そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第9日 佐喜浜町・「民宿徳増」へ

2012年05月29日 | 2011年四国の旅-1
10月21日(木) 雨 (「民宿いくみ」~佐喜浜町・「民宿徳増」)

○本日の参拝
ありません。





昨日に続き、歩く日。
7時30分、「民宿いくみ」出発。宿の主人に、必要な食料は必ず野根のスーパーで仕入れていくこと、その先では手に入らない、と念を押された。


予報では午後からとされていた雨が、歩き出した途端にパラパラと落ちてくる。しばらくは降ったり止んだり。

生見海岸の生見サーフィンビーチ。頭上は雲に覆われていても、まだ海上遠くにはオレンジ色の光が見える。


室戸岬まで35km。


歩き始めて10分のところに休憩所あり。横目に見て通過。


7時45分、国道55号、相間トンネル。


8時、歩きへんろ道にしたがって、国道からそれて番外霊場東洋大師明徳寺へ。


この後、国道へ戻ろうとしたが道を発見できず、そのまま直進したところ、野根の町はずれで国道に合流することになってしまった。結局、宿の主人の忠告は生きず、野根ではスーパーも郵便局も縁がなかったようだ。
合流する直前に、雨が強く降りだし、工場の軒下を借りて雨具着用。以後はずっと雨具のままだった。

8時30分、野根川河口。波やや高し。




橋を渡ると、伏越ノ鼻。伏越鼻バス停に「海に与す」萬葉集の碑。
「伏越ゆ 行かましものを 守らひに 打ちぬらさえぬ 浪よまずして」


8時50分、このあたりの海を「ゴロゴロ海岸」という。休憩所にて15分休み。




住所も「高知県安芸郡東洋町ゴロゴロ」である。

9時10分、海は荒れてきて、波強し。


なるほどゴロゴロ海岸。


ひたすら歩く。




(雨のため、デジカメをザックに入れて歩くことが多くなり、写真の数が少なくなりました。)

9時50分、波強し。


10時、雨の中を四輪車で進む「職業遍路」(?)さん。




10時30分、室戸市へ入る。


10時40分、淀ヶ磯休憩所にて20分休み。


雨に濡れたハイビスカス。




この辺りでは、石も大きくてゴロゴロとはならず、ガッツン、バッコンという感じ。




11時20分、入木橋通過。この頃一時雨がやむ。


11時30分、仏海庵。


11時50分、室戸岬東側では数少ない耕作地。


12時5分、佐喜浜の集落に入り、佐喜浜八幡宮。


12時10分、スーパーがあり、野根で買えなかった果物や食料を仕入れる。さらに郵便局があり3万円おろす。


佐喜浜川にかかる橋を渡り、


佐喜浜港と源内槍掛けの松跡の碑。




アカテガニ。


13時、荒れる海を見つつ再び降り出した雨の中を歩き、


尾崎橋を渡って、
13時20分、「民宿徳増」に着く。
だいぶ早い時間だが、さっそく風呂を沸かしてくれ、生き返る。洗濯をし、あとはゆっくりする。
「民宿徳増」は、清潔で大変感じの良い宿で、おばあちゃんも奥さんも親切な人。
夕食のおかずもリッチで、刺身、天ぷら、煮魚、煮つけ、お新香、さらに漬けカツオ。
食後に、向かいの部屋の広島から来た元気な歩き遍路の男性に、破れたマメにヨーチンを塗ってもらう。マメにはヨーチン、が彼の信条。うーっしみた!

歩数 28,175歩   (累計 305,411歩)

距離 21km      (累計 219.5km)

費用 7,265円 (「民宿いくみ」宿代6,200 食料1,065) (累計 36,570円)













四国の旅 第8日 東陽町・「民宿いくみ」へ

2012年05月26日 | 2011年四国の旅-1
10月20日(水) 晴のち曇 (「あづま」~東陽町・「民宿いくみ」)

○本日の参拝
ありません。




昨日の第23番薬王寺から、次の札所である第24番最御崎寺までは、75.4kmあり、したがって今日と明日は札所の参拝は無く、ただひたすら歩くばかりの予定。
早朝、宿の朝食前に牟岐駅周辺を散策。駅にて入手。




