そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第57日  焼津市・ウィークリー翔 焼津へ

2016年02月29日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月6日(火) 小雨のち晴 (御前崎市・御前崎ユースホステル~焼津市・ウィークリー翔 焼津)



4時45分、宿を出発。小雨のため傘だけで行く。

5時、御前崎灯台。




「見尾火燈明堂」という江戸時代の灯台。


山口誓子句碑。
「碧の濃き灘 通り来し土用波」


「遷れい塚」という、明治期に御前崎灯台の建設に功のあった人をまつったもの、とか。


遊歩道の途中から、明け方の太平洋、遠州灘。


灯台の下は、県道357号線。


5時、静岡県最南端の岬標柱。


海はやや荒れている。


5時15分、堤防の上を歩く。東方の彼方、雲の切れ間に朝焼けが見える。


堤防の上や下を歩きながら、岬を回っていく。

6時5分、牧之原市に入る。御前崎から続く「ヤシの木通り」。


6時40分、国道150号線に入り、沖の方を見ると海面上を太陽が照らしている。風はそよ風。


海岸線を堤防に沿って行く。焼津まで30㎞の標識あり。




7時20分、急速に雲が切れ始める。


カヌーの人たち。


7時30分、堤防は防風林に代わっている。


9時5分、国道150号線と海との間に歩きやすい道路があり、ところどころ国道150号線に出たりしつつ、これを辿る。空は青空に。


砂地の畑や、イチゴのビニールハウスなどが並び、防風・防砂林がずっと続く。

国道150号線に戻り、

10時30分、吉田町に入る。


大井川に向かい歩いている途中で、左遠方はるか彼方に、真っ白な山々が見えた。同定はできないが、方向からして南アルプスの南部の3000m峰だろう。荒川三山か、赤石、聖かな。




11時20分、大井川の富士見橋をわたる。遠方には懐かしい富士山の姿が見える。残念ながらややガスっていて、白妙の‥‥とはいかなかったが、やはり富士を見ると感慨が沸く。鹿児島から50数日、やっとここ迄来たか、と。


水量はさほどではないものの、やはり大河である。「越すに越されぬ‥‥」の時代など想いつつ。




11時30分、焼津市に入る。




12時40分、ここからも富士や、


チラッと白き山々。


あとはお決まりの市街地近郊歩きから、市の中心部へ。


14時5分、焼津駅へ。


時間が早かったので、宿の位置だけ確認して、再び駅前の広場でぼんやりと人々を見ながら過ごす。

16時5分、宿に着く。宿泊、素泊まり 2900円。

宿は、前に広島の三原で同宿した若者に聞いていた「ウィークリー翔」という、オートロック付きのマンションをホテルのようにしたもの。部屋は、ワンルーム・マンションのようになっており、ベッドの他に、バス、トイレ、簡単な調理場などがついていて、2900円と格安。もっと安いプランもあるとのことだが、そこは先客あり、だった。ここも2泊の予定なので、夕方、近くのスーパーに買い出し。


歩数  58557歩    (累計  2947136歩)
距離  38.5㎞     (累計  1914.5㎞)
費用  6339円     (累計  318122円)


2014年 徒歩の旅 第56日  御前崎市・御前崎ユースホステルへ

2016年02月28日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月5日(月) 曇のち雨 (湖西市・ビジネスホテル まさご
                ~JR新所原駅~JR磐田駅~御前崎市・御前崎ユースホステル)






宿から新所原駅へ、そしてJR東海道本線で新所原駅から磐田駅へ行き、そこから昨日の続きを歩く。

5時45分、宿を出発。上空は曇。風に乗って霧雨が飛んでくる。

7時、磐田駅を出発。こちらはまだ雨は降っておらず。県道43号線に出て、南下。


駅前に「郵便の父」前島密の像。彼は、明治初期、中泉奉行として磐田で行政をおこなった、とのこと。


こちらはまだ雨は降っておらず。県道43号線に出て、南下。

8時5分、福田西にて左折し、国道150号線へ。御前崎まで32㎞の表示あり。

少し先で太平洋岸自転車道に入り、彷僧川に沿って行く。川にはたくさんの鯉のぼり。






8時40分、「史跡 川岸みなと跡」。福田湊はかつての海運の中心地。その繁栄は、「嫁に行くなら福田の 川岸 へ、お江戸帰りの船が着く」とうたわれた、と。


いったん国道150号線に戻って、

8時50分、太田川橋を渡る。橋上より、太田川河口部を望む。右は彷僧川と、左は太田川の合流点。奥は彷僧川の水門。


橋の先で再び太平洋岸自転車道(県道376号線。浜松御前崎自転車道路)へ。




右手が遠州灘、左手が防風防砂林の海岸沿いを行く。この辺りは袋井市なんだな。連休のためか、何人かが親子で砂浜で遊んだり、堰堤の先で釣りをしたりしている。


ずっと先に、風車やその先の岬がかすんで見え、今日はあそこまでか、など考えつつ歩く。天気予報は雨、どの時点で雨につかまるか、と。


10時、海岸線の松林の中の道が蛇行し消耗なのと、雨の場合を考えて、国道150号線へ復帰する。




10時45分、掛川市に入る。直後に雨が降り出す。


国道150号線は歩道がないので、すぐ脇を自動車が通る。


12時15分、風車近づく。


13時、菊川を渡る。雨足強し。車の跳ね上げる水しぶきをもろに浴びつつ行く。


13時25分、御前崎市に入る。雨強し。


ビニールハウスは、メロンか、イチゴか。


14時15分、「道の駅 風のマルシェ御前崎」。ゴアの雨具も浸みてきて寒いので、休まず歩き続ける。御前崎市に入ったらなんか立派な歩道がやけに目立つようになってきたぞ。


14時50分、浜岡原子力館。やっぱりね。




原子力館には大勢の人が来ていた。PR作戦成功中。


14時55分、浜岡原発の表示。


15時15分、御前崎灯台方面へ。


16時15分、もうすぐ宿です。‥‥と思いきや。


16時45分、宿に着く。最後の6㎞がやけに長く感じた。宿泊は例のクーポン券で500円引き、素泊まり 2850円。


歩数  55208歩    (累計  2888579歩)
距離  40㎞       (累計  1876㎞)
費用  4382円     (累計  311783円)


2014年 徒歩の旅 第55日  磐田市・JR 磐田駅へ

2016年02月27日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月4日(日) 晴 (湖西市・ビジネスホテル まさご~磐田市・JR磐田駅
               ~JR新所原駅~湖西市・ビジネスホテル まさご)




磐田周辺で宿が取れなかったので、今回も鉄道利用。行けるところまで歩いて、JR東海道本線で新所原駅まで戻り、「まさご」に連泊の予定。まあ、東海道本線は、紀勢本線に比べて圧倒的に本数が多いから、その分気が楽な感じ。

