そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 まとめと御挨拶

2009年07月18日 | コラム
「90日間 徒歩日本列島縦断の旅」のまとめ

1、旅の概略

○日程:    2008年4月11日~7月9日(+α)           

         全90日(実動日83日+沈殿・観光等7日)
          (+αは、礼文岳・利尻山登山その他で4日)

○ルート:   鹿児島県薩摩半島長崎鼻~主に日本海側を通り~北海道宗谷岬 

○目的:    いささか大げさだが、日本を知り、自分を知ること。退職記念。

○歩行距離:  約3030km(1日平均36.5km)

○歩数:    457万8,336歩(1日平均5万5,161歩)


○宿泊場所:  道の駅(16ヶ所)、キャンプ場(14)、ユースホステル(12)、無人駅(10)、
          旅館(8)、民宿(6)、公園(5)、国民宿舎(3)、ビジネスホテル(2)、ペンション(1)、
          ライダーハウス(1)、海水浴場(1)、駐車場(1)、バス停(1)、防砂林の中(1)、
          許可を得て私邸の庭へ(1)、(テント泊――50ヶ所・51日、  宿泊――32ヶ所・39日 )
          
○装備:    テントを含む一般的登山装備(ミズノのシューズ。60ℓザックで約15㎏)

○経費:    33万5,008円(90日分)、
          内訳  宿泊費    18万4,975円(1泊平均4,743円)
             その他の費用 15万0,033円(1日平均1,667円)
         
        (+往復の宿泊費・交通費・食費等約6万円、礼文島・利尻島約2万5千円)
        
         したがって、トータルで約42万円。   

○諸条件:   ①実現に向けた強固な意志、②時間、③体力、④資金、⑤家族の理解          

○見た所:   熊本城、出雲大社、東尋坊、兼六園、函館山、小樽運河、礼文島、利尻島、
          その他に各地の記念館、博物館等々

○食べたもの:基本はコンビニでの牛乳、おにぎり、パン、ほか弁等とスーパーでの野菜類。
         その他に各地で、海鮮丼、イカミンチ丼、ホタテ丼、イクラ丼、カニ飯、イカ飯、
         小樽ラーメン、ウニ丼等をそれぞれ1回程度。
         また宿では主に刺身がご馳走でした。

○総括:    ①一言ではうまく言えないのだが、自分を見つめなおし、今後自分はいかに生き       
           ていくかを考えるきっかけになった。これが一番大きな事だった。
         ②限られた地域を、限られた時間で通過したにすぎないが、自分自身の五感で    
           それぞれの土地の「風」を感じることができた。日本は思ったより小さな国だが、
           中身(自然、文化、人の心)は豊かだった。
         ③徒歩の旅ゆえに、対象をゆっくり眺め、ゆっくり感じ、ゆっくり考えることができた。
         ④今後勉強していくテーマをいくつか発見した。
         ⑤毎日、夜8時にカミさんとメール交換をしたので、安心して旅ができた。
         ⑥宿泊場所、装備など、欲を言えば、事前の予測、調査などもっと考えておくべき 
           点があった。ただし、それで致命的な事態にならなかったのは幸運であった。
         ⑧多くの親切な人たちに出会い励まされ、お世話になった。
          
          

2、行程表 (文字が見やすいようにと無理をしたら端が切れてしまいました。2度クリックすると、大きな表でご覧になれます。また、一番下の青いバーをスライドしても見られます。でも、どっちにしてもやはり見づらいですね。)





   
   終わりにあたっての御挨拶

今回をもちまして、「そぞろ神の物につきて――90日間徒歩日本縦断の記録」のブログは終了します。半年間、お付き合い下さいまして有難うございます。
一つの旅の中には、三つの旅が含まれている、「計画の旅」、「実行の旅」、「記録の旅」、とよく言われます。今回ブログを作ることにより、三つ目の「記録の旅」も終わり、ここ数年抱いてきた課題が一応完結してほっとした気持ちです。
思えば、「3ヶ月も旅をしてきたのだから、それをまとめてみたら」という去年からのカミさんの要請で、生まれて初めてブログというものをやってみることになったのが、今年の1月でした。しかし、本を2冊ほど買い込んできて首っ引きで始めたものの、初めのうちはちょっとした手違いで原稿や写真が一瞬のうちに消えてしまい、何度もやり直すといったことを繰り返しました。また、意余りて言葉足らず、自分の文章力の乏しさも痛感させられました。それでも続けられたのは、初めは10数人だった1日あたりの訪問者が、徐々に増えて、最近ではその10倍をはるかに超えるようになるなど、多くの方々に訪れていただけたことが大きかったと言えます(gooブログの編集画面によれば、7月17日現在で、訪問者数はのべ13,722人、閲覧ページ数は36,714ページ)。また、何人かの方からコメントをいただいたことも、ブログの継続に際しておおいに励みになりました。
ブログの作成によって、あの90日間をもう一度なぞること自体は、反省事項も多々気づきはしたものの、大変に楽しいことでした。上にも書きましたが、日本は90日間歩くと縦断できてしまうほどの、言ってみれば小さな国でしたが、ささやかな自分の見聞のかぎりにおいてさえ、自然も文化も人の心も豊かな国だという印象を強く持ちました。それがこの国の財産なのだろうと思います。より多くの人たちが、日本縦断や一周や四国遍路をはじめとする歩き旅に参加され、それらのことを自分の実感として獲得することを願っています。
自分も今後、太平洋側や四国一周など、さらなる歩き旅の夢を実現すべく、またその折にはブログで御紹介したいと思っています。
重ねて、長い間のお付き合いに心より感謝いたします。
   2009年7月18日                               「そぞろ神」管理人


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徒歩の旅 終章(その2)    礼文・利尻島から自宅へ

2009年07月16日 | 2008年日本海側の旅
7月12日(土) 曇 (「桃岩荘ユース」~利尻島・「利尻グリーンヒルユースホステル」)