7時40分、冷えたペットボトルとゆで卵を2つ、女将さんから「お接待」でいただき、出発。歩き遍路の愛媛君、大阪さんはそれぞれ先に出発。

追いついた大阪さんと海沿いの道を行こうとするも途中で迷い、ヤブこぎ状態になる。


ようやく海に出たが、漁港の先で行き止まりに。


大阪さんと別れ、しばらく海など眺める。


海は輝いている。


結局、国道55号(土佐浜街道)を行くことにする。

南海地震津波最高潮位を示す石柱。「5.79メートル 昭和二十一年十二月二十一日未明」とある。


昨日見かけた津波避難指示の標識などもふくめ、南海地震への備えの切迫感を受ける。

8時50分、八坂トンネルを抜けると、


内妻海岸。このあたりから海陽町浅川港にかけての8kmほど(または、三浦の浜にかけての12kmほど)は、美しい海岸線を描き「八坂八浜」といわれる。




9時5分、内妻トンネル、


9時10分、古江トンネルと抜け、


9時20分、海陽町に入る。


牟岐町との町境の駐車場にある、野口雨情の「牟岐みなと節」の碑。「八坂八浜の難所でさへも 親の後生ならいとやせぬ 雨情」。


「四国のみち 牟岐・海南」案内図。


海を眺めつつ歩き、






さらに海寄りのへんろ道へ。




「四国のみち (四国自然歩道)」案内図。


10時30分、JR牟岐線浅川駅通過。


ふたたび大阪さんに追いつき、しばらく話をしながら一緒に歩く。彼女は、今回は「区切り打ち」で、明日バスで帰るとのこと。去年「通し」で回って「お遍路にハマってしまった。」、と。彼女の仕事の話など聞きながら歩いていくと、

11時20分、阿波海南駅のそばに、


「遍路小屋第一号 香峰」。歌教授のプロジェクトの第一号で、野村さんという方が場所を提供されていると書かれてあった。ここに愛媛君もおり、3人でおしゃべりしつつ小休止。「お接待」の冷えたオロナミンCをいただく。



11時35分、海部川にかかる海部大橋から、


JR牟岐線を撮る。


11時50分、おへんろ休憩所を通過。


東側に那佐半島を見つつ行く。




12時30分、室戸まで50km。


12時45分、路傍の「お接待所」。冷えたおしぼりがあり、みかんをいただく。牛乳を買う。


やや波が高くなってきた海岸線をたどると、




13時20分、旧土佐街道への分岐。今回は立ち寄らずにそのまま国道を直進。


工事中の阿佐東線。


13時35分、「道の駅宍喰温泉」へ。みかんを買い小休止。


宍喰海岸と、


宍喰港。


14時15分、徳島と高知の県境の水床トンネル(638メートル)を抜けると、




「修行の道場」高知県へ。


さらば、「発心の道場」。


国道を避けて、甲浦の古いへんろ道。


甲浦港。


海を眺めつつ行き、


15時、甲浦坂トンネル。


15時15分、宿のある生見海岸。


大阪さんは別の宿なので、彼女に激励され別れる。

15時20分、「民宿いくみ」着。
昨日、休憩所で一緒になった東京の男性と同宿。食後、話をしながらくつろぐ。彼は、「区切り打ち」を含め、もう何度も四国は回っており、今回は西国三十三か所にもいくつか立ち寄っていく予定、とか。パソコンを背負って、ブログを毎日更新するそうだ。おかげで荷物は12㎏。
「いくみ」は、お遍路さんの宿というより、むしろサーファーの宿といった感じ。主人もそれらしい雰囲気。ちょっとぶっきらぼうだが、食事は美味しかった。
明日から天気は下り坂との予報に、野宿をやめて宿を予約した。

歩数 32,941歩   (累計 277,236歩)

距離 24.5km    (累計 198.5km)

費用 6,948円(「あづま」宿代6,500、みかんと牛乳) (累計 29,305円)
























四国の旅 第7日 牟岐町・「あづま」へ

2012年05月21日 | 2011年四国の旅-1
10月19日(火) 晴 (鉦打ヘンロ小屋~牟岐町・「あづま」)

○本日の参拝
第23番札所 医王山無量寿院 薬王寺 (御本尊:薬師如来)




早朝、南天にオリオン座が輝いていた。星空は冬に向かって動いている。

5時30分、「鉦打ヘンロ小屋」出発。ダム湖を渡り、弥谷観音方面へ。


弥谷観音前の広場は、水、トイレ、ベンチありで、テント可能の広さもあるが、「マムシ注意」の立札もあり。

再び国道55号に合流、室戸はまだまだ先だ。


国道55号と県道25号との分岐。国道の方が距離が短いが、25号の海沿いの道に進むことにして、ここはためらうことなく左折。




6時50分、由岐坂峠。美波町に入る。美波町は、しばらく前の朝ドラ『ウェルかめ』の舞台。


田井ノ浜まであと3km。


6時57分、海見える。


由岐坂トンネル。


人形あり。


アカテガニ横断注意の標識あり。


7時15分、由岐坂休憩所で小休止。


7時25分、海まであと1kmの分岐


7時40分、由岐の海に出る。





JR牟岐線を越え、


7時50分、朝日に輝く田井ノ浜へ。


木岐トンネルを抜けて、


8時15分、木岐漁港。


8時25分、白浜海岸にある「宝くじの普及宣伝事業として整備された」休憩所。


白浜海岸。


一旦海岸線から離れ、


9時、山座峠休憩所。


9時30分、日和佐湾。


ここにも「宝くじ」の恵比寿浜休憩所。


潮の香を浴びながら、恵比寿浜の海岸線にそっていく。








ウミガメ産卵地の大浜海岸。


10時20分、日和佐城が見える。


10時30分、突然、「日和佐の農協」(JAかいふ日和佐支所)。



理由。一昨日、民宿「あづま」に宿泊の予約をした際に、女将さんから日和佐まで来たら、薬王寺のノーキョージョにザックを預けておけば、彼女が車で運んでくれる(日和佐から牟岐までは空身で歩いてくればよい)、という約束をしていた。ところが、前述のとおり、行動が拘束されるのを避けて、今回は納経をしていないため、納経所に寄ることなくここまで来ていたので、「日和佐=ノーキョー=農協」「薬王寺≠ノーキョー≠納経」と頭の回路がつながってしまったようだ。農協の前から「あづま」さんに電話をし、笑われながら「薬王寺の納経所」と念を押されてしまった。イヤ、お恥ずかしい次第。

