4月2日(水) 晴 (広島市・ユースホステル レイノイン広島平和公園に連泊)
今日は一日休養で、空身で宮島の観光および見学。
今日の行動に備えて、ユースの受付で「一日乗車券」を購入しておいた(昨日から消費税が8%になった)。
行楽シーズン中で天気もよいので混雑が予想され、なるべく早い行動を、と考えて、
7時15分、宿を出発。
中電前から市電で西広島へ。広島電鉄に乗り換えて広電宮島口へ。
8時30分、宮島松大汽船のフェリーに乗り込む。
海は穏やか。
厳島神社の朱色の鳥居が見える。
10分ほどで上陸。宮島の案内板あり。
厳島合戦跡の碑。
3月20日に除幕式のあった真新しい平清盛像。
日本三景の碑。
神社方面を目指す。
土産物店を抜け、
厳島神社へ。
シンボルの朱塗りの大鳥居。
宮島の地図。
9時、厳島神社見学。昇殿と宝物館共通券が500円。
神社を出て、
宝物館(左後方。正面からの写真は何故か撮り忘れてしまった)を見学。
ここでは平家納経のレプリカや大鳥居の額、12代横綱の陣幕の太刀が印象に残った。
9時30分、さらに大願寺山門。
本堂、
護摩堂。
大願寺の九本松。
10時20分、その先にある宮島歴史民俗資料館へ。
資料館の庭園から。
ここでは、宮島の古民具と平家物語の絵画、平清盛像が印象的だった。
見学しているうちにスイッチが入り、足が痛いにもかかわらず弥山方面へ。
まず紅葉谷公園。
満開の桜。
11時30分、紅葉谷駅からロープウェーで山頂へ。
ロープウェー終点の獅子岩駅から山頂へ行くときに、5歳くらいの男の子が迷子になって泣いていたので、一緒にお爺ちゃんを探してやった。手をつないで行き、山頂直下の広場で無事対面。
また、外国人がたくさん来ていた。オーストラリアから来たという中年の女性2人とカタコト英語で話した。
12時50分、山頂展望台より。
13時5分、弥山本堂にお参りして下山。
下ってきて、三翁神社。
そして、豊国神社の五重塔。
こちらは枝垂桜が満開。
14時20分、今朝ほどは海中にあった大鳥居も、干潮になってそばまで行ける。
その後は往路を戻って、16時、原爆ドーム前で下車。ドームを見て、
平和記念公園内を通って、
(平和記念公園の平和の池のすぐ近くの祈りの像)
(その足下に広島出身の詩人、大木惇夫の詩碑があってちょっと驚いた。)
「 平和を祈り 御霊を鎮めん 大木惇夫
山河に歎きはみちて 叫ぶ声あり
戦ひは げに 人類の恥辱ぞと
ああ 奮ひ起ち挙り立て 心つなぎて つつましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
青空の光をうけて 闇を絶たずや
戦ひは げに 人類の愚劣なり
ああ 奮い起ち挙り立て 呼べば応へて たくましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
夕星のさとしはありて こだま地にみつ
戦ひは げに 人類の自滅ぞと
ああ 奮い起ち挙り立て まこと尽して 美はしく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ」
大木淳夫はこの他にも、合唱曲「大地讃頌」の作詞者でもある。
だが、太平洋戦争中に、「戦争詩の精華」といわれる詩集『海原にありて歌へる』であの有名な「戦友別盃の歌」を書いた戦争翼賛詩人の作としては、考えさせられるところである。「戦ひは げに 人類の恥辱」「人類の愚劣」「人類の自滅」の句と、戦争詩中の「‥‥わが征くはバタビアの街 君はよくバンドンを突け‥‥」等々とはどう繋がるのか、断絶するのか。戦後は平和主義者になったのか。煽られ死んでいった膨大な数の兵士(「たとえばニューギニアには第十八軍が送られますが、一0万人いた兵隊のうち九万人が飢えで死にます」‥‥加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』)を思うとき、複雑な思いを抱かされた。
16時30分、宿へ戻った。宿泊費 素泊まり 2400円。
今日はずいぶんとゆったりした。明日からまた荷を背負っての徒歩の旅が続く。
歩数 17643歩 (累計 1249299歩)
距離 記録外 (累計 807.5km)