10時、香深港で、同宿者と2人、「桃岩荘」ヘルパーの若者たちの盛大な見送りをうけ、フェリーにて利尻島鴛泊(おしどまり)港へ。


礼文島はもう見えず。


鴛泊港を経て、今夜の宿である「利尻グリーンヒルユース」に着き、荷物の整理をしていると、稚内の「モシリパユース」で同室だったスイス人がやって来る。彼は、利尻山に登ってきたところとか。登山ルートの様子などを教えてもらう。
その後、履き続けてきたウォーキングシューズが磨り減ってしまい、地面の小さな凹凸にも足裏が痛いので、


利尻山登頂に備えて近くのホームセンターでスニーカーを買う。少し大きめの中国製のものしか置いてないがやむをえない。今の靴より少しはましだし、まあ、何とかなるだろう。
家族や知人へのお土産に利尻昆布を買ったり、当面の食料の調達をしたりする。
夕方、利尻山に登りに来たという同室の西宮市の男性と、スイス人からの情報を受け売りしつつ話をする。
夜は、ユースで泊まる。


7月13日(日) 曇一時雨 (「利尻グリーンヒルユース」~稚内市・「モシリパユースホステル」)



4時、ユース発。朝焼けの利尻山。


4時55分、利尻北麓野営場の登山口より登山道を辿る。
エゾノコギリソウ。


エゾリンドウ(風強くちょっとピンボケ)。


7時、山腹には残雪も見える。


7時15分、避難小屋手前。徐々にガスが出てくる。


頂上直下。リシリオウギ。


8時15分、利尻山(標高1721m)登頂。山頂はガスと強風の中で、展望はきかず。




降りだした雨の中を下山し、
12時10分、ユースへ戻る。
午後、雨が止む。
鴛泊港からフェリーに乗り、再び稚内の「モシリパユースホステル」へ。
当初予定していた、苫小牧から大洗へのフェリーが満席のため、急遽鉄道に変更。
同室の青年に、携帯電話で列車の乗換えを調べてもらう。(便利なもんだなあ。)


夜、ユースに宿泊。
これで予定していた全ての計画を終了する。


7月14日(月) 曇のち晴 (「モシリパユース」~自宅) 




7時10分、JR稚内駅発。
鉄路の最北端。


その後、
稚内――JR宗谷本線(特急スーパー宗谷)――札幌、
札幌――JR函館本線(特急スーパー北斗)――函館、
函館――JR津軽海峡線・東北本線(特急スーパー白鳥)――八戸、
八戸――JR東北新幹線(新幹線はやて)――東京、
東京――JR東海道本線――川崎
と乗り継ぎ、
23時、自宅に帰る。
途中、青函トンネル通過時に、Bさんから宗谷岬到着の電話あり。お互いの目的達成を喜び合う。 

帰宅し、ビールを飲みつつ、トンネル通過時やサロベツ原野でも唄わずに残しておいた一曲、美空ひばりの「港町十三番地」を唄いながら、ほろ酔いの中でおよそ3ヶ月の日本列島縦断徒歩の旅を終える。


(これで徒歩の旅の行動記録は終了です。次回にまとめをのせます。)


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徒歩の旅 終章(その1)    稚内から礼文島へ

2009年07月14日 | 2008年日本海側の旅
7月10日(木) 曇 (「モシリパユース」~礼文島・「桃岩荘ユースホステル」)



利尻山に登る前に、礼文島へ行き礼文岳に登る。
6時、「ハートランドフェリー」にて稚内港から礼文島香深(かふか)港へ。


8時20分、香深港着。「桃岩荘ユースホステル」のヘルパーの若者たちに出迎えられ、事務連絡。


その後、礼文岳へ向かう。
登山道にて。


ランの仲間。


左奥の山が礼文岳。



レブンシオガマ。



11時30分、礼文岳登頂(標高490m)。


内路(ないろ)港を見下ろしつつ下山。


16時、バスにて帰路、元地(もとち)の佐藤売店にて、昨日トライアスロンの男性に教えてもらったスペシャルうに丼で、徒歩旅の無事成功を祝し一人で乾杯をする。


元地。


礼文島西海岸。




夜は「桃岩荘ユース」にて宿泊。
夕食後、「ミーティング」と称する歌って踊って笑いころげる不思議な時間を過ごす。(宿泊予約時に確認されたのはこのことだったのか。)


7月11日(金) 雨のち曇 (「桃岩荘ユース」~礼文島縦走~礼文島・「桃岩荘ユースホステル」)



同宿の5人の希望者と共に、礼文島北端のスコトン岬から元地まで、雨の中「愛とロマンの8時間コース」を辿り礼文島を縦走。
バスで着いたスコトン岬は土砂降りの雨の中。昨夜覚えた「ギンギン ギラギラ 夕日が沈む……」を踊って、歩き始める。
ゴロタノ浜で拾った穴あき貝。


午後、雨上がる。
エゾニュウ?


レブンシオガマ。


タカネナデシコ。


レブンタカネツメクサ。


レブンウスユキソウ。




雲の切れ間につかの間姿を現した、初めて見る利尻山。


西海岸の眺め。


16時30分、礼文林道。


18時、「桃岩荘」到着。


18時45分、夕焼け空。


夜、「桃岩荘」にて「ミーティング」。
ヘルパーの若者たちは、ユース営業期間中のみのアルバイト。話してみるとナイーブな性格で、生き方を模索しているといった印象を受けた。彼らがそれぞれの目的を見つけ、よい人生を送ることを祈る。


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徒歩の旅 第90日 宗谷岬到達

2009年07月12日 | 2008年日本海側の旅
7月9日(水) 曇一時晴 (「モシリパユース」~宗谷岬~稚内市・「稚内モシリパユースホステル」)



いよいよ最北端到達の日。
早朝、目覚めたときはまだ雨が降っている。最北端到着は雨中行動かと思ったが、出発時には一応雨が上がる。
今日は宗谷岬到達を第一目標とし、到達後はバスにて「モシリパユース」へ戻る予定。ウォーキングシューズはなんとかここまで持ちこたえている。あとはできるだけ荷物を軽くして歩くべく、最小限の装備を持ち、残りはユースにおいていくつもりであった。ところが、荷物の選別過程で、どの装備もここまで3000kmの道程を一緒に来たのに、ここで二つに分けて残していく気になれず、結局いつも通りの格好で、すべての装備を背負っていくことにする。
4時45分、出発。稚内駅前を通過し、昨日歩いた市街地を戻る。
5時40分、潮見5丁目の交差点で国道40号線を右に分け、国道238号線を通って宗谷岬を目指す。稚内の距離表示は、英語読みに加え、ロシア語読みも記載されていて、国境の街であることを実感させられる。


