湿気を含んだ風がやや強い。ユースホステルで朝食をとったため出発時間が遅くなったが、今日の行程は45キロを越える長丁場の予定。気合を入れていく。
8時、天橋立に入る。


内部の遊歩道は車両通行止。
右側に阿蘇海を、


左側に宮津湾のさざ波を見ながら松並木の中を行く。


時々、通学生の自転車が通るだけの静かな道を一人占めして歩く。


いろいろと名前がつけられた松が次々と出てくる。
見返りの松、


羽衣の松、


夫婦松、いずれも言いえて妙なり。


8時25分、天橋立神社


また、剣豪石見重太郎が父の仇討ちをした場所というのもある。


与謝野鉄幹、晶子夫妻の歌碑
「小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波 寛」
「人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく 天橋立 晶子」


夫妻は1930年(昭和5年)5月に吟遊の旅で当地を訪れた、と案内にある。
78年前の同じ5月に、与謝野晶子がここに立ったことを思うと感慨深い。
こちらは天橋立大天橋から


ここの案内板には、
「よさの海の 海士のしわざと みしものを さもわがやくと 汐たるるかな 和泉式部」
「船をいで 十町が程 踏みたりし 白き真砂子の 橋立の道 与謝野晶子」。


天橋立南側の案内図。


天橋立公園概要(おさらい)


知恩寺山門。天橋立は、この知恩寺文殊堂の境内なのだそうである。


8時40分、天橋立を抜ける。実際に中を通って見て、まぁ率直に言えば、天橋立は遠くから眺める方が良いような気がするが。
お土産店街を通り抜け、国道176号線を宮津湾に沿って回り込んでいく。


9時10分、北近畿タンゴ鉄道宮津線の宮津駅を通過。
9時15分、宮津漁港を通ると、京都府が日本海に面した漁業の地でもあることに思い至らせられる。


9時50分、宮津湾を半周して、栗田トンネル(588メートル)を抜ける。
10時、宮津線がやってくる。


さらに曲がりくねった道を今度は栗田湾沿いに行く。岩壁が迫り、狭く見通しの悪い海沿いの道を、自動車が次から次へとやって来る。
1045分、「安寿ロマン海道」と書かれた大きな観光看板があり、
「春の夜はしずかに更けぬ はゆま路の並木のけぶり 箱馬車は轍をどりて 宮津より由良へ急ぎぬ 月落ちて闇の夜ぶかに 箱馬車は由良へとどきぬ 客人は車をおりて 西東みちに別れぬ 大正浪漫詩人 薄田泣菫」と、彼の詩「おもひで」からの抜粋が書かれている。


11時10分、コンビニで買い物と食事。牛乳、おにぎり2個、ガム2個。
11時25分、丹後由良駅を通過。
11時45分、北近畿タンゴ鉄道宮津線のガードをくぐり、由良川左岸を遡行して行く。道端に花菖蒲。


11時50分、安寿と厨子王の像がある。ここ丹後由良は、姉弟が長者である山椒太夫に売り渡され酷使された地である。


12時05分、舞鶴市に入る。


12時45分、赤く塗られた八雲橋を渡り、念仏峠に向かう。


坂を上っている途中でパラパラと来たが、しばらくすると雨は止んでしまう。
13時15分、峠のT字路で国道175号線に合流。そのままゆるやかに西舞鶴の市街へ下っていく。
13時55分、「道の駅舞鶴港とれとれセンター」に出る。道の駅では大陶器市を開催していたが、天候を考え立ち寄っていられず。


隣のコンビニで買い物をして先を急ぐ。牛乳、チョコチップスティック。
西舞鶴にて国道27号線の丹後街道に合流し、JR舞鶴線を見たりしつつ坂を上る。
15時、五老トンネル(180メートル)を抜ける。
15時20分、西舞鶴市街に出て、右折する歩道橋の道路標識は福井県が間近いことを示している。


舞鶴港の東港には海上自衛隊の艦船が停泊中。舞鶴は水産業とともに軍港の町でもある。


曳船(タグボート)3隻。


PGー825ミサイル艇「わかたか」。


15時45分、その先の赤レンガ倉庫群も観光スポット。






倉庫の写真を撮っていると再び雨が降り出し、大急ぎで雨具を着るが、しばらくすると止む。
16時15分、ドラッグスーパーで買い物。テーピング、カロリーメイト3個。
その後は、雨につかまらないうちに何とか松尾寺(まつのおでら)駅まで行こうとやみくもに歩く。
16時50分、スーパーがあり、安売りしていたので、明日以降のことも考えて食料を仕入れていくことにする。バナナ、ミニトマト、焼き鳥。
途中にあった「西国三十三箇所観音霊場二十九番松尾寺」の案内石標。



17時15分、またもや雨が降り出す中を歩き、JR小浜線の無人駅の松尾寺駅に着く。


その後また雨は止んでしまった。今夜はここで泊まらせてもらうことにする。
駅でJR小浜線を待っていた舞鶴工業高専の生徒3人と話。どんなことを勉強しているのか、卒業生の就職先はどこが多いのか、等々。ここも就職先は地元ではなく、大阪・神戸が多いという。こちらの旅の話になり、驚かれるとともに激励される。
いよいよあと2キロ足らずで福井県。京都ともお別れである。京都といえば、修学旅行等から観光の県というイメージばかりが強かったが、丹後半島の農業や、舞鶴湾の漁業など、京都府の第一次産業についても知ることができた。

経費  2,585円     累計  146,846円
歩数  62,578歩    累計  1,816,160歩
距離  45km       累計  1,175km


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徒歩の旅 第38日 宮津市  天橋立ユースへ

2009年03月25日 | 2008年日本海側の旅
5月18日(日) 晴 (「YURAPIA丹後あじわいの郷」~ 宮津市 「天橋立ユースホステル」)



5時05分、約束どおり出発。
「YURAPIA丹後あじわいの郷」の入場門。テントは、左側の白い案内板の陰に設営。


昨日に続き、丹後半島の根元を横断していく。 
6時10分、小さな池に黄や紫の花菖蒲や水草。


近寄って見る。黄色の花はアサザだろうか。
「ほととぎす 鳴くや五月のあやめぐさ あやめも知らぬ 恋もするかな」(詠み人知らず)


果樹園から市街地へと順調に下っていく。
6時15分、丹波公民館前で小休止。
6時25分、国道482号線に合流。北近畿タンゴ鉄道宮津線の峰山駅の手前で特急車両の写真。


6時40分~55分、コンビニで買い物と食事。弁当、牛乳、バナナ。ここにもコンビニ内に食事ができるコーナーがあり、早朝の街が少しずつ動き出す姿を窓越しに眺めながらの食事休憩。
朝日を浴びながら歩き出す。
7時15分、左折して国道312号線に入り、真直ぐな商店街を行く。
8時05分、大宮交差点。このまま312号線を行ってもいいのだが、やや遠回りになるので、大内峠を越えて天橋立方面に行くことにする。
8時40分、ゆるやかな坂を上って、一旦下り、竹野川をわたる。
8時50分、村役場と小学校の旧跡。


二宮金次郎の像が立っているが、なにやら寂しげなり。


道は再び上りになり、さらに行くと、
9時20分、大内峠にある「一字観公園」に着く。


ここまで来れば、今日の行程は半ば終わったようなもの、あとはのんびりだ。
「一字観公園」は、天橋立を足もとに一望する最高の立地条件で、ここからの天橋立は、宮津湾と阿蘇海を一直線でわける姿が「横一文字」と呼ばれるそうだ。故に「一字観」公園と名づけられている。
百人一首の小式部内侍の歌、「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみもみず 天橋立」の歌で名高い天橋立は、野田川からの砂と沿岸からの砂が堆積することにより、細長い陸地が形成され現在の形になった、とのこと。宮城県の松島と広島県の宮島と並び、「日本三景」の一つ。長さ3.2キロにおよび、約7000本の松並木がある。


まさに絶景。写真を何枚か撮る。




その後、公園の管理人さんに、公園の概要や彼の仕事内容などの話を聞いたりし、また、こちらの旅の話をしたりする。


さらに、13時25分くらいまで、洗濯した衣類やテントを干したり、天橋立見物の老夫婦と話をしたり、木陰で昼寝をしたり、昼食をとったり等々、ユースの時間調整を兼ねて十分に休養をとりつつ過ごす。
13時30分、公園を後に新緑のジグザグ道路を写真を撮りながら下る。


