そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第37日 まんのう町・満濃池休憩所へ

2012年09月18日 | 2011年四国の旅-1
11月18日(金) 雨ときどき曇 (弥谷山ふれあいの森公園~まんのう町・満濃池休憩所)

○本日の参拝
第72番札所 我拝師山延命院  曼荼羅寺(御本尊:大日如来)
第73番札所 我拝師山救聞持院 出釈迦寺(御本尊:釈迦如来)
第74番札所 医王山多宝院   甲山寺(御本尊:薬師如来)
第75番札所 五岳山誕生院   善通寺(御本尊:薬師如来)




7時30分、今日の行程は短いし、天気予報は雨なので、ゆっくり出発。出ようとしたらパラパラと来たので、ザックカバーに雨具上下着用で行く。

弥谷寺方面に少し上り、右に林の中のへんろ道たどる。


7時45分、小さな池の横を通過。


高松自動車道手前の道路に出たところで、小雨の中で畑作業をしていた男性に挨拶をしたところ、大きなみかんを2個くれて、さらに第72番の曼荼羅寺への行き方を丁寧に教えてもらった。南無大師遍照金剛。

8時10分、大池の畔の番外札所七仏寺(奥)と古験松の碑と西行の歌碑。
「月見よと芋の子どもの寝入りしを 起しに来たが何か苦しき」。


大池と、




池畔の案内板。


寒く、喉も乾いたので、ペットボトルを買う。ホットのボトルは四国に来て初めて。

8時40分、第72番曼荼羅寺へ。

山門は仁王門。


境内。


本堂と、


大師堂。


笠松大師。


境内の無人販売所で、みかん200円買う。

9時10分、第73番出釈迦寺山門。


本堂と、


大師堂。


帰りがけに、岡山からのバス遍路の婦人たちに会う。中には山門への坂を上るのが大変そうなお婆さんもいた。

ここで、捨身ヶ嶽禅定へ行こうか、西行庵に行こうかと迷ったが、結局、西行庵に行くことにした。
曼荼羅寺方面に少し戻り、標識に従って左手に丘を上っていく。眼下には小雨に煙る讃岐平野。




9時25分、西行庵へ。


入り口に、『天の夕顔』の作家中河与一の歌碑。
「西行がいほりせし迹希典が うえしホルトの繁り居り今」。


西行庵。




小山がガスで霞む中、田んぼの中のへんろ道を甲山寺へ向かう。


途中で、バンに乗った配達の女性から「善通寺の方に行くから乗っていく?」と声をかけられたが、歩き遍路ですからとお礼を言ってお断りした。

10時15分、第74番甲山寺へ。
新しい山門と、


中門。


本堂と、




大師堂。


雨のためか、参拝客は少なかった。

善通寺に続く通りで、名物の堅パンを買う。


10時55分、第75番善通寺へ。ここは空海の生まれ故郷。
善通寺は、とにかく広く、本堂のある東院と、大師堂(御影堂)のある西院に別れている。


ルートの都合上、まず右へ西院に行った。

仁王門。


阿形と、


吽形。


長い屋根のある参道。


大師堂(御影堂)。




戻って東院へ。


中門。


ここではお遍路の白衣姿はほとんど見かけなかった。


鐘楼と五重塔。


本堂。


本堂の中は見学することができ、大きな薬師如来様がおわしました。

ふたたび五重塔。


高さは45m。


南大門。


まあ、さすがというか、とにかく広大であった。


11時30分、東側にある赤門を抜けて、JR土讃線の善通寺駅方面へ。


線路を越えて、県道25号線を右へ、金刀比羅宮へ向かう。
JR土讃線を渡り返し、清少納言「衣掛の松」跡を過ぎ、トンネルを抜け、と小雨の中をえんえんと歩くと、観光旅館などが現れてくる。

13時10分、観光街を右折して金刀比羅宮の参道へ。


途中のお土産屋さんで、ザックを預かってもらい、デジカメだけを持って階段を上った(この時、歩数計付きのケータイをザックに入れたままにしたので、石段の上下往復の歩数は計れなかった。石段の数は、御本宮まで785段、奥社まで1368段ある、とのこと)。


本格的な上りの始まり。


大門。駕籠に乗った人もいた。


境内の五人百姓。


さらに進み、


石段を上ると、


旭社。


さらにさらに上って、


御本宮へ。




讃岐平野方面。




白峰神社。


さらにさらにさらに上って、


13時45分、静かな奥社へ。


ここまではもうほとんど人は来なかったが、偶然だろうか、上ってきた人は大半が女性だった。若い二人連れの女性は、「もう二度と上らないと思うから頑張った。」と言っていた。また、宮司さんに聞いたところ、御本宮までは車だが、そこから上は毎日歩きだそうだ。