5時45分、宿を出発。昨夜だいぶ風が吹き荒れたが、今朝は微風。空気はやや肌寒いが、それでも短パンに長袖カッターシャツ。やはり5月だ。

まずJR新所原駅に出て、その後は県道3号線を東進する。小さなアップダウンをいくつも越えて、鷲津へ。

7時、鷲津で右折、国道301号線を南下して旧東海道新居宿方面へ。

7時45分、新居宿へ。飯田武兵衛本陣跡。


7時50分、新居関所跡。












復元された高札や制札が掲げられている(二川宿にあったものと同じ内容の「正徳元年五月」の定書)。「毒薬」「親子兄弟夫婦」「駄賃并人足荷物の次第」「火を付る者」「新居より之駄賃并舟賃」「きりしたん」など。




そのうちの一つ、「きりしたん」を見てみると、
「  定
 きリ志たん宗門ハ累年御
禁制たり 自然不審成者有
之ハ申出へし 御ほうびと
して
 ばてれんの訴人    銀五百枚
  いるまんの訴人    銀三百枚
  立かへり者の訴人   同 断
  同宿并宗門の訴人   銀百枚
右之通下さるへし たとい同
宿宗門之内たりという共申
出る品により銀五百枚下さ
るへし かくし置他所よりあ
らはるゝにおゐてハ 其所之
名主并五人組迄 一類共に罪
科におこなはるへき者也
正徳元年五月 日    
           奉 行」

新居関所史料館は9時にならないと開かないので、先を急ぐ。

周辺案内図。




栄町にて国道1号線に入る。

8時15分、JR新居町駅。駅前広場の「遠州新居手筒花火」像。


8時35分、浜名湖にかかる西浜名橋の人道橋を行く。左側は、新幹線と東海道本線。


隣の鉄橋を行く新幹線をパチリ。


反対側の遠州灘側の遠方には、浜名バイパス。


今度は下り新幹線。


9時、浜松市へ入る。


弁天島は、連休のため物凄い人出。渡船の待ち列がずっと続いていた。


9時10分、弁天島沖の鳥居。




9時35分、国道1号線から県道49号線へ。旧東海道松並木。340本の松が、約700mにわたり続く。










9時55分、再び国道1号線に戻り、

10時25分、国道1号線から国道257号線で浜松市街方面へ。国道1号線は車ばかりで、人の通りはほとんどなし。それに対して、257号線は、旧東海道なので、あちらこちらに目を止めさせるものがあった。

11時45分、浜松駅手前から生き残っている松並木。




初夏の花クレマチスが咲いていた。


12時40分、市民祭りでにぎわう駅前通りを過ぎて、今日のお目当てである浜松楽器博物館。400円。








イベントスケジュールのパンフレット。








実に充実した博物館で、全世界の様々な地方の楽器が集められていて圧倒される。とても短時間では見きれないのが残念だ。
その一部。

ジャワのガムラン、






バリのガムラン。


バリ島のジュゴッグという竹製の琴とその装飾。










和楽器。


オセアニアの楽器。






モンゴルの馬頭琴、


ハーモニカ。


もちろん、民族楽器だけではなく、ピアノ、ヴァイオリン、ホルン等々西洋音楽の楽器類も大量に展示されていた。

13時40分、こころを残しつつも先を急がねばならず退出。またの機会に。


近くの広場では、浜松市消防音楽隊が演奏していた。




街の通りには、町会ごとの大きな山車がいくつもあった。




さて、急ごうと思った矢先、道を間違えて国道152号線の秋葉街道を辿ってしまい、途中で教えられて戻るなどロス。

16時、さらに、天竜川橋では、人道橋が見つからず、ここでもまた5人ほどに聞きながらなんとか通過。これまでもそうだったが、自動車専用道路と歩行者自転車道路があるところは、歩行者はやたらと遠回りをさせられるので、どう繋がっているのか先々の歩道の発見が難しい。


水の青さが美しい。


16時10分、磐田市に入る。あとはただひたすら駅急ぐ。


17時5分、JR磐田駅。今日はここまで。


折悪しく17時2分の電車が出てしまったところで、次の30分の電車まで待つ。でも紀勢本線よりはいいや(負け惜しみ)。

下りの東海道本線で新所原駅へ、そして、

18時30分、宿に戻った。連泊、素泊まり 4500円。


歩数  67319歩    (累計  28333712歩)
距離  42㎞       (累計  1836㎞)
費用  7822円     (累計  307401円)


2014年 徒歩の旅 第54日  湖西市・ビジネスホテル まさごへ

2016年02月25日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月3日(土) 晴 (伊良湖町・オーガニック宿まるえい
                      ~湖西市・ビジネスホテル まさご)






今日は「ふんばりどころ」の50㎞超の歩きである。

4時、宿を出る。あたりは暗く、たくさんの星が輝いている。明けの明星の金星がひときわ大きい。ヘッドランプを着用し国道259号線(田原街道)を行く。

4時25分、伊良湖風力発電所。東天が明るみを帯びてくる。


4時55分、一本道が続く。


空は徐々に明るさを増し、




5時10分、山の端より朝日が登る。


6時20分、道の両側は、ビニールハウスやキャベツ畑だ。遠くに渥美火力発電所と風力発電所が見える。






7時15分、宇津江で、自転車の中年男性に道を尋ね、そのあとしばらく一緒に歩く。毎日の自転車の走行距離が日本一周のどのくらいの距離に相当するかを示すパソコンのソフトがあるそうで、バーチャルで日本を一周した、と言っていた。だいたい8千数百㎞だそうだ。

道は半島の北側の海岸線を通る。この辺りは三河湾の中でも渥美湾と呼ばれている。海は澄んでいて、海底が見える。漁師の船も浮かんでいる。




国道259号線の一段下の海岸線の通りなので、ちょうど日陰になり、涼しい。




馬草口から、再び内陸部に入っていき、単調な道を行く。

非常に暑くなり、傘を日傘にしてさして歩く。

道路は急激に車で混雑し始める。連休後半のためだろう。

9時25分、早朝4時からの行動と暑さのため、草臥れて眠くなり、「50㎞超」にもかかわらず、とうとう汐川橋横の小公園のベンチですやすや‥‥昼寝20分間。

9時55分、「道の駅 田原めっくんはうす」。「めっくん」は「芽っ君」で野菜の芽を意味する、とか。人はたくさんいたが、自分にとってはとりたててめぼしいものもないようなので、トイレおよび飲料水の補給で通過。

