そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第19日  周南市・ホテルAZ山口徳山店へ

2015年11月29日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月29日(土) 曇のち雨 (山口市・パルトピアやまぐち
  ~JR湯田温泉駅~JR四辻駅~周南市・ホテルAZ山口徳山店)





5時10分、宿を出発。

6時01分湯田温泉発のJR山口線で、新山口にて岩国行きのJR山陽本線に乗り換え、四辻駅に向かう。


6時40分、四辻駅。
ここから歩き始める。曇で向かい風強し。やや肌寒い。天気は下り坂、今日も長丁場なのでどこかで雨につかまるだろうが、降り始める前に、できるだけ歩いておきたいものだ。とは言っても、気負ってもしょうがないので、10時間足を動かしていれば着くという気楽な気持ちで、と自分に言いきかせる。なるべく足への負担がかからないようにしたいもの

はじめは線路の南側の細い道路を行き、

6時50分、国道2号(山陽道)に合流。「周南40km」とあり、「周南」が「徳山」のこと。


7時、長沢池。池のほとりに桜が満開。鮮やかなピンクなり。大村益次郎の墓のある鋳銭司郷土館郷土館がその先にあるとのこと。「鋳銭司(すぜんじ)」とは、貨幣の鋳造が行われたところ。




7時20分、防府市に入る。


7時50分、国分寺12km先とかいろいろな案内の表示板あり。


7時55分、県立防府西高校。「『挑戦』の先に『発見』がある『未来』がある」。桜、よく咲いている。


8時、大道駅入口の表示あり。2号線をこのまま行くと、山陽道にはまってしまいそうなので、右へ187号線を行く。

8時20分、佐波川。


鉄橋を渡るJR貨物。


9時、高倉で軍足を買う。

9時15分、防府市街地を行く。


「山頭火生家跡」の表示も。


9時40分、引き続き市街地を進んでいる。尋ねたところ、この道は旧の2号線で、このまままっすぐに行けば徳山、と言われる。歩道が狭く、しかも傾いているので、向かい風とあいまってなかなか歩がはかどらず。

途中も、桜咲いている。


10時30分、山肌に桜。






10時50分、周防灘見える。山陽本線と並行する。


11時10分、富海。小トンネル二つ越える。






海水浴場を見下ろす。霧雨強し。


11時20分、霧雨が強くなり、富海のバス停にて小休止。昼食をとり、雨具着用する。直後から本降りとなる。

12時15分、椿峠。周南市に入る。幹線道路だからか、年度末のためか、週末なのにトラック多し。


歩道がわかりにくくて、消耗する。尋ねようにも人影なし、途方に暮れることなど何度か試行錯誤を繰り返す。強雨の中、雨具の防水能力の低下のため下着まで濡れてしまい、消耗する。

雨中の桜。


14時、2号線から347号線へ。新南陽方面に向かう。
JR山陽本線の線路に沿って、冷えきった体でただもうやみくもに市街地を歩き続け、

16時、ようやくJR徳山駅そばの宿に着く。宿泊、朝食サービスで、4800円。
雨のため、デジカメはザックの中で、午後はほとんど写真撮れず。ゴアの雨具にもかかわらず、濡れ鼠。寒くてたまらず、宿泊手続きもそうそうに、部屋に入って熱い風呂に。よほど草臥れていたのか、湯に浸かりながら暫時眠ってしまった。まあ、こんな日もたまにはあるもの。
雨の中、乱暴に歩いたため、足の状態は振出しに戻り。

20時、宿の窓から、徳山の夜景。


歩数  59161歩  (累計  1061058歩)
距離  41km    (累計  683.5km)
費用  6146円   (累計  92211円)

2014年 徒歩の旅 第18日  山口市・JR四辻駅へ

2015年11月27日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月28日(金) 晴 (下関市・ホテルAZ山口下関店
      ~JR厚狭駅~JR四辻駅~山口市・パルトピアやまぐち)





主要歩行部分


今日も変則歩き。
宿から、長府駅~厚狭駅間をJR山陽本線で行き、厚狭駅~四辻駅間を歩いて、四辻駅から湯田温泉駅へ山陽本線・山口線、そして宿のパルトピアやまぐちへ、という予定。

ホテルの朝食を食べて、6時20分、出発。晴れて、空気はすがすがしい。

木屋川から周防灘。


桜の開花は、一日でだいぶ進んだようだ。




長府駅。


6時50分発の岩国行き山陽本線に乗り厚狭駅へ。寝太郎の像に送られて、7時15分出発。225号線を辿って、国道2号線へ向かう。


すぐに厚狭川を渡る。


こちらはすでに満開。


7時50分、宇部市に入り、


すぐに2号線(山陽道)に交差し、周南・小郡方面へ左折する。




8時40分、西見峠を越え、


9時、二つ目の吉見峠を越える。この間のアップダウンは、道路が蛇行し、歩道もしっかりしていないので消耗感が大なり。


年度末の週末で、トラックが大量に走っており、歩道のない区間は路肩をぎりぎりに通行しなければならず、ちょっと怖い。大動脈の幹線だから致し方ないか。


ところで、今朝歩き始めた厚狭の街が、かつての宿場だったであろうことは理解できる、現在歩いているこの山陽道は、昔の山陽道とどれほど重なり、どれほど離れているのか、宿場などはどうなっているのか。そんなことも、帰ってからの宿題なり。

9時40分、新幹線の線路の下を山陽本線。


新幹線と並行する。


レンギョウが満開なり。


10時、山陽本線と並行し、厚東川水路橋を通過。


スイセンがちらほら。


九州では至る所で咲いていた菜の花が、こちらではあまり見られない。たまにあっても、まだこれから咲く準備をしているようだ。


11時45分、今坂峠で山口市に入る。


周防・長門国境碑あり。




11時50分、2号線は自動車専用道路になり、


歩行者は、昨日と同様に下の道に追い払われてしまった。


以後、しばらく下の道。









13時40分、椹野川。




14時35分、高速道路の下を行く。


四辻駅近し。




14時50分、四辻駅まで歩き、打ち切り。新山口方面行の列車がちょうど出発してしまったところ。残念。


この地は、大村益次郎の出身地。昔、司馬遼太郎の小説『花神』で読んだっけ。


駅でおばあさんたちと話しながら、電車待ち。歩き旅の話をすると、みんなびっくりしていた。生まれてからもこれからも、そんな人に出会うことはないだろう、元気をもらった、と。少し功徳をしたかな。

