そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

「日本本土四極踏破証明書」

2016年04月02日 | コラム
            「日本本土四極踏破証明書」の発行について


 先日(2016年3月30日)稚内市エネルギー協働課から郵便が届き、中に次の文書が入っていました。

      

 つまり、平成28年(2016年)4月1日より、本土の東西南北の端を有する市町で、統一した「日本本土四極踏破証明書」を発行することになったとのことです。
 そして、このような「日本本土四極最北端出発・訪問・到達証明書」が同封されていましたので紹介します。

(表面)
      

(裏面)
      

 このブログで書いていますように、小生、一昨年(2014年)の3月から太平洋側の徒歩縦断を開始し、川崎までで中途断念の後、再び2015年4月から、川崎以後を継続して歩き、2015年6月13日に宗谷岬に到達しました。
 徒歩縦断2日目(2014年3月12日の記録記事参照)に、南大隅町で観光課長から、佐多岬出発証明書というものがあり町役場で発行しているから貰っていくとよい、記念になりますよ、とのことでいただきました。そして、宗谷岬に着いたら稚内市役所で宗谷岬到着証明書をもらうといい、とも言われました。
 それで、2015年6月13日宗谷岬到達後、稚内市役所に行ったところ、新たな取り組みを準備中とのことでしたが、それがこの統一証明書のことでした。そして、取り組みが発足したら正式の証明書を遡って送ると言われており、それが届いたというわけです。
 小生の旅は、単なる遊山であり、何か公的な証明などとは無縁のもので、これまでそのようなものを貰うことなど考えてもみなかったのですが、今では少し考えが変わって、四地方の活性化に微力ながら協力することができるなら協力したいと思うようになりました。‥‥というわけで、ブログで紹介した次第です。小生も、北、東、南は行ったので、いつの日か「最西端」の地に行ってみたいと考えております。ぜひ「最北端」「最東端」「最南端」「最西端」へ出かけてください。


徒歩の旅 まとめと御挨拶

2009年07月18日 | コラム
「90日間 徒歩日本列島縦断の旅」のまとめ

1、旅の概略

○日程:    2008年4月11日~7月9日(+α)           

         全90日(実動日83日+沈殿・観光等7日)
          (+αは、礼文岳・利尻山登山その他で4日)

○ルート:   鹿児島県薩摩半島長崎鼻~主に日本海側を通り~北海道宗谷岬 

○目的:    いささか大げさだが、日本を知り、自分を知ること。退職記念。

○歩行距離:  約3030km(1日平均36.5km)

○歩数:    457万8,336歩(1日平均5万5,161歩)


○宿泊場所:  道の駅(16ヶ所)、キャンプ場(14)、ユースホステル(12)、無人駅(10)、
          旅館(8)、民宿(6)、公園(5)、国民宿舎(3)、ビジネスホテル(2)、ペンション(1)、
          ライダーハウス(1)、海水浴場(1)、駐車場(1)、バス停(1)、防砂林の中(1)、
          許可を得て私邸の庭へ(1)、(テント泊――50ヶ所・51日、  宿泊――32ヶ所・39日 )
          
○装備:    テントを含む一般的登山装備(ミズノのシューズ。60ℓザックで約15㎏)

○経費:    33万5,008円(90日分)、
          内訳  宿泊費    18万4,975円(1泊平均4,743円)
             その他の費用 15万0,033円(1日平均1,667円)
         
        (+往復の宿泊費・交通費・食費等約6万円、礼文島・利尻島約2万5千円)
        
         したがって、トータルで約42万円。   

○諸条件:   ①実現に向けた強固な意志、②時間、③体力、④資金、⑤家族の理解          

○見た所:   熊本城、出雲大社、東尋坊、兼六園、函館山、小樽運河、礼文島、利尻島、
          その他に各地の記念館、博物館等々

○食べたもの:基本はコンビニでの牛乳、おにぎり、パン、ほか弁等とスーパーでの野菜類。
         その他に各地で、海鮮丼、イカミンチ丼、ホタテ丼、イクラ丼、カニ飯、イカ飯、
         小樽ラーメン、ウニ丼等をそれぞれ1回程度。
         また宿では主に刺身がご馳走でした。