5時55分、市街を抜けた地点のバス停にて小休止。甘納豆を食べる。
宗谷湾は雲は垂れ込めているものの、波はなく静かな海上。左手遠くに野寒布(のしゃっぷ)岬も見える。


宗谷湾に沿って古い倉庫や漁家がある。


海上では漁をする人、


浜辺にはエゾニュウやエゾカンゾウ、ハマナスが咲いている。






道路にもハマナスの花壇が続いており、雨上がりにハマナスの色が鮮やかだ。




7時10分、宗谷丘陵の上にはいくつもの風車が見える。


8時40分、増幌のバス停にて小休止。


昨日サロベツ原野で出会った自転車の男性が追いついてきて、30分ほど話しながら一緒に歩く。
大阪の人で62歳。トライアスロンをやっているとのこと。道理であの雨の中でも裸足に草履でペダルを漕いでいたわけだ。昨日はあの後礼文島にわたり、美味しいウニ丼を食べたと、丼の前で笑っているデジカメ画像を見せてくれる。礼文島に行くならぜひとも「佐藤売店のスペシャルウニ丼」を、と勧められる。これから道東を周るとのことで、エール交換をして別れる。さらに進むと、右手の宗谷丘陵がどんどん接近してくる。
10時、宗谷岬まであと10kmの地点で、トラック乗って仕事をしていた清掃作業員が車を止め、「あと少しだから頑張れ。」と言って、栄養ドリンクをくれる。
10時05分、右手に宗谷丘陵が間近になる。


10時30分、宗谷地区に入る。


11時10分、あと5キロ地点を過ぎる。
11時35分、左手の海岸に「間宮林蔵渡樺出港の地」の碑がある。彼は1808年にここから樺太(サハリン)へ船出した。宗谷岬からは、肉眼でサハリンが見える日もあるとのことだが、残念ながら今日は曇天で見ることはできない。




11時55分、いよいよ宗谷岬が近づく。


12時20分、ついに日本最北端の地である宗谷岬に到達。
宗谷公園の「最北端の碑」(北緯45度31分、東経141度56分)。
なぜか直前まで曇っていた空が、不思議なことにこの時だけ急に青空を覗かせた。歩き旅の神様が御褒美をくれたのかもしれない。


「最北端の碑」で、観光の若いカップルと記念写真を撮りあう。


間宮林蔵の像のそばに、「ご苦労さん」とザックを置き、草の上に寝転ぶ。目をつぶって、観光バスの客やチャリダーたちの歓声を遠く聞きながら、しばし旅の思い出に浸る。


4月11日に鹿児島の「圭屋(たまや)ユース」から歩き始め、ちょうど90日間、約3000キロ。最初は足が腫れたりしてどうなるかと思うこともあったが、多くの人たちの親切に支えられ励まされて、ともかく歩き通してとうとう無事にここまでやって来ることができた。この90日間に通ってきた日本海側のルートを回想しつつ、ゆっくりと至福の時を過ごす。
その後、自宅、友人、旅の間に知り合った人やお世話になった人たちにメールをしてから、「日本最北端の店」で牛乳を買って食事。
食後、宗谷岬音楽碑を見に行くと、流れているのは船村徹作曲の「宗谷岬」という曲である。


15時08分、路線バスにて宿に向けて帰る。1350円。バスに乗るのは、松江でレイクラインという観光バスに乗って以来だ。


16時30分、ユースに戻る。衣類の洗濯と乾燥。荷物整理。
同宿になったスイス人の若者と、お互いにたどたどしい英語で話をする。35歳まで出来るだけ世界中を旅しようと思っている、と言う。日本の次はタイに行くつもりだそうだ。そういえば、鹿児島のユースでもドイツ人に会ったっけ。旅の始まりと終わりに外人に会うのも奇妙なことだ。
19時25分、セイコーマートにて夜食および翌日以降のための食料調達。ビール、鶏天丼、菓子パン2個、トマト、さんま蒲焼缶、バターピーナッツ、甘納豆、蒲鉾、スナック菓子。
さて、一つ目の目的は達成した。次は利尻山に登るという二つ目の目標に向かって進もう。とりあえず明日は礼文島にフェリーで行く予定なり。

経費  4,074円     累計  335,008円
歩数  48,363歩    累計  4,578,336歩
距離  31km       累計  3,030km

(本日までの経路)



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徒歩の旅 第89日 稚内市  モシリパユースへ

2009年07月10日 | 2008年日本海側の旅
7月8日(火) 雨 (民宿「あしたの城」~稚内市・「稚内モシリパユースホステル」)



5時05分、稚内までは40km以上。早めに支度をして、相変わらず降りしきる雨の中を出発。田園地帯は本当に緑が鮮やかだが、遠方は白い霧の中に煙っている。
5時40分、昨日の道を戻り、稚咲内(わかさかない)交差点で右折。国道106号線に合流する。
以後は、昨日と同じく一本道がどこまでも続く光景の中を、雨に打たれながらひたすら歩く。デジカメも防水仕様ではないので、今日もザックの中。
左側は日本海の荒波が打ち寄せ、右側はサロベツの緑の原野が雨に霞んでいる。上からは雨がふりそそぎ、足元は水溜りが連なって靴の中は水浸し、通過する大型トラックが容赦なく水飛沫と旋風を前からも後ろからも浴びせかけていく。ザックは下ろせず、時がたつとともに肩に食い込んでくるが耐えるのみである。わずかに1キロごとに数字が減っていくキロポストと、時折現れる「稚内○○km 抜海○○km」という距離表示だけが、心に変化をつけてくれる。
……と書くとなにやら悲壮な感じだが、でも考えて見れば、この広大なサロベツ原野の天地を独り占めしつつ歩いているわけだから、まあこんな「貴重な」経験は誰でもがそうそうできるものでもない。宗谷岬まであと残り100kmを切っている事からくる、気持ちの余裕のなせるところかもしれないが。
それに仮に好天で、太陽にじりじりと照らされながらの行動だったら、それもまた悲惨なことではあろう。いずれにしても、ここは人間を拒絶しようという自然の意志が垣間見られる場所ではある。
7時55分、稚内市に入る。兎も角、記録だけはしておこうと、ザックを雨に濡れている路肩に下ろし、かろうじてカントリーサインと距離表示の写真を撮るが、すぐにまたカメラはザックの中に。