10時20分、田植えの真最中。


11時、豊橋市へ。


とにかく、「50㎞超」が頭にあるゆえに、単調な道を歩く、歩く。

途中、国道259号線がバイパスになり、道を失って、3人に尋ねながら、


14時、梅田川を渡り、県道31号線へ。

さらに田園地帯を歩き、

14時20分、国道1号線に出る。これでようやく渥美半島を歩き終わったことになる。

14時35分、JRの新幹線と東海道本線のガードをくぐると、旧東海道。


石柱の道標あり。一面に「伊良胡阿志両神社道」、もう一面に「右 東海道 豊橋一里半」、裏面に「たかし 老津 田はら 野田 ふく江 いらこ道他」と刻まれている。




14時40分、JR二川駅。
駅前のロータリーに道標。「當國三十三所 二番」、「まわり道 通貫十六丁」、「是 岩屋 八丁」などと刻まれている。


二川宿案内板。




14時50分、豊橋市二川宿本陣資料館。まあ、今日の行動の目鼻はついただろう。30分ほどだが見学して行く。400円。


















お定め書きの類。






明後日は端午の節句。






16時10分、静岡県、湖西市に入る。13府県目。


JR新所原駅前を左折し、

16時40分、宿に着く。宿泊、素泊まり 4500円。

12時間以上の行動か、よく歩いたわい。今日はともかく暑かったので、途中でペットボトル、アイスクリーム、白玉あんみつ、とりわけ牛乳などを、自販機やコンビニでちょこちょこと買って飲食した。

歩いてみて、知多半島と渥美半島の産業の違いを感じた。知多半島は、かなり南の方まで工場が見られ、その先は漁港だったが、渥美半島は、伊良湖が観光産業と言える程度で、あとは野菜や果物など圧倒的に農業だ。中京地域への農産物の供給地、というところか。

歩数  73448歩    (累計  2766052歩)
距離  51㎞       (累計  1794㎞)
費用  7130円     (累計  299579円)

2014年 徒歩の旅 第53日  伊良湖町・オーガニック宿 まるえいへ

2016年02月24日 | 2014年太平洋側の旅-前半

5月2日(金) 晴 (半田市・ビジネスホテル アーク半田
                       ~伊良湖町・オーガニック宿まるえい)






6時、出発。

半袖で歩きはじめる。今日も暑くなりそうだ。国道247号線を南下する。

半田の市街地を通り、

6時25分、武豊町に入る。


JR武豊線を越えたヒジリ田には、ところどころに古い家並みが残っていた。


6時50分、国道247号線から離れて、堀川沿いを行き、


しばらく衣ケ浦湾に続く海沿いを行ってみる。




対岸の碧南市の工場群遠望。


7時55分、美浜町に入る。


美浜町は全国で3か所あり、先日通った和歌山県の美浜町、日本海側縦断で通った原発のある福井県の美浜町、そしてこの愛知県知多半島にある美浜町である。白砂青松の地域の誇りなのか、懐旧なのか、願望なのか?

その後、名古屋市内に向かう車のラッシュ時間帯で道路は混雑。

8時15分、三河湾。




8時25分、河和口駅そばの、かっぱの「花ちゃん」像。


しばらく、堤防の脇を、海を見つつ行く。




日差しは眩しく、海は凪いで、暑し。


9時45分、南知多町に入る。


南知多町に入ると右側はもっぱら田園地帯。左側はもちろん知多湾だが。

途中、何軒かさびれた感じの潮干狩り場などがあり、

10時5分、海側に水田もあったりして、


師崎漁港を回り込んでいって、

11時15分、師崎港フェリー乗り場に着く。14時50分の便でもよかったのだが、12時5分の便に間に合いそうだったので、途中少し急いだら、だいぶ早く着いてしまった。


乗り場には、自動車だけでなく、チャリダーの自転車も数台とまっていた。

フェリー代1200円。このフェリーは、知多半島の先端の師崎と渥美半島の先端の伊良湖を結ぶ便利なものだが、その運航は、2014年9月いっぱいで廃止が決まっている。

出港まで時間があり、そばの売店で「おおあさり焼き」(550円)など食べながら待つ。

フェリー接近。






12時5分、フェリー出港。


三河湾を横切っていき、






渥美半島の風力発電も見える。


12時45分、伊良湖岬に到着。






当然、チェックインには早すぎるので、

道の駅クリスタルポルトになっている、港のターミナル内にある「やしの実博物館」を見たり、




浜辺で島崎藤村の「椰子の実」の歌を口ずさんだり、




港のそばのあずまやで食事をしたり、昼寝をしたり、などして過ごす。

風が強くなったので、

14時40分、休憩を打ち切って国道259号線を宿に向かう。


「柳田国男逗留の地」碑。


歌曲「椰子の実」誕生の物語


芭蕉の句碑。
「鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎」


などを見ながら歩き、

3時15分、宿に着く。宿泊、素泊まり 4800円。

宿の後ろは、宮山原生林という典型的な暖地性常緑樹林の斜面で、静かな時を過ごした。

歩数  41793歩    (累計  2692604歩)
距離  26㎞       (累計  1743㎞)
費用  7500円     (累計  292449円)


2014年 徒歩の旅 第52日  半田市・ビジネスホテル アーク半田へ

2016年02月23日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月1日(木) 晴 (名古屋市・HOSTEL ANN 安
                    ~半田市・ビジネスホテル アーク半田)




今日から5月である。

6時、宿を出て、名古屋城の写真を撮りに行った。
昨日、宿のスタッフに教えられて通り、東別院駅から地下鉄で名城公園駅まで行き、公園内を通って、名古屋城へ。




城の風格は流石だが、この時期は樹林の葉が繁茂している。


天守は9時にならないと入れないので、眺めて写真を撮っただけで帰る。

帰途、藤棚が豪華できれいだった。


地下鉄で宿に戻り、朝食および準備。

8時、宿を出発。

国道19号線の伏見通りを行くべきところを、間違って大津通りを行ってしまい、

8時40分、東側の鳥居から熱田神宮へ。




境内と、


本宮。


熱田神宮は、三種の神器の1つである草薙剣を祀る神社。

前年に「創祀千九百年大祭」が行われたそうだ。


境内には、「神話と歴史でたどる 熱田神宮千九百年の歴史」というパネルの展示があった。(その一部)






境内は、昨日の雨で若葉が一段と鮮やかに緑を深め、清々しい雰囲気だった。

南側の鳥居を出て、今度は伏見通りを南下する。


9時15分、内田橋にて、堀川。


10時30分、国道247号線を辿って南下し、東海市に入る。


さらに名和にて国道42号線から分かれて、県道55号線へ。
郊外風の新興住宅街のようなところを行く。

11時35分、脇ノ田公園にて20分休憩。今朝、宿でニュージーランド人にもらった黒砂糖パンを食べる。天気予報通り、いっとき風に乗って雨粒が飛んでくるが、たいしたことにはならなかった。その後は晴。