さて、下りは早いぞ。


お土産屋に戻り、奥さんにお茶を入れてもらって、香川県限定という饅頭を食べながら、お喋りして小休止。

その後、満濃池に向かう。
金刀比羅宮を過ぎると、へんろ道シールが極端に少なくなり、ついに道迷い。自転車の中学生に親切に丁寧に教えてもらって、県道4号線へ。その後は、へんろみち保存協力会の地図に従って、満濃池能面へ。

野宿予定地の「ほたる見公園」と「満濃池森林公園」を混同し、変だと思いつつも、「満濃池森林公園」へ行ってみる。やはり間違っており、管理人さんに地図を描いて教えてもらう。
戻ってみると、池畔に屋根つきの大きな休憩所があり、そこが「ほたる見公園」の最上部に当たっていた。

満濃池夕景。




16時50分、水、トイレからはやや遠かったが、満濃池が眼の前なので、ここで泊まらせてもらうことにした。



歩数 35,203歩(金刀比羅宮を除く) (累計 1,500,609歩)
距離 26.5km          (累計 1039.5km)
費用 730円            (累計 146,678円)
























四国の旅 第36日 観音寺市・弥谷山ふれあいの森公園へ

2012年09月14日 | 2011年四国の旅-1
11月17日(木) 晴 (民宿「青空屋」~観音寺市・弥谷山ふれあいの森公園)

○本日の参拝
第67番札所 小松尾山不動光院 大興寺  (御本尊:薬師如来)
第68番札所 七宝山         神恵院  (御本尊:阿弥陀如来)
第69番札所 七宝山         観音寺  (御本尊:聖観世音菩薩)
第70番札所 七宝山持宝院    本山寺  (御本尊:馬頭観世音菩薩)
第71番札所 剣五山千手院    弥谷寺  (御本尊:千手観世音菩薩)




朝、窓に結露はなはだしく、夜間の寒さを物語っていた。

7時10分、民宿「青空屋」を出発。「お接待」におにぎりをいただく。


野仏がいくつもある道を、里山の景色を眺めつつ、大興寺に向かって下っていく.


7時40分、岩鍋池。


少し先に「お休み所」。


遠く、讃岐の山々。


8時15分、第67番大興寺へ。


山門。


参道の石段を上る。




参道の横に、大師お手植えと伝えられるカヤの巨木と、


クスノキ。


本堂。


大師堂。


境内の池。


三鈷の松と、


石造五輪塔。


8時45分、再び観音寺市に入る(大興寺は三豊市)。


鷺がたくさんいた。


へんろ道シールにしたがって。


9時5分、仁池が見えてくる。




仁池。




県道6号線を歩いていると、自転車に乗った男性に呼び止められ、「お接待」だと言って200円いただく。南無大師遍照金剛。

ちょっとまごつく案内。

結局、すぐに合流。


9時25分、お遍路さん休憩所。


JR予讃線をわたると、少し先に地元観音寺市出身の元総理大平正芳の記念館があった。今日は時間の余裕もあり、日ごろは保守の政治家について知る機会もないので、立ち寄ってビデオを見せてもらう。


