そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第14日  岩沼市・JR岩沼駅へ

2016年04月09日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月14日(火) 雨のち曇 (相馬市・「道の駅そうま」
     ~岩沼市・JR岩沼駅~仙台市・千登勢屋ユースホステル)




東電福島第一原子力発電所の放射能もれ事故のため、太平洋岸は通行不可になりしばらく内陸部を迂回したが、再び浜通りにやってきた。


4時45分、出発。小ぬか雨が降っている。夜はさほど寒くはなかった。傘をさして国道6号線を歩くが、間もなく止んで、歩行がはかどる。

5時、20分、相馬バイパスを行く。


ここも路肩に桜の苗木が植えてあるが、花をつけていたり、枯れてしまっていたり‥‥。


6時30分、新地火力発電所を通過。


7時15分、駒ケ根大橋で常磐線の上を通るも、ただ石だけで線路は見あたらず。この区間はまだ復旧していない。


岩沼まで31㎞の表示があたので、できればJR岩沼駅まで行ってしまいたいところ。

8時25分、東日本大震災の時の津波浸水区間の表示。この後、この表示を限りなく見ることになる。


8時30分、福島県新地町から、


宮城県山元町へ入る。小休止。時々降っていた雨はすっかりやんだ。


8時を過ぎて、国交省や林野庁のゼッケンをつけた復興ダンプが頻繁に通るようになった。


「南相馬市除染工事」という土を積んだダンプもある。これはおそらく除染した場所に新たな土を入れかえるもののようだ。

過去の津波浸水区間の表示。この地点は海抜17mとあり、かなり内陸部と思われるが、津波はここまで到達したのかと思うと、いまさらながら、その猛威を感じる。。




9時20分、坂元では大々的な工事をやっていた。






旧市街地はあきらめて、こちらに新たな街づくりを始める模様。


9時25分、列車代行バスの「坂元駅」停留所。


JR常磐線も工事中。高架に変えるようだ。「つなげよう常磐線 JR常磐線復旧工事」と書かれている。

素人目だが、復興はまだまだ先が長い、と感じた。
それと、どうやら列車の運行に関しては、
( 仙台――――亘理‥‥代行バス‥‥相馬――――原ノ町 )
ということのようだ、と考えた。

10時35分、満開の桜にいっときいやされる。


復興ダンプ走る。




11時25分、亘理町へ。


12時30分、ひっそりとした仮設住宅の横を通過。


14時10分、復興ダンプの列。「海岸防災林復旧工事」のゼッケンも。




14時25分、阿武隈川を渡り、




岩沼市へ。


14時50分、二木の松史跡公園にて小休止。





二木の松(武隈の松)の碑。


芭蕉の句碑あり、
「桜より 松は二木を三月越」。


歌碑もある。
藤原元良
「宇恵し登き ち起里やしけ舞 多計久満の
        松をふたたび あ飛見つ留嘉那」 
橘  季通
「堂希九万の 松八二木越 美屋古人
        い可がと問八ば み起とこたへ舞」
     

15時5分、JR岩沼駅へ。


JR東北本線で仙台駅まで行き、駅の総合案内所で確認して、今夜から3日間の根拠地にする千登勢屋ユースホステルへ。

16時20分、宿に着く。宿泊、夕食付き 4752円。

宿では、おとなしいドイツ人の青年と同室だった。28歳で、バカンスで日本に来た。ロシア、中国、日本、タイ、南米のブラジル、アルゼンチンなどを回る計画。見聞を広めるのが目的、日本はきれいで気に入った、と。カタコトの英語、ドイツ語で会話するが、なかなか意思疎通ができずにもどかしいが仕方なし。


2015年 第14日(佐多岬より76日)

歩数  66235歩    (佐多岬より累計  3972058歩)
距離  43.5km     (佐多岬より累計  2584km)
費用  5802円     (佐多岬より累計  377260円)