途中で、紫蘭の花が咲いていた。


14時20分、ただただ黙々と歩いていたので、いつの間にか阿久比町に。




14時35分、阿久比町役場前交差点の不思議な銅像。太鼓に乗って獅子舞の獅子をかぶった二人の子供。


15時10分、半田市に入る。


15時20分、半田は「ごんぎつね」で有名な童話作家の新見南吉の故郷。






生家の前に「文化五年正月吉日当村中」と刻まれた常夜灯あり。


15時35分、宿に着く。宿泊、素泊まり 3100円。

歩数  55360歩    (累計  2650811歩)
距離  32.5㎞     (累計  1717㎞)
費用  4486円     (累計  284949円)


2014年 徒歩の旅 第51日  名古屋市・HOSTEL ANN 安へ

2016年02月21日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月30日(水) 雨のち曇 (四日市市・四日市港船員会館
                        ~名古屋市・HOSTEL ANN 安)




7時20分、出発。直前に急に雨が強くなり、傘だけでなく急きょゴアの雨具も着用。

すぐに国道23号線に合流し、今日はそのまま辿る。国道23号線は「名四国道」と呼ばれ、毎年11月に行われる全日本大学駅伝対校選手権大会のコースの一部。

7時40分、大正橋から工場群。




雨は8時前にいったん上がり、西空が明るみ始めた。

8時、今日は、昨日にもまして夥しい自動車の流れと一緒に歩く。


8時15分、霞大橋から。






8時30分、右手、造船所あり。


雨は止んだとはいえ、大型車が水たまりを通過する際の水しぶきと旋風を浴びながらの行動なり。

8時40分、水色の橋は富洲原橋 。


橋上より。


8時55分、川越町に入る。


9時30分、伊勢湾岸道と、ナガシマスパーランドのジェットコースターや観覧車を遠望。


四日市の工場群を抜け、員弁川を渡ると、


9時40分、桑名市。


10時、突然、何だこれ?


10時5分、揖斐長良大橋(1039.9m)。ともに大河である揖斐川と長良川の合流点のやや下流にあり、上流には長良川河口堰がある。




橋上から下流方面。






名四道路碑。


10時35分、木曽川大橋(858.5m)。こちらも大河。




橋を通過するのにちょうど10分かかった。戦国時代は渡河もさぞ困難だったろう。




10時45分、橋を越えると、木曽南町。


11時5分、愛知県弥冨市に入る。弥冨市は、金魚で有名な町だとか。


大河ではなく、鍋田川の小さな流れが県境。




滑走路のような長~い一本道を防風壁と自動車の波に挟まれた、アスファルト道路の砕かれた細石が散らかった歩道をえんえんと行く。名古屋市街地をバイパスした産業用の大型車をはじめすごい量の車である。ガードレールがあるのが心強い。もしもに無かったら‥‥。






11時55分、飛鳥村。


日光川の排水場。灰色ばかりの中で、しばらくぶりの緑色。




12時45分、名古屋市に入ると、とたんに歩道も(車道も)キレイになった。砕石もなく歩きやすい。


13時10分、新川と庄内川を庄内新川橋で渡る。




さらに国道23号線を辿り、途中、公園にて小休止。高速道路の下などを通って、金山駅方面へ。

4時20分、宿に着く。宿泊、素泊まり 4000円。

宿は、「名古屋バックパッカーズ ゲストハウス」ということで、若者や外国人も何人かいた。スタッフは親切だった。ドミトリーもあったが、ちょっと奮発してシングルのプライベートルームにした。宿にはパソコンがあり(無料)、明早朝の名古屋城見学と今後の行程など少し調べた。

歩数  38840歩    (累計  2595451歩)
距離  37.5㎞     (累計  1684.5㎞)
費用  6213円     (累計  280463円)
歩行距離の割に歩数が少ないが、そのまま記録する。出発時に雨だったので、ケータイをザックに入れたままだったからかとも思うが、過去に雨で同様にした他の日には不都合はなかった。原因不明。



2014年 徒歩の旅 第50日  四日市市・四日市港船員会館へ

2016年02月20日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月29日(火) 雨 (津市・みかさ旅館~四日市市・四日市港船員会館)



ゆっくり朝食をとり、朝ドラを見て、

8時20分、出発。雨である。ゴアの雨具を着て、傘をさしていく。

8時40分、津城址へ。




復興された角櫓。


城内は「お城公園」になっている。




津城は、築城の名手藤堂高虎が手がけた城。
馬上高虎像。




「高山公遺訓」。
「可為士者常之覚悟之事  
寝屋を出るより
其日を死番と可得心  
かやうに覚悟極るゆへに
物に動する事なし
是可為本意 」


これは「藤堂高虎公遺訓二百ケ条」と呼ばれるものの第1条に書かれている、とのこと。

その後は、雨の国道23号線をひたすら北上。

10時30分、川芸町。満開のツツジ。


11時20分、鈴鹿市に入る。


肥田町から、景色はこれまでの市街地と郊外から、一気に広々とした田園に。
国道23号線は自動車専用道路になって頭上を走り、歩行者は国道下の道へ。


特に風が強く、傘がたわむ状態の中を行く。写真どころではない。ところどころにある自動車専用道路の下の横断用通路で一息つきつつ歩く。

14時、鈴鹿川を越えて四日市市に入ると、田園風景も終わり市街地に。再び国道の歩道を行く。


鈴鹿川の支流、内部川を渡る。工場の煙が見え、四日市らしい風景か。




その後、国道23号線から県道6号線に入り、
15時30分、宿へ。宿泊、素泊まり 4600円。
チェックインの時間より早かったので、宿は鍵が閉まっていたが、ケータイで連絡したら、すぐに車で来て開けてくれた。風呂は船員用なのでとても広く、雨で凍えた体をゆっくり温めた。

歩数  43725歩    (累計  2556611歩)
距離  28.5㎞     (累計  1647km)
費用  5888円     (累計  274250円)



2014年 徒歩の旅 第49日  津市・みかさ旅館へ

2016年02月19日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月28日(月) 曇のち雨 (伊勢市・風見荘~松阪駅~津市・みかさ旅館)



今日は、松阪駅から津までの18㎞。半日行程なので、まず伊勢神宮の内宮に行ってから、近鉄山田線で松阪駅まで行き、歩くことにする。

5時、空身で、念のための傘を持って内宮へ。

伊勢市観光案内図。


5時15分、国史跡 旧豊宮崎文庫。つまり、図書館の跡地。




6時、道路には(かつて消費期限偽装で問題になった)伊勢名物「赤福餅」など看板が電柱に張り巡らされており、それに導かれて、約5㎞で、内宮へ。


大鳥居をくぐり五十鈴川に掛けられた宇治橋を渡ると神域に。正宮までは玉砂利の歩道。




一の鳥居。


神楽殿を経て、








参道。昨日の伊勢市の男性の言った通りで、早朝はやはり清々しい。


正殿。




御稲御倉、


外幣殿、


別宮荒祭宮。




風日祈宮橋




風日祈宮



宇治橋に戻る。


五十鈴川。




内宮も(外宮も)前年の、20年に1度の式年遷宮で、どの社も白木のきれいなものになっていた。数日前に、オバマ米国大統領も来たとのこと。那智大社に比べると洗練されている、という感じ。逆に、それだけ那智の方が原始的で、不思議なパワーを感じさせられた、ということか。

