そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 終章(その2)    礼文・利尻島から自宅へ

2009年07月16日 | 2008年日本海側の旅
7月12日(土) 曇 (「桃岩荘ユース」~利尻島・「利尻グリーンヒルユースホステル」)



10時、香深港で、同宿者と2人、「桃岩荘」ヘルパーの若者たちの盛大な見送りをうけ、フェリーにて利尻島鴛泊(おしどまり)港へ。


礼文島はもう見えず。


鴛泊港を経て、今夜の宿である「利尻グリーンヒルユース」に着き、荷物の整理をしていると、稚内の「モシリパユース」で同室だったスイス人がやって来る。彼は、利尻山に登ってきたところとか。登山ルートの様子などを教えてもらう。
その後、履き続けてきたウォーキングシューズが磨り減ってしまい、地面の小さな凹凸にも足裏が痛いので、


利尻山登頂に備えて近くのホームセンターでスニーカーを買う。少し大きめの中国製のものしか置いてないがやむをえない。今の靴より少しはましだし、まあ、何とかなるだろう。
家族や知人へのお土産に利尻昆布を買ったり、当面の食料の調達をしたりする。
夕方、利尻山に登りに来たという同室の西宮市の男性と、スイス人からの情報を受け売りしつつ話をする。
夜は、ユースで泊まる。


7月13日(日) 曇一時雨 (「利尻グリーンヒルユース」~稚内市・「モシリパユースホステル」)



4時、ユース発。朝焼けの利尻山。


4時55分、利尻北麓野営場の登山口より登山道を辿る。
エゾノコギリソウ。


エゾリンドウ(風強くちょっとピンボケ)。


7時、山腹には残雪も見える。


7時15分、避難小屋手前。徐々にガスが出てくる。


頂上直下。リシリオウギ。


8時15分、利尻山(標高1721m)登頂。山頂はガスと強風の中で、展望はきかず。




降りだした雨の中を下山し、
12時10分、ユースへ戻る。
午後、雨が止む。
鴛泊港からフェリーに乗り、再び稚内の「モシリパユースホステル」へ。
当初予定していた、苫小牧から大洗へのフェリーが満席のため、急遽鉄道に変更。
同室の青年に、携帯電話で列車の乗換えを調べてもらう。(便利なもんだなあ。)


夜、ユースに宿泊。
これで予定していた全ての計画を終了する。


7月14日(月) 曇のち晴 (「モシリパユース」~自宅) 




7時10分、JR稚内駅発。
鉄路の最北端。


その後、
稚内――JR宗谷本線(特急スーパー宗谷)――札幌、
札幌――JR函館本線(特急スーパー北斗)――函館、
函館――JR津軽海峡線・東北本線(特急スーパー白鳥)――八戸、
八戸――JR東北新幹線(新幹線はやて)――東京、
東京――JR東海道本線――川崎
と乗り継ぎ、
23時、自宅に帰る。
途中、青函トンネル通過時に、Bさんから宗谷岬到着の電話あり。お互いの目的達成を喜び合う。 

帰宅し、ビールを飲みつつ、トンネル通過時やサロベツ原野でも唄わずに残しておいた一曲、美空ひばりの「港町十三番地」を唄いながら、ほろ酔いの中でおよそ3ヶ月の日本列島縦断徒歩の旅を終える。


(これで徒歩の旅の行動記録は終了です。次回にまとめをのせます。)


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徒歩の旅 終章(その1)    稚内から礼文島へ

2009年07月14日 | 2008年日本海側の旅
7月10日(木) 曇 (「モシリパユース」~礼文島・「桃岩荘ユースホステル」)



利尻山に登る前に、礼文島へ行き礼文岳に登る。
6時、「ハートランドフェリー」にて稚内港から礼文島香深(かふか)港へ。


8時20分、香深港着。「桃岩荘ユースホステル」のヘルパーの若者たちに出迎えられ、事務連絡。


その後、礼文岳へ向かう。
登山道にて。


ランの仲間。


左奥の山が礼文岳。



レブンシオガマ。



11時30分、礼文岳登頂(標高490m)。


内路(ないろ)港を見下ろしつつ下山。


16時、バスにて帰路、元地(もとち)の佐藤売店にて、昨日トライアスロンの男性に教えてもらったスペシャルうに丼で、徒歩旅の無事成功を祝し一人で乾杯をする。


元地。


礼文島西海岸。




夜は「桃岩荘ユース」にて宿泊。
夕食後、「ミーティング」と称する歌って踊って笑いころげる不思議な時間を過ごす。(宿泊予約時に確認されたのはこのことだったのか。)


7月11日(金) 雨のち曇 (「桃岩荘ユース」~礼文島縦走~礼文島・「桃岩荘ユースホステル」)



同宿の5人の希望者と共に、礼文島北端のスコトン岬から元地まで、雨の中「愛とロマンの8時間コース」を辿り礼文島を縦走。
バスで着いたスコトン岬は土砂降りの雨の中。昨夜覚えた「ギンギン ギラギラ 夕日が沈む……」を踊って、歩き始める。
ゴロタノ浜で拾った穴あき貝。


午後、雨上がる。
エゾニュウ?


レブンシオガマ。


タカネナデシコ。


レブンタカネツメクサ。


レブンウスユキソウ。




雲の切れ間につかの間姿を現した、初めて見る利尻山。


西海岸の眺め。


16時30分、礼文林道。


18時、「桃岩荘」到着。


18時45分、夕焼け空。


夜、「桃岩荘」にて「ミーティング」。
ヘルパーの若者たちは、ユース営業期間中のみのアルバイト。話してみるとナイーブな性格で、生き方を模索しているといった印象を受けた。彼らがそれぞれの目的を見つけ、よい人生を送ることを祈る。


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徒歩の旅 第90日 宗谷岬到達

2009年07月12日 | 2008年日本海側の旅
7月9日(水) 曇一時晴 (「モシリパユース」~宗谷岬~稚内市・「稚内モシリパユースホステル」)



いよいよ最北端到達の日。
早朝、目覚めたときはまだ雨が降っている。最北端到着は雨中行動かと思ったが、出発時には一応雨が上がる。
今日は宗谷岬到達を第一目標とし、到達後はバスにて「モシリパユース」へ戻る予定。ウォーキングシューズはなんとかここまで持ちこたえている。あとはできるだけ荷物を軽くして歩くべく、最小限の装備を持ち、残りはユースにおいていくつもりであった。ところが、荷物の選別過程で、どの装備もここまで3000kmの道程を一緒に来たのに、ここで二つに分けて残していく気になれず、結局いつも通りの格好で、すべての装備を背負っていくことにする。
4時45分、出発。稚内駅前を通過し、昨日歩いた市街地を戻る。
5時40分、潮見5丁目の交差点で国道40号線を右に分け、国道238号線を通って宗谷岬を目指す。稚内の距離表示は、英語読みに加え、ロシア語読みも記載されていて、国境の街であることを実感させられる。


5時55分、市街を抜けた地点のバス停にて小休止。甘納豆を食べる。
宗谷湾は雲は垂れ込めているものの、波はなく静かな海上。左手遠くに野寒布(のしゃっぷ)岬も見える。


宗谷湾に沿って古い倉庫や漁家がある。


海上では漁をする人、


浜辺にはエゾニュウやエゾカンゾウ、ハマナスが咲いている。






道路にもハマナスの花壇が続いており、雨上がりにハマナスの色が鮮やかだ。




7時10分、宗谷丘陵の上にはいくつもの風車が見える。


8時40分、増幌のバス停にて小休止。


昨日サロベツ原野で出会った自転車の男性が追いついてきて、30分ほど話しながら一緒に歩く。
大阪の人で62歳。トライアスロンをやっているとのこと。道理であの雨の中でも裸足に草履でペダルを漕いでいたわけだ。昨日はあの後礼文島にわたり、美味しいウニ丼を食べたと、丼の前で笑っているデジカメ画像を見せてくれる。礼文島に行くならぜひとも「佐藤売店のスペシャルウニ丼」を、と勧められる。これから道東を周るとのことで、エール交換をして別れる。さらに進むと、右手の宗谷丘陵がどんどん接近してくる。
10時、宗谷岬まであと10kmの地点で、トラック乗って仕事をしていた清掃作業員が車を止め、「あと少しだから頑張れ。」と言って、栄養ドリンクをくれる。
10時05分、右手に宗谷丘陵が間近になる。


10時30分、宗谷地区に入る。


11時10分、あと5キロ地点を過ぎる。
11時35分、左手の海岸に「間宮林蔵渡樺出港の地」の碑がある。彼は1808年にここから樺太(サハリン)へ船出した。宗谷岬からは、肉眼でサハリンが見える日もあるとのことだが、残念ながら今日は曇天で見ることはできない。




11時55分、いよいよ宗谷岬が近づく。


12時20分、ついに日本最北端の地である宗谷岬に到達。
宗谷公園の「最北端の碑」(北緯45度31分、東経141度56分)。
なぜか直前まで曇っていた空が、不思議なことにこの時だけ急に青空を覗かせた。歩き旅の神様が御褒美をくれたのかもしれない。


「最北端の碑」で、観光の若いカップルと記念写真を撮りあう。


間宮林蔵の像のそばに、「ご苦労さん」とザックを置き、草の上に寝転ぶ。目をつぶって、観光バスの客やチャリダーたちの歓声を遠く聞きながら、しばし旅の思い出に浸る。


4月11日に鹿児島の「圭屋(たまや)ユース」から歩き始め、ちょうど90日間、約3000キロ。最初は足が腫れたりしてどうなるかと思うこともあったが、多くの人たちの親切に支えられ励まされて、ともかく歩き通してとうとう無事にここまでやって来ることができた。この90日間に通ってきた日本海側のルートを回想しつつ、ゆっくりと至福の時を過ごす。
その後、自宅、友人、旅の間に知り合った人やお世話になった人たちにメールをしてから、「日本最北端の店」で牛乳を買って食事。
食後、宗谷岬音楽碑を見に行くと、流れているのは船村徹作曲の「宗谷岬」という曲である。