15時15分に乗る。新山口でJR山口線に乗り換え、

15時40分、湯田温泉駅に着く。

15時55分から30分ほど中原中也記念館を見学。時間が足りないのが悔しいところ。










「中也ビール」やら、


街頭広告。


17時、宿に着く。宿泊、素泊まり3150円。足は相変わらず出血。天気は明日から下り坂、とテレビは言っている。

歩数  55793歩  (累計  1001897歩)
距離  32km     (累計  642.5km)
費用  4330円   (累計  86065円)








2014年 徒歩の旅 第17日  山陽小野田市・JR厚狭駅へ

2015年11月26日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月27(木) 晴 (下関市・金楽旅館~ 山陽小野田市・厚狭駅
                 ~下関市・ホテルAZ山口下関店)





今日の予定は、JR厚狭(あさ)駅まで歩き、そこからJR山陽本線で戻り、長府駅で下車して、駅近くのホテルAZ山口下関店で宿泊、というもの。当初計画では、その少し先の江汐公園のキャンプ場でテントということだったのだが、佐伯で設営用具を送り返してしまったので、宿泊まり。
今後も、このパターンで、無い知恵を絞りながら、脳みそを活性化しつつ前進するしかない。ケセラセラである。
 

朝、テレビで、出光福山製油所が石油需要の減少のため幕を閉じた、と伝えていた。ゆっくり宿の食事をとって、
6時45分、出発。昨日来た道を戻る。雨上がりで快晴。空気はしっとりしていて、程よい暖かさ。朝日が眩しい。


日清戦争の講和会議の舞台となった「春帆楼」と「日清講和記念館」を過ぎ、


赤間神宮を経て、


対岸は門司、海上は何艘も船が往来。


関門橋をくぐって、


7時10分、みもすそ川公園。


大砲(幕末に下関戦争などで使用されたもののレプリカ)が朝日を浴びて。


6年前は関門トンネルを出てから時計回りに日本海側へ行ったが、今回は瀬戸内海側を、周防灘に沿って行く。


周防灘。


砂浜もあり、波が洗っている。


7時30分、「平家の一杯水」通過。


国道9号線を行く。振り返れば、関門橋はすでに遠く。


8時25分、長府。


「満珠・干珠」分岐を通過。「満ち干る玉かとやいへる二つの島」。大西巨人の小説『神聖喜劇』で、主人公東堂太郎が愛人である「安芸」の彼女の胸に譬えた小島である。


神戸製鋼所の横の長い桜並木を通過。桜はほころび始めた。


もう少しの木も、


中には、既に大部分の花びらが開いているものもある。


8時35分、国道2号が合流(9号線との重複部分)。


2号線を進み、


9時、長府駅前を通過。

その後は、小月バイパスを通行。

10時10分、神田川。 


バイパスは、上が自動車専用道路で歩道がないため、歩行者は下の道。現在地の確認が困難、推測するのみである。暑い。


10時45分、木屋川下流。橋のところは歩道がついている。


上流側。


さらに下を歩き。




11時35分、山陽小野田市に入る。


遠方に、瀬戸内海の小島が見えたり。


12時5分、高山トンネル。


抜ける。


談合峠にある災害対応型給油所。ここからだらーっと下っていく。


ところで、中央道にも「談合坂」という地名がある。峠で談合する、というのは境界線を確認したりするのかな? 旅から戻ったら調べてみよう。

国道2号線なので、チャリダーにも出会う。単独で3人ほど。

13時、峠の先で、2号線から旧の2号と思しき225号が分かれており、そちらへ入る。


人気のない静かな集落をずっと進む。ごくまれにある店はシャッターを下ろしている。過疎化か。人の姿全くなし。ただ太陽の光だけがさんさんと降りそそいでいる。

遠くを走る玩具のごとき貨物列車。


13時50分、山陽新幹線が遠くに見える地点で厚狭駅近し。




14時10分、JR厚狭駅前着。難読地名。それでも新幹線の停止駅である。電車で4駅分を6時間半かけて歩いてきたことになる。


駅前に、まんが日本昔ばなし「厚狭の寝太郎」(三年寝太郎)の「寝太郎之像」。


山陽小野田市案内板。


時間は早いが、この後は山陽本線が南へ大きく迂回してしまうので、ここまでで打ち止め。

15時、長府駅に戻って食料を買い込み、


15時20分、宿に着く。宿泊、朝食付き4800円。

歩数  44608歩  (累計  946104歩)
距離  29km    (累計  610.5km)
費用  6447円   (累計  81735円)

2014年 徒歩の旅 第16日  下関市・金楽旅館へ

2015年11月25日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月26日(水) 雨 (行橋市・橋本旅館~下関市・金楽旅館) 




6時40分、弱い雨が降っている。雨具着用で出発。九州最後の夜だったが、心のゆとりがなく、前回ほどの感動はなかった。まあ、二回目ということもあるのだろう。

県道28号線に出て、北上する。
6時55分、長峡川を越える。


7時15分、行橋市もはずれに近く、苅田町方面へ。国道201号線に合流すると、トラックのメインルートを行くようになったため、飛沫と旋風により難儀。


7時15分、小波瀬川を渡り、苅田町へ。遠方、雲間より青空ものぞく。


7時45分、使われなくなった引き込み線を越え、




8時5分、ガードをくぐって、


8時10分、苅田駅通過。雨は上がっている。


8時45分、北九州市小倉南区に入る。雨、急に強くなる。


8時50分、25号線、めかり公園方面へ。


9時10分、25号線に入る。「カニカキロード」との表示あり。
トラックの量は急に少なくなったが、しばらく行ったところで道を失い、強雨の中、人の姿はなく往生。
たまたま通りかかった自転車の親子連れのおかげで救われた。

10時20分、親子の説明通り、寺迫北口の交差点で右折。


長い坂を上っていく。沼団地、とあった。

11時5分、門司区に入り、




左手、草原の向こうに山が霧に包まれ、何とも言えない風情。


11時30分、自動車専用の松ヶ江トンネル横の歩道から、新門司港入口南交差点。


その先、


ふれあい公園。




12時45分、石塚トンネル(185m)で、石塚峠を抜けていく。雨、降ったりやんだり。あたりは薄暗い雰囲気。


12時55分、椿トンネル(182m)。右は新椿トンネル。


新椿トンネル出口のツバキのレリーフ。ここから高度を下げていく。




九州自動車道と新山陽新幹線の下を抜けて、

13時30分、新桜トンネル。


14時、門司港駅。駅は改修中で、残念ながら白い幌で覆われていた。少し様子を見ていく。


工事見学デッキから中を覗くが、資材が積んであるだけ。








駅の反対側にある、「バナナの叩き売り発祥の地」の碑。前回の旅の時は気づかなかった。


14時30分、和布刈神社の鳥居。


門司関址。


和布刈トンネル。


桜もちらほら開花。


関門橋。


海峡越しに下関の街。


和布刈神社。


関門トンネル人道へ。




14時50分、境界線のところで、通行中の男性に写真を撮ってもらった。九州を過ぎ、本州へ。


壇ノ浦(みもすそ川公園)。山口県である。


公園では、6年前と同じ男性のボランティアさんが紙芝居をしていた。前に通った時にも紙芝居を見せてもらったことを伝えるととても喜んでくれた。今回は高杉晋作と坂本龍馬の話をしているのだそうだ。あいにくの雨のため足を止める人はおらず、聴衆が小生1人では申し訳ないといったのだが、彼はかまわないから、と言って15分間、熱弁をふるってくれた。記念にと手製の絵葉書をいただいた。