10時40分、第23番薬王寺山門に着く。門前にいるのは「こうやくん」


納経所にザックを預けて参拝。

薬王寺は大きなお寺である。


吉川英治の『鳴門秘帖』の舞台の碑。


司馬遼太郎の『空海の風景』にも登場の碑。


厄坂の上に、


本堂と、


大師堂。


さらにその上に瑜祗塔。


瑜祗塔への階段に一段ずつお賽銭を置いていくお遍路さんもいる。


塔の中を見学した後、日和佐市街を一望。


11時15分、JR牟岐線に沿った土佐浜街道の国道55号を、空身で歩きだす。道の駅日和佐。


12時20分、日和佐トンネルをぬける。


12時35分、「かめ遍路休憩所」。歩き遍路の男性2人(東京と愛媛の人)と出会い、情報交換。


13時15分、美波町から、




牟岐町へ。


只今の気温、29度。


14時、橘川を渡る。


14時20分、橘川は牟岐川に合流。牟岐橋。


その後は、牟岐川に沿って下っていく。




途中、野口雨情の詩碑。雨情が牟岐町に来た際に作詞した「牟岐みなと節」の一節が書かれている。「五剣胴切矢筈が目あて 船は港を差して来る」、と。


河口の橋を渡って、


14時50分、牟岐駅前の「あづま」到着。


まだ女将さんは戻っておらず、前もって言われていた通り、中に入って一休み。その後、前のスーパーで、食料、衣類を買い、洗濯をし、4日ぶりの風呂に入る。
夕食は、ご飯、味噌汁、刺身(マグロ、ハマチ、イカ)、天ぷら、煮物、もずく、お新香、茶わん蒸し、デザートにメロンと柿、その他に特別に田楽、とリッチ。
同宿は小生の他に歩き遍路の2人。1人は昼間会った愛媛の男性、もう一人は櫛淵町のお接待所に記載されていた大阪の女性。女将さんは話好きの気さくで楽しい人で、4人で話に花が咲いた。女将さんから毛糸の金剛杖カバーを「お接待」された。

歩数 49,869歩  (累計 244,295歩)

距離 32.5km   (累計 174km)

費用 1,265円   (累計 22,357円)











四国の旅 第6日 福井町・鉦打ヘンロ小屋へ

2012年05月20日 | 2011年四国の旅-1
10月18日(月) 晴 (勝浦ヘンロ小屋~福井町・鉦打ヘンロ小屋)


○本日の参拝
第20番札所 霊鷲山宝珠院 鶴林寺 (御本尊:地蔵菩薩)
第21番札所 舎心山常住院 太龍寺 (御本尊:虚空蔵菩薩)
第22番札所 白水山医王院 平等寺 (御本尊:薬師如来)



夜は風が強く、若干寒かった。早朝、金星が輝き、下弦の月。

6時、勝浦ヘンロ小屋(写真左端)を出発。


6時20分、歩きへんろ道を鶴林寺へ向かう。


今日通過する道も「焼山、お鶴」と言われ、一昨々日通過した焼山寺とならび、「へんろころがし」として有名なところ。


6時35分、途中にきれいな休憩舎がある。水なし、トイレあり。


景色も良好。勝浦川がよく見える。


6時50分、水呑大師。


鶴林寺への登り道は、階段状に木やコンクリートで補修されているところがいくつもある。歩幅が小さくて済むので歩きやすい。


そういえば、登り口に、鶴林寺檀家の名で杖が置いてあり、「ご自由にお使いください」、とあった。

7時45分、第20番鶴林寺の山門に着く。


さらに少し登っていくと、石段の上に本堂がある。鶴林寺は標高500メートルだそうだ。






両脇には、阿形、


吽形の鶴。


大師堂、


三重塔。


鶴林寺は、下り道も階段状に作られてはいるが、ところどころとがった石を踏みつけ、ウォーキングシューズではちょっと痛い。マメのせいもあって、小生には焼山寺よりこちらの方がイヤであった。

40分くらい下って行き、那賀川にかかる水井橋へ。だが、橋の手前でへんろ道を見失い、民家の庭の中に出てしまう。これはまずい、と思っていると庭の人が丁寧に教えてくれる。少し手前で左折するとのことで、行ってみると木に札が下がっていた。