15時08分、路線バスにて宿に向けて帰る。1350円。バスに乗るのは、松江でレイクラインという観光バスに乗って以来だ。


16時30分、ユースに戻る。衣類の洗濯と乾燥。荷物整理。
同宿になったスイス人の若者と、お互いにたどたどしい英語で話をする。35歳まで出来るだけ世界中を旅しようと思っている、と言う。日本の次はタイに行くつもりだそうだ。そういえば、鹿児島のユースでもドイツ人に会ったっけ。旅の始まりと終わりに外人に会うのも奇妙なことだ。
19時25分、セイコーマートにて夜食および翌日以降のための食料調達。ビール、鶏天丼、菓子パン2個、トマト、さんま蒲焼缶、バターピーナッツ、甘納豆、蒲鉾、スナック菓子。
さて、一つ目の目的は達成した。次は利尻山に登るという二つ目の目標に向かって進もう。とりあえず明日は礼文島にフェリーで行く予定なり。

経費  4,074円     累計  335,008円
歩数  48,363歩    累計  4,578,336歩
距離  31km       累計  3,030km

(本日までの経路)



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徒歩の旅 第89日 稚内市  モシリパユースへ

2009年07月10日 | 2008年日本海側の旅
7月8日(火) 雨 (民宿「あしたの城」~稚内市・「稚内モシリパユースホステル」)



5時05分、稚内までは40km以上。早めに支度をして、相変わらず降りしきる雨の中を出発。田園地帯は本当に緑が鮮やかだが、遠方は白い霧の中に煙っている。
5時40分、昨日の道を戻り、稚咲内(わかさかない)交差点で右折。国道106号線に合流する。
以後は、昨日と同じく一本道がどこまでも続く光景の中を、雨に打たれながらひたすら歩く。デジカメも防水仕様ではないので、今日もザックの中。
左側は日本海の荒波が打ち寄せ、右側はサロベツの緑の原野が雨に霞んでいる。上からは雨がふりそそぎ、足元は水溜りが連なって靴の中は水浸し、通過する大型トラックが容赦なく水飛沫と旋風を前からも後ろからも浴びせかけていく。ザックは下ろせず、時がたつとともに肩に食い込んでくるが耐えるのみである。わずかに1キロごとに数字が減っていくキロポストと、時折現れる「稚内○○km 抜海○○km」という距離表示だけが、心に変化をつけてくれる。
……と書くとなにやら悲壮な感じだが、でも考えて見れば、この広大なサロベツ原野の天地を独り占めしつつ歩いているわけだから、まあこんな「貴重な」経験は誰でもがそうそうできるものでもない。宗谷岬まであと残り100kmを切っている事からくる、気持ちの余裕のなせるところかもしれないが。
それに仮に好天で、太陽にじりじりと照らされながらの行動だったら、それもまた悲惨なことではあろう。いずれにしても、ここは人間を拒絶しようという自然の意志が垣間見られる場所ではある。
7時55分、稚内市に入る。兎も角、記録だけはしておこうと、ザックを雨に濡れている路肩に下ろし、かろうじてカントリーサインと距離表示の写真を撮るが、すぐにまたカメラはザックの中に。


途中で、自転車の男性に追い抜かれる。見るとビニール合羽の上半身と、素足に草履で、ウエットスーツのような下半身。元気なチャリダーだ。笑って手を上げて挨拶をしていった彼の姿が、地平線にエゾニュウの花のように、雨に煙る中どこまでもどこまでもずっと先まで見通して確認できる。
10時30分、ようやくにして浜勇知(はまゆうち)原生花園にある展望休憩所「こうほねの家」に着き大休止。
誰もいないが、やっと落ち着いてザックを下ろし、椅子に座ることができる。
食事は、あんドーナツと、食パンにバターを塗って甘納豆をはさんだもの。でもこれがご馳走だ。
Bさんに電話をすると、名寄(なよろ)から美深(びふか)に向かっている途中とのこと。彼の方も雨の中の行動という。
予定では「稚内森林公園」のキャンプ場で泊まるつもりだったが、雨天であり、体も冷え切っている、一応予算もまだ足りているなどと理屈をつけ、日和って宿に泊まることにする。稚内の「モシリパユース」に2泊の予約をすると、今夜のメニューはイクラ丼だが嫌いではないか、とのこと。「大好きです。」
11時10分、歩行再開。
その後も同様な景色の中を、同様にトラックにあおられながら歩く。だが、宿を決めてしまったせいか気楽になり、トンネルの通過と同じように、懐メロ大全集も口をついて出る。
12時05分、抜海(ばっかい)岬が近づいてくる頃に雨がいくらか小降りになったので、カメラを出し右手の沼の写真を撮る。


沼の水も丘の森の木々もいかにも北の最果てといった風情の色だ。


よく見ると白い鳥の群れが沼の真ん中あたりにかたまっている。


抜海漁港への交差点を右折し、
12時40分、抜海郵便局のATMで2万円下ろす。
抜海市街を抜けるとふたたび小雨。海岸線に沿って原野が続く道を行くと、利尻山の大きな写真の看板がある。晴れていれば……。
ようやくちらほらと人家が現れ、ノシャップ岬へ向かう道道254号線を左に見送り坂を上ると、
14時25分、「夕日が丘パーキング」である。トイレの建物の入口に、本日4度目のザックを置き小休止。利尻山の展望地とあるが、今は全く見えず。
稚内市街地に入っていくころに雨があがり、JR宗谷本線の踏切をこえて国道40号線に合流。
稚内駅手前のセイコーマートで買い物。牛乳、かりんとう、バターピーナッツ、甘納豆。
16時10分、JR最北端の駅である稚内駅(北緯45度24分44秒)に到着。4月11日に通過した最南端の西大山駅から、鉄路は3126kmかけて日本列島を貫き、ここ稚内駅までつながっている。


駅横のバスセンターで、明日の宗谷岬からの帰りのバス時刻を確認する。
16時30分、「稚内モシリパユースホステル」に到着。「モシリパ」とはアイヌ語で「国の北の端」という意味だそうである。
同室の休学中という大学生と少し話をする。彼は、優等生を演じるのに疲れ1年ほどひきこもっていたのだが、この北海道旅行をきっかけにして復学するつもりだ、とのこと。頑張れとエールを送る。
夕食はイクラ丼を美味しくいただく。
さーて、いよいよ明日は宗谷岬だ。
連泊で食事は夜1回、宿泊代、7820円。


経費  8,519円      累計  330,934円
歩数  67,061歩     累計  4,529,973歩
距離  46km        累計  2,999km

(本日の到達地点――稚内市)



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徒歩の旅 第88日 豊富町  民宿 あしたの城へ

2009年07月08日 | 2008年日本海側の旅
7月7日(月) 曇のち雨 (「鏡沼海浜公園」~豊富町・民宿「あしたの城」)



目を覚ますと4時前なのにもう辺りが明るくなっている。北国の夜明けは早い。
出発準備中のキャンプ場。太陽が鏡沼に映る。しかし予報では天気は下り坂。


洗面に行った水飲み場で、キャンピングカーで来ているという夫妻と話。昨日の「鏡沼しじみまつり」の盛況の様子を聞く。彼らは今年もたくさんシジミを採ったとのこと。
……と、その間にレジ袋に入れてザックの横に置いておいた食料が、カラスに狙われる。大声で追い払い、嘴による穴が開いた程度で済む。迂闊だったわい、危ない危ない。
6時、出発。今日は歩行距離が短いため出発もゆっくりである。
鏡沼海浜公園の一角にも松浦武四郎の像がある。
歌は「蝦夷人の みそぎなしける天汐鹽川 今宵ぞ夏の とまりをばしる」と
「ながむれば 渚ましろに成にけり てしほの浜の 雪の夕暮」の2首が書かれてある。後者はなにやら藤原定家のもじりのような……。


6時10分、セイコーマートで買い物。牛乳、食パン、甘納豆。
天塩市街を抜け、天塩川河川公園をちょっと眺めてから、国道106号線に入る。
6時45分、河口遺跡風景林に立ち寄る。


その後は市街地を離れ、「稚内天塩線」の国道106号線を北上する。


緑の丘の向こうは日本海。


ここにも廃屋がある。


牧草ロールももうお馴染みだ。


7時30分、交差点を左折し、天塩河口大橋をわたる。
天塩川は、石狩川(268km)に次ぐ北海道第二の長さ(256km)の大河である。


橋の上から、うっすらと太陽の光が雲間から漏れてくる天塩川の下流側と


上流側。


北海道に来たからこその、生まれてはじめて見るとてつもなく広い川とそれを取り巻く原野の景観。ふと、この雄大な自然に出会うためにここまで歩いてきたのかもしれないと思う。


7時40分、天塩川をわたると幌延(ほろのべ)町に入る。


後方を見ると、道路が大きくカーブし天塩川が光って見える。もちろん歩行者は一人もいない。


7時50分~8時10分、浜里(はまさと)駐車公園にて小休止。
昨日缶コーヒーと500円を貰った人のキャンピングカーが駐車しており、挨拶に行くが、まだ寝ているようだ。
歩き出した直後に降雨。一気に強くなり雨具を着用する。
以後しばらくは降ったり止んだりの繰り返し。
8時15分、「利尻礼文サロベツ国立公園」の立て札。


両側に花が咲く緑のサロベツ原野を行く。
エゾニュウの白、


エゾカンゾウやタンポポの黄色、


ハマナスのピンクとカラフルに咲いている。


8時35分、右手はるか前方、林立する何基もの風車が霧の中に浮かんでくる。


9時05分、雨の中をオトンルイ風力発電所の高さ99mの28基の風車が、3.1kmにわたって並んでいる横を通過。唸りをあげて回転している姿はまさに壮観である。


9時25分~35分、途中でサロベツ原野駐車場にて雨宿り。
昨夜考えておいた宗谷岬到達後の計画(礼文島で2泊、利尻島で1泊し利尻山に登頂、その後帰宅)に従って、礼文島の「桃岩荘ユースホステル」に7月10・11日の宿泊予約をする。ユースから、夕食後に参加自由の「ミーティング」というものがあり、21時ごろまで賑やかになるがそれでもよいかという奇妙な確認があり、構わないと答える。(実際に行ってみて、その確認の意味を理解することになる。)
10時10分、左手の北緯45度通過点のモニュメントは、あいにくの強雨に遭遇し、眺めただけで写真はなし。「北半球ど真ん中」。
その後も断続的に降る雨の中を、雨具を着脱しながら歩く。ザックにはカバーがかかったままで、残念ながらデジカメはザックの中にあることが多い。
その先で浜里パーキングシェルターに入る。ここは雨宿りにはよいが、腰を下ろせる設備は無い。ともあれザックをコンクリートに置いて一休みするが、寒くてじっとしていられない。このシェルターは、冬季の地吹雪などに対する避難施設で貴重なものであるが、今の自分には単なる寒風のトンネルに過ぎない。
10時55分、やがて道路は、電柱もガードレールも無い地帯に入る。右手から、遠くに低い丘、そしてサロベツの原野、真ん中に国道106号線、さらに左手にも原野、その先は日本海の波。あるのは路肩表示の矢羽根だけ、という景色がどこまでも続く。晴れていれば海上に利尻山が見えるはずだがこの天気では望むべくも無い。


