そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第46日 自宅へ  および「まとめ」

2013年01月29日 | 2011年四国の旅-1
11月27日(日) 晴 (「中川旅館」~自宅)




今回の四国の旅の予定をすべて終え帰宅の日。

7時45分の九度山駅を発って南海高野線にて橋本経由で新今宮へ。

JRで大阪乗り換え新大阪へ。

新大阪から東海道新幹線で新横浜へ。

さらにJRで東神奈川で乗り換えて川崎へ。

13時前に無事帰宅。


歩数 0歩         (累計 1,777,904歩)
距離 0km        (累計 1,213km)
費用 13,690円     (累計 209,501円)



まとめ

旅のデータ
(2011年10月12日~11月27日)


歩行ルートおよび主な寺院の参拝月日



上記のごとく、
総歩数        177万7千904歩、
歩行総距離       1千213km、
費用総額      20万9千501円、でした。        

四国は、真っ青な海や清流などの自然や寺院をはじめとして美しい風景が数多く、また、遍路姿の人に対しては誰も皆親切でした。「お接待」はもとより、道を尋ねれば誰もが丁寧に教えてくれ、途中で出会った人たちや宿の人たちもみな気持ちよく接してくれました。信仰心とは無縁な小生ゆえ「遍路の三信条」はさておき、「十善戒」だけでもと心がけ、いくらかは心が清浄になったような気がします。「お四国」の遍路文化が想像以上に素晴らしいものだということも、ささやかながら体験を通して実感できたし、何度も巡拝する人がいるのもうなづける気がしました。
しかし他方で、世の中には、四国遍路をしなければならない人、四国遍路をせずにはいられない人がいるのも確かなことでした。歩き遍路のバイブルといわれる『四国遍路ひとり歩き同行二人』を書いた「へんろみち保存協力会」の故宮崎健樹さんのことばに次のようなものがありました。「古い、非能率、不愉快、不安、欠乏、危険。時代の価値観と相反するものが四国遍路にはある。不平、不満を言い、楽なことを考えていたら遍路じゃない。苦しみ、道に迷っても、一つ一つに意味がある」、「歩いたら癒せるというのは、趣味やないですか。そんなん四国に来んでもええ。なぜ四国かを考えていない」、と。本来、そのような求道的な旅の姿こそが、お遍路の在り方なのだろうと思います。
それを考えれば、自分の旅などは所詮遊山の域をこえるものではないし、しかもそれとても、ほんの一瞬、うわべだけを眺めて通り過ぎたにすぎません。でもやはり、いつかまた「お四国」を訪れてみたいとの思いを深くしました。その日のためにすり減った金剛杖は大事にとってあります。

さて、人生は旅。これからも旅は続きますが、しばらくは心の中の旅を、それからまた見知らぬ土地の歩き旅を、と考えています。その際には、またブログに記録を残しておきたいと思います。

拙いブログを訪れてくださった皆さんに感謝します。有難うございました。


四国の旅 第45日 九度山町・「中川旅館」に連泊

2013年01月28日 | 2011年四国の旅-1
11月26日(土) 晴 (九度山町・「中川旅館」に連泊)



(上の地図は、宿で貰ったパンフレットより作成しました。以下の地図等も同様です。)


地図1


6時20分、九度山の宿を出発。快晴無風、されど寒し。ダウンジャケットの上に白衣、手袋に金剛杖という格好。
今日は、町石道を通って、高野山へ。旅もいよいよ大詰めである。まずは「女人高野」慈尊院へ向かう。

途中にあった案内図。


6時50分、慈尊院へ。


本堂と、


大師堂。


慈尊院から119段の階段を上ると、


丹生官省符神社。「高野町石道登山口」。




はじめは舗装路の上り。


懐かしい「へんろシール」。


なだらかに上っていき、


7時15分、展望台へ。小休止、宿に頼んで買った柿の葉寿司の朝食。


足下には蛇行する紀ノ川。


色づいた柿の落葉を踏みつつさらに上る。






7時40分、舗装路が終わり、石ころと土の道になる。傾斜はゆるくなり、荷もなく、人けもない、歩くのが楽しい快適な道。


地図2


杉並木を行く。






8時25分、六本杉峠。


8時45分、古峠。


8時50分、展望所。


大坂から来たという青年に会い、一緒に眺めた天野の里の景色が、穏やかで長閑で優しい。


9時、二つ鳥居。




9時10分、白蛇の石と鳥居。




9時15分、神田地蔵堂。


地図3


町石を追いつつ歩く。




矢立を過ぎると深山の趣。


10時30分、押上岩。




途中から、逆打ちの要領で、53町は53番円明寺、52町は52番太山寺、51町は51番石手寺…などと唱えたりしながら行く。

徐々に頭上が明るくなり、


尾根筋が近づく。


地図4


11時10分、いったん大きく展望が開け、




遠くに紅葉も見られる。


11時55分、ジグザグの急坂を上りきると国道へ。


眼の前に巨大な大門がそびえ立つ。




仁王像、阿形。


吽形。


大門をくぐって高野山の街中へ。この辺りはまだ閑散としていた。


紅葉鮮やか。


壇上伽藍へ。金堂。


根本大塔。




僧侶たちの列。


西行桜。


東塔。


地図5


紅葉の参道を、金剛峰寺方面へ。






時折、すり減った金剛杖に白衣のお遍路さんに出会うと、どちらからともなく「結願おめでとうございます。」の挨拶。小生同様、四国四十八か所の参拝を終えて、高野山にお礼参りに来た人たちだ。

12時20分、金剛峰寺入口。


山門。




高野山真言宗総本山金剛峯寺。




大玄関。


12時40分、奥の院へ。一の橋。


年を経た杉の巨木の中に、墓所や石碑がある。


気の向くままに写真を撮りながら、約2㎞先の弘法大師御廟へ向かう。

司馬遼太郎の文学碑。


武田信玄勝頼墓所。


石田三成墓所。


明智光秀墓所。


芭蕉句碑。
「父母のしきりに恋し雉子の声」


豊臣家墓所。




織田信長墓所。


浅野内匠頭墓所。


13時10分、御廟橋。


(これより奥は、「写真撮影禁止」のため、上記のパンフレットから御廟の写真をお借りしました。)


弘法大師御廟とその裏にある大師堂でお礼参りの般若心経を唱え、すべての計画を無事終了。
寒さで体が冷え切ってしまったので、御供所でいただいた熱いお茶がことさらに美味しかった。

その後、バスとケーブルカーと電車を乗り継いで九度山駅へ。食料を購入し、16時に宿へ戻る。

歩数 41,313歩 (累計 1,777,904歩)
距離 25km    (累計 1213km)
費用 2,020円  (累計 195,811円)















































































四国の旅 第44日 九度山町・「中川旅館」へ

2013年01月23日 | 2011年四国の旅-1
11月25日(金) 晴 (「すだち館」~九度山町・「中川旅館」)



今日は、四国から和歌山への移動日。

7時30分、宿出発。徳島中央市場へ買い物に行く宿のご夫婦と一緒に車で徳島へ.