9時30分、水井橋を渡る。


河原には染物が広げてあった。水がきれいだからこそか。


上流方面。

太龍寺への登りの途中にあった東屋。


10時40分、第21番太龍寺の山門へ。


太龍寺は、「西の高野」と呼ばれるほどのきわめて広大なお寺である。長い参道をゆるやかに上っていくと石段の上に鐘楼門がある。


標高540メートル。残念ながら、現在本堂は改修中。


木で組み立てられた小屋のような仮本堂に参拝する。


ロープウェーが到着すると一気に参拝者が増える。


面白かったのは、杉の木に額縁がつけられており、丁度通ってきた鶴林寺が望めるようになっていたこと(真ん中の尾根上の白い部分)。


奥に大師堂、


御廟、


多宝塔、


中興堂、


六角経蔵、


求聞持堂、


相輪橖、


高齢の巡礼者夫妻と「守護の大杉」、樹齢600年、高さ約50メートル。


11時20分、参拝を終えて下りにかかる。途中で若いカップルに出会う。ベルギー人の男性とフランス人の女性。日本は1か月と1週間、四国は3日目。日本の印象はどうかと尋ねたら、「Very nice!」とのこと。「Good luck!」「You too!」で別れた。少し下ると彼らのものらしき自転車が2台あった。随分高いところまでこいであがったものだ。

さらに下ると、頭上遥かにロープウェーの支柱が見えた。


13時、「ヘンロ小屋第二号阿瀬比」にて小休止。


さらに平等寺に向かってどんどん下っていく。






江戸時代の古いへんろ石。


14時40分、第22番平等寺、山門へ。


平等寺境内。


本堂、




大師堂。


平等寺から、福井ダム方面へ向かう。15時を過ぎると風が冷たくなり、陽の当たる側を求めて歩く。1時間半ほど歩き、

16時30分、鉦打トンネルを出たところに、


「ヘンロ小屋第三号鉦打」があり、今日はここで泊ることにする(水とトイレは、ダム湖を渡り10分ほどの弥谷観音前の広場にあり)。


小屋は国道55号沿いで車が多い。小屋の横の草の上にテントを張る。今日は山道のアップダウンが多く、ややきつかった。歩き遍路といってもルートの8割は舗装道路との情報に、それならとミズノのウォーキングシューズを履くことにしたが、やはり山道は靴底の厚さが不十分だったようだ。また、途中に店がなかったので、今夜と明朝は乾パンとレーズン、みかんの食事ということになった。食後、宿の予約をし、只今化膿中の右足小指の手入れをして行動終了。

歩数 33,715歩  (累計 194,426歩)

距離 26.5km   (累計 141.5km)

費用 0円       (累計 21,092円)





















四国の旅 第5日 勝浦町・勝浦ヘンロ小屋へ

2012年05月17日 | 2011年四国の旅-1
10月17日(月) 晴れて暑し (地蔵院前休憩所~勝浦町・勝浦ヘンロ小屋)

○本日の参拝
第18番札所 母養山宝樹院 恩山寺 (御本尊:薬師如来)
第19番札所 橋池山摩尼院 立江寺 (御本尊:延命地蔵菩薩)



6時、地蔵院前の休憩所を出発。
6時30分、地蔵峠へ


冬桜が咲いている。


峠で休憩中、地元の高齢男性に話しかけられる。小生、お遍路は初めてだと言うと、彼は、友人で125回まわったのがいる、と言う。でも、クルマじゃあねぇ、と。四国を125回も自動車でまわると、いったい燃料はどれくらいかかったのかな? 排気ガスの量はどれくらいになるのかな?

7時、園瀬川へ下ってくる。
河原に白鷺が、


土手にも冬桜


川に沿って下っていき、潜水橋をわたったところで地図で現在地確認をしていると、犬をつれた中年男性が寄ってきて詳しく教えてくれる。フェリーで聞いた「白衣のおかげ」である。
8時15分、「主婦の店」という名のスーパーで、食料や絆創膏等の買い物。922円。

9時、勝浦川橋を渡る。


日差しが強くなってくる中、国道55号のクルマの渋滞の横を歩く。


しばらく歩いていると、後ろから「お遍路さん!」と声をかけられる。振り向くと、中年の女性が「歩くの早いなあ。」と言いつつ、「これ、お接待。頑張ってください。」と冷えたお茶のペットボトルを差し出した。歩行中にいただいた「初お接待」にドギマギし、「有難うございます。」と言っているうちに、納札を渡す間もなく彼女は車で立ち去ってしまった。後姿に「南無大師遍照金剛」。

9時20分、綺麗なお遍路休憩所にて一休み。




9時45分、芝生田川橋の先を右折し、恩山寺方面へ。


10時、「源義経上陸の地」の碑。1185年2月18日、屋島の合戦の際、折からの暴風雨をついて義経らがここから上陸した、とのこと。


10時10分、緩やかなカーブの上りの先に第18番恩山寺。


大師像と


大師堂。


長い階段の上にある本堂と、


地蔵尊。


11時、参拝を終えて下ってきたところにある無人販売所で、みかんを1袋買う。100円。


竹林の中の義経が通過したという小道を通る。




11時20分、弦張坂。(義経軍が敵の伏兵を警戒して弓の弦を張って登ったところから名づけられた、と。)