6時50分、おかげ横丁を通り帰途に。






創業宝栄四年 赤福。


五十鈴川郵便局。


7時5分、猿田彦神社。






こちらも平成の大造営中。完成は3年後の予定。




8時、宿に戻り、朝食、歩き支度。

伊勢市駅より、近鉄山田線で松阪駅へ。


9時10分、松阪駅より歩きはじめる。


しばらく、国道42号線の熊野街道と、国道23号線の伊勢街道が重複した後、

10時30分、小津にて国道42号線と別れる。大阪からずっと歩いて来、和歌山ではダンプに悩まされたが、過ぎてしまえばみんな思い出。




その後は、自動車の波を眺めつつ、単調で喧噪な市街地および郊外の国道歩き。

11時20分、尊敬する偉大な先達 松浦武四郎の記念館の表示。ここは是非とも寄っていきたかったところだが、悔しいけれど月曜は休館日。本当に残念。


松阪市内の電柱は、いたる所に赤福の宣伝。これが津市に入ったとたんに、ただの一つもなくなったのには、しばし感慨。


11時30分、岩田川を渡り、


津市に入る。


津新町駅で雨に降られたが、
13時30分、宿に到着。チェックインの時刻にはあまりに早すぎるとは思ったが、気持ちよく迎えてくれた。宿泊、2食付き 4500円。激安!


宿は、「力士料理居酒茶屋 金鍋 」というちゃんこ鍋の店が主で、宿泊はその付録、といった感じ。夕食は、ちゃんこ鍋の他に、刺身、ジャンボ餃子、ナムルその他、すごいボリュームで食べきれなかった。旭天鵬の写真がいくつも飾ってあり、番付表や名前入りの暖簾もあった。女将さんと一緒に写っているのもあり、聞いてみたら旭天鵬は常連で、特に名古屋場所の時などはよく来るのだ、と。従業員の若者たちも、元力士だと言っていた。

歩数  44308歩    (累計  2512886歩)
距離  18㎞       (累計  1618.5km)
費用  6499円     (累計  268362円)



2014年 徒歩の旅 第48日  松阪市・JR 松阪駅へ

2016年02月18日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月27日(日) 晴 (風見荘~JR 三瀬谷駅
                 ~松阪市・JR 松阪駅~伊勢市・風見荘)




今日は、昨日の到達点であるJR三瀬谷駅まで、参宮線と紀勢本線で行き、そこからJR松阪駅まで歩き、再びJR伊勢市の風見荘に戻る、という予定。

5時50分、宿出発。JR伊勢市駅へ。

駅前から外宮参道。


JR参宮線を多気駅での乗り換え、紀勢本線で三瀬谷駅へ。


8時10分、JR三瀬谷駅を出発。そばの「道の駅 奥伊勢おおだい」にて、大内山牛乳を飲んで、今日も国道42号線(熊野街道)を行く。


すぐに、「松阪31㎞」の標識あり。


藤の花が満開。


8時30分、徒歩の中年男性と出会う。埼玉の人。ずっと熊野古道歩きをしており、ほとんど踏破してしまった、伊勢道が最後に残されていて今回歩いている、とのこと。お互いの無事を祈り、エールを交わして握手で別れた。

途中から、国道42号線とはなれ、熊野古道の細道を辿る。

8時55分、道中安全祈願地蔵と、


隣に弁慶岩。


9時10分、お茶の畑が時々現れる。


一時国道42号線に出て、

9時15分、道標地蔵。




伊勢茶の畑あり。




再度、古道を行く。


静かでたいへんよろしい‥‥と思って歩いていたら、突然、大きな熊蜂が現れる。スズメバチと違って襲ってこないのだが、体のまわりで旋回されるとあまりいい気分ではない。以後も、何匹かにつきまとわれた。

路傍にスミレ。


大隅半島の肝属川沿いの自転車道を、みなみらんぼうの「コートにすみれを」を口ずさみながら歩いたのは、もう40日以上も前のことか。あの頃は寒かったが、今はもう半袖で歩いている。

10時30分、「バカ曲り」という妙な名前の標識あり。ここから樹林の中を下っていくらしいが、省略。




栃原で国道42号線に合流、ここは伊勢茶の産地。霧がよく立ちこめるのを利用して、酪農とお茶、ということ。そういえば、もう少しで「夏も近づく八十八夜」だ。


11時5分、多気町に入る。後は松阪まで国道通し。


その先、なんかデッカイ鶏の看板。


12時15分、佐奈駅先、民家の軒下にあった、熊野古道と和歌山別街道との交点を示す道標。


12時50分、人けのない松阪多気バイパスを行く。


13時、松阪市に入る。櫛田川にかかる新両郡橋。


橋の上から櫛田川。


13時30分、左に本居宣長の墓の案内があるが、3.4㎞は、ちと遠し。素通りしてしまう。


14時50分、市街地に入り、駅も近い。和歌山街道の道標。


駅の近くで声をかけてきた中年男性と話しながら、駅へ向かう。伊勢市役所の職員で、伊勢の魅力をたっぷり。明日の朝、伊勢神宮の内宮によってから、津に向かうと説明したら、伊勢神宮は早朝にお参りするのが一番だ、と。何といっても空気が違う、日中のざわついた雰囲気がなくて、空気が張り詰めた感じがお参りにはいいのだ、と。

15時10分、JR松阪駅。今日はここまで。JRよりも近鉄の方が先に来る、と彼に教えられ、近鉄で伊勢市駅に帰る。


16時20分、宿に着く。連泊、素泊まり 2600円。
宿の風見荘は、外人バックパッカー、ライダー、チャリダー、リピーターで、ちょっとした旅人の梁山泊のようなところ。雑然として活気があるのが面白かった。


歩数  48049歩    (累計  2468578歩)
距離  32.5㎞     (累計  1600.5km)
費用  4921円     (累計  261863円)


2014年 徒歩の旅 第47日 大台町・JR 三瀬谷駅 へ

2016年02月17日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月26日(土) 晴 (紀北町・旅亭 美乃島~大台町・JR 三瀬谷駅
                           ~伊勢市・風見荘)