向こうからチャリダーの青年が来、お互いに笑って挨拶。ちょうど持っていた飴を幾つかあげる。こちらは追い風だが彼の方は雨の向かい風で大変そうだ。
トラックの運転手やバイクのライダーが、手を振って通過していく。
11時10分、豊富(とよとみ)町に入る。


もはや路肩標示の矢羽根もない。左手は日本海の白い波頭。


11時30分、「稚内48km 稚咲内(わかさかない)5km」の距離表示を通過。


11時45分、相変わらずのサロベツ原野の景色が続く。
雨も再三降ったり止んだりし、雨具の着脱が鬱陶しいと思っていると、いよいよ本降りになる。
12時40分、天塩町を出てから初めて信号に出会う。稚咲内交差点を右折。雨の中、稚咲内の町はどの店も閉まっており買い物もできず。
体中が緑色に染まるかのごとき、緑滴る木々や草原の景色の中を、ゆるいカーブを繰り返しつつ民宿へ向かう。
13時20分、稚咲内の民宿「あしたの城」に到着。
直ちに衣類の洗濯・乾燥。洗っている間に、広間にある御主人のステレオで、モーツアルトの交響曲38番「プラハ」のCDを聞かせてもらう。民宿の広間は庭側が全面窓になっており、ガラス越しに緑の木々が、到着後さらに激しくなった雨に濡れている。時間がゆっくりと流れていく感覚に身を浸す。
夕食は、御主人の試行錯誤の結果という特製の牛乳鍋を美味しくいただく。食後は、牛乳鍋に使われている調味料当てクイズを楽しんだり雑談したり……。
御主人の話では、北海道の牧畜も様変わりしつつあり、牛が放牧されず牛舎でアメリカ産の飼料を与えられて、ニワトリのブロイラーのように飼育され始めているとのこと。それでは不健康であり美味しい牛乳は出ないだろうと言う。鍋の牛乳は、知人の放牧場で飼育されている乳牛のものだそうだ。それと、彼もかつて自転車で日本縦断をしたことがある、という話なども伺う。
夜、同室の若者が風邪気味だというので、手持ちの風邪薬をあげる。そう言えば、この3ヶ月間一度も風邪をひく事もなかったことに気づく。有難いことなり。
明日は早朝出発で一気に稚内までの予定。したがって宿泊代は一泊夕食付で4300円。


経費  5,111円      累計  322,415円
歩数  43,404歩     累計  4,462,912歩
距離  29km        累計  2,953km

(本日の到達地点――豊富町)



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徒歩の旅 第87日 天塩町  鏡沼海浜公園

2009年07月06日 | 2008年日本海側の旅
7月6日(日) 晴 (「みさき台公園」~天塩町・「鏡沼海浜公園」)



4時50分、深く朝霧が深く立ち込めている灯台の下のキャンプ場を出発。


初山別のカントリーサインにもなっている天文台も霧の中。


5時25分、国道232号線に合流する手前の霧の草原。
「ただ一面にたちこめた 牧場の朝の霧の海……」と唄いつつ。


国道を北上し、霧の風連別(ふれんべつ)川にかかる豊岬(とよさき)橋をわたる。


5時50分、豊岬のバス停にて小休止。
その後、昨日と同じような長いアップダウンがいくつも続くのかと思いきや、今日は平らな道が続いている。
6時50分、共成(きょうせい)を通過。「稚内104km 遠別(えんべつ)13km」の標識あり。


7時20分、草原の向こうに白樺の林を眺めたり、


広い牧草地の横を歩いたりしつつ初山別を抜ける。


7時25分、「ここから遠別町です」とある古い木の標示板。


7時30分、遠別町に入る。カントリーサインは、北限の稲、メロン、雪の結晶。


7時40分、牧場では牛が草を食んでいる。




遥かに続く海辺の平らな道の両側にもエゾニュウ。


7時50分、モオタコシベツ川にかかる旧国鉄羽幌線廃線跡の橋梁を過ぎると、


7時55分、「稚内99km 遠別市街7km」の表示、ついに稚内まで2桁台に突入。


右手の一段低くなっている廃線跡も草に覆われてしまっている。羽幌線は1987年の国鉄分割民営化により全線廃止となってしまった。


8時10分、どこまでも続く道路。昨夕差し入れをくれた一家の自動車が、「頑張って」と手を振りながら追い抜いていく。今日は宗谷岬まで行くと言っていたっけ。


所々に見られる黄色いじゅうたんを敷いたようなセイヨウタンポポの群落。


8時30分~50分、金浦(かねうら)原生花園にて休憩。やや荒れて殺風景な園内を一人で見学する。


イソツツジ、


ヒオウギアヤメ、


エゾニュウ、


ハマナス等が咲いている。


金浦原生花園を後に歩き始めて少し行くと、前方から満載のカートを引いてくる歩行者に出会う。
8時55分~9時55分、情報交換等のために再び金浦原生花園に戻り、木道のコーナーに腰を下ろして話をする。
男性は63歳で大阪労山所属の人。カートは手製で、7月1日に宗谷岬を出発し沖縄を目指しているとのこと。
「 徒歩による日本縦断計画 
   63歳 人生最大の冒険 
  北海道宗谷岬(日本最北端) 波照間島(日本最南端) 」
という彼の計画書を見せてもらう。
日本海に沿って南下する予定で、こちらが通過してきた経路とだいぶ重なるため、トンネルなどの様子や宿泊場所について教える。さらに旅の話のみならず、山の話にも花が咲き、あっという間に時が過ぎてしまう。写真を撮り合い、お互いの道中の無事を祈って別れる。(その後、2008年12月13日に、無事最南端の波照間島に到達し、目的を達成したとのメールをいただきました。)
10時45分~11時25分、道の駅「富士見」にて休憩。結露に濡れたテントなどを乾かす。
その後、近くの農家の奥さんたちがやっている直売所で買い物。イチゴ、蓬餅4個。日差しが強いので直売所の中で、彼女たちとお喋りをしながらイチゴと餅2個を食べる。
11時30分、遠別川にかかる遠別橋をわたって町の中心部に入る。
11時35分、セイコーマートで買い物。栄養ドリンク、おにぎり2個、あんドーナツ。
12時25分、広い牧草地に牧草ロールがいくつも見られ、


防風雪柵の横を白い牧草ロールを積んで走る大型トラック。


防風雪柵の下に咲いているオレンジ色のコウリンタンポポや


白いマンテマ。

12時45分~55分、国道119号線とのT字路のバス停で小休止。
13時20分、丸松の交差点で天塩まであと13キロの表示。余りに暑いので自販機でペットボトル買う。
14時、両側に野草が咲き乱れる一直線の道。


14時05分、路肩にキャンピングカーを止めていた男性がやってきて、缶コーヒーと500円をくれると言う。缶コーヒーは有難くいただくがお金はまずいと断るが、「気にしないで。何か買えば同じことだから。」と言う。
しばらく一緒に並んで話をしつつ歩く。埼玉の62歳の人で、今回はキャンピングカーだが、これまでに四国遍路、東海道、北海道一周など歩いているとのこと。
彼の話では、四国は是非歩いて見たらよい、親切な人が多く歩いていて楽しい、と。そして、自分もこれまでに多くの人から親切を受けてきたから回り持ち、どこかでその気持ちを他の人に返せばいい、と言う。徒歩旅の先輩からのバトンと考えて500円をいただくことにする。
14時20分、北里のバス停にて食事。
直後に夕べの一家が、今度は宗谷岬からの帰り道らしく、男の子の「頑張って。」という声とともに通過していく。
14時30分、牛舎の横を通過。


14時40分、天塩(てしお)町に入る。


天塩市街まで2時間。


振り返れば、留萌はもう100キロ以上の彼方に。


14時50分、天塩グリーンエネルギーの風車が見える。


牧草ロールを積んだトラックなどが行き交う単調な道を、たまに現れる距離標識のキロ数を励みにひたすら歩く。


15時05分、天塩市街が近づく。


16時30分、道の駅「てしお」近くのセイコーマートにて宿泊用の食料を購入。発泡酒、食パン、揚げせんべい、ポテトサラダ、チーズ、バター、レモン飴。
17時、鏡沼海浜公園に到着。本日も12時間行動なり。
日曜日なので、昼間「鏡沼しじみまつり」というイベントがあったそうだが、この時間になると幟が残っているだけで、もはや人々の気配はない。
キャンプ場の使用料がちょうど500円だったので、昼過ぎにキャンピングカーの男性に貰った500円を充てる。

経費  3,448円      累計  313,856円
歩数  6,0139歩     累計  4,419,508歩
距離  40km        累計  2,924km

(本日の到達地点――天塩町)



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徒歩の旅 第86日 初山別村 みさき台公園へ

2009年07月04日 | 2008年日本海側の旅
7月5日(土)曇一時雨(民宿「運上」~初山別村・「みさき台公園」)



5時、出発。
当初予定では羽幌(はぼろ)までだったが、「運上」の御主人の勧めに従い、初山別(しょさんべつ)まで足を伸ばすことにする。
国道232号線は昨日と同じような海岸の道。
波打ち際に群れる海鳥(セグロカモメかな?)や、


錆具合が年代を感じさせる倉庫などを見つつ行く。


5時50分、牧草ロールを積んだトラクターのお爺さんと挨拶を交わす。こういうところが北海道らしい感じ。


6時10分~35分、夕べはほろ酔いで眠ってしまったため、忘れないうちにと、豊浜のバス停にて昨日の記録メモの続きを書く。
6時40分、「ここから苫前(とままえ)町です」という古い標示。