暑くなって自販機でペットボトル買う。

10時45分、財田川にかかる三架橋。


財田川下流方面。右手は琴弾山。


第69番観音寺(および第68番神恵院)への入り口。ここは一山二札所。


10時50分、山門へ。


共通の山門は仁王門。


神恵院本堂と、




大師堂。


観音寺本堂と、




大師堂。


境内にある売店の女性に尋ね、本堂裏の坂を上って、琴弾公園の展望台に行く。




ここから、眼下に寛永通宝の「銭形」が見える。






ここには、他に、高橋藍川の漢詩碑や、




堀野林治歌碑がある。「遠山雪 ひうちなだ波路の末の雲はれて いよの高根に雪ふれるミゆ」。


展望台の東屋で昼食。

11時50分、琴弾八幡宮へ。

ここは曲亭馬琴の『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』の舞台。


本殿。


長い石段の参道を下り、


参道入り口の台輪鳥居へ。


源平合戦の説明板。


再び財田川を渡り、左岸を行く。




12時50分、第70番本山寺へ。

仁王門。




本堂と、




大師堂。


五重塔。




大門は修復中。


本山寺を出て、はじめ国道11号線を行き、途中から歩きへんろ道へ。

13時50分、へんろ道沿いの池。このあたりも溜池多し。


14時、豊中・高瀬町境。




14時20分、コンビニにて食料購入。552円。

曇って風が冷たくなる中、さらに歩きへんろ道を辿り、


15時20分、第71番弥谷寺入口へ。


15時45分、長い坂を上り天霧城跡。


15時50分、弥谷寺の仁王門。


さらに石段を上り、






本堂へ。


讃岐平野を見下ろす。


大師堂は石段の上の建物の中。履物を脱いでお参りする。




16時25分、参拝を終えて、下の道の駅「天然いやだに温泉ふれあいパークみの」へ。


道の駅の隣にある、弥谷山ふれあいの森公園でテントをはる。

今日は5つの札所にお参りをしたので、あと17ヶ所になった。今治の青木地蔵堂でHさんに聞いていた、善根宿「うたんぐら」に宿泊予約の電話をする。

歩数 45,131歩        (累計 1,465,406歩)
距離 29.5km         (累計 1013km)
費用 7,702円(宿代6500円)(累計 145,948円)







四国の旅 第35日 民宿「青空屋」へ

2012年09月04日 | 2011年四国の旅-1
11月16日(水) 晴 (戸川公園~観音寺市・民宿「青空屋」)

○本日の参拝
第65番札所 由霊山慈尊院 三角寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)
第66番札所 巨鼇山千手院 雲辺寺 (御本尊:千手観世音菩薩)



野宿にとっては冷え込む夜が続く。ダウンのインナー上下を着こみ、テントシューをはいてシュラフで寝た。

6時15分、薄暗い中を出発。

徐々に明るくなってくる空の下、へんろシールを目印に進む。空は晴れわたり頭上に雲なし。


6時40分、伊予三島の街が眼下遥かに見える。


山道に入り、すぐに地蔵の祠。


7時10分、ところどころに急な登りがあるが、歩きやすいへんろ道。


舗装道路に出て、すぐに、

7時20分、第65番三角寺へ。






山門。


石段を上がると境内で、冬桜が咲いていた。




本堂と、


大師堂。




大師堂は紅葉が真っ盛り。


地蔵尊。


境内にある休憩所。


参拝後、椿堂(常福寺)への標識に従って歩き始めたところ、中年男性が上ってきて、標識は車用のもので、歩きへんろ道は反対方向だと丁寧に教えられる。聞いてみると、彼は「へんろみち保存協力会」の会員で、先達をしている、ということだった。これはラッキー。さらに雲辺寺への上りについて、一般的に採られている国道通しで境目トンネル経由、佐野から上るというルートを採ろうと思っていたが、曼陀峠ルートを勧められた。一部急なところもあるが、舗装されている区間もかなり長く、総じて傾斜もきつくないので歩きやすい、と。

彼のアドバイスに従って常福寺方向へ。

8時10分、樹間から伊予三島を見下ろす。


8時25分、同(望遠)。


8時35分、お小屋倉跡の碑。


そばに、中務茂兵衛建立の道標。


8時45分、ゆらぎ休憩所(半田休憩処)。




9時5分、人形のいるお遍路さん休憩所。一人なら宿泊可能な畳敷きの部屋がある。


段丘の耕作地をゆるゆると下っていくと、




9時40分、番外霊場の常福寺(椿堂)。




鐘楼門。


本堂と、


大師堂。


国道192号線を行き、

10時15分、しんきん庵(ヘンロ小屋・法皇・第五七号)で小休止。


壁にはさまざまな貼り紙。




管直人のものも。


「お接待のつるし柿」があり、「十二月上旬頃美味しくなります」とあったが、前に誰かが食べた形跡があり、ためしに1ついただいた。まだ干し柿にはなっていなかったが、こってりとした中身が、それこそ頬っぺたが落ちるほどに甘く美味しかった。御馳走様。




しんきん庵に別れを告げ、再び国道を少し行く。




10時40分、曼陀峠への分岐。左「曼陀峠 雲辺寺」。右「境目峠 佐野道」。アドバイスに従って左へ行く。


七田橋を渡り、曼陀峠上り口。「うん遍んじ」とある。


急坂を上り、振り返る。


さらに上り、




獣よけの電気牧柵の横を通り、


道標を確認、


45分ほどでなだらかに道になり、起伏の少ない歩きやすい道。




11時40分、曼陀峠。愛媛・徳島の県境の「境目」。


11時55分、曼陀トンネルへの分岐。




12時15分、旧曼陀峠。


広い景色の曼陀高原。


平家落人の集落と寺院の解説。


曼陀高冷地野菜団地の説明。


12時50分、雲辺寺口バス停への分岐。


後ろから来た車が止まり、「よかったら乗って行きませんか。」と男性から声をかけられる。歩き遍路の旨を告げて、お礼を言った。

13時10分、四国のみち案内板。


13時30分、第66番雲辺寺。雲辺寺は標高910m。88カ所中の最高所にある。




仁王門。


本堂と、


大師堂。


五百羅漢像。






涅槃像。


参拝の後、毘沙門天展望台へ。




展望台より、ロープウエー。


霞む讃岐平野。


展望台で、先ほど声をかけてくれたドライバーに会う。彼は、香川県のへんろ道でのお勧めは、白峰寺と根香寺の間の靴が沈むほどに落葉が敷き詰められた静かなルートだ、と言っていた。楽しみだ。