途中で、自転車の男性に追い抜かれる。見るとビニール合羽の上半身と、素足に草履で、ウエットスーツのような下半身。元気なチャリダーだ。笑って手を上げて挨拶をしていった彼の姿が、地平線にエゾニュウの花のように、雨に煙る中どこまでもどこまでもずっと先まで見通して確認できる。
10時30分、ようやくにして浜勇知(はまゆうち)原生花園にある展望休憩所「こうほねの家」に着き大休止。
誰もいないが、やっと落ち着いてザックを下ろし、椅子に座ることができる。
食事は、あんドーナツと、食パンにバターを塗って甘納豆をはさんだもの。でもこれがご馳走だ。
Bさんに電話をすると、名寄(なよろ)から美深(びふか)に向かっている途中とのこと。彼の方も雨の中の行動という。
予定では「稚内森林公園」のキャンプ場で泊まるつもりだったが、雨天であり、体も冷え切っている、一応予算もまだ足りているなどと理屈をつけ、日和って宿に泊まることにする。稚内の「モシリパユース」に2泊の予約をすると、今夜のメニューはイクラ丼だが嫌いではないか、とのこと。「大好きです。」
11時10分、歩行再開。
その後も同様な景色の中を、同様にトラックにあおられながら歩く。だが、宿を決めてしまったせいか気楽になり、トンネルの通過と同じように、懐メロ大全集も口をついて出る。
12時05分、抜海(ばっかい)岬が近づいてくる頃に雨がいくらか小降りになったので、カメラを出し右手の沼の写真を撮る。


沼の水も丘の森の木々もいかにも北の最果てといった風情の色だ。


よく見ると白い鳥の群れが沼の真ん中あたりにかたまっている。


抜海漁港への交差点を右折し、
12時40分、抜海郵便局のATMで2万円下ろす。
抜海市街を抜けるとふたたび小雨。海岸線に沿って原野が続く道を行くと、利尻山の大きな写真の看板がある。晴れていれば……。
ようやくちらほらと人家が現れ、ノシャップ岬へ向かう道道254号線を左に見送り坂を上ると、
14時25分、「夕日が丘パーキング」である。トイレの建物の入口に、本日4度目のザックを置き小休止。利尻山の展望地とあるが、今は全く見えず。
稚内市街地に入っていくころに雨があがり、JR宗谷本線の踏切をこえて国道40号線に合流。
稚内駅手前のセイコーマートで買い物。牛乳、かりんとう、バターピーナッツ、甘納豆。
16時10分、JR最北端の駅である稚内駅(北緯45度24分44秒)に到着。4月11日に通過した最南端の西大山駅から、鉄路は3126kmかけて日本列島を貫き、ここ稚内駅までつながっている。


駅横のバスセンターで、明日の宗谷岬からの帰りのバス時刻を確認する。
16時30分、「稚内モシリパユースホステル」に到着。「モシリパ」とはアイヌ語で「国の北の端」という意味だそうである。
同室の休学中という大学生と少し話をする。彼は、優等生を演じるのに疲れ1年ほどひきこもっていたのだが、この北海道旅行をきっかけにして復学するつもりだ、とのこと。頑張れとエールを送る。
夕食はイクラ丼を美味しくいただく。
さーて、いよいよ明日は宗谷岬だ。
連泊で食事は夜1回、宿泊代、7820円。


経費  8,519円      累計  330,934円
歩数  67,061歩     累計  4,529,973歩
距離  46km        累計  2,999km

(本日の到達地点――稚内市)



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徒歩の旅 第88日 豊富町  民宿 あしたの城へ

2009年07月08日 | 2008年日本海側の旅
7月7日(月) 曇のち雨 (「鏡沼海浜公園」~豊富町・民宿「あしたの城」)



目を覚ますと4時前なのにもう辺りが明るくなっている。北国の夜明けは早い。
出発準備中のキャンプ場。太陽が鏡沼に映る。しかし予報では天気は下り坂。


洗面に行った水飲み場で、キャンピングカーで来ているという夫妻と話。昨日の「鏡沼しじみまつり」の盛況の様子を聞く。彼らは今年もたくさんシジミを採ったとのこと。
……と、その間にレジ袋に入れてザックの横に置いておいた食料が、カラスに狙われる。大声で追い払い、嘴による穴が開いた程度で済む。迂闊だったわい、危ない危ない。
6時、出発。今日は歩行距離が短いため出発もゆっくりである。
鏡沼海浜公園の一角にも松浦武四郎の像がある。
歌は「蝦夷人の みそぎなしける天汐鹽川 今宵ぞ夏の とまりをばしる」と
「ながむれば 渚ましろに成にけり てしほの浜の 雪の夕暮」の2首が書かれてある。後者はなにやら藤原定家のもじりのような……。


6時10分、セイコーマートで買い物。牛乳、食パン、甘納豆。
天塩市街を抜け、天塩川河川公園をちょっと眺めてから、国道106号線に入る。
6時45分、河口遺跡風景林に立ち寄る。


その後は市街地を離れ、「稚内天塩線」の国道106号線を北上する。


緑の丘の向こうは日本海。


ここにも廃屋がある。


牧草ロールももうお馴染みだ。


7時30分、交差点を左折し、天塩河口大橋をわたる。
天塩川は、石狩川(268km)に次ぐ北海道第二の長さ(256km)の大河である。


橋の上から、うっすらと太陽の光が雲間から漏れてくる天塩川の下流側と


上流側。


北海道に来たからこその、生まれてはじめて見るとてつもなく広い川とそれを取り巻く原野の景観。ふと、この雄大な自然に出会うためにここまで歩いてきたのかもしれないと思う。