竹林の道を抜けると道幅は広くなり、両側にみかん畑が続く。


みかん畑で作業中の男性に挨拶をしたところ、「みかんをお接待するから袋を出しな。」と言う。ついさっき買ったばかりだというと、それなら重くならないようにと、大ぶりのみかんを3つ切ってきてくれる。今度はあわてずに納札を渡した。

12時、「お京塚」。お京という女性が不義密通を犯し、四国巡礼の後、出家して住んだ庵の跡、だそうである。草を分けて中を見たが、荒れて汚れていた。眺めるだけで通過してしまうようだ。


12時15分、第19番立江寺山門。


本堂、


大師堂、


多宝塔、


黒髪堂。先ほど見た「お京塚」のお京の、罪の報いで黒髪が絡みついたといわれる鐘の緒がおさめられている。


ここまでいいペースで来たので、他のお遍路さんのお経や真言などを聞きながら境内で大休止。食事とみかんをたっぷり食べ、ビタミンCの補給。

13時、鶴林寺方面へ向かう。


14時、歩いているとこんな看板があり、


立ち寄って、櫛淵町の老人会の皆さんの「お接待」を受ける。今日はこれまでに大阪1人、東京4人、神奈川2人が「お接待」を受け、小生で8人目とか。熱いお茶、おにぎり2個とお新香のパック、お菓子、みかん、タオルに靴下までいただいた。こんな組織的な「お接待」ももちろん初めてのこと。有難い。お礼に納札を渡し、皆さんの写真を撮って帰宅後にお送りした。


15時50分、生名の「JA東とくしま よってネ市」のある「道の駅ひなの里かつうら」着。


今夜はここの「ヘンロ小屋第11号勝浦」で野宿なり。他には誰もおらず、蚊が多かったのでテントを張ったが少しはみ出した。


テントの中で、明後日の宿(牟岐の「あづま」)の予約。応対の女性は肝っ玉おばさんのような印象。右足小指のマメが化膿し始めているようで、とくに歩き始めが痛いが、前回の旅で経験済み。まあこの痛さを通り越せば皮膚も固まってくるはず。

歩数  34,833歩  (累計 160,711歩)

距離  28.5km   (累計 115km)

費用  1,022円   (累計 21,092円)






















四国の旅 第4日 名東町・地蔵院前休憩所へ

2012年05月11日 | 2011年四国の旅-1
10月16日(日) 晴 (すだち館~名東町・地蔵院前休憩所)

○本日の参拝
第13番札所 大栗山花蔵院 大日寺 (御本尊:十一面観音)
第14番札所 盛寿山延命院 常楽寺 (御本尊:弥勒菩薩)
第15番札所 薬王山金色院 国分寺 (御本尊:薬師如来)
第16番札所 光耀山千手院 観音寺 (御本尊:千手観音)
第17番札所 瑠璃山真福院 井戸寺 (御本尊:七仏薬師)



6時、朝食。宿代は今日の昼食付きで4000円。それと洗濯、乾燥機代が300円。
7時、記念写真を撮って、さあ出発。



宿の前。標高200メートルはすっかり秋も深まった気配。


7時20分、玉ヶ峠越えのルートに入っていく。


途中で落としたタオルを拾ってやったハイキングの3人組と、前になり後になりしつつ、少しずつ高度を上げていく。


8時過ぎに、標高460メートルの玉ヶ峠へ。峠にはお堂があり、そばにはいくつもの野仏が鎮座していた。


拡大。


峠を下ると、鮎喰川が光って見えた。


8時30分、「ヘンロ小屋 神山・36号」。近畿大学の歌教授のプロジェクトが作ったとの説明があった。見晴らしもよく、トイレも付いている。


9時15分、坂道を下って、鮎喰川に出る。


本名にて、福原橋より、


潜水橋は、台風12号のためか工事中で渡れず。
鮎喰川左岸の道をたどると、さまざまな案山子の人形が道路わきに展示(?)されている。


10時30分、広野。鮎喰川上流方面を望む。


さらに川に沿って下り、


行者野橋を渡って右岸へ。大日寺方面に向かう。


途中で、白衣に身を包み、本格的な格好をしたお遍路さんに出会う。お互いに「南無大師遍照金剛」と挨拶する。

11時20分、徳島市に入る。


晴天で日差しが強く、自販機でペットボトルを買い、歩きながら飲み終わったら、
11時50分、なんと「おやすみなし亭」という休憩所。


冷たい水やミカンが冷蔵庫にあり、「ご自由にどうぞ」と。ありゃりゃ。さらに、机の上にお湯のポットとコーヒーやお茶やアメがあってこちらも自由に。
先ほどのお遍路さんも休憩していたので昼食のおにぎりを1個進呈し、30分ほど話を聞いた。彼は、願掛けをしており、八十八か所のほかに、番外札所、霊場を含め、野宿で全部まわるのだと言う。真言宗のイロハを教えてもらい、また、この春に亡くなった母の供養の真似事をしていると言うと、それなら「光明真言」が強い力があるから唱えるとよいとアドバイスをもらった。