フェリーの出航は11時なので、一緒に行って中央市場を見学。




フェリーターミナルで「お接待」に昼食の弁当をいただき(南無大師遍照金剛)、彼らとお別れして、乗船手続き。「こうや好きっぷ2000」という割引き乗船券で、フェリー代2000円で、高野線の各駅まで行くことができる。


和歌山は初めてだと言うと、窓口の係員が丁寧に教えてくれた。


その後は、売店でお土産を買ったりして時間調整。

出航15分前、乗船開始。


船内より。


デッキにはソーラーパネル。


11時、出航。さらば「お四国」。


船上より、四国へ来るときに利用したオーシャン東九フェリー。


紀伊水道。




13時15分、和歌山港へ。




その後、例の係員の指示通りに乗車し、高野山線の九度山駅近くの「中川旅館」に到着。
明日に備える。

歩数 4,599歩  (累計 1,736,591歩)
距離 0km     (累計 1188km)
費用 22,750円(3日分の宿代+交通費・お土産など)(累計 193,791円)







四国の旅 第43日 神山町・「すだち館」へ

2013年01月18日 | 2011年四国の旅-1
11月24日(木) 晴 (大月橋休憩所~神山町・「すだち館」)

○本日の参拝
第1番札所 竺和山一乗院 霊山寺



最後の野宿は満天の星だったが、やはり寒かった。
今日の予定は、第1番の霊山寺にお礼参りをし、その後JR徳島駅で「すだち館」の「お父さん」に車で迎えに来てもらい、宿へ行くという手筈である。

6時40分、ダウンジャケットに手袋着用で出発。すぐに橋を渡り、岩野トンネルを抜ける。


空は晴れ、風強し。


時折、体ごと持って行かれそうになるような強風が来るが、追い風でもあり心はゆとり。第1番の霊山寺から順にお遍路で辿ってきたお寺の名前などを思い出して唱えつつゆるく下っていく。へんろ道ではなく、このまま県道2号線を行くことにする。


7時20分、犬墓の大師堂へ。


大師堂と犬墓。


大師と犬の像。


8時、雲が広がってくる。


8時5分、徳島自動車道をくぐり、


8時10分、日開谷川にかかる上喜来橋を渡る。


途中で出会ったお婆さんに挨拶し、尋ねられるままに、昨日で結願しこれから第1番の霊山寺へお礼参りに行くところだと告げると感激され、握手をしてくれと言われる。手を差し出すと握って、さらに手の甲に自分の額を何度もつけて「有難い」と言うので、戸惑いつつちょっと不思議な気持ちになった。

一時小雨がパラパラときたがすぐにやみ、日がさす。

8時40分、第10番切幡寺への分岐通過。第1番霊山寺へ向かう。


9時10分、ストアーサイジョウにて食料等買い物515円。

10時10分、宮川内谷川渡る。


10時25分、第7番十楽寺を遠望しつつ通過。


10時40分、第6番安楽寺へ。




立派な休憩所あり。


お遍路第2日目は、雨の中でわけもわからず夢中で歩いたへんろ道も、今日は青空の下、ゆとりを持って歩ける。


11時40分、板野町へ。


11時50分、第5番地蔵寺にて小休止。昼食。

仁王門。


本堂。


境内の樹齢800年を超えるといわれる大銀杏。


12時40分、岡の宮の大クス通過。




12時45分、JR高徳線。


12時55分、第3番金泉寺へ。

仁王門。


13時20分、鳴門市へ。


13時30分、第2番極楽寺へ。

あの時は未明で暗くてよく分からなかったが、色彩鮮やかな仁王門。


本堂への階段には、お遍路さんの団体。






本堂。


あの時パスしてしまった大師堂に参拝。


お堂の前の抱き地蔵。


阿弥陀像(左)と観音像(右)。


弘法大師お手植えと伝えられる長命杉。樹齢は1200年余り。


遍路道中図。


寒風の中、門前のセルフうどんで、食事(380円)をして温まって、

14時5分、第1番霊山寺へ。


本堂と、




大師堂にお礼参り。


般若心経を唱えて、四国における参拝をすべて終了。

JR板東駅で、「すだち館」に待ち合わせの確認電話。1か月半前の約束通り、無事に八十八か所の参拝を終えたので、徳島駅に迎えに来てもらう。

14時31分、JR高徳線で徳島駅へ。

駅から久しぶりに乗る自動車で「すだち館」へ。一休みして、神山温泉へ。その後、宿で祝杯を挙げ、問われるままに宿の人とお遍路の話が続き、さまざまな出来事を懐かしくふりかえりつつ四国最後の夜は更けた。
明日は高野山へ向かうため、徳島港まで車で送ってもらう予定。

歩数        34,143歩 (累計 1,731,992歩)
距離(霊山寺まで) 33km  (累計 1,188km)
費用       1,155円 (累計 171,041円)
















四国の旅 第42日 阿波市・大月橋休憩所へ

2013年01月09日 | 2011年四国の旅-1
11月23日(水) 晴 (栄荘~阿波市・大月橋休憩所)

○本日の参拝
第87番札所 補陀落山観音院 長尾寺 (御本尊:聖観世音菩薩)
第88番札所 医王山遍照光院 大窪寺 (御本尊:薬師如来)



いよいよ結願の日。空には雲一つなし。
7時、宿の女将さんから、前山おへんろ交流センターで「遍路大使任命書」を貰うといいと言われ、「お接待」のおにぎり、みかん、ゆで卵、お茶缶をいただいて、出発。


7時10分、志度寺を左に見て通過。


県道3号線を南下。JR高徳線をわたり、高松自動車道の下をくぐっていく。

7時30分、長行池の横を通過。朝日がさしてくる。


池の向う側を高徳線。


7時50分、県道3号線に沿った旧道のへんろ道を行く。


彼方に高徳線。


田園風景の中を行く。


7時55分、玉泉寺。


県道3号線を跨ぎ、鴨部川に沿って行くと、休憩所あり。小休止。


8時20分、へんろはしを渡る。道標には、「左遍んろ…」「安政四巳年二月」とあり。


8時40分、第87番長尾寺へ。


経幢。




仁王門。


本殿と、


大師堂。


境内に地蔵像があり、


その横に、「静御前剃髪塚」があった。


付近案内図にてルート確認。最後の第88番大窪寺へ向かう。


大窪寺方面に若干薄雲が出てくる。


9時15分、塚原交差点の先で、ふたたび旧道のへんろ道へ。


9時25分、旧へんろ道案内図。


そばに釈迦堂と、


一心庵。


9時45分、前方に前山ダムが見えてくる。


9時50分、ダム横の休憩所。


そばに四国のみち案内板あり。


ダム湖。


10時20分、前山おへんろ交流サロンへ。小休止。






記念に「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」と「結願の寺 四季」というDVDをいただく(無料)。
「任命書」には、「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1,200㎞を完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証すると共に四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命致します」と書かれている。責任重大である。


名簿に署名する際に、日付を書いていて気づき、思わず「あっ、今日は結婚記念日だ」と口走ったため、職員の人たちから二重に祝福される。

この先の地図をいただき、女体山コース(旧へんろ道コースではなく、四国のみちコース)の様子を聞いて出発。


10時30分、女体山コースへ。




10時45分、渓流のそばを通過。


10時55分、徐々に登山道らしき雰囲気のところを上っていく。


11時30分、太郎兵衛館にて多和神社コースと合流。


11時45分、落葉を踏みしめ女体山目指して黙々と上る。道は明瞭。








12時20分、最後に小さな岩場を登り、女体山山頂へ。標高は、773m、774m、776mといろいろである。


山頂直下の展望。




山頂の東屋で小休止。「お接待」の昼食。大窪寺まであと1130m。


野鳥図鑑。


長尾寺からここまで、お遍路姿に会ったのは一人だけ。この辺りからハイカーに会うようになる。

12時30分、いよいよ大詰め。






下り道から顧みすれば女体山。




13時5分、第88番大窪寺へ。


二天門。


紅葉鮮やか。


晴天の休日の為、境内はにぎやか。お遍路姿はほとんどなく、観光客であふれていた。




本堂と、


大師堂。


丁寧に般若心経を唱えて、最後の参拝を終えた。結願。

人の多さ、車の多さで、予定していた祝杯もままならず、下りにかかる。
切幡寺方面に向かう国道377号線は歩行者は一人もなく、時折車に出会うだけで、さっきの喧騒が嘘のようだ。ささやかな達成感にひたりつつのんびりと下る。


