そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第40日 高松市・「栄荘」へ

2012年10月23日 | 2011年四国の旅-1

11月21日(月) 晴  (中山休憩所~高松市・「栄荘」)

○本日の参拝
第82番札所 青峰山千手院 根香寺 (御本尊:千手観世音菩薩)
第83番札所 神毫山大宝院 一宮寺 (御本尊:聖観世音菩薩)
第84番札所 南面山千光院 屋島寺 (御本尊:十一面千手観世音菩薩)


地図1



寒くて長い夜だった。さまざまな音色の虎落笛が響き続けた。

6時45分出発。雲多し。


出発直後、寒いので自販機にてホットココアを買う。

6時50分、太陽が顔を出す。


樹間より瀬戸内海も見える。


7時10分、第82番根香寺。




仁王門。


阿形。


吽形。


参道を行く。




紅葉が見事。






振り返る。早朝の為か、とても静かで、他には2人の参拝者を見かけたのみ。


大師堂。


本堂への入り口から、


本堂。


7時30分、根香寺をあとにし、


やや戻ってからJR予讃線の鬼無駅方面へ。

小島の浮かぶ瀬戸内海を見たり、讃岐平野を眺めたりしつつ、なだらかな舗装道路を、ゆるくジグザグと、また時にショートカットしつつ、下っていく。








下るにつれて青空も広がってきて、


溜池まで来ると、線路も近い。


9時、予讃線の線路を越える。




本津川を渡り、

9時5分、きれいな建物の「飯田お遍路休憩所」にて小休止。お茶と梅干と高松の案内をいただく。南無大師遍照金剛。






再び歩き出し、ふり返ると五色台はすでに遥か。


田園の中の道を行き、


四ツ又地蔵を経て、




9時40分、呑東川の潜水橋を渡る。




9時50分、高速道路手前の、民家の軒先につくられた「お遍路さん休憩所」で小休止。「お遍路さんへ ご自由にどうぞ」とあった小型冷蔵庫から冷えた缶コーヒーをいただく。南無大師遍照金剛。


高速道路の下をくぐって、さて、ここからは人家の間をぬって進む複雑なへんろ道を行くことになった。へんろ道だった昔の農道の左右に人家が立ち並んだ結果と思われる。






再び、田園に出る。


10時30分、「へんろ小屋 高松・一宮 24号」にて小休止。


10時45分、第83番一宮寺。


仁王門。


本堂と、


大師堂。


再び田園の道を第84番屋島寺へ向かう。




足元から鷺が飛び立った。


その後、ダイソーで救急バンなど、コンビニで牛乳などを買い、セルフうどんを食べたりして、

13時15分、御坊川を経て、


国道11号線に出て東進する。


地図2


13時40分、春日川を渡り、


14時5分、二つ池。


道路の反対側に休憩所あり。


屋島寺へ坂を上っていく。急坂だが、さほど苦しくはない。

14時15分、坂の途中にある屋島御加持水。


不喰梨(くわずのなし)。




落葉樹の明るい並木を抜けると、


14時35分、第84番屋島寺。




仁王門。


芭蕉の句碑。
「夏艸也 都はも能登母乃 夢の跡」(かな?)


その先に四天門。

持国天、


増長天、


広目天、


多聞天。


本堂。




大師堂。


熊野権現社。


蓑山大明神(左側、四国狸の総大将「太三郎狸」)。


千躰堂。


東大門。


お寺を出て東側にまわると、源平の古戦場が一望できた。








瀬戸内海国立公園屋島案内図。


急な道を下って、

15時35分、岩村休憩所にて小休止。


さらに下ると、安徳天皇社。




屋島遍路みち案内。


眼の前には、第85番八栗寺のある五剣山。


だが、時間的に無理なので、今日はここまで。明日続きを歩くこととして、琴電の八栗駅から宿泊予約をした「栄荘」のある琴電志度駅までは電車で行動。

しかし、電車は一足違いで行ってしまい、20分待つことに。


16時45分、「栄荘」着。
宿は、広い風呂とたっぷりの食事に満足。同席したオーストリア人男性2人とカタコトの英・独語、ニホンゴ、それとジェスチャーで話。彼らも1番からの「通し打ち」で、今日で36日目、とか。お互いの日焼けを、ダークだのブラウンだのブラックだのシュバルトだのと他愛なく言い合った。彼らの1人は九州に住んでいて、今回で5回目のお遍路。外人の「お四国病」患者さんで、「四国の人はみんなやさしい、お遍路大好き」と言っていた。

歩数 51,618歩 (累計 1,629,882歩)
距離 30.5km  (累計 1,117km)
費用 1,358円  (累計 151,166円)





