大台周辺で宿が取れず、伊勢神宮見学に都合のよい伊勢市に宿をとることにした。その結果、本数の少ない紀勢本線に拘束された日程となり、早朝出発となった。

4時、出発。ダウンを着用し、暗い中をヘッドランプで歩きはじめる。東天にトルコの国旗のような細い月。

10分で、江の浦トンネル(378m)。トンネル内には歩道なし。暗くてブレて写真撮れず。

4時30分、江の浦に沿って歩く。対岸の中ノ島の灯りが見える。月と明星が水面にも。


徐々に明るく。星は消え、今日も快晴の空。


4時40分、長嶋トンネル(401m)。


5時10分、東長嶋トンネル(250m)。


5時20分、片上湖の先は、


紀伊長島マンボウ道の駅。小休止。ここから、志摩半島の付け根を北上していく。


5時40分、荷坂峠入口。


道はジグザグを繰り返しつつ高度を上げ、山中へ。


山の朝霧も徐々にはれて、


6時20分、紀宝町も残りわずか。


ふり返ると、紀伊長嶋の海がもう遥か彼方に。




6時25分、荷坂トンネル(175m)。


民宿柴山のご主人が言っていたとおり、小坂峠に比べればやや楽に上れた。

6時30分、峠を越えると、大紀町。


6時40分、ゆるく下っていくと、路傍に、庚申さん、お地蔵さん、観音様(左から)の祠。


6時50分、熊野古道入口。


国道そばの林の中に、白いビーチボールのようなものが2つ弾んでいると見えたが、鹿の臀部で、あっという間に消えていった。

時々、霧が押し寄せて来て、寒いので、荷坂峠の上りで脱いだダウンを再び着用。










この気候が酪農に適しているのだろう。


7時20分、大内山牛乳の看板。


そういえば、熊野でも尾鷲でも、コンビニで飲んだのは大内山牛乳だった。

大内山と言えば、子供のころに活躍した大関がいた。2mを超す巨体で突っ張りが得意な力士だったが、小兵の栃錦に首投げで敗れた一戦ばかりが記憶されていて気の毒だ‥‥など思い出しつつ。

シャガの花が咲き、


水田ではカエルの大合唱。




8時30分、阿曽の集落へ。だいぶいいペースで下りてきた。コンビニにて大内山牛乳500㏄を飲む。

9時、大紀町案内図あり。暑くなってきたので半袖になる。


11時、道の駅奥伊勢木つつき館。


暑いので、売店で「たいやきアイス」というものを食べたら、記念にとストラップをくれた。


時間の余裕がありそうなので、道の駅の隣にある瀧原宮(瀧原宮のところに道の駅をつくった、が正しいか)に行く。




瀧原宮は、伊勢神宮の別宮だそうである。というか、瀧原宮というものがあることもここへきて初めて知ったという具合で、なんとも「もの知らず」である。

参道に杉の大木。


奥には社殿と、




若宮神社


土曜日だったが、参拝客も多くなく、落ち着いた雰囲気のお社だった。

その後は、暑い中を  再び大内山川に沿ってゆるく下り、


12時20分、大台町に入る。


12時30分、JR三瀬谷駅。今日はここまでで打ち切り。


1時間余り待って、紀勢本線で多気駅へ。参宮線に乗り換えて伊勢市駅へ。

15時20分、宿に着く。宿泊、素泊まり 2600円。

夕刻、徒歩にて伊勢神宮外宮(げくう)へ。駅からお宮への通りは、土曜日のためかなり人がいたが、時間が遅かったせいか、外宮にはそれほど人はいなかった。
外宮は、内宮(ないくう)に祀られている天照大御神の食事を司る豊受大御神を祀ったところ、だそうで、「げぐう」ではなく「げくう」と呼ぶのが正しい、とのこと。でも、ほとんどの人が「げぐう」と言っていたが。












正宮(豊受大御神)




多賀宮


土宮


風宮


小生、宗教心を持たぬゆえ、心が洗われる、とかいうことではないが、巨木と池などもあり、静かで落ち着いた気分にはなった。




歩数  59707歩    (累計  2420529歩)
距離  36.5㎞     (累計  1568km)
費用  4841円     (累計  256942円)

2014年 徒歩の旅 第46日  紀北町・旅亭 美乃島へ

2016年02月16日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月25日(金) 晴一時雨 (尾鷲市・民宿 柴山~紀北町・旅亭 美乃島)



8時20分、NHKの朝ドラ『花子とアン』を見て、ゆっくり出発。

尾鷲港の写真を撮って、


15分ほどで国道42号線に合流。直ちに歩道がなくなって道はジグザグの上りに。

9時5分、尾鷲トンネル(606m)。トンネル内も歩道なし。


9時15分、トンネルを抜けると紀北町。


9時30分、下りの途中に展望の良い東屋あり。小休止。銚子川を見下ろす。


9時45分、道の駅海山で小休止。




熊野古道を歩く人たちが数人集まっていた。
馬越峠への熊野古道伊勢路の上り口。前年に皇太子が来たせいか道路はとてもきれい。「皇太子殿下 行啓記念碑」というのがあった。天皇が出かけるときは「行幸」で、皇太子は「行啓」と言うのだそうだ。ふーん。






世界遺産効果か、道は整備されていて歩きやすい。


この辺には民話の種まき権兵衛にちなみ「種まき権兵衛の里」というのがあるそうだ。


壁画というかなんというか‥‥。




10時45分、相賀のスーパーで、今夜の素泊まり用食料を調達。

船津川に沿って行き、

11時30分、海山郷土資料館に立ち寄る。無料。




こちらの資料館は、熊野のそれと比較して小規模ではあるが、きれいに展示されていた。いろいろ珍しいものもあった。








天保13年のお触書の写し。


手書きの「百人一首。


旅の一座の看板。


「小学内国史」、明治発行の小学校歴史本。


「天明後米一俵價格表」は特に興味深かった。


ちなみに、
天明元年 (1732年)       17銭
明治元年 (1868年)     1円69銭
大正元年 (1912年)     8円32銭
昭和元年 (1926年 )   12円70銭
昭和20年(1945年)    60円
昭和53年(1978年) 17216円。

庭には、ツツジが満開。


また、釈迢空の歌碑もあり。大正元年(1912年)奥熊野を歩いた際の作。
「山めぐり二日人見ずあるくまの 蟻の穴にも見入りつつなく」
「波ゆたにあそべり牟婁の磯にきて たゆたふ命しばしやすらふ」
「北牟婁の奥の小村にわく水の かなしき記憶来たる午後かな」


12時30分~13時、一天にわかにかきくもり、通り雨。地下横断歩道入口の階段で30分雨宿り休憩。

13時20分、熊野古道 始神峠入口。


13時35分、三船トンネル(420m)。


14時、森の中から一気に海辺へ。


子供たちが、海辺で楽しそうに歓声を上げていた。


左が鈴島。


14時15分、道瀬トンネル。


隣に道瀬歩道トンネル(308m)。




海を見つつ歩き、


14時35分、古里トンネルにも、


歩道トンネル(208m)あり。


14時50分、古里海岸到着。時間が早いので、宿に着く前に、近くの展望台に行ってみた。
いくつもの小島が湾内に浮かび、絶景である。左、赤野島。右、丸山島。




15時15分、古里海水浴場にある宿に着く。宿泊、素泊まり 4320円。「旅亭」の名のとおり、贅沢な造りの宿だった。


歩数  34433歩  (累計  2360822歩)
距離  21㎞     (累計  1531.5km)
費用  5732円   (累計  252101円)