14時、地蔵堂にて小休止。


14時35分、讃岐の国から阿波の国へ。




15時40分、県道2号線の岩野トンネルの手前にある大月橋バス停到着。東屋の横の草の上にテントを張る。水・トイレあり。




自宅に結願の電話をし、1ヶ月半前に泊まった「すだち館」に宿泊の予約をした。
ミカンと余り物のお菓子で夕食。

歩数 38,113歩   (累計 1,697,849歩)
距離 29km      (累計 1,155km)
費用 14,200円(宿代6500円×2日分 その他    (累計 169,886円)



四国の旅 第41日 高松市・「栄荘」に連泊

2012年11月26日 | 2011年四国の旅-1
11月22日(火) 晴 (高松市・「栄荘」に連泊)

○本日の参拝
第85番札所 五剣山観自在院 八栗寺 (御本尊:聖観世音菩薩)
第86番札所 補陀落山    志度寺   (御本尊:十一面観世音菩薩)



今日は二寺に参拝の予定だが、時間的に実質上の半日休養。
ゆっくり朝食をとった後、「お接待」の昼食(おにぎり、みかん、ゆで卵、ペットボトル)をいただいて、出発。天気は快晴。
琴電志度駅から昨日乗った八栗駅へ。
8時、八栗駅。


歩き始めて10分ほどで洲崎寺。
ここは「四国遍路の父」といわれる江戸時代の僧、真念法師の墓のある寺、とか。






昨日参拝した屋島寺方面もくっきりと見える。


埼玉から来たというお遍路さんに出会い、しばらく一緒に歩くが、「八栗ケーブル登山口駅」で彼と別れる。

一人で早朝の静かな八栗寺への急坂を、途中に「イノシシ目撃地点」などの標識を見つつ上っていく。

8時40分、「弘法大師の加持水」にある歓喜天の大鳥居。


8時50分、展望台から屋島、高松市方面。




第85番八栗寺へ。


鳥居をくぐって行くと、


二天門。


本堂と、


大師堂。


多宝塔。


地蔵堂と、


聖天堂。


境内の図。


八栗寺を後に、五剣山を背にして舗装道路を下る。車遍路の人たちが次々と上ってくる。


下りの途中で、風呂のたきつけにすると言って枯れ枝を切っていたお婆さんと話す。
以前はこのあたり全体にイノシシがいたのだが、高松市の南部の「山」と言われていた地域の宅地造成やバイパス道路の敷設によって追われて、屋島、八栗に集まってしまった。しかし、ここは針葉樹が多くドングリなどが少ないため、畑に悪さをするのだ、と。八栗寺のタケノコは、今年は芽のうちにやられて一本もとれなかったそうだ。「でも、イノシシが悪いんじゃないんだけどねえ……」と言っていた。

舗道を下って、
9時40分、二つ池親水公園にて15分小休止。




その後、琴電で塩屋駅から沖松島駅まで移動。平家物語歴史館に向かう。

11時40分、平家物語歴史館へ。




入場料1200円。


高知の竜馬歴史館もそうだったが、ここも資料的な内容は乏しく、蝋人形でビジュアルな点が取り柄だが、あえて言えば子供向け。「博物館」や「資料館」ではなく「歴史館」と名付けられているのはそういうことだったのか。


12時20分、高松城跡の玉藻公園へ。入園料200円。








艮櫓。




桜の馬場にて「お接待」の昼食。
その後、公園内を散策。




内苑御庭。








月見櫓。




陳列館。


高松城や歴代藩主等に関する文化財や資料,模型などが陳列されていたが、三蹟の一人藤原佐理や歌人与謝野晶子らの筆跡なども見た。

栗林公園にも、と思ったが、高校の修学旅行で行ったので(といっても、今となっては何も覚えてはいないが)今回はやめておいた。

その後は、再び琴電で今橋駅から塩屋駅へと戻り、そこから宿へと歩いた。

13時55分、塩屋駅。


14時5分、道の駅「源平の里むれ」。








14時20分、用心掘石灯篭。


少し先に、「平賀源内先生旧邸」。入館料は「記平賀源内念館」と一緒で500円。






源内ゆかりの「ホルトノキ」。


薬草園由来記。




源内像。


その先に、山頭火の句碑。
「そのかみの
 おもひでの
  海は濁りて    山頭火」


14時40分、「栄荘」を通過。


14時45分、平賀源内記念館。






とても興味深く見学。館内にてパンフレットを購入。1000円。


15時25分、第86番志度寺へ。


志度寺の仁王門の手前に、源内の墓所がある常楽寺がある。




源内の墓。


志度寺境内案内。


仁王門。


本堂と、


大師堂。


五重塔。




境内で「お接待」にチョコとラムネのお菓子をいただいた。南無大師遍照金剛。

さて、いよいよあと二寺を残すのみとなった。宿への帰途、高野山経由帰宅のために、時刻表を購入。550円。

宿では、白峰寺で別れた埼玉さんと再会。ビールを飲みながら、ここまでの経路など話し合った。

歩数(玉藻公園方面への移動を含む)29,854歩(累計 1,659,736歩)
距離(屋島寺分岐から志度寺間)   9km     (累計 1,126km)
費用 4,520円                     (累計 155,686円)












































四国の旅 第40日 高松市・「栄荘」へ

2012年10月23日 | 2011年四国の旅-1

11月21日(月) 晴  (中山休憩所~高松市・「栄荘」)

○本日の参拝
第82番札所 青峰山千手院 根香寺 (御本尊:千手観世音菩薩)
第83番札所 神毫山大宝院 一宮寺 (御本尊:聖観世音菩薩)
第84番札所 南面山千光院 屋島寺 (御本尊:十一面千手観世音菩薩)


地図1



寒くて長い夜だった。さまざまな音色の虎落笛が響き続けた。

6時45分出発。雲多し。


出発直後、寒いので自販機にてホットココアを買う。

6時50分、太陽が顔を出す。


樹間より瀬戸内海も見える。


7時10分、第82番根香寺。




仁王門。


阿形。


吽形。


参道を行く。




紅葉が見事。






振り返る。早朝の為か、とても静かで、他には2人の参拝者を見かけたのみ。


大師堂。


本堂への入り口から、


本堂。


7時30分、根香寺をあとにし、


やや戻ってからJR予讃線の鬼無駅方面へ。

小島の浮かぶ瀬戸内海を見たり、讃岐平野を眺めたりしつつ、なだらかな舗装道路を、ゆるくジグザグと、また時にショートカットしつつ、下っていく。








下るにつれて青空も広がってきて、


溜池まで来ると、線路も近い。


9時、予讃線の線路を越える。




本津川を渡り、

9時5分、きれいな建物の「飯田お遍路休憩所」にて小休止。お茶と梅干と高松の案内をいただく。南無大師遍照金剛。






再び歩き出し、ふり返ると五色台はすでに遥か。


田園の中の道を行き、


四ツ又地蔵を経て、




9時40分、呑東川の潜水橋を渡る。




9時50分、高速道路手前の、民家の軒先につくられた「お遍路さん休憩所」で小休止。「お遍路さんへ ご自由にどうぞ」とあった小型冷蔵庫から冷えた缶コーヒーをいただく。南無大師遍照金剛。


高速道路の下をくぐって、さて、ここからは人家の間をぬって進む複雑なへんろ道を行くことになった。へんろ道だった昔の農道の左右に人家が立ち並んだ結果と思われる。






再び、田園に出る。


10時30分、「へんろ小屋 高松・一宮 24号」にて小休止。


10時45分、第83番一宮寺。


仁王門。


本堂と、


大師堂。


再び田園の道を第84番屋島寺へ向かう。




足元から鷺が飛び立った。


その後、ダイソーで救急バンなど、コンビニで牛乳などを買い、セルフうどんを食べたりして、

13時15分、御坊川を経て、


国道11号線に出て東進する。


地図2


13時40分、春日川を渡り、


14時5分、二つ池。


道路の反対側に休憩所あり。


屋島寺へ坂を上っていく。急坂だが、さほど苦しくはない。

14時15分、坂の途中にある屋島御加持水。


不喰梨(くわずのなし)。




落葉樹の明るい並木を抜けると、


14時35分、第84番屋島寺。




仁王門。


芭蕉の句碑。
「夏艸也 都はも能登母乃 夢の跡」(かな?)