後は、国道9号を南下し、赤間神宮の前を通過、


15時50分、宿に到着した。宿泊、2食付き5000円。

歩数  54982歩  (累計  899496歩)
距離  39km     (累計  581.5km)
費用  5199 円  (累計  75288円)

  九州の通過ルート


22014年 徒歩の旅 第15日  行橋市・橋本旅館へ

2015年11月24日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月25日(火) 曇 (宇佐市・なるみ旅館~行橋市・橋本旅館) 




今日は長丁場。天気が下り坂とのことで、中津城や福沢諭吉記念館などは割愛して、なんとか雨につかまらないで行橋まで着きたいところ。

6時15分出発。まだ暗い。空気は生暖かい感じ。昨夕、宿の女将さんと下見をした通り進み、
6時30分、国道10号線に。空はどんより。途中、タヌキと思しき死がいが路上にあり、カラスが交通のはざまで狙って、群がったり散ったりしていた。


6時50分、宇佐に別れを告げ、中津市へ。


看板の裏側の、「WELCOME TO USA」の「USA」もやっぱり可笑しいが、


道路の反対側に立っている自由の女神の像は‥‥。




7時、いったん国道10号から離れ、213号を中津駅方面へ。通勤時間帯になり、道路は徐々に込み始めた。




ソメイヨシノには非ず。


7時5分、中津市。中津は、福沢諭吉の出身地である。


と同時に、、戦国武将、黒田官兵衛の町でもある。2014年の大河ドラマにあやかって、か。 

 
ここにも。 


9時10分、中津駅。駐輪場のお爺さんに近道を教えてもらい、中津郵便局にて局留めにした家からの資料、衣類などを受け取り、カミさんに連絡の電話する。


県境の山国川大橋より。
 

9時45分、福岡県。吉富町に入る。雨がポツリポツリと来る。




10時10分、豊前市へ。


日豊本線特急は、あっという間に。


11時55分、海(周防灘)を見た後、再び国道10号へ。行橋まで18km。    




12時20分、豊前市から築上町へ。雨はおさまった。






13時20分、築上町役場。


ご当地力士、松鳳山の幟はためく。小兵ながらキビキビ動き回る(しばしば空回りして自滅する)、小生ご贔屓力士の一人。


14時10分、航空自衛隊築城基地に沿ってずんずん進み、




14時35分、畠田池を過ぎて、




新池。


15時15分、高架をくぐる。もうこの辺りでは、路肩のキロポストの数字が減っていくのだけが励みである。


16時、行橋駅に向かう県道に入り、今川。宿近し。


16時15分、かろうじて雨に会わずに宿に着く。11時間、44km、酷使した両足に感謝。連日、宿に着いて靴下を見ると血に染まっており、風呂のあとちょこまかと手入れをしているが、あまり芳しからず。特に、左足の第1指と第2指との間のマメをハサミで切ってしまったのが失敗。弱気になるが、そうはいっても、翌朝になれば痛いなりに歩きだすしかない。それの繰り返しがもうしばらく続きそう。宿泊、素泊まり3000円.

歩数  67961歩  (累計  844514歩)
距離  44km     (累計  542.5km)
費用  4810円   (累計  70089円)
















2014年 徒歩の旅 第14日  宇佐市・なるみ旅館へ

2015年11月23日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月24日(月) 晴 (杵築市・民宿あざみ
                    ~宇佐市・なるみ旅館)  



  
6時出発。朝食は弁当にしてもらった。
それにしても、お大師様に旅の試練をいただいた宿だった。教訓が多すぎて何とも言えないが、とりあえず一つ、駅から離れたところに一つぽつんとある宿は要注意。しかも、「下宿承ります」との看板あり、下宿、食堂、民宿が一体になっている。深夜、下宿人らが騒々しく、ついにたまりかねて大声を出してしまった。その他、旅館についてのこれまでの概念を覆されるごときことは枚挙にいとまがないくらいだったが、まあ、まだまだこちらの修行が足りない、ということか。
それにしても、ワンダーランドに迷い込んだ感じだった。はやいところ国道10号に戻りたい。

途中で見かけた野仏。






6時27分、日の出。快晴無風。今日は暖かくなる、とのテレビの予報。


6時45分、杵築駅を通過。 

 
線路沿いに枝垂れ桜が咲いている。ソメイヨシノの開花は、3月18日に高知県で宣言されていた。こちらも近い。






再び日出町に戻り、


7時15分、赤松交差点にて、10号線に合流、右折。宇佐神宮まで26kmとなっていた。


交差点脇の願成就寺(土地の人は「妙見さん」と呼ぶ)の山門。


白モクレン満開。


7時30分、赤松橋(「めがね橋」)。








橋の上でテントを干していた男性と話。大阪の人で、自転車に手作りの竹笛をたくさん積み、気に入った人にあげながら旅をしている、とのこと。旅人同士で意気投合し、1管もらって、鳴らし方の手ほどきを受けた。指は穴をしっかりふさぐこと、上唇を引き気味にし、削ってあるところで息が分かれるように吹くこと。やってみたが、鳴ったり鳴らなかったりで難しい。



7時50分、再び杵築市へ。通勤時間のせいか交通量多し。


山中の道をいく。日陰は、気温3℃、手足が冷たい。




9時15分、門司まで100kmの表示。


日豊本線特急通過。


山香の集落でいったん開けた後、


再び今度は長い上り坂が待ち構えていた。

11時、標高147mの立石峠を越えて、長い下り坂へ。気温18度の表示あり。3時間前から15℃も上がっている。暑くなり、半袖で歩いている。


途中で、自転車を押して上がってくる青年に会いエール交換。

12時15分、宇佐市へ。「USA」が可笑しい。


菜の花が咲き乱れる中を行き、


13時前国道213号と交差、左折し宇佐神宮方面へ。


13時45分、宇佐神宮。


大鳥居の手前に、県有形文化財の26号蒸気機関車「クラウス号」あり。


大鳥居。


境内へ。


振り返り、


再び鳥居をくぐり、




社叢はイチイガシ。




西大門から上宮へ


宇佐神宮は、全国八幡宮の総本宮、と。


上宮。


後方の本殿は改装中。


クスノキの神木の下に花嫁さんがいた。


下宮。


案内板には英語とハングルも。


周辺マップ。




その後、スーパーで食料を調達し、

15時50分、国道から少し脇へそれたところの宿に到着。宿泊は、素泊まり、3800円。
宿の女将さんは大変親切で、翌日のルートを調べてくれたり、明朝間違えないようにと、一緒に付近を案内してくれたりした。ほんとに宿もいろいろである。