○総括:    ①一言ではうまく言えないのだが、自分を見つめなおし、今後自分はいかに生き       
           ていくかを考えるきっかけになった。これが一番大きな事だった。
         ②限られた地域を、限られた時間で通過したにすぎないが、自分自身の五感で    
           それぞれの土地の「風」を感じることができた。日本は思ったより小さな国だが、
           中身(自然、文化、人の心)は豊かだった。
         ③徒歩の旅ゆえに、対象をゆっくり眺め、ゆっくり感じ、ゆっくり考えることができた。
         ④今後勉強していくテーマをいくつか発見した。
         ⑤毎日、夜8時にカミさんとメール交換をしたので、安心して旅ができた。
         ⑥宿泊場所、装備など、欲を言えば、事前の予測、調査などもっと考えておくべき 
           点があった。ただし、それで致命的な事態にならなかったのは幸運であった。
         ⑧多くの親切な人たちに出会い励まされ、お世話になった。
          
          

2、行程表 (文字が見やすいようにと無理をしたら端が切れてしまいました。2度クリックすると、大きな表でご覧になれます。また、一番下の青いバーをスライドしても見られます。でも、どっちにしてもやはり見づらいですね。)





   
   終わりにあたっての御挨拶

今回をもちまして、「そぞろ神の物につきて――90日間徒歩日本縦断の記録」のブログは終了します。半年間、お付き合い下さいまして有難うございます。
一つの旅の中には、三つの旅が含まれている、「計画の旅」、「実行の旅」、「記録の旅」、とよく言われます。今回ブログを作ることにより、三つ目の「記録の旅」も終わり、ここ数年抱いてきた課題が一応完結してほっとした気持ちです。
思えば、「3ヶ月も旅をしてきたのだから、それをまとめてみたら」という去年からのカミさんの要請で、生まれて初めてブログというものをやってみることになったのが、今年の1月でした。しかし、本を2冊ほど買い込んできて首っ引きで始めたものの、初めのうちはちょっとした手違いで原稿や写真が一瞬のうちに消えてしまい、何度もやり直すといったことを繰り返しました。また、意余りて言葉足らず、自分の文章力の乏しさも痛感させられました。それでも続けられたのは、初めは10数人だった1日あたりの訪問者が、徐々に増えて、最近ではその10倍をはるかに超えるようになるなど、多くの方々に訪れていただけたことが大きかったと言えます(gooブログの編集画面によれば、7月17日現在で、訪問者数はのべ13,722人、閲覧ページ数は36,714ページ)。また、何人かの方からコメントをいただいたことも、ブログの継続に際しておおいに励みになりました。
ブログの作成によって、あの90日間をもう一度なぞること自体は、反省事項も多々気づきはしたものの、大変に楽しいことでした。上にも書きましたが、日本は90日間歩くと縦断できてしまうほどの、言ってみれば小さな国でしたが、ささやかな自分の見聞のかぎりにおいてさえ、自然も文化も人の心も豊かな国だという印象を強く持ちました。それがこの国の財産なのだろうと思います。より多くの人たちが、日本縦断や一周や四国遍路をはじめとする歩き旅に参加され、それらのことを自分の実感として獲得することを願っています。
自分も今後、太平洋側や四国一周など、さらなる歩き旅の夢を実現すべく、またその折にはブログで御紹介したいと思っています。
重ねて、長い間のお付き合いに心より感謝いたします。
   2009年7月18日                               「そぞろ神」管理人


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コラム:「通過儀礼」?

2009年02月15日 | コラム
「通過儀礼」?