14時25分、178号線に出て、板列神社にて休憩。
15時10分、阿蘇湾沿岸の水田で働く人々。


15時10分、宮津市に入る。


阿蘇海に沿って天橋立の松並木を眺めつつ行く。


16時、ちょっと分かりにくかったが、ケーブル下を過ぎ、籠(この)神社のやや上にある天橋立ユースホステルに到着。今日は行程距離も短く、半日休養のような一日なり。


経費  5,032円     累計  144,261円
歩数  40,686歩    累計  1,753,582歩
距離  24km       累計  1,130km

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徒歩の旅 第37日 京丹後市 あじわいの郷道の駅へ

2009年03月23日 | 2008年日本海側の旅
5月17(土) 快晴 (「城崎大会議館」~京丹後市     「 YURAPIA丹後あじわいの郷道の駅」 )



6時45分、宿の窓から見納めの山陰本線。いつの日にかまた。


8時35分、出発。温泉街の裏の木屋町通りを小さな流れに沿って下っていく。


「まんだら湯」は、わが愛誦する歌人、吉井勇の定宿だったそうである。
「夏はきぬ 相模の海の南風に わが瞳燃ゆ わがこころ燃ゆ」
「わが胸の 鼓のひびきたうたらり たうたうたらり 酔へば楽しき」等々。


また、「芭門十哲」の一人である向井去来の、「湯の山やあけゆく松乃花くもり」の句碑もある。


木漏れ日がさわやか。


むかし懐かし。


温泉客の姿も長閑。


川岸の柳も青々と陽を浴びて、今日も「歩き旅日和」なり。


9時10分、城崎駅の手前を左折し、円山川に沿って下る。そよ風が肌に心地よい。


9時45分、河口に架かる港大橋を渡り、絹巻神社。初詣に五社を巡ると縁起がよいとされている「但馬五社」の一社、とか。


気比方面へ行くと、初夏の日差しを浴びて夫婦で農作業をしている畑もある。老夫婦が働いている姿を眺めていると、こちらが自由気儘に歩いているのがいささか申し訳ないような気にもなってくる。
気比トンネルの先は、両側が水田の中を一直線に道路が走っている。苗が微風にそよぎ、カエルの声が賑やかである。よく聞いていると、カエルの鳴き声も様々で、「銀の笛」と形容されるような高く澄んだピッコロのような声もあれば、チューバのような低い音色もある。


このあたりは畑や田圃を鉄線のようなもので仕切ってあるところも多いが、動物対策だろうか。
10時35分、左折し久美浜方面に向かう。
11時20分、三原峠。ここで兵庫県に別れを告げ、


京都府、京丹後市に入る。9県目なり。


ウツギ(卯の花)が満開で、新緑の林の中では、ホトトギスがしきりに「テッペンカケタカ」「テッペンカケタカ」と啼いている。
「卯の花の におう垣根に、ほととぎす はやも来鳴きて、忍び音 もらす、夏は 来ぬ」
と歌いながら歩く。


京都とはいえ、丹後は山深く緑濃きところである。
車の往来もほとんどなく、九十九折れの道をひとりのんびりと久美浜方面に下っていく。


12時ちょうど、波がおだやかに打ち寄せる久美浜湾に着く。


モーターボートも停泊中。


12時05分、湾岸にある如意寺。


吽形の仁王様。


仁王様の下駄と比較。


歩いているうちに、ふと今日が土曜日であることを思い出す。確認してみると、手持ちの現金の残高は5000円程度。予約した明晩のユースホステル代を差し引くと、今日明日の食事代も心もとない。明日は日曜日、これはぜひとも引き出しておかねば。戻って久美浜郵便局を探しATMで貯金を下ろすが、その間20分ほどのロスタイム。
12時45分~13時、下ろしたお金で、早速コンビニで買い物。菓子パン3個、牛乳。コンビニの前の椅子に座って食事。
となりの椅子に座った女高生二人組と話す。彼女たちは3年生で、来年からは看護士になって大阪と神戸で働く予定なのだそうだ。地元では就職口が少ないので、ほとんどの生徒がそうする、とか。修学旅行で沖縄に行ったこと等々を実に楽しげに語る。鹿児島から北海道に向けて歩いていると言ったら驚いていた。彼女らに激励されて出発。国道178号線を行く。
13時10分、久美浜湾の東にある兜山。


13時15分、北近畿タンゴ鉄道宮津線のディーゼル列車が来たので写真を撮る。


13時55分、遠くに久美浜湾を眺めながら田園地帯を行く。


14時20分、佐濃谷川をわたる。


当初の計画では、この近くにある「葛野浜キャンプ場」泊の予定であったが、陽もまだ高く、天気も上々。「YURAPIA丹後あじわいの郷の道の駅」泊に変更し、さらに進むことにする。
14時45分、「はまなすの招き」という休憩所にて小休止。


鮮やかなピンクの花が咲いている。


15時20分、夕日ヶ浦温泉。案内板に映る我が姿。


そろそろ時間が気になりだすが、先はまだ長い。
15時35分、田植機を運転している女性。


16時35分、傾きつつある日差しに浮かび上がる新緑の木々。


夕日が反射して輝いている水田。


16時50分、山裾を宮津線が迂回していく。


16時55分、網野駅を通過。


網野は、源義経の愛妾である静御前の出生の地。
「 しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」


17時、田圃の中を行く宮津線。


17時05分、今夜と明日に備えて、食料を買う。牛乳、おにぎり2個、食パン、パンの耳揚げ。
東の空に満月間近の大きな月が出、日陰は肌寒くなってくる。
18時10分、「YURAPIA丹後あじわいの郷道の駅」の場所を教えてもらった二人の男性と少し話す。一人が、四国巡礼をしたいが具体的にはどのように準備したらいいのかと尋ねてくる。長期にわたるだろうから、まず第一に家族の理解を得ること、次に本やインターネットなどで情報を入手し調査すること、そして何よりも決意を持続させること、など今回の自分の旅の経験をアドバイスした。
18時45分、道の駅到着。職員と交渉して、明朝早く出発するからということで、門前にある案内板の陰の芝生にテントを張らせてもらう。初めのうちこそ迷惑そうに見えた職員だったが、こちらの日焼けした姿とザックを見て、本気だと思ってくれたのだろう、最後には「頑張ってください」と激励される。
テントを設営していると、先ほどの男性がオートバイでやって来て、中に入れなくて困っているのではないかと思い、職員に話しをつけてやろうと思って来た、と言ってくれる。テントがあるから外でかまわないので、ここで泊まることで話がついたことを述べ、お礼を言い帰っていただく。土地の人の親切を本当に有難く思った。

経費  9,000円     累計  139,229円
歩数  58,353歩    累計  1,712,896歩
距離  39km       累計  1,106km

(本日の到達地点――京都府に入る)


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徒歩の旅 第36日 豊岡市  城崎大会議館へ

2009年03月21日 | 2008年日本海側の旅
5月16日(金) 晴 (鎧駅~豊岡市・ 「城崎大会議館」)



目を覚ますと、夜空に明けの明星が煌々と輝いている。今日もよい天気になりそうだと思いながら、4時に起床し、朝食、出発準備。
5時20分、一晩お世話になったホームの小さな待合室に別れを告げ、鎧駅を出発。


5時40分、だらだらとした坂を上り返して、バス停の分岐にて小休止。
178号線を行き、三田トンネル(275メートル)、虫尾トンネル(230メートル)と抜け、
6時10分、香住下浜へ。今日も海は穏やかだ。


6時35分、矢田川にかかる橋の手前で、ちょうど山陰本線の上り通過時刻と重なり、橋梁を行くディーゼル列車の写真を撮る。


香住駅に続く道を越え、
6時50分、今子浦キャンプ場方面への分岐を左折。
7時25分、「城崎 30km」の道標がある。今日の宿泊予定地なり。


道路は一般道のため歩きやすいのだが、昨日同様の羊腸の如し。そしてアップダウンである。
7時35分、今子浦ファミリーキャンプ場という、広くて立派なオートキャンプ場で小休止。
かえる島。本当にかえるが向こうむきになっている姿にそっくりだ。


