そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第23日 (休養日)  安芸の宮島見学

2015年12月27日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月2日(水) 晴 (広島市・ユースホステル レイノイン広島平和公園に連泊)



今日は一日休養で、空身で宮島の観光および見学。
今日の行動に備えて、ユースの受付で「一日乗車券」を購入しておいた(昨日から消費税が8%になった)。


行楽シーズン中で天気もよいので混雑が予想され、なるべく早い行動を、と考えて、

7時15分、宿を出発。

中電前から市電で西広島へ。広島電鉄に乗り換えて広電宮島口へ。


8時30分、宮島松大汽船のフェリーに乗り込む。


海は穏やか。


厳島神社の朱色の鳥居が見える。


10分ほどで上陸。宮島の案内板あり。






厳島合戦跡の碑。


3月20日に除幕式のあった真新しい平清盛像。


日本三景の碑。


神社方面を目指す。




土産物店を抜け、




厳島神社へ。


シンボルの朱塗りの大鳥居。




宮島の地図。




9時、厳島神社見学。昇殿と宝物館共通券が500円。






































神社を出て、


宝物館(左後方。正面からの写真は何故か撮り忘れてしまった)を見学。


ここでは平家納経のレプリカや大鳥居の額、12代横綱の陣幕の太刀が印象に残った。

9時30分、さらに大願寺山門。


本堂、


護摩堂。


大願寺の九本松。


10時20分、その先にある宮島歴史民俗資料館へ。










資料館の庭園から。


ここでは、宮島の古民具と平家物語の絵画、平清盛像が印象的だった。

見学しているうちにスイッチが入り、足が痛いにもかかわらず弥山方面へ。

まず紅葉谷公園。






満開の桜。


11時30分、紅葉谷駅からロープウェーで山頂へ。




















ロープウェー終点の獅子岩駅から山頂へ行くときに、5歳くらいの男の子が迷子になって泣いていたので、一緒にお爺ちゃんを探してやった。手をつないで行き、山頂直下の広場で無事対面。
また、外国人がたくさん来ていた。オーストラリアから来たという中年の女性2人とカタコト英語で話した。

12時50分、山頂展望台より。








13時5分、弥山本堂にお参りして下山。




下ってきて、三翁神社。




そして、豊国神社の五重塔。


こちらは枝垂桜が満開。




14時20分、今朝ほどは海中にあった大鳥居も、干潮になってそばまで行ける。


その後は往路を戻って、16時、原爆ドーム前で下車。ドームを見て、




平和記念公園内を通って、




(平和記念公園の平和の池のすぐ近くの祈りの像)


(その足下に広島出身の詩人、大木惇夫の詩碑があってちょっと驚いた。)


 「 平和を祈り 御霊を鎮めん  大木惇夫

 山河に歎きはみちて 叫ぶ声あり 
 戦ひは げに 人類の恥辱ぞと
 ああ 奮ひ起ち挙り立て 心つなぎて つつましく
 世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
 国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ 地下に哭くなかれ

 青空の光をうけて 闇を絶たずや
 戦ひは げに 人類の愚劣なり
 ああ 奮い起ち挙り立て 呼べば応へて たくましく
 世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
 国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ 地下に哭くなかれ

 夕星のさとしはありて こだま地にみつ 
 戦ひは げに 人類の自滅ぞと
 ああ 奮い起ち挙り立て まこと尽して 美はしく
 世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
 国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ 地下に哭くなかれ」

大木淳夫はこの他にも、合唱曲「大地讃頌」の作詞者でもある。

だが、太平洋戦争中に、「戦争詩の精華」といわれる詩集『海原にありて歌へる』であの有名な「戦友別盃の歌」を書いた戦争翼賛詩人の作としては、考えさせられるところである。「戦ひは げに 人類の恥辱」「人類の愚劣」「人類の自滅」の句と、戦争詩中の「‥‥わが征くはバタビアの街 君はよくバンドンを突け‥‥」等々とはどう繋がるのか、断絶するのか。戦後は平和主義者になったのか。煽られ死んでいった膨大な数の兵士(「たとえばニューギニアには第十八軍が送られますが、一0万人いた兵隊のうち九万人が飢えで死にます」‥‥加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』)を思うとき、複雑な思いを抱かされた。

16時30分、宿へ戻った。宿泊費 素泊まり 2400円。


今日はずいぶんとゆったりした。明日からまた荷を背負っての徒歩の旅が続く。

歩数  17643歩  (累計  1249299歩)
距離  記録外    (累計  807.5km)
費用  6637円   (累計  116203円)