歩数  59306歩  (累計  776553歩)
距離  38km     (累計  498.5km)
費用  5063円   (累計  65279円)

2014年 徒歩の旅 第13日  杵築市・民宿あざみへ

2015年11月21日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月23日(日) 晴 (大分市・ビジネスホテル大扇
                      ~杵築市・民宿あざみ)


    
5時10分、出発。すぐに佐伯で別れた10号線に合流し、別府湾に沿って行く。このあたりから、10号線は小倉街道である。
空には下弦の月がくっきりと見える。3月下旬といっても、朝はまだ寒い。
今日は、行程上の都合で、杵築市に泊まる予定。ちょっと東に離れるので消耗だが仕方がない。
昨夜は、日中の行動で消耗したため、外食も食料を買う気力もなし。非常食を食べたので、残りはかりんとうとピーナッツが少々。

5時50分、コンビニで、おにぎりと牛乳500㏄で気合を入れる。

6時5分、別府湾穏やかなり。


大分港方面。


6時20分、朝日が昇ってくる。


見る見るうちに。




道路は、6車線の広い別大国道へ。歩道も広くカラフルである。




街路樹は南国の風情。


別府方面に日が当たって、温泉の湯気が見えるが、カメラではとらえられず。




7時10分、水族館「うみたまご」(右手)とサルで有名な高崎山(左)をつなぐ歩道橋。この辺りは、別府毎日マラソンのコース。


別府湾では、海上で漁。


また、柵のところで釣りをやっている人もいて、
「何を釣ってらっしゃるのですか?」
「ホゴ。」
「ああ、フグが釣れるんですか。」
「フグじゃないホゴ。」
「フグ?」
「フグではなくて、ホ、ゴ。とげのあるやつ。」
「ホ、ゴ?」
なんていう会話をした。
ホゴとはカサゴのことで、これから、チヌやタチウオなどが釣れるようになっていくそうだ。今の時期はフグは釣れない。


海の色はとてもきれい。しかし風強く寒い。ダウンジャケットを着たままで歩いている。


7時25分、日豊本線。


7時35分、別府市に入る。


温泉街のホテルが近づいてくる。


市街地を行くと、こんな敷石。




8時15分、東別府駅そばのなかよし公園で、高齢者たちがグランドテニスをやっている。小休止。まだダウンを脱ぐのは躊躇われる。

8時30分、別府市中心部が近づく。


温泉街。






7時40分、国道から離れ、海辺の的が浜公園の遊歩道を歩く。




女性では現在世界一のピアニストのマルタ・アルゲリチの大きな写真がある。別府アルゲリチ音楽祭の宣伝であった。


9時、フェリー乗り場からは、愛媛の八幡浜へ出航していく。




9時45分、別府漁港をへて、


10時5分、別府市と別れ、


日出(ひじ)町に入る。てっきり「ひのでまち」かと思った。難読地名なり。


別府市方面を振り返る。


10時45分、豊岡漁港。もうすっかり暖かい。


11時40分、10号線と別れ、


12時、さらに、杵築方面213号へ。


あたりは一気に田園風景になり、


ぽかぽか陽気。


ヒメコブシや


菜の花が満開。


日豊本線の横を進み、


お寺の前を過ぎ、




14時15分、杵築高校横の宿に着く。宿泊、2食付き5000円。
さっそく風呂を沸かしてもらいのんびりした。
夕食は、杵築米というブランド米だそうだが、率直に言って‥‥? 炊き方の問題のような気もするが‥‥。

名人横綱双葉山のポスターがあった、前々年の。
双葉山は、現在の大分県宇佐市の出身。未踏の69連勝の記録を持つ。小生の子供のころは時津風部屋の親方だった。部屋には鏡里というアンコ型の横綱や長身の大内山などがいたのを覚えている。相撲少年には懐かしい時代である。

歩数  53239歩  (累計  717247歩)
距離  36km     (累計  460.5km)
費用  6387円   (累計  60216円)


2014年 徒歩の旅 第12日  大分市・ビジネスホテル大扇へ

2015年11月18日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月22日(土) 晴 (津久見市・いさみ旅館
                ~大分市・ビジネスホテル大扇) 




7時出発。快適な宿でした。女将さんも親切だった。


今日は、国道217号と205号を、主に山間部を通り、臼杵市を経て大分駅前まで歩く予定。今日も又40kmを超える歩きになる。
市街地を抜けて、国道217号を進む。


大きく蛇行しつつ臼津バイパスを上っていき、蔵富トンネル(144m)、




原トンネル(87m)と、短いトンネルを過ぎて、


8時5分、臼杵と津久見の市境の新臼津トンネル(1649m)。トンネル内は、歩道の幅は狭く、縁石が欠けている。泥がたまって泥濘になっていて滑りやすく、とても歩きづらい。今日は3連休の中日なので、いくらかトラックが少なくてよかった。


8時35分、臼杵市へ。


臼杵市街を遠くに見下しつつ、市街は迂回していく。




田園地帯を行き、


9時50分、臼杵川を越える。


晴天無風。昨日と違ってのどか。「春の小川は さらさらいくよ‥‥」




10時、臼杵支援学校のソメイヨシノは、つぼみもふくらんで、開花間近。


臼杵市の郊外を通って、


10時40分、左折して205号へ。再び山間部に入っていく。






アップダウンを繰り返しつつ、臼杵市もはずれ。


畑トンネル(146m)、


11時25分、横岩トンネル(445m)を抜け、


11時40分、大分市との境の臼坂トンネル(1674m)。


その後はどんどん下り、

13時30分、坂ノ市にて左折、国道197号へ。




再び日豊本線と並行しつつ歩き、






ちらりと別府湾。


14時50分、鶴崎橋。


大野川。




15時15分、乙津橋と渡って、


乙津川。






途中、牧駅のあたりで大分駅へ近道をしようとして道を失い、聞きながら駅へ。


午後は、日は差しているものの、風が冷たかった。

大分川を渡り、






駅前交番で今夜の宿である「ビジネスホテル大扇」を尋ね、
5時20分、到着。宿泊は素泊まりで3000 円

部屋で靴下を見たら、右足小指と、左足前4分の1ほどが血に染まっていた。道理で痛かったはずだ。3日連続で6万歩以上歩いてきた。これで更に荷が重かったらと思うと、やはりキャンプをやめてよかった。