その先に、稚内まで153キロの道路標識。稚内から宗谷岬までが30キロ余りだからそれを加えても、あと残り200キロを切ったことになる。最北端が刻一刻と近づいてくる。


6時45分、苫前町に入る。


7時20分、丘の上に上平(うえひら)グリーンヒルウィンドファームの風車が並ぶ横を通過。


その後は海岸線を離れて台地状のところへと上っていく。
8時20分、苫前橋で古丹別(こたんべつ)川をわたる。河川名の由来として、「コタンペツ(村の川)  コタンはアイヌ民族の集落(村)の意味で 道内各地に地名として残っています。」と書かれてある。


二級河川とはいえ、河口は広い。


両側が畑の長いアップダウンを行く途中で、突如大粒の雨。何も遮る物がない中、濡れながら急遽雨具を着用するも、すぐ止んでしまって以後は降らず。
9時15分、セイコーマートにて買い物。500ml牛乳、ミニコーヒー牛乳、ミニトマト。
9時20分、道の駅「風W(ふわっと)とままえ」に到着。
安曇野市から来たという70歳のキャンピングカーの男性から、旅についていろいろ尋ねられる。何歳、何処から、何処まで、何日目、泊まりはどうしているのか、ザックの重さは等々……。穏やかそうな感じの人なので、質問に丁寧に応じていたところ、野菜不足だろうと言って野菜ジュース缶をくれる。さらに食事をすべく少し離れた四阿で休んでいると、ポットを持ってやって来て、熱いものも飲みたいだろうと紙コップに熱いお茶を注いでくれる。お礼を言って有難くいただく。汗をかいていたがかえって熱い飲み物が美味しい。
9時55分、道の駅を後にまた歩き出だす。
10時25分、苫前の町を抜けて、再び海沿いの長い坂を上り下りしていく。


10時45分、羽幌町に入る。羽幌のカントリーサインはオロロン鳥(ウミガラス)。


11時、防風雪柵が続き、標識を見ると「稚内 135km」。どんどん近づいてくる。


11時30分~12時、羽幌橋をわたり、道の駅「ほっと・はぼろ」へ。館内でペットボトルを買い、冷房の中で休憩と食事。


近くの羽幌港からは天売島・尻焼島へ向かうフェリーが発着しており、旅の計画段階では両島へ寄ってみることも考えていたのだが、ここまで来ると、だらしがないことに先を急ぎたくなってしまう。
12時10分、羽幌川にかかる羽幌大橋をわたる。


12時30分、遠くの丘に白い牧草ロールがいくつも見える。


12時50分~13時10分、廃校になった羽幌町立光洋小学校そばのバス停にて小休止。開拓とともに歩んできたであろう小学校も、過疎化の波にのみ込まれてしまったということか。


豊富(とよとみ)町の民宿「あしたの城」に、翌々日の宿泊予約の電話をする。宿のご主人が、夕食は牛乳鍋だが大丈夫かと確認。牛乳は大好き、どんなものか楽しみだ。
13時30分、再び長い坂。
さらにこの後も歩行者にはほとんど出会うことなく、広々とした長い単調なアップダウンがほとんど一日続く。


13時40分、築別(ちくべつ)川をわたる。


エゾニュウの向こう、遠く築別川河口部。


カモメ(左側)とオロロン鳥(右側)の群れがいる。(写真では分かりにくい。3倍ズームではちょっと無理のようだ。)


14時05分、初山別村に入る。


14時25分、茂築別(もちくべつ)川をわたる。


15時10分、第二栄バス停にて15分間小休止。
15時50分、「稚内118km 初山別4km」の道路標識あり。


16時、左手の海辺の高台にはヒオウギアヤメが咲いている。


ズーム。


16時25分、相変わらずのアップダウンが初山別村の中心部に向かって続く。


16時45分、茂初山別(もしょさんべつ)川をわたる。「茂築別川」もそうだが、「茂(モ)」は小さいという意味のアイヌ語のようだ。


キャンプ場の隣にある道の駅「ロマン街道しょさんべつ」を目標に、村の中心部を抜け、さらに海沿いの道から坂を上り、国道を金比羅岬方面にへ左折して、
17時40分、ようやく天文台のある「みさき台公園キャンプ場」に到着。


灯台のそばの芝生にテントを設営。
食料を購入したかったが、羽幌からこちらコンビニは1軒もなく、ここのキャンプ場の売店もすでに終了している。これでは今夜と明朝の食事は、かりんとうと非常食の乾パンを水で流し込むしかないなと考えていると、隣のテントの奥さんが紙皿を持ってやってくる。
彼女曰く「旅をしている方だと思いますが、キャンプ場の売店が終わってしまったので不自由しているのではないかと思って」。見ると紙皿の上に串焼きと骨付きソーセージがたくさんのっている。「バーベキューの残りですがよろしかったらどうぞ。」と。突然の好意に驚くが、これで食事が一気にリッチになるぞ。お礼を言って有難くいただく。
彼女たちは名寄(なよろ)の人で、小学生の男の子と御主人と3人でキャンプに来ていると言う。一しきりこちらの旅の話をし、鹿児島から撮りためてきた携帯デジカメの風景写真を見せたりする。さらに御主人には、宗谷岬から稚内へのバス時刻の情報も携帯で調べてもらった。
今日は親切にしてもらうことの多い日だった。いや、今日だけでなく、この旅全体が多くの人たちの親切や好意に支えられて、ここまで来ることができたといえる。
さて、いよいよ最北端到達も間近、到達予定日を7月9日と決定して自宅に連絡する。
それと、携帯に札幌から内陸部ルートを歩いているBさんからの留守電が入っていた。行動中で気がつかなかったようだ。彼の方は、国道40号線に入る手前におり、14日宗谷岬到着の予定ということだった。内陸部はまだまだ峠も多そうで大変だろう。頑張ってほしい。
テント代無料。

経費  551円       累計  313,856円
歩数  73,014歩     累計  4,359,369歩
距離  49km       累計  2,884km

(本日の到達地点――初山別村)



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徒歩の旅 第85日 小平町  民宿 運上へ

2009年07月02日 | 2008年日本海側の旅
7月4日(金) 雨のち曇 (「大別苅防災ステーション」~ 小平町・民宿「運上」)



防災ステーションの四阿で泊まったのは正解で、夜間降雨。明け方にいったんは上がる。


出発前に、増毛から来たという17歳のハワイの青年に出会い少し話をする。自転車で北海道をを回ってきて、今後は小樽からフェリーで直江津へ行き、京都を見る予定とか。日本は美しいとしきりに言う。「Good luck!」と言い合って、
6時10分、出発。
増毛町から幌延(ほろのべ)町まで、今後辿る町のカントリーサインが掲示されている。これに豊富町と稚内市が加われば、旅の終わりだ。


雨上がりの静かな国道231号線を、緑の爽やかな空気を吸いながら、増毛方面に向けて坂を下っていく。

 
6時30分、別苅(べつかり)の集落に出て、ハマナスの咲く海岸線を行く。前方には増毛の町、


後方は別苅漁港とカムイエト岬。


6時40分、「小樽間内(おたるまない)第一バス待合所」を通過。不思議な風情のある海辺のバス停。


暑寒別川をわたり増毛市街地に入る。


7時15分~40分、コンビニで買い物と食事。牛乳、おにぎり2個、ピーナッツチョコ、ガム。
買っているうちに強い雨が降り出し、急遽雨具を着用して歩き始めるもののすぐに上がる。
増毛市街地を抜けて、広々としたくぼ地のような道路を行くと、眼下に海が見えてくる。
8時40分、陽が差し始めると、懐かしい草の匂いが漂う。


JR留萌本線とつかず離れずしつつ、朱文別(しゅもんべつ)、舎熊(しゃぐま)と海岸線に沿って辿る。
10時05分、阿分(あふん)のバス停にて小休止。
10時25分、礼受(れうけ)で留萌市に入る。この辺りの地名はいかにもアイヌ語が語源という感じだが、意味はまったく解らず。旅から帰ったら調べて見たいもの。


この時点で、まだ時間も早いので、今日の目的地を留萌からさらに先へと変更する。バス停にて、昨日予約した小平(おびら)の民宿に、宿泊予定を1日前倒しして今晩泊まりたい旨を電話し、了解を取る。
礼受郵便局のATMで2万円おろす。
跨線橋をわたり、
11時15分~25分、セイコーマートで買い物と食事。菓子パン2個、ミネラルウォーター、揚げせんべい。
留萌市街地に入り、
11時40分、留萌駅をショートカットして、左へ港栄橋をわたる。


留萌港を眺めつつ海岸通りを進み、


11時50分、留萌川にかかるルルモッペ大橋をわたると、正面のT字交差点に国道232号線の道路標識。
おっ、「稚内」の文字が見えるぞ。


橋をわたり、国道232号線の「日本海オロロンライン」北部に入る。
留萌川畔を河口に向けて歩いていくと、今度は「稚内182km」の文字。


12時05分~20分、春日町バス停にて小休止、食事。
12時35分、塩見緑地にて留萌観光案内図。


保存されている旧東突堤灯柱。


13時10分、国道232号線は「天売(てうり)国道」と呼ばれ、右手に小高い緑の丘、左手は日本海という同じ景色がどこまでも続く。


丘の手前にはエゾニュウがいくつも咲いている。


13時25分、臼谷海水浴場にて小平町に入る。気温24℃。


13時55分、小平のセイコーマートにて買い物、食事。牛乳、チーズパン、よくばりあんパン。
14時15分、高砂橋で小平蘂(おびらしべ)川をわたる。


14時25分、小平トンネル(728メートル)。「日本海オロロンライン」北部は、昨日までの南部の荒々しい姿と異なり、トンネルも緑の木々に包まれて実にやさしい表情をしている感じ。


その後は、海辺の家屋やカモメの群れに気を紛らせつつ、海と丘にはさまれた単調な長い道路を、潮騒を聞きながらひたすら歩く。








15時30分、大椴子(おおとどっこ)川にかかる真砂橋の先のバス停で小休止。
16時、後方を見ても、


前方を見ても、相も変らぬ海岸線に沿ってどこまでも続く道。時折車が猛スピードで走り去るばかり。家屋など何も無い。丘の上にオロロンウィンドパワーの風車が4基見えるだけ。