2014年 徒歩の旅 第22日  広島市・ユースホステル レイノ・イン広島平和公園へ

2015年12月13日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月1日(火) 晴 (岩国市・ホテルAZ山口岩国店
             ~広島市・ユースホステル レイノ・イン広島平和公園)





4時55分、出発。久しぶりの暗い中の早朝行動。時間が早いため朝食のサービスはなし。
明けの明星が東天にあり。月はなく寒い。国道2号線を北上する。
瀬戸内の動脈ゆえ長距離輸送の大型トラックがしきりに行き交っている。

5時35分、小瀬川にかかる栄橋を渡って


広島県大竹市に入る。空はだいぶ明るくなったが、足元は要注意。


6時、JR山陽本線の線路の向こう側にはJR貨物の貨車が止まっている。もうだいぶ明るい。


反対側、三菱レイヨンの工場。


桜、満開・


6時20分、朝日が昇ってくる。


ちょっと国道を離れて、海岸沿いを行く。


7時、玖波漁港。




7時10分、すっかり明るくなってくると、広島湾には牡蠣の養殖の筏が並んでいるのが見える。


7時15分、廿日市市に入る。右手、宮島が大きい。


7時30分、八坂山隧道。


貨物列車通過。


7時50分、宮浜。牡蠣の販売あり。
生牡蠣、大野のアサリ販売、などの広告がある。

小さな漁港が続く。






8時5分、大野浦駅通過。相変わらず肌寒いので、フリースの手袋をして歩いている。

宮島との間の海は、大野瀬戸というようだ。




9時10分、安芸の宮島の朱塗りの鳥居が遠望できた。


フェリーも見える。明日は休養日として、あのフェリーに乗って宮島を観光・見学の予定。


9時20分、「宮島焼窯元、山根対厳堂」という店。厳島神社の対岸にあるから、ということだろう。


9時25分、JR宮島口駅。


9時50分、広電阿品駅通過。

10時、広島電鉄宮島線。


海きらめく。やっと暖かくなる。


10時10分、火立岩跡。毛利元就と陶晴賢との間で行なわれた厳島の戦い(1555年)における、毛利軍出船の跡。元就は、3000の兵を率いて対岸の地御前に陣を進め、夜、折からの暴風雨をついて、荒れ狂う怒涛の中に出発したといわれている。


すぐに西広島バイパスへの分岐。要注意。広島宮島自転車道路(宮島街道)を海に沿って進み、


11時10分、広島市に入る。


12時、八幡橋にて八幡川を渡る。


12時30分、西部埋立て第八公園にて、昼食休憩を兼ねて20分間小休止。

13時20分、埼玉から歩いて来たという僧侶の恰好をした青年に会う。お互い頑張ろうと挨拶しあった。

13時30分、バイパスと合流。








旭橋にて太田川放水路を渡る。水量多し。






市電。広島に来たという実感。


14時10分、新住吉橋で太田川を越える。


14時30分、平和記念公園に着く。




チェックインの16時までまだ時間があるので、平和記念資料館を見学。前回の旅以来の2回目だが、やはり衝撃的である。




外国人もかなりいた。彼らを通して各国に反核兵器の意思が広がることを願う。


その後、公園内を散策、休憩。

16時10分、ユースホステルレイノ・イン広島平和公園に着く。宿泊、素泊まり2400円。
前回泊まった広島ユースホステルは、休館中で利用できず、こちらにした。
隣のベッドの青年はイギリスからきて、2か月間日本各地を巡っているとのこと。彼は日本語が全然できないので、こちらのカタコト英語ではなかなか意思疎通ができないところがもどかしい。

歩数  58835歩  (累計  1231656歩)
距離  40km    (累計  807.5km)
費用  4201円   (累計  109566円)

2014年 徒歩の旅 第21日  岩国市・ホテルAZ山口岩国店へ

2015年12月04日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月31日(月) 晴 (周南市・ホテルAZ山口徳山店~JR徳山駅
                  ~JR柳井駅~岩国市・ホテルAZ山口岩国店)