8時05分、沖浦の港。一仕事終えて停泊中のイカ釣り船。


8時15分、柴山駅を通過。
8時50分、佐津駅通過。田園風景の中、佐津川の橋梁を渡り中山トンネルに消えていく山陰本線の写真を撮る。


柴山トンネル(245メートル)を抜け、
9時10分~20分、佐津海水浴場を見下ろす展望台で食事休憩。
木々の間から見える海水浴場の水は、深く澄みわたって、例えようもない美しさだ。砂浜も白く輝くばかり。何と形容したらよいか、自分の語彙の貧困さを痛感する。旅から帰ってこの景色のすばらしさ、海の色の美しさを、自分の口から説明するのは困難だろう。デジカメを持ってきてよかった。






さらに目を転じると、入り江の右側はリアス式海岸の景色。




小さな上りの後、海に向かい緩やかに下って行くと、
10時40分、再び展望のよい場所に出る。


向こう側の入り江は切浜海水浴場。


10時50分、香美町から、


豊岡市に入る。


浜須井海水浴場を通過。暑さに喉が渇きペットボトル買う。
11時、天然記念物の「ハサカリ岩」を通過する。この珍しい形は、ロッククライミングでいうところの「チョックストーン」である。


「ハサカリ岩」の解説。


11時15分、竹野海岸を通って、眼下に水田や集落を眺めつつ下る。


海岸線から分かれ内陸部に入っていく。分岐を右に竹野川に沿って行くと、道はジグザグの上りになり、
12時20分、鋳物師戻(いもじもどし)峠という珍しい名前の峠につく。


そのいわれは、「その昔、京の鋳物師がこの峠で大地震に出合い頭上の大岩が揺れるのを見て恐ろしくなり、後戻りに逃げ帰ったという話によるとつたえられている」とのこと。
峠の先の鋳物師戻トンネル(280メートル)を過ぎる頃、気温20℃の表示あり。


なるほど路上にはいくつも落石が転がっている。頭上に注意しながら慎重に下っていく。
12時50分、路傍に志賀直哉の小説『城崎にて』のゆかりの桑の木。


13時~20分、山陰本線を跨ぐ橋の上。今日の行程もおおよそ目鼻がつき、時間に余裕がありそうなので、下を通過するディーゼル列車上下線の写真を撮る。
上り普通豊岡行き。




下り普通浜坂行き。




今日は随分と山陰本線の写真を撮ったが、下関から付き合ってきた山陰本線とももうすぐお別れである。
13時50分、今夜の宿泊地の「城崎大会議館」に到着。


まだチェックインの時間には早いので、受付に荷を預かってもらい、「城崎文芸館」に向かう。入場料は宿から貰った50円割引券を使い、350円。






志賀直哉や有島武郎を中心にした白樺派の作家や、島崎藤村、柳田国男、斉藤茂吉ら城崎を訪れた文人墨客の展示を見る。とりわけ与謝野晶子の自筆原稿が、男性的ではっきりとした筆跡であったのが印象的であった。
その後温泉街をまわる。城崎温泉の起源は平安時代だそうだ。
桂小五郎(木戸孝允)が潜伏していた宿などもあり、たしかに歴史を感じさせる。「木戸松菊」とは桂小五郎の変名。


時間調整も兼ねて、温泉街をのんびり眺めながら、写真を撮りつつ散策。


もう柳の葉がこんなに茂っていたのか、と思う。


季節の移り変わりは早い。


温泉街の真ん中にある「一の湯」。


昔風の造りの温泉宿。


路地の奥にもまた温泉宿。


15時30分、再び城崎大会議館に戻る。
宿の夕食は、当然ながら前の晩の粗食とは雲泥の差。紫黒米のちらし、吸い物、刺身、天ぷら、すき焼き、焼き魚、白あえ、えびと貝のサラダ、そば巻き、漬物、茶碗蒸し、デザートにチーズケーキ、と実に豪勢である。全て平らげたのはもちろんのこと。
食前、食後と、かけ流し温泉にゆったりと浸かって床についた。今日は、佐津の海、山陰本線の写真、城崎散策と、とても充実した一日だった。

経費  470円       累計  130,229円
歩数  50,346歩     累計  1,654,543歩
距離  32km       累計  1,067km

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徒歩の旅 第35日 香美町  鎧駅へ

2009年03月19日 | 2008年日本海側の旅
5月15日(木) 晴 (「諸寄荘ユースホステル」~香美町・JR鎧駅)



8時30分、出発。昨日自動車に乗せてもらった地点まで行き、そこから歩数をカウントする。
諸寄海水浴場にある近畿自然歩道の案内板。


8時55分、昨年貫通したばかりの、新しくて広い歩道のある塩谷トンネル(219メートル)と、城山トンネル(549メートル)を続けて抜け、旧浜坂町に入る。合併により、今は新温泉町というなんとも無粋な名前になってしまっている。
9時10分~9時50分、マリンポーチという施設の横にある公園へ。昨夜洗ったものの半乾きだったタオル、靴下などを日光に当てて干しながら、スーパー開店までの時間調整を兼ねて休憩。
すぐそばの浜坂漁港にはイカ釣り船が停泊している。ホタルイカといえば富山県が有名だが、浜坂港はホタルイカの水揚量が日本一の漁港である。また、松葉ガニの水揚量も日本一。


近畿自然歩道の兵庫日本海側は、「但馬コースタルロード」とも呼ばれている。


遠浅の海水浴場のサンビーチもシーズンオフのため静か。


10時、新田次郎の文学碑には、加藤文太郎の伝記である『孤高の人』からの一節が刻まれてある。浜坂は、単独行で有名な登山家加藤文太郎の出身地。
「……
 観音山のいただきには寺があった。
そこから彼は、彼の故郷浜坂をしみじみと眺めおろした。
 眼下に岸田川が流れていた。
……」、と。


10時20分、大きな旗のような暖簾がかかったJR浜坂駅前を通過。


ここでちょっとした錯覚におそわれる。トンネルを抜けた後、山陰本線の線路を渡ったわけではないのに、この先が北口商店街という表示がある。今いる賑やかなところが南口の商店街として、この先で線路をわたるわけでもなさそうだし、本当に北口商店街があるのだろうか。おかしいなと思いながらも指示に従って歩いていて、ふと気づいた。自分が今いるこの賑やかなところが北口商店街の側なのだと。というのも、太平洋に面した街に住んでいると、自然と繁華な方が南側だと思い込んでしまうが、日本海側の街では概ね北側に漁港があり、当然北側が商店街などのある繁華街になるわけである。自分が今、日本海側を旅しているのだということを再確認した一場面であった。
10時20分~10時50分、スーパーにて今日の駅寝用食料その他の買い物。食パン、牛乳、オールレーズン、ミニトマト、から揚げ、煮豆、チキンラーメン、柿ピー、レトルトカレー、ビタミンC飴、コーヒー飴、バンドエイド、テーピング。牛乳だけ店頭で飲んで、すぐに出発。
11時05分、岸田川をわたる。


11時25分~50分、川の先の公園で食事休憩。ミニトマトをほおばりつつ、買ってきた食パンにから揚げや煮豆をはさんで、景色を眺めつつのんびりと食べる。
空は晴れわたり、水田に向こう側の小高い山が映って長閑である。あの山が観音山だろうか。ユキヤナギの花も満開だ。


食後は田植えをしている人の写真を撮りつつ178号線を進む。


12時05分、久斗橋先の交差点でしばし思案。今日は時間の余裕があるはずだと考え、海沿いの道を行くことに方針を転換。左折して山陰本線を越え、日本海を目指して行く。
50分ほど上り気味に行き、
12時55分、三尾(みお)トンネル(281メートル)をくぐって行くと、真っ青な海に緑の大島が浮かんでいるのが見える。


眼下に三尾漁港。なんとも夢のような海の色である。


13時10分、急な坂を下って三尾漁港に着く。バスの終点であり、車道はここまで。この先は「御火浦(みかのうら)漁火のみち」の遊歩道にかわる。今日もまた羊腸の小径のアップダウンを繰り返していくことになる。