13時10分、第13番大日寺へ。
道路に面して立つ山門。


本堂では、30人ほどのバス遍路の人たちがお参りしていたので、後ろの方に一緒に並んで、先達さんの話をこっそり聞かせてもらった。


こちらが大師堂。右側の小坊主が八十八か所の各札所で、本堂と大師堂を示してくれる。


道路を隔てた反対側に、一宮神社がある。
初日にまわった大麻比古神社が現在の阿波一の宮だが、中世以前は神山町の上一宮大粟神社が阿波国一宮で、ここの一宮神社はそこから分祀したもの、という。


境内に馬の像があるのは、「大宣都比売命」が伊勢の国から馬に乗って阿波の国に食糧(粟)の栽培を広めに来たから、と。





一の宮橋を渡り、


13時50分、「人生即遍路 山頭火」という碑がある第14番常楽寺。


境内は「流水岩」という岩盤がむき出しになっていて、ありがたくてあるきにくい。


本堂


大師堂。


この辺りは、第13番から第17番まで、そう距離を置かずに札所が5つまとまっているので、バス遍路さんは一気にまわる。
彼らの波にまきこまれつつ一緒に歩いていくと、
14時15分、「聖武天皇勅願所」の碑がある第15番国分寺。このお寺は、真言宗ではなくて曹洞宗。


境内はさすがに広い。

本堂も大きくてさすがに堂々たるもの。

大師堂にお参りし、お経を唱えるバス遍路さんたち。


次いで、観音寺に向かうが、手前の用水で子供たちが魚獲りをして遊んでいた。


釣果を見せてもらう.


「こんなにきれいな水のそばで遊べて羨ましいねえ」と言うと、女の子が力強く「うん」と答えた。

15時、第16番観音寺の山門。


本堂。


さらに、JR徳島線をわたって、


コスモス畑をすぎると、


15時50分、色鮮やかな第17番井戸寺の山門。


本堂と、


大師堂。


この後、広々としたところを通過するが、


歩きへんろ道を外したようで、若干苦労しつつも上鮎喰橋を渡り、
17時、今日の泊り場である、地蔵院前の休憩所に到着。隣がトイレで前が池。
まだ明るいので、休憩所にいた近くに住む中年男性と話などして時を過ごす。前の池には誰かが放したブラックバスがいて、それを目当てにルアーをやりに来る人が結構いるそうだ。彼はもっぱら渓流釣りだが、四国には、谷にはアユがたくさんいるし、海岸も沖も魚が獲れるから釣り人口が多いのだそうだ。
18時、テント設営。その後夕食、メールで行動を終えた。

歩数 39,220歩  (累計125,878歩)

距離 29.5km    (累計86.5km)

費用 4,450円   (累計20,070円)  







四国の旅 第3日 神山町鍋岩・「すだち館」へ

2012年05月07日 | 2011年四国の旅-1
10月15日(土) 曇のち雨 (川島橋へんろ小屋~神山町鍋岩・「すだち館」へ)

○本日の参拝
第11番札所 金剛山一乗院 藤井寺 (御本尊:薬師如来)
第12番札所 摩廬山性寿院 焼山寺 (御本尊:虚空蔵菩薩)



6時25分出発。直前まで降雨だが、歩き出すときには止んでいる。
今日のルートは、舗装道路ではなく、「最後まで残った空海の道」で、へんろ道「最初にして最大の難所」と言われている焼山寺までの「へんろころがし」の通過である。ガイドでは、標高50メートルの藤井寺から一旦750メートルまで上り、「へんろころがし」の400メートルの下りがあって、再び720メートルの焼山寺への上り、そして200メートルの鍋岩までの下り、となっている。


元の地図はこちら(昨日、切幡寺からの途中にて入手)。雨で破けてしまっているが、貴重品である。


6時35分、JR高徳線の踏切を越え、


雨上がりの秋の花や、


柿の木や、


色づいた木の葉、木の実を眺めつつ、野中の道を行く。


7時15分、田園地帯の奥の第11番藤井寺へ。山門と、


本堂、


大師堂。


門前の休憩所にいた男性から、「天気予報では、夕方また降るが、日中はなんとかもつようだ」と聞く。

7時30分、出発。
ルート図その1(上記地図を拡大したものです)。


藤井寺からしばらくの上りには、「ミニ八十八か所」があり、野仏と札所名を眺めながら少しずつ高度を上げていく。
山道ではあるが、綺麗に整備されていて、ちょうど地元神奈川の西丹沢の登山道のような感じ。