6時30分、出発。

6時55分のJR山陽本線に徳山駅から乗って、7時29分、柳井駅へ。

昨日の道をやや戻り、国道188号線に合流して歩き始める。

7時50分、柳井川防潮水門通過。


8時、新柳井大橋を渡り、


太陽に向かって東進。


8時14分、柳井港。フェリー乗り場。


柳井は「白壁の街」とあるが、現在、至る所で工事中。風情を味わう感じではない。


その先の分岐で、188号線の交通を避けて、北側の裏通りを行ってみる。

8時25分、静かな小道の途中に、松戸八幡宮の入口。


反対側に、幕末の海防論者で勤皇僧である月性の像と


白壁の展示館あり。月性は、吉田松陰や久坂玄瑞とも親交があった。


8時40分、再び海岸沿いの道路に出て、柳井市街の方向を振り返る。


このあたりの海は、周防灘と安芸灘を結ぶ大畠瀬戸と呼ばれる。


指呼の間にある笠佐島。


大島大橋を遠望。


9時5分、漁港の隣にあった「国威宣揚」碑。昭和十三年建立、とあった。


その奥に天満宮。


漁船。




桜満開の鳴門神社。


9時25分、屋代島と結んでいる大島大橋をくぐる。休日の晴天なのでたくさんの自動車が渡っている。


山陽本線と並行する。


神代橋からふりかえる屋代島。


貨物列車通過。


10時、安芸灘。
晴れて、海底が見えるほど澄んでいる。


10時5分、岩国市由宇町へ。


JR山陽本線とJR貨物の線路と国道188号線が海に沿って絡むように走っている。






瀬戸内海は波穏やかに。沢山の小島が見える。薄雲か春霞か。






ところどころ歩道がないので、対向車には注意。




小さな漁港。


11時10分、由宇歴史民俗資料館。定休日でもないのにまったく人影なし。


11時35分、潮風公園みなとオアシスゆう。広々とした公園。


民話「長祖生きつね」の案内板。


海を眺めながら小休止。昼食。


12時、JR由宇駅通過。


12時40分、通津駅通過。




線路をまたぐ。


13時50分、岩国発電所。




14時、藤生にて、錦帯橋方面への道を尋ねたところ、車で連れて行ってやる、と言われた。例によって、歩き旅だからとお断りしたが、新しいバイパスも出来ているし、道路が入り組んでいてわかりにくい、簡単には説明できない、ちょうど錦帯橋の方に用事もあるからぜひ乗れと言われ、乗せてもらうことにした。まあ、年も取ったし、必ずしも前回の縦断旅のように硬直した対応をすることもなかろう、と考えて、ご好意に甘えることにした。
20分ほどで錦帯橋のそばに着いたが、なるほどわかりにくい道だった。しかもいくつかアップダウンもあった。橋の撮影のポイント(臥竜橋)を教えてもらい、感謝の言葉を述べて、橋に向かって歩き始める。

日曜日ということもあり、いやぁ、大変な人出だった。人も車もめちゃくちゃ多い。消費税が明日から8パーセントになるというので、ガソリンスタンドも大満車。

14時30分、なんとか教えられたポイントから写真を撮ったが、


眺め渡したところ、右岸方面に桜がたくさん咲いているので、そちらに回って錦帯橋を見ることにした。








14時40分、錦帯橋に着く。満開の桜である。桜前線の真下にいる実感。




300円で橋を渡り、左岸へ。








15時50分、左岸からの錦帯橋。


あとは、国道2号線に合流して、


再びJRを跨いで北上し、


16時40分、宿に着いた。宿泊、朝食サービス 4800円。

自動車に乗せてもらったことについて。一応歩き旅だからと言ってお断りするが、それでも乗っていくように言われた場合は、これまでのように硬直した対応を押し通さず、ケースバイケースで行くことにする。今日の場合も、乗せてもらったおかげで、錦帯橋も時間をとって眺めたり、写真を撮ったりすることができた。あそこを歩いていたら、かなりのアルバイトになったことだろう。

19時45分、宿の窓から、岩国の工場夜景。




歩数  54322歩  (累計  1172821歩)
距離  42km    (累計  767.5km)
費用  6347円   (累計  105365円)

2014年 徒歩の旅 第20日  柳井市・JR柳井駅へ

2015年12月01日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月30日(日) 雨のち晴 (周南市・JR徳山駅~柳井市・JR柳井駅
              ~周南市・ホテルAZ山口徳山店に戻り連泊)