7時40分、天塩川をわたると幌延(ほろのべ)町に入る。


後方を見ると、道路が大きくカーブし天塩川が光って見える。もちろん歩行者は一人もいない。


7時50分~8時10分、浜里(はまさと)駐車公園にて小休止。
昨日缶コーヒーと500円を貰った人のキャンピングカーが駐車しており、挨拶に行くが、まだ寝ているようだ。
歩き出した直後に降雨。一気に強くなり雨具を着用する。
以後しばらくは降ったり止んだりの繰り返し。
8時15分、「利尻礼文サロベツ国立公園」の立て札。


両側に花が咲く緑のサロベツ原野を行く。
エゾニュウの白、


エゾカンゾウやタンポポの黄色、


ハマナスのピンクとカラフルに咲いている。


8時35分、右手はるか前方、林立する何基もの風車が霧の中に浮かんでくる。


9時05分、雨の中をオトンルイ風力発電所の高さ99mの28基の風車が、3.1kmにわたって並んでいる横を通過。唸りをあげて回転している姿はまさに壮観である。


9時25分~35分、途中でサロベツ原野駐車場にて雨宿り。
昨夜考えておいた宗谷岬到達後の計画(礼文島で2泊、利尻島で1泊し利尻山に登頂、その後帰宅)に従って、礼文島の「桃岩荘ユースホステル」に7月10・11日の宿泊予約をする。ユースから、夕食後に参加自由の「ミーティング」というものがあり、21時ごろまで賑やかになるがそれでもよいかという奇妙な確認があり、構わないと答える。(実際に行ってみて、その確認の意味を理解することになる。)
10時10分、左手の北緯45度通過点のモニュメントは、あいにくの強雨に遭遇し、眺めただけで写真はなし。「北半球ど真ん中」。
その後も断続的に降る雨の中を、雨具を着脱しながら歩く。ザックにはカバーがかかったままで、残念ながらデジカメはザックの中にあることが多い。
その先で浜里パーキングシェルターに入る。ここは雨宿りにはよいが、腰を下ろせる設備は無い。ともあれザックをコンクリートに置いて一休みするが、寒くてじっとしていられない。このシェルターは、冬季の地吹雪などに対する避難施設で貴重なものであるが、今の自分には単なる寒風のトンネルに過ぎない。
10時55分、やがて道路は、電柱もガードレールも無い地帯に入る。右手から、遠くに低い丘、そしてサロベツの原野、真ん中に国道106号線、さらに左手にも原野、その先は日本海の波。あるのは路肩表示の矢羽根だけ、という景色がどこまでも続く。晴れていれば海上に利尻山が見えるはずだがこの天気では望むべくも無い。


向こうからチャリダーの青年が来、お互いに笑って挨拶。ちょうど持っていた飴を幾つかあげる。こちらは追い風だが彼の方は雨の向かい風で大変そうだ。
トラックの運転手やバイクのライダーが、手を振って通過していく。
11時10分、豊富(とよとみ)町に入る。


もはや路肩標示の矢羽根もない。左手は日本海の白い波頭。


11時30分、「稚内48km 稚咲内(わかさかない)5km」の距離表示を通過。


11時45分、相変わらずのサロベツ原野の景色が続く。
雨も再三降ったり止んだりし、雨具の着脱が鬱陶しいと思っていると、いよいよ本降りになる。
12時40分、天塩町を出てから初めて信号に出会う。稚咲内交差点を右折。雨の中、稚咲内の町はどの店も閉まっており買い物もできず。
体中が緑色に染まるかのごとき、緑滴る木々や草原の景色の中を、ゆるいカーブを繰り返しつつ民宿へ向かう。
13時20分、稚咲内の民宿「あしたの城」に到着。
直ちに衣類の洗濯・乾燥。洗っている間に、広間にある御主人のステレオで、モーツアルトの交響曲38番「プラハ」のCDを聞かせてもらう。民宿の広間は庭側が全面窓になっており、ガラス越しに緑の木々が、到着後さらに激しくなった雨に濡れている。時間がゆっくりと流れていく感覚に身を浸す。
夕食は、御主人の試行錯誤の結果という特製の牛乳鍋を美味しくいただく。食後は、牛乳鍋に使われている調味料当てクイズを楽しんだり雑談したり……。
御主人の話では、北海道の牧畜も様変わりしつつあり、牛が放牧されず牛舎でアメリカ産の飼料を与えられて、ニワトリのブロイラーのように飼育され始めているとのこと。それでは不健康であり美味しい牛乳は出ないだろうと言う。鍋の牛乳は、知人の放牧場で飼育されている乳牛のものだそうだ。それと、彼もかつて自転車で日本縦断をしたことがある、という話なども伺う。
夜、同室の若者が風邪気味だというので、手持ちの風邪薬をあげる。そう言えば、この3ヶ月間一度も風邪をひく事もなかったことに気づく。有難いことなり。
明日は早朝出発で一気に稚内までの予定。したがって宿泊代は一泊夕食付で4300円。


経費  5,111円      累計  322,415円
歩数  43,404歩     累計  4,462,912歩
距離  29km        累計  2,953km

(本日の到達地点――豊富町)



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徒歩の旅 第87日 天塩町  鏡沼海浜公園

2009年07月06日 | 2008年日本海側の旅
7月6日(日) 晴 (「みさき台公園」~天塩町・「鏡沼海浜公園」)



4時50分、深く朝霧が深く立ち込めている灯台の下のキャンプ場を出発。


初山別のカントリーサインにもなっている天文台も霧の中。


5時25分、国道232号線に合流する手前の霧の草原。
「ただ一面にたちこめた 牧場の朝の霧の海……」と唄いつつ。


国道を北上し、霧の風連別(ふれんべつ)川にかかる豊岬(とよさき)橋をわたる。


5時50分、豊岬のバス停にて小休止。
その後、昨日と同じような長いアップダウンがいくつも続くのかと思いきや、今日は平らな道が続いている。
6時50分、共成(きょうせい)を通過。「稚内104km 遠別(えんべつ)13km」の標識あり。