その先に四天門。

持国天、


増長天、


広目天、


多聞天。


本堂。




大師堂。


熊野権現社。


蓑山大明神(左側、四国狸の総大将「太三郎狸」)。


千躰堂。


東大門。


お寺を出て東側にまわると、源平の古戦場が一望できた。








瀬戸内海国立公園屋島案内図。


急な道を下って、

15時35分、岩村休憩所にて小休止。


さらに下ると、安徳天皇社。




屋島遍路みち案内。


眼の前には、第85番八栗寺のある五剣山。


だが、時間的に無理なので、今日はここまで。明日続きを歩くこととして、琴電の八栗駅から宿泊予約をした「栄荘」のある琴電志度駅までは電車で行動。

しかし、電車は一足違いで行ってしまい、20分待つことに。


16時45分、「栄荘」着。
宿は、広い風呂とたっぷりの食事に満足。同席したオーストリア人男性2人とカタコトの英・独語、ニホンゴ、それとジェスチャーで話。彼らも1番からの「通し打ち」で、今日で36日目、とか。お互いの日焼けを、ダークだのブラウンだのブラックだのシュバルトだのと他愛なく言い合った。彼らの1人は九州に住んでいて、今回で5回目のお遍路。外人の「お四国病」患者さんで、「四国の人はみんなやさしい、お遍路大好き」と言っていた。

歩数 51,618歩 (累計 1,629,882歩)
距離 30.5km  (累計 1,117km)
費用 1,358円  (累計 151,166円)





















四国の旅 第39日 高松市・中山休憩所へ

2012年10月02日 | 2011年四国の旅-1
11月20日(日) 晴 (善根宿「うたんぐら」~高松市・中山休憩所)

○本日の参拝
第79番札所 金華山高照院 天皇寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)
第80番札所 白牛山千手院 国分寺 (御本尊:十一面千手観世音菩薩)
第81番札所 綾松山洞林院 白峯寺 (御本尊:千手観世音菩薩)



朝食と「お接待」におにぎり、アメ、焼いもをいただく。
「うたんぐら」のホームページにのせる写真を撮って、

6時50分、オーナーの入江夫妻に見送られて出発。お世話になりました。


天気は曇で風が冷たい。

7時20分、瀬戸中央自動車道の下を通過。


早朝の坂出の商店街を行く。


途中で、お婆さんから手作りの賽銭袋を「お接待」される。南無大師遍照金剛。


JR予讃線の線路を越え、車両の写真を撮ったりして、


8時10分、白峯神社へ。ここは保元の乱で讃岐に流された崇徳上皇をお祀りしている。鳥居の中央に「崇徳天皇」の文字。


第79番の高照院(天皇寺)は神社と隣り合わせになっている。


白峯宮拝殿。


御神木のクスノキの大木。


境内を抜けていくと、高照院(天皇寺)本堂へ。


大師堂。


ここで、伊予小松の宿で一緒だった埼玉さんに出会う。彼はゆっくり行くと言うので、小生は先行。

長い参道を抜ける。


しばらく行くと再び予讃線に出会う。




再び線路を越えて、

9時5分、今度は綾川沿いを行く。






9時35分、綾川から離れ、紅葉がきれいな国道11号線を行く。


10時、第80番の国分寺へ。






仁王門。




広い境内を進み、


本堂と、






大師堂は、


この中。


参拝後、隣にある国分寺跡を見学。








復元された築地塀。




掘立柱建物跡。




復元された僧坊跡と覆屋。


僧坊内部。








鐘楼跡。


伽藍跡と、




伽藍の配置模型。






10時40分、国分寺跡を後にする。

「歩きへんろさんへ」の案内。


11時10分、讃岐国分寺跡資料館を見学。






雲は去り風もおさまって、晩秋の暖かな日差しを背に、色づく木々を眺めながら、五色台への小さな「へんろころがし」を上る。




12時、一本松の展望台。ここで食事休憩。




「歩きへんろさんへ」の案内板に従わず、国道ではなく、山道の歩きへんろ道を行く。昨日の雨の中だったら難儀したかもしれない箇所があったが、今日は快適。

「十九丁」にて、左に折れ、白峯寺へピストン。ほとんど人に出会わず、雲辺寺で会った男性が言った通りの落葉に覆われた静かな道を行く。


13時30分、第81番の白峯寺へ。


山門(七棟門)を入り、


左手に、勅額門と、


頓証寺殿。


烏天狗像(相模坊大権現)。


石段を上がると、本堂がある。




大師堂。


境内に、西行法師像あり。説明に
「西行
仁安元年神無月の比、西行法師
四国修行の砌当山に詣でゝ負を
橋の樹にかけ法施奉りけるに
御廟震動して御製あり
 松山や浪に流れてこし船の 
   やがて空しくなりにけるかな
西行涙を流して御返歌に
 よしや君昔の玉の床とても
   かからん後は何にかはせん
御納受もやありけむ度鳴動したり
けるとなん」とある。


西行歌碑。
「よしや君昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん」


ここで再び埼玉さんに出会った。
参拝後、来た道を引き返す途中で、上ってくるワシントンさんに出会い、キャンデーを2個「お接待」した。

14時20分、「十九丁」通過。


再び、静かな落葉のへんろ道を歩き、




15時、中山休憩所に着く。


強風がしきりに口笛を吹き、テントがゆがむほどだった。ケータイは圏外で通じず、食料も乏しく、寒いので、早々とシュラフに潜り込む。
風は夜通し吹き続け、頭上は満天の星だった。中天にひときわ明るく輝いていたのは木星だったか.....。

歩数 39,195歩         (累計 1,578,264歩)
距離 21.5km          (累計 1086.5km)
費用 1,100円(宿代1000円、資料館100円)(累計 149,808円)







四国の旅 第38日 宇多津町・善根宿「うたんぐら」へ

2012年10月01日 | 2011年四国の旅-1
11月19日(土) 雨のち曇 (満濃池休憩所~宇多津町・善根宿「うたんぐら」)

○本日の参拝
第76番札所 鶏足山宝憧院 金倉寺 (御本尊:薬師如来)
第77番札所 桑多山明王院 道隆寺 (御本尊:薬師如来)
第78番札所 仏光山広徳院 郷照寺 (御本尊:阿弥陀如来)



目を覚ますと満濃池は雨。






雨の中、付近を散策。
案内図。


満濃池略史。


満濃池再築の記念碑。


旧高松藩の勤王の志士松崎渋右衛門の碑。
「君の為 国の為には 惜しからし 仇に散りなん 命なりせば」


7時20分、雨の中を出発。ほたる見公園内の坂を下っていく。公園内には、野宿できそうな東屋が2つ確認できた。

時折自動車が通るだけで、人通りのない昨日通った道を、金刀比羅宮方面に向かって引き返す。雨はときどき強くなる。


モノトーンの景色は、遠景の山々が水墨画のように見える。




途中、久保神社で小休止し、

8時40分、国道319号線に出て、コンビニへ。朝食は、カロリーメイトとみかんの残りと侘しかったので、おにぎりと牛乳500ccでパワーをつける。

雲の流れが速くなり、一時雨が上がりそうになるも、再びしとしとと降る中を、ひたすら歩道歩き。仕方がないから、「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」(芭蕉)やら「老いが恋忘れんとすれば時雨哉」(蕪村)やら....を思い出したり、雨の唄を歌ったり。