16時25分、秀浦(ひでうら)の標示があるが、ツーリングマップルには載っておらず、どのあたりなのか不明。ただただ単調な道路歩きが続くだけ。


16時55分~17時15分、ようやく旧花田家番屋に隣接する道の駅「おびら鰊番屋」に着いて休憩。


旧花田家番屋は重要文化財でぜひ見学したかったのだが、残念ながら時間が遅すぎたため終了してしまっている。


道路の反対側の「にしん文化歴史公園」に松浦武四郎の像がある。


アーチの下に書かれている歌は、「名にも似ず すがたやさしき 女郎花なまめき立てる おにしかの里」。


17時30分、鬼鹿(おにしか)港町の民宿「運上(うんじょう)」に到着。


御主人も奥さんも高齢でやや体が不自由だったが、2人とも感じのよい人。
御主人が元郵便局員で、以前は山にも登っていたとのことで、冬の郵便配達の苦労話やかつて登った山の話など、いろいろと興味深い話を聞かせていただく。
また、民宿名の「運上」については、江戸時代に松前藩がアイヌとの交易を商人に請け負わせた際に、この商人から徴収する金を「運上金」、交易する場所を「運上家」と言ったとのことで、当家はその子孫だそうである。
翌日の行程の様子も教えてもらう。羽幌までの予定だと話すと、「あなたの足なら昼に羽幌に着いてしまう。初山別まで行けるよ。」と羽幌・初山別の案内地図をくださった。
素泊まりなので、近くのセイコーマートにて食料調達。豚カルビ弁当、あんドーナツ、かりんとう、鮭ハラス、ちくわ、発泡酒。宿泊代、2500円。

経費  5,278円      累計  313,305円
歩数  69,639歩     累計  4,286,355歩
距離  47km      , 累計  2,835km

(本日の到達地点――小平町)



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徒歩の旅 第84日 増毛町  大別苅防災ステーションへ

2009年06月30日 | 2008年日本海側の旅
7月3日(木) 晴のち曇 (「浜益海浜公園」~増毛町・「大別苅防災ステーション」)



今日は日程のはざ間で、雄冬までの19キロ行程の予定。ゆっくり起きて支度する。
7時05分、浜益海浜公園キャンプ場を出発。


国道231号線の反対側のセイコーマートで、昨日のごみ出しと買い物。牛乳、スナック菓子、バターピーナッツ、枝豆。
7時15分、歩き始めるとすぐに浜益覆道。


7時25分、浜益漁港方面へおだやかな海に沿って進む。


7時45分、振り返り見る浜益漁港。遠くに愛冠(あいかっぷ)岬も望める。


海から離れ、内陸側へ緑に囲まれた長い坂を上っていくと、土を満載したダンプカーが、クラクションを鳴らし、手を振っていく。昨日の新赤岩トンネル工事現場にいた運転手のようだ。こちらも手を振る。しかし、それは彼一人だけではなく、しばらく行くとまた同じようにクラクションを鳴らし手を振るダンプ。さらにその後も何台か同じようなダンプカーがあるので、工事現場でこちらのことが話題になったのかもしれない。
7時55分、「動物注意」の道路標識あり。


8時05分、群別(くんべつ)川にかかる群別橋をわたり、そのまま坂を下る。


8時45分、生い茂る草の向こうに幌(ぽろ)灯台を見て、幌の集落に入る。


8時55分~9時40分、時間のゆとりがあり、バス停にて大休止。食事をし、明後日の小平(おびら)の民宿を予約する。
9時45分、緑が美しい床丹川を渡る。


9時55分、幌漁港を振り返る。


10時、再び海沿いの単調な道、


波消しブロックにとまっているイソヒヨドリ。


いよいよ海岸線に沿って、断崖にくり抜かれたトンネルが連続する区間に入る。
10時20分、木丹覆道。


10時50分、二ツ岩トンネル(1796メートル)を25分かけて抜ける。右は廃止になり閉鎖された初代二ツ岩トンネル。


10時55分、千代志別トンネル(364メートル)に入る。


千代志別トンネルがそのまま覆道となり、次のガマタトンネル(2060メートル)に接続する。


11時30分、長いガマタトンネルを30分かかって抜ける。


11時35分、タンパケトンネル(340メートル)。


11時45分~55分、タンパケ橋にて休憩。
ホンダのカブで北海道を回ってきた千葉の男性と話。彼は、北海道に来る途中で岩手宮城地震に遭遇。走行中に、大きな岩が目の前を走っていた乗用車の横っ腹にぶつかった、ドライバーに怪我は無かったようだが、あと何秒かの差でバイクが直撃されていたら、と思うとぞっとした等の生々しい話を聞く。
12時20分、雄冬岬トンネル(878メートル)に入る。雄冬岬の周辺は、暑寒別岳から派生してきた陸地が巨大な岩塊となって海に押し寄せ、海は陸地を押し返そうとするがごとき、実に陸と海の戦いの舞台といった趣きである。


トンネルを抜けた所には、「白銀の滝」が流れ落ちている。


雄冬岬の「国道開通」の碑。ここが突破できなかったがゆえに、雄冬は長い間「陸の孤島」を強いられてきたとのこと。


12時45分、増毛町に入る。ここで陸と海との戦いは一旦小休止といった感じ。


12時50分、雄冬キャンプ場に到着。


時間が早すぎるが、そしてキャンプ場の地面の整地がはなはだよろしくないが、さらに天気は下り坂で今夜あたり雨の予報であるが……。しかし留萌まで行くのはとても無理だし、途中の増毛にはキャンプ場がない。
当初計画どおりここにてテント泊にするしかないと決めて、少し周囲を探索。


「雄冬冷清水」。喉が渇いているが飲用にはできない。
かつて北方探検家の近藤重蔵がこの地を訪れた際、この清水の存在を「西蝦夷地日誌」に記録している。


しばらくすると、ボート遊びを終えて帰る途中だという2人組の男性が、ドライブ休憩に来る。旅の話の後、今の時刻でここでのテント泊はもったいないと言って、今夜の宿泊場所を一緒に考えてくれる。そして、留萌までは無理だが、途中半分くらいの距離のところに大別苅(おおべつかり)防災ステーションという駐車場があり、飲料水、トイレも確保できるし、雨もしのげるだろうと言う。2人に感謝しつつ、
13時10分、大別苅に向けて出発。
海沿いを赤岩岬を目指して行く。
13時45分、雄冬トンネル(134メートル)から陸と海との戦いが再開する。


赤岩岬覆道、武好(ぶよし)トンネル(108メートル)を通過し、
岩尾トンネル(90メートル)、


汐岬(しおのみさき)トンネル(64メートル)、


日和トンネル(140メートル)、湯泊(220メートル)と、海沿いの短いトンネルをいくつも抜けていく。もちろんトンネルの長短は工事の難易とは関係なく、どのトンネルも過去の難工事を思わせる。
右は緑の木々が茂るところもあるが、左はほとんど切り立った断崖絶壁をトンネルが貫いている。途中、
14時25分~30分、汐岬トンネル手前の岩尾港バス停にて小休止。
14時50分、「銀鱗の滝」が、黒岩トンネル(770メートル)の手前に流れ落ちている。


黒岩トンネルを10分余りで抜けると、


15時10分、工事中の本日最長の日方泊(ひかたどまり)トンネル(2900メートル)。


日方泊トンネルの約3キロを、トンネル内の一方通行などに緊張し、「高名の木登り」を唱えつつ35分かけて抜ける。
その後も、
マッカ岬トンネル(683メートル)、


ペリカトンネル(394メートル)と通過して、


16時50分、国道231号線最後の大物である大別苅トンネル(1992メートル)を25分かけて抜け、やっと人心地がつく。




やがて道は下り坂になり、
17時05分、大別苅防災ステーション駐車場に到着。
雨対策として、四阿の下にテントを設営させてもらう。
こちらの旅姿のせいもあろうが、今日も北海道の人の親切を実感する。雄冬の2人組の男性の他にも、バイクや自動車から何度も手を振ったり挨拶されたりして激励された。
当初の半日休養の予定と異なり、だいぶ歩くことになったが、ともあれこれで「オロロンライン」南部のトンネル地帯は突破したことになり、ゴールが一気に近づいたような感じだ。

経費  492円        累計  308,027円
歩数  52,739歩     累計  4,216,716歩
距離  36km        累計  2,788km

(本日の到達地点――増毛町)



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徒歩の旅 第83日 石狩市  浜益海浜公園へ

2009年06月28日 | 2008年日本海側の旅
7月2日(水) 晴のち曇 (「佐藤民宿」~石狩市・「浜益海浜公園」)



4時30分、出発。
民宿オーナーのおじいさんに夕べ教えてもらった、海沿いの近道を行き、ゆるい坂を上っていると、ミカンのごとき朝日が昇ってくる。弱い風があり、二基の風車は一基だけが回っている。


4時40分、テーブル状の海辺の丘に、玩具のような集落がある。景色が雄大なだけにいっそう小さく見える。


4時50分、海を見下ろす緑の谷間。爽やかなり。


5時、迂回してきた国道231号線に合流。
歩いている横に出勤途中らしき乗用車が止まり、「乗せて行こうか」と声をかけられる。歩き旅をしていることを説明し、お礼を言ってお断りする。
5時30分、古潭(こたん)漁港を見下ろしながら行くと、また車から声が。ドライバーの親切に心をなごませつつ。


今日の行程の約40キロは、石狩国道の「日本海オロロンライン」南部で、断崖絶壁とトンネルの連続と覚悟。
5時55分、海辺の廃屋。ここにも風雪に耐えて生きた人たちの歴史があったのだろう。『方丈記』の冒頭を思い出す。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。……世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

 
6時20分、厚田漁港が大きく見えてくるが、まったく歩行者には会わず。朝の国道のアップダウンの繰り返しを進む。


6時35分、厚田に入る。


6時50分、厚田橋をわたり、セイコーマートで買い物。牛乳、食パン、コッペパン、菓子パン、薄焼きせんべい、イチゴジャム、レモン飴。
7時、交番前の「広域地理案内図」。痛みがはげしいのも冬の厳しさを物語るようだ。