費用 6637円 (累計 116203円)
今日は一日休養で、空身で宮島の観光および見学。
今日の行動に備えて、ユースの受付で「一日乗車券」を購入しておいた(昨日から消費税が8%になった)。
行楽シーズン中で天気もよいので混雑が予想され、なるべく早い行動を、と考えて、
7時15分、宿を出発。
中電前から市電で西広島へ。広島電鉄に乗り換えて広電宮島口へ。
8時30分、宮島松大汽船のフェリーに乗り込む。
海は穏やか。
厳島神社の朱色の鳥居が見える。
10分ほどで上陸。宮島の案内板あり。
厳島合戦跡の碑。
3月20日に除幕式のあった真新しい平清盛像。
日本三景の碑。
神社方面を目指す。
土産物店を抜け、
厳島神社へ。
シンボルの朱塗りの大鳥居。
宮島の地図。
9時、厳島神社見学。昇殿と宝物館共通券が500円。
神社を出て、
宝物館(左後方。正面からの写真は何故か撮り忘れてしまった)を見学。
ここでは平家納経のレプリカや大鳥居の額、12代横綱の陣幕の太刀が印象に残った。
9時30分、さらに大願寺山門。
本堂、
護摩堂。
大願寺の九本松。
10時20分、その先にある宮島歴史民俗資料館へ。
資料館の庭園から。
ここでは、宮島の古民具と平家物語の絵画、平清盛像が印象的だった。
見学しているうちにスイッチが入り、足が痛いにもかかわらず弥山方面へ。
まず紅葉谷公園。
満開の桜。
11時30分、紅葉谷駅からロープウェーで山頂へ。
ロープウェー終点の獅子岩駅から山頂へ行くときに、5歳くらいの男の子が迷子になって泣いていたので、一緒にお爺ちゃんを探してやった。手をつないで行き、山頂直下の広場で無事対面。
また、外国人がたくさん来ていた。オーストラリアから来たという中年の女性2人とカタコト英語で話した。
12時50分、山頂展望台より。
13時5分、弥山本堂にお参りして下山。
下ってきて、三翁神社。
そして、豊国神社の五重塔。
こちらは枝垂桜が満開。
14時20分、今朝ほどは海中にあった大鳥居も、干潮になってそばまで行ける。
その後は往路を戻って、16時、原爆ドーム前で下車。ドームを見て、
平和記念公園内を通って、
(平和記念公園の平和の池のすぐ近くの祈りの像)
(その足下に広島出身の詩人、大木惇夫の詩碑があってちょっと驚いた。)
「 平和を祈り 御霊を鎮めん 大木惇夫
山河に歎きはみちて 叫ぶ声あり
戦ひは げに 人類の恥辱ぞと
ああ 奮ひ起ち挙り立て 心つなぎて つつましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
青空の光をうけて 闇を絶たずや
戦ひは げに 人類の愚劣なり
ああ 奮い起ち挙り立て 呼べば応へて たくましく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ
夕星のさとしはありて こだま地にみつ
戦ひは げに 人類の自滅ぞと
ああ 奮い起ち挙り立て まこと尽して 美はしく
世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ」
大木淳夫はこの他にも、合唱曲「大地讃頌」の作詞者でもある。
だが、太平洋戦争中に、「戦争詩の精華」といわれる詩集『海原にありて歌へる』であの有名な「戦友別盃の歌」を書いた戦争翼賛詩人の作としては、考えさせられるところである。「戦ひは げに 人類の恥辱」「人類の愚劣」「人類の自滅」の句と、戦争詩中の「‥‥わが征くはバタビアの街 君はよくバンドンを突け‥‥」等々とはどう繋がるのか、断絶するのか。戦後は平和主義者になったのか。煽られ死んでいった膨大な数の兵士(「たとえばニューギニアには第十八軍が送られますが、一0万人いた兵隊のうち九万人が飢えで死にます」‥‥加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』)を思うとき、複雑な思いを抱かされた。
16時30分、宿へ戻った。宿泊費 素泊まり 2400円。
今日はずいぶんとゆったりした。明日からまた荷を背負っての徒歩の旅が続く。
歩数 17643歩 (累計 1249299歩)
距離 記録外 (累計 807.5km)
費用 6637円 (累計 116203円)