そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第28日  八戸市・ホテル セレクトイン 本八戸駅前へ

2016年04月23日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月28日(火) 晴 (洋野町・JR有家駅
                    ~八戸市・ホテル セレクトイン 本八戸駅前)




4時35分、起床。やや寒かったが、ゆっくり眠れた。


4時40分、日の出の写真を撮ろうとしたが、水平線に薄雲が出ていて上手くいかず。


5時10分、出発の支度をしつつ待っていたらやっと太陽が。


5時15分、出発。昨夜の逆ルートで上り返し、国道45号線へ。

6時45分、6日前の最悪の石塚トンネル以来続いていた喉のガラガラが、気がついたら消えていた。復興ダンプもさほど多くはない。

線路が海岸線に沿って迂回していくのを見ると、ずいぶんと遠くへ来たなぁ、と実感。


反対側に岡谷稲荷神社の鳥居があるが、お社は右手ずっと。


7時30分、気温20℃の表示あり。日中は30℃になる予想。途中で、地下水からくみ上げているという冷たい水を貰った。

8時、耕作地の向こうは海。


8時5分、保食(とようけ)神社。


8時30分、ようやくコンビニがあり、トイレを借りた後、おにぎりと野菜ジュースで朝食。

9時45分、青森県階上町に入る。21都府県目。


9時55分、汗をしたたらせつつ歩いていると、乗用車が泊まり、若い男性が、「どちらから歩いているのですか?」、と。東京からと答えると、「今日は暑いから大変ですね。これ飲んで」と、ジュースの差し入れ。感謝していただく。


10時30分、青森は漁業とともに林業の県でもある。


10時55分、青森県案内図。地図を見ながら小休止。


11時30分、「道の駅 はしかみ」。


12時30分頃、路肩に自動車が停まっており、近づくと先ほどジュースをくれた青年だった。「今日の仕事が早く片付いてしまったので、車で少し案内させてもらいたいがどうか」、と。ただ単調な国道45号線を歩いているのではなく、海岸沿いの景色の良い所を紹介したい、旅の人に少しでも青森の魅力を知ってもらいたい、とのこと。何たる幸運。

12時45分、車に乗せてもらい、県道1号線に出て北上。種差天然芝生地へ。






芝の上のウミネコ。


ウミネコ飛翔水飲み場。


ウミネコのからくり。


13時、大須賀海岸。






13時10分、レンガ造りの葦毛崎展望台。江戸時代には外国船の監視、太平洋戦争中は海軍の防空電波探知機が設けられていた、とのこと。
















13時25分、ウミネコの繁殖地、蕪島神社。


「八戸小唄
唄に夜明けた かもめの港
船は出てゆく 南へ北へ
鮫の岬は 潮けむり」。


参道の階段や境内では、ウミネコの糞に要注意。ウンが付いても、まぁそれはそれ。




社殿。(2015年11月5日の火災で、社殿は全焼しました。)


ウミネコの生態。






境内に柳原白蓮の歌碑、
「大神の み使いか これ うみねこの 姿のあまり うつくしければ」。


14時、予想外の精神的な大収穫だったこと、景色の美しさ、ウミネコの様子など堪能したことを述べ、お礼を言って別れた。別れ際にガソリン代として渡そうとしたが受け取ってもらず、まだ長い旅になるのだから他で役立ててくれ、と言われた。

その後は、JR八戸線とつかず離れずしながら、県道1号線を辿り、

海産物加工工場を見たり、


市制施行時合併町村役場跡地説明板を読んだりし、


新井田川に架かる新湊橋を渡る。


橋上から、八戸小唄にうたわれた湊橋。


さらに、市立小中野小学校の八重桜を見たりして、


16時50分、宿に着く。宿泊、素泊まり 4530円。



2015年 第28日(佐多岬より90日)

歩数  52587歩    (佐多岬より累計  4634769歩)
距離  53km       (佐多岬より累計  3095㎞)
※ 今日も、途中、一部自動車に乗せてもらった。
費用  6516円     (佐多岬より累計  442863円)




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