7時05分、こちらは厚田総合センター前の「厚田道しるべ」の案内板。消えそうになっている絵と、後ろの真新しい建物との落差がおかしい。


よく見ると「第43代横綱吉葉山」の絵もあり、ラジオの相撲中継がたのしみだった子供の頃(50年前)の「四横綱時代」を懐かしく思い出す。千代の山、鏡里、吉葉山、そして栃錦だった。


7時40分、安瀬(やそすけ)に入り、厚田漁港方面を振り返る。今日も、空青く海また青し。


白い波、行く手遠くの断崖などを眺めながら、海沿いの道を行くが、相変わらす歩いている人は他に誰もいない。
8時05分、濃昼(ごきびる)山道入口の標識がある。この登山道はヒグマの心配はないのだろうか。勿論、山道ではなく国道を行く。


8時15分、いよいよトンネル地帯に突入。まず滝の沢トンネル(1242メートル)である。覆道からそのままトンネルに繋がっており、20分ほどで抜ける。


8時35分、次いで、太島内(ふとしまない)トンネル(2455メートル)。2キロ半はさすがに長く、抜けるのに35分。


9時20分に抜けた赤岩トンネル(450メートル)は、長さはさほどでもないが歩道が無く、狭くて歩きにくい。隣に新赤岩トンネルが建設中。(その後2008年11月に新赤岩トンネルが開通。赤岩トンネルは閉鎖。)


9時25分~55分、濃昼のバス停で休憩し食事。
歩き出すとすぐ、新赤岩トンネルの反対側入口の工事現場があり、ダンプカーの運転手から「どこから来たんだい」「頑張れ」と激励の声。
いったん海から離れ、濃昼川を遡行すべく高台に上って行き、迂回。
10時20分、濃昼トンネル(275メートル)へ。


10時40分、海面からだいぶ高度がある尻苗(しりなえ)トンネル(207メートル)。


トンネル入口の左は絶壁。足元低く青い海。


10時50分、短い木巻トンネル(84メートル)を通過し、


11時05分、送毛(おくりげ)地区に入る。


道路にヘビが寝ていたり、シカが突然飛び出して来たりと、


自然の濃い中を行く。


12時20分、送毛トンネル(1901メートル)を25分かけて抜ける。


12時50分、再び海から離れ、毘砂別(びしゃべつ)川を回りこんでいく。
望海橋の上から見下ろす田園地帯。


13時10分、ピンクの睡蓮が咲く池を通過する。ピンクの睡蓮がいくつも咲いているのを見たのは、たしか秋田の久保田城址のお堀だったっけ、あれから20日も歩いているのか、などと思い出しながら歩く。


池の畔には白樺が並び、絵画から抜け出たような静かな午後のひと時。


13時40分、毘砂別で道は再び海沿いを行くようになる。


今日は穏やかな午後の海。


13時45分、浜益観光協会の案内図。ここもまた枠は新しいが、絵も支柱も風雪に耐えていることをうかがわせる。


13時55分~14時25分、まだ早いので、バス停にて時間調整を兼ねて休憩、食事、および翌日以降の計画の検討。
浜益(はまます)橋をわたり、
14時40分、浜益海浜公園のキャンプ場に着く。


キャンプ場にあった案内図。あれっ、よく見ると左右が逆だ。こんな案内図がそのまま設置されているところが可笑しいが、信じたらエライことになる。


午後の強い日差しを避けて、炊事場のわきの日陰にテント設営。体を拭き、汗に濡れた衣類の洗濯。この公園にもピンクや白のハマナスが咲いている。カラスも多い。
15時20分、道路の反対側のセイコーマートで買い物。発泡酒、豚カルビ弁当、あんドーナツ、バナナ、バターピーナッツ。
明日の行程予定は、雄冬キャンプ場までの20キロ足らずで半日休養のつもり。ゆっくり出発すればよい。明後日は雨の予報だが、どうせトンネルの通過だから雨でもよかろう。「おつかれさん」と一人で乾杯。テント代無料。
 
経費  2,158円      累計  307,535円
歩数  59,201歩     累計  4,163,977歩
距離  38km        累計  2,788km

(本日の到達地点――石狩市浜益)



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徒歩の旅 第82日 石狩市  佐藤民宿へ

2009年06月25日 | 2008年日本海側の旅
7月1日(火) 快晴 (民宿「まつよ」~石狩市 望来・「佐藤民宿」)



今日から7月。歩き旅もいよいよあとわずか、交通事故に遭わないように、捻挫などしないように、気を引き締めていこう。
7時05分、出発。
昨日下った坂道を再び上りかえすのを避けて、国道5号線ではなく、JR函館本線の銭函駅前を回っていくことにする。
踏み切りをわたって駅へ。銭函駅前では生徒の団体が集合している。修学旅行に行くような雰囲気だがどうかな。
7時25分、セイコーマートで買い物。ドーナツ、揚げせんべい、ピーナツ、乾電池。
7時40分、道央新道の国道337号線に合流、しばらくは東進する。


空晴れて気分よし。工業団地のようなところを進み、
7時55分、札幌市に入る。


札幌稲西高校や札幌稲北高校の生徒たちの通学時間と重なり、通学自転車多し。
8時50分~9時、新川河川敷の新川緑地にて小休止。ピンクのみならず白いハマナスなども咲いている。
9時05分、第一新川橋をわたると再び小樽市。銭函4丁目の住居表示。


9時30分、石狩市に入る。


このあたり周囲はまったく畑の中で、そこにポツンポツンと会社がある。まだ最近開発されたばかりといったところ。
9時35分、遠くの山が霞み、近くには牧草ロールがいくつも置かれている。


車道はさすがにトラックが多いものの、歩道の方はほんの時折自転車に乗った人に会うのみの、単調な広い歩道を汗をかきつつ歩く。
11時05分~20分、花畔(ばんなぐろ)インター・チェンジ手前で休憩、食事。
ここで左折、札幌市中心部から来た石狩街道の国道231号線に合流する。
11時50分~12時30分、「川の博物館」を見学。石狩川の水害と治水の歴史などを、資料や映像で見る。もったいないことに、見学者は自分一人だけ。
石狩川放水路(手前)と茨戸川、


および石狩川放水路下流方面の写真を撮る。


12時50分、石狩海水浴場方面に行く道道225号線を分ける。
13時10分、石狩川にかかる石狩河口橋をわたり始める。右手上流側と、


左手下流側。


橋の上から河口方面。


石狩川は、川自体の幅もさることながら、河川敷がとてつもなく広く、幅も1キロ近くある。


したがって、わたり終わるまで20分弱ほどかかる。もちろん三橋美智也の「石狩川エレジー」を唄いながら歩く。


13時50分、河川敷を過ぎ、遠くに転がる牧草ロール。


14時15分~30分、八幡町交差点近くのバス停で食事。
その後は、智津狩橋をわたり、霊園がある長い坂道を上っていく。
上りきると、今度は長い平らな道が続く。道路が周囲よりもだいぶ高くなっている。
15時50分、遠くに二基の風車が見えると、そこが今日の泊まり場である望来(もうらい)海水浴場である。


雄大な景色の中の長い坂を海に向かって下っていくと、


望来の集落が近づいてくる。




16時05分、望来地区に入る。あれっ「もらい」なのかな?


16時15分、「佐藤民宿」に到着。素泊まりゆえ隣のセイコーマートで食料購入。牛乳、幕の内弁当、キャベツ。
宿は海水浴の季節がまだ到来しないためか、宿泊者は自分一人だけ。オーナーのおじいさんとひとしきり四方山話。
この地域は豪雪地帯で、昭和40年ごろ(今から40数年前)まではバス便もなく、石狩との冬の交通はもっぱら馬橇だったこと、ここへ来る途中の道路が2メートルほど高くなっているのは、盛り土をしないと冬季に吹雪が吹き溜まりになって通行できなくなってしまうため等々。
その後、今日は日に照らされて大分汗をかいたので、浜辺の海水浴客用の温水シャワーを開けてもらい体を洗う。宿泊代、素泊まり2000円。温水シャワー、300円。
さて明日以降は、北海道の西側海岸線に沿った「日本海オロロンライン」(石狩市―天塩町間の国道231号と232号)を本格的に北上していくことになる。

経費  3,737円      累計  305,377円
歩数  50,609歩     累計  4,104,776歩
距離  34km        累計  2,714km

(本日の到達地点――石狩市 望来)



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徒歩の旅 第81日 小樽市  民宿まつよへ

2009年06月23日 | 2008年日本海側の旅
6月30日(月) 曇のち晴 (「スペースアップルよいち」~小樽市銭函・民宿「まつよ」)



目を覚まして見ると、公園内には他にもいくつかチャリダーたちのテントがある。
4時45分、早朝の「スペース童夢」の写真を撮り、出発。


昨日の道を少し戻り、羊蹄国道の国道5号線を東進する。余市湾に沿って、JR函館本線と並進する。
5時50分、畚部(ふごっぺ)橋をわたる。手前の岩の塊が畚部半島、その向こう遠くは忍路(おしょろ)半島。空は曇っており、海はまだ灰色である。


後方はシリバ岬方面。


5時55分、小樽市に入る。
啄木が
「かなしきは小樽の町よ
 歌ふことなき人人の
 声の荒さよ」と歌った小樽である。


忍路トンネル(505メートル)、桃内トンネル(370メートル)と過ぎ、
6時50分、桃内海岸。桃岩が特徴的だ。


7時、笠岩トンネル(370メートル)、
7時15分、塩谷トンネル(541メートル)と抜けていくと塩谷浜である。塩谷漁港の向こうは立岩方面。


7時35分~50分、海を一望するゴロタの丘の上に伊藤整の文学碑があり立ち
寄っていく。


文学碑には「海の捨児」の詩が刻まれている。
「私は浪の音を守唄にして眠る
 騒がしく絶間なく
 繰り返して語る灰色の年老いた浪
 私は涙も涸れた凄愴なその物語りを
 つぎつぎに聞かされてゐて眠ってしまふ
 
 私は白く崩れる浪の穂を越えて
 漂ってゐる捨児だ
 私の眺める空には
 赤い夕映雲が流れてゆき
 そのあとへ星くづが一面に撒きちらされる
 あゝこの美しい空の下で
 海は私を揺り上げ 揺り下げて
 休むときもない」