7時20分、草原の向こうに白樺の林を眺めたり、


広い牧草地の横を歩いたりしつつ初山別を抜ける。


7時25分、「ここから遠別町です」とある古い木の標示板。


7時30分、遠別町に入る。カントリーサインは、北限の稲、メロン、雪の結晶。


7時40分、牧場では牛が草を食んでいる。




遥かに続く海辺の平らな道の両側にもエゾニュウ。


7時50分、モオタコシベツ川にかかる旧国鉄羽幌線廃線跡の橋梁を過ぎると、


7時55分、「稚内99km 遠別市街7km」の表示、ついに稚内まで2桁台に突入。


右手の一段低くなっている廃線跡も草に覆われてしまっている。羽幌線は1987年の国鉄分割民営化により全線廃止となってしまった。


8時10分、どこまでも続く道路。昨夕差し入れをくれた一家の自動車が、「頑張って」と手を振りながら追い抜いていく。今日は宗谷岬まで行くと言っていたっけ。


所々に見られる黄色いじゅうたんを敷いたようなセイヨウタンポポの群落。


8時30分~50分、金浦(かねうら)原生花園にて休憩。やや荒れて殺風景な園内を一人で見学する。


イソツツジ、


ヒオウギアヤメ、


エゾニュウ、


ハマナス等が咲いている。


金浦原生花園を後に歩き始めて少し行くと、前方から満載のカートを引いてくる歩行者に出会う。
8時55分~9時55分、情報交換等のために再び金浦原生花園に戻り、木道のコーナーに腰を下ろして話をする。
男性は63歳で大阪労山所属の人。カートは手製で、7月1日に宗谷岬を出発し沖縄を目指しているとのこと。
「 徒歩による日本縦断計画 
   63歳 人生最大の冒険 
  北海道宗谷岬(日本最北端) 波照間島(日本最南端) 」
という彼の計画書を見せてもらう。
日本海に沿って南下する予定で、こちらが通過してきた経路とだいぶ重なるため、トンネルなどの様子や宿泊場所について教える。さらに旅の話のみならず、山の話にも花が咲き、あっという間に時が過ぎてしまう。写真を撮り合い、お互いの道中の無事を祈って別れる。(その後、2008年12月13日に、無事最南端の波照間島に到達し、目的を達成したとのメールをいただきました。)
10時45分~11時25分、道の駅「富士見」にて休憩。結露に濡れたテントなどを乾かす。
その後、近くの農家の奥さんたちがやっている直売所で買い物。イチゴ、蓬餅4個。日差しが強いので直売所の中で、彼女たちとお喋りをしながらイチゴと餅2個を食べる。
11時30分、遠別川にかかる遠別橋をわたって町の中心部に入る。
11時35分、セイコーマートで買い物。栄養ドリンク、おにぎり2個、あんドーナツ。
12時25分、広い牧草地に牧草ロールがいくつも見られ、


防風雪柵の横を白い牧草ロールを積んで走る大型トラック。


防風雪柵の下に咲いているオレンジ色のコウリンタンポポや


白いマンテマ。

12時45分~55分、国道119号線とのT字路のバス停で小休止。
13時20分、丸松の交差点で天塩まであと13キロの表示。余りに暑いので自販機でペットボトル買う。
14時、両側に野草が咲き乱れる一直線の道。


14時05分、路肩にキャンピングカーを止めていた男性がやってきて、缶コーヒーと500円をくれると言う。缶コーヒーは有難くいただくがお金はまずいと断るが、「気にしないで。何か買えば同じことだから。」と言う。
しばらく一緒に並んで話をしつつ歩く。埼玉の62歳の人で、今回はキャンピングカーだが、これまでに四国遍路、東海道、北海道一周など歩いているとのこと。
彼の話では、四国は是非歩いて見たらよい、親切な人が多く歩いていて楽しい、と。そして、自分もこれまでに多くの人から親切を受けてきたから回り持ち、どこかでその気持ちを他の人に返せばいい、と言う。徒歩旅の先輩からのバトンと考えて500円をいただくことにする。
14時20分、北里のバス停にて食事。
直後に夕べの一家が、今度は宗谷岬からの帰り道らしく、男の子の「頑張って。」という声とともに通過していく。
14時30分、牛舎の横を通過。


14時40分、天塩(てしお)町に入る。


天塩市街まで2時間。


振り返れば、留萌はもう100キロ以上の彼方に。


14時50分、天塩グリーンエネルギーの風車が見える。


牧草ロールを積んだトラックなどが行き交う単調な道を、たまに現れる距離標識のキロ数を励みにひたすら歩く。


15時05分、天塩市街が近づく。


16時30分、道の駅「てしお」近くのセイコーマートにて宿泊用の食料を購入。発泡酒、食パン、揚げせんべい、ポテトサラダ、チーズ、バター、レモン飴。
17時、鏡沼海浜公園に到着。本日も12時間行動なり。
日曜日なので、昼間「鏡沼しじみまつり」というイベントがあったそうだが、この時間になると幟が残っているだけで、もはや人々の気配はない。
キャンプ場の使用料がちょうど500円だったので、昼過ぎにキャンピングカーの男性に貰った500円を充てる。

経費  3,448円      累計  313,856円
歩数  6,0139歩     累計  4,419,508歩
距離  40km        累計  2,924km

(本日の到達地点――天塩町)



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徒歩の旅 第86日 初山別村 みさき台公園へ

2009年07月04日 | 2008年日本海側の旅
7月5日(土)曇一時雨(民宿「運上」~初山別村・「みさき台公園」)



5時、出発。
当初予定では羽幌(はぼろ)までだったが、「運上」の御主人の勧めに従い、初山別(しょさんべつ)まで足を伸ばすことにする。
国道232号線は昨日と同じような海岸の道。
波打ち際に群れる海鳥(セグロカモメかな?)や、


錆具合が年代を感じさせる倉庫などを見つつ行く。


5時50分、牧草ロールを積んだトラクターのお爺さんと挨拶を交わす。こういうところが北海道らしい感じ。


6時10分~35分、夕べはほろ酔いで眠ってしまったため、忘れないうちにと、豊浜のバス停にて昨日の記録メモの続きを書く。
6時40分、「ここから苫前(とままえ)町です」という古い標示。