さて、五百羅漢が立ち並ぶ道を下りにかかる。














14時25分、落葉の道や、急傾斜の階段状の道などを、国道まで中一本で下った。


15時20分、途中での、讃岐平野展望。溜池がいくつも見える。


さまざまな案内板。






15時45分、国道へ。


15時50分、民宿「青空屋」に到着。

夕食後、同宿の大分から来たというご夫婦のお遍路さんとよもやま話。奥さんから、金の納札をいただいた。

夜、空は澄みきって、空気は非常に冷たかった。お遍路も4県目、ついに涅槃の道場に入った。

歩数 35,458歩(いきいき歩数) (累計 1,420,275歩)
距離 34.5km  (累計 983.5km)
費用 0円      (累計 138,246円)







四国の旅 第34日 四国中央市・戸川公園へ

2012年09月02日 | 2011年四国の旅-1
11月15日(火) 晴  (「ビジネス旅館小松」~四国中央市・戸川公園)

○本日の参拝
ありません。

(地図 1)


空はよく晴れて空気が冷たい。旅に出てはじめて冬を感じる。

7時、宿を出発。

7時49分の伊予小松発のJR予讃線で中萩駅へ。車内は通学生で一杯だった。




8時8分、中萩駅へ。一昨日の続きの地点から歩き始める。



(地図 2)


駅前の大鳥居をくぐって、国道11号線の南側を並行するへんろ道へ。


正面は石鎚山塊。


ところが、このへんろ道が、信号がほとんどないために国道のバイパスと化しており、狭い上に両側通行なので、かなりのスピードで多くの車が走っていく。後方からの車には特に神経を使う。歩行注意である。おまけに排気ガスのにおいも強い。午前9時まではとりわけひどく感じた。


9時10分、アーケードのあるちょっと寂れた商店街。


商店街の真ん中あたりの広場に出店があり買い物をし(赤飯、みかん、飴など)、15分ほど小休止。

9時50分、国領橋をわたる。旧街道とは讃岐街道。


その後、国道11号線に合流し、新居浜・四国中央市境に向かって長い坂を上っていく。




10時50分、上りつめたところが市境。




国道を離れ、石積みの耕作地を通り、


12時5分、番外霊場延命寺へ。




本堂と、


大師堂。


「いざり松」。


東屋の立派な休憩所があるが、雲が出てきて非常に寒く、昼食をとるのもそこそこに、再び歩き出す。



(地図 3)


延命寺の少し先に「俳人小林一茶宿泊 島屋跡」の石標が建っていた。


13時、左手の遠方に海が見える。


13時50分、高い煙突は大王製紙。


田園地帯を行き、


15時、「ひよけ大師」の石床大師堂。




15時10分、コンビニで食料調達。

道標や野仏に従って進み、




松山道の高速をくぐってさらに行き、


15時50分、戸川公園着。水、トイレあり。




今日はここの休憩所で泊まらせてもらうつもりでテントを設営したが、なんと野宿禁止の立札。




だが、ここからはすぐに三角寺への山道の上りになり、これからこの先に適当な泊り場を探すのは困難。また、公園に来た2人の高齢者に挨拶したが、とくにテントを咎められもしなかったので、今回限りということで、あえて目をつぶってもらうことに勝手に決めてしまいました。四国中央市さん、旧伊予三島市さん、どうもすみませんでした。――後日、このような場合はどうしたらよいかと経験者に尋ねたところ、あそこは丁度良い位置にあるからね、と言って、止むを得ない場合は、近隣の家に事情を説明し、その上で、騒がない、火に気を付ける、「来た時よりも美しく」清掃し、翌朝は早発ちする、などのアドバイスをもらった。だがやはり、禁止されているのだから、泊まらない計画を立てるのが一番。次回まわる時には考慮しなければいけない。


歩数 42,684歩              (累計 1,384,817歩)
距離 32km                 (累計 949km)
費用 12,940円(2泊宿代10500を含む)(累計 138,246 円)