歩数  63753歩  (累計  664008歩)
距離  42.5km   (累計  424.5km)
費用  3411円   (累計  53829円)

2014年 徒歩の旅 第11日  津久見市・いさみ旅館へ

2015年11月17日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月21日(金) 雨のち晴 (佐伯市・直川憩いの森公園キャンプ場
                    ~津久見市・いさみ旅館)




夜中、かなり寒かったので起きてコンロを焚いて温まった。宿どまりになれば、当分はこういうこともなくなる。
今日も長丁場なので、5時出発のつもりだったが、雨の中、暗い道を行くのもためらわれ、暫時様子を見て、5時30分出発。

6時20分、例のカブトムシまで戻り、佐伯市に向けて、再び山中を行く10号線をたどる。


降ったり止んだりしたが、雨あがり、雲間から青空も見えてくる。


7時、日豊本線。


7時5分、門司まで200kmの表示あり。


7時15分、山に日もあたりはじめる。


7時45分、直見の集落。


8時、弥生へ。ようやく朝日が眩しい。


雨上がりの気持ちの良い田園地帯を歩く。足元にはスイセン。


だいぶ里に下りてきたが、それでも周囲は低山。山里は春が遅い。


8時55分、番匠川。


川に沿って下り、橋を渡り、右折して、佐伯市街へさらに川に沿って217号を下って行く。


ふと、気がついた。今日は彼岸の中日だから3連休。郵便局からは荷物が送れない。途中のフルーツ店で、装備を宅配便にて送る。ここは、元ヤクルトスワローズ川崎投手の出身地で、店の主人とも知り合い、とか。贈答品の発送で利用してもらったそうだ。古田も、高津も。
一気に背中が軽くなった。

10時半30分、佐伯城跡前、大手前。


三の丸の櫓門のみが残されている。




また、旧藩校「四教堂」の跡が市立小学校になっていた。




案内板でこの先のルートを確認。


大手前交差点を過ぎる。


市街には、漫画家の富永一朗にちなんで「イチローロード」というものあった。




また、佐伯は、国木田独歩が一時住んでいたとかで、こんなマンホールの蓋もあった。


11時、佐伯駅前を通過。


短い佐伯トンネルを抜けると、


佐伯湾。造船所がある。






強い寒風が吹く湾に沿って進み、
11時20分、八坂トンネル(533m)。昨日の山中のトンネル群は歩道がしっかりしていなかったが、ここはきちんとしていて歩行も安全。


入り組んだ地形の佐伯湾北部を行き、






13時、上浦へ。


「海はきれい」だが、いかんせん風が冷たい」。




いや、やはり「風は冷たい」が「海はきれい」。


13時35分、豊後二見ヶ浦の夫婦岩。


14時、殿山トンネル(332m)。


14時20分、市境の津井トンネル(591m)を抜けて、


佐伯市から、


津久見市へ。


今度は津久見湾に沿って、再び真っ青な海と




網代トンネル。


日代トンネル。


ここまで来ればあとはのんびり。




14時55分、新日見トンネル(1320m)。



大分県における椎茸栽培の開祖、松下源兵衛翁生誕の地の碑。


港に沿って歩き、




16時、キリシタン大名だった大友宗麟の像のたつJR津久見駅へ。




駅で一休みして、16時半、宿に入る。夕食はボリュームあり。5500円。

歩数  63471歩  (累計  600255歩)
距離  41.5km   (累計  382km)
費用  6838円   (累計  50418円)


2014年 徒歩の旅 第10日  佐伯市・直川憩いの森公園キャンプ場へ

2015年11月16日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月20日(木) 雨 (延岡市・道の駅北川はゆま
             ~佐伯市・直川憩いの森公園キャンプ場)



 
夜半、雨は、売店の庇を強くたたいていた。明け方は小降りになったものの依然として止まず。

7時に出発するも、


高速道路と一般道が入り組んでおり、見通しもきかなかったりして、道を間違えて50分間のロス。






7時55分、道の駅へ戻ってしまい、出直し。




歩道がなく、くねくねとした切通しのようなところを行く。トラックや乗用車など大量に通過し、危なかったが、雨が一時小止みになり傘をたたんで通過できたのは幸運だった。緊張の連続だったので、写真を撮るどころではなく、実態を証明できないのが残念。

8時15分、小広いところに出てから、北川に沿って北上。


8時30分、戦没者慰霊塔があった。


苔や風雪で痛んでいたが、「征清記念碑」や「明治三十七、八年日露戦役記念碑」などと読むことができた。


8時45分、分岐。左手は直接大分方面に向かう国道326号。ほとんどの車は左折していく。右へ日豊本線と並行する静かな10号線をたどる。


たまに車が通るくらいで、人はまったく見かけず。
北川とともに蛇行して行く。


川面に、雨の輪がいくつも見える。
「降るとも見えず 春の雨 水に輪を描く波なくば 煙るとばかり思わせて 降るとも見えず 春の雨」
古い唱歌「四季の雨」など歌いながら歩く。


8時50分、熊田トンネル。


ふたたび北川に沿って。


9時30分、深瀬隧道。隧道横の歩道から見る北川の流れが美しい。深いところは濃い緑色、浅いところは川床の石が透けて見える。


日豊本線を跨ぎ、市棚へ。


10時、市棚駅そばの売店で、食料を調達。店のお婆さん、火にあたりに来ていた近所のお爺さんと話。宮崎県は九州で一番貧乏な県、東国原前県知事にはもう一期やってほしかった等々。昭和40年に国道10号が完成したことで、この辺りは一気に変わってさびれてしまった、とのこと。また、高速道路ができても、ただ通り過ぎていくだけ。若者はみんな延岡や宮崎に行ってしまい戻っては来ない、と。この商店は120年ここでやってきたから、儲からなくてもやっていかなければならない、と言っていた。
 
あとは、日豊本線を絡んだりしつつ、川沿いにずっと山間部を歩く。雨はあがり、ウグイスがしきりに鳴いている。


大分県境の宗太郎峠に向かって登っていく。自転車で九州一周をしているという京都の学生3人に会う。その他にも、夕べ一緒だった青年、2人の自転車の青年と、挨拶したり、エールを交わしたり、「お疲れさん」と励まされたりした。街中ではなく、こういうところでは、お互いに親近感もわくというものだ。