6時40分、宿の窓より、徳山の朝。徳山は、企業の城下町といったところ。出光、帝人、日立、中国電力等々。


今日の行程は、JR柳井駅まで空身で歩き、JR山陽本線で戻って、再び徳山泊。
柳井に適当な宿が見つけられず、足の状態をも考慮してのこと、とかいろいろ理屈をつけつつ、セコい手を使っている。易きに流れているぞ、いかんなぁ。

7時20分、ともあれ宿を出発。雨の中を、ゴアの雨具を着用し、傘をさしていく。
天気予報は、荒れ模様。降水確率は、午前60パーセント、午後30パーセント、とテレビが報じていた。

JR徳山駅前を通過。


だが、歩き始めるとすぐに止んでしまった。
駅前を通過し、県道347号を行く。


満開の桜並木が続く下を歩く。日曜日なので、静か。


7時40分、雲間から薄日がさすのが見える。


新幹線と、


山陽本線。


林立する工場の煙突などを右手に見つつ行く。


8時、櫛ケ浜駅前通過。県道170号に。


8時40分、末武川。橋を渡って下松市に入る。県道366号に代わる。


8時55分、平田川。


菜の花咲く開作公園。


9時30分、日立製作所の廃線になった引き込み線を通過。




9時45分、国道188号線に合流。山陽本線と並行する。


左手の小山の山腹に桜が咲いている。


9時55分、貨物列車通過。


右手は水路。


10時、光市に入る。


反対側は海が先方に見える。


この辺りから、周防灘沿いを歩くようになる。下関以来である。視野が広がるのは快適なり。




風が強く、波はやや荒いが、好天の兆し。


何で読んだのか、「おお海よ、汝の水は塩分に満ちている」という語句が、突然浮かんできた。


10時25分、虹ケ浜海水浴場。






10時45分、JR光駅前を通過。


「猿回し発祥の地」。


駅の先で小休止。お花見。




11時5分、島田川渡る。


桜を見つつ行く。


11時45分、冠天満宮。


室積海水浴場。




海の色は徐々に青さを増している。


12時35分、ここより7km横波注意の標識。


空はもうすっかり晴れ渡り、海はきらめいている。瀬戸内の島々が見える。波は輝き、風は柔らかく、追い風に足の痛さも忘れる。




牛島(うしま)。


荷物はないし天気はいいし、ただもうのんびりと。




振り返り。


何を採っているのかな。


13時15分、伊保木海岸。


国道188号線を快調に飛ばす。






13時55分、梶取岬。


田布施町に入る。


海青し。


その後、岬を回り込んでいくが、途中で、堤防に座って足をぶらぶらさせて、煙草を吸いながら、酒を飲んでいる男性に、「どこ行くの」とつかまり、ちょっと寄っていくように言われ、少し立ち話をした。酒を飲んでいけと言われたが、お断りしてコーヒーをご馳走になる。同世代の人で、いろいろな職業についてきたとのこと。音楽関係の仕事もしたとかで、「ローリングストーンズ ハブ ノー モス」「人生、しがらみを捨てて旅を続けよう」という考えで意気投合し、激励の握手をされて別れた。

14時、田布施川の河口部に入ると、海が濁ってくる。


尋ねてみたら、「ニナ」という巻貝を採っているとのこと。湯がいて食べると美味だ、と。




対岸の丘の上に風車が見える。対岸の山頂部に、4基ほど風力発電の風車があり。

14時35分、麻里府海岸。この地に一時住んでいた国木田独歩の詩碑あり。
「なつかしきわが故郷は何処ぞや
 彼処にわれは山林の児なりき
 顧みれば千里江山
 自由の郷は雲底に没せり」


15時15分、田布施川にかかる新八海橋を渡り、平生町に入る。


古い八海橋は壊れていて通行止め。






以後は柳井駅まで、海から離れて陸の道を行く。

16時、柳井市との境の田布呂木峠。


幕末維新の志士、白井小介の顕彰碑あり 。揮毫は山県有朋。






16時10分、柳井市に入る。


16時25分、陸橋を渡り、


JR柳井駅に着く。あとは徳山駅まで戻ればいいはず‥‥


発車間際だったので慌てて乗車したが、これが逆方向行き。隣の柳井港駅で降りて、約40分間、山陽本線が来るのを待つ。いやぁ寒かった。最後でチョンボをして消耗。

18時、徳山の宿に戻る。宿泊、朝食サービス 4800円

歩数  57441歩  (累計  1118499歩)
距離  42km    (累計  725.5km)
費用  6807円   (累計  99018円)