そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第23日  山田町・町民総合運動公園へ

2016年04月18日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月23日(木) 晴 (釜石市・ホテル マルエ
                    ~山田町・町民総合運動公園)




5時45分、宿を出発。快晴である。東進し、国道45号線(釜石バイパス)へ出て北上する。

小トンネルの後に、

6時10分、長い鳥谷坂トンネル(1350m)。ここも歩道なし。土埃が堆積してかたまり、水たまりもありで、滑りやすくてヒヤヒヤ。


6時45分、トンネルを抜けて、水海川水門のあたりは工事中。




水海トンネルを抜け、


6時50分、両石湾。


両石漁港。




7時25分、鵜住居も大々的に工事中。






7時45分、鵜住居川。前方工事中。


8時、津波記念碑。「昭和八年三月三日」とあり、昭和三陸大津波のときのもの。


後ろを振り向くと、


「歴史は繰り返す」‥‥か。暗澹たる思い。

8時10分、古廟坂トンネル(660m)。


トンネル出口付近で、交通事故があったとのことで、トンネル内は渋滞。歩道のない片側を、ギリギリいっぱいにやってくる対向車に怯えつつ抜ける。立ち止まって避けてばかりいるので、やけに長く感じられた660mだった。

8時25分、大槌町に入る。


大槌バイパスに入り、小槌川。


8時35分、城山トンネル(932m)。真新しいトンネルで立派な歩道あり。


大槌橋より下流方面。


9時、夏本トンネル。手前に「過去の津波浸水区間」の表示。この地点の標高は17m。つまり大槌川両岸が全滅した、ということ。




9時10分、霜が沢トンネル(466m)。


9時25分、吉里吉里トンネル(407m)。


9時40分、吉里吉里1丁目。


前後1.7㎞にわたって津波が浸水した。


ダンプの列。


9時55分、津波でひしゃげてしまった柵。




浪板海岸。引き波のない不思議な海岸、だと言われた。


船越湾を眺めつつ。


10時25分、「津波霊場三陸遍路みち」の幟。歌津で乗せてくれたおばさんが言っていたのはこれのことだな。


四十八坂海岸。


10時45分、大沢第一トンネル。


10時50分、トンネルを抜けて、山田町に入る。


11時10分、四十八坂の展望台。草の上に寝転がって小休止。




12時5分、「道の駅やまだ」。30分、休憩。


山田湾。






13時、織笠大橋。


何か採っているのだが、何かな。海藻かな。


織笠川上流方面。


山田の市街も壊滅状態で、大々的に工事中。








不意に、ダンプから女性の声で「どこから来たのー」、と。見ると髪の長い若い女性のドライバー。「神奈川からー」「どこまで行くのー」「北海道までー」。「頑張ってねー」と手を振って走り去っていった。「ありがとうー」の声は届いたかな?

13時55分、山田の道路開削に生涯をささげた鞭牛和尚ゆかりの石碑。六角塔。




山田湾北部。






14時20分、子供達のアピールあり。


15時10分、山田町立総合運動公園へ。公園は、仮設の岩手県立山田病院が管理しているとのことで、許可を得てグラウンドの隅の草の上にテントを張らせてもらった。宿泊、無料。


地図で見ても、三陸の道路は入り組んでジグザグしているのだが、いざ歩いてみると、水平に蛇行しているばかりではなく、上下に起伏も多いということを、しみじみとかみしめているここ数日である。


2015年 第23日(佐多岬より85日)

歩数  52867歩    (佐多岬より累計  4397387歩)
距離  36km       (佐多岬より累計  2906.5㎞)
費用  1107円     (佐多岬より累計  42341422307円)


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