11時25分、ようやく第76番の金倉寺へ。

仁王門。


阿形と、


吽形。


本堂と、


大師堂。


金倉寺を後にして、しばらく野中の道を行く。

やがて人家のある方へ行くと、傘をさした男性が、「お接待です。」と小さな焼物のお地蔵さんをくれた。南無大師遍照金剛。

12時40分、道隆寺へ。

仁王門。


本堂と、


大師堂。


弘法大師千百五十回忌之塔、雨強し。


道隆寺を出て、しばらく行くと、白衣を着た外人女性のお遍路さんに出会う。降りしきる雨の中の単調な街中歩きなので、どちらからともなく同行することになる。カタコトの日本語と、片言の英語で、歩きながらおしゃべりをした。
彼女は、ワシントンDCから来た、医科大学で小児科を教えている先生だと言った。前回1番から51番まで回ったので、今回は残りを歩いているが、日程の都合で88番までは回れず残念がっていた。
アメリカでは、仏教への関心はもっぱら禅の方で、真言宗は少ない。日本人の友人や『阿波巡礼記』を読んだ影響で、四国遍路を思いたった、とのこと(彼女はユダヤ教徒)。
日本の文化に興味を持っており、古典も英訳でいくつか読んでいて、『平家物語』や『源氏物語』も読んだそうだ。光源氏はビル・クリントンのようだと言うので、それは四国で聞いたナンバーワン・ジョークだと言ったら大笑い。いくらなんでも....。

13時55分、右手奥に丸亀城。




ワシントンさんのアイデア。


その後もあれやこれやいろいろな話。
彼女は、歩き遍路をしているうちに、シールに限らず小さな赤いものを見ると、ひとりでにそちらの方に体が寄って行ってしまうようになったそうで、「それが私の『お四国病』ね」、と。
彼女の持っている英語版の遍路ガイドブックを見せてもらったら、奥付に Tateki Miyazaki とあり、あらためて「へんろみち保存協力会」の宮崎さんの偉業を実感した。

それやこれやで、雨も上がり、

14時45分、郷照寺へ。

山門とワシントンさん。


本堂と、


大師堂。




ここで、彼女とはお別れ。「Bon Voyage!」、「ガンバッテクダサイ」と握手をして別れた。

その後、300mほど歩いて、善根宿「うたんぐら」へ。
時間が早かったようで、戸が閉まっていたので、隣の食堂でうどんを食べつつ時間待ち。

御夫婦が戻ってきたので、宿泊手続き。
シャワーを浴び、洗濯をし、近くのスーパーへ買い物をして、その後は炬燵でお二人の話を聞いた。
「うたんぐら」の意味(「うたんぐら」のホームページ参照)や善根宿を始めた動機。昨年3月にはじめてから800人以上が泊まったこと。外人の泊り客も多く、米、英、豪、中、韓、独、仏、伊、洪、等々。青木地蔵堂のHさんとも昵懇だとのこと。また、久万高原で別れた山梨君が前々日に泊まっていったことも知った。
この夜の宿泊客は小生一人で、3日ぶりの布団に、あっという間に眠りに落ちた。

歩数 38,460歩   (累計 1,539,069歩)
距離 25.5km    (累計 1065km)
費用 2,030円    (累計 148,708円)




四国の旅 第37日 まんのう町・満濃池休憩所へ

2012年09月18日 | 2011年四国の旅-1
11月18日(金) 雨ときどき曇 (弥谷山ふれあいの森公園~まんのう町・満濃池休憩所)

○本日の参拝
第72番札所 我拝師山延命院  曼荼羅寺(御本尊:大日如来)
第73番札所 我拝師山救聞持院 出釈迦寺(御本尊:釈迦如来)
第74番札所 医王山多宝院   甲山寺(御本尊:薬師如来)
第75番札所 五岳山誕生院   善通寺(御本尊:薬師如来)




7時30分、今日の行程は短いし、天気予報は雨なので、ゆっくり出発。出ようとしたらパラパラと来たので、ザックカバーに雨具上下着用で行く。

弥谷寺方面に少し上り、右に林の中のへんろ道たどる。


7時45分、小さな池の横を通過。


高松自動車道手前の道路に出たところで、小雨の中で畑作業をしていた男性に挨拶をしたところ、大きなみかんを2個くれて、さらに第72番の曼荼羅寺への行き方を丁寧に教えてもらった。南無大師遍照金剛。

8時10分、大池の畔の番外札所七仏寺(奥)と古験松の碑と西行の歌碑。
「月見よと芋の子どもの寝入りしを 起しに来たが何か苦しき」。


大池と、




池畔の案内板。


寒く、喉も乾いたので、ペットボトルを買う。ホットのボトルは四国に来て初めて。

8時40分、第72番曼荼羅寺へ。

山門は仁王門。


境内。


本堂と、


大師堂。


笠松大師。


境内の無人販売所で、みかん200円買う。

9時10分、第73番出釈迦寺山門。


本堂と、


大師堂。


帰りがけに、岡山からのバス遍路の婦人たちに会う。中には山門への坂を上るのが大変そうなお婆さんもいた。

ここで、捨身ヶ嶽禅定へ行こうか、西行庵に行こうかと迷ったが、結局、西行庵に行くことにした。
曼荼羅寺方面に少し戻り、標識に従って左手に丘を上っていく。眼下には小雨に煙る讃岐平野。




9時25分、西行庵へ。


入り口に、『天の夕顔』の作家中河与一の歌碑。
「西行がいほりせし迹希典が うえしホルトの繁り居り今」。


西行庵。




小山がガスで霞む中、田んぼの中のへんろ道を甲山寺へ向かう。


途中で、バンに乗った配達の女性から「善通寺の方に行くから乗っていく?」と声をかけられたが、歩き遍路ですからとお礼を言ってお断りした。

10時15分、第74番甲山寺へ。
新しい山門と、


中門。


本堂と、




大師堂。


雨のためか、参拝客は少なかった。

善通寺に続く通りで、名物の堅パンを買う。


10時55分、第75番善通寺へ。ここは空海の生まれ故郷。
善通寺は、とにかく広く、本堂のある東院と、大師堂(御影堂)のある西院に別れている。


ルートの都合上、まず右へ西院に行った。

仁王門。


阿形と、


吽形。


長い屋根のある参道。


大師堂(御影堂)。




戻って東院へ。


中門。


ここではお遍路の白衣姿はほとんど見かけなかった。


鐘楼と五重塔。


本堂。


本堂の中は見学することができ、大きな薬師如来様がおわしました。

ふたたび五重塔。


高さは45m。


南大門。


まあ、さすがというか、とにかく広大であった。


11時30分、東側にある赤門を抜けて、JR土讃線の善通寺駅方面へ。


線路を越えて、県道25号線を右へ、金刀比羅宮へ向かう。
JR土讃線を渡り返し、清少納言「衣掛の松」跡を過ぎ、トンネルを抜け、と小雨の中をえんえんと歩くと、観光旅館などが現れてくる。

13時10分、観光街を右折して金刀比羅宮の参道へ。


途中のお土産屋さんで、ザックを預かってもらい、デジカメだけを持って階段を上った(この時、歩数計付きのケータイをザックに入れたままにしたので、石段の上下往復の歩数は計れなかった。石段の数は、御本宮まで785段、奥社まで1368段ある、とのこと)。