11時50分、県境。大分県宇目へ。


この後は一気に下るかと思いきや、アップダウンが続き、なかなか下りに入らず、いささかしんどかった。

峠の先で、「宗太郎」という名の駅があったが、道路から少し離れていたので立ち寄らずに通過。


渓谷や、


ミツバツツジ。


トンネルをいくつか抜けていく。

12時40分、立花トンネル。


13時10分、宗太郎トンネル。


14時、前畑トンネル。


14時5分、大原トンネル。


14時20分、重岡駅にて小休止。


14時40分、直川へ。


この後はやっとどんどん下っていくようになった。





 
16時45分、10号から分かれてキャンプ場方面へ。


田園の中の道を通り、


17時30分、直川憩いの森公園キャンプ場到着。定休日だったが、「困ったなあ」と言っていたら、通りかかった人が連絡してくれて、管理員が開けてくれた。出発が遅かったせいもあるが、カブトムシの分岐からの最後の4kmが、再び雨が降り出したこともあって、ちょっと厳しかった。キャンプ場代金、800円。

ここで思案。このあとは山陽から東海道へと産業の動脈を歩くため、キャンプ場自体が少なくなり、またあっても高額なオートキャンプ場が多くなる、それに足も思ったほどにはよくならない。というわけでテント装備や炊事用具は一旦自宅へ送り返し、川崎までは宿に泊まりながら行くことにし、川崎から再びテントを背負っていくことに計画を変更した。したがって今夜は西日本最後のキャンプである。コンロでコーヒーを沸かして飲めるのも今夜限りか‥‥。

歩数  62539歩  (累計  536784歩)
距離  38km     (累計  340.5km)
費用  2226円   (累計  43580円)


2014年 徒歩の旅 第9日 延岡市・道の駅「北川はゆま」へ

2015年11月14日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月19日(水) 曇 (日向市・民宿金ガ浜
               ~延岡市・道の駅北川はゆま)





7時出発。今日も国道10号線を辿る。

石積みが芸術品とでも呼びたいようなため池がある




宿の子と一緒になる。集団登校で、みんな挨拶のよくできる子たちだ。
早朝にもかかわらず、サーファーたちが遊んでいた。
道の駅北川はまゆは、18時まで営業とのことで、今日は、ゆっくり時間調整をしつつ歩けばよい。

7時30分、廃校が市の文化財収蔵庫になっていた。 


ここにも「てげてげ運転追放運動」


8時10分、碁石碁盤工房の「はまぐり碁石の里」。




案内板「ようこそ ひゅうが」で確認。


8時45分、塩見川。


意外と広い川幅。


道路わきで交通量の調査をしているのは、東九州自動車道開通の影響を調べているようだ。この後も、随所で見かけた。


8時55分、日向市駅を通過。


日豊本線に沿って、


10時10分、日向市を抜けて、


門川町へ。




五十鈴川を渡り、


11時、鳴子川河口の門川港。


鳴子川を渡り、


11時15分、門川海浜総合公園にて小休止。足の状態確認。右足第5指はマメが化膿出血、左足第2、第3指の付け根も化膿、あまり芳しからず。と言っても歩くしかないのだが。


12時、門川町を抜けて、


延岡市へ。


12時20分、「ととろ」という名の町を通った。「土々呂」と書く。近くに日豊本線のととろ駅があったのだが、気づかずに通過してしまった。


延岡市立土々呂中学校。


13時15分、沖田川を渡る。


干潟のような河口と日向灘。




14時半、大瀬川と五ケ瀬川にかかる延岡大橋を渡る。




15時20分、北川に沿って、遡行。しばらくは海から離れ、山間部に入っていく。


道の駅まであと7km。


15時35分、和田越トンネル。トンネル手前のあずまやで小休止。左手に人道トンネルあり。


16時、右手は川と田園地帯。左手は樹林の丘。


時々列車の写真を撮りつつ、


差木野町、


16時30分、北川町へ。


西郷隆盛宿陣跡など西南の役にちなむ事柄多し。






17時20分、「古代日向路長井駅跡」


17時半、道の駅に到着。


道の駅で、ミカン1袋を買う。東京から鹿児島を目指して帰途中のチャリダーの青年がいて、2人で並んで、営業終了後の店の軒先にテントを張った。宿泊は無料。

ここまでで、九州の予定の半分ほどを歩いたことになる。
今日は彼岸の入りで、途中お線香のにおいの漂うところもあった。

「はゆま」とは、早馬で、駅馬のこと、だそうだ。



歩数  59183歩  (累計  474245歩)
距離  39km     (累計  302.5km)
費用  567円    (累計  41354円)

2014年 徒歩の旅 第8日  日向市・民宿金ヶ浜へ

2015年11月13日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月18日(火) 雨のち晴 (高鍋町・石川旅館
                ~日向市・民宿金ヶ浜)





今日は距離が短いので、初めてゆっくりと宿の朝食をとる。テレビで、東九州自動車道が、都農と日南の間で開通し、セレモニーが行われたと報じていた。

7時20分、出発。雨はたいしたことはないので、ゴアの雨具の下だけ着用、傘をさして歩く。空気は生暖かい感じ。


高鍋はもと城下町。


途中で、昨日の小学生たちに出会いお互いに手を振る。

7時40分、国道10号に出て、左折。すぐに小丸川を高鍋大橋で越える。




一時、雨止み、薄日が差す。




8時10分、日向まで35km。今日はその手前まで。


8時30分、雨ふたたび降りだす。田園の中を行く。キャベツの出荷作業中。


坂を上ると、高原状の土地にお茶畑が続く。このあたりはお茶の産地として有名。


8時45分、高鍋町から川南町に。


9時5分、ルピナス公園を通過。




早咲きの桜も咲いている。


9時25分、門司まで300kmの表示あり。


しばらく田園地帯。


花桃が咲いている。


10時45分、塩付工業団地。


11時30分、都農町へ。


桜、


菜の花、


11時40分、名貫川。


九州八十八か所のうち、36番札所 貫川寺。


「てげてげ運転追放運動」の看板あり、「てげ」は「大概」「てーげー」「おおざっぱ」「テキトー」のことのようだ。


12時10分、「道の駅つの」で1時間弱の大休止。いちご1パック買い食べる。雨宿りをしつつ、道の駅の職員が意見を聞かせてくれ、というので話。道の駅が、たんに自動車のためだけの駅ではなくて、旅人にとっても休めるような駅になったらいい、そのためにはテントサイトや横臥施設なども今後充実していくといいのだが、など話した。