2014年 徒歩の旅 第45日  尾鷲市・民宿 柴山へ

2016年02月15日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月24日(木) 快晴 (熊野市・ユースホステル熊野市青年の家~尾鷲市・民宿 柴山)



6時15分、出発。海岸に出る。熊野灘青し。


まず獅子岩を見る。






今日も国道42号線(熊野街道)を辿る。

6時35分、浜担ぎで有名な木本神社。


鬼ガ城トンネルは自動車専用なので、歩行者は旧トンネル(鬼ガ城歩道トンネル)を通行するのだそうだが、そこへの道がわかりづらく、2人に聞き、民家を抜けて坂を少し上り、

6時50分、ようやく鬼ガ城歩道トンネル(509m)へ。


トンネルを抜け、


7時5分、パーキングで一休み。今日も暑く半袖になる。


42号線を辿るも、途中から高架の自動車専用道路になり、歩行者自転車通行止め。歩ける道路を探して橋梁の下を30分以上うろうろ。にっちもさっちもいかず困り果てていたところで、たまたま通りかかった車の婦人に尋ねて了解。地獄で仏ではないが、助かった。聞くところでは、自転車の旅行者もよく間違えるのだそうだ。さもありなん。

7時45分、なんとか国道へ戻り、


木材を積んだトラックなどが通行する、歩道のない山道を上っていく。


8時15分、熊野の山懐深く入っていき、




8時30分、振り返ると、ずいぶん上っている。


8時45分、ジグザグを何度も繰り返して、小阪トンネル(353m)へ。標高も300m余り。


トンネルを抜けて、少し急な下りの後は、大又川にそってのどかな山村風景の中をなだらかに下っていき、






9時50分、熊野きのくに道の駅。小休止。




売店で熊野の記念に「めはり寿司」(185円)を買って食べた。


その後、大又川をさらにたどり、

10時40分、崩壊地。台風によるもののようだ。


10時45分、「雨量通行規制」のゲート。


10時55分、矢ノ川(やのこ)峠標識。峠そのものの標高は807m。


熊野市の歩きももうすぐ終わる。


11時5分、大又トンネル(1626m)。トンネル内は、さすがに半袖ではちょっと寒かった。


11時25分、尾鷲市に入る。


山深き中を行く。


11時30分、弓山トンネル。


11時40分、「ひのきと魚のまち 尾鷲市」。


11時50分、矢ノ川トンネル(2076m)。通過に25分かかり、上着を着た。


その後は、矢ノ川に沿ってジグザグに下り続け、


市街地に入り、

14時20分、尾鷲湾を望む。


14時30分、宿に着く。宿泊、2食付き 6480円。

宿は、主に釣り人相手の民宿で、夕食は豪勢な魚料理だった。刺身や、煮たり、焼いたり、フライにしたり‥‥。
食後、女将さんとお喋り。ご主人が釣ってきて(知人や釣客がくれたりもして)、女将さんが料理するのだそうだ。尾鷲の人情や気風については、みんなのんびりしている、和歌山は貧しいので厳しい顔をしているのではないか、と。尾鷲といえば雨量が多いので有名だが、と言ったら、それは雨の粒が大きいからで(――本当かなあ?)、雨天の日が特別に多いわけではない、雨はみんな海に流れてしまうから、雨による災害はない、雪もめったに降らないし、気候はよいところだ、等々。楽しいひと時を過ごした。


歩数  50426歩  (累計  2326389歩)
距離  32㎞     (累計  1510.5km)
費用  6902円   (累計  246369円)



2014年 徒歩の旅 第44日  熊野市・ユースホステル熊野市青年の家へ

2016年02月14日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月23日(水) 快晴 (新宮市・ビジネスホテル紀州
                 ~熊野市・ユースホステル熊野市青年の家)






7時、宿を出て、国道42号線(熊野街道)に向かう。

途中、佐藤春夫成育の家跡や


丹鶴城(新宮城)跡など経由。




7時10分、熊野川に出る。大河である。


7時15分、熊野川大橋の中頃で、三重県紀宝町に入る。


橋を渡って、複雑な歩道橋などを道なりに複雑に通って、

7時30分、真新しい紀宝トンネル(679,5m)へ。


トンネル内は明るく、歩道も広く安心。2013年1月に完成。どうりで今までで一番歩きやすいトンネルのはずだ。


和歌山県は、誰かが言っていたが、「近畿地方一の貧乏県」とか。産業も、みかんの他に、林業や水産業の第一次産業がまず思いつく。あとは観光か‥‥。道路の状態もあまり良いとは言えなかった。それに対して三重県は北部が中京工業地帯だし、お伊勢さんもあるし、ということか。九州では宮崎県が「九州一の貧乏県」と言われていたのを思い出す。
それと、紀宝町では、小中学校の生徒が男女ともとてもよく挨拶をするのが印象的だった。自転車に乗ってヘルメットをかぶった生徒たちにも挨拶されながら行く。地域の財政状況は物心両面で反映されるのか、「衣食足りて礼節を知る」かな。

青空と新緑の中、国道42号線をずんずん行く。






8時5分、海に出て、ここからは海岸沿いに行く。輝く海は熊野灘。




ダンプは相変わらずかなりの数が走っているが、歩道がしっかりしているので、排気ガス以外は心配なし。

8時45分、道の駅紀宝町ウミガメ公園。今日は行程も短く、残り20㎞を切っているので、30分間大休止。大内山牛乳を飲む。






9時になったので、ウミガメプールで見学。




歩き出したら、白い藤の花あり。


9時20分、御浜町に入る。


9時40分、この辺りから、海岸線は「七里御浜」が続く。


9時55分、橋には42号線に歩道がないので、左手の細道にある「あたわばし」から。


再び海岸線。


10時30分、道の駅パーク七里御浜の歩道橋から白砂青松。






10時55分、熊野古道浜街道の「起請の水」休憩所。


手前にある「美姫漂着伝承の地」の碑。
「年若き美姫漂着し泉を汲みて化粧したと伝へられ里人呼んで化粧の水と稱した」とあり。


道祖神群。






11時5分、市木川にかかる新緑橋。


草刈りをしているお爺さんに挨拶したら、「どこまで行くのか」と聞かれ、北海道まで歩いていくと答えたら、「えらいことを考えるもんじゃのう」と言われてしまった。

11時55分、県道52号線との交差点の防風林の中にあった「巡礼の碑」。


「文化九申三月四日」とある。200年ほど前のものか。


12時、熊野市に入る。


12時20分、有馬一里塚。


12時25分、熊野市歴史民俗資料館見学(無料)。








熊野は、歴史的に、農業、林業、水産業といずれも盛んで、様々な道具類があった。鯨を捕る銛や、解体するための柄の長い大きな刃物など、珍しかった。林業では、太い幅の大鋸があった。葛飾北斎の富岳三十六景「遠江山中」で大工さんが使っているよりさらに大きなもの。農業では、脱穀機、千歯こき、箕、籠等々。興味深い資料が数多く陳列されているのだが、説明員の話では、さらに大量のものが倉庫にあるが、スペースがないので陳列できず、かなりのものが未整理のままとかでもったいない。また、古文書なども大学の研究者など以外では閲覧できないのだそうだ。民俗学の宝庫と言っても過言ではないのだから、もっと整理して多くの見学者にわかりやすく展示してもらえたらよいのにと思う。

14時、熊野灘の沖の一部が赤い。なんだろう?