その先に、稚内まで153キロの道路標識。稚内から宗谷岬までが30キロ余りだからそれを加えても、あと残り200キロを切ったことになる。最北端が刻一刻と近づいてくる。


6時45分、苫前町に入る。


7時20分、丘の上に上平(うえひら)グリーンヒルウィンドファームの風車が並ぶ横を通過。


その後は海岸線を離れて台地状のところへと上っていく。
8時20分、苫前橋で古丹別(こたんべつ)川をわたる。河川名の由来として、「コタンペツ(村の川)  コタンはアイヌ民族の集落(村)の意味で 道内各地に地名として残っています。」と書かれてある。


二級河川とはいえ、河口は広い。


両側が畑の長いアップダウンを行く途中で、突如大粒の雨。何も遮る物がない中、濡れながら急遽雨具を着用するも、すぐ止んでしまって以後は降らず。
9時15分、セイコーマートにて買い物。500ml牛乳、ミニコーヒー牛乳、ミニトマト。
9時20分、道の駅「風W(ふわっと)とままえ」に到着。
安曇野市から来たという70歳のキャンピングカーの男性から、旅についていろいろ尋ねられる。何歳、何処から、何処まで、何日目、泊まりはどうしているのか、ザックの重さは等々……。穏やかそうな感じの人なので、質問に丁寧に応じていたところ、野菜不足だろうと言って野菜ジュース缶をくれる。さらに食事をすべく少し離れた四阿で休んでいると、ポットを持ってやって来て、熱いものも飲みたいだろうと紙コップに熱いお茶を注いでくれる。お礼を言って有難くいただく。汗をかいていたがかえって熱い飲み物が美味しい。
9時55分、道の駅を後にまた歩き出だす。
10時25分、苫前の町を抜けて、再び海沿いの長い坂を上り下りしていく。


10時45分、羽幌町に入る。羽幌のカントリーサインはオロロン鳥(ウミガラス)。


11時、防風雪柵が続き、標識を見ると「稚内 135km」。どんどん近づいてくる。


11時30分~12時、羽幌橋をわたり、道の駅「ほっと・はぼろ」へ。館内でペットボトルを買い、冷房の中で休憩と食事。


近くの羽幌港からは天売島・尻焼島へ向かうフェリーが発着しており、旅の計画段階では両島へ寄ってみることも考えていたのだが、ここまで来ると、だらしがないことに先を急ぎたくなってしまう。
12時10分、羽幌川にかかる羽幌大橋をわたる。


12時30分、遠くの丘に白い牧草ロールがいくつも見える。


12時50分~13時10分、廃校になった羽幌町立光洋小学校そばのバス停にて小休止。開拓とともに歩んできたであろう小学校も、過疎化の波にのみ込まれてしまったということか。


豊富(とよとみ)町の民宿「あしたの城」に、翌々日の宿泊予約の電話をする。宿のご主人が、夕食は牛乳鍋だが大丈夫かと確認。牛乳は大好き、どんなものか楽しみだ。
13時30分、再び長い坂。
さらにこの後も歩行者にはほとんど出会うことなく、広々とした長い単調なアップダウンがほとんど一日続く。


13時40分、築別(ちくべつ)川をわたる。


エゾニュウの向こう、遠く築別川河口部。


カモメ(左側)とオロロン鳥(右側)の群れがいる。(写真では分かりにくい。3倍ズームではちょっと無理のようだ。)


14時05分、初山別村に入る。


14時25分、茂築別(もちくべつ)川をわたる。


15時10分、第二栄バス停にて15分間小休止。
15時50分、「稚内118km 初山別4km」の道路標識あり。


16時、左手の海辺の高台にはヒオウギアヤメが咲いている。


ズーム。


16時25分、相変わらずのアップダウンが初山別村の中心部に向かって続く。


16時45分、茂初山別(もしょさんべつ)川をわたる。「茂築別川」もそうだが、「茂(モ)」は小さいという意味のアイヌ語のようだ。


キャンプ場の隣にある道の駅「ロマン街道しょさんべつ」を目標に、村の中心部を抜け、さらに海沿いの道から坂を上り、国道を金比羅岬方面にへ左折して、
17時40分、ようやく天文台のある「みさき台公園キャンプ場」に到着。


灯台のそばの芝生にテントを設営。
食料を購入したかったが、羽幌からこちらコンビニは1軒もなく、ここのキャンプ場の売店もすでに終了している。これでは今夜と明朝の食事は、かりんとうと非常食の乾パンを水で流し込むしかないなと考えていると、隣のテントの奥さんが紙皿を持ってやってくる。
彼女曰く「旅をしている方だと思いますが、キャンプ場の売店が終わってしまったので不自由しているのではないかと思って」。見ると紙皿の上に串焼きと骨付きソーセージがたくさんのっている。「バーベキューの残りですがよろしかったらどうぞ。」と。突然の好意に驚くが、これで食事が一気にリッチになるぞ。お礼を言って有難くいただく。
彼女たちは名寄(なよろ)の人で、小学生の男の子と御主人と3人でキャンプに来ていると言う。一しきりこちらの旅の話をし、鹿児島から撮りためてきた携帯デジカメの風景写真を見せたりする。さらに御主人には、宗谷岬から稚内へのバス時刻の情報も携帯で調べてもらった。
今日は親切にしてもらうことの多い日だった。いや、今日だけでなく、この旅全体が多くの人たちの親切や好意に支えられて、ここまで来ることができたといえる。
さて、いよいよ最北端到達も間近、到達予定日を7月9日と決定して自宅に連絡する。
それと、携帯に札幌から内陸部ルートを歩いているBさんからの留守電が入っていた。行動中で気がつかなかったようだ。彼の方は、国道40号線に入る手前におり、14日宗谷岬到着の予定ということだった。内陸部はまだまだ峠も多そうで大変だろう。頑張ってほしい。
テント代無料。

経費  551円       累計  313,856円
歩数  73,014歩     累計  4,359,369歩
距離  49km       累計  2,884km

(本日の到達地点――初山別村)