13時15分、日向国一之宮都農神社。


14時20分、都農町と別れ、


日向市へ入る。




雨はすっかりあがり、青空に。


15時20分、日向灘見える。


日豊本線を跨ぎ、




15時30分、美々津へ。旧市街の街並みを写す。美々津は、江戸時代、明治大正と関西との交流の拠点であったそうだ。情緒のある家が保存されていた。










また、「日本海軍発祥之地」碑などあり。


海軍大臣や首相をつとめた米内光正が碑文を書いていた。


両爪錨。


その横に、「美々津渡し場 高瀬舟終着場之跡」の碑。水運の隆盛もしのばれる。


15時50分、耳川を渡る。


橋の上から、美々津港。




日向灘を望み、




「アメリカデイゴ」の木を見つつ、


16時半、金ガ浜の民宿へ。ここはサーファーの宿のようで、何人かいた。宿の人も愛想はイマイチだったが、食事はたっぷり出た。つまり、そのような宿なのだろう。足のマメは、雨中行動もあって、両足とも化膿。歩きづらいが、いずれ回復するだろう。宿泊 4500円。

歩数  49079歩  (累計  415062歩)
距離  33km     (累計  263.5km)
費用  4881円   (累計  40787円) 



2014年 徒歩の旅 第7日 高鍋町・石川旅館 へ

2015年11月12日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月17日(月) 晴  (宮崎市・ペンション青島
                  ~高鍋町・石川旅館)





4時50分、出発態勢。

 
5時出発時に、既にオーナーが起きていて、ペットボトルと「お昼」をくれた。
今日も長丁場。暗い中をヘッドランプで歩きはじめる。暑からず寒からず。国道は海岸線から少し離れている。

5時45分、遠くにヤシの木の並木が見える。


県道367号を行き、
6時15分、清武川、木崎橋より。


日南線沿いに歩き、


6時30分、日の出。




6時55分、日南線の写真を撮る。






7時25分、本郷ランプを左折、国道220号の宮崎バイパスに入る。ヤシの木の並木の広い道になり、




それにこぶしの木が混じって咲いている。




8時45分、大淀川の橘橋を渡る。


やがて宮崎市の中心部に。




9時過ぎに、JR宮崎駅前につづく国道220号の起点に。




ここからは門司方面に向けて日向街道の国道10号がつづくことになり、しばらくはそれを辿る。


9時50分、宮崎神宮前を通過。


国道10号を北上。


11時50分、鯉のぼりならぬ「くじらのぼり」。そういえば、四国の高知には「かつおのぼり」があったっけ。


その後は田園地帯。


13時30分、一ツ瀬川へ。日向大橋は一部工事中。








川を渡ると新富町である。

13時50分、日豊本線。


田園地帯をひたすら歩き、






15時5分、新富町を抜けて、


高鍋町。


15時15分、水田の向こうに日豊本線。


15時50分、宮田川。親亀の背中に‥‥。


そして、16時、JR高鍋駅へ。


駅前にて、宿の場所を確認。


駅から宿まで3kmほど。町の中心部が、駅から大分離れている。近くに航空自衛隊の新田原基地があるため、時折、空を引き裂くような轟音が響き渡った。

途中、3人の小学生と一緒に歩く。4年生の男女一人ずつと、2年生の女子。宮崎県は若山牧水の生誕の地なので、1600首の短歌のうちの100首を選んで、学校でカルタ大会をやるのだそうだ。団体戦と個人戦があり、各学年で優勝を競う。彼らに、一番好きな短歌は何だい、と聞いたら、
「白鳥は悲しからずや、海の青空の青にもそまずただよう」(女子)、
「日向の国むら立つ山のひと山に住む母恋し秋晴れの日や」(男子)と教えてくれた。一緒に、その他の「幾山河‥‥」や「吾亦紅すすきかるかや‥‥」などを口ずさみながら、彼らが教えてくれた宿まで行った。
「白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒はしづかにのむべかりけれ」や
「山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君」などは小学生には出さないことにした。
その他には、4年生は星座や、小数点同士のかけ算の勉強をやるのだそうだ。

16時40分、宿に着く。今回の宿は食事つきにしたが、宿代に比して実に豪勢な夕食だった。宿泊 5800円。

歩数  66886歩  (累計  365983歩)
距離  47km     (累計  230.5km)
費用  7036円   (累計  35906円) 







2014年 徒歩の旅 第6日  宮崎市・ペンション青島へ

2015年11月11日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月16日(日)晴 (日南市・猪崎鼻キャンプ場
               ~宮崎市・ペンション青島)
 




5時20分、テント場を出発。無風。寒さも和らいでいる。昨晩はテントも結露していなかった。
まだ暗く、ヘッドランプを着用。満月に近い赤っぽい月と明けの明星をいただき歩き始める。
5時30分、国道220号(「日南海岸ロードパーク」)に出る。

5時55分、油津港の夜明け。


あたりが徐々に明るくなって、ヘッドランプの光もぼんやりとしてきたが、一歩でも不用意に足を出して挫いたりすると、そこで旅が終わってしまうかもしれないので、もうしばらく着用していく。

6時5分、日南トンネル(404m)。トンネル右手の歩道を進む。


油津港もだいぶはっきり見えるようになった。


6時15分、日南線が通過していく。


6時20分、油津港と広渡川を結ぶ堀川運河。


6時40分、日の出。


青島まで37kmの表示。今日も長丁場。


7時、路傍に不思議な木を発見。‥‥何とも挑戦的な‥‥。これが人間だったらとてもそばへは寄れない。


「パラボラチョ(酔いどれの木)」とい名前の、アルゼンチン原産の樹木。


7時15分、飫肥方面に向かう県道434号を分けて行く。


7時20分、風田神社。




市街地を抜けて、


7時25分、いよいよ海岸沿いを進む。


ハマユウとソテツが植えてある海沿いのプロムナードである。






海を眺めながら、快調に。


後方をちらり。


潮騒を聞きつつ、海を眺めて小休止。


今日は海岸通りで自転車レースがあるとかで、さっそく集団がやってくる。その後つぎつぎと続く。スタッフに尋ねると、コースは宮崎から105キロ、600人以上が参加、とか。「がんばれー」というと、手を振っていく人が何人もいる。今日は日曜日なので、中学生らしき子供も参加している。








8時35分、案内板。

海岸線は蛇行している。




洗濯板のような海底隆起。先方の森は鵜戸神宮。


9時15分、鵜戸神宮には寄らず、新鵜戸トンネル(875m)へ。


トンネル内部。しっかりした歩道があり、安心して歩ける。


再び海岸線を。






9時50分、「サンメッセ日南」通過。


海岸線。




隆起海床。


小さな漁港を経て、


10時20分、宮浦トンネル(306m)。


きれいな砂浜。




10時35分、日南富土トンネル(1386m)。


その後も、海岸線にそって何度か蛇行して行く。




11時50分、「てげてげ運転撲滅」看板。






12時、青島まで12km。


鶯巣漁港。




12時10分、日南市と別れ、


いるか岬の展望所。




12時25分、宮崎市へ。




12時55分、浦島太郎をまつる野島神社。




宮崎の巨樹百選のアコウ。樹齢300年。




日南線。


13時10分、「鬼の洗濯岩」。隆起海床と奇形波触痕の横を通過。福井の越前海岸で見た「弁慶の洗濯岩」を大規模にしたようなもの。






密漁禁止の立て札あり。「トサカ」「マガリ」「カメノテ」、どんなものだろう?