13時分15、御火之浦の展望台へ。




大島をズーミング。


後鳥羽上皇の、「想いやれ憂き身を御火の浦風に泣く泣く絞る袖のしずくを」という歌碑がある。承久の変に敗れた後鳥羽上皇が隠岐に流される途中にここで詠んだ歌。


13時25分、遊歩道をしばらく行ったところで、「方面崩壊のため通行止め」の表示に出くわす。
これでは戻るしかないかと考えていると、ちょうど民家から出てきたおじいさんがおり、尋ねると行かれると言う。
判然とはしないものの、一応行って様子を見ることにする。
しばらく坂道を上っていくと大きな岩が半分ほど道をふさいでいる。これのことを指していたのだと了解。注意深く脇を通過する。
13時50分、「不老の水」という湧き水があり飲む。実に美味し。海側を見れば、嘴のような鋸岬。


14時10分、リアス式海岸を洗う白い波。


14時15分、新温泉町から香美(かみ)町に入る。
14時50分、最高地点を通過。伊笹岬が海に突き出ている。木々の間から、遠くに白亜の余部崎(あまるべざき)灯台、通称「御崎の灯台」が見える。


15時、灯台着。余部崎灯台は、「日本一高い場所にある灯台」という説明板があり、海面から光点まで284メートルもある。


灯台の下で、海を見ながら、鳥取砂丘の近くに住んでいるという老夫婦と話す。時々ここへ来るが、最近は黄砂がひどいので、春に海がこんなにきれいに見えるのは久しぶり、とのこと。歩き旅をしていると言うと、激励され、冷たい缶コーヒーをいただく。


その先の道はやや下り気味になり、さらにどんどん下っていく。
15時30分、平家伝承の里である御崎を通過。石垣に、「ミサキ ヘイケノサト」と花で書いてある。壇の浦の戦いで破れた平家残党が、命からがら流れ着き住み着いたと伝えられている。


16時、展望がきく地点で香住海岸線を振り返る。


右手がこれから向かう餘部(あまるべ)鉄橋方面。


16時20分、遠くに赤い餘部鉄橋が見えてくる。山陰本線が通る時刻かなと思って時刻表を見ていると、ちょうどやって来た。


鉄橋上を通過していくところを写真に撮る。


餘部鉄橋は高さ41メール、長さ309メールで、天空に聳え立っている。現在架け替え工事中で、残念ながら2011年にコンクリート橋に引き継がれることになっている。


香住地区の観光案内図。


鉄橋の真下を通り、「さようなら余部鉄橋 ありがとう余部鉄橋 香美町」というゲートをくぐっていく。


16時50分、日が傾きつつある。夕刻の水田を見ながら行く。


17時10分、バス停の分岐。左折して無人駅の鎧(よろい)駅方面に向かう。
坂道を大きく蛇行して下っていき、
17時40分、鎧駅着。1番線ホームの待合室が小さいながらもきれいで、しかも今年の3月15日からすべての列車が2番線ホームで発着するとの張り紙もある。どうやら今は使用しされていないようだ。今夜はここで寝かせてもらうことにする。駅は鎧港を見下ろす高台にある。


19時30分頃、すべての支度を終えて寝る体制が整った頃、漁港方面を見下ろすと、暮れゆく海上に漁火が灯りとてもきれいであった。


経費  2,188円     累計  129,759円
歩数  44,418歩    累計  1,604,197歩
距離  27km       累計  1,035km


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徒歩の旅 第34日 新温泉町 諸寄荘ユースへ

2009年03月17日 | 2008年日本海側の旅
5月14日(水) 晴一時雨 (「柳茶屋キャンプ場」~新温泉町 「諸寄荘ユースホステル」)



昨夜からの雨が上がり、一時テントに陽が当たるが、まだ時々名残り雨。今日の予定は諸寄(もろよせ)のユースまで、30キロ程度なので気楽である――などと思えるまでになった。足を引きずりながら九州を歩いていた頃には想像できなかったことだ。と言っても、まだ「日々旅にして、旅を栖とす」といった境地にまでは至らないが……。
朝食後、昨日の自転車青年の友人が、テントに訪ねて来たので少し話をする。彼は36歳で、冬場は杜氏として働き、それ以外の季節は自由にさすらうという生活。自転車でニュージーランド縦断やカナダの横断の経験があると言う。日本の沿岸一周、四国八十八ヶ所等も自転車で走っているとか。百名山にも挑戦中で、今年は南アルプスに行ってみたいとのことである。彼は所謂「就職氷河期」の世代だろうが、企業人間とは異なった視点からの独自のものの見方が、痛快で面白かった。こちらも、数年前に南アルプスを縦走した時の経験談などをする。
7時15分、徐々に空が晴れてくる中を出発。
キャンプ場から少し下ったところに大きな岩の歌碑がある。


有島武郎の「濱坂の遠き砂丘の中にして侘びしき我を見出でつるかな」の歌と、


与謝野晶子の「沙丘踏みさびしき夢に与かれるわれと覚えて涙流るる」の歌が刻まれている。知らなかったが、二人の間には「秘められた愛」があったとのこと。


7時25分、空は晴れて、青空の下の鳥取市街を見下ろしつつ坂道を下る。


7時35分、コンビニで牛乳、おにぎりを買い食事。
319号線を砂丘づたいに行こうと思ったが、道を間違えて10分ほどロス。結局、国道9号線の鳥取バイパスを行くことになる。しばらくは歩道がなく、しかたがないので自転車用の白線内を歩くがいやな感じである。
8時50分、覚寺トンネル(815メートル)、湯山トンネル(1000メートル)とやや長いトンネルを続けて抜ける。
9時50分、このあたりは本当に新緑が鮮やかである。「緑滴る」といった風情。


ここでも水田からは蛙の、周囲の木々からは鶯の鳴き声がしきりである。
10時、駟馳山(しちやま)峠を越え、鳥取市をあとに、


岩美町へ入る。岩美町は鳥取市との合併を拒否したらしい。    


10時10分、峠を下ってくると、ジオラマのように、眼下には大谷の畑と遠く日本海が望まれる。


薄いピンク色のウツギの花が咲いている。


10時20分~11時10分、大岩駅そばの公園で大休止。ビスケットとカロリーメイトを食べながら、テントや雨具を干す。初夏の風はさわやか、陽射しはのどか。
11時40分、新井交差点を左折して国道9号線から離れ、岩美駅を経て海の方へ向かう。今日は時間もあるので、海沿いの道をたどることにする。
12時10分、浦富(うらどめ)海岸に出て178号線の近畿自然歩道を行く。
国民宿舎いわみ荘は閉鎖されていた。
12時15分、今はシーズンオフなので牧谷海水浴場には誰もいない。途中の島々や岩と松の写真を撮りつつ歩く。海は穏やかで、青く美しい。白い砂浜が続いている。
浜辺に突き出た岩がある。


浜辺あり、岩場ありで面白そうな海水浴場。


遠浅の浜はきれい。




12時35分、隣は東浜海水浴場。こちらの浜辺もきれいだ。


弓なりの入り江が空の青さを映して紺碧に。


13時、くねくねと曲がりくねった道を上って行く。振り返ると通ってきた浜辺が足元に。空には雲が出てくる。


13時35分、鳥取県と別れ、


兵庫県新温泉町に入る。8県目なり。


「但馬漁火ライン」と名づけられた道路が海岸線に沿って続いている。曲がりくねった道は、足元に打ち寄せる波を見ながら、さらにアップダウンしつつ続く。
空模様が急変し、雨が降り出したので、ちょうどあった峠の四阿で15分ほど雨宿り。
14時05分、さらに居組(いぐみ)港方面をめざして、羊腸のごとき道を行く。


14時25分、居組港を通過。


漁港の隣は砂浜。


但馬海岸案内図。兵庫県の日本海側全図である。今日、明日と、ほぼ海に沿った道を竹野海岸までいくことにしている。


14時50分、沖に浮かぶ奇岩の群れ。自然の造形の不思議さ、そして見事さ。


透明な海水が印象的。


奇岩はさらに続く。


15時15分、下って、諸寄トンネル(418メートル)を抜けると諸寄港。目的地の宿は近い。
途中の歩道で出会った女性に、諸寄荘ユースホステルの場所を聞くと丁寧に教えてくれた。その際に、この近くにはユースが2つあって(諸寄荘ユースホステルと浜坂ユースホステル)、自分が行こうとしているのは諸寄のユースだと言って念を押したのだが、彼女は間違いないと言う。そこで、ちょっと納得しがたかったのだが、ひとまず言われたとおりに歩いて行く。
しばらく歩いていると先ほどの女性が今度は自動車で通り、間違えて教えてしまったので諸寄のユースまで車に乗せてくれると言う。歩き旅をしているからと説明してお断りしたが、彼女は間違って教えたことを気にしてか、どうしても車で送って行くから乗るようにと言う。結局断りきれず、明日ここから再び歩くことにして、ご親切に甘えることにした。自動車に乗るのは、4月9日に広島のユースに泊まった翌朝、広島駅までバスに乗って以来だ。
15時50分、車を諸寄荘ユースホステルに横づけしてもらい到着。ユースには、Bさんからの伝言のメモがあり、宿のご主人が手渡してくれた。昨晩はここに泊まり先行しているとのこと。夕食後に電話すると、今日は香住町の民宿に泊まっているという声が返ってきた。夕食のメニューは、刺身、カレイのから揚げ、天ぷら、イカの煮付け、香の物とリッチだ。「諸寄」という名前は、きっと、在りとあらゆる諸々の海の幸が寄せてくる豊かな浜、という意味だろうと思った。

(本日の到達地点――兵庫県に入る)


経費  4,330円      累計  127,571円
歩数  47,732歩    累計  1,559,779歩
距離  31km       累計  1,008km(1,000キロ突破!)