四国の旅 第39日 高松市・中山休憩所へ

2012年10月02日 | 2011年四国の旅-1
11月20日(日) 晴 (善根宿「うたんぐら」~高松市・中山休憩所)

○本日の参拝
第79番札所 金華山高照院 天皇寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)
第80番札所 白牛山千手院 国分寺 (御本尊:十一面千手観世音菩薩)
第81番札所 綾松山洞林院 白峯寺 (御本尊:千手観世音菩薩)



朝食と「お接待」におにぎり、アメ、焼いもをいただく。
「うたんぐら」のホームページにのせる写真を撮って、

6時50分、オーナーの入江夫妻に見送られて出発。お世話になりました。


天気は曇で風が冷たい。

7時20分、瀬戸中央自動車道の下を通過。


早朝の坂出の商店街を行く。


途中で、お婆さんから手作りの賽銭袋を「お接待」される。南無大師遍照金剛。


JR予讃線の線路を越え、車両の写真を撮ったりして、


8時10分、白峯神社へ。ここは保元の乱で讃岐に流された崇徳上皇をお祀りしている。鳥居の中央に「崇徳天皇」の文字。


第79番の高照院(天皇寺)は神社と隣り合わせになっている。


白峯宮拝殿。


御神木のクスノキの大木。


境内を抜けていくと、高照院(天皇寺)本堂へ。


大師堂。


ここで、伊予小松の宿で一緒だった埼玉さんに出会う。彼はゆっくり行くと言うので、小生は先行。

長い参道を抜ける。


しばらく行くと再び予讃線に出会う。




再び線路を越えて、

9時5分、今度は綾川沿いを行く。






9時35分、綾川から離れ、紅葉がきれいな国道11号線を行く。


10時、第80番の国分寺へ。






仁王門。




広い境内を進み、


本堂と、






大師堂は、


この中。


参拝後、隣にある国分寺跡を見学。








復元された築地塀。




掘立柱建物跡。




復元された僧坊跡と覆屋。


僧坊内部。








鐘楼跡。


伽藍跡と、




伽藍の配置模型。






10時40分、国分寺跡を後にする。

「歩きへんろさんへ」の案内。


11時10分、讃岐国分寺跡資料館を見学。






雲は去り風もおさまって、晩秋の暖かな日差しを背に、色づく木々を眺めながら、五色台への小さな「へんろころがし」を上る。




12時、一本松の展望台。ここで食事休憩。




「歩きへんろさんへ」の案内板に従わず、国道ではなく、山道の歩きへんろ道を行く。昨日の雨の中だったら難儀したかもしれない箇所があったが、今日は快適。

「十九丁」にて、左に折れ、白峯寺へピストン。ほとんど人に出会わず、雲辺寺で会った男性が言った通りの落葉に覆われた静かな道を行く。


13時30分、第81番の白峯寺へ。


山門(七棟門)を入り、


左手に、勅額門と、


頓証寺殿。


烏天狗像(相模坊大権現)。


石段を上がると、本堂がある。




大師堂。


境内に、西行法師像あり。説明に
「西行
仁安元年神無月の比、西行法師
四国修行の砌当山に詣でゝ負を
橋の樹にかけ法施奉りけるに
御廟震動して御製あり
 松山や浪に流れてこし船の 
   やがて空しくなりにけるかな
西行涙を流して御返歌に
 よしや君昔の玉の床とても
   かからん後は何にかはせん
御納受もやありけむ度鳴動したり
けるとなん」とある。


西行歌碑。
「よしや君昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん」


ここで再び埼玉さんに出会った。
参拝後、来た道を引き返す途中で、上ってくるワシントンさんに出会い、キャンデーを2個「お接待」した。

14時20分、「十九丁」通過。


再び、静かな落葉のへんろ道を歩き、




15時、中山休憩所に着く。


強風がしきりに口笛を吹き、テントがゆがむほどだった。ケータイは圏外で通じず、食料も乏しく、寒いので、早々とシュラフに潜り込む。
風は夜通し吹き続け、頭上は満天の星だった。中天にひときわ明るく輝いていたのは木星だったか.....。

歩数 39,195歩         (累計 1,578,264歩)
距離 21.5km          (累計 1086.5km)
費用 1,100円(宿代1000円、資料館100円)(累計 149,808円)







四国の旅 第38日 宇多津町・善根宿「うたんぐら」へ

2012年10月01日 | 2011年四国の旅-1
11月19日(土) 雨のち曇 (満濃池休憩所~宇多津町・善根宿「うたんぐら」)