内海湾。


13児0分、堀切峠トンネル(1489m)。


上空にパラグライダー。


そのまま道なりに山桜などを写しつつ220号を行くと、


14時40分、青島トンネル(284m)。


バイパス状になって、だんだんと青島駅からは離れていってしまい慌てる。道端の家で、お爺さんに駅方面への道を聞くと、車で駅まで送って行ってやる、と言われるが、お礼だけ言って、歩いて駅に着く。

駅で、心配して掛けてきた宿からの電話に出ていると、駅前広場に止まっていた自動車の老夫婦のうち、男性が下りてきて、頼みたいことがあるのだと言う。聞いてみると、お婆さんが最近元気をなくしてしまっていて、見たところあなたは元気そうだから、お婆さんと話をして欲しい、とのこと。車の中のしょんぼりした感じのお婆さんに、これまでの歩き旅の話などしつつ励まし、最後に両手を強く握って、元気のパワーを吹き込んであげたら、お爺さんは泣いてしまった。

日南線沿いの宿への道。


16時、宿に着き、さっそく風呂に。
オーナー夫人が、折角だから自転車で海岸を見てくるといい、と言うので出かける。


観光地図があり、ちょうど今日歩いてきたところが確認できた。


サーファーや家族連れがいた。


先方に青島。


きれいな浜辺だった。




素泊まりのため、スーパーで食料を買って戻る。
宿のオーナーはご夫婦ともに東北の出身。面白く楽しい人で、話が尽きない。小生の旅の話の他に、この土地の話。昔は日南は新婚旅行のメッカだったが、今ではホテルも少なくなった等々も。久しぶりに少し、夜更かしした。宿泊 素泊まり 3000円 。
  

歩数  60734歩  (累計  299097歩)
距離  39.5km   (累計  183.5km)
費用  4579円   (累計  28870円) 

2014年 徒歩の旅 第5日  日南市・猪崎鼻キャンプ場へ

2015年11月10日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月15日(土) 快晴 (志布志市・国民宿舎ボルベリアダグリ
                ~日南市・猪崎鼻キャンプ場)




 
6時出発。潮鳴りを聞きながら国道220号を志布志湾沿いに東進する。


天気は快晴、空気は冷たい。海はきれい。


国民宿舎で見た今朝のテレビでは、鹿児島地方の今日は、最低気温は0℃近く、最高気温も15℃程度、とのこと。


振り返り見る、ダグリ海水浴場と、遊園地、国民宿舎ボルベリアダグリの建物。「ボルベリア」とはスペイン語で「もう一度訪れたい」と云う意味らしい。残りの人生で再び来ることがあるだろうか。


6時30分、夏井駐車帯。


遠ざかりゆくダグリ岬。


種田山頭火の句碑あり。
「ここまできて この木にもたれる」




6時40分、鹿児島県を抜け、


宮崎県へ。


海を眺めつつ、


快適なプロムナードを行く。




6時55分、高松トンネル。


7時、高松海水浴場。


7時10分、「宮崎」県にある「福島? 高松?」バス停。


遠方に日南線。


7時15分、JR日南線「高松駅」入口。


宮崎市まで89km、串間市街まで5kmの表示。


7時20分、JR日南線。これからしばらくは、付かず離れずしながら日南線とともに歩くことになる。


志布志湾。






7時50分、「福島今市駅」にて小休止。


こんな「警告」の張り紙あり。


福島川に沿って下り、




8時20分、今町橋を左折して、国道220号を串間市街方面へ。


福島川河口部。




福島港。


若山牧水の短歌が記された串間市のマンホール蓋。
「日向の国 都井の岬乃青潮に 入りゆく端に ひとり海見る」


9時10分、宮崎県立福島高校を通過。


いつの間にか市街を抜け、田園地帯へ。


9時40分、串間神社。






しばらくは、ただ単調な国道歩き。菜の花を見、キロポストの数字の減るのを励みに歩く。




10時30分、都城方面に向かう県道34号を分け、


さらに田園地帯を行く。日差しはあるものの、相変わらず空気は冷たく、フリースの手袋着用のまま歩く。


ヒメコブシか?


静かで好い雰囲気の道路。しっかりした歩道もあるし。


途中で、「食品日用雑貨」の看板のある店で牛乳を飲もうとしたが、ないとのこと。仕方なく乳飲料を飲みながら、そこにいた4人のおばあさんたちと雑談。ついでに大堂津方面へのルートを確認。「分岐を左だよ。」「はい、みなさんお達者で。」

11時50分、ゆるやかに上り、日南線を跨いだところが、串間市と日南市の市境。


串間市を抜けて、


日南市に入る。






山桜。


「南郷町」は、2009年に日南市と合併。


道端に。


12時40分、榎原(よわら)神社参道。


12時50分、歩いていると、先ほどの商店にいたうちの一人が車で追いかけてきて、大堂津まで乗せていってくれるという。歩き旅の旨を言い、「お気持ちだけいただきます。」と答えると、タフマン2本とパックジュースをくれる。店の中に、気づかなかったがもう一人男性がいて、彼が、「優しく話をしてくれたのだからお礼をしろ」と言ったとのこと。こちらにはそんな気もなかったのだが、親切にしてもらったのがうれしかった、と言われた。いえ、こちらこそ。

峠を越えて、ゆるく下りつつ榎原川に沿って歩き、


13時40分、「谷之口駅」


宮崎県は林業も重要産業。




日南線と同行する。




14時10分、おばあさんたちの言っていた分岐にて、いったん国道220号と別れ、南郷川に沿って県道436号を行く。

再び220号に合流し、15時5分、「大堂津駅」。


スーパーで食料を調達がてら猪崎鼻公園の場所を聞き、キャンプ場に向かう。


海は日向灘。




15時半、公園へ。園内の店の男性が、親切にテントが張れる場所を教えてくれた。


16時、テント設営。第一展望台へ。
展望台から穏やかな日向の海と島々をのんびりと眺めた。










宿泊 無料。


歩数  54609歩  (累計  238363歩)
距離  34km     (累計  144km)
費用  1390円   (累計  24291円)