7時50分、端山展望休憩所から吉野川方面を望む。


へんろ道には、ところどころに野仏があり、


また案内も明瞭である。


9時、番外霊場 長戸庵に着く。「ちょうど塩」梅(あんばい)のよいところ。






9時20分、眼下に長々と吉野川。


再び、樹林の道を行き、


10時15分、番外霊場 柳水庵。


お堂の中を覗いてみた。


10時30分、その少し先の遍路小屋。「お遍路さん ご自由にお休みください」とあって、宿泊も可能。


ルート図その2へ。


11時20分、番外霊場 浄蓮庵(一本杉庵)へ。
コンクリートの階段の上に、


弘法大師の像が大きな杉の木(高さ約30メートル)の下に建っている。




浄蓮庵。




400メートルのへんろころがしを通過。「ここからが一番苦しい、がんばれ」との札が木にぶら下がっていた。
へんろ道にアケビが落ちており、実を口に含み、種を飛ばしながら歩く。

13時10分、焼山寺、近し。左側へ大きく回り込んでいくと、


13時20分、第12番焼山寺山門へ。


本堂と、


大師堂。


鐘楼。


焼山寺に来ると、車遍路の人たちがいたが、藤井寺からここまでの約6時間は、途中で2人のランニング登山の若者が駆け抜けていった以外は誰にも出会わず、お大師様との同行二人にひたりつつ歩いた。
境内にて、ペットボトルで喉の渇きをを癒しつつ、宿への確認の電話をし、その後はゆっくりと下りに入る。最後で油断しないように、「高名の木登り」である。

14時15分、番外霊場 杖杉庵。


四国遍路の元祖、衛門三郎の終焉の地。




14時45分、今日の宿である鍋岩の「すだち館」へ到着。宿の主人に車で近くの神山温泉まで送迎してもらって入浴。つるつるさっぱりの体になり、湯上りに冷えた牛乳。
その後、藤井寺門前の男性の言った通り降雨あり。幸運にも、雨と雨の隙間で「へんろころがし」を通過できたことになった。
今日の泊りは小生1人だけ。宿の主人夫妻や手伝っている青年に四国遍路の話を聞きながら夕食。今回の旅も、半分まで(予定では足摺岬の第38番金剛福寺まで)はビールを我慢することにした。食堂には色様々な納札がたくさん貼ってあり、また韓国の紙幣なども貼ってあって、最近特に韓国からのお遍路が増えている、とのこと。
主人と、無事に八十八か所を回り終えたら、JR徳島駅に迎えに来てもらい、翌日高野山へのフェリー乗場まで車で送ってもらう約束をした。
部屋に戻って、衣類の洗濯、乾燥。経本を乾かしてテーピングで補強。家からのメールが、どういう訳かつながらず、安否確認のためのメールはこちらから一方通行で送り、家からは必要に応じて電話することにした。


歩数  29.682歩  (累計 86.658)

距離  21km    (累計 57km)

費用  260円    (累計 15.620円)



四国の旅 第2日 吉野川市・川島橋へんろ小屋へ(2)

2012年05月05日 | 2011年四国の旅-1
10月14日 雨時々曇 (ドイツ村公園~吉野川市・川島橋へんろ小屋)―その2



(つづき)

相変わらず、雨がやんだかと思うとまた降り出すという空模様の中を、第8番札所の熊谷寺から第9番の法輪寺へと歩く。
雨の中、昨日買った菅笠がまったく役に立たない。というのも、60リットルのザックの上部が後頭部の高さになり、菅笠をかぶると傾いて前が見えなくなってしまう。仕方なく菅笠は左手に持って、右手に地図を持ち、時々折り畳み傘も持つという非常に窮屈な格好でお参りをつづけることになってしまっている。




14時、第9番札所の法輪寺に着く。


広く大きな熊谷寺から、次は一気にこぢんまりとしたお寺である。


本堂。
白衣のお遍路さんがお参りしている。ここまでのお寺でも何人か見かけたが、いずれもバスや自家用車でまわっていて、歩きのお遍路には出会わなかった。ここでも。


大師堂。


切幡寺に向かう道に群れて咲いているコスモス。


15時20分、雨の中、長い坂を上り石段を上って第10番切幡寺に到着。


本堂と、


釣鐘の向こうに大師堂。


再び分岐に戻り、吉野川方面へ。
16時、食糧調達のため、スーパーで買い物。コロッケ、ソーセージ、りんご、お菓子など900円。
熱いコーヒーと菓子パンのお接待を受ける。気さくな奥さんから、管元首相がお遍路で通った時のことなど聞きながら、小休止。出発時に納札を渡すべきところだったが、まだお接待されることに慣れていないため気が回らず、お礼を言っただけ。

16時30分、大野島潜水橋を渡り吉野川の中州である善入寺島へ。


かたわらに、「お遍路さんいつまでもお元気で」との大野島子ども会の立札。


善入寺島は500ヘクタールで日本一広い中州。


農地の横にもコスモス。




16時45分、川島潜水橋。自動車が見えると、サイドのスペースで待避。


水墨画の風情。


さすが「四国三郎」大河である。雨だが、水もかなり澄んでいる。


16時55分、川島橋へんろ小屋着。狭い小屋だが有り難い。「利用の定め(掟)1泊に限り利用可とする。建物内の火器使用禁止。」とある。(水とトイレは、道路の反対側を少しのぼったところの公園で可能。)