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徒歩の旅 第33日 鳥取市  柳茶屋キャンプ場へ

2009年03月15日 | 2008年日本海側の旅
5月13日(火) 曇時々雨 (「道の駅大栄」~鳥取市・「柳茶屋キャンプ場」)



4時40分、出発。今日も約45キロの長丁場。天気予報は雨で雷も、と告げている。ダメなら途中の白兎海岸にある道の駅あたりまででもいいかなと、ちょっと弱気。ほぼ真っ直ぐな国道9号線を、朝焼けの空の中に林立する風車を見つつ行く。天気の下り坂を予想させる。


昨日とはうって変わって、風は穏やかで風車は止まっている。大型トラックのヘッドライトが時々行き交う。


5時15分、日の出。朝日が眩しい。


5時30分頃、「道の駅北条公園」をそれと気づかずに通過してしまい、後から道路標識で知る。というのも、道路の右側の歩道を歩いていると、背の高さほどの防風林が遮蔽してしまい、反対側が見えないのだ。さらに、時々は歩道のさらに右側にある農道が歩きよさそうなので、そこを通ったりもしたくなる。
6時30分、天神川を渡るころには雲が広がってくる。


新天神橋をわたると、湯梨浜(ゆりはま)町に入る。


6時45分、はわいインターチェンジの先は歩行者通行止め。左折して海岸通りをいくことになる。


7時05分、「ハワイ海水浴場」などという名の浜辺もある。この頃まではまだ天気も晴れたり曇ったりで、日本海を見ながら歩く。


7時40分、宇野海岸の「亀石」に打ち寄せる荒波。


「亀石」の由来。


湯梨浜町の案内図がある。


8時30分、伯東インターチェンジ入口を過ぎると山陰本線の泊駅。見上げると「潮風の丘とまり」の風車がある。ここは1基で、今日は止まっている。
9時10分、雨が降り出し、雨具とザックカバーを着用。デジカメはザックの中とあいなる。
9時20分、鳥取市に入る。
10時、休憩してビスケット、カルパス、レモンで食事。
10時20分、青谷海水浴場では、雨の中、サーファーたちが大勢で波と戯れている。
白く幾重にも波立つ荒れた日本海を見つつ坂を上り、
10時45分、「魚見台」を通過。晴れていれば絶好の展望台だろうに残念。


11時15分、コンビニで、おにぎり2個、野菜ジュースを買って、食事。
12時10分、再び陽が射してきたので、休憩してテント、雨具などを乾かす。
短いトンネルを4つ通って、
13時05分~20分、白兎海岸にある「道の駅神話の里白うさぎ」で小休止。因幡の白兎の話で有名なところである。一休みして、舞鶴から来たという2人連れの若い女性の自転車旅行者と話。屋久島まで行く予定とか。こちらへ来る途中で、Bさんらしき人に出会わなかったかと聞いたが、気づかなかったとの答え。
今夜のテント泊に備えて、食料を補充する。牛乳、食パン、マヨネーズ。
雨が止み、時々陽のさす中を歩く。
13時55分、末恒駅入口を通過して鳥取バイパスへ。左手に鳥取空港を眺めつつ、市街地に入り広い道を行く。
15時05分、南バイパス交差点。千代川にかかる鳥取大橋を渡り、秋里交差点でキャンプ場の位置を確認する。その後3人ほどに聞きつつ、自転車道路の坂をくねくねと上っていくと、
16時10分、「鳥取砂丘こどもの国」に隣接する柳茶屋キャンプ場に到着。
松林の中のテントサイトで、適地を探していると、「おっちゃーん」と声がする。見ると、炊事棟の屋根の下で、10日ほど前に浜田市の近くで会った自転車の青年が「一期一会」の旗を振りながら合図している。彼も友人とここでキャンプとのこと。再会を祝して握手。


その後受付に行く。幕営無料。管理人さんが、ぜひ砂丘に行ってくるといいと薦める。砂丘見物は明朝のつもりでいたのだが、それではと松林を抜けて、砂丘を見に行く。実に広い。東西16キロ、南北2.4キロということだ。


誰もいない砂丘を、写真を撮りつつ、上り下りして海に近い方まで歩いて見る。


10万年のいとなみ。


所々に風紋が鮮やかである。天然の造形なり。


彼方の小高い丘まで行って見ようと思ったが、時間的に無理。引き返そうとすると、今度は元来たところがどこなのか迷ってしまう。
なんとかテントの場所まで戻り、自転車青年とその友人としばらく話をして今日の行程を終了する。友人は、15キロの重さのザックを背負って45キロ以上を歩いてきたことに驚いていた。

(本日の到達地点)


経費  854円     累計  123,241円
歩数  73,298歩    累計  1,512,047歩
距離  48km    累計  977km

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徒歩の旅 第32日 北栄町  道の駅大栄へ

2009年03月13日 | 2008年日本海側の旅
5月12日(月) 快晴 (「ビジネス・インよなご」~北栄町・「道の駅大栄」)



6時、出発。早朝の静かな市街地を行く。
6時30分、右折する国道9号線から離れてそのまま直進し、皆生街道を日本海の美保湾方面に向かう。はじめは爽やかで穏やかな晴天と思いきや、
7時05分、皆生大橋を渡ってからは、今日もまた強い向かい風に抗して歩くことになる。


日野川にかかる橋の上から正面に見える大山へは、北側から雲が押し寄せて来ている。


日野川上流方面。


下流方面はすぐに日本海に注いでいる。


7時35分、再び9号線に合流し、右手前方遠くに見える大山の写真を撮りつつ歩く。




8時30分、日本海は空を映して真っ青で、遠く島根半島の美保神社方面までよく見える。


空の青と海の青とは、一言で同じ青といっても 随分と違う。海の青は深い青である。青色の呼び名も、浅葱、縹、群青、藍、紺など思いつくが、もっともっとたくさんあるのだろう。


8時35分、淀江港を通過し、大山町に入る。気温16度の表示がある。


9時05分、遠くに風車が林立しているのが見える。強風を受けて風車がぐんぐん回っている。


田園地帯を行く。


真下で見る風車は大きい。自動車が玩具のようだ。


さらに風車を目指して歩く。


10時00分、バス停にてパン、レモン、カルパスで食事。
大山をバックに、道路の右隣を走る山陰本線の写真を撮る。


10時20分、大山は徐々に後方に見えるようになる。


名和駅、御来屋(みくりや)駅と過ぎて、12時頃、気温17度の表示を見る。このころから大山に薄い雲がかかり始める。
12時45分、はまなすパーキングエリアにて小休止。
13時20分、大山町を後にして琴浦町に入る。




13時35分、勝田川河口。白い波がうち寄せている。


13時45分、周辺案内図がある。予定では「お台場公園キャンプ場」泊なのだが、寒さに負けて弱気になり、今日の泊まりはどこにしようかなどと考えはじめる。


13時50分、コンビニにて牛乳、おにぎり2個を買い食事。寒くておちおち食べていられず、早々にまた歩き始める。
14時40分~15時05分、「ポート赤崎」道の駅。隣に「日韓友好交流公園」がある。外の芝生には風除けの植生があるものの、やはりこの強風でテント泊はちょっと困難だろうと判断。建物の方も、「8時から18時」開設の掲示があり夜間は閉鎖らしく、休憩所での宿泊も無理のようである。
16時、北栄町に入る。大山はもう右手はるか後方になっている。