2008年4月27日、関門海峡を越えました。第一段階の九州の旅を終え、引き続き第二段階の本州の旅に入ります。




この17日間、いろいろなことがありましたが、特に足のトラブルについて少し書いておきたいと思います。
指宿のユースホステルを出発してから、枕崎駅あたりまでの2日間は快調でした。何ものにも拘束されず、自由に歩く楽しさを満喫していたと言っていいと思います。時として先を急ぎたくなる気持ちに対して、心でブレーキをかけつつ歩きました。「自分で自分を急かせないかぎり、誰も急かす人はいない」というのは、実に爽快でした。ザックの重量は17キロほどになっていましたが、そのかわりテントを持っていることで宿泊地の選択の幅が広がり、いざとなれば何処でも泊まれるくらいの気持ちでした。

(JR指宿枕崎線の大山駅にて)

しかし、その後、上塘池泊を変更した頃から、降雨もあり、自然と頑張って進んでしまった結果か、右足首が痛くなってきました。また、登山道を歩くのには慣れていても、アスファルトの道を歩くペースには慣れていなかったということか、両足の第2、4、5指および第1指付け根に大小のマメができました。やはりオーバーペースになっていたことによるものと思われます。はじめからマメができるのはある程度は覚悟していましたが、さらに右足第2指に血マメもできて歩くのにいささか難儀しはじめました。マメの上からテーピングを巻いたり、途中で5本指の軍足を買ってそれまでの靴下に代えたりしました。5本指の軍足は指と指の間にできるマメに対して有効でした。
しかし、加えてジンマシンまでもでてきたのには参りました。はじめは腹部から背中、大腿部に大陸状に腫れ、2~3日後に徐々に島嶼状になり、後には消えていきましたが、痒みには苦労させられました。予定外でしたが、2泊した国民宿舎の風呂で冷水をかぶるのが楽しみでした。
痛めた足首の方も依然としてなかなか良くならず、ひえピタ、サロンシップ、テーピング等々考えついた物はコンビニやスーパードラッグで買ったりして対応してみたのですが、なかなか好転しませんでした。チタンテープも効かず、足首には徐々にむくみもでてきて、熊本あたりではちょっと困った状態が続きました。
開聞岳の頃は、セーブしてセーブしてと、言い聞かせつつ歩いたつもりでしたが、痛くなってからはいくら頑張っても時速3キロ程度にペースダウン。はたしてこれで宗谷岬まで到達できるのだろうかと、しばらくはなんとも情けない気分にもとらわれました。足首にテーピングを8の字に巻き、さらに上部にも巻いて固定しやっと歩ける状態でしたが、それでも痛くて、時々足を引きずるありさまでした。「右足君、我慢我慢!」「左足君、右足君の分も頑張ってくれ!」と足に話しかけたい気持ちでした。
第7日目は米ノ津から芦北へ向かった日でしたが、早朝歩いている途中に小学生が登校してくる列に出会ったときは困惑しました。可愛い声で口々に「おはようございます」「おはようございます」と言うので、こちらも笑顔で一人ひとりに「おはようございます」「おはようございます」と挨拶をしつつ平静を装って歩くのですが、彼らが行ってしまって見えなくなると、痛さで思わず立ち止まってしまいました。とにかく、いずれはこの苦痛も懐かしい思い出になることだろう、などと考えて自分を納得させていました。
そんなわけで、熊本では、いくつか装備を自宅に送り返し、荷を軽減して急場をしのごうと考えたわけです。2キロほど減らしました。荷が軽くなって、多少は楽になったとはいうものの、痛みはその後も相変わらず続きました。
さらに、歩行途中に靴下に穴があいてしまい、熊本の登山用品店で靴下を買ったのですが、これが全く裏目にでたということもありました。両足小指にできたマメを、気持ちのゆとりがなくて放置した結果、靴下が厚すぎて圧迫したのか両足とも小指が化膿し始めてしまいました。一歩足を置くのもためらわれる状態で、地面に置いて痛くない場合と痛い場合の区別が分からず、一歩一歩こわごわ足を置くといった按配になってしまいました。
右足首はむくみはじめ、指で押しても凹んだまま戻らず、しかもだんだんと範囲が広がり、上がってきたので、むくみが膝まで上がってきたら撤退し自宅へ戻らざるを得ないかな、などと本気で危惧しました。
しかしその後は、下関で2泊して休養し、またテラマイシン軟膏の効果もあってか小指の化膿はおさまり、痛みもやや軽減しました。また、足首のむくみも相変わらずしばらくは続きましたが、無理に力を入れなければ痛いながらも歩けないわけではない状態にまで復帰しました。この後、山陰地方に入ってからは、徐々にではあれさらによくなり、40キロ以上歩ける日もかなり出てくるようになりました。自宅からも、期限付きの旅ではないのだから日程を調整しながら歩けばよいからと、メールが届いたりしました。