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徒歩の旅 第85日 小平町  民宿 運上へ

2009年07月02日 | 2008年日本海側の旅
7月4日(金) 雨のち曇 (「大別苅防災ステーション」~ 小平町・民宿「運上」)



防災ステーションの四阿で泊まったのは正解で、夜間降雨。明け方にいったんは上がる。


出発前に、増毛から来たという17歳のハワイの青年に出会い少し話をする。自転車で北海道をを回ってきて、今後は小樽からフェリーで直江津へ行き、京都を見る予定とか。日本は美しいとしきりに言う。「Good luck!」と言い合って、
6時10分、出発。
増毛町から幌延(ほろのべ)町まで、今後辿る町のカントリーサインが掲示されている。これに豊富町と稚内市が加われば、旅の終わりだ。


雨上がりの静かな国道231号線を、緑の爽やかな空気を吸いながら、増毛方面に向けて坂を下っていく。

 
6時30分、別苅(べつかり)の集落に出て、ハマナスの咲く海岸線を行く。前方には増毛の町、


後方は別苅漁港とカムイエト岬。


6時40分、「小樽間内(おたるまない)第一バス待合所」を通過。不思議な風情のある海辺のバス停。


暑寒別川をわたり増毛市街地に入る。


7時15分~40分、コンビニで買い物と食事。牛乳、おにぎり2個、ピーナッツチョコ、ガム。
買っているうちに強い雨が降り出し、急遽雨具を着用して歩き始めるもののすぐに上がる。
増毛市街地を抜けて、広々としたくぼ地のような道路を行くと、眼下に海が見えてくる。
8時40分、陽が差し始めると、懐かしい草の匂いが漂う。


JR留萌本線とつかず離れずしつつ、朱文別(しゅもんべつ)、舎熊(しゃぐま)と海岸線に沿って辿る。
10時05分、阿分(あふん)のバス停にて小休止。
10時25分、礼受(れうけ)で留萌市に入る。この辺りの地名はいかにもアイヌ語が語源という感じだが、意味はまったく解らず。旅から帰ったら調べて見たいもの。


この時点で、まだ時間も早いので、今日の目的地を留萌からさらに先へと変更する。バス停にて、昨日予約した小平(おびら)の民宿に、宿泊予定を1日前倒しして今晩泊まりたい旨を電話し、了解を取る。
礼受郵便局のATMで2万円おろす。
跨線橋をわたり、
11時15分~25分、セイコーマートで買い物と食事。菓子パン2個、ミネラルウォーター、揚げせんべい。
留萌市街地に入り、
11時40分、留萌駅をショートカットして、左へ港栄橋をわたる。


留萌港を眺めつつ海岸通りを進み、


11時50分、留萌川にかかるルルモッペ大橋をわたると、正面のT字交差点に国道232号線の道路標識。
おっ、「稚内」の文字が見えるぞ。


橋をわたり、国道232号線の「日本海オロロンライン」北部に入る。
留萌川畔を河口に向けて歩いていくと、今度は「稚内182km」の文字。


12時05分~20分、春日町バス停にて小休止、食事。
12時35分、塩見緑地にて留萌観光案内図。


保存されている旧東突堤灯柱。


13時10分、国道232号線は「天売(てうり)国道」と呼ばれ、右手に小高い緑の丘、左手は日本海という同じ景色がどこまでも続く。


丘の手前にはエゾニュウがいくつも咲いている。


13時25分、臼谷海水浴場にて小平町に入る。気温24℃。


13時55分、小平のセイコーマートにて買い物、食事。牛乳、チーズパン、よくばりあんパン。
14時15分、高砂橋で小平蘂(おびらしべ)川をわたる。


14時25分、小平トンネル(728メートル)。「日本海オロロンライン」北部は、昨日までの南部の荒々しい姿と異なり、トンネルも緑の木々に包まれて実にやさしい表情をしている感じ。


その後は、海辺の家屋やカモメの群れに気を紛らせつつ、海と丘にはさまれた単調な長い道路を、潮騒を聞きながらひたすら歩く。








15時30分、大椴子(おおとどっこ)川にかかる真砂橋の先のバス停で小休止。
16時、後方を見ても、


前方を見ても、相も変らぬ海岸線に沿ってどこまでも続く道。時折車が猛スピードで走り去るばかり。家屋など何も無い。丘の上にオロロンウィンドパワーの風車が4基見えるだけ。


16時25分、秀浦(ひでうら)の標示があるが、ツーリングマップルには載っておらず、どのあたりなのか不明。ただただ単調な道路歩きが続くだけ。


16時55分~17時15分、ようやく旧花田家番屋に隣接する道の駅「おびら鰊番屋」に着いて休憩。


旧花田家番屋は重要文化財でぜひ見学したかったのだが、残念ながら時間が遅すぎたため終了してしまっている。


道路の反対側の「にしん文化歴史公園」に松浦武四郎の像がある。


アーチの下に書かれている歌は、「名にも似ず すがたやさしき 女郎花なまめき立てる おにしかの里」。


17時30分、鬼鹿(おにしか)港町の民宿「運上(うんじょう)」に到着。


御主人も奥さんも高齢でやや体が不自由だったが、2人とも感じのよい人。
御主人が元郵便局員で、以前は山にも登っていたとのことで、冬の郵便配達の苦労話やかつて登った山の話など、いろいろと興味深い話を聞かせていただく。
また、民宿名の「運上」については、江戸時代に松前藩がアイヌとの交易を商人に請け負わせた際に、この商人から徴収する金を「運上金」、交易する場所を「運上家」と言ったとのことで、当家はその子孫だそうである。
翌日の行程の様子も教えてもらう。羽幌までの予定だと話すと、「あなたの足なら昼に羽幌に着いてしまう。初山別まで行けるよ。」と羽幌・初山別の案内地図をくださった。
素泊まりなので、近くのセイコーマートにて食料調達。豚カルビ弁当、あんドーナツ、かりんとう、鮭ハラス、ちくわ、発泡酒。宿泊代、2500円。

経費  5,278円      累計  313,305円
歩数  69,639歩     累計  4,286,355歩
距離  47km      , 累計  2,835km

(本日の到達地点――小平町)



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