16時25分、途中の砂地の畑で、スプリンクラーを回して水を撒いているので、そばで作業していた男性に何を作っているのか尋ねると、長芋とのこと。


16時50分、「道の駅大栄」に到着。今日は「お台場公園」でキャンプの予定だったが、風が強く、キャンプ場の入口は道の駅の裏側にあったものの、なにやら道の駅の中で泊まれそうなので、こちらに決定。売店でトマトを買う。
夕食後、休憩所の床にシート・銀マットを敷いて寝ていると、外で風がごうごうと鳴り響き、あたかも建物全体を揺るがすかの勢いだった。

経費  625円     累計   122,387円
歩数  66,501歩    累計  1,438,749歩
距離  46km    累計    929km

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徒歩の旅 第31日 米子市  ビジネス・インよなごへ

2009年03月11日 | 2008年日本海側の旅
5月11日(日) 雨のち晴 (「松江レークサイドユース」~米子市 「ビジネス・インよなご」)



休養日を2日とったが、今日からまた本格的に徒歩の旅の開始である。Bさんはどれくらい先行しているのか、気になるところ。
早朝、ユースの窓から宍道湖と青空が見える。


これは幸先よいと思ったが、出発の支度をしていたら、急に雨。
8時10分、予報は天気回復とあり、雨具着用で出発する。
宍道湖湖北自転車道を行き、雨が小降りになってくる中を、早苗の写真を撮ったりしつつ歩く。ユースのオーナーの話では、このあたりは早場米の米どころとのこと。なるほど苗の生育がよい。


油断して途中で道に迷い、小さな坂を越える。ようやく昨日バスで通った記憶のある道路に出て一安心。
9時15分、湖に沿った国道431号線に出たので、湖岸の遊歩道を行く。
小泉八雲のレリーフ。
「神々の国の首都 松江 
私も方々へ巡礼の旅をしなければならない。この市をぐるっととりまいて、みずうみのかなた、山々のあなたに、いつからともなく古い神聖な場所があるから。」と刻まれている。


耳なし芳一の像などを見つつ行く。


9時30分、宍道湖大橋が近づく。高層ビルは、松江市で一番高い山陰合同銀行ビル。


9時40分、宍道湖大橋を渡る。


このころから再び青空が見えてくるが、風が強く寒い。


きのう乗った「松江レイクラインバス」が走っている。


9時50分、松江駅を通過して、
10時、松江中央郵便局で母と自宅宛のお土産のエクスパックを出す。
10時10分、山陰道の国道9号線に合流。
しばらくJR山陰本線と並行して歩く。
10時55分、宍道湖と中海をつなぐ大橋川の彼方に中海大橋が見える。橋の向こう側が中海。


大橋川に浮かぶ塩楯島と右に山陰本線。


塩楯島の手間天神社の鳥居が見える。舟でわたってお参りするのかな。


中海大橋が近づく。空はだいぶ晴れてきたが、風強く雲の動きが早い。


11時25分、中海大橋を通過し、そのまま国道を離れて中海に沿って写真を撮りながら行ったところ、工業団地の中に迷い込んでしまう。
引き返し、20分ほどロス。
12時10分、揖屋(いや)駅手前のコンビニで牛乳を買い、きのう買っておいたメンチカツ、ウインナーで昼食。
12時40分、再び国道9号線に合流。
13時30分、水田の向こう側は中海。中海は日本で5番目に大きい湖で、汽水湖。


13時40分、東出雲町をあとに、安来市に入る。空はもうほとんど青空になり、綿のような雲が浮かんでいるが、相変わらず風が強い。






14時、「どじょう掬い」の安来節演芸館への案内。


荒島駅を過ぎたあたりで、雲に蔽われてぼんやりながらも、ちょっと大山が見える。


14時30分、飯梨川をわたる。前方に大山。


飯梨川はきれいな川床。


その後はずっと大山を眺めながら黙々と寒い向かい風に抗して歩く。
15時05分、安来駅で小休止。予定では、今日の宿泊はこの近くの十神山なぎさ公園のキャンプ場だったが、強風と寒さを考慮してキャンプは取り止め。むしろ、この間の2日の連泊による遅れを挽回すべく、また明日の行程をも考えて、行けるだけ行こうと決める。
15時50分、大山上空も雲が取れ美しい姿を現す。


16時20分~35分、公衆電話で米子駅周辺の宿探し。米子駅前のビジネスホテルに決定。
16時45、吉佐を通ぎ、島根県を後にして、鳥取県米子市に入る。7県目。




県境。


16時50分、中海に太陽が反射して輝き、とてもきれいなので写真を撮る。


米子駅に向かい、駅周辺を電話で聞いたとおりに探しつつ行くと、駅前の大きなホテル群の中に、小さな「ビジネス・インよなご」がある。


17時20分、到着。受付を済ませ、女性オーナーに教えてもらった近くのスーパーで買い物。素泊まりなので、ヨーグルト、ビスケット、コールスロー、パイナップル、レモン、バナナ、カルパス、甘露飴、氷砂糖など仕入れる。オーナーは感じのよい人で親切、また風呂などにも「安い料金を維持したいので、出しっぱなしはしないようにお願いします」と貼ってあったりした。大型連休の暖かさが嘘のような寒い一日だったので、熱い風呂が有難い。宿泊代は素泊まりで消費税こみ2625円。本当に安い宿でした。

経費  4,149円     累計  121,762円
歩数  58,392歩    累計  1,372,248歩
距離  40km       累計  883km


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徒歩の旅 第30日 松江 連泊

2009年03月09日 | 2008年日本海側の旅
5月10日(土) 曇のち雨 (「松江レークサイドユースホステル」連泊)

九州以来の足首の痛みもほとんどとれて、あとは転倒や捻挫に気をつけながら歩けばよいだろうというところまで回復し、歩く意欲は十分なのだが、行きがかり上、今日も「休養日」。
朝食後、9時08分のバスにて、自宅からの局留め郵便物の回収、買い物、市内見物などのために松江市街に行く。
9時35分、先ずはじめに松江城を見ることにする。
城の傍に「なんじゃもんじゃ」の木が真っ白な花をつけている。「なんじゃもんじゃ」の木といえば、山崎方代さんの、
「生れは甲州 鶯宿峠に立っている なんじゃもんじゃの股からですよ」という短歌を思い出す。


熊本城と同じく、ここも開府400年祭という。堀尾吉晴のよる築城開始の1607年から完成の1611年までを記念しての、5年間のイベントだそうである。




松江城は、やや小ぶりの黒い城で、江戸時代以前の天守閣が現存する12の城のうちの一つとのこと。山陰地方ではこの城だけである。


天守閣の案内が、日本語、英語、ハングル、中国語で書かれていて国際的なり。


千鳥が羽をひろげたような三角形の破風屋根の形から別名「千鳥城」という。小さいながらも風格を備えたキリッとした印象を与えている。








天守閣へ上ってみたかったが、雨が近づいている気配があり、まずは松江郵便局で用件を果たさなければならずと考え、断念。
城の隣の松江神社。


心を落ち着かせる堀の水のたたずまい。


松江城下の案内図。


10時10分、京橋川をわたり、東茶屋町の「町屋造り」の家屋を見る。松江は「山陰の小京都」とも言われ、古くからの町並みが保存されている。




10時25分、宍道湖大橋を渡り、白潟公園。このころ雨が降り出す。


有名な「夕日スポット」も今日は厚い雲の下。


松江中央郵便局に着くころには雨は本降りになる。局留め郵便物はすぐに判明して回収。郵便物の留め置き期間は10日間。エクスパックを2つ買う。
その後、サティへ買い物に。週末で賑わっている。
まず追加の着替え用Tシャツを買い、食料品売り場で、牛乳、いなりずし、チキンフライ、ウインナー、カルパス、コロッケとメンチカツ、缶コーヒー、を買う。休憩コーナーで、いなりずし、チキンフライ、牛乳、缶コーヒーを食べ昼食。
松江駅に回り、母と自宅へ送るため、お土産品コーナーで名物の「どじょう掬いまんじゅう」を2箱買う。昔、フランス人が出てくる「どじょう掬いまんじゅう」のCMがあったのを思い出す。そう言えば、フランス語で「私は食べます。」は「Je manje.」(ジュ マンジュ)だったっけ、かな?
午後は、時間があるものの雨のため動き回ることも出来ず。
12時40分、松江レイクラインバスという観光バスで市内を回った。赤いレトロ調の観光バス兼市内周遊バスで、料金は200円。