傍のベンチで小休止。よい香りを放ってウツギの花が満開である。


その後は40分ほどの長い上り坂を行く。
8時30分、オタモイを通過。北原ミレイの「石狩挽歌」の舞台はこの辺の浜かな。


木材を満載した大型トラックが走り抜ける。


9時05分、長橋トンネル(1000メートル)を抜ける。
9時25分、砂留トンネル(460メートル)を抜け、小樽港に向かって坂を下り始める(歩道橋の上から進行方向)。


9時30分、稲穂の交差点で国道5号線と分かれ、小樽運河方面へ行く。
9時40分、運河の傍の倉庫。


9時45分、小樽運河。




小樽運河は、1923年に完成した水路で、一時埋め立ての方針が出されたが、保存運動の力により今では特別景観形成地区に指定されている。
はじめは人通りもまばらだったが、徐々に観光客が増えてくる。




遊歩道の横の壁にはニシン漁のレリーフなども。


運河プラザをのぞいたり、人力車の写真を撮ったりしてしばし過ごす。


10時20分~40分、ミニマップに載っていた運河の畔の小樽運河食堂「大地」で、バターコーン入り味噌ラーメンを食べる。920円。麺はもちろん、ひき肉のたっぷり入ったスープの味もよく、奮発した甲斐があり大満足。
10時45分、晴れて暑くなってくる中を、日本銀行旧小樽支店や、


手宮線跡地などを見る。


小樽文学館にも行くが、残念ながら閉館日。
11時、国道5号線に戻り銭函(ぜにばこ)方面に向かう。
JR南小樽駅のカーブあたりから人通りも少なくなり、市中心部の喧騒から解放される。小樽市街は、観光客も多いが、高齢者が積極的に外出している姿が印象的。杖をついたり、リュックを背負ったりした高齢者を多数見かける。
11時45分、札幌自動車道の下を通り、
11時50分、小樽築港(おたるちっこう)駅通過し、平磯トンネル(408メートル)を抜ける。12時10分、石狩湾は青く、小樽の街はもう遥か後方である。


12時20分、朝里(あさり)橋をわたり緩く上りきった先で、
13時35分、新張碓(しんはりうす)トンネル(669メートル)を抜ける。
13時45分~14時00分、景勝園バス停で小休止。
14時05分、張碓橋の上から、石狩湾の彼方に明日歩く予定の石狩市方面が白く見える。


道は下り坂に入りどんどん下っていく。
さらに、国道5号線の広い道路を民宿へ曲がる目印を探しつつ進み、道道225号線との交差点を左折。
15時15分、ニセアカシアの花びらが散り敷く坂道を銭函駅方面にだいぶ下ったところで、今日の宿である民宿「まつよ」に到着する。


「銭函」の地名の由来はいろいろあるようだが、むかし鰊の豊漁地で、漁民の家にも銭函があったから和人がつけたというのが通説。縁起がよいというか、アイヌの地名に比べるとちょっと即物的というか……。
民宿は、部屋は清潔、奥さんも親切な感じのよい人。6日分の着替えを洗濯し、ゆっくりと久しぶりの風呂に浸かる。風呂上りの缶ビールを飲みながら、明日の宿の予約。夕食のデザートでは今年初めてスイカを食べる。ベッドで寝るのは大沼のユース以来6日ぶり。宿泊代、一泊二食5560円。


経費  6,785円      累計  301,640円
歩数  59,274歩     累計  4,054,167歩
距離  37km        累計  2,680km

(本日の到達地点――小樽市銭函)



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徒歩の旅 第80日 余市町  スペースアップルよいちへ

2009年06月21日 | 2008年日本海側の旅
6月29日(日) 晴のち曇 (「いわないマリンパーク」~余市町・道の駅「スペースアップルよいち」)



5時20分、マリンパークを出発。右手の建物が木田金次郎美術館。


5時30分、コンビニにて買い物。菓子パン、チョコクロワッサン。
今日は積丹半島の付け根を石狩湾に向かって斜めに突っ切っていく。
まずは尻別国道の国道276号線を東進する。
早朝の市街地にはカラスが多く、子育ての時期だからなのか、電線にとまった2羽のカラスが大声で鳴き、何度も威嚇して追いかけてくる。
一般にこれまで通って来た道南の都市には、やたらとカラスが多かった。九州や山陰ではどちらかというとトンビが多く鳴き声ものどかだったのだが。何らかの対策をとらないと、このままでは少し前の東京のようになってしまうのではと危惧する。大体からして、カラスはたくさんになると鳴き声すらもただただ騒々しいだけで風情に乏しい。あてつけに「夕焼け空がまっ赤っ赤 トンビがくるりと輪を描いた ホーィのホィ……」と唄いながら歩く(まだ朝なのに)。
道は徐々に高度を上げて、内陸部に入っていく。
5時55分、右手になだらかな丘陵やその手前に広がる田園地帯を見つつ行く。一番高い山は岩内岳。




6時、共和町に入る。前方遠くの山々は雲海につつまれている。
6時20分、左右に緑の田畑を見つつ行く。


真ん中遠くに見えるのは、蝦夷富士の後方羊蹄山(しりべしやま)。


水田の周りにポプラの木が生えているのがいかにも北海道である。


6時30分~7時、バス停にて食事をしつつ今後の行程予定を考える。
さらにアップダウンの多い道をどんどん東に向かって行く。
7時55分、「徳川幕府水稲試験地」を通過。現代ではこの辺りも多くの水田が見られるようになっているが、地球温暖化がさらに進めば、やがてブランド米の産地は新潟や秋田ではなく北海道、ということになってしまうかもしれない。


8時45分、国富のバス停で小休止。
8時55分、国富交差点で倶知安方面からきた羊蹄国道の国道5号線と合流。
合流地点では、日曜日のためか、20人ばかりの住民が花壇の手入れをしている。
道は、北に向かって長い坂をシマツケナイ川に沿って上って行くようになる。
10時、途中の駐車場で、銭函(ぜにばこ)の民宿に明日の宿泊予約をする。


10時35分、島付内トンネル(225メートル)を抜ける。
10時50分、稲穂峠の表示あり。


その先の稲穂トンネル(1230メートル)は、古いトンネルで、幅も狭くて歩道もなく、中は照明も暗い。とても歌を唄いながら歩くどころの余裕はなく、終始「高名の木登り、高名の木登り」と唱えつつ、抜けるのに必死。
11時15分、抜けて一安心。振り返って見た稲穂トンネル。


トンネルを抜けたところは仁木町。


左手に広場があり、その奥に松浦武四郎の碑があるので立ち寄っていく。
「岩ほ切 木を伐 草を苅そけて みちたひらけし 山のとかけも」
という歌が刻まれている。


松浦武四郎は江戸時代の探検家。アイヌにも慕われたといわれる。


右手には「まつらの滝」が流れている。


また傍には、札幌の整然とした街造りを計画した島義勇(しまよしたけ)の詩碑もある。


さて、今度はカーブを繰り返しつつ下って行く。
12時45分、余市川をわたる。大江橋に「余市」の由来が書いてある。


13時50分、然別(しかりべつ)駅入り口を通過。
14時30分、JR函館本線を越える仁木跨線橋あたりから、遠く近くサクランボのビニールハウスが見えてくる。


道路のわきにも、たわわに実をつけた大木が次々と出てくる。


そして仁木駅に近づくにつれて、サクランボの直売店が何軒も並ぶ。
折しも今日は仁木町の「さくらんぼフェスティバル」である。


15時、仁木駅入口を通過し、コンビニで買い物。宿泊のための食料確保。食パン、菓子パン、大福、揚げせんべい。
このころから雲が多くなり、やや肌寒くなってくる。
15時15分、余市町に入り市街地を進む。


16時~25分、ミニマップに紹介されていた「海鮮工房」二階のレストランで、イクラ丼を食べる。780円。さすがに新鮮で実に美味い。


余市駅前を左折し、ニッカウヰスキーの工場を過ぎて、


16時40分、道の駅「スペースアップルよいち」に着く。今日は、道の駅隣の公園にテントを張らせてもらうことにする。


まだ時間が早いので、併設されている余市宇宙記念館の「スペース童夢」に入る。余市は宇宙飛行士の毛利衛さんの出身地である。ハッブル望遠鏡の映像上映を見たり、宇宙飛行関連グッズや宇宙食等を眺めたりして過ごす。日曜日のせいか中はとても混雑している。
18時10分、建物裏の草地にテントを設営し、今夜の泊まり場とする。ここもまたやたらとカラスがうるさい。
さて、今日で旅もちょうど80日目。今後は日本海沿いをキャンプ場と宿泊まりで歩くことになるため、道の駅に泊るのもここが最後になるはずだ。長かった歩き旅もだんだんゴールが近づいてくる。

経費  1,635円      累計  294,855円
歩数  60,325歩     累計  3,994,893歩
距離  41km        累計  2,643km

(本日の到達地点――余市町)



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徒歩の旅 第79日 岩内町  いわないマリンパークへ

2009年06月19日 | 2008年日本海側の旅
6月28日(土) 晴 (JR蕨岱駅~岩内町・「いわないマリンパーク」)



5時、蕨岱(わらびたい)駅を出発。


駅のすぐ先で、ニセコ方面に向かう国道5号線と別れて、寿都(すっつ)黒松内(くろまつない)線の道道9号線を上って行く。
5時05分、緑の稜線から朝日が差してくる。今日もよい天気になりそうだ。


5時15分、狩場山駐車場にて小休止。
ここは駅から1キロほどで、水飲み場、トイレあり。蕨岱駅で駅寝する人にとっては好都合。掃除をしていた夫妻に挨拶し、少し旅の話。このあたりがちょうど渡島半島の分水嶺になるようである。
5時20分、黒松内町に入る。町名の由来は、アイヌ語で「和人の女のいる沢」という意味の「クル・マツ・ナイ」。


坂を下っていくと、後ろから先ほどの夫妻が自動車で通りがかり、「随分歩くのが速いなぁ」と言いつつ、飴を両手に一杯くれる。
6時、セイコーマートで買い物。牛乳、ドーナツ、サラダせんべい、バターピーナッツ。
のどが渇き、牛乳では足らずすぐに自販機でペットボトルを買う。
6時35分、JR函館本線を見送って、いよいよ日本海に向かって本格的に坂を下って行く。


6時45分、黒松内川支流の熱郛(ねっぷ)川をわたる。きれいな川である。


7時10分、「制札(せいさつ)壱番の地」という立て札を通過。制札とは道路標識の原型。


江戸時代末に黒松内―ヲタスツ(歌棄)間の山道を開削した、佐藤親子の業績を顕彰している。


空は青く、牛の放牧や


「熊出没注意」の看板があるジャガイモ畑などを見ながら歩く。


途中で、放棄されたり壊れたりした酪農家の残骸をいくつか見かける。どういう事情があったのか? 夢破れて、刀折れ矢尽きたということだろうか?