本格的な上りの始まり。


大門。駕籠に乗った人もいた。


境内の五人百姓。


さらに進み、


石段を上ると、


旭社。


さらにさらに上って、


御本宮へ。




讃岐平野方面。




白峰神社。


さらにさらにさらに上って、


13時45分、静かな奥社へ。


ここまではもうほとんど人は来なかったが、偶然だろうか、上ってきた人は大半が女性だった。若い二人連れの女性は、「もう二度と上らないと思うから頑張った。」と言っていた。また、宮司さんに聞いたところ、御本宮までは車だが、そこから上は毎日歩きだそうだ。

さて、下りは早いぞ。


お土産屋に戻り、奥さんにお茶を入れてもらって、香川県限定という饅頭を食べながら、お喋りして小休止。

その後、満濃池に向かう。
金刀比羅宮を過ぎると、へんろ道シールが極端に少なくなり、ついに道迷い。自転車の中学生に親切に丁寧に教えてもらって、県道4号線へ。その後は、へんろみち保存協力会の地図に従って、満濃池能面へ。

野宿予定地の「ほたる見公園」と「満濃池森林公園」を混同し、変だと思いつつも、「満濃池森林公園」へ行ってみる。やはり間違っており、管理人さんに地図を描いて教えてもらう。
戻ってみると、池畔に屋根つきの大きな休憩所があり、そこが「ほたる見公園」の最上部に当たっていた。

満濃池夕景。




16時50分、水、トイレからはやや遠かったが、満濃池が眼の前なので、ここで泊まらせてもらうことにした。



歩数 35,203歩(金刀比羅宮を除く) (累計 1,500,609歩)
距離 26.5km          (累計 1039.5km)
費用 730円            (累計 146,678円)
























四国の旅 第36日 観音寺市・弥谷山ふれあいの森公園へ

2012年09月14日 | 2011年四国の旅-1
11月17日(木) 晴 (民宿「青空屋」~観音寺市・弥谷山ふれあいの森公園)

○本日の参拝
第67番札所 小松尾山不動光院 大興寺  (御本尊:薬師如来)
第68番札所 七宝山         神恵院  (御本尊:阿弥陀如来)
第69番札所 七宝山         観音寺  (御本尊:聖観世音菩薩)
第70番札所 七宝山持宝院    本山寺  (御本尊:馬頭観世音菩薩)
第71番札所 剣五山千手院    弥谷寺  (御本尊:千手観世音菩薩)




朝、窓に結露はなはだしく、夜間の寒さを物語っていた。

7時10分、民宿「青空屋」を出発。「お接待」におにぎりをいただく。


野仏がいくつもある道を、里山の景色を眺めつつ、大興寺に向かって下っていく.


7時40分、岩鍋池。


少し先に「お休み所」。


遠く、讃岐の山々。


8時15分、第67番大興寺へ。


山門。


参道の石段を上る。




参道の横に、大師お手植えと伝えられるカヤの巨木と、


クスノキ。


本堂。


大師堂。


境内の池。


三鈷の松と、


石造五輪塔。


8時45分、再び観音寺市に入る(大興寺は三豊市)。


鷺がたくさんいた。


へんろ道シールにしたがって。


9時5分、仁池が見えてくる。




仁池。




県道6号線を歩いていると、自転車に乗った男性に呼び止められ、「お接待」だと言って200円いただく。南無大師遍照金剛。

ちょっとまごつく案内。

結局、すぐに合流。


9時25分、お遍路さん休憩所。


JR予讃線をわたると、少し先に地元観音寺市出身の元総理大平正芳の記念館があった。今日は時間の余裕もあり、日ごろは保守の政治家について知る機会もないので、立ち寄ってビデオを見せてもらう。


暑くなって自販機でペットボトル買う。

10時45分、財田川にかかる三架橋。


財田川下流方面。右手は琴弾山。


第69番観音寺(および第68番神恵院)への入り口。ここは一山二札所。


10時50分、山門へ。


共通の山門は仁王門。


神恵院本堂と、




大師堂。


観音寺本堂と、




大師堂。


境内にある売店の女性に尋ね、本堂裏の坂を上って、琴弾公園の展望台に行く。




ここから、眼下に寛永通宝の「銭形」が見える。






ここには、他に、高橋藍川の漢詩碑や、




堀野林治歌碑がある。「遠山雪 ひうちなだ波路の末の雲はれて いよの高根に雪ふれるミゆ」。


展望台の東屋で昼食。

11時50分、琴弾八幡宮へ。

ここは曲亭馬琴の『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』の舞台。


本殿。


長い石段の参道を下り、


参道入り口の台輪鳥居へ。


源平合戦の説明板。


再び財田川を渡り、左岸を行く。




12時50分、第70番本山寺へ。

仁王門。




本堂と、




大師堂。


五重塔。




大門は修復中。


本山寺を出て、はじめ国道11号線を行き、途中から歩きへんろ道へ。

13時50分、へんろ道沿いの池。このあたりも溜池多し。


14時、豊中・高瀬町境。




14時20分、コンビニにて食料購入。552円。

曇って風が冷たくなる中、さらに歩きへんろ道を辿り、


15時20分、第71番弥谷寺入口へ。


15時45分、長い坂を上り天霧城跡。


15時50分、弥谷寺の仁王門。


さらに石段を上り、






本堂へ。


讃岐平野を見下ろす。


大師堂は石段の上の建物の中。履物を脱いでお参りする。




16時25分、参拝を終えて、下の道の駅「天然いやだに温泉ふれあいパークみの」へ。


道の駅の隣にある、弥谷山ふれあいの森公園でテントをはる。

今日は5つの札所にお参りをしたので、あと17ヶ所になった。今治の青木地蔵堂でHさんに聞いていた、善根宿「うたんぐら」に宿泊予約の電話をする。

歩数 45,131歩        (累計 1,465,406歩)
距離 29.5km         (累計 1013km)
費用 7,702円(宿代6500円)(累計 145,948円)







四国の旅 第35日 民宿「青空屋」へ

2012年09月04日 | 2011年四国の旅-1
11月16日(水) 晴 (戸川公園~観音寺市・民宿「青空屋」)

○本日の参拝
第65番札所 由霊山慈尊院 三角寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)
第66番札所 巨鼇山千手院 雲辺寺 (御本尊:千手観世音菩薩)



野宿にとっては冷え込む夜が続く。ダウンのインナー上下を着こみ、テントシューをはいてシュラフで寝た。

6時15分、薄暗い中を出発。

徐々に明るくなってくる空の下、へんろシールを目印に進む。空は晴れわたり頭上に雲なし。


6時40分、伊予三島の街が眼下遥かに見える。


山道に入り、すぐに地蔵の祠。


7時10分、ところどころに急な登りがあるが、歩きやすいへんろ道。


舗装道路に出て、すぐに、

7時20分、第65番三角寺へ。






山門。


石段を上がると境内で、冬桜が咲いていた。




本堂と、


大師堂。




大師堂は紅葉が真っ盛り。


地蔵尊。


境内にある休憩所。


参拝後、椿堂(常福寺)への標識に従って歩き始めたところ、中年男性が上ってきて、標識は車用のもので、歩きへんろ道は反対方向だと丁寧に教えられる。聞いてみると、彼は「へんろみち保存協力会」の会員で、先達をしている、ということだった。これはラッキー。さらに雲辺寺への上りについて、一般的に採られている国道通しで境目トンネル経由、佐野から上るというルートを採ろうと思っていたが、曼陀峠ルートを勧められた。一部急なところもあるが、舗装されている区間もかなり長く、総じて傾斜もきつくないので歩きやすい、と。