駅前を出発し、松江城、堀川の遊覧船、小泉八雲記念館、宍道湖大橋などを回り、約50分で一周する。


その後、14時25分のバスにてユースに戻る。
夕刻、同宿者のEさんと雑談。彼は僕と同年配で、自動車で日本一周中。日本百名山はやってしまったから次は日本一周と決め、できる限り海岸線に沿って走っているとのこと。道が悪いところや、たまには行き止まりで戻らなくてはならなくなったりもする、などという話を面白く聞く。気さくな感じの人で、「実は1箇所ずるをしていて、天草で島を回らずに橋を渡ってしまったよ」と打ち明けられた。彼の道路地図帳で一緒に今後の道の駅の調査をしたり、情報を教えてもらったりして、なごやかに過ごす。

経費  6,682円     累計  117,613円
歩数  13,788歩    累計には加えず
距離  0km        累計には加えず


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徒歩の旅 第29日 松江市  松江レークサイドユースへ

2009年03月07日 | 2008年日本海側の旅
5月9日(金) 曇、風強し (「出雲ゑびす屋ユース」~松江市 「松江レークサイドユースホステル」)



ゆっくり朝食をとって出発。
8時05分、ユースの奥さんがいつまでも見送ってくれる。空は、「八雲たつ出雲」の通りの曇り空で、空気は肌寒い。勢溜を経て、県立出雲古代博物館の前を通り、国道431号線を行く。
8時20分、「天平古道」という案内板がある。説明によると、北側の山々と国道431号線との間にあり、「古くからの山地の生活道であり、駄賃馬が町に炭を運び、帰りに塩や海産物を運んだ道でもありましょう」とある。今回は無理だが、いつか機会があれば歩いてみたい。


8時40分、島根ワイナリー通過。城福寺ユースで一緒になった男性に、出雲を通るなら寄って試飲して行きなよ、と言われていたが、未だ開いていなかった。それに、心中秘めるところもあったし。


八重桜はとっくに散ってしまい、ツツジもよく見るとだいぶ枯れた花びらが目立つ。アヤメの類も然りである。田圃には水が張られて、早苗が風に揺れているところも多い。


季節が着実に移り変わりつつある。歩き始めて今日で29日目、全行程の約三分の一が過ぎたことになるが、宗谷岬まではまだまだ先が長い。
9時20分、右手やや遠くに出雲ドームの白い屋根が見えるあたりで、二つ目の「天平古道」の案内板。


10時30分、道端に石積みの塔のごときものが祀られてあり、その傍を通る。説明を読むと「この古式宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、古来から地方の人達が『御所さん』と呼んであがめ敬っている。往古、この地方が『林木の荘』といって藤原氏(九條家)の荘園であった頃、やんごとなきお姫様(一説には村上天皇の孫阿野姫 九八六~一○五四年 の墓であるという)」と書いてある。どういういきさつなのだろうか。


さらに水田の早苗を見ながら歩く。


このあたりでは、食べる物を買おうと思っても、431号線にはここまでコンビニはないし、昔の万屋の如き、酒・タバコ・食料品・日用品と書かれてある「・・・商店」は、どこもシャッターが閉まっている。この地の人たちは、食料品などはどのようにして購入しているのだろうか。自動車で郊外のスーパーのようなところで一括購入するとしたら、高齢になって運転がままならなくなったらどうするのだろうか、などと考えつつ歩いていたら、
11時、雲州平田の町に入って、ようやくコンビニを発見。牛乳、おにぎり2個、スティックパンを買う。
11時35分、ギターを背負って自転車に乗った青年に出会う。彼は、小田原から日本一周をめざしているとのこと。こちらも川崎に住んでいて、鹿児島から歩いて来たと言うと感激していた。同じ神奈川県人同士でしばらく話をし、お互いに目的達成まで頑張ろうと握手をして別れた。
11時45分、「がんばれ、一畑電車。」という大きな看板がある。故郷電車を廃止させないために利用を呼びかけたもの。一畑電車は、地元では「バタデン」と呼ばれている。


水田の中を行く一畑電車。


12時50分、宍道湖が見えてくる。日本で7番目の広さの湖である。あいにく曇天で、寒々とした茶色っぽい波が打ち寄せている。


13時15分、一畑口駅通過。ここの北側へ行くと、一畑薬師というお寺があり、目の病にご利益があるといわれている。4年前の8月、白馬鑓の雪渓で転倒し網膜はく離になった身としては、お参りして今後のためにお願いを……とも思ったが、やや距離があるので残念ながら先を急ぐ。
13時45分、湖岸を走る青い一畑電鉄北松江線。


13時50分、出雲市をあとに松江市に入る。




14時10分、津ノ森駅で小休止。こちらも青い一畑電車。


14時40分、松江フォーゲルパーク駅で、駅舎やちょうど来た黄色い一畑電車の写真を撮る。


14時55分、宍道湖沿岸の「秋鹿なぎさ公園」道の駅。風が強い中で高齢者たちが庭の手入れなどをしていた。


道の駅からの宍道湖。


15時20分、長江駅で小休止。


15時40分、線路の向こう側、田圃の中の白鷺。九州では何羽も見かけたが、久しぶりである。いつ見ても美しい。


頭上を行く一畑電車。


15時50分、宍道湖湖北自転車道が431号から分かれる。自転車道に沿って行く。
16時05分、朝日ヶ丘駅付近でユースの場所を丁寧に教えてもらい、
16時20分、松江レークサイドユースホステルに到着する。
夕食時に、ユースのオーナーが缶チューハイをサービスで出してくれたが、せめて旅の行程の半分まで行って目鼻がつくまでは、などと柄にもなく殊勝に思い、せっかくのご好意をお断りしてしまった。あ~ぁ。
明日は休養日扱いでユースに連泊。松江郵便局に局留め郵便物を回収に行きがてら、市内見物の予定。

経費  9,769円     累計  110,931円
歩数  47,290歩    累計  1,313,856歩
距離  33km        累計  843km

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徒歩の旅 第28日 出雲連泊

2009年03月05日 | 2008年日本海側の旅
5月8日(木)  晴 (「ゑびす屋ユースホステル」に連泊)

今日は休養日。松江のユースが休業日なので宿泊できず、足止めになったような具合で、いささか変則的な宿泊状況になっている。まあ、それならそれでと、一日ゆっくりと出雲見物をすることにした。
8時30分、宿を出て出雲大社へ向かう。
神門通りを行くと勢溜。出雲大社の入り口である。


木製の鳥居をくぐって行く。気持ちも引き締まる。


参道の松並木。樹齢数百年といわれる松が続く下を玉砂利を踏んで歩く。


「御慈愛の御神像」の大国主神と兎。


反対側には、「ムスビの御神像」。大国主神が波間の玉に向かっている。


銅鳥居から振り返る参道。


出雲大社拝殿へ。






注連縄は長さ8メートル、重さ1500㎏、とのこと。


出雲大社八足門。一般の参拝はこの門まで。


八足門の中側に、本殿の楼門。


本殿の屋根だけ見える。高さ24メートル、千木は7.8メートル。


時計回りに左に行くと十九社。神在祭の期間に全国の神々が泊まる社、とされている。


横から眺める本殿の桧皮葺の屋根。


うしろ側。


彰古館。現在の宝物殿ができるまではここが宝物殿でした。


素鵞社。須佐之男命が祀られている。


横側より。


宝物殿


釜社。食物を守る神様が祀られている。


青銅の神馬と、


神牛。


写真を撮りながら一回りして拝殿に戻ると、参拝者が、賽銭を箱に入れずに注連縄に向けて投げ上げている。注連縄にコインがうまくささってとまると願いがかなうということらしい。若い男女がしきりに挑戦している。さすがに高齢者はしない。
大社を見た後、
10時、モダンな建物の県立出雲古代博物館に行く。
2007年3月にオープンしたばかり。


