そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

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四国の旅 第41日 高松市・「栄荘」に連泊

2012年11月26日 | 2011年四国の旅-1
11月22日(火) 晴 (高松市・「栄荘」に連泊)

○本日の参拝
第85番札所 五剣山観自在院 八栗寺 (御本尊:聖観世音菩薩)
第86番札所 補陀落山    志度寺   (御本尊:十一面観世音菩薩)



今日は二寺に参拝の予定だが、時間的に実質上の半日休養。
ゆっくり朝食をとった後、「お接待」の昼食(おにぎり、みかん、ゆで卵、ペットボトル)をいただいて、出発。天気は快晴。
琴電志度駅から昨日乗った八栗駅へ。
8時、八栗駅。


歩き始めて10分ほどで洲崎寺。
ここは「四国遍路の父」といわれる江戸時代の僧、真念法師の墓のある寺、とか。






昨日参拝した屋島寺方面もくっきりと見える。


埼玉から来たというお遍路さんに出会い、しばらく一緒に歩くが、「八栗ケーブル登山口駅」で彼と別れる。

一人で早朝の静かな八栗寺への急坂を、途中に「イノシシ目撃地点」などの標識を見つつ上っていく。

8時40分、「弘法大師の加持水」にある歓喜天の大鳥居。


8時50分、展望台から屋島、高松市方面。




第85番八栗寺へ。


鳥居をくぐって行くと、


二天門。


本堂と、


大師堂。


多宝塔。


地蔵堂と、


聖天堂。


境内の図。


八栗寺を後に、五剣山を背にして舗装道路を下る。車遍路の人たちが次々と上ってくる。


下りの途中で、風呂のたきつけにすると言って枯れ枝を切っていたお婆さんと話す。
以前はこのあたり全体にイノシシがいたのだが、高松市の南部の「山」と言われていた地域の宅地造成やバイパス道路の敷設によって追われて、屋島、八栗に集まってしまった。しかし、ここは針葉樹が多くドングリなどが少ないため、畑に悪さをするのだ、と。八栗寺のタケノコは、今年は芽のうちにやられて一本もとれなかったそうだ。「でも、イノシシが悪いんじゃないんだけどねえ……」と言っていた。

舗道を下って、
9時40分、二つ池親水公園にて15分小休止。




その後、琴電で塩屋駅から沖松島駅まで移動。平家物語歴史館に向かう。

11時40分、平家物語歴史館へ。




入場料1200円。


高知の竜馬歴史館もそうだったが、ここも資料的な内容は乏しく、蝋人形でビジュアルな点が取り柄だが、あえて言えば子供向け。「博物館」や「資料館」ではなく「歴史館」と名付けられているのはそういうことだったのか。


12時20分、高松城跡の玉藻公園へ。入園料200円。








艮櫓。




桜の馬場にて「お接待」の昼食。
その後、公園内を散策。




内苑御庭。








月見櫓。




陳列館。


高松城や歴代藩主等に関する文化財や資料,模型などが陳列されていたが、三蹟の一人藤原佐理や歌人与謝野晶子らの筆跡なども見た。

栗林公園にも、と思ったが、高校の修学旅行で行ったので(といっても、今となっては何も覚えてはいないが)今回はやめておいた。

その後は、再び琴電で今橋駅から塩屋駅へと戻り、そこから宿へと歩いた。

13時55分、塩屋駅。


14時5分、道の駅「源平の里むれ」。








14時20分、用心掘石灯篭。


少し先に、「平賀源内先生旧邸」。入館料は「記平賀源内念館」と一緒で500円。






源内ゆかりの「ホルトノキ」。


薬草園由来記。




源内像。


その先に、山頭火の句碑。
「そのかみの
 おもひでの
  海は濁りて    山頭火」


14時40分、「栄荘」を通過。


14時45分、平賀源内記念館。






とても興味深く見学。館内にてパンフレットを購入。1000円。


15時25分、第86番志度寺へ。


志度寺の仁王門の手前に、源内の墓所がある常楽寺がある。




源内の墓。


志度寺境内案内。


仁王門。


本堂と、


大師堂。


五重塔。




境内で「お接待」にチョコとラムネのお菓子をいただいた。南無大師遍照金剛。

さて、いよいよあと二寺を残すのみとなった。宿への帰途、高野山経由帰宅のために、時刻表を購入。550円。

宿では、白峰寺で別れた埼玉さんと再会。ビールを飲みながら、ここまでの経路など話し合った。

歩数(玉藻公園方面への移動を含む)29,854歩(累計 1,659,736歩)
距離(屋島寺分岐から志度寺間)   9km     (累計 1,126km)
費用 4,520円                     (累計 155,686円)