他に誰も来そうにないので、小屋内に紐を貼り渡し、濡れた衣類を干す。さながら満艦飾なり。結局、一日中ゴアテックスの雨具は着通しで30km歩き、いくつものお寺に参拝しお経を唱えたので、野中の道も、コスモスの花も、熟れている柿の実も、漂ってくる金木犀の香りも、ゆっくり味わうゆとりもなく通過してしまった。経本も雨でぶよぶよになり、一部はがれてしまった。
両足に、大小合計6個のマメを収穫。
買ったばかりの菅笠は、考えた末、今後も同様の状態になる見通しなので、この小屋を後から利用するお遍路のために、ここにお接待していくことにした。


歩数 49.722歩 (累計 56.976歩)

距離 32.5km  (累計 36km)

費用 900円  (累計 15.360円)


四国の旅 第2日 吉野川市・川島橋へんろ小屋へ(1)

2012年05月01日 | 2011年四国の旅-1
10月14日(金) 雨時々曇 (ドイツ村公園~吉野川市・川島橋へんろ小屋)―その1

○ 本日の参拝
第2番札所  日照山無量寿院 極楽寺 (御本尊:阿弥陀如来)
第3番札所  亀光山釈迦院  金泉寺 (御本尊:釈迦如来) 
第4番札所  黒巌山遍照院  大日寺 (御本尊:大日如来)
第5番札所  無尽山荘厳院  地蔵寺 (御本尊:勝軍地蔵)
第6番札所  温泉山瑠璃光院 安楽寺 (御本尊:薬師如来)
第7番札所  光明山蓮華院  十楽寺 (御本尊:阿弥陀如来)
第8番札所  普明山真光院  熊谷寺 (御本尊:千手観音)
第9番札所  正覚山菩提院  法輪寺 (御本尊:釈迦如来)
第10番札所 得度山灌頂院  切幡寺 (御本尊:千手観音)



4時30分、起床するも雨。歩きの支度をして小降りになるのを待つがなかなかその気配もなく、5時30分、雨具を着用して出発。
暗い中を、車道を歩き、5時40分、第2番札所の極楽寺山門に到着。


本堂は正面の長く急な石段の上。日の出前でまだ暗く、デジカメは手ブレなり。


ようやく境内も明るくなってきた。


ここでは、暗かったせいもあり、且つ今日の先行きも気になって、大師堂にお参りせずに先に向かってしまった。本堂と大師堂の両方にお参りするものだということなど考えもつかず、大師堂の方は余裕があったらお参りすればいいものだろう、などと考えていた。無知である。(11月下旬に、88ヶ所を終えて1番の霊山寺へお礼参りをした際に、ここの大師堂へ寄ってお参りをし宿題をはたした。)
それと、納経帳については、今回は用意しなかった。いくつか理由はあるが、自分の行動パターンからして、納経所が開いている時間帯(7時から17時)に拘束されるのを避けたことが大きな理由である。但し、もう一度回る機会があれば、その時にはもっとゆとりをもって計画し、納経帳も用意してもいいかなと思う。、

次の札所金泉寺へ向かう野の道。国土交通省が定めた「四国のみち」は、このあたりは歩きへんろ道と重なる部分が多い。


左側に年月を経た古い道標、右に新しい道標。


6時50分、第3番札所の金泉寺山門へ。




本堂。


そして、大師堂。


これは、不動明王の化身といわれる「倶利伽羅龍王」。


8時10分、第4番札所である大日寺へ向かう途中にある愛染院(第3番札所の奥之院)。


少し先の路傍に、日本藍染文化協会が建てた「岩田ツヤ子の碑」。第二次世界大戦中に、食糧増産のため禁止作物に指定された一年草の藍の種を、憲兵警察の目を逃れて命がけで守り続けた・・・とある。徳島名産の「藍染め」の歴史である。


8時40分、第4番大日寺の山門。奥が本堂。


大師堂。


坂道を下ってくると、五百羅漢で再び強い雨。
9時40分、そのまま隣の第5番札所の地蔵寺へ。
本堂。


大師堂。


11時10分、第6番札所の安楽寺へ。
鐘楼門の入り口に、「商用、HPへの掲載を目的とした境内の撮影はご遠慮願います。」とあったので、デジカメは遠慮し、参拝だけにした。


11時50分、すぐそばの第7番札所の十楽寺へ。


この間、雨が降ったり止んだりする中を、へんろ道の赤いシールをたよりに、次々現れる札所を目指して見知らぬ道を進む。しまいにだんだん頭が混乱してきて、交差点で方角を間違え、8番の熊谷寺を飛ばして、9番の法輪寺に向かってしまい、途中で気付いて引き返したりする。

13時10分、第8番札所の熊谷寺の巨大な山門。この山門は、1687年の建立で、高さが13メートルもある堂々としたもの。江戸期の山門としては四国随一の規模だそうである。


多宝塔。


参道を通って、


熊谷寺の本堂。


大師堂は石段の上にあった。


(以下、その2へつづく)