案内。


パンフレットと入場券600円。


出雲風土記や神話シアターなどのコンピュータ・グラフィックを見、出雲大社本殿の模型や資料館の収蔵物を見る。写真撮影は禁止。展示物では、出雲大社境内遺跡から発見された直径3メートルの宇豆柱(うづばしら)や、青銅の剣や銅鐸のレプリカなど。青銅器はいずれも黄金色の美しい輝きである。不明ながら、緑青の記憶から、青銅の剣も銅鐸も緑色のものかと思っていた。銅鐸の使用目的も、昔の教科書では分からないとされていたと記憶するが、今日の研究では、祭事の鐘のごとき楽器と推察されている。中の振り子に相当するものも出土しているとのことであった。いろいろと興味深いテーマである。
14時、大社郵便局で4万円下ろす。昼食にサンドイッチ2つと菓子パンを買う。
その後、吉兆館の傍で「国引き伝説」を描いたレリーフを見る。島根半島は八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)という神が海の向こうから引っ張ってきた、という伝説。


14時10分、さらに足を伸ばして、旧国鉄の大社駅へ。
駅正面。大社駅は、1990年に大社線の廃止とともに営業を終了。


瓦屋根の落ち着いた純和風建築で「日本建築二百選」にも加えられている。




案内。


駅内部。


旧切符売り場。


「新しい」きっぷうりば。


駅ホーム側。


展示されてあるD51機関車も心なしか寂しそうである。


14時30分、一畑電車大社線終点の出雲大社前駅。西洋建築の駅舎は、1996年に国の登録有形文化財建造物として登録された。


ステンドグラスがモダンで美しい駅内部。


一畑電車、通称「バタデン」。


その後はのんびりと散歩しつつ帰り、最後に「古代出雲大社模型展示館 雲太」に立ち寄った。高さ96メートルの古代の「雲太」や、鎌倉期のもの、現代の本殿の模型が展示されてある。比較すると、古代の雲太の大きさが圧倒的だ。
今日は、まさに神話の地に来ているということを実感した一日だった。同時に、自分の勉強不足も痛感させられた。われわれの世代は、神話に対して戦前の軍国主義教育と結びついたイメージがあり、きちんと学んでこなかったように思う。しかし、神話も日本文化の重要な部分であり、歴史的な産物である以上、科学的な視点から日本史の中に位置づけられねばならないし、さらにまた、伝統文化として理解し鑑賞できる力を自分の中に養わねばならないと感じた。それにしても、古代の雲太の高さが96メートルなど、驚かされることが多い。この旅が終わったら少し調べてみたいと思う。また一つ、帰ってから学ぶテーマが増えたが、それもまた旅の収穫の一部分ということになるだろう。家にいたのでは得ることができない経験の中から、新しい知の獲得への意欲も生まれるのだろうから。

経費     987円    累計  101,162円
歩数  14,997歩    累計には加えず
距離      km     累計には加えず

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徒歩の旅 第27日 出雲市  ゑびす屋ユースへ

2009年03月03日 | 2008年日本海側の旅
5月7日(水) 晴、風強し (「キララ多伎」~出雲市 「ゑびす屋ユースホステル」)



5時、起床。浜辺の傍でのテント泊だったので、万一津波でも来たらひとたまりもなく、余りよい宿泊場所の選択とはいえなかった。また、潮鳴りはむしろ子守唄がわりで心地よくまったく気にならなかったが、夜半から寒くなってきたので、もうだいぶ慣れたとはいうもののやや睡眠不足だった。
6時、出発。


国道9号線を離れ、久村海水浴場を見ながら海岸に沿った地方道を行くことにする。道の駅のすぐ先に「見晴らしの丘公園」というのがあり、ここでなら草地の上の幕営も可能だし、海岸線よりもだいぶ高いので津波の心配も少なかっただろう。風車は、キララトゥーリマキ風力発電所である。


また、波の上遠くには、出雲半島の山々が見える。そこが今日の到着地点である。


海は、ラジオの天気予報では、波の高さ2メートルとのこと。長い海岸線では、波頭がくずれる姿が複雑な形になって面白く、見飽きない。何コマか写真を撮る。




6時45分、海沿いの畑でおばあさんが作業している。


7時10分、さらに海岸線を行く。振り返ると、風車もずいぶんと遠くなっている。


国道ではないので車の量は少ない。
7時30分、非常に芳ばしい臭いがし、豚舎がいくつもあるところを通る。
7時45分、国道9号線への分岐地点に、四阿があり、広々とした海を見ながら休憩し、カロリーメイトを食べる。
この道路は、「くにびき海岸道路」と名づけられている。


その後は、目印らしきものが分からないままに道路が海岸線から離れていったのだが、複雑な地形で、現在地を確認できないまましばらく行く。
途中に咲いていたニセアカシアの花(と、思うが)。


8時50分、西園町の表示を発見し、現在地が確認でき一安心する。空は晴れあがって汗ばむ陽気。


8時55分、出雲の山々が間近である。


9時05分、神戸(かんど)川を渡る。汽水域で魚が豊富なのか、川で漁をしている舟が5艘ほどあった。


川の傍のビニールハウスと舟が陽を浴びている。


9時10分~30分、荒茅町のローソンで、牛乳、おにぎり2個、スティックパンを買い、出雲大社への道を確認する。コンビニの駐車場で食事をしていると、早朝でまだ客が少ないせいか、ザック姿に興味をもったらしい店長がやって来て、グレープヨーグルトを1つ呉れる。少し旅の話をし、激励される。彼の夢は、夫婦で四国八十八ヶ所をめぐることだと言っていた。また、若い女店員も飴をくれて、「頑張って」と応援してくれる。これまでに、コンビニで買い物のついでに歩き旅の話になり、「頑張って」と何回も激励されたが、実際に商品を貰ったのは初めてだった。
9時50分、大社方面へ、明瞭になった道を行く。


10時05分、スーパーで買い物。トマト、きゅうり、氷砂糖、いわしハンバーグ、電池。
10時35分、時間がたっぷりあるので、ひとまず県立浜山公園へ。


公園案内図。左側上部に少年野球場。


公園は広く非常にきれいだが、時間帯のせいか利用者の気配はなく、高齢の男女が、草の手入れやトイレの清掃などをやっている。
ユースの時刻には早すぎるので、少年野球場の横の草の上で、食事をしたり昼寝をしたりして時間を過ごす。やや風が強かったものの、空は青く高く、日差しは快く、銀マットを敷いてしばしの間快適に眠る。「至福の時をむさぼった」ということ。長い旅だから、たまにはこんな事があってもいいだろう。
『奥の細道』の文庫本も、下関で買って以来、パラパラと眺める程度だったが、少しまとめて読み返すことができた。
公園を出ようとするときに、元電気屋だという58歳の男性と少し話をした。彼は体調を崩して仕事をやめているのだが、1年ほど前からパソコンを覚え始め、ようやく慣れてきたとのこと。インターネットでの外国の報道(例えばチベットについてなど)を知ると、国内の新聞やテレビがいかに情報を不十分にしか伝えていないかということを実感する、と憤慨していた。確かにそうかもしれない。例えば、郵政民営化の選挙のときのことを思い出しても然りである。「小泉劇場」などと面白おかしく報道し、刺客などと騒ぎまくったが、民営化の真の姿をあきらかにしようという姿勢とは程遠かった。
15時20分、出雲大社へのルートも明瞭。


15時35分~16時、「道の駅 大社ご縁広場」にある「吉兆館」で、吉兆幡や出雲の伝統行事の展示を見学する。無料。


出雲ガイド『物語ろう、出雲国大社』600円を購入する。手短に知識を得たいという虫のよいことを考えてのことだが、ようするに付け焼刃である。


16時15分、堀川をわたったところに「日本一の大鳥居」がある。



16時20分、松並木を大社方面に進み、「ゑびす屋ユースホステル」に着く。


ユースの奥さん(「ペアレント」と言うそうだ)は一見つっけんどんだったがとても親切で、こちらが風呂に入っている間に、衣類を洗濯し干しておいてくれたりした。夕食は、予約時には出せないとのことだったが、もし我が家と同じものでよければということになり、もちろんお願いする。
同宿者は、整備士をやっている神戸の青年ライダー。気持ちのいい若者で、29歳。これまで自分のやりたいことをやってきたから、そろそろ身を固めることを考えている、と言っていた。
夜、『物語ろう、出雲国大社』を少し読む。

経費  10,955円    累計  100,175円
歩数  29,547歩    累計  1,266,566歩
距離     16km    累計  810km

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