彼のアドバイスに従って常福寺方向へ。

8時10分、樹間から伊予三島を見下ろす。


8時25分、同(望遠)。


8時35分、お小屋倉跡の碑。


そばに、中務茂兵衛建立の道標。


8時45分、ゆらぎ休憩所(半田休憩処)。




9時5分、人形のいるお遍路さん休憩所。一人なら宿泊可能な畳敷きの部屋がある。


段丘の耕作地をゆるゆると下っていくと、




9時40分、番外霊場の常福寺(椿堂)。




鐘楼門。


本堂と、


大師堂。


国道192号線を行き、

10時15分、しんきん庵(ヘンロ小屋・法皇・第五七号)で小休止。


壁にはさまざまな貼り紙。




管直人のものも。


「お接待のつるし柿」があり、「十二月上旬頃美味しくなります」とあったが、前に誰かが食べた形跡があり、ためしに1ついただいた。まだ干し柿にはなっていなかったが、こってりとした中身が、それこそ頬っぺたが落ちるほどに甘く美味しかった。御馳走様。




しんきん庵に別れを告げ、再び国道を少し行く。




10時40分、曼陀峠への分岐。左「曼陀峠 雲辺寺」。右「境目峠 佐野道」。アドバイスに従って左へ行く。


七田橋を渡り、曼陀峠上り口。「うん遍んじ」とある。


急坂を上り、振り返る。


さらに上り、




獣よけの電気牧柵の横を通り、


道標を確認、


45分ほどでなだらかに道になり、起伏の少ない歩きやすい道。




11時40分、曼陀峠。愛媛・徳島の県境の「境目」。


11時55分、曼陀トンネルへの分岐。




12時15分、旧曼陀峠。


広い景色の曼陀高原。


平家落人の集落と寺院の解説。


曼陀高冷地野菜団地の説明。


12時50分、雲辺寺口バス停への分岐。


後ろから来た車が止まり、「よかったら乗って行きませんか。」と男性から声をかけられる。歩き遍路の旨を告げて、お礼を言った。

13時10分、四国のみち案内板。


13時30分、第66番雲辺寺。雲辺寺は標高910m。88カ所中の最高所にある。




仁王門。


本堂と、


大師堂。


五百羅漢像。






涅槃像。


参拝の後、毘沙門天展望台へ。




展望台より、ロープウエー。


霞む讃岐平野。


展望台で、先ほど声をかけてくれたドライバーに会う。彼は、香川県のへんろ道でのお勧めは、白峰寺と根香寺の間の靴が沈むほどに落葉が敷き詰められた静かなルートだ、と言っていた。楽しみだ。

さて、五百羅漢が立ち並ぶ道を下りにかかる。














14時25分、落葉の道や、急傾斜の階段状の道などを、国道まで中一本で下った。


15時20分、途中での、讃岐平野展望。溜池がいくつも見える。


さまざまな案内板。






15時45分、国道へ。


15時50分、民宿「青空屋」に到着。

夕食後、同宿の大分から来たというご夫婦のお遍路さんとよもやま話。奥さんから、金の納札をいただいた。

夜、空は澄みきって、空気は非常に冷たかった。お遍路も4県目、ついに涅槃の道場に入った。

歩数 35,458歩(いきいき歩数) (累計 1,420,275歩)
距離 34.5km  (累計 983.5km)
費用 0円      (累計 138,246円)







四国の旅 第34日 四国中央市・戸川公園へ

2012年09月02日 | 2011年四国の旅-1
11月15日(火) 晴  (「ビジネス旅館小松」~四国中央市・戸川公園)

○本日の参拝
ありません。

(地図 1)


空はよく晴れて空気が冷たい。旅に出てはじめて冬を感じる。

7時、宿を出発。

7時49分の伊予小松発のJR予讃線で中萩駅へ。車内は通学生で一杯だった。




8時8分、中萩駅へ。一昨日の続きの地点から歩き始める。



(地図 2)


駅前の大鳥居をくぐって、国道11号線の南側を並行するへんろ道へ。


正面は石鎚山塊。


ところが、このへんろ道が、信号がほとんどないために国道のバイパスと化しており、狭い上に両側通行なので、かなりのスピードで多くの車が走っていく。後方からの車には特に神経を使う。歩行注意である。おまけに排気ガスのにおいも強い。午前9時まではとりわけひどく感じた。


9時10分、アーケードのあるちょっと寂れた商店街。


商店街の真ん中あたりの広場に出店があり買い物をし(赤飯、みかん、飴など)、15分ほど小休止。

9時50分、国領橋をわたる。旧街道とは讃岐街道。


その後、国道11号線に合流し、新居浜・四国中央市境に向かって長い坂を上っていく。




10時50分、上りつめたところが市境。




国道を離れ、石積みの耕作地を通り、


12時5分、番外霊場延命寺へ。




本堂と、


大師堂。


「いざり松」。


東屋の立派な休憩所があるが、雲が出てきて非常に寒く、昼食をとるのもそこそこに、再び歩き出す。



(地図 3)


延命寺の少し先に「俳人小林一茶宿泊 島屋跡」の石標が建っていた。


13時、左手の遠方に海が見える。


13時50分、高い煙突は大王製紙。


田園地帯を行き、


15時、「ひよけ大師」の石床大師堂。




15時10分、コンビニで食料調達。

道標や野仏に従って進み、




松山道の高速をくぐってさらに行き、


15時50分、戸川公園着。水、トイレあり。




今日はここの休憩所で泊まらせてもらうつもりでテントを設営したが、なんと野宿禁止の立札。




だが、ここからはすぐに三角寺への山道の上りになり、これからこの先に適当な泊り場を探すのは困難。また、公園に来た2人の高齢者に挨拶したが、とくにテントを咎められもしなかったので、今回限りということで、あえて目をつぶってもらうことに勝手に決めてしまいました。四国中央市さん、旧伊予三島市さん、どうもすみませんでした。――後日、このような場合はどうしたらよいかと経験者に尋ねたところ、あそこは丁度良い位置にあるからね、と言って、止むを得ない場合は、近隣の家に事情を説明し、その上で、騒がない、火に気を付ける、「来た時よりも美しく」清掃し、翌朝は早発ちする、などのアドバイスをもらった。だがやはり、禁止されているのだから、泊まらない計画を立てるのが一番。次回まわる時には考慮しなければいけない。


歩数 42,684歩              (累計 1,384,817歩)
距離 32km                 (累計 949km)
費用 12,940円(2泊宿代10500を含む)(累計 138,246 円)



四国の旅 第33日 西条市・「ビジネス旅館小松」に連泊

2012年08月30日 | 2011年四国の旅-1
11月14日(月) 晴ときどき曇 (西条市・「ビジネス旅館小松」に連泊)


○本日の参拝
第61番札所 栴檀山教王院 香園寺 (御本尊:大日如来)
第60番札所 石鈇山福智院 横峰寺 (御本尊:大日如来)



今日の行程は、まず香園寺に参拝し、その後は横峰寺を往復するだけ。まあ気分は半日休養といったところ。
ゆっくりと宿の朝食をとり、
7時、たのんでおいた昼食と、雨具だけをザックに入れて出発。羽が生えたように軽い。