 
8時~15分、南作開のバス停にて小休止、食事。
8時50分、北作開の追分で、雷電国道の国道229号線に合流、北上する。
国道229号線は、「ソーランライン」とも呼ばれている。
左手に寿都の風力発電所の風車が回っている。


9時10分、寿都(すっつ)町に入り、日本海に出て寿都湾にそって行く。風が非常に強い。


9時30分、明治時代初期の建築だといわれる「鰊御殿」という名の旅館がある。


海側には船着場と神社。


青い海の彼方、寿の都の風車が林立しているのが見渡せる。


9時45分、有形文化財の漁場建築「佐藤家」。佐藤家は江戸時代から「当地方随一の名家」だそうで、家屋の建築は明治時代初期。現在の漁場建築中で匹敵するものがない代表的な遺構とか。






遠く積丹(しゃこたん)半島を眺めつつ、冷たい強風に抗して行く。


ここで、カラスが胡桃を道路に置いて、自動車に轢かせて割ろうとしているところに出くわす。立ち止まって様子を見ていると、道路に胡桃を置いたカラスは電線に止まって車を待っている。話では聞いていたが、本当だった。
11時15分、幌別川にかかる橋をわたる。
11時55分~12時15分、島古丹バス停にて休憩。バス待ちの高齢の男性と話。彼は元漁師だが今は隠居して、今日は岩内までパチンコをしに行くとのこと。
12時40分、野津登トンネル(481メートル)。トンネルを抜けると蘭越(らんこし)町である。


12時50分、尻別川にかかる磯谷橋をわたる。


13時~15分、ようやく道の駅「シェルプラザ・港」に着き、休憩と貝殻細工の見物。
神奈川から来たという自転車の青年と話。同郷で話がはずむ。今朝ほど夫妻にもらった飴を分けてあげる。
今日の行程予定はここまでだったが、あまりにも時間が早すぎるので、思い切って岩内まで足を伸ばすことにする。
13時15分、出発。
午後は断崖絶壁が続く地域を通過、トンネルの連続である。しかし全てのトンネルに歩道がつけられており、ともかく自動車の恐怖からは逃れられる。
13時45分、このあたりから海に沿って断崖をトンネルで通過していくことになる。


14時、磯谷トンネル(640メートル)を抜け、
14時35分、すぐに入った長い刀掛トンネル(2754メートル)を抜ける。


ここを抜けると岩内町である。


14時40分~15時、小休止。振り返ると岬の突端に「弁慶の刀掛岩」がある。


有島武郎の文学碑があり、『生まれ出づる悩み』の一節が刻まれている。
 「 生まれ出づる悩み
  物すざまじい朝焼けだ。
  過って海に落ち込んだ 
  悪魔が、肉付きのいい右の
  肩だけを波の上に現は
  してゐる。その肩のやうな
  雷電岬の絶巓を撫でたり
  敲いたりして叢立ち急ぐ
  嵐雲は、炉に投げ入れられ
  た紫のやうな光に燃えて、
  山懐ろの雪までも透明な
  藤色に染めてしまふ。そ 
  れにしても 明け方のこの
  暖かい光の色に比べて、何ん
  と云う寒い空の風だ。
  長い夜の為めに冷え切った
  地球は 今その一番冷た
  い呼吸を呼吸をしてゐる
  のだ。  」


15時10分、引き続き、カスペトンネル(638メートル)を抜ける。右手上方に「弁慶の薪積岩」が見える。このあたりには「義経伝説」にちなんで命名されたものがいくつもある。衣川で死んだとされる義経が、実は生きており、北上して大陸へ渡る途中でこの地を通ったというわけである。
15時30分、弁慶トンネル(1048メートル)を抜ける。
15時35分~16時20分、雷電トンネル(3570メートル)の通過には45分もかかる。
16時30分、敷島内トンネル(146メートル)抜け、
16時35分、鳴神トンネル(273メートル)抜ける。
これで、やっと今日のトンネル地帯を突破する。これまでもそうだったが、長いトンネルは、入ったときはひんやりして歩いて火照った体には心地よいのだが、徐々に冷えてきて、時には寒いくらいにもなり、集中力・気力・体力が試されることになる。特に照明の具合で薄暗くなっている部分などは、車に注意するとともに足元の水・土砂の堆積・石などにも気をつけねばならず、緊張を強いられるところである。歩き疲れてくると、山の歌や美空ひばりや三橋美智也の歌などを唄ったりして気を紛らせたりすることもある。そして、出口近くではカミさんから言われている「お守りの呪文」を唱える、といった具合。(「お守りの呪文」とは「高名の木登り、高名の木登り」というもので、出典は『徒然草』。)
その後は近づいてくる積丹半島に向かって歩く。


17時10分、夕日が海上に煌く。


徐々に家並みが増え、岩内の町が近づく。
途中で自動車が止まり、「乗っていくかい」と言われるが、歩き旅の旨を説明し、親切心だけいただいて、お礼を言ってお断りする。
17時30分、スーパーにて買い物。トマト、缶詰、タルタルソース、氷砂糖、飴。
18時10分、道の駅「いわない」に到着。道の駅では泊まれないが、向かい側にある「いわないマリンパーク」内の、木田金次郎記念館横の芝生にテントを張って泊まることにする。

経費  1,512円      累計  293,220円
歩数  74,591歩     累計  3,934,568歩
距離  50km        累計  2,602km

(本日の到達地点――いわないマリンパーク)


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徒歩の旅 第78日 長万部町 JR蕨岱駅へ

2009年06月17日 | 2008年日本海側の旅
6月27日(金) 曇のち晴 (JR山崎駅~長万部町・JR蕨岱駅)



夜明け前に噴火湾に見えた光は、海上の漁火かそれとも対岸の室蘭の街の灯りだろうか。
4時55分、出発。JR函館本線と共に国道5号線を北上する。
空気は肌寒く、下半身は半ズボンなるも上半身は長袖のカッターシャツを着用。
5時45分、いかにも北海道らしい景色。前方も、


後方も真っ直ぐな道路がずっと続く中を行く。


時折通るトラックのエンジン音以外は、波音ばかりが耳に心地よい静かな道である。
6時~15分、シラリカ川のバス停にて小休止、食事。
6時20分、海辺に「黒岩奇岩」を見る。アイヌが守り神として礼拝した岩。


6時40分、黒岩駅前の商店にて買い物。おにぎり2個、パインジュース。
6時55分、長万部町に入る。「オシャマンベ」の語源は、アイヌ語で「カレイのいるところ」とも「横になった河口」を意味するとも言われている。


その後も相変わらず続く海岸沿いの単調な直線道路を、


時々通過する函館本線の写真を撮りながら行く。






8時40分、国縫(くんぬい)は、1669年のアイヌによる松前藩の苛斂誅求に対する最大の戦いである「シャクシャインの蜂起」のあったところ。
10時20分、「かにめしバイキング」の幟の立っている長万部物産センターで休憩および食事。


知人へのお土産を発送し、高年の従業員と話。急速に進む地域の高齢化や過疎、中高年の生き甲斐について等々。ここでも昔からの地域共同体が壊れつつあるとのことである。
食事は、食べ放題で980円。とはいうものの、意気込みとは裏腹に、かにめしを小椀で3杯と野菜と果物などをいくつか食べられただけで腹一杯。肉・魚などにはほとんど手が出ずというはなはだ不本意な結果。やはり長旅で体が野菜類を一番に欲していたのだろう。胃袋も縮小してきているのかもしれない。
11時40分、空は晴れ、暑くなってきた中を、うっかり飲んだデザートの梅酒のほろ酔い気分で、再び歩き始める。
11時50分、今後の行程を考え、セイコーマートで泊まりの食料を買う。食パン、菓子パン2個、レトルトカレー。
12時10分、海辺に咲いている鮮やかな紫色の花はハマエンドウ。


12時20分、カモメの群れが砂浜でのどかに休んでいる。これで太平洋側ともお別れ。
今後は渡島半島を横切って、再び日本海に沿って北上するルートである。


12時30分、オバルベツ川にかかる長万部大橋をわたり、さらに旭浜橋をわたると、右に室蘭方面への国道37号線を分ける。
道は北上し、道央自動車道の下をくぐって行くが、炎天下で暑くてたまらずペットボトルを買う。
汗を流しつつ、緑に囲まれた道をひたすら歩く。遠くの写万部山の稜線も青く霞んで、すっかり夏景色といった風情である。
13時30分、長万部川の支流、土津田(とつた)川。
なんか木の葉の陰にコロボックルでも隠れていそうな……。


13時40分、土津田跨線橋を越える。
さらにアップダウンを繰り返しつつ内陸部へと徐々に高度を上げていく。
14時25分、家並みが続き、貨車を改造した二俣駅待合室で小休止。
知来跨線橋をわたり、
15時25分、蕨岱(わらびたい)地区へ入る。単調な道が続き実に長く感じる。


16時05分、無人駅のJR蕨岱駅に到着。水道もトイレもないが、今夜はここに泊まらせてもらうことにする。


駅舎は無く、待合所は車掌車を改造したあっけらかんとしたもの。西日をまともに浴びた車両内は暑くてしかたないが、虫が入るからと開放禁止。


涼しくなるまでホームで通過列車の写真を撮ったりして過ごす。


備え付けの駅ノートで、この駅がJR全駅を「あいうえお順」に並べると最後になるという偉大な駅であることを知る。
そして、順調に行けば、今日がこの縦断の旅で無人駅に泊まる最後の夜ということになるはずである。

経費  1,872円      累計  291,708円
歩数  61,348歩     累計  3,859,977歩
距離  43km        累計  2,552km

(本日の到達地点――JR蕨岱駅)



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