(関門海峡横断記念)

何か、泣き言のようなことを書き連ねましたが、いろいろ体調の面で苦労しつつも、精神的には解放されて高揚して九州を歩いたことは確かです。そして、当初の計画よりは2日ほどオーバーしましたが、景色の美しさや出会った人たちの親切や優しさに支えられ、また比較的好天にも恵まれて九州を通過しました。また、その後の山陰以降の行程も、ときどきはめげそうにはなりつつも、徐々に調子をあげて歩きだし、全体としては日程に沿って着実に進んでいくようになりました。まあ、旅のはじめの「通過儀礼」とでもいったものだったと思います。

コラム:装備・所持品について

2009年01月26日 | コラム
装備・所持品について

(今日は、徒歩の旅で使用した装備・所持品について少し書きます。装備・所持品は、基本的には、旅の目的と、どのようなスタイルの旅をするか、移動手段、1日あたりの行程距離、宿泊形態、人数、季節、期間、年齢というか体力、予算などといった要素からおのずからある程度決まってくると思います。僕の場合は、沖縄県を除く日本列島を縦断することが目的であり、ザックを背負って徒歩、おおまかに全行程を3000キロと考えて、約100日間の計算から1日あたり30キロを目安としました。そして、キャンプ場・道の駅・無人駅などのテント泊とユースホステルその他の宿泊施設泊の併用、単独、4月から7月くらいの時期、60歳で体力はやや強健、経済的にはなるべく安上がりに、という観点から装備・所持品を選ぶことになりました。一言で言えば、登山靴をウォーキングシューズに代えた夏山登山装備のバリエーション、といったところです。あとは、自宅の家族との連絡体制が大事と言われ、直前に携帯電話を買うことにしました。)

一般装備
○靴(ミズノウォーキングシューズLD50ⅢSW)・靴袋(レジ袋)
  旅の直前に購入。これ一足で長崎鼻から宗谷岬まで歩きとおしました。しかし、さすがに下北半島以後は、ソールが減って薄くなり、舗装道路に飛び散っていた小石の上に乗ると痛く感じました。これでは利尻登山は不可能と判断し、利尻島ではホームセンターでスニーカーを買いました。
○ザック(オスプレー イーサー60ℓ)・ザックカバー
  60ℓはやや大きすぎかとも思いましたが、食パンやバナナなど果物類、トマト・キャベツなどをスーパーマーケットで買った際には便利でした。
○ウエストポーチ
○カッターシャツ 1
○Tシャツ 5
○登山用長ズボン 1
○ショートパンツ 1
○パンツ 5
○靴下 5(内5本指 1、ウール 1)
  持参したものは途中で穴が開き、また足のマメ対策に、途中で5本指を合計8足追加しました。ウールは就寝時防寒対策用。
○手袋(フリース薄手 1、軍手 1)
○雨具(ゴアテックス上下)
○折り畳み傘
○帽子
○バンダナ
○ウインドブレーカー 
○(薄手のダウンジャケット)
  防寒対策に、途中で送ってもらいました。
○サングラス
○時計
○デジカメ(リコーCaplio GX100、マニュアル、充電器、バッテリー予備 1、SDカード予備 1G 3、 4G 2、16G 1)
  デジカメは、風景を撮るだけではなく、記録用にも有効でした。コンビニやスーパーでもらったレシートをその日の夜に写しておいたので、経費の計算が楽でした。また、念のために、地図の予備やユースホステルの地図を、情報用として事前に1枚のSDカードに入れていおきました。
○携帯電話(ドコモ、マニュアル、充電器、携帯用充電器、単三電池 2)
  旅の2ヶ月前に購入。不慣れでしたが、カミさんのお達しで、毎夜、家との交信メールをしました。
○ヘッドランプ・単四電池 3 +予備電池 3
○地図(ツーリングマップルのコピー、その他)
○磁石
○ラジオ・単四電池 1 +予備電池 1
○登山用ストック +雲台
  ストックは開聞岳、利尻山の登山用。雲台は一脚としての使用時のために。
○空きペットボトル500cc 1 (+1)
  北海道で、水分補給がままならなくなり、もう1本追加しました。
○ザック用背あて板
○レジ袋 中5、大1