中山川の支流にかかる橋を渡り、


道標に従って進むと、


宿から10分あまりで、香園寺の入り口。


7時15分、第61番香園寺。


これまでとは全く異なった、一種異様な建物が香園寺である。






本堂と大師堂はこの建物の中にある。

横の階段を上がり、建物の中へ。


写真を撮ってもよいものか迷ったが、禁止という掲示も見当たらないので中の様子を撮ってみた。


ご本尊の大日如来と右に子供を抱いた大師像。


境内の子安大師堂。


山頭火の句碑。
「南無観世音 おん手したたる 水の一すぢ」
「枋の夜の 護摩のほのほの 燃えさかるなり」


その後、歩きへんろ道を横峰寺に向かおうとしたのだが、逆打ちのために道迷い。

白い山茶花の花びらが散り敷く道を行ってみるも行き止まり。


そうこうしているうちに、上ってくる兵庫君と出会う。順打ちのへんろ道は台風で荒れていて通行不能だったらしい。こちらの計画を話すと、「悪知恵なんか出しちゃって。」と笑われてしまった。二人でへんろ道を探すがシールも見当たらず。墓地の裏へ出たり、低灌木の中へ突入したり。結局、さしあたりは自動車用の道を行き、途中から歩きへんろ道に合流したらそれを行こう、ということになった。

8時15分、大谷池。


8時50分、白滝奥之院(第61番香園寺の奥の院)。




歩きへんろ道へ。


以後、山道を、上り下り、平坦地、を繰り返しつつ、途中で一回休憩所で休んで、名残の秋の風情を堪能しながら、標高約750mの横峰寺に着く。












10時40分、横峰寺。






手水舎に咲いていたピンクの大文字草。


本堂と、


大師堂。


逆打ちのため、裏側から境内に入ったので、その先に山門。


山門を出て、さらに580m上ると、番外霊場の星ガ森。


石鎚山の遥拝所であるが、山は霞んでいてよく見えず。




ここは第60番横峰寺の奥の院。


昼食をとり、下山。

下山途中で何匹か見かけた不気味な青黒いミミズ。長さが30cm以上あった。泉鏡花の『高野聖』にでも出てきそうだ。


下山途中に、韓国人の青年に出会った。白衣は着ておらず、観光客風。日本語は話せず、すでに出会っていた兵庫君によれば、野宿で廻っているのだそうだ。

13時45分、白滝奥之院へ戻る。


その後、兵庫君は第61番の香園寺へ、小生はデパートで下着のスペアを買うために別れたが、宿は同じ「ビジネス旅館小松」だとのことだった。

14時50分、宿に着く。

宿では、兵庫君のほか、第45番の岩屋寺で別れた中原さんや、彼としばらく一緒に歩いているというフランス人の高齢者(彼も日本語はまったくわからないが、1番の霊山寺からずっとまわってきた、と言っていた。中原さんがおにぎりをライスボールと言って説明していた。)などで、にぎやかだった。
「ビジネス旅館小松」は肉屋さんがやっているとのことで、一日目はしゃぶしゃぶ、二日目はすき焼きと、たっぷりの肉でもてなされた。しかも宿代は5250円と割安で、お遍路の間では有名な宿だそうだ。
壁に色紙があった。先月の5日に前総理の管直人がここに泊まって行ったようだ。

歩数 39,922歩 (累計 1,342,133歩)
距離 23.5km  (累計 917km)
費用 1,178円  (累計 125,306円)






四国の旅 第32日 西条市・「ビジネス旅館小松」へ

2012年08月28日 | 2011年四国の旅-1
11月13日(日) 晴一時曇 (桜井ふれあいスポーツランド~西条市・「ビジネス旅館小松」)

○本日の参拝
第62番札所 天養山観音院 宝寿寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)
第63番札所 密教山胎蔵院 吉祥寺 (御本尊:毘沙聞天)
第64番札所 石鉄山金色院 前神寺 (御本尊:阿弥陀如来)



今回は、ちょっと「ズル」をした。本来は、第60番横峰寺、第61番香園寺と巡るのだが、横峰寺の上りへんろ道が悪そうなのでパスをし、第62番宝寿寺から第64番前神寺までお参り。その後は行けるところまで行って、JR予讃線で伊予小松の宿へ戻る。明日、横峰寺と香園寺を空身でピストンし、明後日、今日の到達点まで電車で行って、以後第65番三角寺へ向かう、という計画。

6時15分、出発準備完了(ザックが置いてある場所にテントを張った)。空には十六夜の月。


泊り場の写真を撮るべく、若干待機。左のフェンスがテント設営地。


6時25分、出発。


6時35分、桜井海浜ふれあい広場。
 

朝の海があまりにきれいなので眺めていると、カメラを持った中年男性が寄ってきて、お遍路さんと海の写真を撮りたいのでモデルになってくれないか、と言う。了承。

ここ桜井海岸は、「日本の渚100選」に選ばれている。






ふれあい広場を後に、海岸線に沿って行く。




海を見つつ行くと、


7時15分、虎ヶ鼻海岸公園。


松林越しに海を見つつ行き、


あわよくばそのまま国道196号線に合流を、と思ったが、残念、途中で行き止まり。

7時30分、来た時と同様に緩い小さな丘の上り下りの後、


7時40分、孫兵衛作というところで国道に。


以後は、JR予讃線とつかず離れずしながら、今治街道の国道196号線を南下。


7時50分、今治・西条の市境。






医王池。


瀬戸内東予休暇村。




坂を下ると海。




右手は今治小松自動車道。


8時5分、「カブトガニ繁殖地」。


石鎚山塊は雲の中。


8時45分、デイリーヤマザキ東予三芳店で食料購入。「お接待」に緑茶パックをいただく。南無大師遍照金剛。


9時40分、ダチョウがいる「駝鳥倶楽部 東予ファーマーズ・マーケット」。




10時10分、中山川大橋。




長かった国道196号線歩きが終わって、国道11号線へ。

10時30分、すぐに第62番宝寿寺へ。


旧本堂は工事中。


こちらが今の仮本堂。


仮大師堂。


10時50分、西条市と小松町の標識。小松町は平成の大合併で西条市の一部。




11時、1km余りで、第63番吉祥寺へ。


山門。


本堂と、


大師堂。


桧の霊木。


吉祥寺のご本尊は毘沙聞天。一般的には毘沙門天だが、ここ吉祥寺では毘沙聞天と書く。多くの願い事を聞き入れてくれるから、だそうだ。

朝日町交差点を右折して、国道と並行する歩きへんろ道へ。


11時50分、石鎚神社。




その先が、第64番前神寺。






総門。


境内案内図。


本堂の前には広い庭があり、左右には回廊。


本堂と、


大師堂。


石段の上に、




権現堂。


参拝を終えて、へんろ道に戻り、振り返ると遠くに石鎚神社の赤い大鳥居。


13時、コンビニで食料調達。

隣の店でお土産を買い、家に発送。


13時20分、子供たちが用水で遊んでいる。いつでもどこでも子供たちは可愛い。


とれた魚はカマツカかな? 


ふたたび田園のへんろ道。


13時35分、加茂川にかかる伊曽の橋。


河川敷には夥しい数の車が駐車中。整理員や、露店まで出ている。聞いてみると、西条農業高校の農校祭だそうで、「寄って見ていきなさい。」と言われたが、先を急ぐので遠慮した。


その先左手は武丈公園。




14時10分、地蔵庵。


14時30分、室川。


国道に出て、しばらく行くと、西条・新居浜の市境。




15時5分、中萩駅前交差点を左折。


JR予讃線中萩駅。


駅で30分ほど待って、15時37分の電車で伊予小松へ。約1か月ぶりの電車なり。


15時55分、伊予小松駅で下車し、今日の宿の「ビジネス旅館小松」へ。
同宿者は8人。夕食はしゃぶしゃぶで、肉も野菜もたっぷり。女性は食べきれない人が何人か。
食後、職業遍路の人に金の納札を渡され、つきましては何がしかの御報謝を、と言われた女性の話をもとに、不愉快だったとする件の女性と、認めてもいいのではないかという尼さんのお遍路さんや、やはり非とする男性遍路の意見等々で一しきり盛り上がった。

歩数 48,118歩 (累計 1,302,211歩)
距離 31km   (累計 893.5km)
費用 3,698円  (累計 124,128円)