○本日の参拝
第76番札所 鶏足山宝憧院 金倉寺 (御本尊:薬師如来)
第77番札所 桑多山明王院 道隆寺 (御本尊:薬師如来)
第78番札所 仏光山広徳院 郷照寺 (御本尊:阿弥陀如来)



目を覚ますと満濃池は雨。






雨の中、付近を散策。
案内図。


満濃池略史。


満濃池再築の記念碑。


旧高松藩の勤王の志士松崎渋右衛門の碑。
「君の為 国の為には 惜しからし 仇に散りなん 命なりせば」


7時20分、雨の中を出発。ほたる見公園内の坂を下っていく。公園内には、野宿できそうな東屋が2つ確認できた。

時折自動車が通るだけで、人通りのない昨日通った道を、金刀比羅宮方面に向かって引き返す。雨はときどき強くなる。


モノトーンの景色は、遠景の山々が水墨画のように見える。




途中、久保神社で小休止し、

8時40分、国道319号線に出て、コンビニへ。朝食は、カロリーメイトとみかんの残りと侘しかったので、おにぎりと牛乳500ccでパワーをつける。

雲の流れが速くなり、一時雨が上がりそうになるも、再びしとしとと降る中を、ひたすら歩道歩き。仕方がないから、「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」(芭蕉)やら「老いが恋忘れんとすれば時雨哉」(蕪村)やら....を思い出したり、雨の唄を歌ったり。

11時25分、ようやく第76番の金倉寺へ。

仁王門。


阿形と、


吽形。


本堂と、


大師堂。


金倉寺を後にして、しばらく野中の道を行く。

やがて人家のある方へ行くと、傘をさした男性が、「お接待です。」と小さな焼物のお地蔵さんをくれた。南無大師遍照金剛。

12時40分、道隆寺へ。

仁王門。


本堂と、


大師堂。


弘法大師千百五十回忌之塔、雨強し。


道隆寺を出て、しばらく行くと、白衣を着た外人女性のお遍路さんに出会う。降りしきる雨の中の単調な街中歩きなので、どちらからともなく同行することになる。カタコトの日本語と、片言の英語で、歩きながらおしゃべりをした。
彼女は、ワシントンDCから来た、医科大学で小児科を教えている先生だと言った。前回1番から51番まで回ったので、今回は残りを歩いているが、日程の都合で88番までは回れず残念がっていた。
アメリカでは、仏教への関心はもっぱら禅の方で、真言宗は少ない。日本人の友人や『阿波巡礼記』を読んだ影響で、四国遍路を思いたった、とのこと(彼女はユダヤ教徒)。
日本の文化に興味を持っており、古典も英訳でいくつか読んでいて、『平家物語』や『源氏物語』も読んだそうだ。光源氏はビル・クリントンのようだと言うので、それは四国で聞いたナンバーワン・ジョークだと言ったら大笑い。いくらなんでも....。

13時55分、右手奥に丸亀城。




ワシントンさんのアイデア。


その後もあれやこれやいろいろな話。
彼女は、歩き遍路をしているうちに、シールに限らず小さな赤いものを見ると、ひとりでにそちらの方に体が寄って行ってしまうようになったそうで、「それが私の『お四国病』ね」、と。
彼女の持っている英語版の遍路ガイドブックを見せてもらったら、奥付に Tateki Miyazaki とあり、あらためて「へんろみち保存協力会」の宮崎さんの偉業を実感した。

それやこれやで、雨も上がり、

14時45分、郷照寺へ。

山門とワシントンさん。


本堂と、


大師堂。




ここで、彼女とはお別れ。「Bon Voyage!」、「ガンバッテクダサイ」と握手をして別れた。

その後、300mほど歩いて、善根宿「うたんぐら」へ。
時間が早かったようで、戸が閉まっていたので、隣の食堂でうどんを食べつつ時間待ち。

御夫婦が戻ってきたので、宿泊手続き。
シャワーを浴び、洗濯をし、近くのスーパーへ買い物をして、その後は炬燵でお二人の話を聞いた。
「うたんぐら」の意味(「うたんぐら」のホームページ参照)や善根宿を始めた動機。昨年3月にはじめてから800人以上が泊まったこと。外人の泊り客も多く、米、英、豪、中、韓、独、仏、伊、洪、等々。青木地蔵堂のHさんとも昵懇だとのこと。また、久万高原で別れた山梨君が前々日に泊まっていったことも知った。
この夜の宿泊客は小生一人で、3日ぶりの布団に、あっという間に眠りに落ちた。

歩数 38,460歩   (累計 1,539,069歩)
距離 25.5km    (累計 1065km)
費用 2,030円    (累計 148,708円)