野営用具
○テント=自立式ドームシェルター(モンベルUL UNO)
  時々結露対策が必要でしたが、超軽量で大変便利でした。もちろん高価ではありますがゴアテックスのテントを持っていれば、なんと言ってもそれにこしたことはありませんが。
○下敷きシート
○銀シート
○張綱 4
○ペグ 5
○ゴアテックスシュラフカバー
  重量対策からシュラフではなくてカバーを選択しましたが、そのツケをたっぷり支払わされました。
○銀マット
○レスキューザック
○(新聞紙)
  情報収集のみならず防寒対策として何ヶ所かで買いました。

炊事用具
○バーナー(イワタニカセットガスジュニアバーナー)
  コンビニでおにぎりや弁当を温めてもらうことにして、重量対策上、途中で送り返しました。
○カートリッジ 1
  同上。
○食器セット
○コッヘル
○フライパン
  重量対策上(ほとんど気休め)途中で家に送り返しました。コッヘルの蓋で代用可能です。
○箸
○スプーン
○ナイフ
○まな板
○ライター
○水ポリ(プラティパス2ℓ)
○ホットサンドメーカー(バウルー)
  食べる楽しみのため、無理をして持っていくことにしましたが、重量対策上から案の定途中で送り返すことになりました。
○洗面・洗濯用具
○タオル 大 4、小 1、
  宿で貰うタオルが増え、何枚かは自宅に送りました。
○石鹸・石鹸箱
○歯ブラシ
○歯間ブラシ 5
○歯磨きチューブ
○剃刀 +替刃 2 
○洗濯ばさみ 3
○垢すりタオル

衛生用品
○ロールペーパー
○ティッシュペーパー
○バンドエイド
○テーピング
  きわめて有用。足のマメ対策、足裏の緩衝用、封筒の接着用などガムテープ代わりにも使用しました。
○チタンテープ
○爪切り
○トゲ抜き
○耳かき
○綿棒
○手鏡
○裁縫用具セット
○目薬
○風邪薬
○化膿止め軟膏
○栄養剤
○持病薬
○蚊取り線香・ケース
○虫刺され用軟膏
○防虫ネット
  結局使用する機会はありませんでしたが,南下するルートをとっていたら必需品だったかもしれません。

筆記用具類
○手帳
○ボールペン 2、+替え芯
○封筒 大3、小3
○はさみ

貴重品
○現金3万円程度
○郵貯カード
○運転免許証
○健康保険証
○ユースホステル会員証
○テレホンカード

食料等
○基本的にはその都度調達。
○非常食用乾パン
○カロリーメイト
○インスタントコーヒー
○マヨネーズ
○アメ
○ガム
○氷砂糖

その他
○行動予定表とそのコピー
○扇子
○輪ゴム
○反射腕輪
 トンネル通行対策に。
○お守り
 家族が持っていけと言うので。
○ポケット時刻表
○文庫本


(大体このようなもので、重量は全部で17kgになってしまいました。15kg以下にしたかったのですが出発時には決断できませんでした。しかし結局は重さに耐え切れず、途中で何点かを自宅へ送り返すことになりました。また、自宅からも2度、郵便局留めと陣中見舞いの際に、荷物を追加しました。特に、容量の関係からシュラフをやめてシュラフカバーで代用したために、防寒対策が不十分となって大いに難儀し、途中で薄手のダウンジャケットを届けてもらうことになりました。そんなことも今後おいおい述べていく予定です。なお、郵便局留めの制度は、送り届けた郵便局に、保管期間の10日以内に、運転免許証などの本人確認ができるものを持参して受け取りに行けばよく、旅の途中での物品の受け取りには有用でした。)