14時10分、花の窟神社。
















ここの神社には本殿はなく、高さ70mの大岩壁が御神体。






「お綱掛け」という神事があるそうだ。


本居宣長の歌碑あり。
「木の国や花のいは屋に引く縄の長くたえせぬ里の神わさ」




14時50分、ちょっと時間が早いが宿到着。宿泊、素泊まり 2280円。

時間もたっぷりあったので、たまった衣類を洗濯したり(このユースは洗濯機使用が無料)、足のメンテをしたりした。
今日は天気もよく、暑いくらいだったので半袖で歩いた。2週間ほど前の寒さがウソのようだ。

歩数  35930歩  (累計  2275963歩)
距離  23㎞     (累計  1478.5km)
費用  3943円   (累計  239467円)



2014年 徒歩の旅 第43日  (休養日)那智、新宮見学

2016年02月13日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月22日(火) 曇 (新宮市・ビジネスホテル紀州に連泊)












6時35分、宿出発。新宮駅へ。

駅前に「熊野文化を彩る人たち」。


JR紀勢本線で、那智駅へ。

駅前に佐藤春夫の有名な「秋刀魚の歌」詩碑。
「あ八禮 秋可ぜよ 情あらば傳へてよ
――男阿りて 夕餉にひとり さんまをくらひて 思いにふけると ‥‥」    


さらにバスで大門坂駐車場へ。


南方熊楠が3年間滞在したという旅館跡。


8時、神橋を渡って神域へ。


那智山案内図。


大門坂の杉並木と石畳を上り、熊野古道の写真を撮る。






多富気王子跡。




さらに。








振り返り。


実方院跡。


お土産屋が並ぶ路地を抜け、階段をあがり、


境内近し。


青岸渡寺の下を通り、


まず那智の滝(133m)を見るべく右手の三重塔の方へ。




滝を写そうとしたが、下部が樹木に隠れてしまうので、塔に上ることにした。拝観料300円。








その後、戻って青岸渡寺の方へ。振り返り1枚。










青岸渡寺。ここは西国33か所霊場の、第一番札所。






境内の大楠。


那智大社へ。






大社の隣の宝物殿では、特別展「熊野那智大社の至宝~熊野十二所権現古神像を中心に」を催しており、熊野十二所権現の古神像や那智山宮曼荼羅をはじめ多くの宝物が陳列されていた。入場料300円。


宝物殿を見に入っていたのは小生ひとりだけだったので、若い意欲的な女性の職員が丁寧に説明してくれた。古神像は、イザナミノミコトや天照大神がなぜか男神になっていた。彼女の説明では、織田信長による熊野の焼討ちの後、豊臣家による復興の際に、お抱え仏師に急いで作らせたため、とか。出来上がったのを見たら、依頼主もさぞ仰天だったろう、と。また、神々の顔が、いずれも目じりが吊り上がって怒ったような顔になっているのはなぜか、と一緒に考えたりした。
また、明治初期の廃仏毀釈の際にも災難があり、青岸渡寺の本尊は、那智山の下の村に一時隠された、とのこと。
那智権現の「権現」とは、神と仏とが一体となっているということを示していること。
西行の和歌「木のもとに住みけむ跡をみつるかな 那智の高嶺の花を尋ねて」の額があり、西行が 花山院の住まいの跡を訪ねた折の歌であること、等々。

次いで、参道を逆に下って、




那智の滝の直下(熊野那智大社別宮 飛瀧神社)にいってみた。








高浜虚子句碑。
「神にませばまことうるはし 那智の滝」


その後、バスで那智駅まで戻り、補陀落山寺へ。

浜の宮王子跡(浜の宮大神社)


ここは、『平家物語』で、平清盛の孫である中将平維盛の入水の旅立ちの地とされている。

大神社の境内の森は「渚の森」というのだそうだ。










「神武天皇頓宮跡」の碑あり。


その奥に、補陀落山寺。






補陀落船の模型が置かれていた。




補陀落渡海は、南の洋上に補陀落浄土を求めて、死を賭して漕ぎ出す信仰。碑によると、9世紀から18世紀まで25人の名が記されていた。補陀落渡海はここだけではないが、この地が最も盛んだった、とか。寿永3年(1184年)には、平維盛の名もあった。


その後、バスにて新宮へ戻り、熊野速玉神社に向かう。

新宮市案内。


神社への途中の民家の先に、明治末のでっち上げ事件である「大逆事件」に連座され処刑された12人の1人、「大石誠之助宅跡」の標石あり。


大石誠之助(1867~1911)は、社会主義者で、医者で、キリスト教徒で、偉大な人物である。2001年、新宮市議会により「非戦、廃娼を唱えた人権の先覚者として」名誉回復の決議が行われた。

熊野速玉大社へ。


神社の一隅に、佐藤春夫記念館があり見学。入館料310円。










佐藤春夫本人による詩の朗読のテープを聞いた。昔読んだ懐かしい詩もあった。
「少年の日」、


「秋刀魚の歌」、


「望郷五月歌」等々。


記念館の塀に記された「望郷五月歌」。


佐藤春夫句碑。
「秋晴れよ丹鶴城址児にみせむ」


熊野速玉神社。














熊野御幸の記録碑。




「後白河法皇御撰梁塵秘抄所載」碑。
「熊野へ参るには 紀路と伊勢路と どれ近し どれ遠し
 廣大慈悲の道ならば 紀路も伊勢路も遠からず」


熊野速玉大社参詣曼荼羅。


熊野神宝館前の武蔵坊弁慶像。




新宮駅のそばには徐福の墓と公園があったが、今回は割愛した。

スーパーで食料を調達して、

16時30分、宿に戻る。宿泊、素泊まり 4000円。

宿で、今後の宿泊先の作戦を練った。尾鷲の先は「安い宿情報」の空白部で、本数の少ない紀勢本線をどう利用するか‥‥。「ポケット時刻表」とにらめっこした。

歩数  14445歩  (累計  2240033歩)
距離  記録外     (累計  1455.5km)
費用  7284円   (累計  235524円)